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忠臣蔵【四十七士】について

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[0] Take 2005/08/06 06:04

赤穂四十七士について、語りましょう!
好きな浪士、逸話、吉良上野介、松の廊下、関わることなら何でもOkです

25件のコメント 1番から25番を表示中

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[1] ヤンガス 2005/08/06 07:20

自分の親分が他人に乱暴を働いて怪我をさせた。
親分は裁判で死刑を言い渡されて処刑された。
それが不満で、大勢で徒党を組んで被害者の家に殴り込みをかけ、被害者を殺害した。
自分たちも死刑になった。

せんじ詰めると、こういう↑事件だな。
同様な事件が現代で起きても、やっぱり死刑になるだろうな。

[2] マイコー 2005/08/06 21:10

堀部安兵衛って赤穂浪士だよね?

[3] バファリン 2005/08/16 22:52

僕の祖母の実家が吉良家です。
自分も苗字吉良がよかったなあ

[4] いいちこ 2005/08/17 09:20

吉良義央の息子が援軍を出そうとしたが、家臣が止めて、上杉家が断絶されずにすんだ所でほっとしたが、大石らが切腹というのはいただけない。普通の意見で申し訳ない。

[5] Take 2005/08/17 21:57

映画、TVドラマ等では、私見ですが、かなり美化されてるとおもうんですが…

[6] 赤穂浪士 2005/08/18 00:32

吉良の子孫の屋敷に討ち入りする

[7] ヤンガス 2005/08/18 06:39

>>6
何のために?

順序から言えば、次は吉良の側が浅野に復讐する番だろ?
だが、吉良方はそんな馬鹿な真似はしなかった。
赤穂の暴徒が処刑されて一件落着。

[8] 2005/08/29 23:54

史実を列挙。
1.殿中での刃傷はお家断絶、身は切腹が判例であった。
2.浅野VS吉良の前はすべて斬られた側が死亡していた。
3.吉良上野介は前回の勅旨下向の際も津和野藩主亀井慈親に
 刃傷されそうになった。
赤穂浪士の行為は最終決着の行動として正解に近い。
当時の世論も仇討ちを期待していた。幕府はわざわざ吉良屋敷を
討ち入りしやすい場所に移した程であった。
嫌われ者の吉良の残党は復讐しても赤穂浪士のように忠臣扱いはされないし、そういう教育も受けていないので、復讐なんかしない。
“吉良は実は名君であった”なんて話は地元が悔し紛れに
創った話である。

[9] ヤンガス 2005/08/30 06:46

>>8
> 当時の世論も仇討ちを期待していた

これ↑の出典をご教示くだされ。
その当時、世論調査などが行われたということは初耳でござるよ。

[10] 2005/08/30 17:00

世論調査を持ち出されては、困ってしまいますが
幕府も片手落ちの裁決をさすがにまずいと思ったのか、
江戸城呉服橋門内に有って赤穂浪士が手出しできない
場所から、本所に屋敷を移された時点で世論を想像
できまいか。
また当時の世相はバブル期のようで、武士としての
生き方が失われていたり、生類憐みの令で不満を
もつ庶民が多かったようです。義士の壮挙に喝采を
叫ぶ庶民の反応を見ればあきらかです。
切腹は武士としての名誉を保った形態で、
罪人なら打ち首獄門です。幕府がそうできなかった
背景を考えてみましょう。

[11] 狗奴人 2013/09/13 11:59 Ak/8Mh9E23w

私は浅野内匠頭の進物が少なかった(ケチった)ことから、吉良上野介が内匠頭をいじめ、それが内匠頭刃傷の動機であるとする話は史実ではないと思っている。これを史実とすると不自然なことが多いからである。

大名にとって勅使饗応役は大役である。役成功のキーマンともいえる高家筆頭の指南役上野介への進物は失礼のないような額(あるいは品)に気を配るのは当然で、対幕府への藩政を任され、その専門家でもある江戸家老や留守居役が、進物をケチるなどということがあるとは到底思えない。進物は赤穂藩の吉良家への外交的な藩行政の一環である。そこにケチな個人的考えの入り込む余地はない。

上野介は奥高家肝煎を務める高家衆の筆頭の地位にある。仮に上野介が饗応において重要な件をわざと教えないという、饗応役いじめをすれば、内匠頭が饗応役において失策を犯す恐れがある。それによって勅使饗応に支障が起きれば、内匠頭はもとより指南役の上野介の責任も免れない。上野介は高家筆頭として式典、饗応に全責任を負っている。それが式典、饗応に支障が起こる恐れのある、饗応役いじめをするわけがないと私が考える所以である。

それでは刃傷の真の動機は何なのだろうか。「勅使への贈り物や式典、饗応の経費について内匠頭と指南役の上野介が対立し、上野介が内匠頭を罵倒したのが原因だ」という説があるが、これが真相に近いのではあるまいか。

忠臣蔵(実録)は文字通り四十七人の忠臣の物語である。それがすべてであり、史実を踏まえているとはいえ、演劇としては当然といえるが、史実以外は四十七士の義挙の興趣を盛り上げるための作り話といっても過言ではあるまい。そこに描かれている人物、特に敵役の吉良上野介は実像を歪曲された、似ても似つかぬ別人格になっているといっていいだろう。

忠臣蔵は徳川実紀や江戸っ子の噂を取り入れ巧みに脚色している。その優れた演劇性によって大衆の心をつかみ、そこに描かれた上野介の内匠頭いじめという刃傷に至るいきさつも、あたかも事実のように受け取られ、現在に至っているのである。

[12] URL (キリッ 2013/10/10 15:18 ZO/uee8V4jy

あいうえお

[13] 狗奴人 2013/11/13 15:26 Ak/Nq4H5O1D

実際の内匠頭と上野介はどんな人物だったのだろうか。映画やテレビドラマでの忠臣蔵の内匠頭は、二枚目俳優が演ずる紅顔白皙の青年大名として描かれているため、世間ずれしていない純真な殿様のようなイメージが、少なくとも私にはあった。しかし、内匠頭の赤穂藩は六割四分という高い年貢のうえに、通常は六尺平方の一坪を五尺二寸四分平方で一坪とするという政策をとっている。

これを計算してみると通常の一反は一反三畝余となる。つまり三割水増しされた田畑に六割四分という重い年貢が課されるわけである。領民が浅野家断絶を赤飯で祝ったという言い伝えがあるのもうなずける。内匠頭は藩財政のためには、領民からの過酷な収奪もいとわない、藩政に熱心なやり手の殿様であったと私は見ている。饗応経費について上野介と対立したという説があるが、それに信憑性があるとすれば、そこからも、少々融通が利かないにしても、真面目で一本気で藩政に熱心な藩主の姿がうかがわれる。
 
一方の上野介はどうか。ドイツの医者で博物学者のケンペルは、将軍の名代として朝廷への年賀の帰途の上野介に道中で会っているが「彼は立派な人物であった」と日記に記している。何を根拠に立派な人物と判断したのかわからないが、上野介が品格、識見を備えた将軍の名代にふさわしい人物だと判断したのだろう。

そういう人物だから、饗応役の大名をいじめるはずがないと、断言するわけにはいかないのは勿論だが、忠臣蔵が四十七士を称揚するために作られたものであることを考えると、そこに描かれた敵役上野介の悪辣ぶりは、相当割り引いて考える必要があろう。史実以外はほとんどが架空の話ではないかと思われる。上野介は室町幕府足利一門であり、源氏に連なる吉良氏という由緒ある出自と奥高家肝煎であることに、強い矜持と使命感を持った人物であったであろうと私は考えている。

[14] 水戸の梅 2013/11/13 17:51 Vw/ExPH3mj8

>13
1票です。まず、ワイロを現代の感覚でとらえることが間違いで、当時はごく当たり前の慣行。さらに、過去に饗応役の経験がある浅野家にはノウハウがあった、はず。それで虚構としての原作は、庶民受けを狙って「横恋慕」にしたのです。
>上野介は室町幕府足利一門であり、源氏に連なる吉良氏・・・
えと、赤穂浅野家は分家ですが、浅野氏はいちおう土岐源氏の裔を称しています。戦国~安土桃山以来の戦功で本家は42万石。まあ吉良から見れば怪しげな出来星かもしれませんが。
ワイロは嘘、製塩も嘘。お坊ちゃん育ちの癇癪持ち(“つかえ”とか)がキレちゃった、と言ったら身も蓋もないかな。

以下地元身びいき我田引水ホームタウンデシジョンです。
赤穂浅野家はもともと常陸国で立藩しました。江戸期~昭和のはじめ頃までによく見られた「隠居」の家筋です。家督は嫡男に譲って、末子なんかを連れてあらたに家を興すのです。よって、四十七士には立藩時に現地採用された常陸国由来の子孫が何人もいます。

[15] 狗奴人 2013/11/14 16:47 Ak/gkFp3IM3

相も変わらず水戸の梅さんの博識。
「浅野家にはノウハウがあった」ご指摘の通り、内匠頭は十七歳の時、同じ指南役上野介のもとで饗応役を無事終えています。当時饗応役に携わった家臣で残っている者もいるはずであり、詳細な記録も残しているはずです。「癇癪持ちで、つかえ」の指摘、弟の浅野大学は兄について「性、はなはだ急な人」と述べています。「つかえ」には侍医から投薬も受けています。

吉良家への進物は、おそらく事情通の留守居役の主導で、諸事情を勘案した過不足のない常識的な案を、江戸家老が決裁し、藩主に伺いを立てると思われます。因みに四十七士の主要なメンバーとして堀部安兵衛とその岳父堀部弥兵衛が活躍しますが、その弥兵衛が赤穂藩の留守居役です。常陸国由来の家柄かどうか知りませんが、伝えられる評判からも進物ををケチるという非常識な判断をする無能な留守居役とは思えません。

水戸の梅さんの歴史に対する深い想いと博識に期待しますが、私は歴史の知識に欠けるため、思い付きで単発レスをするだけですので、水戸の梅さんをはじめとする論客の皆さんの歴史論議に参加できそうにないのが残念です。

[16] 幸せ 2013/11/14 16:48 RX/LPw4Ki9B

賞味期限

[17] 水戸の梅 2013/11/29 18:36 Vw/VY2kBw8q

>15水戸の梅さんをはじめとする論客・・・
少なくとも私に限っては旧ザビビで性懲りもなく叱られていた半可通です。専門は土木工学です。
>歴史論議に参加できそうにない・・・
旧ザビビは中学生から私ごとき半可通、恐ろしい専門家まで参加して盛り上がっていましたよ。
>岳父堀部弥兵衛・・・常陸国由来の家柄かどうか・・・
まったくの推測ですが、堀部氏は近江の出ですので、大石内蔵助の爺ちゃんかひい爺ちゃんだかが近江から浅野家に迎えられたときにくっついてきたんじゃないでしょうか。いわば大石家の譜代。
堀部弥兵衛は浅野家の常陸国笠間(現、茨城県笠間市)藩時代の生まれです。梅の県の関係者・・・?

[18] 狗奴人 2013/12/01 11:27 Ak/koC6ikBa

梅さんの荘園、守護、地頭等、また、江戸時代の通貨等、いずれの薀蓄も相当なものです。「荘園がわかれば、日本史云々」も的を得た言です。特に室町以降の荘園は、重層的に領主権が錯綜し、時代や地方によって、極論すれば荘園個々によって形態が異なるとも言えそうです。

荘園公領制に限らず、奈良時代の墾田私有から始まる律令制の形骸化が進んでからの長い歴史は、権力者の栄枯盛衰の裏にある、統治形態の複雑さの中で、下級武士や庶民がどう関わっていたのかを理解するのは至難と言わざるを得ません。私などの手に負えるものだとは思えない所以です。

さて、私の>>15 の「弥兵衛が赤穂藩の留守居役です」は、弥兵衛が隠居であったことを思い出しました。留守居役は現職ではなく元職であったと思われます。従って>弥兵衛は・・・以下は、取りあえず取り消しておきます。

[19] 狗奴人 2013/12/01 13:05 Ak/LzFvEc8P

的を得た⇒的を射た

[20] . 2013/12/08 21:39 H3/Asxmy1uS

大石

[21] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2023/04/09 10:53 UJ/hBUiZ06I

興味ある。揚げる。

[22] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2023/12/23 15:31 Fk/boka1m1Z

赤穂事件は綱吉の時代である。綱吉は内匠頭を厳しく処断したが、その後方針を変えた。吉良の屋敷替え、討ち入り後の切腹という寛大な処置に示されている。

[23] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2023/12/23 15:32 Fk/boka1m1Z

赤穂事件は綱吉の時代である。綱吉は内匠頭を厳しく処断したが、その後方針を変えた。吉良の屋敷替え、討ち入り後の切腹という寛大な処置に示されている。

[24] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2024/01/03 20:10 d6/D64TyHbX

いつの間にやら、年末にも放送しなくなったな。組織や上司に忠義を尽くすって価値観が受け入れられる時代じゃないのかな。

[25] タンチョウ 2024/01/03 20:30 Ew/vCicr3Oa

制作会社に時代劇を出来る人が少ないと聞きました・・

セットも衣装も使いまわしだったり・・

経費が無いのでは?

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