ご覧の通り、クオリアについてのスレッドです。
私の説明ではアレなので、とりあえず
>>http://www.qualia-manifesto.com/index.j.html
それでは。
認知心理学とかの概念学習とは全く無関係?
ウィキ見た限りじゃ、クオリアって現代版イデア論にしか見えない…。
クオリアって概念化や言語論との整合性に欠けてませんか?
>>19 クオリアはそれそのものとしてはそんなにオカタイものじゃない
と思います。認知心理学とかと全く無関係ではもちろんないですが。
僕が考える限りだと、知覚と概念と言語を扱う認知心理学的にみてクオリアって問いはそういったもので、ばっちり説明されちゃってる気がします。
>>23
>>ばっちり説明されちゃってる気がします。
クオリアが意識の超難問であるという現状について説明されている、
ということなのですか?それともクオリアは全く解決済みであって全て
が「ばっちり説明されちゃってる」って事でしょうか?
もし後者であるのならそれはすごいことです。ズバリ天才でしょ
う!!。
後者的意味です。脳学が微妙なので全くってわけじゃないけど八割り方説明されてるハズ
http://www.soc.hit-u.ac.jp/thesis/doctor/04/summary/mizumoto.html
http://www.soc.hit-u.ac.jp/thesis/doctor/04/exam/mizumoto.html
↑にそんな感じの主張があるし。
http://www.hitachi-hitec.com/about/library/sapiens/017/panel.html
一応、茂木さんの主張もこれとかも読んで確認したけど、分析哲学かじった人ならクオリアは解明できたってわかると思う。
僕自身、二週間前まで、反イデアじゃなかったけど、ウィトゲンシュタインや認知心理学やって、考えが変わった。
>>17
けむんぱちさん、苺一絵さんは手強いですからね、あのHOOKさんですら途中で
議論の継続を投げ出した位ですから。(HOOKさんウナム最近見かけないですぅ)
>>27 読書量ですかね、うらやましい。
私はクオリヤが未だに解りません。
>>30
確認しときたいんですが…客観的観念論支持ってことでよね?
それとも、ニューロン発火とかのメカニズム探求主眼でしょうか?
客観的観念論と英米系との見解の違いなような気がしたんですが…
最近「クオリア」という言葉はよく聞くので、けむんぱちさんが>>0 にて挙げておられるサイトをざっと読んでみて、またクオリアの知識というのはその程度しかないのですが、どことなく現象学的アプローチに非常に似ているように思いました(「マニフェスト」を読むに喧伝のやり方すら似てるw)。「意識」「主観」において存在する「感じ」を解明するというところなど特に。そのような人間の主観に存在する「クオリア」を自然現象として扱うところが新しいように思いましたが、ただ皆さんも指摘しておられますがけっこう怪しいw
クオリア原理主義宣言で「それは言語化できるものではない。/それは記号化できるものではない」と書いておりますが、これって端的に「クオリア」の解明が不可能、というか問いの立て方自体(そしてこの「誤った問い」自体、既に過去に立てられているわけで)が誤っているのではないかと疑問があります。もっともこれは本当にザクッとサイトを読んだだけの感想なので、けむんぱちさんに反論して頂きたいところではあります。
>>32 厨房二歳さん
>>ただ皆さんも指摘しておられますがけっこう怪しいw
怪しいと思うのは私も同じですが、ただ、どういった意味で怪しいの
か、クオリアそのものが現にそこに在るという事実が不可解な幽霊の
ようなものであるという不思議さの意味で怪しいと感じているのか?
あるいはクオリア問題そのものが単なる擬似命題であって、胡散臭い
でっち上げのようなものだという意味で怪しいと感じているのか?
もし前者ならばクオリアが意識の真の難問であるということであり、
これが現在のクオリア問題の焦点なのですが、もし後者の意味なら
ば、つまり本来はそこになんらの不可解なものがないにも関わらず不
可解であるかのように錯覚しているだけなのだとしたら私のほうがそ
れを是非とも知りたいのです。それともそれが説明不可能であるとい
う不可解な事実を認識した上で、あえて判断中止論に持ち込むという
意味であればそれも一つの整理の仕方ではあり、クオリアについての
メタ考察を打ち切るにしても、そのかわりにとりあえず以前述べたよ
うに自分自身で直接感じた質感についての素朴な観察報告みたいなも
のから始めねばならないと思うのです。しかしもっともこれでは結局
何も目新しいことのない単なる自然科学的手法になってしまうのでし
ょうが。
>>33
ところで、クワイン、ウィトゲンシュタイン、認知科学って既修ですか?
僕は分析哲学やりはじめで、上手く説明できないんだけど、前出の論文の要旨に書いてあるように、分析哲学ではクオリアは形而上学的疑似命題らしいです。ラディカルな論理実証主義者だけとかじゃなくて、分析の基本的スタンスとして…。志向性とかだけじゃなく、言語的観点で問題を見てますか?
少し調べてみた。
クオリアっていわゆる心身問題やプラトニズム論争を受け継いだ問題らしい。んで現象主義や形而上学的に扱いとアポリア化しちゃう。物理的アプローチだけに頼ってもそうなっちゃうけど、分析的行動主義(行動系認知心理学系重視の分析哲学?)だとわりとすっきり解決するらしい。例えば、クワインはイデアの実在を否定してる。ん〜説明しずらい…。これって、科学哲学や認知科学、分析哲学の話なんだけど、僕が初学者ってのと、この分野は特殊な概念?ぽっいもの使ってるから、ちゃんと説明しきれません…。(不徳!)んで、
http://www.mail-archive.com/everything-list @eskimo.com/msg07540.html
っていうサイトに軽いクオリアの説明(厳密にいったらニュアンスが少し違うが…)あったので、英語ですが、内容はあまり難しくはないので、よかったら参照してみて下さい。
あとブルーナーの概念学習、ロッシュの自然概念、ウィトゲンシュタインの家族的類似性、アリストテレスのエイドス(であるものではなく、でないものってヤツ)、クワインの自然主義ってのがクオリア解決に役立つと思う。
イデア論批判について言うとブラウアーの直感主義やカルナップの構築とか゛上がってくるらしい。これについてはほとんど知らないんだけど、ざっと見る限り、彼等が正しいと思う。
>>33
最後の意味で「怪しい」と言いました。確かに「赤い」という感じ/質感が存在する(「質感」「感じ」といったものを「存在する」というのには多少抵抗があるのですが、主観的/意識が「それ」を感じるというときの「それ」は確かに「存在」していると思います)のは確実に認めます。またそれを「クオリア」と呼ぶのも別に——わたしは呼びませんがw——構いません。
ただそれを「記述不可能」「記号化不可能」としておいた上で解明するというのは端的に不可能だと思います。茂木さんがいくら「脳科学者」として優れていたとしても、そしてわたしは脳科学についてはほとんど無知に等しいですが、脳科学が「クオリア」を解明できないというのは確かかと思います。物理的、定量的な物差しでは「計り得ない」といっているのですから、脳細胞(脳の部位)の関係性を測り得たとしても、「クオリア」の解明には貢献しないでしょう。
もちろんこれは、茂木さんが「脳科学」と「クオリア」に関係があると主張しているのでない限り批判にはなり得ません。しかし「クオリア」を感じ・質感として——それも「脳科学者」が——問題化することによって、非常に安易な「実感主義」、通俗的な「経験主義」、最悪の場合「神秘主義」に陥る人がいるのが予想されるという点で、率直に申しまして「有害」だと思います。
クオリアについて、もう少し調べてみた。あと、茂木さんの本も読んでみた。「脳内現象」とか。
んで、クオリア関係ではデビットソンやローティやらサールやら哲学系論争が複雑に展開されてたんだけど、そーゆうのすっ飛ばして超簡潔に結論を言うとクオリア問題はチャルマーズって人が解決してた。この人の事はさっき初めて知ったから、まだよくわからないんだけど。
クオリアって問題の根が深い。基本的にはプラトンから始まるイデア論争に過ぎない、つまり科学や哲学の紀元からずっと扱われてる問題なんだけど、普遍論争系や心身問題、新カント派、経験主義、科哲、分析、言語学、認知心理、大脳、情報工学、数学基礎論、現象主義、量子力学っていう分野にまたがってる…。この多分野性のせいで、ハードプロブレム化しちゃってるだけでは?
でも、分析哲学系の人はわりとすっきり解決してる。彼等から見ると、クオリア論争は、いわゆる形而上学的疑似命題に過ぎないらしい。これは多ソースで確認とった。
もちろん、論理実証主義の言う疑似命題とは違う。
いろんな対立軸があって、ここで全部検証するのはしんどいからやめとくけど、チャルマーズって人の主張(彼オリジナルじゃないけど)がどの論点でも妥当だった。彼は機能主義かつ非還元主義(反観念論的?)、物理現象と意識現象の双方を認める二元論で、物から意識への因果を認め、逆は否定、組成普遍を支持するけど組成から意識の因果を認めている。
だいたい問題の本質が見えてきた。クオリア問題って哲学の中心的な物を全て扱ってる、とても意義深い問題だね。これって、哲学史のダイナズムはフルに感じられるし。特に、ここ三十年の進歩がすごい。まだまだ、古い形而上学系の影響強いけど、哲学のたぶん最後の大きなパラダイムシフトをこれから日本では感じられそうだ。
>哲学のたぶん最後の大きなパラダイムシフトを
>これから日本では感じられそうだ
これは釣りですよね‥
いや、社会構造が世代交代による漸進的な形で変わるのは、過去の歴史から推測できると思うんだけど、分析哲学って旧来のハイデガーが完成させたプラトン以来の形而上学とは一線を画してる。今の教授世代は分析哲学が輸入されて盛んになる前の世代で、彼らが日本の分析哲学普及に一役買ってるわけなんだけど、今小学生ぐらいの世代はある程度、分析哲学が盛んにな状況で育つし、情報工学の進歩やインターネットによる通信とかの影響、成熟した社会、そんな要因で、日本哲学界も少しずつ変わるんでないかな。大学運営の方向性による所も大きいけどね。今はまだ分析哲学はわりとマイナーぽっいから、変わる余地はあるわけだし。
あと問題は脳学がどれだけ進歩できるかだね。
ってな事を想像。どうなるかわからないけど
エレベータに乗ると、その下降上昇の物体に於ける重心の移動感がしばらくの間身体に
残っています、事に身体が静止するとそれが強くなる。こういう事ありません?
僕はないです。移動中はありますが、しばらく残るってことは気付いたことはないですね。あんまりエレベータのらない人間(年数回ぐらい)なので…、よくわからないです。今度注意深く観察してみよっと
今度注意深く観察してみよっと
相変わらずヴァカだね。
部分の性質の統合は全体の性質を表してるとは限らない
だよねww
茂木さんは問題提起役なだけぽっい。研究内容は本からはよくわからないし。
分析の入門書数冊にクオリアの記述あったけど、見解はほぼ同じような感じだったし。
心身問題は概念の混乱的使用によるもの
クオリアッてなんですか?
クオリアについて考えがようやくまとまってきた…( ̄□ ̄)
関連記事が見当たった次第なので下記にご案内致します。
ttp://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20020423301.html
後半の記事。
ttp://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20020424306.html
あっこの記事は>>11 のコメントに対してと付記。
茂木さんが番組持つよ。NHKで10日から
僕の日程に書き加え拝見致しますよ。
それはかたじけない
>>30
けむんぱちさんも、投げ出されてしまわれたのでしょうか・・・?
けむんぱちさん、カムバ〜ック!
>>57
茂木さんの番組忘却にてはや三日が経った様です、申し訳ない。
>>59
けむんぱちさんは女同族一般にモテモテでいらっしゃいますから、
とても御忙しいのでしょう、之又どういう訳あってかそういう風
に(どういう風にだかは知りませんがそういう風に)告知して居
りました。
女性の溜まったストレスを解消させてあげて下さい!!
主に性的な癒しを求める女性が大半ですので貴方の優しさで包み込んであげて下さいね(´▽`*)
女性ユーザの約80%は現役風俗嬢やキャバ嬢ですょ★
http://movie.wch.jp/gyaku/
我々は「脳」というとき、「ピンク色をした直径10cmくらいの豆腐のような物体」を思い浮かべることが多いと思われます。そして、我々が知覚していないときも、「脳」は「ピンク色をした直径10cmくらいの豆腐のような物体」として客観的に実在する、と思い込んでいます。それが間違いだと思います。
脳Bに随伴している心Mはもちろんクオリア(の複合体)ですが、脳Bの方もクオリアです。「ピンク色をした直径10cmくらいの豆腐のような物体」というのは「脳Bの視覚像」だと気付くべきです。同じ脳Bでも、聴覚で知覚すれば、「何らかの音」というクオリアで捉えた「脳Bの聴覚像」になります。嗅覚で知覚すれば、「何らかの匂い」というクオリアで捉えた「脳Bの嗅覚像」になります。味覚で知覚すれば、「何らかの味」というクオリアで捉えた「脳Bの味覚像」になります。触覚で知覚すれば、「何らかの手触り」というクオリアで捉えた「脳Bの触覚像」になります。要するに、五感それぞれの知覚システムには固有の知覚変換(クオリアを別のクオリアに変える変換)が存在するということです。
「視覚システム」「聴覚システム」「嗅覚システム」「味覚システム」「触覚システム」による知覚変換をそれぞれf1、f2、f3、f4、f5とし、心Mをこれらの知覚変換で変換したものが、B(視覚像)=f1(M)、B(聴覚像)=f2(M)、B(嗅覚像)=f3(M)、B(味覚像)=f4(M)、B(触覚像)=f5(M)だと考えれば良いのです。
「心・脳問題」が奇妙な問題に見えるのは、B(視覚像)=f1(M)を客観的な脳Bの姿だと勘違いし、B(視覚像)自身もまたクオリアなのだという事実を見落としているからです。哲学者カントが指摘した通り、我々が知覚している物質世界は、我々の五感という色眼鏡を通過するときに、すでにf1、f2、f3、f4、f5という変換を施しているため、すでに客観的ではなく主観的なのです。
↓↓↓
「クオリア統一理論」(量子力学で記述する全知全能の神)
― 多世界解釈を土台に「神」と「人間の心」との関係を数式で表現し、「神」が自力で無から有として発生する自存のメカニズムを記述し、「人間の心」が感じるすべての謎をトートロジーに解消する試みです。―
http://qualiatouitsu.blog.fc2.com/
今後、どれだけ科学の発展が進んでも、「クオリアを他者と共有したりすることはできない」と聞きます。しかし、これは本当なのでしょうか?
読む人全員に言いたいのですが、今後科学や文明が発展しても、絶対に、クオリアを他者と共有する方法は見つからないし開発されることもない、と言い切れますか?
言い切れるのなら、その根拠や証拠は?
>>0のURL開いたら茂木がいて笑った
http://nun.nu/www.qualia-manifesto.com/index.j.html
今後科学や文明が発展しても、絶対に、
ゴジラは見つからない、と言い切れますか?
ピカチュウは見つからない、と言い切れますか?
言い切れるのなら、その根拠や証拠は?
たまたま又このスレに訪れる機会がありました。
>>65
何故>>63の私の主張をパロディー化?されたんでしょうか?パロディー化したところで私の疑問への答えにはなりませんよ。
それとも>>63の質問の何かがおかしかったんでしょうか。
何年か前、シリウスさんが建てた「ゼノンのパラドックス」で愚見を述べたQ&Qです。もし、覚えていられたならば幸いです。さて、クオリア・・・これほど難しい問題はない。と私は思っています。科学的、特に物理学的に説明困難な「感じ」のことだからです。現在の物理学者、哲学者の間でも、統一された結論は見当たりません。
>>63 のシリウスさんの問題提起に、現在の認識では「クオリアは他者と共有できない」というしかないと思いますが「将来についてはわからない」というのが、素人の私に限らず科学者を含めての認識ではないでしょうか。この掲示板も超過疎化していますが、今後のシリウスさんの問題提起に期待しています。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●不合格●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
これを見た人は確実に【不合格】です。これをコピペでどこかに1000回貼れば回避できます。
これは本当です。やらないと十年無駄になります.
私も最初は嘘だと思ったんですが、一応コピペしました。それでセンター私大に合格出来ました。
けどコピペしなかった友達がA判定とっていたのに、おちたんです。(慶応合格h.sさん)
俺はもうE判定で記念受験だったんだけど、コピペを10回くらいした途端に過去問が
スラスラ解けるようになって、なんと念願の早稲田に受かりました。(早稲田3学部合格r.kくん)
これを今年のセンター前に見てシカトしたら、センターミスって最悪です。(n.aさん)
コピペをしてから痔が治りました。(早稲田大学教授A氏)
信じられますか?この威力。
d26.GkanagawaFL5.vectant.ne.jp (;´Д`)