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シューベルティアーナ〜未完のミューズとその周辺

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[0] ウリッセ 2007/03/20 20:21

せっかくなので、もっともらしいスレタイにしてみました。
sage進行でも目立つように、あえて長めにしました。
ちょっとくどい気もしますが、すぐに慣れるでしょう。

スレを建てたのは私ですがスレ主ではありません。
参加するみなさんで自由に進行してください。

ちなみに最近の私よく聴くシューベルト作品ベスト5は(作品の完成度は度外視です)
�ロザムンデ(魔法の竪琴)序曲D.644
�弦楽四重奏曲第15番ト長調D.887
�ピアノ・ソナタ第13番イ長調D.664
�スターバト・マーテルヘ短調D.383
�幻想曲ヘ短調D.940

98件のコメント 49番から98番を表示中

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[49] やすのぶ 2007/05/05 09:35

クリーンは聴いたことがないですが、シューベルトでは、おっしゃるように濁りのない透明さを欠くことは出来ないですね。ペダルの繊細な使用が求められます。
他の曲の感想もお聞かせください。

ユージナの《変ロ長調》は、本当にすごいですね。ロシア人でシューベルトやる人多いですが、こういった演奏にその根源があるのでしょうか。それとももっとさかのぼって、流派のようなものが存在するのでしょうかねえ。

[50] ベームK 2007/05/06 01:17

東京国際フォーラムを会場にした来年の連休。「ラ・フォル・ジュジュルネ・オ・ジャポン」ですね。テーマは「シューベルトと仲間たち」だそうです。歌曲に触れているのは当然ですが、「どのジャンルにも傑作があって」と主催者が書いているのには要注目です。以上速報でした。!

[51] やすのぶ 2007/05/09 21:44

情報ありがとうございます。
シューベルト中心という感じで期待が持てますね。

でも、「仲間たち」というのはちょっと変ですね。
シューベルティアーデは、楽しむための仲間ですし、
シューベルトの友人の作曲家で現在にまで演奏される人なんているのかなあ?
アンゼルム・ヒュッテンブレンナーは、シューベルトの友人で、《未完成》を隠匿していたことで知られる作曲家ですが、こんなマイナーな作曲家などを対象としているのでしょうかねえ?

「シューベルトと同時代人」てなテーマなら、フンメルやサりエリや
ウエーバー・・・それに何よりベートーヴェン!
シューベルト側からの切り口によるベートーヴェンというのも面白いかもしれませんが、彼らは仲間ではないですよね。

[52] やすのぶ 2007/05/23 15:15

前田昭雄というひとの『フランツ・シューベルト』(春秋社)という本を読んでみました。その325ページに
<作品が生存時に出版される率は極端に少なかった>
この言葉は、見方によって、ある意味では正しく、ある意味では誇張された見解であるといえるのではないでしょうか。

確かにオペラや交響曲は全く出版されなかったし、器楽曲や声楽曲の大曲も数えるほどしか出版されなかったという点では当たっています。
しかし、一方で、歌曲や合唱曲、ピアノソロや連弾作品がたくさん出版されたことを鑑みると、一言でこのように片付けてしまってよいものか、愚問に思えるのです。

[53] ベームK 2007/05/23 18:20

やすのぶくん、すごい。
 学生時代に戻って、この部分を見つけて、卒論のテーマにすればよかった!と思いましたよ〜。ことばの背景となる事実の実証研究ですね。こういう地道な蓄積で、作曲家についての「神話」が崩れていくことがある!

 前田昭雄先生は、ドイツロマン派研究、とりわけシューマン研究で世界的に知られた権威ですね。指揮法も学んでいらっしゃる(たしかスワロフスキーの弟子)ので、ヴァントやヴァリッシュも一目置いていた人ですね。1930年代生まれの音楽学者は、海老沢敏・国安洋、前田昭雄、中村洪介など、綺羅星のごとき理性が並んでいて、わたしなどはまぶしくて仕方ありませんでしたが。

[54] やすのぶ 2007/05/25 19:09

<作曲家についての「神話」が崩れていくことがある>
常に疑問をもって、作曲家の正しい評価に向けて思考を重ねる必要がありますね。

シューベルトといえば『歌曲の王』と中学校の音楽の教科書に書いてあります。このこと自体は全く正しいことです。シューベルトはドイツリートの第一人者であって、彼を越えた人はいないというのが一般の認識です。

しかし、別の面で考えると、この『歌曲の王』という尊称?は、キリンの首が長い、あるいは象の鼻が長いとと言っているのと同じではないでしょうか。しかし、キリンも象も哺乳類です。進化の妙で、あのような機能的で合理的な特化が行なわれたのであって、体全体、手足や胴体も含めて評価してこそ本来の評価につながるのではないでしょうか。そして、シューベルとの場合は、その本体での評価があまりにもおざなりではないでしょうか。

ところで、最近耳にした、D916bの『ウブリエ(=忘れ去られた)ソナタ』の詳しい情報をお持ちの方はいらっしゃらないでしょうか?

[55] やすのぶ 2007/05/29 16:29

Op.1の《魔王》は、1821年4月に出版されたそうです。
そして、Op.100《ピアノトリオ変ホ長調》は、1828年に出版契約が成立し、シューベルトはその出来上がった印刷譜が届くのを首を長くして待っていたのですが、それは彼の死までには間にあわなかったということです。
ということは足掛け8年(実質約7年)の間で、100の出版物(100の作品ではなく、1つの作品番号で複数の作品が出版されることがあるので、実質200曲程度だといわれています)が出版されたとのことです。単純に平均すると、月に1回のペースで出版されていったことになりますね。
これが、常識的に見て<極端に少なかった>といえるでしょうか?
逆に異常にたくさん出版されたと見るべきでしょう。

シューベルトの場合、歌曲やピアノ小品(連弾を含む)の売れっ子作曲家としての側面と、ベートーヴェンのような大曲の作曲家として名を成すための努力が突然の死によって頓挫したという側面の2つを合わせ持っているということをはっきり認識する必要があるのです。

上記文章でも
<作品が生存時に出版される率は極端に少なかった>
ではなくて
<大作が生存時に出版される率は極端に少なかった>
と言えばなんら問題はなかったでしょう。

ぼくが、ここでこんな瑣末なことを取り上げたのは、なにも著者をあげつらうためではなく、シューベルトを取り巻くぼんやりとしたある種の認識が、ファンや研究者のあいだでは今もなお、はびこっていることを正して行きたいからです。これはほんの一例です。作品番号を見れば誰の目にも明らかなことが、長年にわたって叩き込まれた先入観があるために曇ってしまったということです。

[56] ベームK 2007/05/30 02:34

>>55  100の出版物(100の作品ではなく、1つの作品番号で複数の作品が出版されることがあるので、実質200曲程度だといわれています)が出版されたとのことです。単純に平均すると、月に1回のペースで出版されていったことになりますね。
これが、常識的に見て<極端に少なかった>といえるでしょうか?
逆に異常にたくさん出版されたと見るべきでしょう。

・・・すばらしい勉強ぶりですね。嬉しくなります。私は何も言える知識を持ち合わせていないのですが、問題点として、次のようなことがありそうです。(たまたま今、『モーツァルト受容の200年』っ
て本を読んでいましてその援用で書きます→随筆参照)

(1)ウィーンが必ずしも当時の「楽譜出版」の「中心地」ではなかった。パリ・ロンドン・マインツ・オッフェンバッハ等々

(2)筆写譜も「出版譜」に含まれ、少なくともモーツァルトの死の直後のウィーンでは他の出版先進都市と比べると筆写譜の刊行が多かった。これは演奏のためのパート譜の需要が大きかったことによります。モーツァルトの場合は生前にすでに全ヨーロッパで交響曲やオペラの公演が行われており、そこにはとうぜん、筆写譜・出版譜の需要があるわけですね。パート譜は筆写譜で出たがスコアの出版には至らなかった、という記述はモーツァルトのバイオグラフィではしばしば目にします。

(3)モーツァルトの場合、生前から複数の出版社が同じ曲を出版していました(ウィーンのアルタリアとホフマイスターなど。)。また、モーツァルトの街ロンドンやパリでは、彼のピアノ作品・ピアノを伴った室内楽作品の譜面の刊行は生前からさかんでした。モーツァルトの名声を記憶する人たちが楽譜を欲したわけですね。魔笛も大成功して出版譜がいろんな都市で出ています。

(4)シューベルトが「売れっ子作曲家」だったのかどうか?「出版社が彼をシューベルティアーデの作曲家(狭いサークル内での人気者)として見ていた」という記述がウィキペディアにあります。

(5)同時代のベートーヴェンやウェーバー、少し前のモーツァルトの楽譜の出版状況と比較してみて、出版される率の多い少ないを論じてもいいかもしれませんね。

(6)なお、楽譜の出版状況を調べて、受容史を探るのは最近注目されている方法のようです。わが国のベートーヴェン受容研究でも、この方法での学問的成果が出ていて、実証的研究の方法論として定着しているらしいです。
 もしかすると修士論文のテーマレベルの研究に発展するかもしれませんね!(~L~)
 ただし、
>><大作が生存時に出版される率は極端に少なかった>
と言えばなんら問題はなかったでしょう。

については、「大作」の定義をどうするのかが問題になります。研究史にあたって、シューベルト学者がどの作品を「大作」として扱っているのか、交響曲はみな「大作」なのか?「連作歌曲」は大作なのか?どこに「大作」と「そうでない作品」の線を引くのか、といった問題が出てきますね。精密に議論をすすめるつもりがかえって曖昧になってしまう危険を感じます。ですから、私は「なんら問題はなかった」に対しては「そうかな?」って感じてしまいます。

 学問研究ではこういう一語一句にも細心の注意が必要で、そうした点、前田先生の著作にしても、海老沢先生の著作にしても背後にものすごい知的洗い出しと探求があります。

[57] やすのぶ 2007/05/30 10:13

ベームKさん、長文のレスありがとうございました。
ぼくはブルックナーに関しては40年来、ささやかにまた断続的に研究を重ねてきましたが、シューベルトについては、彼の作品を聴き、演奏し、一般的に売られている本を読んでいるだけです。ただ、彼の作品のすばらしさにつけ、それを解説・紹介している文章のいくつかが、なんと彼を貶めているか!ということに義憤を感じているだけです。こういったことはモーツァルトやベートーヴェン解説にはあまり感じられないことです。シューベルトには、なにか黒い雲がはびこっているのでしょうね。

(1)ウィーンが必ずしも当時の「楽譜出版」の「中心地」ではなかった。パリ・ロンドン・マインツ・オッフェンバッハ等々
@おっしゃるとおりです。当初はシューベルトの作品は、ヴィーンのカッピ&ディアベリ社やザウアー&ライデスドルフ社から出版されていました。しかし、これらの出版社(ヴィーンの他の出版社を含めて)は、シューベルトの意図通りの作品を出版しようとしなかったため、シューベルトは他の地域の出版社と交渉するようになります。
その成果として、先にあげた、Op.100は、ライプツィッヒのプロープスト社から出版されたものです。そのほかにも有名なライプツィッヒのブライトコップ&ヘルテル社やマインツのショット&息子たち社へも交渉している手紙が残されています。
なお、スイスのとある出版社からピアノソナタの出版について、打診を受けた話があります。このときシューベルトは、うかつにも<正当な報酬>を請求したため、この話はオジャンになってしまったとのことです。こういう苦い経験を踏まえて、プロープストには異常なダンピングで出版にこぎつけたようです。一般にはシューベルトは、音楽バカで世事には疎いとの印象ですが、これも黒雲のひとつです。有能なプロの代理人ではなくとも、バカではない。普通に自作を広めようと努力した人です。

つづく

[58] やすのぶ 2007/05/30 18:08

(2)筆写譜
@《鱒》の作曲年代を探るにあたっても、筆写譜の存在を忘れてはなりません。歌は随時シューベルティアーデの仲間たちが筆写していたであろうし、五重奏曲の方はシュタットラーが筆写したということに注目すべきでしょう。
ただ、筆写譜と印刷譜の違いは明瞭に認識しておくべきでしょう。
すなわち、筆写譜は、手間はかかるけどやりたい人がやりたいだけできるということです。
印刷譜には、経済的側面、すなわち『目算どおり売れる』ということを前提にしないと話にならないということがあります。作品の出来不出来ではなく、儲かるか損をするか、これが最重要点であって、シューベルトが苦労したのはまさにこの点ですね。

(4)シューベルトが「売れっ子作曲家」だったのかどうか?
@経済原則に従えば、1回売れなければ次は出せない。
映画の製作でもそうですが、1発当てて、大儲けし、次にそれを全部つぎ込んで作ったものがぜんぜんヒットせず借金まみれになった話を聞くことがあります。そうなると3発目の制作は不可能ですよね。
楽譜の出版も結局はそれと同じことで、100も継続的に出版できたということ自体、自動的に、よく売れたことの証明にもなります。

ウィキペディアの話は、出版社と作曲家の儲けの配分について、作曲家を出来るだけ無名の人にとどめて版権料を低く抑えるために画策した結果の話といえるでしょう。仲間内だけなら筆写譜で十分事足れるのだから、危険を冒した大量印刷は一般人を対象としたものであります。

(5)同時代の楽譜の出版状況と比較してみて、出版される率の多い少ないを論じてもいいかもしれませんね。
@今はほとんど忘れられている、フンメルやその他の弱小作曲家も当時はたくさん楽譜を出版しています。それらと比較するのは学問的には必要かもしれませんが、ぼくにはあまり興味はありません。

(6)「大作」の定義をどうするのかが問題になります。
@これは単に原文にあわせて、同じ字数で違う意味を出せるという例を挙げただけで深い意味はありません。
ただ、大作とは、いわゆるソナテンチクルスの作品、あるいはオペラその他の大規模声楽曲を意味するものと考えていただいて、大きくは外れていないでしょう。歌曲集は大作ではありません。《水車小屋》はシューベルトの意思に反してか、4曲づつ5分冊で出版されました。《冬の旅》は2巻に分けられています。もちろん、小曲集、大作と言ってもその作品が持つ芸術的価値とは全く関係ないことです。

シューベルトが大作志向であったことは、はっきり彼の手紙で明言しています。[7]で引用していますが、もう一度ここへ記載しておきましょう。

クーペルヴィーサーへ(1824・3・31)
『こんな風だから、僕はまたしてもオペラを2つ無駄に作曲したことになる。歌曲の方は、あまり新しいものは作らなかったが、そのかわり、器楽の作品をたくさん作曲したよ。カルテットを2曲、オクテットを1曲、それにカルテットをもう1曲作ろうと思っている。こういう風にして、ともかく僕は、大きなシンフォニーへの道を切り拓いていこうと思っている。』

とにかく、シューベルトを語る上では、黒い雲に満ちた評論よりも、まず彼が語った言葉から始めるべきでしょう。そして、そこから思索を広げるべきです。残念ながら、それは一部しか残っていませんが、わが国でも志のある方がいらっして、和訳された本で読むことが出来ます。一度手にしてください。
『シューベルトの手紙』実吉晴夫著、メタモル出版

[59] ゆめのうきはし 2007/06/01 00:16

58>>で、「シンフォニーへの道を切り拓いていこうと思っている」というのを強調なさりたいのだと思いますが、これはどういう意味なんでしょうね?

私の考えでは、シンフォニーやオペラは、パブリック・メッセージとしての意味が大きいように感じます。対して、室内楽や歌曲は、どれだけ大きな作品であっても、所詮はパーソナルなものにすぎません。

オーケストラとは、巨大な拡声器のようなものです。これを使うためには、誰でもいいというわけではない。欧州では、交響曲作曲家は、ただの作曲家ではなく、シンフォニストという形で呼ばれますよね。これは、単にシンフォニーを作った人というに止まらず、そういう表現手段を使う資格のある人、という側面があるのではないでしょうか。

引用の手紙文をしっかり読み込んだわけではないのですが、私は、このシューベルトの発言は、早くオーケストラを使うことが認められるような、社会的価値のある作曲家になりたい、という意味であって、大作志向だというわけではないと考えます。

シューベルトは、こうしてみたときに、パーソナルな面では強い支持を受けながら、パブリック・メッセージを発する音楽としては、十分に認められる前に亡くなったといえます。前者については早期に価値が確立したが、後者については、まだまだ途上だというやすのぶさんの意見には賛成です。

ただし、シューベルトの歌曲は、仰るように、並ぶものなく素晴らしいのは否定できないし、歌曲や室内楽こそが、やはり本体であることは曲げられないと思います。その「本体」と比べたとき、「グレート」交響曲が十分に匹敵し得るものであるとは、私には思えないのです。

むしろ、交響曲など規模の大きなものが「本体」であるべきと考えるところに、価値観の古さを感じてしまうのです。私はもしも、シューベルトがパブリック・メッセージを使いこなすような立場に、最後までなれなかったとしても、ベートーベンより劣等した作曲家だとは思いません。

[60] やすのぶ 2007/06/01 12:17

ゆめのうきはしさんレスありがとうございます。
言い漏らしていることを補足していただいて感謝しています。

<「シンフォニーへの道を切り拓いていこうと思っている」というのを強調なさりたいのだと思いますが>
別に強調するつもりは無いですが、シューベルトのことを語るうえでは、まずシューベルトの言葉から始めなければならないということが従来は結構おざなりになっていたようですので、念頭からはずれないように、重複して書いたわけです。問題は、これをどう解釈するかということですよね。さまざまな考え方があると思いますが、ここでは僕の考え方を示しているわけです。

<これはどういう意味なんでしょうね?>
ぼくが思うに、単純に言えば『ベートーヴェンのようになりたい』ということでしょうか。

<私の考えでは、シンフォニーやオペラは、パブリック・メッセージとしての意味が大きいように感じます。対して、室内楽や歌曲は、どれだけ大きな作品であっても、所詮はパーソナルなものにすぎません。>
前半は、おっしゃるとおりです。交響曲やオペラを実行するには、金がたくさん要りますし、多くの人の協力も必要です。そしてなにより、支持してくれる多くの聴衆がなければ話になりません。シューベルトはそのために努力を惜しまなかったとはいえるでしょう。オペラについては思うようには行かなかったですねえ。
アメリカかどっかの金持ちが、ヴィーンフィルを金で買ってマーラーの《第2交響曲》を指揮、録音したという話がありますが、これはこれで、本人は満足するでしょうが、こういう散財によって大衆が支持するかどうかは別物です。
後半のご意見には、反対です。仲間内で筆写でもして楽しくやっているうちはパーソナルですが、一旦出版して、多くの人に楽しんでもらおうとしたなら、たくさん売れなくてはなりません。そして、100を超える作品が出版されたのだから、この点ではパブリック・メッセージとして歌曲や室内楽は、一部成就しつつあったといえるでしょう。
演歌歌手が、有名になりたいと親にたくさんの金を出してもらってCDを発売する話が日本にもありますね。まあ、成功するのはごく一部の人でしょうが。出版をするということは、そういう状況と大差ないのではないでしょうか。

<交響曲作曲家は、ただの作曲家ではなく、シンフォニストという形で呼ばれますよね。>
19世紀にはたくさんの交響曲作曲家がいたようですが、現代にも頻繁に演奏されるのはそのうちのほんの一部ですね。要は、内容と大衆の支持が全てだということですね。

<早くオーケストラを使うことが認められるような、社会的価値のある作曲家になりたい、という意味であって、大作志向だというわけではないと考えます。>
これは、イコールで結んで何の不思議も無いではないですか?
そのために世間に出しても恥ずかしくない交響曲を書こうとしていたわけですから。

<シューベルトの歌曲は、仰るように、並ぶものなく素晴らしいのは否定できないし、歌曲や室内楽こそが、やはり本体であることは曲げられないと思います。その「本体」と比べたとき、「グレート」交響曲が十分に匹敵し得るものであるとは、私には思えないのです。>
おっしゃるとおり、今現在われわれが享受しているシューベルトの作品の本体は、歌曲であり、ピアノ曲であり、室内楽です。ぼくは、《大ハ長調》が十分それらに匹敵する価値のあるものと思いますが、ただ、いかんせん数が少なすぎます。シューベルトが残したものと、目指したものとは一致しないのです。夭折が惜しまれるゆえんです。
《大ハ長調》は、ベートーヴェンと比較して、《第9交響曲》と対比されるものではなく《第1交響曲》と対比されるべきものなのです。
こういったことを前提にすれば、シューベルトがベートーヴェンくらい生きたとしたらどんなものを書いたか想像できるのではないでしょうか。実際、死の直前にはニ長調の(ベートーヴェンと同じ!)《第2交響曲》のスケッチが残されています。

<ベートーベンより劣等した作曲家だとは思いません。>
もちろん、現在残されている作品群だけで、シューベルトは唯一無二の作曲家であって、ベートーヴェンと比較する所以は全くありません。
ベートーヴェンより構成力が弱いなんて、昔の評論によくお目にかかりますが、そういったものには断固反対したいと思っています。

[61] ゆめのうきはし 2007/06/07 03:04

早くオーケストラを使うことが認められるような、社会的価値のある作曲家になりたということが、イコール=大作志向ではないという理由。

→イコールで結ばれる可能性もあるが、自分は、大作をつくるのに、シューベルトが積極的だったとは思えないのです。そういうと語弊があるけれど、要するに、すこし背伸びをしているのではないかというイメージがあるのです。

大作をものにしようとしたのは、いわば海外留学するために、TOEFLのスコアを上げようとするのに似ていると思います。

本来、シューベルトは、パーソナルな世界をシンプルな手法で、丁寧に描きあげていくタイプの音楽家です。確かに、広く普及すれば、パブリックなものになり得るわけですが、それはともかく、本質的には、パーソナルなものであることは変わりません。

とところで、しばしばシューベルトの規模の大きな作品が退屈に感じられるのは、あまりにもシンプルだからです。ピアノ曲でも、楽器の可能性を生かしきっていないとか言われることもあります。でも、それは彼のよさと裏表なのではないでしょうか。

シンフォニーなどでは、背伸びをする分だけ、そのシンプリシティが引き伸ばされて、少しいびつなようにも思えます。譬えるなら、首の長いモディリアーニの人物画のようですね。それはそれでひとつの魅力でもあるのですが、室内楽や歌曲にみられる、独特の自由さには欠けていないでしょうか?

[62] やすのぶ 2007/06/09 10:08

<イコール=大作志向ではない>
大作志向的な作品群をたくさん残さなかったという点では同意です。
残された大量の作品の実態と、かれがどういう考えでいたかというのは別だと僕は言いたいわけです。

例の手紙の本からもう一例。全文を読んでいただいたほうがニュアンスはつかみやすいですが、長いので、ここでは当該部分だけ。是非本で全文をお読みください。
1828年2月21日付、ショットの作品出版の打診に対する返信:
『・・・(室内楽、合唱曲など比較的規模の大きい完成作品を10曲ほど挙げた後)、これが私が完成した作品の一覧表ですが,この他にまだ、3曲のオペラ、1曲のミサ、1曲の交響曲があります。これらの最後の作品群に言及したのは、貴殿に私が芸術における最高のジャンルを目指す努力の一端を知っていただきたい、という気持ちだけで、他意はありません。・・・・・』

大作は、出版費用が膨大であるため、さらには需要があまり期待できないため、リスクが大き過ぎるのをシューベルトは当然理解していて、こういう書き方になったわけですが、いかにも「その気があるならいつでも出版に供する用意がある」といった口ぶりです。『他意はありません。』という言葉は、他意があるということですよね(笑い)。
ここで注意したいのは『1曲の交響曲』。これは当然ながら《大ハ長調》を指しています。こういった場では出来るだけ数を多くしてハッタリをかますべきものですが、彼の6曲の完成作をここで数に入れていないのは、それらはすでに時代後れの試作に過ぎないとシューベルトが考えていたからでしょう。シューベルトが長生きして、交響曲が出版できるようにまで認知度が高まったら、これは《第1交響曲》(ベートーヴェンの同じ《ハ長調》の曲に対比すべき)として出版されたに違いありません。

こういった、厳然たる大曲志向とは別に、シューベルトの音楽が持つ本質として、パーソナルな面(ロマン派的個人感情の吐露)があるのは、仰るとおりです。ブラームスとベートーヴェンを比較して、ブラームスがベートーヴェンより、よりパーソナルであるというのと同じかもしれません。
シューベルトのもうひとつの面、すなわち一種の形式主義的な面もそれと同様重要です。これを、自由さに欠けていると見れば、シューベルトはつまらなくなります。ゆめのうきはしさんが比喩される<首の長いモディリアーニの人物画のようですね>というのは、そういったことからくるのかもしれませんね。

シューベルトは音楽そのものの美しさを追及しました。名人芸的な楽器の可能性を極限まで追求することはあまりしませんでした。でも、そのことが、かえって演奏家をして、シューベルトは難しいと言わしめているのかもしれません。

[63] ゆめのうきはし 2007/06/11 19:13

やすのぶさん、ありがとうございます。いろいろと勉強させていただきました。

[64] やすのぶ 2007/06/22 11:31

《アルペジョーネソナタ》というのは不思議な作品ですね。
アルペジョーネはすぐに廃れてしまったので、現在ではたまに復元楽器で演奏されるだけです。しかし、このソナタは他の楽器で演奏され続けて、しぶとく現代まで生き残って来ました。特にチェロを使うケースが多いです。
チェロとアルペジョーネは音域や調弦が違うので、シューベルトがチェロのオリジナルとして作ったなら、もっと違う作り方をしたと思いますが、逆に高音部などは、アルペジョーネのために作られたからこそ、チェロで弾くと、よりコンチェルティックでスリリングな演奏が楽しめます。たとえば、第1楽章の提示部終わりの方の3オクターヴにわたって駆け上がる部分や、ロンド主題の中間部など、ソナタならシューベルトはこんなハイポジションは使わなかっただろうと容易に推測されます。

現在たくさんのチェロソナタが残っていて、演奏されていますが、それらの中で、この《アルペジョーネソナタ》が一番チェロにとってよく響きます。あたかもチェロの開放弦を知り尽くして作られたかのようにです。歴史のいたずらというか、偶然というか、全く不思議なことです。

[65] やすのぶ 2007/07/01 12:03

《アルペジョーネ》については、もうひとつ不思議なことがあります。それは、この作品が3つの楽章で出来ていること。そして、第2楽章と第3楽章が切れ目無くつながっていること。あたかもアダージョはロンドの序奏のような形になっていることです。
これは、シューベルトお好みの4楽章制のソナタとは一線を画するものです。「アルペジョーネという中途半端な楽器のために作ったから形式も中途半端なものでお茶を濁した」という考えはペケです。また、「ベートーヴェンのチェロソナタが同じような構成であるのを真似た」というのも当たっていないと思います。

これは、フルートとピアノのための《ひからびた花の変奏曲》とともに、偉大なヴァイオリンとピアノのための《幻想曲ハ長調》の前座を務める作品であると位置づけるのが至当だと思われます。

[66] やすのぶ 2007/07/07 23:13

《アルペジョーネ・ソナタ》はいろんな楽器で演奏されますが、
オーボエでやってるのを聴いてみました。
アレックス・クレインというシカゴ交響楽団のオーボエトップ奏者らしいです。
下のAから上のAまで3オクターヴ使っているように聴こえます。
すごいなあ。
でも、まだ音域が足りないので、その部分にはちょっと手が加えられています。

[67] やすのぶ 2007/07/16 12:25

《アルペジョーネ・ソナタ》の第3楽章は、お決まりのロンドですが、その形は、これもお決まりの大ロンド形式から3回目のA部分を省略した形です。

ABACABA

ABACBA

シューベルトは、ただ単に習慣的な形式を遵守するだけではなく、ここでも一工夫を凝らせています。
それはC部分です。
このC部分は、単一の主題あるいは、二部形式、三部形式によらず、
全く独立した4つの部分からなります。
次から次へと新しいメロディーが湧き出てくるような感じです。

特に美しいのは3番目のメロディー。
ため息のような音形から、最後は、あきらめあるいは憧れに満ちたホ長調で終止します。
ぼくが一番好きなところです。

このあと、当然ながら、イ長調の最初のA主題が再現しそうですが、シューベルトは見事にその期待を裏切ります。
そして現れるのが、アルペジョーネのピチカートに支えられたピアノの4番目のメロディー。これがA主題とは全く関係がない、一種の肩透かし。この楽章で唯一ピアノが主役になる部分で、その新鮮さがまぶしい。

そして、音楽はA主題へ行かず、イ短調のB主題へつながります。

[68] 名無しさん 2007/07/16 13:05

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[69] やすのぶ 2007/07/29 00:44

以前、フィナーレの提示部繰り返しについて話題にしましたが、ひょんなことから、それをやっているCDを見つけました。
この演奏は、もちろん第1楽章の提示部も繰り返しているし、スケルツォとトリオの4つの繰り返しもすべてやっています。

ロイ・グッドマン指揮ハノーヴァー・バンド
タイミング
第1楽章 :16.25
アンダンテ:14.54
スケルツォ:14.01
フィナーレ:15.56

合計:61.16

ちなみに、フィナーレの1番カッコ、あっという間に過ぎ去るので、印象を持つには何回か聴く必要があるかも知れません。

[70] やすのぶ 2007/08/15 23:54

ヴィーンの楽友協会のオットー・ビーバは次のように報告している。
『1826年の暮れに、シューベルトは楽友協会(1812年創設)にハ長調の大交響曲を紹介し、献呈すると、すぐに2人の写譜士が演奏のパート譜作りに取り掛かった・・・・・・その写譜の完成が1827年の夏の期間中であること・・・・・また、レオポルト・フォン・ゾンライトナーの研究論文によると、ハ長調の交響曲は楽友協会付属の音楽院オーケストラのリハーサルの間に、少なくとも1度演奏されたことが知られている。やはり、シューベルトは音楽院のオーケストラのリハーサルでこの作品を耳にしたと仮定するのがまず無難である。』
《大ハ長調》は、シューベルトの死(1828年)の間際に作曲され、そのまま放置されたのではなく、1826年には完成し、シューベルトは、少なくとも試演は聴くことが出来たということである。また、彼の死後も部分的には演奏されたとのことだ。

一般に信じられている、シューベルトの死後10年経って、シューマンが初めて見つけたというのは脚色であって、正確とは言えない。
とはいえ、この曲を世に送り出したのはまさにシューマンであって、このことをもって、彼の功績が傷つくものではない。

[71] jypん 2007/08/23 16:59

しつこくてごめんくさい
あなたがこのテストを気に入ることを約束します。
ちょっと考えて答えてね。
終わったらあなたは笑みがこぼれすっごい幸せになることを保証しちゃうよ。
ちょっとした楽しみ。だけどきちんと問いに従って。
ズルはしてはダメ。クイズを始める前にお願い事をつくって下さい。
注意:読みながらクイズをやること。
問いは4問。
もし終わる前に答えを見たら、このテストの意味はなくなってしまいます。
だから答えを見ようと先走らないで。
ゆっくり画面を下にずらし一問ずつやって、ペンと紙を用意して書き残していって下さい。
最後にその答案が必要となります。
偽りのないクイズで、本当の自分を知るでしょう。
>>1.あなたの好きな順に下記の動物を並べて下さい。
>>牛、虎、羊、馬、猿>>
2.次の単語に1つずつイメージを表現して下さい。
>>>>>>犬、猫、ねずみ、海>>>>
3.次の色でイメージする異性人物(相手もあなたを知っている人)を書いて下さい。
>>>>>>さっと書いて考え直さないこと。>>>>>>
黄色、オレンジ、赤、白、緑
4.最後にあなたの好きな数字と週のうちで好きな曜日を答えて下さい。
>>>>>終わりましたか?>>>>
>いいですか、あなたの答えがあなたが本当に何を感じてるか・・・これが最後のチャンスですよ・・・。
>さて、解答です。
>>>ですがその前にもう一度自分のお願い事を確認して下さい。
>>>>>>
1.あなたの優先順位について
牛は、キャリア、職業を意味します。
虎、プライド。
羊、愛。
馬、家庭。
猿、金。
2.犬 あなたの人格について
猫 パートナー、
ねずみ 敵、
海 人生。
3.黄、あなたを決して忘れない人。
オレンジ、あなたが密かに好きな人。
赤、あなたが本当に好きな人。
白、あなたの事が好きな人。
緑、あなたが今後の人生でいつも思い出す人。
4.あなたは、あなたが答えた数字分これを知らせなければなりません。
するとあなたのお願い事はあなたの言った曜日にかなうでしょう

[72] やすのぶ 2007/09/12 22:30

シューベルトから楽友協会への手紙(1826年10月)
『オーストリア音楽協会事務局御中
芸術を目指すいかなる努力をも支援するという、オーストリア音楽協会の高邁な意図を確信して、私は、祖国の芸術家の一人として、貴協会のご支援を信じて、私の交響曲を献呈いたします。・・・・』

『本年10月12日に、楽友協会から厚情溢れる表彰として私に与えられた100グルデンの協定貨幣を確かに受領したことを確認します。
1826年10月20日、フランツ・シューベルト、作曲家』

[73] TAKIN 2007/09/13 08:38

交響曲といえば、
「シューベルトはなぜ未完成の交響曲の楽譜をヒュッテンブレンナーに渡したのか」
は分かっているのでしょうか。
不勉強ですみませんが、ご存知の方がありましたら宜しく。

[74] やすのぶ 2007/09/13 14:00

これは、面白い問題ですね。
シューベルト最大の謎です。
ロマンです。
今となっては、だれも本当のことは言えないでしょう。
なぜなら、当時の状況が正確な形で残されていないからです。
そして、学者や評論家たちが残された少ないデータに基づいてエエカゲンな見解を示してきたことが輪をかけて真相を読みにくくしています。

<ヒュッテンブレンナーに渡したのか>
という、問い自体も難しい問題を投げかけています。
実際、アンダンテまでの自筆譜は、弟のヨゼフ・ヒュッテンブレンナーから兄のアンゼルム・ヒュッテンブレンナーに渡ったことは事実ですが、その理由については不明です。

[75] やすのぶ 2007/09/18 02:38

ですから、ヒュッテンブレンナー兄弟に自筆譜が渡ったのも、
(1)シューベルトがヨゼフに渡した。
(2)ヨゼフがシューベルトに無断で持ち出した。
(3)2人がけんかして、ヨゼフが強引に奪った。
との、少なくとも3つの可能性が考えられます。

よく、殺人事件の裁判などでは、法廷では被告とその弁護人が自分に利益になるようなことのみを陳述します(当たり前のことですが)。
逆に、検事側は、証拠があるもののみを基にしてしか主張できません。状況証拠なるものは、よほど客観的なもので無い限りなかなか取り上げにくいものです。そこに、当事者でない遺族たちの苛立ちがあるのでしょう。

この、《未完成》のケースも、それによく似た状況にあります。
要するに、シューベルト自身の発言というのは全く残されていないですからね。
結局のところ、状況証拠の積み重ねによって、真相に近いものを推測するのが精一杯というところでしょう。

この件にかんしての、ヒュッテンブレンナー兄弟の行動と彼らの釈明は不可解であり、善意のみの行動であるとは断定しがたいというのが僕の印象です。

[76] TAKIN 2007/09/18 21:36

やすのぶさん、ご説明有難うございました。
何かの返礼として「シューベルトがヒュッテンブレンナーに贈った」というのがそもそも怪しい話なのですね。
なるほどこれはミステリーのネタになりそうな話だ…

[77] やすのぶ 2007/09/18 22:40

<「シューベルトがヒュッテンブレンナーに贈った」というのがそもそも怪しい話なのですね。>

仰るとおりです。
そもそも、ヨゼフ・ヒュッテンブレンナーは、《未完成》があまりの名曲であることが世間に知れ渡ったとき(多分彼らは、そこそこ美しいメロディーのある中途半端なこの作品が、そんなに大きな反響を呼ぶとは予想だにしていなかったのでしょう)、自筆譜の入手のいきさつの説明を、微妙に変えているのです。
『最初』(1860年3月8日)
「アンゼルムが私に頼んで、グラーツの音楽協会の名誉会員の辞令を届けさせたことに対する謝礼として、シューベルトはそれを、アンゼルムに渡してくれるように私に頼んだ。」
初演後(1868年ころ)
「シューベルトはそれをグラーツの音楽協会からの名誉会員授与の栄誉に対する感謝の気持ちから私に渡し、これを協会とアンゼルムに献呈した。」

要するに、最初は個人の骨折りに対して贈られたものであると言っていたのに、団体と個人の両方に献呈したと、苦し紛れに修正をしているわけです。

これは、当時の反響に対して、<痛くも無い腹を探られる>・・・・・<<痛い腹を探られた>>・・・・彼らの精一杯の釈明だと思えるのです。
要するに、胡散臭い。

[78] やすのぶ 2007/09/21 17:40

最初の説明で、ヒュッテンブレンナーが、最後まで突っ走れば、なんら問題ないですね。他の事情説明者がいないのですから・・・・。
まあ、名誉会員になれるよう奔走・努力してくれたのだから、そのお礼として【出来損ないの廃棄した交響曲】の自筆譜を、シューベルトが与えたという説明なら、疑問なく納得できます。

ところが、協会とアンゼルムの両者へ献呈したとなると、さまざまな憶測・疑問が、噴出して来るのです。
(1)そもそも、献呈先が2つあるなんておかしいのではないか?
(2)協会へ未完成作を贈るなんて、失礼なことをシューベルトがするわけはない。
(3)なぜ、アンゼルムは続きの催促をしなかったのか?
(4)あるいは、シューベルトが死んだとき、もう続きが来ることはないのだから、何らかの報告を協会に対してなぜ行なわなかったのか?
(名誉会員の訃報について、協会の追悼行事のための非常に良いネタになるはずですからね)

ですから、自筆譜が、アンゼルムの手に渡ったときに、すでに、シューベルトと協会の間には、この曲に関する期待や義務関係が絶たれていたと理解するのが一番自然です。
あるいは、この曲はグラーツの音楽協会とは関係ない、単なる試作に過ぎない(最初の彼らの説明どおり)のであれば納得できるのです。

ここに、しかし、シューベルトの自筆の手紙が残されているのです。

[79] やすのぶ 2007/09/29 15:01

1823年7月20日付 シューベルトからシュタイアーマルク音楽協会(グラーツ)への手紙。
『賞賛に値する音楽協会各位!
ご好意により、私に贈られました名誉会員証を、私は長い間ヴィーンを離れていた関係上、つい2,3日に初めて受け取りました。
厚く御礼申し上げます。
私の音楽に対する努力精進の結果、いつかは、この表彰に相応しい人物となれることを心より願っています。
また、音楽によっても私の心からなる感謝の気持ちをお伝えしたく、
賞賛すべき貴協会に対し、私の交響曲のスコアのひとつを出来るだけ速やかにお贈りしたいと、不束ながら思っている次第です。・・・・・』

[80] やすのぶ 2007/10/03 18:14

この手紙に書かれている交響曲こそが、ほかならぬ《ロ短調交響曲》そのものであることをヒュッテンブレンナーは2回目の釈明で認めたことになるのです。
このことから推測されうる時系列は次のとおり:

1822年秋:人気作曲家に成長したシューベルトの評判が地方にも浸透し(作品1《魔王》の出版は1821年4月2日)、彼を名誉会員に推挙する動きが各地の音楽協会に出てきたのを受けて、グラーツのシュタイアーマルク音楽協会でもヒュッテンブレンナー兄弟を中心に、シューベルトを名誉会員にしようという動きが持ち上がった。それと同時に協会のための交響曲作曲が期待されたのである(まあ引換の返礼ということか)。

1822年10月30日:自筆稿に書かれた日付。もちろん完成の日付ではなく、着手、あるいは構想を開始した日付であろう。

1823年4月6日:この日付で名誉会員の称号を与える辞令が発行された。

1823年7月20日:上記に対するシューベルトの礼状の日付。

1823年9月20日:アンゼルム・ヒュッテンブレンナーが弟のヨゼフから未完成の自筆稿を受け取った日付。

[81] やすのぶ 2007/10/11 11:23

さて、ヒュッテンブレンナー兄弟とシューベルトの関係。
兄のアンゼルムとシューベルトは、いわばご学友。
アンゼルムとシューベルトは、同じく音楽家・作曲家を目指した者として、親しく付き合っていたとのことです。
ただ、アンゼルムが20才ころ、ヴィーンでの成功をあきらめて、田舎のグラーツへ帰ってしまったのです。一説によるとシューベルトとの才能の差を思い知らされて、成功はおぼつかないと判断したためだといわれています。
2人は生涯良好な関係を保ったとされていますが、シューベルトが死の前年(1827)にグラーツを訪れたときの、具体的な交友記録(未完成のその後を含めて)が無いのが不思議です。

[82] 創価学会員 2007/10/13 15:25

http://music-0.bbs.thebbs.jp/1144282581/#r34
[34]マル 06/05/22 15:56 gJGRvzSXN4
>ここはあなたの個人的疑問に答える場所ではありません。
>即刻削除してください。
>それに、同一人物かどうかを公の場で応えさせようとするのは、プライバシーの侵害以外の何物でもありません。
>こういう書き込みを平気ですることが、学会員が非常識であると言われる原因につながるのではないのでしょうか?。

=http://music-e.bbs.thebbs.jp/1137055475/#r297
[297]ミミ 06/05/22 16:09 gJGRvzSXN4

=http://music-e.bbs.thebbs.jp/1137055475/#r188
[188]ミミ 06/04/13 00:32 kc4NLdJ9ZW
>いずれにしても、あなたの余計な書き込みは、このスレで純粋に疑問を解きたい人たちと、それに答えようとしている人たちの邪魔でしかありません。
>このスレに用事がない時以外の書き込みはやめましょう。

=http://music-0.bbs.thebbs.jp/1153997399/#r5
[5]ウリッセ 06/07/28 08:23 kc4NLdJ9ZW

ウリッセさんって自分のHN使うときだけ紳士らしく振舞うけど、
創価学会員など個人的に都合の悪い人が現れたら
HN変えて誹謗中傷するんですね。
まあ匿名掲示板だから好き放題に使えばいいけど、
気に入らない少数の人を排除しながら 尚且つ多数の人からは好かれたいがために
ここまで必死にHNを使い分けるウリッセさんのような
紳士の毛皮をかぶった動物君も珍しいですねww

クラカテ住人で創価学会員の方々、
ウリッセさんにはあんまり絡まれないように気をつけて
素敵なザビビライフを送ってくださいね。

ウリッセさん、プライベートな情報晒しちゃってごめんね。
でもみんなあなたが蒔いた種です。

[83] ネコ一番 2007/10/15 12:48

シューベルトってモーツァルトみたいに旅暮らしはあったのでしょうか。
モーツァルトはトルコ風とかイタリア風とか、いろいろあるでしょ。シューベルトにもあるんですかね?魚でいえば地付きの関アジみたいなもんで、外洋性ではないような。レントラーとかジプシー風はあっても、あまり外海の風受けていない気がしますが、聴き方不足かなぁ。それとシューベルティアーデという仲間が、発生源は同好会のオフ会なのか、何か別の意図からでたものか。モーツァルトのフリーメーソンとの関係もそうだけど、何かあるのでしょうかね。

>>82 あんた、どこ行っても困ったちゃんだよ。きっと
まっ自分もそんなもんかもしれないけどさ。。

[84] やすのぶ 2007/10/17 23:41

モーツァルトのような、系統的?継続的?な旅行はないように思います。でもフォークルについて上部オーストリア(シュタイアを中心に)へは何度も出かけているし、さらに足を延ばして、サルツブルクへの旅行記も書いています(そのとき《大ハ長調》の作曲を始めた)。また、死の前年にはグラーツへいっています。旅行とはちょっと違いますが、エステルハーツィ伯爵の2人の姫の音楽教師として2回、半年くらいずつハンガリーのゼレチェへ出かけています。

シューベルティアーデというのはよく分からない面がありますが、感触としては、政治的なものではなく、単にシューベルトの天才に感激した人たちの集まりといったものだったのではないでしょうか?

[85] 温泉井上 2007/10/18 00:12

シューベルトはその短い生涯の中で、海というものを見たことがなかった
と、何かで読んだ記憶があります。
だが"白鳥の歌"の「海辺にて」を聴くととてもそうは思えませぬ。
ハイネの詩からイメージを膨らませた結果かも知れませんが、
特に中声用に一音下げた版はまさに海の匂いが。。。と感じるのは自分だけ?

[86] ネコ一番 2007/10/18 12:42

>>84
シューベルティアーデってシューベルトの専売特許のように言われていますが、他の作曲家でも大なり小なりあったと思うんですね。ラヴェルのアッシュ(芸術的不良?)仲間とか。シューベルティアーデが話のネタになるとするとなぜなのでしょうね。どんな機能の仕方をしていたのでしょう。世に出すにあたってのチェック機能…って偉そうにもみえないし。
フォーグルという歌手や絵描きや…いろいろ専門分野の違う人が集まっていたようですが、ショパンが身をおいていた、サロンと違って、コネにならない、お金にならない…生臭さがないんですね。クラシックを聴くだけの身分としては、心地よい背景にはなっているのですが…今現実を見回してみるに、こうした集まりがおとぎ話のように思えてならんのです。

[87] TAKIN 2007/10/18 23:34

それを言ったら、シューベルトのような音楽の存在自体が夢みたいなもんではないですか(笑)

[88] やすのぶ 2007/10/19 11:15

>>87
おっしゃるとおりですね。
夢が現実として味わえる至福の時を、彼らは満喫したのでしょう。

>>85 <まさに海の匂いが>
こういう思いを大切にすることは、すばらしいことだと思います。

[89] やすのぶ 2007/10/31 23:04

ヨゼフは音楽家ではない、普通の音楽愛好者。
彼はシューベルトの天才にほれ込んだ。
そして、この天才からは多くの果実(ゼニ)が沸いてくると踏んだ。
しかし、この考えは甘かった。

彼は、シューベルトに付いて、秘書あるいはマネージャーのような役割に献身した。きっとそれが金銭的成功に繋がると確信していたのでしょう。しかし、物事はそんなに上手くいかない。

[90] 2007/11/28 12:58

ハナシの途中で寝ちまったみたいだな。
それで?

[91] ↑↑ 2007/11/30 17:37

こんなヲタ話に、ここの住人はだれも付き合わないからでは?

[92] www 2007/11/30 18:25

長文うぜぇんだよクズども

[93] NON か? 2007/12/19 12:19

このようなレスでも延命に役立っているんだなあ・・・・・

[94] やすのぶ 2008/03/04 08:13

土曜日のN響アワーでは、ブロムシュテット《大ハ長調》で第1楽章もフィナーレも提示部を繰り返していましたね。
スケルツォは放送でカットされていましたが、実際聴かれた方はいますか?

[95] 聴きました 2008/03/05 14:02

フィナーレ提示部繰り返しの部分初めて聴いて、新鮮でした。

ブロムシュテットの2楽章の解釈、特に全休止で「全てが死に絶えたような」という喩えは考えさせられるものがありました。
この部分は、「未完成」交響曲1楽章の展開部や、弦楽4重奏「死と乙女」、ピアノソナタ20番、弦楽5重奏などの2楽章の中間部と共に、ブロムシュテットも1楽章で言ってた「境界を超える」音楽と感じるからで、聴くのが怖くなるものです。

[96] やすのぶ 2008/03/24 00:34

ピアノトリオ変ロ長調の第2楽章にも、ゲネラルパウゼのそういう瞬間がありますね。

[97] やすのぶ 2008/04/28 08:40

きのうのN響アワー(NHK教育21:00)
テーマはソナタ形式。
再現の工夫の面白い交響曲として
《エロイカ》
ブラームス《第4交響曲》
とならんで
《大ハ長調》のフィナーレ!!
をあげていました。
さすが、シューベルト通のイケベー先生。
フィナーレのソナタ形式を3本の指のひとつに選ぶなんて最高!

ソナタ形式構造のフリップも展開部と再現部を分けずに2つの部分としているのも立派!

[98] 似非右翼オビツ 2019/06/20 19:46 z8/NwsqsLlA

パは原 2位伊達男サム 保糞卯手集う

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