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おやさま

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[0] 基本。 2006/11/21 22:43

中山みきというお方は、自分のことを世界の人間の親だという思想を持っていて、
それで、世界中の自分の子供は、みんな兄弟だという思想の持ち主でした。

奈良県天理市にある天理教会本部では、天理教の教祖を「おやさま」と呼んで、また、親神様として、信心しています。

しかし、「おやさま」の思想は、天理教という宗教思想というには、より大きな思想であり、宗教云々を絡めると、その思想が理解されない、狭い道に陥ることになります。
そこで、ここでは、全人類のおやだと自称した「おやさま」の思想そのものを、宗教は一切絡めないで、論じ合いたいと思います。

中山みきさんのことを、全人類のおやだと思う人も、思わない人も、ここでは本人の思想の一部である「おやさま」という共通の呼び方で呼んでください。
そして、絶対に、宗教を絡めずに、その思想について、討論しましょう。

ここでは一切、宗教の絡みは語らないルールです。

天理教という宗教の絡みは、ザ・天理教を語る4があります。
http://religion.bbs.thebbs.jp/1163859118/
また、天理教と政治の問題への基本の立場は、「教理とひながた」
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/wforum/wforum.cgi
にありますので、そちらのBBSなどへどうぞ。

504件のコメント 455番から504番を表示中

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[455] 基本。 2007/04/20 02:47

>>454
> こかん様や本席様の様な方々が常在していない事のほうが可笑しな事です。
> 残念ながら、明治の時代までしか教会本部に神様の道は成立していなかったのでしょう。

ここの所の見解は、私とは少し違うようです。

現在ほど、神一条になっている教会本部は無いと、思います。
これが、一点です。

[456] 基本。 2007/04/20 02:51

>>454
> 地場屋敷が現れて百数十年以上にもなるのに、うんざりする恐ろしく愚かな出来事のオンパレードは何なんでしょう?
> 私達の内面は貧しさというより狂気に満ちているといったほうがいいかもしれません。

ここの処の見解は、私の見解とかなり違っているようです。

人間には、通らなければならない道があります。
人間の愚かさを自覚する事こそ、何より大切な事です。
それには、愚かを、楽しんで通る事だというのが、基本の見解です。

[457] 基本。 2007/04/20 04:02

天理教会の、ホームページを見てみると、色々ありますが、みんな、天理教の教会のHPは、類型的に似ています。

天理教の教えを、表看板において、みなさんにご紹介するという形と、信者さんの親睦の場としての機能とがあります。

基本的質問さん風に言えば、> うんざりする恐ろしく愚かな・・
ものです。
天理教の教えは、表看板にするものでしょうか。
否、です。
おやさまは、そんな事なさらなかった。
なすべき事は、宗教家の看板を上げる事ではなく、見せる事ではなく、おやさまのひながた。

でも、おやさまの教えを看板にして、天理教のすばらしい教えですよと、案内する姿を、教祖は、微笑まれて、楽しまれているでしょう。

[458] 基本。 2007/04/20 04:11

>>454
> もう一度、広範囲の方々が光の世界という真実の認識を取り戻す為には、
> どこかにいらっしゃるであろう、本席様やこかん様のような方々を、地場屋敷にお座り頂くしかありません。

これにも、基本的質問さんとは、違う見解です。

まず、今現在でも、> 本席様やこかん様のような方々・・
居られると思います。

なぜそんな事を言うかというと、その、お地場にいた、その頃の本席様は、大工の伊蔵さんで、下っ端の使用人みたいなものでした。
リーダーでも無いし、軽く扱われていた。
その頃の小寒さまも、行かず後家のようなもので、みなが、梶本家に追い出したというような、そんなくらいのものです。

つまり、あまり者や、厄介者ということです。

美化された話を読んで、小寒さまを神々しく、本席様を神々しく思うのは、思い込みに過ぎません。
本席様は、金剛院の地福時がお地場にて護摩をたいていたときにも、その下僕として、お手伝いしていただけです。

つまり、明治に、真の神一条はあって、小寒さまや本席様のような人がいたとおもうとしても、その姿は、基本的質問さんのイメージで言う、「光の世界」ではなく、
愚かにも、金剛院の下働きをしているという、伊蔵様のお姿であったという、そういう神々しさです。

[459] 基本。 2007/04/20 04:20

基本的質問さんの、見解との相違を述べてきましたが、その最も相違している箇所を示します。

> 新しい文明は、広範囲の方々が、それをお祝いしながら心勇んで心の埃を払拭してゆけるものだったのではないでしょうか。

そんな事、ひながたにありません。
おやさまのなされた事で、お祝いしながら心勇んで埃を払拭したようなひながたは無いと言う事です。

屋敷の掃除においての、秀司先生。
気の毒に、正月三十日に、日を切られて、送り出された女性の運命というものを、きちんと見つめなければなりません。
梶本家の、奥さんに、「いんでくれ」と、切り口上して、奥さんは出直した。
心勇んで、埃を払拭するなどと言うのは、幻想です。

現実は、苦しみの中にある。
それを、おやさまは、どんな苦労も、みんなおやがかわりにお通り下されてある。それだけの事です。

今の天理教団の、神一条は、今までに無く神々しい。
それだからこそ、いかな難儀もあり、いそいそと通る道もある。
その先頭には、おやさまがおられる。

それが、天理教祖の「ひながた」という思想です。

[460] 基本。 2007/04/20 22:37

泥の海と言うのは、人間の元始まりの現実でした。
それは、おやさまが、立教された時にも、泥の海と言う現実でした。
しかし、その現実の中に、陽気暮らしのファクターは全てある。
それが、道具の神様の存在であったと言うこと。
寄せて使うた、これに神名を、です。

お地場にいて、おやさまの役に立つと言うことが、どんなに小さなことでも、それひとつ出来たら、それは、人としての神の道です。

現状がどんなに、あざない人間心のものであろうとも、それを、たすけ上げたいと言う、おやさまの思い。
人間には、陽気暮らしをする、道がある。
その、おやさまへの信頼こそ、私達の、陽気暮らしです。

[461] 基本的質問 2007/04/26 11:38

世界には、自他殺だけをとってみても毎年々々百万を超える人が命を落とし続けています。
又片手はダイエットに苦しみ続け片手は餓えに苦しみ続け、又片方は支配欲に苦しみ続け、片方は帰属欲と自由への願望に苦しみ続けている訳です。これが私達が文明社会と呼ぶものの現実です。私達旧地球人類はうんざりするほど愚かです。そしてその方々の心の苦しみについて自分達はあまりにも無力です。
人様の心の苦しみを観ても解決の方法を知らなければ、心を閉ざす以外では、楽しむ事などはできません。けれどもその楽しみは貧相なものではないでしょうか?
世界一列をたすける為に天下った神が開いた地場屋敷であるなら、世界中の人間がたすかる理(ことわり)と構造がなくてはならないでしょう。

>今の天理教団の、神一条は、今までに無く神々しい。

一宗教が、そこそこイケテルかどうかは知りませんが、世界を救うために天下った神様が内々の事なかれサークルを作っただけだとは思えません。

神様の残された地場屋敷の理についての我々旧人類の認識に誤謬があるのではないかと思うのです。

>つまり、あまり者や、厄介者ということです。

あまり者や厄介者にしたのは私達愚か者達であって、神様にとっては、その方々こそが必要だったわけです。

>心勇んで、埃を払拭するなどと言うのは、幻想です。

かみがでて、なにかいさいを、とくならば、せかいいちれつ、いさむなり、いちれつに、はやくたすけを、いそぐから、せかいのこころも、いさめかけ。

幻想ですか。そうですか。

>しかし、その現実の中に、陽気暮らしのファクターは全てある。

泥海に揃っているファクターとそのエネルギー、泥海自体のポテンシャルにも余すところ無く、感謝しますし、自身が意識生命体として存在することにも感謝します。
そして、自然の中の無秩序から秩序が生まれるさまに神性を観るのと同様に、おふでさきの中に、この人間社会の無秩序さから、地場屋敷が浮上してくるさまに神を観て驚くのです。

魂の秩序化は神がしているのでしょうが、それを認識して悦ぶのは人間の栄光です。

おやさまは、惨めさを喜ぶマゾの道を教えられたのではなく、慰めの言葉を利用して支配欲を満たすサドの道を教えたのでもないのです。

ききたくば たずねくるなら ゆてきかす よろづいさいの もとなるを かみがでて なにかいさいを とくならば せかいいちれつ いさむなり

という地場屋敷が現れ、発展し続ける様(さま)を信頼し楽しむことが神への信頼ではないですか。

私達雑魚の魂の者であっても、それを楽しむのが陽気暮らしでしょう。

このお言葉から察すれば、勇みながら磨かれるのが本来の地場屋敷の構造です。
ご神言に詠われていても、過去の歴史にそれが無かったのなら、それはどこかで違ってしまったに違いありません。
神一条文明へたてかわる迄の過渡期において、了解した方々に外面的な苦労が伴なうとしたら、それは我々旧人類からの無理解攻撃故に余計なご苦労をお掛けするということでしょうね。

[462] 基本的質問 2007/04/26 11:46

>おやさまが、立教された時にも、泥の海と言う現実でした。

多分現在も天保九年状態であって、この百数十年間は神一条文明へのプロローグでしかなかったのではないだろうか、と思います。
これを失われた百年と観るのか、残念の積み重ねと観るのか、素晴らしい序章と観るのかはそれぞれの心次第でしょうが。
ただ過去を変更する事はできないのですから、それに対して化粧を施す事も非難する事も虚しい事にようにも思われます。

これからの神一条文明の本番の第一章は、神様の書き物に則って顕われるだろうと思います。
私達の魂が曇っているために、秩序無き世界と映っているだけで、魂に天の秩序があるのでしょう。そして少なくともその頂(いただき)がおやさまを先頭に現れて来ているのではないでしょうか。
そしておやさまは先頭であっても神の一人子などではありません。ごく近い領域の弟や妹さん方がいらっしゃるはずです。

>気の毒に、正月三十日に、日を切られて、送り出された女性の運命というものを、きちんと見つめなければなりません。

信者として集うという事は万人に開かれた事であっても、地場屋敷の屋敷内に住まうという事は神に魂を見定められてのことでなくてはならないのでしょう。
その女性の晩年がどうであったとしても、おやさまは、放出されたといってもその女性の魂をたすけないと言っているのではなく、地場屋敷の理にはそぐわないということでしょう。
逆から言えば、地場屋敷の理とはそれほど尊いということです。

金剛院の下働きをしようが、梶本家に追放されようが、他に事情があろうが、その魂は私達の想像を超えた尊い魂だと想います。

人類を平和的に前進させる天命を自覚しなくてはならない程の魂の方々だったことには変わりないでしょうし、そのような魂でなければ、世界を救う地場屋敷の理にそぐわないのでしょう。

神は神のたすけ一条の理の立った世界に、たすけ一条の地場屋敷を天然自然に顕した過去があるのであって、一宗教の都合の為にそれがあるのではないはずです。

宇宙人でさえ、悦ぶには缶コーヒーと八代亜紀がいるそうですが、神一条文明の住人には、本来の地場屋敷の理を想うだけで悦びの涙が溢れてくるはずです。
百年後の地球人類は、今の我々旧人類が地場屋敷の理を勘違いしていたことに驚き笑うと思います。百年後のビートたけしは、現在の教会本部がおやさまにサドマゾの気を付け加えたことをコントのねたにしているのではないかと想像します。

かみがでて、なにかいさいを、とくならば、せかいいちれつ、いさむなり、いちれつに、はやくたすけを、いそぐから、せかいのこころも、いさめかけ。

>今の天理教団の、神一条は、今までに無く神々しい。
>人間には、陽気暮らしをする、道がある。その、おやさまへの信頼こそ、私達の、陽気暮らしです。

現在の地場屋敷に欠けている、いさいを説き聞かすであろう神一条の道がご神言どおり再来され、世界を照らし続けるであろう地場の光が前進を続け、その光に万人が同調する事ができる日を待つ事が、おやさまへの信頼です。

[463] 基本的質問 2007/04/28 17:25

この身体は自然の一部だし、その最高峰でしょう。
魂は神の一部だし、その最高峰でしょう。
総ての人間はその交差点にいるのでしょう。
そして、どの体をとってみても同じものは一つとしてないのだから、平等という言葉は観念上のものに過ぎません。そもそも生きているものに均質、平等などというものは存在しません。

魂の成熟は人為的な努力で可能であっても、その成長速度はほとんど定まっているのではなのではないでしょうか?
とすれば、世界の危機を救ってきた宗教の開祖達の様な方々の中に、地場屋敷に引き寄せられている方々がいらっしゃったとしても不思議ではないと思います。
特に人為が作用しない天保九年の段階や、おやさま、本席様御在世中はそうだったのではないでしょうか?

>今の天理教団の、神一条は、今までに無く神々しい。

もし現在の地場屋敷がこれまでで最も神々しいとすれば、この宗教を権力や財力やエゴの増長の手段として利用できないことを知った人達が地場屋敷から居なくなりつつあるのかもしれませんね。

教勢とやらが衰退し、社会的に権威が失墜し、経済的にも疲弊する事は、一面気の毒かもしれませんが、神が本来の地場屋敷を回復する為に必要なことなのかも知れませんね。
そんなときこそ、真の神人間達に光が当たるのでしょう。
そうでなければ地場屋敷を中心にした調和のとれた神一条文明は浮上しないのでしょうね。
基本さんの想像どおり、この十年間は新しい展開の始まりとなるかもしれません。

流れが固定された池の水は淀んでしまいますが、流れのある海の水や、その源流である河にそそぐ湧き水には淀みはありません。

神の身体も成長しているのなら、その先頭である地場屋敷も成長し続けるのは天然自然のことわりでしょう。
固定化された池の水が新鮮な水へとたて変わる時代に立ち会えることにワクワクしては不謹慎でしょうか?

[464] 基本。 2007/04/30 01:04

真柱様が、婦人会の総会で、身のうちへのお知らせを大切に思案するようにと、諭されたと、天理時報紙で知りました。

家に着た彼は、少しづつですが仕事をするようになりました。

身に知らせがあったという、長男のお嫁さんは、お席にも行ったことは無く、天理に一度参拝に行っただけの事です。
月に一度、基本の布教所でしているお勤めしている程度です。
左のわき腹が痛くなって、「何かあった?」と、基本の奥さんに電話を掛けてきて、それで、基本の奥さんが、彼が家に来たとつげました。

基本の長男の夫婦がしている仕事は、家内製工業の手作業なのですが、その仕事を、試しにして頂いてみたら、とても、手先の器用な彼で、少しづつ仕事を覚えていただくと言う事で、今日も夫婦で、教えに来ていたそうです。

おやさまは、人間の身の内に、お知らせを下さる。
それを、しっかりと思案して、女は、道の台。

天理教は、新たに躍進します。

[465] 基本。 2007/05/02 04:25

その人の持っている可能性は、おやさましかご存知で無い。
そしたら、おやさまにもたれる以外に、無い。
人間をはじめた元のおやの、おやさまを、信じると言う事は、誰一人でも、その可能性の存在である事を、受け入れると言う事です。

民を選び、人を選ぶという思想は、すべての一列の可能性を否定するものです。

人間社会の価値から見て、高い低いと決め付けていく思想。
とふじんの思想。
それに、汚染されていた当時の、幕末から明治初期の高弟たちは、
おやさまの教えによって、自分たちが「高い」ものになれると、錯誤し、おやさまの教えられた「不思議な力」を、
自分たちが「高く」なるために用いました。

おやさまの真似をした異端が生まれた、その姿は、まさに、「高山」になろうという露骨なものでした。

おつとめの、人衆の、たましいの因縁を、高貴なものと錯誤し、神格化の権威とみなして、
それが、「高山」の思想をそのままである事に気が付かなかった。

おやさまお一人。
天理教の、現実でした。

[466] 基本。 2007/05/04 19:44

当時の高弟たちは、「高弟」と言う自白のままに、実は「道の高山」でした。

 十人の中の三人片腕は、火水風とも退くと知れ

このお筆先の責めがあります。

おつとめ人衆の中の、三人、片腕といわれた人たちは、道の高慢として、次々と出直しになりました。

[467] きほん 2007/05/13 22:48

利権共産主義社会や泥棒資本主義社会をおやさまの思想で変えられるのかゑ?

[468] 基本。 2007/05/14 15:14

鋭い突っ込みと思います。
> 利権共産主義社会や泥棒資本主義社会
これは、一つの現実の姿です。
おやさまの思想は、
「天にては」「身の内にては」「世界にては」と、一二三で一つに告げられています。

大雑把な把握で言いますと「神」「人」「社会」と、なります。

「社会」というものは、「みな面々口で言わせる」との神意により、
「やしろ」にて「会う」という、集合体が、「社会」と、自白している事になります。

唐人思想の代表である、「西欧型・聖書思想」は、まさに、「教会」に集う者の集合体として、「社会」を形成しています。
そして、宗教を中心軸にした、文字通りの「社会」の改革は、絶対になされなければならない事です。

「高山・谷底」と言う社会を立て直すという、中山みき様、おやさまの思想は、その意味で、「社の解体」を示唆しています。
「大社高山取り払い」という、端的な表現に示されています。

しかし、それは、
今の宗教が間違っているから、正しい宗教を社として集うというような、天理教が支配宗教になるというような、
そんな改革ではない。

今までの教えでは無い、「究極の教え・天理教」という、山名系教理の、プロパガンダ用のうたい文句は、実は、山名系は高山だという自白に過ぎません。
究極であれ、至高であれ、
今の社会の「社」に取って代わるような、宗教思想は、あってはならない。

つまり、「唐人の社」は、取り払う。
新たな社はいらない。
この徹底した思想こそ、おやさまの思想と言う事になります。

[469] 基本。 2007/05/14 15:21

具体的には、どうすべきなのか。
何がなされるべきなのか。

それは、「理」を用いての「利益」。
これに、集約されます。

まさか、本当に甘露が降ると信じているわけでは無いでしょうが、
「甘露」という言語にて、隠喩された「理」が、実現する事。
それが、「利益」である時に、「利益」をろくぢに分配するものにのみ「利益」があるときに、初めて、「天理」の意味が成就されるわけです。

「甘露」・・「かんろ」・・「完成」の「かん」なのか、「甘味」の「かん」なのか。
甘い汁を求める信心の、旧来までの応法天理教では、「甘露」が降る事が目的であった。

しかし、「道」を「完路」と隠喩されているわけであり、全うしなければならないのが、天理の道である。
そこに、現実に対する対応は、今までの宗教・天理教では、到底及びも付かない発想が、あると言う事です。
それが、基本です。

[470] 基本。 2007/05/14 15:32

例えば、山の中でもあちこちと天理王のつとめする。と、おやさまは、御神楽歌に示されています。

お筆先にても、高山の中に入っていくという意味のお歌があります。

それが何を意味しているのかは、明らかです。

例えば現在の政治経済は恐ろしいほどの速さで、変貌しています。
それは、「利益」の独占・寡占のためであることは、あまりにも露骨です。
大衆は、踊らされ、「甘い露」に惑わされています。
けれど、誰のものでもない「電波」は、権力に管理され、誰のものでもない資源も、一部の高山に寡占独占を許す構造になっています。
まるで、朝三暮四のサルのように、甘露の甘さにだまされて、メディアの情報に操作されて、高山・谷底と言う支配被支配の構図はますます強く堅くなっているのが現代です。

それは、「利益」を独占しているから、なせる業です。
そして、利権の保持と存続のために、その利益の、経済効果は利用されて、いる。
これを、山というならば、
山の中に入ると言う事は、何を意味するかは、自明です。

「山名系」の言うように、高山の人を信者にするというような、布教馬鹿の、発想は、悪阻まつに過ぎます。

山に入ると言う事は、山に入ることなのです。
そして、「山の中で」「天理王のつとめ」する。
それが、おやさまの思想の、行動規範の一つです。

[471] 基本。 2007/05/15 03:35

宗教を語る時、「老・病・死」という事が、宗教思想の背景として語られます。
人は、「老いる」「病む」「死ぬ」。
これが、逃れられない運命・因縁として、人の人生に同行しているという事、
そこで、老いると言う事に対する怖れ、病む事への怖れ、死ぬ事の恐怖から逃れようとして、「宗教」を必要としたという、議論です。

おやさまは、「病まず、死なず、弱りなきよう」という神の守護を説いて、思想を語られています。
その、寿命薬というものが「甘露」なのであると、天理教団の神学は説いています。
その証拠として、「つとめ」と「さずけ」が教えられていて、
天理教のお授けならば、どんな病気も助かるという、プロパガンダの時代に、天理教は、圧倒的な信者獲得をしたわけです。

それは、おやさまの格別のご守護であると、おやさま自らが示しています。
つまり、それは、明治十五年からの徹底的な国家権力からの弾圧の時代に、現実に甘露台石工の七次郎は、出獄を許されず獄死していて、消息不明となり、明治十九年には、おやさまに対しても、2月極寒の真冬に水をぶっ掛けるなどの行動に出た、つぶしてしまおうという警察官僚の実行の存在が、物語っているような、危機的な状況下でした。

その時に、「病をたすける」と言う奇跡は、天理教団を救った。
膨大な信者の数が、すくってくれたと言う事でした。

そういう、格別な事情は、今は、「老・病・死」には無い。

お父さんの病気が助かるのなら、神様の言うとおりにします、などという、事は、もはや絵空事であり、
お父さんが早く死んでくれたら、保険金が出るのにという時代においては、「老・病・死」すらも、経済行為に絡め取られている。

つまり、現代では、『老病死』からの救済よりも、『貧』からの救済が、最大の、テーマになっていると言う事です。

[472] 道の端くれ者 2007/05/17 21:43

横から失礼します。
信仰三代目です。
私は天理王命様を、をや・神・宇宙の根本主体・宇宙の大元・宇宙そのもの・真理と考えております。
また、教典の14ページにあるように「まことに、人はただ中山みき様によって、初めて親神(宇宙の根本主体・そのもの・真理)を拝し、親神の思し召しを知る。中山みき様こそ、地上の月日におわし、我らの親にてあらせられる。」と言う言葉から天理王命=中山みきと信じて疑わない道の端くれです。

しかし、ひとつ合点がいかないことがあります。
逸話篇27でおやさまは松尾市兵衛家の仏壇を動かし神様をそこへ祀るようにおっしゃてますよね?
長男楢蔵の身上があってそうされたのでしょうが、私にはそれが理解できません。
仏壇は後日すっきりと取り片付けたとありますが、これは松尾家の意思でそうされたのでしょう。
いずれにしても、我が家にも神実様と仏様がありますが子供にどんな身上がでても先祖代々の仏壇を取り払うことなんて到底できません。
ちょっと飛躍しすぎですが、やはり天理教は一神教なのでしょうか?
皆さんの色々な御意見を聞きたいです。

[473] 基本。 2007/05/19 06:11

>>472
> 天理王命様を、をや・神・宇宙の根本主体・宇宙の大元・宇宙そのもの・真理と考えております
・・
> しかし、ひとつ合点がいかないことがあります。

宇宙の真理としては合点が行くけれど、その真理が、仏壇を動かすように命じたと言う事は合点がいかない。
それが、人の、現実ですね。

おやさまの教えられた真理として、人間の魂は生き通しであると言う事が教えられています。
これを受け入れますと、大昔に死んだ人は今も魂は生きていて、今生に別人格で存在している可能性が大と言う事になります。
つまり、今のAさんが仏壇で拝しているのは、実は自分の「みたま=霊魂」という可能性が、真理としての事実と言う事になります。

すると、数多く生まれかわりしていますと、別の家の仏壇にもAさんの魂が祭られている可能性も大になりますね。

その人の御霊が、唯一一個であるのに、仏壇としては、数多く祭られてしまう。
こういう、不合理が生まれます。

おやさまは、真理として、「死とは、古着を脱ぎ捨てたようなもの」と教えられています。

そこで、おやさまの真理を受け入れたとしますと、仏壇に祭ると言う事は、生まれかわってくるまでの間で良いと言う事に、基本は理解します。

そして、新たに生まれかわってきた、先祖を、大切にすることこそ、一番大切だと言う事になります。
新たに生まれかわってきた、先祖と言うのは、現在の身の周囲に、生まれかわっておられます。
つまり、自分の子供を大切にする事、それが、実は、なによりもの先祖の供養になり、自分の妻を大切にする事も、全くおんなじ意味です。

それを「前生の因縁寄せて守護する」と、おやさまは、教えられています。
仏壇は、取り払うのも取り払わないのも、その人の心次第、それが真理だと思います。

[474] 基本。 2007/05/19 06:29

>>472

【目出度い日】逸話篇27
 明治五年七月、教祖が、松尾市兵衛の家へお出かけ下されて、御滞在中の十日目の朝、お部屋へ、市兵衛夫婦が御挨拶に伺うと、

「神様をお祀りする気はないかえ。」
と、お言葉があった。それで、市兵衛が、「祀らせて頂きますが、どこへ祀らせて頂けば宜しうございましょうか。」と、伺うと、
「あそこがええ。」
と、仰せになって、指さされたのが、仏壇のある場所であった。
・・・・

さて、道の端くれものさん。
仏壇というものは、本来は、どんなものでしょうか。

http://nun.nu/ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E5%A3%87
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、こうあります。

{ 仏壇の一例仏壇(ぶつだん)とは、一般家屋の中に常設された、仏を祀る厨子であり、家族の死者を祭る、祭壇でもある。内部は仏教各宗派の本山寺院の仏堂を模した豪華な作りになっており、仏像や位牌を納める。}

つまり、仏様を祭る場所が、本来の仏壇です。
その仏様が、教えられた、教えの後に、
「このたびは、神が表に現れて」と、教えられたのが、天理教です。

逸話編ではおやさまが、この様に尋ねています。
「神様をお祀りする気はないかえ。」

そして市兵衛さんが、「祀らせて頂きますが、どこへ祀らせて頂けば宜しうございましょうか。」と、伺うと、
「あそこがええ。」
と、仰せになって、指さされたのが、仏壇のある場所であった。
わけです。

仏様が教えられた、九つまでの教えを、「このたびは、神が」説かれているわけですから、
仏様の教えを裏から守護していた、元の神を祀るとすれば、当然、それまでの仏様の場所であるのは、自然の真理です。

なお、先祖の魂については、祖霊殿にて祀っているのが、現実の天理教です。

[475] 道の端くれ者 2007/05/19 07:59

待ってました。
基本さんのコメントを。
ありがとうございます。
私は天理王命様と先祖の仏壇を仲良く末永く丁寧に祀りつづけたいと思います。これが私の「心」です。
松尾市兵衛家も楢蔵の身上がもとで切羽詰まって行動だと察します。
実をいうと我が家は先祖代々真言宗で高野派ではなく新義真言宗です。新義派は真言宗の中でも拝み祈祷をいたずらに軽々しく行わないません。
天理王命⊂大日如来だなんて言ったら、八島系異端とかって基本さん
に攻撃されちゃいますかね?でも私はそう思っております。
最後に私の天理王命様への思いとする「宇宙の根本主体・そのもの・真理」を人類にはじめてお示しくださったのが中山みき様だと思っておりますが、これは基本さん的にいったらどうですかね?

天理王命=中山みきと信じて疑わない道の端くれ者でした。

[476] 道の端くれ者 2007/05/19 18:38

まちがえました。
天理王命∋大日・・・・天理王命を元として大日如来を含む。でした。

[477] 基本。 2007/05/20 05:03

道の端くれ者さん。
天理王命様と大日如来様。「天理王命∋大日如来」と、ご思案されているとの事、なるほどと思います。
それは、道の端くれさんの信心の道すじであり、決して八島系異端と言うものと同次元のものとは思いません。

> 「宇宙の根本主体・そのもの・真理」を人類にはじめてお示しくださったのが中山みき様だと思っております
>
この事は、基本的には、(意味内容には言及しない事とすれば)、その通りだと思います。

本地、垂迹という思想があります。
神の正体は実は仏であったと言う、本地が仏、垂迹が神と言う思想と、
仏の正体は実は神であった、本地が神、垂迹が仏と言う思想と、
あります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9C%B0%E5%9E%82%E8%BF%B9%E8%AA%AC
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用しますと、
{ 垂迹神と本地仏の一例を以下に示す。}
{ 天照大神 = 大日如来、観音菩薩 }
このような例として、本地が大日如来で、天照大神が垂迹であるという説が、一例ですが、本地垂迹の説は、広範に説かれていて、諸神社の起源に記されてもいます。

おやさまの思想としては、
本地・天理王命という事になります。

本地垂迹思想では、はじめは「天照大神は、実は大日如来様であった」というように、垂迹の権威付けのために、本地が用いられました。
やがて、「天照大神は、実は大日如来様の本地である。大日如来様は垂迹である」と、逆転して、説かれる場合も、鎌倉時代以後には生まれています。

おやさまが、示されたのは、理です。
大日如来様も、おやさまも、理は一つである。
そうだと思います。それが基本です。
しかし、存命でいる元のおやさまは、唯一であるというのも、理は一つです。

[478] 道の端くれ者 2007/05/20 11:53

>しかし、存命でいる元のおやさまは、唯一であるというのも、理は一つです。

よく承知できました。
我が家一族の色々なしがらみがあって仏様を取り払うわけにはいきませんが、ご存命の元のおやさまのひながたを忘れず、これからも家族陽気にとおらせていただきます。

基本さん、ありがとうございました。

[479] きょうそ 2007/05/20 21:02

信者が金をくれという、天理教本部、信じてもらいたくない

[480] 基本。 2007/05/27 10:57

現在のおやさまの思想の、深層には、まだとても到達したとは言えない。
それは、現実の天理教団の状態にある。

しかし、大社高山が支配している「現代社会」の、本質的な建て直しこそ、おやさまの思想の根幹であることは、天理教徒なら誰もが口にする「世界一列皆兄弟」という思想と、現代の現実とを、対比すれば明らかなことである。

>>479
> 信者が金をくれという、天理教本部、信じてもらいたくない

このような、「嫌金思想」「倦金思想」、「集金否定」の、「信仰は金ではない」と言う思想は、実は、おやさまの思想の根幹に反しているものである。

つまり、おやさまは「精神至上主義ではない」という事である。

おやさまの思想を、夫婦仲良くと言う、陽気暮らしの思想と理解するのは自然なことである。
しかしそれは、地上に一対しかいない夫婦ではないために、一組の夫婦単位での幸福は、事実上ありえない。
一組の夫婦は、社会とかかわりを持って、暮らす。

おやさまが、人間は働くためにこの世に出たと言う、人間の存在の意義を「働く」という事に定義されたのは、天理教徒なら誰でも知っているであろう。
そしておやさまは、働くとは「はたはたを楽さす事やで」と、教えられている。

それでは、現実の働き人たちは、「はたはたを楽さすために」働いているであろうか。

否である。
労働者は経営者を楽させるために働いている。
経営者は、資本主を楽さすために働いている。
「大社・高山」のために、一日の時間の大半を費やして、人生の若々しい時代を費やしている。
この現実に、天火は降る。

人間はすでに、有り余るものを手にしていながら、はたはたを楽させるためにではなく、暮らすようになっている。
自分が楽するために働く人、自分が楽するために人を働かす人。
働く人のあげる利益を、吸い上げる事を仕事とする人。
そのシステムを維持管理するための、仕事をする人。

人間社会のほとんどは、この大社高山支配の、泥海に、巧妙に取り込まれている。

「金」は必要である。「世界一列兄弟のために」。
それは、おやさまの思想の隠された本質である。

[481] 基本。 2007/05/27 13:45

例えば、おやさまは、「昼はたらいて、夜は休む」ように、人間の身体をおつくり下さっている。
甘露台世界になれば、雨は夜降るようになるという。

しかし現実の人間は、現状、二十四時間働いている。

この現実の奇妙さに、天理教信者は、疑問すら持っていない。

人間の身体のメカニズムに逆行させてまで、なぜ人は夜も働いているかといえば、
「はたはたを楽させる」為ではない。

昼から夜まで、「大社・高山」の為に精根使い切って「労働」する人の、夜の娯楽の為に、早朝の食事の為に、深夜から早朝までも「労働」する。
それは、天理に背いている。
そこには「家庭」は、ない。

大切にすべき「はたはた」は、互いに無関係に暮らす「雑居」にすぎない。

これを、「夫婦なかよく」の姿に改めようと思うなら、
立て替えようと思うなら、「大社高山」取り払いしかないのに、
そんな基本的な、おやさまの思想の本質は、いまだ、説く人はいない。

それほどに、天理教信者は、自分さえ助かればよい輩なのである。

[482] 基本。 2007/05/27 15:42

現状の天理教団の組織生活の形態は、大社高山の悪因縁を自覚するためにあると言っても、過言ではあるまい。

それは、まさに、「夫婦を台」として、「はたらく為に世に生きる」姿とはほど遠い。
身分制度と呼ぶほうが正しいと思えるような、会長・役員・住み込み人・青年づとめ。
下にいる信者各個人の、自由と主体を、上が支配する形になっている。
大教会や上級教会への、奉仕、御用は、制度化されているというに等しく、末端の夫婦や親子の「自由度」は、著しく束縛されてきた。

それも、もう終わりになる。

そういう「理」に反した、天理教大教会生活のあり方は、悪因縁の成れの果てとして、掃除され、おやさまの思想そのものの、「一列兄弟」に普請する、真の信仰者が、散在するという、教祖の立教頃からの、真のひながたが、開始されるからである。

天理教団という組織は、その「大社高山」体質を、全て拭い去り、谷底に指向する。
それは、貧乏になって、ひながただと錯誤するような、理の間違いでは無い。
豊年になって、ひながただと、そういう、方向の事である。

重ねて、言わねばならない。
大教会初代は、確かに、天理教によって豊かになった。
その時、何をしたのか。
「大社高山」因縁を、通り返しただけである。

「理の親信仰」というものは掃除されても、この「大社高山」因縁を切れないとすれば、それは、もはや天理教とは呼べない。

教祖のごとく、里にありて、
教祖のごとく、家業をし、
教祖のごとく、大社高山に対して、その取り払いにむけて、一貫し、
教祖のごとく、谷底にある

おやさまの思想とは、まさに、現代社会のゆがみそのものを、立て替える、この世の普請という思想なのである。

[483] 基本。 2007/05/27 22:50

しかし、それは、貧困である事ではない。
自由と書いて、「じゆうよう」と読ませたのは二代真柱様である。
「自由自在」、「じゆうようじざい」
それは、不自由がないということを意味する。

不自由が無いと言うことは、貧困にいる事とは不一致である。
病気でいる事とも不一致である。

宗教の偽善の仮面においての、幸福とはまるで違う。
真に人間らしく、そして、真に豊かであると言う事。
それを谷底にいて、なすべきが、天理教の信仰者の普通になる。

[484] 基本。 2007/05/28 00:42

つまり、おやさまは、「から」の思想の本質を、「から」と一言で諭しきっておられる。
「一に百姓助けたい」との、おやさまの思想。
「農業という業を営む」。これには、「から」は無い。

しかし、金融資本主義を見たらわかる。
尽くが「から」である。

株券が、電磁化された事は、まさに、「から」であることの自白である。
金融市場においては、実際の製造も製作も無い。
マネーゲームと呼ばれるが、元々、親神様が人間にお貸し下された無料の物を、人間が価格をつけて付加価値として金銭に交換した貨幣経済においては、貨幣と対価の物品が存在した。
しかし、それには、限度がある。
人間がルールをこしらえて、株式の売買というゲームにおいて、無から有を生み出し、世界中の経済は、そのゲームそのものに支配されている仕組みに見えている。

東京の不動産が高騰していて、バブルに向かっているという。
土地というものは、それ自体、親神様からの貸物借物である。

公地公民の時代には、天皇陛下からのお分けいただいた口分田であった。
少なくとも江戸幕府までは、土地は、公のものという認識が支配していた。

それを完全に崩壊させた、明治維新の唐人思想。
税制の改革で、土地は、マネーゲームの対象になった。
「需要と供給」という経済ゲームのルールは、土地に適用されて、大都市の地価は高騰し。その信用力に、金融資本が投下されて、貸物借物の土地は、「大社高山」の基盤となった。
・・・
今は、情報が、マネーゲームの対象となり、大社高山は、そこに、今までに成功したノウハウを集約している。
・・・

それは、親神様の、手ひどい返しの、道具を自ら構築しているようなものである。

旬刻限の到来の意味は、そんなに単純なものではない。
現代社会とは、「神が表に現れた」、「現れた時代」という自白とも解する事が出来る。

すでに、天火は、人類をろくぢに向けて、降り注ぎつつつあると言う事だ。

[485] 基本。 2007/05/28 09:16

企業買収が現代の日本の経済の話題の中心になっているようだが、それは、結果的に、業界の再編を加速させている結果を生んでいる。

スティール:食品業界に照準 ブルドックの対抗策限られ…
 明星食品やサッポロホールディングスに続いてスティール・パートナーズが、ブルドックソースを相手に買収に動いた。日本での投資活動を積極化しているスティールは、主に食品業界に照準を定めており、同業界では警戒感が高まっている。サッポロへの買収提案をめぐっては、同社が買収防衛策に基づいて詳細な質問状を提示するなど長期化の様相を見せているが、防衛策を導入していないブルドックの対抗策は限られている。業界に新たな再編の動きを呼び起こす可能性もある。

 日本の食品会社は総じて、株価と発行済み株式数を掛け合わせた時価総額が小さく、買収の標的にされやすいようだ。ブルドックの時価総額は約250億円で、買い付け価額を2割上乗せしても300億円程度で全株を買い取れる。

http://nun.nu/www.mainichi-msn.co.jp/keizai/kigyou/news/20070517k0000m020092000c.html
 スティールは昨秋、即席めんの明星食品に対し、敵対的TOB(株式の公開買い付け)を実施。ホワイトナイト(白馬の騎士=友好的買収者)として登場した日清食品に株式を売却し、30億円程度の株式の売却益を得た。

このように、「はたらく」事で「はたはたを楽させる」という、人間本来のあり方ではない、情報の操作を利用した方法で、株の売買というものの元々の意味を超えて、マネーゲームで資産形成をバプル以上の高速度で達成していく、手法というものが、自由経済では許されている。

企業買収、業界再編。

「大社高山」は大社であり、高山であるために、あり続けるために、市場というルールを、最大限に巧妙に利用していると言う事である。

これが、ルールとして、国際経済全体を支配している事の、不自然さは、おそらく、「大社・高山」のサイドは気が付いているはずである。

この世のものは、親神様から、世界一列兄弟に貸し与えられたもの。

それを一度、貨幣に置き換えて、次には信用に置き換えて、経済の対象となし、生命も経済の対象におきかえて、
全てを、支配する事の不自然は、そうし続けようとする、高山の者こそ、誰よりも、理解しているはずである。

だから、情報は、平和を訴え、環境保護を訴え、自由経済の福祉を訴えて、あたかも、そこに、「ろくぢ」があるかのようにみせかけている。
見せかけ続けている。

その意味するところは、欺瞞であり、「うそ」である。

だから、彼らは「高山のから」、と言う事になる。
そして、彼らの仕掛ける情報操作に、踊らされているのは、「谷底のから」。

この唐人が、ころりと、心入れ替える日が、世界の普請の始まりになり、そのころりを促すものは、「天理そのもの」である。

[486] 基本。 2007/05/28 09:19

おやさまは、おやさまのひながたは、アヘン戦争の時代にも、帝国主義侵略の時代にも、一貫している。

唐人のプロパガンダには、まるで、影響されていない。

しかし、実際に明治政府が施行する「宗教政策」、「思想統制」には、きちんと、行動を起こしている。
おやさまは、最も本質的な意味で「政治行動」の人であったということ。
忘れてはならない。

[487] 返上ルスリクエスト 2007/06/03 23:49

戦火の勇気かな。何かちらこれ。おやさま、これ何?

[488] 基本。 2013/01/29 03:02 dt/RCU0dR7m

復活、出来ますか。

[489] 基本。 2013/01/29 03:14 dt/RCU0dR7m

投稿を再開します。
At this time,I,God,reveal Myself and teach the truth of all things in detail.

中山みきの思想は、
「詳細にすべての物事の真理を教える。」事にある。

第1号 7
かみがでてなにかいさいをとくならバ せかい一れつ心いさむる
teaches the truth of all things in detail,

それは、世界に勇気を与えるもの。
そしてそれは、世界世の中を、処繁盛にするもの。

「天理」を教えるとは、そういう意味である。

[490] 基本。 2013/06/16 11:08 vX/IzG9qZie

それにしても、おやさまは何をどのようにしてこの世の普請をなさっているのか、天理の最大の関心事である。
詳細に万事の真理を教えるというおやさまには、そのたすけの模様の道筋はきちんと見えてあると、そういう中山みきの思想を理解するべき時期に来ている。

[491] 基本。 2013/06/16 11:32 vX/IzG9qZie

肉体と(身の内と)、世の中と(人間世界と)、天理と(天と)は、一つであるという中山みきの思想において、男女一の道具は肉体において「一の道具」と定義されている。
それは女一の道具は、世界では金銭だとそのように定義されている。
つまり、この世の「一」の道具というのは、「金銭が三の神の理」「資本が四の神の理」で、資本主義社会というのは、その一の道具を高山が気ままにしている社会ではあるが、「資本と金」が無くては陽気暮らしにはならないという意味で、現在の金融資本主義も一の道具の天の理の世界であって、心の埃が問題であり、仕組みそのものの本質的な部分では、天理の世界にあるという事。
そこで、この世の普請においても、「金銭・資本」という一の道具が絶対に不可欠という事が、天理教の教えの本質という事になる。

かみがでてなにかいさいをとくならバ せかい一れつ心いさむる   7
いちれつにはやくたすけをいそぐから せかいの心いさめかゝりて   8
だん/\と心いさんてくるならバ せかいよのなかところはんじよ  9

何か委細を説くことで → 世界よのなか処繁盛

この大前提に貸し物借り物でいう処の一の道具、金銭と資本の問題がある事、
それだから、中山みきの思想を精神論や政治思想で理解していては、天理教を見誤る。
経済論で理解しないと、「処繁盛」に至る道は開かない。

[492] 基本。 2013/06/16 11:43 vX/IzG9qZie

このさきハかくらづとめのてをつけて みんなそろふてつとめまつなり   10
みなそろてはやくつとめをするならバ そばがいさめバ神もいさむる    11
いちれつに神の心がいづむなら ものゝりうけかみないつむなり      12
りうけいのいつむ心ハきのとくや いづまんよふとはやくいさめよ     13
りうけいがいさみでるよとをもうなら かぐらつとめやてをとりをせよ   14

中山みきの経済論は本質オカルトである。
空から降る甘露にて、食費ゼロの健康生活になるというような、たわいもないオカルトであるから、「神楽てをどり」というオカルトで立毛(りうけ)の守護を頂こうと言う、神頼みがそこには基本として存在してある。
しかしそれは、中山みきの思想を危険視する高山に、高山には一番理解できない方法で、谷底せりあげを告げていて、そこに中山みきの思想家としての深い心が潜んでいる。

単にオカルトで陽気に暮らせるというのではなく、よろず委細に精通するという天理の基本で、経済的に一の道具的に、谷底をせり上げるという、資本構造、経済構造そのものを大変換する宣言が最初になされていること、見えぬ先から説くおやさまのおやさまたる、親心である。

[493] 基本。 2013/11/02 19:42 fr/rDj6Sya8

衆知の代表がワイドショーのコメンテーターであり、マスメディアの報道番組は、その、良識と言う衆知を誘導し指導する。
社会的には、よろづ委細に最も精通した人たちとして、皆からの信頼を受けいる。

それは、現在の統治秩序の代弁者であり、おやさまは、お嫌いである。

以前に基本は、みのもんたさんを典型的なマスコミ悪の典型とみなして、報道姿勢を批判し続けたことがある。
彼らのような高山には、オカルトと言うものは、ごまかしの道具であり、この世を変革するとも出来るともおまっていないのは明らかである。

りうけいのいつむ心ハきのとくや いづまんよふとはやくいさめよ 

今のマスコミ人は、マスコミ人であるというだけで、気の毒な心に自らを仕立ててしまっているが、それは、互いのそれぞれにもある事であって、人心そのものがおやさまの教えとは遠いところにあって、それは、天理教信者もなんら替わらず、気の毒な心にあると自覚あって、しかるべきである。

[494] 基本。 2013/11/02 19:57 fr/rDj6Sya8

いちれつに神の心がいづむなら ものゝりうけかみないつむなり      12

神はこの社会を嘆いておられてはいない。神はいずんでおられるわけでは無い。
それが証拠に、世界は「もののりうけ」は、豊かに満ち溢れていて、決して不作や飢饉が世界全体を覆っているわけでは無い。

基本はかって必ず来る米国の凋落を書き、戦争を開始に誘導したい高山の本心を指弾したが、それは、126の旬の到来と、大震災の予言の実現という天理を語ったことで、すでにおやさまのお働きはなされていて、天災や、人にてゆうなら身上事情やで、大きな戦争は神に抑止されていて、破綻そのものは起こすに起こせない状況に至っている。

ここからが肝心で、
りうけいがいさみでるよとをもうなら かぐらつとめやてをとりをせよ
 と、言う神意がきちんと現実味を帯びてくる。

[495] 基本。 2013/11/02 20:02 fr/rDj6Sya8

中山みきが存命でいると言うのは世界一列のおやとして、豊年満作を教えたい一条にあって、
支配被支配では無い、一列兄弟の陽気遊山を見たいと言うおやの心の発露そのものである。

基本は、天理王の弟子の演歌王として、カラオケと楽曲の世界で遊山しようと思う。
基本は、おやさまの普請の大工として、急いで図面を書き、普請に取り掛かりたいと、そう思う。

[496] 基本。 2013/11/03 10:46 fr/rDj6Sya8

戦争を続けたい米国のあがき。

対米関係見直しを表明=大使呼び抗議-パキスタン

【ニューデリー時事】パキスタンのニサル内相は2日、米国の無人機攻撃によって反政府勢力「パキスタン・タリバン運動」(TTP)との和平交渉が中止になったことを受け、米国との2国間関係を「全ての側面から見直す」と表明した。パキスタン外務省も同日、リチャード・オルソン駐パキスタン米国大使を呼んで無人機攻撃に抗議した。
 シャリフ首相は10月下旬、ホワイトハウスでオバマ大統領と会談し、無人機の使用を停止するよう要求。米国はその後約1週間の間に無人機攻撃を2度実施しており、パキスタン政府の不満が表面化した形だ。
 ニサル内相はTTP最高指導者のハキムラ・メスード容疑者を殺害した1日の無人機攻撃について、「一個人に対する攻撃ではなく、和平プロセスそのものへの攻撃だ」と批判。作戦が和平対話の前日に実施されたことに触れ、「これで和平に向けた取り組みを支援していると言えるのか」と不満をぶちまけた。(2013/11/03-01:38)

天の返しは隔てが無い。

[497] 基本。 2013/11/03 10:51 fr/rDj6Sya8

おやさまは 理を知らせることでお働きになります。
戦争をやめたく無い高山の本心が、見えてしまえば、神はきちんと働いて下さいます。

[498] 聖人のセオリー 2013/12/04 23:24 CC/w3VpORhg

おやさまって、いいよね。みんなのお母さん。中山みきさんって、本当に愛に溢れた人だと思う。彼女の愛を大切できたらいいと思う。

[499] 聖人のセオリー 2013/12/04 23:27 CC/w3VpORhg

「に」がぬけた。

[500] 聖セオリー 2013/12/04 23:36 CC/w3VpORhg

天理教とキリスト教に共通するのは、開祖に恵まれていることと、後継者に恵まれていないこと。

[501] 匿名信者 2018/01/13 14:46 OU/0GrlcLhr

信仰している身としては「偶然」ではなく何らかの導きであったかもと感じます。
こちらの基本様の書き込みを数分前に発見しました。
これからじっくり拝読させていただきたいと存じます。
ただいま拝読した部分で、水屋敷のこうずいに関しての説明に、はっきりとした解釈で納得させていただきました。ありがたくお礼申し上げます。
さて、好奇心がふつふつと沸き上がります。
基本様とは?

[502] 新おまんこ 2018/01/13 23:43 ザ-000,022,146号

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●●●●●●●●●●●●●●●●不合格●●●●●●●●●●●●●●●●●
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これを見た人は確実に【不合格】です。これをコピペでどこかに1000回貼れば回避できます。
これは本当です。やらないと十年無駄になります.

私も最初は嘘だと思ったんですが、一応コピペしました。それでセンター私大に合格出来ました。
けどコピペしなかった友達がA判定とっていたのに、おちたんです。(慶応合格h.sさん)

俺はもうE判定で記念受験だったんだけど、コピペを10回くらいした途端に過去問が
スラスラ解けるようになって、なんと念願の早稲田に受かりました。(早稲田3学部合格r.kくん)

これを今年のセンター前に見てシカトしたら、センターミスって最悪です。(n.aさん)

コピペをしてから痔が治りました。(早稲田大学教授A氏)

信じられますか?この威力。

d26.GkanagawaFL5.vectant.ne.jp (;´Д`)

[503] 基本 2024/02/06 06:10 ZI/usRpYWb1

未熟なまま、基本は天理王の弟子演歌王として、カラオケの世界で遊山しておりました。

おやさまの普請の大工として、図面を書き、10人の人数を、同志として、お集め頂きました。

身の知らせは、一人一人に出て、こういうものなんだと、通って分かる道にいます。
投稿を、開始します。

[504] 基本 2024/02/06 06:16 ZI/usRpYWb1

創価学会という宗教団体があります。
日蓮を借りて、仏教ならざる偽仏法の「創価」をを説いて、日蓮宗から独立した宗教法人です。
おやさまは、お優しく見つめておられましたが、許せないと断固とした天罰を開始しております。
その話題から、投稿再開します。

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