運を開くのに占いや風水に頼る人がいますが、自分に徳がないといくら風水
に頼っても開運するのは難しいです。陰徳を積めば自然と開運して人生が
良い方向に進みます。
陰徳とは、人に隠れて良い事をする事です。
例えば誰も居ない所でゴミを拾うとか、提示版でスレに誘導してあげたり
何かを教えてあげるのも陰徳を積む事になります。
皆で陰徳を積んで開運しましょう!!
淫徳でも積むか・・・・
淫獣安芸!
人に隠れて陰徳をつむとは、自分だけが徳を積めればよいという、非常に利己的な卑しい考え方です。
隠れることなく胸を張って善行をおこない、その姿を他の人に見せて、それを見た人たちを善行の実行をうながす。
さらに自分が善行を行うさいには、他の方にも参加を勧めて、みんなで徳をつむべきです。
陰徳を積むことがよいなんて言う人は、自分のことだけしか考えていないということです。
利己的でいいんじゃないんですかねぇ。
他人を助けたい人が助ければいいのでは?
運を開くために徳を積むってのはおかしくないか?
見返りを求めてるようじゃ意味ないと思うが・・・・・
>>3
それでもいいですよ。ようは人が喜ぶ事をやってあげる事、導いて
あげる事だ思います。徳を積む事に見返りを求めてもいいです。
誰でも見返りは求めるものですよ。最初は見返りを求めながらやれば
いいのですよ。陰徳を積み続けていけば次第に見返りを求めない高い
レベルに上がっていきます。最初は見返りを求める事から始めるのが当然です。
>>5
見返りを求める事から始めていきましょう。
陰徳について面白い話をします^^
みなさんこの話を聴いてどう思いますか?
袁了凡(陰隲録の作者)の自伝
彼は、役人になるために勉強していたが、母親に父親(すでに死去)と同じ医者
になるように言われて、断念。
さんなある日、孔という老人に出会う。
彼は、易学の達人で袁に「お前は、役人になる運命である。」と言われ、
その後の官職や、給与の額を予言した。
袁は、それを記録していたが、後年一分の狂いもなく当たるのを体験し、すっかり
運命論者となった。
その後、彼は、ある寺で、僧侶と座禅を組み、語り合った。
僧は、三日間の間、邪念が少しも起きない袁了凡に驚き、訳を尋ねたところ、
「私は、すでに運命を悟っていますので、外界のどんな事物にも惑わされる
ことがありません」と答えた。
これを聞いた僧は、
「なんじゃ、わしはお前さんのことを悟りをひらいた人物とおもっていたのに、
なんじゃ、ただの俗人であったか」
と笑った。
続き
「およそ運命は前世の業いかんによるものであるが、われわれ人間は、自由な意思により、
行為の選択は、在るのである。
お前さんは、孔老人に占定されたまま、何十年も、そのままであるとは、凡人でなくてなんであるというのだ?」
「しかし、孟子に在る通り、自分の内にあるもの(仁義礼など)は、自己の訓練により
発掘することができますが、富貴栄華などの、外にあるものは、天命によるもので、変更
不可なのでは、ないでしょうか?」
「いやいや、それはお前さんの解釈が間違っているのだ。般若経に在る通り
およそ心から生み出さないものは何もない。経典に在る通り、富貴を求めれば富貴
がえられ、男の子を求めれば男子が得られる。虚言は、覚者の嫌うところ、どうして
仏が嘘を言おうか?
ところで、お前さんは、科挙に合格せず、子供も得られず、53歳で死ぬと占断されたが
お主はあたるとおもうのか?」
「思います。科挙に合格する人は、およそ徳が高く、子供を得る人は、心が広く、
寿を得る人は、穏やかな徳をお持っているものです。
ところが私は、日々の怠惰にかまけて徳を積もうとせず、自分の才知によって人を酷評
し、怒りにまかせて,他人を許す事ができません。およそ水が清ければかえって魚は住まず、
酷暑寒帯のところでは、生き物は生活できません。春の心のような暖かな心と他人を許容する
広い心が私には足りません。
これらは、みな不徳の相であり、さきほどいった諸々の予言は当たるでしょう」
「それらは、みな徳の如何によるものである。お前さんは、今や自分の非を悟った。
ならば、それらの不徳を改め、徳を新たに積んでいく事である。
さすれば、今までの事は、死んだように、改まり、占定されたことは大きく外れるであろう」
「息子よ(袁了凡は、自分の息子にあてて陰隲録を書いている)こうして私は、自分の
命運を変えることにしたのだ。老師は、私に、功渦格1冊を授け、毎日自分がなした善業
悪行をこれに書かれた数値で書きとめる事を言い渡した。」
続く
続き
私は雲谷禅師(その坊さんの名前)のお言葉を信じ具体的な目標として、
第一に、科挙に合格することを目指した。次に、善事三千功の積徳の実行を
誓った。
これは、私の持つ不徳を転換するためであった。
私は初め、学海と号していた。万学を学んで、大海に至る意義であった。
しかし、この日から、了凡と改めた。立命の説を悟り、凡夫の穴に落ちない
ためである。(凡夫を終了の意味)
その日から、私の新しい生活が始まった。今までは、運命まかせの、のん気な
日々が、常に緊張し、一人で、部屋にいるときも言行ともに、天地鬼神の監視
を思うようになった。
そのかわり、他人が私をいかにののしろうが、憎もうが、私の行為の対象が
天地の道理にあったので、いかなる煩悶も覚えることはなくなった。
翌年に、礼部考科挙(科挙の第一次試験)を受験した。
孔先生が算定した3番で不合格するということだったが、第一位で合格した。
命(運命)は、変更できたのである。私は、さらに積徳の行に精を出した。
ところが、ふりかえってみると未だ、純粋ではなく、過ちが多かった。
あるいは、義を見て、之を行うこと勇気がなく(義を見てせざるは勇なきなり)、
人を救いながらも心の底では、疑っていた(?)。
善事をしながら、言葉が悪かったり、酔っ払って放逸したりした。
せっかくためた功(善行)も過(悪行)で、マイナスになり帳消しになる日々が続いた。
結局、己巳(隆慶三年)に発願して、己卯(万暦7年)まで、10年かかって、
三千条の善事が完成した。翌年庚辰に、性空・慧空上人(えらい坊さんのこと)
にお願いして、東塔禅堂で、回向(徳を分け与えること)した。
孔老人から、子供はできないと占断されていたが、ここにいたって遂に子を求むる
請願を起こし、さらに三千条の善行を目標とした。
息子よ。その翌年(辛巳)お前が生まれたのだ。
その後も、食を貧人に施したり、放生(生き物を買って逃がしてやる事)したりして、
一日に、十個以上も功を積む事ができたりした。
今度は、わずか四年の癸未の年に、三千条の善事は完了した。
そこで、また諸上人にお願いして、こんどは、我が家の先祖に回向したのである
その後、最後の科挙試験である進士に受かることを願って、今度は、善事
一万条を行う事を誓った。そして、3年後(丙戌)に登第(及第、合格の事)して、
宝てい知県(漢字が変換できず。河北省の範囲)の知事に任ぜられたのである。
そこで、公務が多忙であったが、税率を二分三厘七毛から、一分四厘六毛に下げた。
(彼は、これを、夢のお告げでみたり、僧侶や妻との会話があるが、省略)
そうして一万条の善行をやり遂げ、俸禄をさいて五台山で、一万の僧に供養し回向した。
ここで、特筆すべきは、不思議な事に予(わたし)は、寿命を願ったことは
なかったのに、孔公が算じた53歳の八月十四日午前2時(細かいw)自宅の
表座敷で死ぬとした予言は、何の災厄もなかった。その年ついに恙(つつが)無し。
今69歳で、ぴんぴんしていることは、息子よ、お前の知るところである。
書経に「天は誠とし難し、命は常無し」(天命はあやふやで、不変ではない)
「惟れ命、常においてせず」(命運とは、不変のしろものではない)というのは、
みな誑かす語ではない。
予は身を持って知ったのだ。
「禍福己より之を求めざるなし」(吉凶は、自分で操作できるのである)というのは、
聖賢の言葉であると。
「禍福は惟れ天の命ずる所」(吉凶禍福は、天命だから、どうすることもできない)
というのは、俗人のつまらぬたわ言なのであると。
息子よ。
私は、未だお前の命がどんなものかは知らない。
だが、もしお前が出世、栄えるようなことがあれば、常に、落剥の思いを
なせ。
もし順調な時があったら、常に逆行の想を為せ。
もし、衣食足れば、貧窮の時を思い出せ。
もし、人気があれば、世間から、迫害されることを恐れよ。
もし、家が名家になれば、常に下層階級の思いをなせ。
もし、学問が優秀なれば、常に自分がまだまだ未熟だと反省せよ。
祖先の徳を掲げることを願い父母の不徳を補え。
国に報い、家の福を作れ。
外では、他人の緊急を救い、自分の邪悪を防げ。
勤めて、毎日進歩しろ。
一日、改めるところがなければ、それは、安んじて堕落しているのである。
天下には、聡明で、強健、家門豊かな人間がたくさんいるが、ただ運命に
流されて、結局大したことがなくおわってしまうのは、自分の不徳を
改定しないからである。
雲谷禅師が授けてくれたこの立命の説は、至精・至粋・至真・至正の
理である。よく熟読して、実行し、決して空しく日々を送ってはならない。
以上が、彼の自伝部分。
後は、功過格表(例えば、人の命を救うとプラス100功とか)や、歴史上の善行
により、出世した例など。
それによると、毎日、善行と悪行を、3功(プラス)とか5過(マイナス)とか
記入し、計算し合計を出します。
さらに、月ごとにまとめ、年でまとめて結果を出すとの事です。
また、中国には日本にも伝わった庚申信仰があり、庚申(今月の8月15日w)
の日に、カマドの神様や、肉体の三只九虫が、その人の善行悪行を天上の司命神
に報告して、吉凶を決めるとの事です。
まあ、迷信なので、それはともかく、このスレでは、なんかいいことをやって徳
を積んだりして、情報交換をしましょう。
なお、陰徳(人に知られない徳)でなければ意味がないようですが、名無しの掲示
板で、本人が特定できないので、かまわないでしょう。
ついでに、悪行は、わざとやったりしたものではなく、誤ってやったものは、
ありがたいことに計算に入れないとのことです。
次はこれです^^
さて、 葛洪が云うには天地には過ちを司る神がいて、人の犯した罪の軽重によってその算(命数)を奪うという。算が減ると貧乏したり、 病気に罹ったり、しばしば災厄に遭う。そして、 算が尽きれば人は死ぬ。 算を奪われる罪状は数百条あり、一々述べきれない、と。
葛洪によると、 いろいろな道家の戒律を見ると、長生したいと思う者、成功したい者、 天から福を授かりたい者、仙人になりたい者は「善行を積み手柄を立て、物に慈悲深くなければいけない」とし、つぎに挙げる心掛けを実践するべきだと述べている。
〇我が身をつねって人の痛さを知り、 昆虫にも憐れみをかけよ。
〇人の好運を喜び、 人の苦労を哀れめ。
〇人の急場を助け、 人の貧窮を救え。
〇手は生き物を傷付けてはならぬ。
〇口は災難を招くようなことを言うな。
〇人が得をしたのを見れば自分が得をしたように思い人が損をすれば自分が損したように思え
〇偉ぶるな。自慢するな。 自分より優れたものを嫉妬するな。
〇うわべだけへつらって陰で相手を傷付けるようなことをするな。
つぎに悪行をいくつか挙げておこう。
●主人に叛き、 恩を受けても感謝しない。
●法律を悪用して賄賂を受け、 悪人を野放しにし、正直者を罪に陥れる。
●春・ 夏に野山に火をつけて狩りをし、祟りなどあるものかと神霊を罵る。
●人を危険に陥れることで心安らぎ、人から盗むことで大手柄をした気になる。
●人のめでたいことをぶちこわし、 人の愛する対象を奪い取る。
●人の骨肉を離間し、 人を辱めて勝った気になりたがる。
●好んで人の秘密をしゃべり、 ひとのあらさがしをする。
●天神地祇を引き合いに出して他人を呪い、自分だけが正しいと主張する。
●貪欲で飽きることがなく、 忠告してくれる人を憎み拒む。
●お上の命令に従わず、 師匠を尊敬しない。
●人がよく働いているのを嘲笑い、 人の作物をいため、人の器物を壊し、人の暮らしを苦しくさせる。
そのほかの悪行も挙げているが、 これはだいたい不道徳、非人道的な項目がほとんどで煩雑になるため、 これぐらいにしておく。普通の常識があればわかることばかりである。 ここではごく基本的に人の行ないとして、どういうことが善行でどういうことが悪行なのかということを記しているかを知っていただくことにとどめ、 むしろそのつぎの葛洪の述べたことに注目してほしい。
葛洪はこう云っている。 悪行を積み重ね、ある程度の数量になると人の命数を司る神がその人の算紀 (三日ないし三百日の寿命)を奪う、と。この算紀が尽きれば人は死んでしまうのであると。
そして、 厳密にはただ悪だけあって、それほど目に見えた悪事をはたらいてない者に対しては「算」を奪う。もし、人に危害を加えるような悪事があれば「紀」 を奪うのだと。
少し説明すると、 算は年齢のことで一年の命数であり、紀はここでは十二年の命数というふうに理解できる。当然、 人に危害を加える方が罪は重いので損ねる寿命の長さもそれだけ長いのであろう。
先祖のやり残したことは子孫に及ぶ
さて、もし 「算紀」がまだ尽きないうちに勝手に死んでしまった者、 つまり自殺したり、 殺害されてしまった場合だと思われるが、 その場合は死んだ本人が受けるべき災厄がすべて子孫に降りかかるという。
人の財物を横領した徒輩の場合は、 その犯人の妻子や近親者の善行の数量との相殺になることもあるという。つまり、 その遺族たちの善行がある程度、積まれていなければならない。 差引き勘定でマイナスになれば、災禍が及ぶことになるというのだから、 やはり悪行の報いはその罪を償うことなくしては消えないのだろう。
それでも、 すぐに報いがやって来るわけではないという。
もしも、 その悪行がその遺族を殺すほどのものでない場合は、かなり時間がたってから、 水難・火災・強盗に遭うか、 器物(大切にしている物であろうか)をなくすか、 お上の咎めに遇うか、 病気に罹ることになるらしい。
病気に悩まされるような場合、 医者を呼び薬を買うか、あるいは犠牲をはかって病気平癒を神に祈る羽目になるかの違いはあっても、それにかかる費用が結局、 他人から横領した額をちょうど充たすだけになるはずであると葛洪は云う。
とすると「因果の理法」 は厳然と作用を及ぼすということになる。たとえ、国法に触れずとも因果法 (宇宙の道理ともいうべきか) からは逃げおおせるものではないと言ってよいのだろう。仏教に説く 「悪因悪果」や「善因善果」と同じことなのであろう。
だから道家ではつぎのように言っているという。
罪もない人を殺すというのは、 刀で刺し違えるのと同じことだ。相手の恨みも構わずに不正に財宝を奪い取るのは、 腐った乾し肉で飢えをみたし、 毒酒でのどの渇きを止めるようなものだ。 一時は満足できても、 やがて死なねばならぬ、と。
悪事を行なっても、 悔い改めようという人は
おそらくほとんどの人が悪行をはたらいた後で 「あんなことをしてよかったのだろうか」と悔いるはずだと思う。 普通に人間として生きて来たのなら、それぐらいの感覚はもっているからである。 そういう人にとっては救済されるのだろうか。
そのことについて葛洪はこうはっきり述べている。
�無実の人を殺したことのある人は、 死なねばならぬ人を救うことで罪を帳消しにすることを心掛けよ。
�不当に人の財物を奪った人は、 貧困者に施しをすることで罪滅ぼしを心掛けよ。
�他人に不当な刑罰を加えたことのある人は、賢人を推薦し、 栄達させることで帳消しするよう心掛けよ。
さらに結論づけて、 こう締めくくっている。
「すべて犯した罪の二倍の善行をすれば、すぐ吉運が得られる。これが禍を転じて福となす法である。 こうして右の罪の一つをも犯さずに済めば、必ずや寿命は延び、仙道修行は速成するだろう」
この話は実に分かりやすく、 誤解を生じる余地がない。端的に言えば、右の三項目の悪行を犯さないように普段から注意することが肝要となる。
とりわけ現代においては暴力団やヤクザ、警官などが�の罪を犯しやすい。
窃盗・ 強盗・ 空き巣狙いの泥棒などは�の罪を犯しやすい。
弁護士・検事・ 判事などは�の罪を犯しやすいので、 よくよく己を律することを忘れてはならないだろう。
みなさんこれを読んでどう思いますか?
陰徳の大事さが解ったと思います。
なんでもいいです。陰徳を積んで人生を良い方向へ導こうではありませんか!
みんながやった良い事をこの提示版に書いてください。
一日一膳です。一つでいいのですよ。
誰かを慰めてやった事、ゴミを拾った、提示版で質問者に回答して
あげた。このような事でも陰徳です。少しずつでもやっていきましょう。このスレを読んで実行できる人はハッキリ言って運の良い人です。
ここのスレ主殿は良いことを教えてくれるのぉ。
真に勉強になったわい☆★☆★
わらわも少しずつながら徳を積んでみるか♪
ありがとう☆
メリルさん一日一膳でいいですよ^^
大事なのは続ける事です。
善行が積めない時はせめて悪行を積まない事に注意します。
誰かにプレゼントを渡して喜ばす事も陰徳ですよ。
導かれました。私の場合まずは自身を改めなくてはなりません。
到底、私に徳があるなど思えません。
改めるチャンスを頂きました。
少しづつ徳を積みたいと思います。よいお話ありがとうございました。
>>33
おっほっほ♪
とりあえずわらわの妹に小遣い1000円やったぞよ☆(若干レア番号444454)
日ごろわらわの犬(トイプー)の世話してもらってるからの。
ところで開運太郎殿、これはまだ陽徳かのぉ?
>>35
メリルさんのその行動は一人の善を讃える行為なので一善になります。その調子でがんばってください^^
普段の行動をこの功格表サイトでチェックして点数をつけてみてください。
「善行」http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/a3/18a1ea0f30f830bf4e54fa3327e2bd8b.jpg
「悪行」http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/2d/5edb984cc31081f6bc4e66def941ed5c.jpg
参考サイト
http://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/e/a85a628cfb368883b294a491a1e6939c
http://www.daitouryu.net/1156557596539/
http://members.jcom.home.ne.jp/ikedazisui/juntei.htm
陰徳でなくとも仕事を頑張れば運命は変わるのでは?少なくともおれの場合はそうです
>>37
仕事をがんばるのはもちろんですが、陰徳を積めばより良くなりますよ^^
彼方にとって開運とはなんですか?
>>39
それはたいへん難しいテーマです。
開運とは人によって定義が違います。それは人によって事象に対する幸福の度合いが違うからです。
開運する・・・それはすなわち追い風に乗る事です。
開運する・・・それはすなわち命運を超える事です。
開運する・・・それはすなわち幸運を掴むことです。
わたしは開運について何十年も考え研究してきました。
その結果、陰徳を積むのが一番効果がある事に気づいたのです。
何か質問があれば言ってください。私の答えれる範囲で答えます。
失礼しました。実は何十年も研究しません。
という事はスレ主自身すでに開運していると?
>>42
陰徳を積む事で状況が良い方向に流れています。
実に簡単な事です。
コンビ二の募金箱に募金しました〜
がんばって陰徳つみます。
わらわも神社で参拝でもするかのぉ♪
神社参拝も開運する一つの方法ですねぇ
やはり悪いことをするより良いことをするほうが良いのぉ☆
そうですねぇ、良い事は良いエネルギーを生み出しますから気分も良くなりますよ。
>>48
開運太郎殿、ちと聞きたいのでするがこまめに電気を消したり水を出しっぱなしにせず節水したり、
スーパーでレジ袋を使わずマイバックを持っていくというのは陰徳積みになるのかのぉ?
思うのだけど、ほんと微量な徳だね。
微量すぎて開運できるかどうか微妙なのでは?
おれはお水取りという方位神参拝の開運法をやってる。
まずまず開運してるよ
開運さん…
開運太郎っていうHNがうさんくさいのでは…???
言ってることは強ち間違いではないとおもうのですが…((←あまり読んでいない人;;
>>50
確かに微量な徳ですが塵も積もれば山となるってことわざもありますし、
やらないよりやったほうが良いと思いますよ^^
>>51
>開運太郎っていうHNがうさんくさいのでは…???
人のHNにケチつけるのは酷いから止めたほうが良いと思います。
「ま○こ」とか「ち○ぽこ」などのHNに比べたら遥かに良い名前です。
あなただって前のHNは悪魔だったのに人のこと言えるんですか?
>言ってることは強ち間違いではないとおもうのですが…((←あまり読んでいない人;;
ここは徳を積んで開運するスレです。あまり読んでないなら読んできてください。
このスレが気に入らないなら来ないでください。
>>52
>ロゼリアさん
こんばんは。
言い分は最もなところもありますが そこまで言うことないのでは?
彼女は今 HNも改めていますし、強ち嘘ではない…という処から こちらのスレが気に入らない から という意見ではないと思いますよ。
あなたの 引き合いに出したHNのほうが 余程下品で不快だと思いますが。
もっと別な表現もあるはずです。
横から失礼しました。
>>53
ユーリ。さん、始めまして。
>言い分は最もなところもありますが そこまで言うことないのでは?
なら暁菜さんの言った「開運太郎っていうHNがうさんくさいのでは…???」と言う言動は正しいのですか?
個人の気に入っているHNを胡散臭いっていわれた人の気持ちはどうなのですか?あまりにも開運太郎さんが可哀想です。
個人の気に入っているHNを侮辱されてHNを変える人だっていると思います。
はっきり言って私は暁菜さんの言った言動は許せません。
こんばんは開運太郎です。
ロゼリアさんは私ではありませんよ。
いささかスレが荒れ気味ですね。
>>メリルさん
それは開運の基本ですね。陰徳とはまた違った形ですが、節制する事で開運する方法を説いた方がいます。水野南北という人相の名人がいましたが、彼は飲食を慎み節制する事で開運する事を説いた方です。
節制する事は開運に繋がりますよ。
>>50
ダンさん、気学の方位術をお使いだと思いますが、気学の方位を使った効果は陰徳に左右される説もあります。人によって効果が違うのは徳の差なのかもしれません。ダンさんに効果があるのはダンさんに徳があるからとも言えます。
>>55
開運太郎さん、スレが荒れ気味になってすみません。
私も開運太郎さんのお話や紹介してくれたサイトでとても感激しました。
私がいるとまた荒れ気味になりそうなのでもうこのスレには来ませんがとても参考になりました。
どうもありがとうございました。
>>49 メリル様
少々失礼致します。
それは今の時代、当たり前の事柄で御座います。
まだ皆様方『全ての意識』に組み込まれるには時間がかかるようですけれども、それでも本来『当たり前』の事柄で御座います。
あなたは日常行動全てに『陰徳』勘定をされて生きるので御座いますか?
陰徳のために人生を費やされるので御座いますか?
人生を豊かにするために陰徳を積まれるので御座いますか?
この違い、良くお考え下さいませ。
>ロゼリアさん
はじめまして。
言い分は最もな処もあるといいましたでしょう?
歪曲をしすぎです。正しいなどとはいってはいないですよ(^^)
それに暁菜さんは、胡散臭いのでは?と問い掛けています。言い切りではないですよ。
では 間違いを指摘されるほうは、どのようなキツイ言い返しをされてもよいのでしょうか?
指摘は相手さんに 素直に入っていく言い方でないと意味がありませんよ。
ニュアンスも汲まれずに真っ向から否定されたほうも可哀相ですよ。
横から失礼しました。
トリリアンさんの言われてる事、最も基本な行いだと言えます。
一番明確で近道なのは、やはり『ボランティア活動』に他なら無いでしょうね。
なぜかこのスレ好きなんですよね。スレタイを見ただけでピンときて。気学は徳に左右されるかあ。うーん。
功過格書くのだったら准胝呪も載せたほうがいい。
功過格だけど、もっとも善悪の基準は時処によって変わらないのかな♪
袁了凡の後年の明軍の先方(参事)戦争参加は、彼の過格を増やさなかったのだろうか。
徳を積めば開運するのは本当かな?
宇宙銀行という本が徳について解りやすく書いてます。
暁菜さん、ユーリ。さん、少しきつく言いすぎました。
ごめんなさい。
byロゼリア
>ロゼリアさん
こちらこそ 横からすみませんでした。
いつか どこかで ご縁があったときは どうぞ宜しくお願いいたします・・・
みなさん徳を積んでますか?
ソフトさんそれは本当です。
宇宙は正直で善悪の判断がありません。
あなたの行動がそのまま返ってくるだけです。
宝くじ高額当選した人って徳が高いよね。
宝くじで高額当選した人が病気になったり落ちぶれたりした話をよく聴きます。
運とゆーのは数が決まっていて、良く運を
使い果たすと言うけれど・・そゆことかな。
こんばんは。
開運すること山の如し。
3日前に新しい開運方法を発見しました。効果抜群です。
聞きたいですか?
>>71
おしえてくれなきゃ負けかなって思ってる。
聞きたい人はマジレスさんだけですか?
5人以上の書き込みがあれば効果抜群の開運方法を公開しようかと思ってます。
5人以上書き込まないと絶対に許さないよ
ぜひ ぜひ ぜひ。
私自身は徳のない人間です。
日々何事にも感謝する事が大事です。
感謝するだけで開運するのは本当でした。
最初は嘘でもいいので嫌な事があってもありがとうと言ってみましょう。不思議と流れが変わってきます。
人生には流れがあります。その良い流れに乗っている人を運の良い人といいます。感謝するだけで流れが変わる。常に変化している流れの中で良い流れに乗るには感謝が必要でした・・・
これは私にとって発見です。
平行宇宙という考え方があります。良い宇宙の流れの中に身を捧げるには感謝がキーです。これを読んだあなたはキーを手に入れました。
その鍵をどう使うかは貴方の自由意志に託されます。
今日は人に道をおしえてあげたよ!
陰徳を積めば幸せになれる証拠でもあるんですか?
あぁぁっ;
ごめんなさいっ;
>ロゼリアさん
>開運さん
>ユーリさん
私がいけなかったです〜…;
今読んでみると『酷い』…という言葉が脳内をぐるぐるします
でも『今読んでみると』じゃだめなんですょね…
『繰り返さないようにすればいい』なんておもわないこと…です…;
すこし悔しかったんです;
開運さんは本当は…
なのにそんな…って…
でも それは私の個人的な意見、見解で…;
一方的に押すことではないですし
人を傷つけてしまう可能性があることに
よく考えれば気付ける環境にあったのに
自分が『言いたい』とおもった
なんて勝手な理由で軽い気持ちで
レスしてしまって…;
不快に感じた方、傷ついた方が少なからずいらっしゃるとおもいます
本当にすぃません…っ;
これから 繰り返すことのないように気をつけますので
これからもよろしくお願いします。。。
中々気付けない人が多い中、暁菜さんはちゃんと気付る人なんだから大丈夫。
比奈さん
気付ける人である
ことは確かに大切だとおもいますし
そうありたいとはおもいます。。。
でも『気付ける人』だからって
「あ、傷つけちゃった」「あ、また傷つけちゃった」
ってそのたびに繰り返してからまた気がつく
じゃ……
どうして気付けたはずなのに
傷つけるまえに気付けない
これじゃあなんだか…
って なるんです
それに、元々、そこまで『気付ける人』ってわけじゃないですょ^^;
早く陰徳を積めば開運する証拠を見せて下さい!
証拠をみせてくれなければただのたわごとに過ぎませんよ。
>>81
もちろん何かを伝える時には相手の気持ちを十分配慮した上で言葉を発しなきゃいけないんだけどね。
私はたまに掲示板では言いたい事言ってたりしますが(-_-;) イカンです、ハイ…
>>81
もちろん何かを伝える時には相手の気持ちを十分配慮した上で言葉を発しなきゃいけないんだけどね。
私はたまに掲示板では言いたい事言ってたりしますが(-_-;) イカンです、ハイ…
陰徳を積むことこそ開運する秘訣なのです!
みんな開運した?
気学のお水取りでゲットした缶コーヒーをバイト仲間に配った。ちょっと開運した
>>82 陰徳を積んだことにより開運したかどうかなんて人間の目では確認できませんよ。ただ、因果の法則によって善事を積めば善果があり、悪事を積めば悪果があるというのは本当でしょう。
因果の法則が疑いようのない事実でも近くのことや小さいことしか見えない人間の目には分らないので、「神のみぞ知る」となるのでしょうね。
コンビニや行き付けのカフェで10円募金を続けていたら
昨日、無料招待券があるけれど行かない?と友達からTelがあった。
聴きたい人のコンサート券だったから嬉しかったけどこれも募金の陰徳の
お陰かしらね?
>>89
私も行きつけのコンビニで1ヶ月ぐらい募金を続けてたら
今まで一度も当たった事のない懸賞が当たった・・・
これって陰徳の効果なのかな?
あたしもさ〜この間たまたまポケットに入っていた1円玉一枚だけを募金箱にいれたらさ〜
良いことあったのよ。どういうわけか。
そんなさちょと募金したぐらいでいい事がある訳ないじゃん
陰徳を積むと言うのは天にいい貯金をしているという事ですよ。
良い目安として自分の給料の1割ぐらいは毎月寄付しましょう。
30万円だったら3万円。
出したものは帰ってきますよ。なぜなら、この世は全て自分がやったことが戻ってくる形になっているからです。
人を傷つければ自分もそのうちに誰かに傷つけられるし、本当に何もできない貧しい国の子供達とかを助けていると自分も人生でも困っている所に支援があったりすると思いますよ。詳しい戻りの法則はどうなっているかわかりませんが、必ずなんらかの形でもどってくると思います。
>>92
それがあったのよ。良いことが。
ズヴァリ言って金額じゃありません!!!!!!!111心です!お気持ちです!!!!11
>>94
いやよ。給料の一割ってモルモン教と同じじゃないの。
>>95
モルモン教と同じ
おれも思った
せっかくの陰徳積みも宗教臭くなったら何だか嫌よね〜。
もっと気楽にやりたいもんだわ。
得を積むこととは宗教臭かったりするのよね〜(^∞^
1割はキリスト教もユダヤ教も同じですよ。
イスラム教で恵まれない人に寄付する制度もあります。
全ては宇宙の法則ですよ。宗教臭いからと言って徳を大きくしないのはあなたの器が小さいと思いますよ。
寄付しようがしまいが、あなたがあなたの人生の主役ですがね。
でも全ては法則によって返ってきますけど。
法則とゆーのは実際有るみたいですね。
芸能人がよく一部を寄付するとゆーのを聞いた事がありますし・・