スレッド建立の意図はタイトル通りとも言えますが、以下、簡単に注釈します。
哲学的な議論あるいは対話を目的とするスレですので、主張・批判・問題提起などを行う場合、原則としてなるべくその理由・根拠・論証等を提示してください。
「原則」としてというのは、これが他者へのたんなる侮辱的発言のような哲学的に無意義な投稿を排除するためのいわば常識的要請だからで、そんなに堅苦しく考えていただく必要はありません。
テーマはその都度(ある程度流れの考慮は期待しますが)自由に設定してくださって結構です。
また、他のスレでの議論の流れの行きがかり上、タイトルテーマからはずれてしまうような場合、ここで続きを行う、というような利用—より一般的に、いわば「メタ・スレッド」としての利用—も可としておきます。
ふくろうさん
今は何の勉強してるんですか?
私は少しサボり気味ですが、キルケゴールを少しずつ読んでます。
気まぐれさん
今は論理学。だけど頭が悪くて(笑)
それと、この数日、ニークラで少しやりとりしてます。あまり深入りしないほうがいいとは思ってるのだけど…
キルケゴールか〜
私も読みたいけどな〜、とにかく理解力なさすぎで、嫌になってしまいます。
アレ、ぼやいてもた。スミマセン
うちの知っている昔のふくろうさんは、いけずな(えげつない)関西弁なんか使わへん・・
①うち以外みんなグル
②数人がグル
③関係ない人ばかり
偽ふくろうさんは②グループでしょう・・
>>835
ふくろうさん
論理学ですか!私もやろうと思っていてできていない分野です。
矛盾許容論理とかですか?
ニーチェクラブ読みました。
まだ少し続くかもですね。
ちょっと思ったことがあって、うまく言葉にできるかわからないのですが…。
一般常識的なものが頽落した価値観だとして、その価値観を否定することと、普遍的な価値を否定することの差異みたいなことを少し感じたんです。
世間(世人)を支配する価値観を否定することは普遍的な価値観を否定することにはならない。
ただ、その普遍的な価値観というものは捉えどころがないというか、語りえない。
客観的にはそういう構造になっていて、私個人としては、その普遍的価値というものを、その内実を感じられていない。
かといって、普遍的価値など無いとして各個人で価値を創造することを肯定することもできない。というかピンとこない。私自身にその意志(価値を創造しようという意志)が見いだせない。
こんなことを思ったんですけど、ぜんぜん的外れだったりします?(笑)
>>837
気まぐれさん
おはようございます。
>こんなことを思ったんですけど、ぜんぜん的外れだったりします?(笑)
********************
いやいや,まさにドンピシャよ(笑)
さすがだね。
簡単に言うと,相対的意味・価値と,絶対的意味・価値の話です。
で,絶対的価値がいまいちつかめないってことだよね。
宗教的真理についてはわかりにくいかもしれないけど,芸術的価値だったら,わかりやすいんじゃないかな?
例えば、バッハ,モーツアルト,ベートーベンなど,芸術作品の価値について考えるとき,我々は実際にというか事実として明らかに,超越的かつ普遍的価値とみなしていると思うけど。
ま,とにかくこの問題,キルケゴール,ヤスパース,後期ハイデガー,フランクル,レヴィナスの系列に深くかかわる問題で,キーワードは「外部」「他者」です。
私見では,ウィトゲンシュタインの宗教思想もこの系列に入ると思います。
私としては,フランクルの思想が宗教性を表面上は押さえているので,比較的抵抗感が少ないんじゃないかと思うんですけどね。
『夜と霧』もいいですが,私としては,
V.E.フランクル『それでも人生にイエスと言う』(春秋社)
をススメます。訳者解説がきわめてよくまとまっていて,フランクルの思想がわかりやすいです。
また,気が向いたらどうぞ。
論理学だけどさ(笑)
矛盾許容論理は哲学的論理学なんだけど,実は私はあんまり興味がなくて,
今やってるのはブール代数とか論理代数方程式なんかの情報数学系の論理学で,私にはちょっと抽象的すぎてわかりにくいんだな,これが(笑)
>>838
ふくろうさん
>例えば、バッハ,モーツアルト,ベートーベンなど,芸術作品の価値について考えるとき,我々は実際にというか事実として明らかに,超越的かつ普遍的価値とみなしていると思うけど。
当然ですけど、芸術的価値にも相対的なものと絶対的なものがありますよね。
一部の人はその絶対的価値を見出していると思いますが、その他大勢は世間の評価に追従して価値あるものとみなしているだけで、その本当の価値を実感できているわけではない。
この私の発言自体が、一歩引いた視点からは絶対的価値を見出してはいるけど、絶対的価値そのものに一体化できていない…、といった感じです。
まあ、つまりは私の課題です。
今日外出の予定があったので、図書館で「それでも人生にイエスという」を借りてきました。
昨日「ハイデガー=存在神秘の哲学」(古東哲明)を借りたばかりなので、GW中に2冊読めたらいいなと思ってます^^
論理学の方は私は全然ついていけないです(笑)
ふくろうさんでさえ分かりにくいなら、私にはチンプンカンプンだろうなぁ。
地下水さんとかは詳しいのかな?
情報数学系の論理学はウィトゲンシュタインに関係したりするんですか?
>>839
気まぐれさん
いや〜、自分を誤魔化せないその自己省察、哲学的だね〜、好感もてますね〜(笑)
その2冊、私としては強力推しのやつです!
面白く読めればいいですね〜
情報数学系の論理学は、ウィトゲンシュタインとは直接関係ないんです。実は私自身の論理学上のあるアイデアがあって、それをちゃんと形にするにはそのあたりのスキルが必要なんです。いわば、家の設計図はある程度描いたものの、大工さんの技術がないから家を建てられない、って感じ(笑)昔、ここに京大の数学の院生がいて、彼ならあっという間に形にできるだろうなと思うと、自分が情けなくて(泣)
気まぐれさんは数学はどうです?
できるなら論理学大丈夫ですよ。
あ、それと、『論考』の論理学も、それとは別に考えてはいます。
>>840
ふくろうさん
存在神秘の哲学も強力推しだったのですね。
別のサイトでてじさんが推していたので、借りてみました。
この本からハイデガーに入ればよかったかなと思いました(笑)
数学は…、アレルギーはないけど得意というわけでもないって感じです。
やろうと思ったら基礎から復習しないとダメでしょうね。
ふくろうさんは設計図はある程度書けたってことでしょうかね。
次の段階に進んでるってことなんでしょうね。
内容は全然わからないですが、大工の技術と設計の技術は頭の使い方が違う気がします。その京大の彼が、ふくろうさんの設計図を書けるとは限りませんしね。
すんなり理解できないからこその発見みたいなこともあるかもしれないですよ!
「論考」の論理学は常に頭にあるという感じでしょうね^^
私も頭の片隅に常に西田が鎮座しています(笑)
私の知り合いの知り合いは数式の真理を追求していらっしゃいました・・
他の大学の仲間も多くアルバイトにトラックの運転手をしていらっしゃいました・・
タクシーの運転手さんも同志〇出身の方とか・・
ふくろうさんが偽物で無いのなら・・
『真理に矛盾が含まれてもいいのか?』
これに答えられると思います・・
数式で真理を見つけられようとしていた方は京大の方です・・
>>841
気まぐれさん
あれ?『存在神秘の哲学』ですが、私、気まぐれさんにすすめたことありませんでしたっけ?
以前、1,2回誰かに勧めた記憶があって、気まぐれさんには合いそうだと思っていたので、てっきり勧めたとばかり思っていました。
私、実はけっこう古東ファンで著作もいろいろ持っているんですよ。
論理学の件、慰めありがとうございます(笑)
確かに自分の関心のあることしかやってこなかった者の有利な点は、縛りのない発想の自由さにあると思います。
でも、絵に描いた餅じゃ誰にも相手されないし、発想が新しいほどトンデモ説としか思われませんからね。
ジレンマですが、もう弱音を吐いてても仕方ないので、何とかしないとと思ってます。
ところで、てじさんがいるのって、『思想·哲学·文学·芸術の会』でしたっけ?
気まぐれさん、参加してるんですね。
どんな感じですか?
毎日聖恵ちゃんでシコってます。
>>844
ふくろうさん
ふくろうさんにはいろいろお薦めいただいてますから、もしかしたら私が忘れているのかも…。
いずれにせよ、読んでよかったです。おもしろかった^^
ちょっと思ったのは、存在神秘というのは少しバイアスがかかっていないだろうかということです。私がひねくれているだけかもしれないですが、「万物は無くてあたりまえ、無いことこそがオリジナル」と捉えること自体に偏りがある気がするんですよね…。存在と無は等根源的で、だからこそ一瞬即永遠と言える気がします。
まあ通常、存在することが当たり前と思われているから、無いことが当たり前と強調することで中和しているとも考えられますが。
論理学の件、お力になれず歯がゆいですが、応援しています^^
はい、『思想·哲学·文学·芸術の会』です。
参加はしていますが、今はほぼROMです。
あまり積極的に参加できてはいないです。
現象学に詳しい方がいるので、その方の発言には注目しています(最近現れないので、それもあってあまり参加していないです)。
今は哲学のサロンは静かですね。
5月は純理の読書会をやるようです。
あとは、NHK教育の「100分で名著」の番組感想会見たいのがあるので、興味がある課題図書の時だけ、読んだりしています。
その会はボイスチャットが主流なんですけど、私は自分のしゃべりにコンプレックスがあるので、参加できずにいます。
>>846
気まぐれさん
「万物は無くてあたりまえ、無いことこそがオリジナル」ってことに関しては、私自身はこう捉えています。
自己の死について考えると、自己が存在することに何の必然性もないことに気づいて、生世界全体が偶然性=不安の様相を呈します。
つまり、〈在る〉ということに何ら必然的根拠がないこと。
まさに一瞬先が死=無であっても何ら不思議ではない。
なにしろ存在すべき必然的理由・根拠がないのだから、本来、存在しなくても当たり前だろう。
にもかかわらず存在する。存在し続けている。これって、不思議なことではないか?
ま、そんな感じです。どうでしょうか?
論理学の件。
励まし、ありがとうございますm(__)m
ガムバリマス^^
『思想·哲学·文学·芸術の会』は、じゃあ、それほど活発ってわけでもないのかな。
てじさんは、『存在と時間』の逐語訳はやったんだろうか?
あるいはハイデガーの読書会をしてるのかな。
pipitさんもニークラでカントや仏典を読んでるけど、なかなか大変だよね。みんな、えらいわ。
自分が怠惰なだけか?(笑)
>>846
補足。
古東さんの本、すすめたかどうかわかりません。
何しろ、いろんな人にすすめて、よかれと思ってやってるんだけど、結構はずしてもいるんで、これでも抑えてるってとこもあります。
特に、気まぐれさんにはあれもこれもすすめたくなるので(笑)、すすめていいやつなのにすすめ忘れたのかも(笑)
ま、とにかく私の推薦本は、気が向いたらでいいので、気にしないでください。
>>847
ふくろうさん
仰ることはわかるつもりです。
それを否定するわけではないですが、何もなくてもよかったのに何かがあることが不思議と思うこと自体が既に、在ることに価値を置いているきがするんですよね…。
存在しないと存在するのが不思議とは思えないから、存在するのが不思議なのは当たり前だみたいな…(笑)
『思想·哲学·文学·芸術の会』は略称をアープラ(Association of Religion, Philosophy, Literature and Artのアクロニム)っていうんですけど、少なくとも毎日誰かが何かを発信してるので、ここやニークラより活発かも。ただ哲学のサロンは静かなだけで。
私は参加できてないけど、てじさんはいろいろやってそう。
pipitさんも頑張ってますね!
私は読んでばかりです。いつか何かできたらいいけど、今のところ何も思いつかないですね。コロナ落ち着いたら坐禅でもしようかなとおもってますけど。ほんとにやるかは微妙(笑)
ふくろうさんはこれから論理学を身に着けてバリバリやるでしょう!
>>848
いろいろ紹介していただいて、感謝してますよ!ありがとうございますm(__)m
>>849
気まぐれさん
>仰ることはわかるつもりです。
>それを否定するわけではないですが、何もなくてもよかったのに何かがあることが不思議と思うこと自体が既に、在ることに価値を置いているきがするんですよね…。
>存在しないと存在するのが不思議とは思えないから、存在するのが不思議なのは当たり前だみたいな…(笑)
うん、鋭いと思います。
さっきは書きませんでしたが、私も、もともと最初に「世界が在ることの不思議」があるんだと思いますよ。
ほら、哲学は驚きから始まるってやつです。
ここには既に価値や意味が含まれています。
たとえば壮大な自然や美しい風景に息をのむとき、なんでこんなものがあるのか?と思うじゃないですか。
自分の存在の不思議さもそうです。
ところが、その存在の不思議さってのは、語りえぬもののわけです。
つまり、こういった存在についての問いは、アプリオリに科学によって説明可能なものではありません。
で、端折っていうと、それをあえて哲学的に言語化しようとするのがハイデガーの存在論、ってことかな。
そうすると、ああなっちゃう(笑)
いずれにしても、気まぐれさんの、そういったセンスはある意味哲学的才能じゃないかと私は思いますよ。本人はうれしいかどうか知らんけど(笑)
とりあえず、これについてはこのへんにしておきましょう。
ではまた。
今日も聖恵ちゃんでシコってます。
>>850
ふくろうさん
タウマゼインですね!
了解です。
ありがとうございましたm(__)m
またお願いします^^
気まぐれさん
補足です。
私、存在の不思議さについては先述の2つの感覚があるのですが、気まぐれさんの指摘を受けて、これらのつながりを言語化しようとしたのですが、上手くできません。
これは気まぐれさんに貰った問題意識なので、お礼を言っておきます。
感染(うつ)してくれて、ありがとうございますm(_ _)m(笑)
>>853
ふくろうさん
ふくろうさんに刺激を与えることができたなら、私としてもうれしいです^^
長崎市での細川先生のコロナワクチンに関する演説です。
よろしければ視聴してください。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm39801879
存在の不思議・・幼稚園児でしょうか・・(苦笑)
自己存在の根源を求める意味や根拠が暗中模索に過ぎず、
懐疑や絶望としての自からの可能性へと立ち還らせ概念的に捉える事の出来ない確信として現れる。それを哲学するのが魂の運動・・
こういう人でないと実存開明や哲学する飛躍は出来ません・・
まあ、存在論はアリストテレスから現代まで、形而上学の中心問題だからね。
高校倫社レベルのタンチョウさんには、到底理解不能だろうね(^^)
今日も聖恵ちゃんでシコってます。
>>857
ふくろうさんが初級の語学力で原書を読んでも『望文生義』でございます。
ふくろうさんに高校倫社満点の実力があるなんて到底思えません・・
ふくろうさん
ふくろうさんの真理に矛盾がありますか?
答えられないでしょうけど・・
>まあ、存在論はアリストテレスから現代まで、形而上学の中心問題だからね。
高校倫社レベルのタンチョウさんには、到底理解不能だろうね(^^)
フクロウさん、あんたも分かってはいないだろうに。あなたレベルでは分からない問題だw
う〜む、さすがにチーズさんとshinwoodさんに貶められても、痛くも痒くもないなあ。
かまってあげられなくてごめんね^^
ふくろうさんの『負け惜しみ』・・
私の誠心誠意の哲学に対してその舐め腐った態度・・情けのうございます。
もう一度言わせてもらいます・・
shinwoodさんもふくろうさんも目が悪い御老体なので長文・難文を避け気を遣います。それに反してその舐めた態度は相当格下の態度でございますよ・・
存在は光の海・・沈まぬようご自愛なさいませ(´-`*)
ふくろうさん
イケズせんでもらいたいですよ・・
ヤスパースさんの形而上学の本は一冊32万8千537円・・
皆が買えないようにしないで下さいよ・・
万人に読めるようにして貰いたいです・・
今日も聖恵ちゃんでシコってます。
ふくろうさん
ヤスパースさんの本が一万円台に戻っていました・・
父親の知り合いの人が片目が見えないのですが片目を手術したら凄く見えるようになって85歳で運転免許更新だそうです・・
医学も発達しているのですね・・
私はまだ眼鏡をかけなくていいのですがるティンで世界が違ったように鮮やかに見えます・・
ヤスパースでしか勝たん!
ルティンと書いたつもりなのに・・誰が・・
哲学は合理的な普遍妥当性の中に自らを固定し閉鎖しようとする時吹き飛ばされるので
哲学は意識的に、その都度の歴史的な実質を神学的な伝承において捕捉する・・
不死性が実存の飛躍の形而上学的表現であり、
一方脱落が本来的な死を意味するならば
実存が空虚なものでないならただの現存在だけでは無いといえる・・
ふくろうさん
私は中学レベルの短大を卒業して
編入で無く受験して一年生から大学に入りました・・
一度合格していた中堅大学に落ちたのであまり勉強せずには入れた大学の哲学科に入りました・・
その大学があまりに簡単だったので一流国立大学を目指そうと思って大学を中退しました・・
もともと現役の時二次試験で習っていない化学Ⅱで失敗したのです・・
多分ふくろうさんより倫理学は私の方が点数取れていたと思います・・
きついこと言うと・・ふくろうさんはヤスパースさんの10分の1にも満たない哲学レベルですよ・・
議論にならないでしょう・・
あんまり馬鹿にするから哲学準備万端でございます・・
学歴ロンダリングを知っていれば卒業していたと思います・・
やりすぎ都市伝説名言
「目立ちすぎると弾圧される」
第二次世界大戦で優秀な人はほとんどお亡くなりになってどうでも良い人ばかりが残ったそうです・・
受験戦争も優秀な人は消えました・・
どうでも良い人ばかり残ったのです・・
衰退が早まっています・・
存在は光の海
沈まぬように
ふくろうさんは光が強すぎて目を痛められたのでしょう・・
ふくろうさん
最近私が大学で最後の授業を聞いた哲学の先生が哲学より詩人として有名だったことを知りました・・
家族によると大学の先生は生徒を合宿させて一から鍛えられるそうです・・
私は先生とそんな関係になったことはありません・・
それでもヤスパースさんと○○(○○)先生という哲学に出会えてインターネットで先生の論文を読むことが出来ました・・
ちょっとばかりインターネットも良かったです・・
若い子には薦めませんけど・・
この年になってから哲学は良いですね・・
哲学は科学でも心理学でも芸術でもありますが
それを超えているものがあります・・
それが形而上学です・・
子供の時にやるものではありません・・
知は自らがその限界に面して諸々の二律背反に接して
矛盾の無い思惟可能性が滅び去る・・
知を超え出でて合理的でない真理が包越するものとして浮かび上がる・・
宗教の奥義『神』と
哲学の奥義『真理』
一致しないなら争いが起こります・・
ありがとうございます。
水星の近日点の移動(書き改め、9月16日またはその前後の投稿の)
水星が一点として描かれた軌道の図があります。しかし水星にはサイズがあり、そのサイズは水星の重力また遠心力の大きさを僅かに増加させるでしょう。考察の対象を近日点から遠日点に至る軌道の半分に限りましょう。重力の増加は遠日点を公転の方向へ移動させるでしょう。対して遠心力の増加は遠日点を公転の反対方向へ移動させるでしょう。プラスマイナス重力の増加が上回っているのでしょう。
思惟できない世界を思惟する・・思考の飛翔・・
カントさんは理性の限界を示しました・・
理性の限界を理性で補う飛翔の仕方がヤスパースさんです・・
ふくろうさん
どんなに論理学をしても無駄ですよ・・
不完全だから・・
論理の限界状況で失明されませんように🙏
限界状況まで突き詰められたことは無いでしょうけど・・
普通は解らないまま・・
限界状況でしか超越者には出会えません・・
豊かだなあ。
ふくろうさんは存在の不思議段階・・
実存は存在の確信段階・・