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『哲学とオートバイ』

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[0] こりこり 2008/04/11 06:33

オートバイは、乗るものに「自立」を要求する。
オートバイに乗り、そして、それを語ること。
それは、「哲学すること」に他ならない。

(ほんとうは、
ふくろうさんに立てて戴きたかったのだが^^)

哲学するもよし。
あれこれ雑談するもよし。

472件のコメント 423番から472番を表示中

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[423] ふくろう 2008/08/02 09:30

しかし、カーナビは根本的にその意味が地図と異なります。
カンタンに言うとカーナビは世界の偶然性を排除し、世界をを既知のものへと変えてしまいます。
目的地へ着くのは当たり前、必然的に着かねばならない。
つかなければ腹をたててしかるべきものとなります。
宝の在りかを示した地図をもって旅立つ海賊の宝探しは、そこへの到達が必然的に約束されたものではないがゆえに、冒険です。
しかし、カーナビでは冒険ではありえない。
カーナビで行く世界は偶然性が存在せず、どこまでいってもあらかじめあるとわかっている=既知のものが、それのみがあり、そこへと必然的に到達する世界であり、冒険ではありえないのです。

ゆえに地図とカーナビのその存在意味はまったく異なるものだと私は思います。
カーナビはたんにより便利に進化した地図ではない意味をもっているのです。
そしてそれは世界から偶然性を排して、世界を日常化します。
これはオートバイに乗ることの本質的意味と相反する意味を持ちます。
オートバイに乗ること自身が世界の偶然性を取り戻し、未知なる世界へと旅立とうとする行為なのに、カーナビをつけるということは、オートバイに乗るという行為の根本的意味をいわば剥奪してしまうからです。

ちょっとずれますが、設備の整いすぎたキャンプ場を嫌うアウトドアマンの気持ちも、同様に解釈できるでしょう。
日常化されたキャンプ場的アウトドア世界は、すでに“自然”という意味を失っている。
カーナビが冒険の旅から冒険性を奪うように、便利なキャンプ場の利便性は、ネイチャー体験からその自然性を奪ってしまうのです。

[424] み学 2008/08/02 18:50

オートバイなら渋滞をスイスイ
カーナビのこんな道通れないというコンクリにミラーをこすった道
引き返せない、りごうできない、対向車に出会いませんようの道
こんな崖っぷちどうやって行くの道・・(死)
そんな道もオートバイならスイスイ。

[425] こりこり 2008/08/04 05:35

昨日は久しぶりに「ロングツーリング」400キロを走ってまいりました。もちろん、ナビなし、高速SAでもらった「おまけの地図」のみで^^。
豊橋→本宿→豊田→新城→設楽→茶臼山→下条村→飯田→下栗
→飯田→恵那山→中津川→多治見→豊田→岡崎→豊橋

感じたことは・・・「夏は暑い」・・・

[426] こりこり 2008/08/04 05:46

人間もまいりましたが、わが愛車、現代の日本の技術の粋を尽くした「ヤマハXJR1300」もついに「弱音」を吐きました^^

下栗からの帰りの下り坂。えんえんと続くタイトな急坂。
ブレーキに頼るしか減速の方法がない状況。
おいらはうまれてはじめて「フェード現象」というものを体験したのであります。
突然、リヤブレーキが抜けたようになり、まったく「効かない」。
踏み応えが無く、ふにゃ〜〜。
フロントBは無事でありましたが、こっちがアウトになったら「どうするよ!」
しばし恐怖の「ダウンヒル」ではありました。

こういうとき。人間は「哲学的には」考えていられない^^

[427] ふくろう 2008/08/09 08:32

夏バテバテなんで、今日から明日、山の方へ、
ショート・ツーリング+キャンプ
に行って来ます。

[428] み学 2008/08/09 18:57

カーブで体を傾ける時の快感は、何なのでしょう?

[429] こりこり 2008/08/10 04:08

>>428
>カーブで体を傾ける時の快感は、何なのでしょう?

それは、身体をつかってものを考えるときの快感なのかもしれない。

[430] こりこり 2008/08/10 04:11

>>427
>ふくろうさん
気をつけていってらっしゃい。

[431] ふくろう 2008/08/10 21:27

こりこりさん、ありがとうございますm(_ _)m

さきほど7時30分頃ツーリングから無事帰りました。
二日で320km程のたいした距離ではなかったものの、
それでも暑い最中に走るのは、私にはけっこうハードでした。
38度という表示のところもあったぐらいで、見たときにはげんなりしました(笑)。
お盆という時期だからかもしれませんが、
ライダーの数は五月の連休時期と較べるとだいぶ少なかったように思います。
>>425 で書かれていたように、私も「夏は暑い」と実感しました。
でも去年体調が悪くて夏まったくツーリングができなかったことを思うと、
今年は満足です。

昨夜は標高600メートルほどの高原の湖畔でキャンプしました。
さすがに夜は涼しく快適で、夕食はキャンプの定番カレーを食べました。
ちなみにカレーはキャンプの王道ですが、バーベキューはしたことがありません。
夕食後は焚き火をしつつおやつを食べ、コーヒーを飲みながら話をしました。
焚き火については椎名誠が興味深い話を書いており、その影響もあるかもしれませんが、かなり好きなんですよ。
DNAの奥底に格納されている原始の記憶が、焚き火の空間・時間では呼び起こされてくる感じがします。
そう言えば京大霊長研のパイオニアたちが50年ほど前にアフリカのジャングルでフィールド・ワークしたときも、一晩中ずっと焚き火をしてその周りで寝袋にはいって寝たそうです。
朝起きたら近くにライオンの足跡が残っていたりしたらしいです。

そう言えば、さすがにライオンということはありませんが、私は以前、朝起きたらテントの周りが鹿のふんだらけで、驚いたことがあります。
後できいたらそこは鹿の水場で夜中に群れが水を飲みにきてたようでした。

たぶん大昔から火は人を守り、安心させ、癒す力があるのでしょう。
現在の都市生活では火のそういった原始的な意味は失われ、機能に分解されてたとえば「食べ物を熱する・調理する」ということは電子レンジやIHヒーターで代用・置換されていってるのかもしれません。

ただツーリング主体の場合はキャンプ場でそんなにゆっくりできないので、ここのところずっとやっていませんでした。
久しぶりに焚き火はやっぱりいいなあと思いました。
夜空もすっきり晴れていて、満天の星でした。

セローなんかで山の中へ行って、キャンプするのは楽しいだろうなあ^^

[432] こりこり 2008/08/12 04:33

焚き火・・・

よみがえる若き日の熱い情熱の日々・・

恋の炎!!!

消えて・・久しいな。

[433] こりこり 2008/08/12 04:45

そうそう。
おいらも昨日走ってきました。
例によってあてなく走り出し、
ついたところは「御前崎」

海が丸くみえる灯台のある岬でありました。
あーいうところでながめると、海ってほんとに広いのね。

文庫本を2冊ポケットに入れていったのであります。

「西洋哲学史」と「恋するコンピュータ」。

状況的には哲学かな?と思い、哲学史を30分ほど海をまえにして読んできました。
ある意味ぜいたくな読書。

タレスが万物の根源は水であると、言うのもわかります。

海は広いな、大きいな。

[434] こりこり 2008/09/01 07:53

テレビでめずらしくオートバイの番組をやっておりました。
清水国明と国井律子が、山形県を出発点として、青森県の本州最北端、大間岬をめざして走る、という企画物。
ロングツツーリングの魅力がなかなかよく伝わってまいりました。

目的地の大間岬に着いたときの清水のことば。
「ようよう着いたんやけど、なんかうれしいような、うれしくないような・・」

この気持ち、よくわかる。
「着く」ということは「終わってしまう」
ということだからでありますね。

[435] こりこり 2008/09/20 10:46

久しぶりにツーリング(バイク屋さんのメンバーと)に今から行ってきます。一泊で八ヶ岳まで。午後、出発予定であります。

さっき、歯医者さんに行き、帰りに本屋さんで新書を一冊買って帰ってきました。
買ったのは、『自由に至る旅—オートバイの魅力・野宿の愉しみ』花村萬月著。
まえがきに、
オートバイは人を(他人を、あるいは自分を)殺す可能性のある道具である。
オートバイに乗ることは現実に死ぬ(殺す)かもしれないという可能性を選択したということである。
それは
ひたすら自分が選択したことである。
それが『自由』の意味である・・・

みたいなことが書いてあります。

この本をもって今から行ってきます^^

[436] ふくろう 2008/09/20 11:26

いいなあ、気をつけていってらっしゃい( ~っ~)/

[437] ふくろう 2008/09/20 11:28

あれっ、そういえばもう、手首治ったんですか?(笑)

[438] こりこり 2008/09/20 11:48

>あれっ、そういえばもう、手首治ったんですか?

治って、ません。
でも、動くから大丈夫です。

心の痛みと体の痛みをかかえ、これ以上の余計な痛みをつけくわえないように心して、いってまいります。

[439] ふくろう 2008/09/20 12:08

>治って、ません。
>でも、動くから大丈夫です。

まあ、どうせそんなことだろうと(笑)

ふむ、“心の痛み”かあ…

ほうき星は宇宙のはぐれ者
衛星になろうなんて、望んじゃいけません。

「ほうき星は自由に呪われている」 by 偽サルトル

[440] み学 2008/09/20 19:06

自由と友達は恐怖ですよ。(in犯罪都市)

[441] み学 2008/09/20 19:31

日本語で言うと誤解されるので
Fearfulnes with freedom とすると
正しく認識されるのです。

物事を一面だけで捉えると間違いです。

[442] ふくろう 2008/09/21 12:45


地獄とは他人である by サルトル(ホンモノ)

[443] み学 2008/09/21 17:35

探していた青い鳥とは家の中の鳥かごの中?

[444] 死に神 2008/09/21 17:49

444(σ^-')σゲッツ!

縁起悪っ!

イワコデジマ・イワコデジマ

ほん怖・五字切り

皆・祷・怖・無・

弱気退散‥



オフバイクで土手下ったり、上がったり

オモロー

ほな元気でな〜〜〜

(^O^)ノ[]☆[]ヽ(^O^#)

ルネッサ〜〜ンス

[445] み学 2008/09/21 19:28

福祉にかかわることに中流は夢のまた夢。

[446] こりこり 2008/09/23 00:30

ツーリングは独りでするのが基本だ、とマスツーリングをするたびに思いを新たにするのでありました。
たまにはマスも悪くはないんだけど・・・

[447] こりこり 2008/09/24 03:40

オートバイとは何か。

オートバイの構造を理解すること。
乗り方=操作方法を理解すること。
オートバイの「本質」とは何かを考えること。

哲学とは何か。

哲学の構造を理解すること。
哲学のやり方=思索の方法を理解すること。
哲学の「本質」とは何かを考えること。

[448] こりこり 2008/09/24 03:53

オートバイの構造は、どのバイクも似ている。
フレームがあって、エンジンがあり、シートがあり、ステップがある。
操作系では、スロットルグリップがあり、クラッチレバーがあり、ブレーキレバー(ペダル)がある。
操作方法もおおむね同じである。

オートバイを走らせるためには、必ずしも「構造」を正しく理解している必要はない、が、操作方法は正しくおこなわないとえらいことになる。
間違った操作をおこなえば、オートバイは「正しく」まちがった挙動でしっかり答えてくれる。
オートバイはその点で、とてもわかりやすい。

オートバイの本質に関しては、「これ」というものはない。
ないわけではないが、人によって異なる答えがあるからである。

[449] こりこり 2008/09/24 04:04

で、哲学である。

哲学の構造は、どの哲学も似ている(のだろうか)
言葉があって、言葉があり、言葉がある。
操作系では、言葉があり、言葉があり、やっぱり言葉がある。
操作方法もおおむね同じである(のだろうか)

哲学をするためには、必ずしも「構造」を正しく理解している必要はない、が、操作方法は正しくおこなわないとえらいことになる(のだろうか)
なっているのかも知れないが、オートバイと異なり、転倒とかのように具体的に眼でみることができないので、その点で、とてもわかりにくい。

[450] み学 2008/10/06 19:23

政治家のいのちは言葉です。
二人いれば政治です。

[451] こりこり 2008/10/06 20:37

政治家にとって、言葉は命かもしれないけれども、
政治家の言葉からは「命」を感じない。

[452] み学 2008/10/06 20:54

言葉はいのち
しかし命は言葉じゃないのです。
逆は必ずしも真ならずなのであります。

[453] こりこり 2008/10/07 03:58

夜中の空気がだいぶ冷たくなってきましたね。
さて、これからオートバイに乗って秋の哲学の始まりであります。

なにをいってるんだろうね、おいらは。

[454] み学 2008/10/07 17:36

時間と空間に限定されないもの真実を探して・・

[455] こりこり 2008/10/07 22:57

きょうは久しぶりの遠出をしました。
オートバイに乗って走っていると、ふだんよりも強く「死」を意識していることに気がつく。
ひとつの小さなミスが死と生との境目に直面させてしまう。
オートバイに乗るということは「わざとバランスを崩して、安定した状態から不安定な状態にさせて、コントロールする」ということなんだとこのごろよく思う。
オートバイの操縦とはそういうことなのだ。
何事もなく無事に帰りついた今日でも、「もしもあの場面でなにかミスを犯していたら、死んでたかな?」と思い起こすことが何度かあったし。自分がミスを犯さなくても他者のミスで危機に遭うということもあるわけで・・・
「無事だった」ということは、「危機が顕在化しなかった」ということだけで、それはやっぱり「単なる僥倖でしかなかったのだ」と思うのであります

[456] み学 2008/10/08 18:19

車に乗っていると、誰かを轢き殺しはしないかという加害者意識になったのは
事故で軽くぶつかっただけで被害者のお兄さんがその場で物損になったのを
人身事故に後からされて何度も警察から電話がかかってきて
現場検証とかしてあやうく免停になりかけて
事故って車に傷がつかなくてもこんなに大変なことになるんだなぁと
車の運転をすることの恐ろしさをしみじみ感じたことです。

オートバイは目の前で拉致されたのを見たことがあるので
オートバイに乗ったら百パーセント危険だと思います。

[457] み学 2008/10/08 18:36

人身事故を起こしたのにお金の経費は全くと言っていいほど要りませんでした。
これもインターネットと保険屋さんのお陰です。

[458] こりこり 2008/10/11 10:07

>み学さん

オートバイはたしかに危険なものであります。
しかし、それは生きることが危険であるのと同じなのであります。

「危険」といえば、哲学をすることもそうとう危険なことであります。
ひとつ間違えば死ぬこともありうる・・・

「人生に意味はない。生きることに価値はない。自殺こそ人が選びうる最良の結論である。」みたいなことに考え至ることだってあるし、
実際そんなことを書き残して滝壺に飛び込んだ人もいたような。。。

言葉のみによって構築された世界は「危険」であります。
かなり危ういバランスのうえになりたっていることに気づきにくい。

オートバイは、その点、じつにわかりやすい。
バランスを崩せば、転倒が待っている。
過剰な速度で限界を超えれば、死に直結する事故が待っている。

哲学をする心構えを知ることにおいても、オートバイに乗って走ることはじつに多くのことを教えてくれるのであります。

ただね、漫然と走っているだけではオートバイも何も教えてはくれません。それは、読書でもおなじですよね?
自分で考えてみることがほんとうに大事なんですよ。

[459] み学 2008/10/11 17:39

自分は原付バイクで冬に一時間走って震えました。
バイクの冬は耐えられません。

[460] こりこり 2008/10/12 02:01

真冬に軽装備でツーリングに行くことは、
サンダル履きで冬山に登ることと同じくらいに
「無謀」。
冬の日没は耐えられません。
(み学さんの文体をまねてみますた)

[461] み学 2008/10/12 18:50

オートバイってこけたら死ぬの?

[462] こりこり 2008/10/12 19:06

>>461
>オートバイってこけたら死ぬの?

「こけ方」によります。

[463] こりこり 2008/10/12 19:12

>>462 の補足

こけたら死ぬ、ということは、歩いていても「ありうること」なのであります。たとえば。

バナナの皮を踏む→すべってこける→そこに大きな石がある→石に頭をぶつける→死ぬ

こういうことなのであります。

[464] こりこり 2008/10/13 10:46

昨日から今朝にかけてほとんど寝ていないので、
オートバイに乗ることは「危ない」のですが、
あんまりいい天気(晴れ)なので、
どこかで昼寝をするためにでかけます。

[465] こりこり 2008/10/13 23:03

渥美半島先端の伊良湖まで行ってまいりました。
文庫の哲学入門書と小さなスケッチブックを携帯して。

スケッチ三枚。
海。家と木々。山の崖。

哲学入門書のエピクロスの説明の章を読んでおりました。
読んでいて気がついたことがありました。
最近のおいらが考えていたのはこの人が考えたことに似ているということでありました。
どうやら、
このごろのおいらはエピクロスだったのでありました。

[466] こりこり 2008/10/18 08:09

むかしむかし。
あるところにおじいさんとおばあさんがおりました。
おじいさんは山へバイクで哲学に・・・・

[467] こりこり 2008/10/25 06:55

オートバイの雑誌を立ち読みしていたら、
もとGPレーサーの岡田忠之が
「すべての操作をやさしく流れるように」と言っていた。

同意であります。

[468] こりこり 2008/10/25 06:59

今日は磁石をもってツーリングにいこうかな。
ひたすらある方角をめざす・・・
といっても、南はすぐ海岸だからそれ以外。
「東西北」
西もダメだ。伊良湖岬だ。
北か東か。

ばかか、おれは。
地図見りゃわかるんだった。。。

[469] ふくろう 2008/10/29 09:40


街中乗ってるぶんには大丈夫ですが、こないだツーリングで日が暮れてから乗ってたら、寒くて震えました(笑)

山中の外灯のまったくない道を走っていると、夜の世界は昼の世界と完全に異なる世界であるという気がします。
こういう主観的体験が自然哲学の基礎なんだと思います。
考えれば考えるほど、なかなか面白いことは尽きませんね…^^

[470] 地下水 2020/06/26 01:13 LI/P9JJXjky

>>469 ふくろうさん、自分は三歳の時に、外で走って転んで、ゴミ出しに割れてあったガラス瓶で右手の平をザクロの様に切って大怪我しました。五歳の時に初めて乗った自転車で水の少ないコンクリートの水路に落ちて、気付くと自分の血で夕焼けの様だったので、救急車に乗りました。

この間は寝不足で車で配達途中に崖や、交差点でウトウトしてヒヤッとしました。

梶井基次郎の檸檬を読んで、丸善と、梶井の何回忌かの時に上本町の仏壇に檸檬を供えてきました。

大学の実験では、僕の放電装置が不安定で危なかったので半分に切る様に先生に言われました。指導者の居ない夏休みに同様の実験をした大学では、吹っ飛んで二人亡くなりました。

その大学では激光に使われるのでしょうか、僕の使っていたレーザーと原理は同じですが、連続発振していたので、逃げ出しました。

原付は自由で、喜んで鳥本の神社にツブラジイの種を拾いに行った帰りに、長い川の上の橋で風にあおられましたので、もう少し重い車重が必要だなと思いました。

ウィトゲンシュタインは、数学科指導法で桜井先生が引用されましたが、非常に細やかな思考過程であった事だけ覚えています。あとで戦場に向かわれたことを知って、熱い人だと思いました。

桜井先生は、お上に一揆する村人が、サスケの様に秘密の技を受け継ぐ様なものです、と言われました。僕は秘密主義は嫌いで、誰にも役立つシェーマが、有難いと思っていたので、違うと思いました。

大府大哲学1号館の大きな満開の桜に夕日に照らされて、渦を巻いて雀の大群が帰って、枝に宿る様子はスゴかったです。

哲学の道の関雪桜まで桜尽くしの一日も大好きです。

母が亡くなりましたが。落ち着いて好きでしたが、「カノンのセレナーデ」は葬儀場の曲だと解りました。

[471] ふくろう 2020/06/26 19:55 LI/yStA9QYE

地下水さん

私の母も亡くなりました。
私はいわゆるマザコンで、宗教的縛りを含む、母からの精神的自立=独我論的世界からの離脱という意味があったので、なかなか青春期は七転八倒というか迷走しました(笑)

私は幼いころ身体が弱く、小児結核にかかって、母の背に負ぶわれて毎日近所の医院に通い、看護士だった母に注射をおしりにうってもらいました。
ただ、そのころから、おまえはこの世界に必要だから神様が命を授けてくださったんだよと洗脳されたおかげで、これまで犯罪と自殺だけはしようと思ったことがありません。
今でも、母の前に立って服を着せてもらっていたときのことを思い出します。
正座している母より、私は背が低かった。
その母が亡くなる前、すっかり小さくなって、病院のベッドから車いすに移るとき看護師さんらに抱えられていました。
あのとき、私が抱き上げて移してやればよかったと、それが今でも心残りです。

[472] 地下水 2020/06/26 20:46 LI/P9JJXjky

>>471 ふくろうさん

「今宵逢う人皆美しき」の桜の下で両親と神聖の御酒を頂いたのは良い思い出です。

母のお尻を拭きフキ、ご飯を上げたのも。

病院で、おみかんを上げたのも。

母はセント・アグネスで、僕はセント・ヴィアトールでしたが、入院の現実は砂漠の40日より厳しい様でした。

母は生前、「また会う日まで 神の守り 汝が身を離れざれ」とうたっていました。お華の教授もとり、庭のお華を生け、毎月教会の短歌会で十首詠み、時々お薄を入れてくれた一時が有難い思い出です。

母は第一勧銀の窓口を13年も務めたので、1億までなら1円も間違えずに暗算できるそうです。かないませんね。(笑)

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