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歴史人物しりとり4

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[0] siyajkak 2007/09/13 00:34

歴史人物しりとり3からの続きです。

1.語尾の「ん」は不可。ただし。「〜ン1世」は、可とし、「い」で続ける。
2.40以内の重複(同じ人物)は不可。書き込む前に確認してください。ただし、「豊臣秀吉」「日吉丸」のような別名は、可。
3.同時の場合は、前の方に続けてください。
4.間違い(例「北条高(時)」→「(ジ)ェームズ1世」→「井伊直政」)のようになった場合は、間違いの指摘がなければ続けてください。
5.漢字名には必ずよみがなを!
6.しりとり連投は、1日おいてください。ただし、訂正や雑談は可ですので気軽に書き込んでください。
  そのときは、次の方へ音を指示するのをお忘れなく!

まずは、

ソンツェン・カンポ

6世紀末から7世紀初頭にかけて統一チベット王国を建てた。唐とネパールとの政略結婚を通して中国文化や仏教を取り入れた。
またチベット文字をつくったことでも知られる。

次の方、「ぽ」「ほ」です。

941件のコメント 792番から891番を表示中

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[792] クセルクセス 2008/11/11 01:57

碓井貞光   うすいさだみつ

頼光四天王の一人。大江山にも行った。

「つ」

>>787 六孫王、もったいないですねぇ。
六条御息所、実はかなり好きです。人物造形のひとつの極致と思ってます。
>>791 鑑真和上、この方まだ出てなかったですねえ。「天平の甍」好きでした。唐招提寺の坐像も見事。

[793] たばこ神社 2008/11/11 07:53

塚本邦雄(つかもとくにお)

寺山修司、岡井隆らと並ぶかつての前衛短歌運動の旗手。

「暗渠の渦に花揉まれをり識らざればつねに冷えびえと鮮しモスクワ」

ちなみに日経新聞『私の履歴書』は先月まで岡井隆氏だった。

次は「お」

[794] 小袖 2008/11/11 10:15

おたあジュリア

文禄の役で家族を失くし、小西行長に保護されて日本に渡る。
小西夫婦に育てられた後、徳川家康に仕え寵愛されるが、キリシタン禁止令に背き棄教しない為、神津島に流される。
神津島には彼女の墓所があるが、神津島を出て長崎に移ったという説もある。

「あ」です。

>>787  かつては国文専攻の女子大生の間では源氏を袖にした「空蝉」に人気があったらしいのですが、最近は「六条の御息所」がダントツ1位の人気だという話を聞きました。
私も彼女が好きです^^

[795] 兎田虎之助 2008/11/12 00:48

在原業平(ありわらのなりひら)

その心あまりて言葉足らず、萎める花の色なくてにほひ残れるがごとし(古今集仮名序)
貫之はへたな歌よみにて古今集はくだらぬ集に、これありそうらふ。古今集を崇拝するはまことに
云々・・・」(子規・再び歌よみに与ふる書)

「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」

次は「ら」

>>>794 ウグイス平安京様
ガ、ガクブル。す、好きなところにお車をお留めください・・・。(^ー^)

[796] たばこ神社 2008/11/12 01:22

>>792
「天平の甍」は映画にもなりましたね。そういえば去年の大河も井上靖でしたね。「しろばんば」以来のファンです。

[797] クセルクセス 2008/11/12 06:14

羅[目侯]羅   らごら

釈尊の子。十大弟子の一人。ラーフラ。

また「ラ」

>>794 ゲットおめでとうございます(何が?)。六条御息所がダントツ一位とは意外でした。理由は一体?!
>>796 同意。私は特に「夏草冬濤」が好きでした。

[798] 小袖 2008/11/13 00:23

>>795  そうよ、こちらが先に車を留めたのよ。祭り見物が台無しよ!!

>>796  『額田王』が好きです。

>>797  紫の上にしても、明石の上や花散里にしても、一見すごくステキなのですが、結局、源氏から見て「都合のいい女」なんですね。六条御息所はそうじゃない。初めは優位に立っていたつもりが、いつの間にか源氏との恋に溺れて、生霊にまでなってしまう。護摩の芥子の匂いが髪に染み込んでいるのに気が付いた場面なんて、最高の場面だと思います。ものすごく「女」なんですよ、彼女。自分よりはるかに身分が下なのに源氏を夢中にさせる夕顔が憎い。同じくらいの身分だけど正妻ということで「表」に出られて、源氏の子を産む葵の上も憎い。前東宮の妻というやんごとなき立場にあり、教養にも美貌にも恵まれながら、六条御息所はただの女なんですよ、そこが魅力なんですね、きっと。

[799] クセルクセス 2008/11/13 01:31

ラナ・ターナー

米映画女優。ちょっと古い言い方だが典型的なヴァンプ女優で、セクシーかつスキャンダラス。
結婚歴も多く、いかにもなハリウッドスターであった。

「ナー」「ナ」

>>798
小袖さん、解説ありがとうございます。「女」な部分が同性からも魅力的なんですね。「自分よりはるかに〜」以下の文、臨場感があって名文です。

[800] たばこ神社 2008/11/13 12:32

中根元圭(なかねげんけい)

江戸中期の算学家、暦学者。徳川吉宗に、暦学の精度向上のため海外文献の必要性を説いたことで、それまでの
洋書の輸入禁止が緩やかになった。特に、後に元圭自身が和訳を命じられた中国より舶載の『暦算全書』などは
三角法が記載されており後の和算術や、測量術などに大きな影響を与えた。

次は「い」

[801] クセルクセス 2008/11/14 02:29

井上靖   いのうえやすし

元新聞記者の芥川賞作家。「氷壁」などの純文学作品から、「しろばんば」以下の自伝的痛快(?)小説、「天平の甍」などの歴史小説を書いた。
一連の歴史小説は淡々とした乾いた筆致で、短編でありながら量の膨大な歴史小説家のものよりもかえって読了に時間がかかることもあった。
昨今のシルクロードブームの火付け役はNHK「シルクロード」だろうが、その端緒は井上靖の西域小説群ではなかろうか。

「し」

[802] 裏道 2008/11/14 20:50

白川天皇  しらかわてんのう

第72代天皇
院政を行い、後に上皇となる。

「う」

[803] クセルクセス 2008/11/15 02:37

ウィリアム・サマセット・モーム

「月と六ペンス」で有名なイギリスの作家。

「ム」

[804] クセルクセス 2008/11/16 02:43

牟漏女王   むろのおおきみ

奈良時代の後宮女官。美努王女。母縣犬養橘三千代。左大臣橘諸兄の姉妹。また光明皇后は異父妹。
母の再婚相手藤原不比等の二男、北家祖房前と結婚し、永手・真楯・御楯・聖武夫人(名不明)を生んだ。
また仲麻呂室袁比良も彼女の所生の可能性が高い。
母三千代は元明・元正の信任篤く正三位まで昇った内命婦。彼女も正三位まで昇っており、
身分も皇族なので、母の跡を襲って女官トップの尚蔵(兼尚侍)を務めたと思われる。
元明は死にあたって長屋王と房前に後事を託しており、聖武朝に於ては皇后の姉にあたり、
左大臣は実兄、彼女の死後ではあるが仲麻呂の時代にはその義母にあたるなど、長く権力の中枢と深く関わっていた。
後の摂関家は彼女の二男真楯の子孫である。

「み」

[805] たばこ神社 2008/11/16 20:57

源重之(みなもとのしげゆき)

平安中期の歌人。三十六歌仙。陸奥に本拠地を置く藤原兼信の子だが、伯父・藤原兼忠の養子となり、京で
帯刀先生(東宮の舎人の長官)や左近将監、相模権守などを歴任している。平兼盛、恵慶法師、清原元輔、
大中臣能宣(重之を含めてみな百人一首の歌人)などと同時代、交遊関係にもあったようだ。子どもを亡くした
重之に対しそれぞれ慰めの歌を贈っている。
旅(受領として各地に赴任、太宰府や日向、肥後、陸奥などその任地はかなり広範囲)の歌が多く最後は
左遷された藤原実方ととも陸奥に下りそこで没した。

「風をいたみ岩うつ波のおのれのみ砕けてものを思ふ頃かな」

次は「き」

[806] クセルクセス 2008/11/17 03:27

吉備由利   きびのゆり

奈良時代後期の女官。右大臣吉備真備の妻とかつてはいわれていたが、同姓でもあり、
最近は姉妹説の方が有力である。同じ吉備地方出身の姉弟に和気清麻呂・廣虫がいる。
こちらは大納言・典侍コンビなので、右大臣・尚蔵の真備・由利コンビの方が格上だが、
残念ながらこちらは関係を示す記事がなく、由利に至っては伝記さえ見当たらない。
真備は遣唐使として学問を修め、帰国後皇太子(後の孝謙称徳)の学士となったが藤原仲麻呂に疎んじられ、また地方出身の壁も破れなかった。
しかし仲麻呂の乱に際し真備の軍略が功を奏したといわれ、称徳重祚後は一躍恣意的となった元教え子に右大臣に任じられた。
由利の活躍もその頃からで、乱後勲四等(真備は勲二等)を叙勲、称徳末年迄には従三位に昇っており、
当時女性では円方女王、尚侍藤原百能につぐ席次にあった。
称徳は由義宮行幸から帰京後罹病して遂に崩御するのであるが、その間典蔵吉備由利のみが
称徳の臥所に出入できたという。兄妹揃って信任篤かったわけだが、女官の詳細に不明点の多い当時、
それって内侍司の役目じゃないの?とかなかなか興味深い。内侍以上に実質信任されていたということかもしれない。
称徳崩後、真備は天武系の文室浄三・大市を推した為、光仁即位後右大臣を辞任したが、
由利は光仁朝に尚蔵として死去しているので、引続き重用されたようだ。(むしろ昇級している。)
真備は称徳末年に70代半ば。とすると娘と考えても成立する。

「り」

架空人物篇に挑戦   桐壺の… うーん、「り」で終われない。難しいね。

>>804 追加
架空人物篇   虫愛づる姫君

[807] たばこ神社 2008/11/17 07:40

リード

ジョン・リード。ロシア革命のルポ『世界を震撼させた十日間』の著者。アメリカ人。

次は「ド」

>虫愛づる姫君、いいですねえ、GJ!。畏れ多くも「麦酒愛づる姫君」なら、お一人存じ上げ奉り候( ̄ー ̄)

[808] クセルクセス 2008/11/18 02:17

土田御前 ・・・×(このスレは「ん」ダメなんだよね)

ドリー ・・・歴史的だけど人物じゃないので×

道昭   どうしょう

7世紀の僧侶。日本で最初に火葬された人。

「う」です。ごめんなさーい。

[809] クセルクセス 2008/11/19 02:15

ウェスパシアヌス

ローマ皇帝。ネロ自殺後の混乱期を終結させ帝位に即いた、フラウィウス朝初代。軍人出身。
コロッセオを建設した人である。

「ス」

[810] クセルクセス 2008/11/20 03:59

須免   すめ

徳川六代将軍家宣の側室。大五郎を産むが夭折し、将軍生母になったのは喜世(月光院)であった。

「め」

[811] 小袖 2008/11/21 08:05

メアリー・スチュワート

イギリスの王位継承権を主張して、エリザベス女王に処刑されたスコットランドの女王。
彼女の息子がエリザベスの跡を継ぐなんて…歴史って皮肉…

「と」です。

[812] クセルクセス 2008/11/22 02:37

常磐光長   ときわみつなが

平安末〜鎌倉初期の大和絵土佐派の画家。土佐光長。
「伴大納言絵巻」や「年中行事絵巻」作者ともいわれている。

「が」

[813] クセルクセス 2008/11/23 03:10

雅慶   がけい

平安中期の僧。大僧正。宇多皇子敦実親王の子。
兄・寛朝(広沢僧正)の弟子となった。他に源雅信・重信の両左大臣も兄弟。

「い」

>>たばこ神社さーん、ご旅行ですか〜? お帰りになるまで休業するとしますか。

[814] 小袖 2008/11/23 22:55

井上円了(いのうええんりょう)

東洋大学の創始者。
東京・中野区の哲学堂公園を作る
(私はこの哲学堂公園のそばで小さい頃育ちました)

「う」です。
>>814 私ではお相手にはなれませんね、すみません。

[815] クセルクセス 2008/11/24 02:07

上杉景虎   うえすぎかげとら

北条氏康子。上杉謙信養子。歌に謳われるほどの美男ぶりだったというが、
謙信死後の相続争いで敗死した。
北条は本家もさることながら、他国へ行った景虎も武田勝頼室も無惨な最期を遂げていて、悲しい。

「ら」

>>小袖さん、相手になれないなんてとんでもありません。毎日お相手して下さるのが
実質たばこ神社さんおひとりだという意味です。他意はありません。
小袖さんがお相手してくれるなら嬉しいです。 でも無理は言いません。

哲学堂はステキな建築揃いですよね。

[816] 小袖 2008/11/24 16:17

ラヴェル

フランスの作曲家。
母親がスペインのバスク地方出身の為、スペインの音楽の影響を強く受ける。
代表曲の「ボレロ」はフィギアスケートでよく使われるので馴染みの曲。

「る」です。

>>815  では、お手柔らかに、よろしくお願いします。

昨日の新聞に上景虎の最期についての記事がありました。
う〜ん、養子同士で争うとは…相手は妻の兄弟でしたっけ…謙信も想像していたでしょうか?

[817] クセルクセス 2008/11/25 01:56

ルー・ゲーリッグ

米野球選手。名大リーガー。衣笠に破られる以前の連続出場記録保持者。

「グ」

>>816
新聞記事—興味あるので図書館で探してみます。
戦国時代だからしょうがないとはいえ、わざわざ他国へ死にに行ったかと思うと気の毒です。
庶子が一転して養嗣子となり、意気揚々と越後入りしたでしょうに。
なんとか本国へ逃げられなかったんですかねえ。実家は大大名なのに。
謙信はどう考えていたか…興味あります。

[818] 小袖 2008/11/25 23:44

グスタフ・クリムト

帝政オーストリアの画家。

昔「クリムト」と言うコーヒー専門店があってよく行きました。
駅前の再開発でなくなったと思ったらリニューアルして再登場。
雰囲気は変わりましたが、買い物のついでに寄る事も…話が脱線しました。

「と」です。

[819] クセルクセス 2008/11/26 02:18

トマス・ゲインズバラ

18世紀イギリスの画家。気品のある肖像画で有名だが、本人は風景画が好きだったらしい。
考えてみると世界的に有名な画家が結構少ないイギリス、その一人目かも知れません。
ゲインズボロという表記もある。どちらが正しいのかは知らない。

「ラ」。「ロ」も可。

>>818 「ルノワール」なら何度か行きました(笑)。

[820] 小袖 2008/11/26 17:51

ロルカ

フェデリゴ・ガルーシア・ロルカ
スペインの劇作家で詩人。
ジプシーを歌った歌集で有名。
スペインの内戦の混乱の中、銃殺される。

「か」です。

実はロルカを知らなかったんですね、私。何年か前にたまたま読んだ少女マンガに出てきて知りました。ちょっとお恥ずかしい話。

[821] たばこ神社 2008/11/26 23:30

河上肇(かわかみはじめ)

日本における初期のマル経の学者。オールドコミュニスト。京大教授。著書の『貧乏物語』はベストセラー。
京大、漢詩、真摯さ・・・、そういえば高橋和巳との共通点を感じないではいられない。

次は「め」

[822] クセルクセス 2008/11/27 01:35

明治天皇   めいじてんのう

諱睦仁。孝明天皇皇子。母中山忠能女慶子。幕末、父天皇の急死により満14才で即位、
急速に西欧文明を取り入れ国制を改革した時代に君臨し、聖帝と称えられた。
しかし父天皇が昭和天皇くらいの寿命を保っていたら…
遷都、御所転出、洋服生活、当たり前のように済んでしまったこれらのこともどうなっていたか。
個人的にはもう少し1000年守ってきたものをそれなりに保持してほしかったような。

「う」です。

[823] 石垣眞人 2008/11/28 14:44

「平成の黙示録」という表題の私説を公開しています。
http://makoto-ishigaki.spaces.live.com にアクセスしてください。

[824] たばこ神社 2008/11/28 22:29

海の王子(うみのおうじ)

トリトン。ポセイドンの息子。ギリシャ神話のトリートーンよりも、手塚や藤子不二夫のトリトンの方がイメージとして
先行する。ポニョも何となく似ているような・・・×。

植田正治(うえだしょうじ)

鳥取・境港は二人の偉大な人物を輩出した。水木しげると植田正治である。写真家。

次は「じ」

[825] クセルクセス 2008/11/29 02:50

ジュディ・ガーランド

不滅の映画「オズの魔法使」で主人公ドロシーを演じた不滅の女優。
劇中歌「オーヴァー・ザ・レインボウ(虹の彼方に)」は、今なお世界の人々の心に響いている。
ライザ・ミネリは娘。

「ド」

架空篇 ジークフリート・・・惜しい。「ト」だ。

>>824 そうだ、植田正治がいたなあ。思いつかなかった。

[826] 小袖 2012/07/21 21:20 7s/hETBDmnX

土井利勝 どいとしかつ

江戸時代前期の譜代大名。
家康御落胤説も。

「つ」

皆さん、お元気ですか?

[827] ty270410 2012/07/23 22:15 Yn/fSeHygF9

懐かしいですね!小袖さんありがとう!

ツンベルク

 カール・ペーター・ツンベルク(1743-1818)
 スエーデンの植物学者,日本の植物800種を著書に記載.
 学名の後ろに付ける発見者名の略名にThumb.とあるのは彼のこと.

次は「く」

[828] 小袖 2012/07/24 23:12 7s/hETBDmnX

国友 善兵衛(くにともぜんべえ)

室町時代の鉄砲鍛冶。
国友一族の作った鉄砲が桶狭間や長篠の合戦で使われた。

次は「え」です。

tyさん、お手柔らかにおねがいします。

[829] 水戸の梅 2012/08/13 19:22 j4/S4fLYply

江戸通房(えどみちふさ)
水戸城の歴史をさかのぼると登場します。
通房以後、江戸氏は170年間水戸城に。その後はご存知、佐竹氏~徳川氏です。
ご当地キャラですみません。
ty様、小袖様、お懐かしゅう存じまする。
次は「さ」です。

[830] 小袖 2012/08/14 17:32 l6/hETBDmnX

佐々倉 桐太郎(ささくらとうたろう)
幕末の幕臣。
咸臨丸のサンフランシスコ入港時、米海軍側からの礼砲の返礼として、見習士官であった赤松大三郎とともに日本人初の祝砲を撃っている。

私もご当地キャラにしました。
水戸の梅様、お待ち申し上げておりました。

次は「う」です。

[831] 水戸の梅 2012/09/10 10:00 xd/WdG4vt5r

出ないようなので。
雲林院(“うじい”と読みます)光秀
戦国期の北伊勢の土豪・兵法家。
ご当地キャラ! 塚原卜伝。
その回国修行/一国一人印可を証明する、唯一現存する印可状(現物には允可状とあります)が雲林院光秀あてのものです。って言いたかっただけでマイナーな人物を。
お次は「で」「て」です。

[832] 小袖 2012/09/23 07:33 l6/n5tYHDJT

伝説化されているけれど「照手姫」(てるてひめ)
ご当地キャラです!
浄瑠璃や説話で有名な小栗判官の妻。
町おこしで、通りの名前になったり、お菓子になったり…
お次は「て」または「め」です。

[833] 水戸の梅 2012/10/09 17:47 xd/vIzLTOeW

「照手姫」ご当地キャラです!・・・
ええっ、でも、確かに。説教節「小栗判官」では、照手は、相模の豪族・横山の娘でしたから。
でもでも、小栗判官その人こそわが常陸国のご当地キャラなのです。もっとも初期の説教節では、京都の生まれとなっていますが。
そこは熊野の説教節流布者のなせるワザでしょう。
当県某市でも毎年「小栗判官まつり」がおこなわれています。小栗氏は常陸平氏です。

というわけで、手塚光照。
土浦藩江戸藩邸の医師。ちかごろNHK『陽だまりの樹』は手塚治虫が先祖・手塚光照を劇中の良庵として書いたものです。
かろうじて、ご当地キャラ。
次は「る」です。

[834] 小袖 2012/10/15 20:37 l6/n5tYHDJT

ルイス フロイス

ポルトガル生まれのイエズス会の宣教師。
二条城の建築現場で初めて信長に会ったとか。

「す」です。

ご当地キャラ…う~ん、他にいたかな…

[835] 水戸の梅 2012/10/19 18:04 xd/Z0XqmbWF

だれも来ませんねえ。昔の皆様、ザビビ復活をご存知ないのでは。
ビッグネームが出ちゃいましたが、
当地で「す」といえば、鈴木三樹三郎。
常陸国志筑(現、茨城県かすみがうら市)藩に生まれ、のち新撰組9番隊長~高台寺党・御陵衛士。油小路一件を生き延び戊辰戦争に参加。維新後は警察幹部。退官後の余生を、生地近くの現・茨城県石岡市ですごしました。
ご存知、伊東甲子太郎の実弟です。
で、お次は「う」です。

[836] 2012/10/22 20:01 To/FljRG3hg

初めまして...と言うか、氏・素性は問わないでくださいね(汗
上村 津禰(うえむら つね)松園は師より与えられた号。
女性の姿を描き続けた日本画家。
京都府出身。鈴木松年に師事。女流画家初の文化勲章受章者。
この人の描く女性には凄絶なエロティシズムを感じる。特に光源氏の愛人・六条御息所が生霊となった姿を描いた『焔(ほのお)』(1918)には、あの目元、口元の妖艶さに思わず鳥肌が立つ。

次は「ね」です

[837] 水戸の梅 2012/10/23 19:08 xd/1UV1CLg1

やっと、おいでくださったー
>氏・素性・・・
もう、おいでくださっただけで(嬉)
恵様もお気づきのように、とくに宗教・文化の面で、名前の最後が「ん」の人が多いです。
当地に限っても、親鸞・板谷波山・横山大観など。「山」がつく号は多いですし、真宗が「鸞」なら日蓮宗は「連」。
宗教名・号名などにすこしばかりのお助けルールがあれば。

[838] 小袖 2012/10/23 23:49 l6/SgVv1ifP

恵様、ようこそおいでくださいました。
嬉しい限りです。
よろしくお願い致します。

水戸の梅さんと畏れ多くも同感で、「ん」で終るものは、その前の字でもいいとしませんか?
「親鸞」なら「ら」か「らん」で。
いかがでしょうか?

[839] 2012/10/24 02:27 To/FljRG3hg

>837-838
んー、私のように本名を書いて、解説にて号や法名でも良いのかなとも思うのですが。
宗教家は法名と本名だとまったく異なりますから、小袖さんの仰る方法が良いかもしれませんね。

[840] 2012/10/25 08:31 To/FljRG3hg

とりあえずルールを変えることは良くないと思うので...
「う」の続きとして改めて。
「ウォルフラム・フォン・エッシェンバハ」
ドイツ中世の宮廷叙事詩人、聖杯伝説に基づく「パルチファル」が唯一のの完成作。

次は「は」です。

[841] 水戸の梅 2012/10/26 18:43 xd/5LBdNVTt

>パルチファル・・・
西洋史無知で、まして西洋文化史などアホ頭の圏外です(恥) 日本文学史にあてはめるとどのような位置づけなのでしょうか。
>ルールを変えることは良くない・・・
ですね。スレ主さんの同意もなく。
でも・・・うぶぶ・・・ここ数件のカキコより圧倒的ビッグネームの日蓮さん、親鸞さんのご本名は・・・(泣)
新しいスレなら、「ん」は小袖様のように1字前か「らん」など、または阿吽から「うん」にするとか、ん=むとか。
古今東西、宗教名・号・Nで終わる西洋人名には厳しいスレではあります。スレ主様は子供の尻取りで、そこまでの認識はなかった・・・
新たなスレ・・・???
それにしても、興をそぐバナー広告、もう少しなんとかなりませんかね。

[842] 2012/10/27 12:39 To/FljRG3hg

>>841
>「日本文学史にあてはめるとどのような位置づけなのでしょうか」
うーんそこまで考えて出したわけではないので、言葉遊びのしりとりと思ったので...
まぁ、強いて言うならば、日本の中世文学の代表的形態である軍記物語は如何でしょうか?
「平家物語」など年代的にも似通っているし、武士と騎士、叙事詩的要素、世俗の罪を宗教的救済・信仰の点から取り扱っている側面など類似点がありそうな気もしますが(汗

>「新たなスレ・・・???」
さぁ、私はその任にはないので何とも...

>「興をそぐバナー広告」
そうですね。困ったものです。

[843] 水戸の梅 2012/10/27 17:30 xd/5LBdNVTt

>そこまで考えて・・・言葉遊びのしりとり・・・
梅の無知(無恥)のなせるわざです。ひらにご容赦くださりませ。
>日本の中世文学の・・・軍記物語・・・
それだけで、ほとんどもう理解・了解です。
土建屋稼業の梅と恵様の格差を感じます(恥)

[844] 小袖 2012/10/27 18:02 l6/SgVv1ifP

とりあえず、元のルールで続けてみましょうか?
ご当地で「は」から始まるのは

浜口興右衛門英幹(はまぐちおきえもんひでもと)
浦賀奉行所同心から、海軍伝習所第一期生に選ばれ、咸臨丸で太平洋を横断する。
サンフランシスコで撮った写真には福沢諭吉も一緒に写っている。

次は「と」でお願いします。

[845] 2012/10/28 13:41 To/FljRG3hg

私は氏・素性を語らないので外国人専門ということで。

徳齢(とくれい)
清朝末期の女官、フランス大使だった父の影響で外国語が堪能な上、利発であったがために西太后のお気に入りに。特に西太后肖像画事件で彼女が見せた機転は有名。

次は「い」でお願いします。

[846] 小袖 2012/10/30 22:51 l6/SgVv1ifP

岩田平作(いわたへいさく)
浦賀奉行組同心。
前出の浜口興右衛門と同じく海軍伝習所第一期生。
咸臨丸の艦長になる。

次は「く」で。

私はご当地でしばらくがんばります。

[847] 水戸の梅 2012/11/02 18:09 xd/5LBdNVTt

栗田健男(くりたたけお)
ご存知レイテは謎の反転、栗田艦隊です。
水戸藩幕末騒動の改革派につながる家柄です。
出世しそうなヤツを祭り上げて、みんなで出世するのが薩摩流。出来のいいヤツはもぐら叩きで、足の引っ張りあいが水戸流。
・・・とは栗田健男の後輩のわが父の言でした。
鹿児島と水戸の映画館で火事が発生したら、鹿児島はスムースに脱出、水戸は出口に殺到して全員焼死、みたいな。
私ももう少しばかりご当地で。

[848] 水戸の梅 2012/11/06 17:24 xd/4Zhnr7Qj

申し遅れました。次は「お」です。

栗田中将は水戸中学校(現、水戸一高)で、わが父の25年くらい先輩みたい。

[849] 小袖 2012/11/07 00:07 l6/AyrqL0pp

大庭 景親(おおば かげちか)
石橋山の合戦で頼朝軍を撃破したのだけれど、富士川の合戦で敗走。
捕らえられて処刑されてしまいます。
兄の景義は早くから頼朝に従い、安泰だったとか。

次は「か」です。

梅様のお父様、すごい人の後輩なんですね。

[850] 水戸の梅 2012/11/08 18:37 xd/0syh3eai

大庭景親さん・・・またまた小袖様のご当地・・・?!
目に矢がささった鎌倉権五郎の裔ですね。藤沢の大庭城跡、むかーし2度ほどいきました。草っ原でお弁当食べました。平安~鎌倉のお城としては、とてつもない規模です。16世紀初頭は争乱の地でしたから、そのころの拡張でしょうか。
>梅様のお父様、すごい人の後輩・・・
終戦時、方や海軍中将、父は単なる燃料屋の技術少尉、子供は舗装屋(恥)

[851] 小袖 2012/11/12 21:58 l6/AyrqL0pp

鎌倉権五郎と言えば、権五郎神社の力餅…あれは美味しいですよね、って、美味しい物には目のない小袖でございます。

[852] 2012/11/26 00:52 p5/FljRG3hg

カスティリオーネ(朗世寧)

イタリア出身の中国の宮廷画家、清朝の康熙・雍正・乾隆の三帝に仕える。
私事ですが去年の今頃、地元で北京故宮博物院展が催され、彼の描いた乾隆帝が新年を祝う絵画を見ました。
中国人画家との合作ではありますが、帝を描いたのはカスティリオーネということで、そのリアリティのある容貌はさすが西洋画家という感がありました。
しかし、この美術展、もし今年に開催予定だったら確実に中止になっていた事でしょう。
そういう意味では貴重な美術品の数々を鑑賞できたことは幸運だったとも言えます。

次は「ね」です。

[853] 小袖 2012/12/01 17:34 l6/3MHsKVg3

根井行親(ねい ゆきちか)

平安末期の武将。信濃の国の名族望月氏の傍流で、木曾義仲の重臣の一人。
源義朝に随い、宇治川の合戦では、頼朝方の武将畠山重忠の馬(磨墨)を射たという。

私の半分は「信濃」の血なんですよ。
住んでいるのは相模の国だけど、信濃の方が思い入れは強いので、しばらくは信濃路線で行こうかと思います。

[854] 水戸の梅 2012/12/08 18:41 xd/K4jtG56W

>カスティリオーネ・・・
調べてみれば円明園の設計者。驚きです。
なんか「カステラ」に通じるようなお名前です。
>根井行親・・・
根井の姓はあまり聞きませんね。
信濃の名族・望月氏の一族は馬(牧場)を管理していましたから、そのあたりで有力だったのでしょうか。
ダジャレをお許しいただければ、ナポレオン麾下の「ネイ」将軍もフランス騎兵を。

[855] 小袖 2012/12/16 08:22 l6/3MHsKVg3

母の実家は平家の落人を自称していますが、これは「眉唾もの」でしょうね(きっぱり)
でも、伯父の連れ合いは「望月」の一族の末裔で、これは本当らしいです。

[856] 水戸の梅 2012/12/19 17:47 xd/R9ztkIr6

>しばらくは信濃路線・・・
>母の実家は平家の落人・・・これは「眉唾もの」でしょうね(きっぱり)・・・
そうきっぱり否定したものでも。平氏の血縁のある家人ということもあります。
昔からお世話になっている、姓氏研究家・室賀寿男氏が関わるサイトがあります。そのうちの「桓武平氏」をご覧ください。http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/sizokugairan/KANMUG.HTM
もしやご母堂様の旧姓が。このサイトで質問をしたこともあるのですが、梅のルーツも、信濃かも! 清和源氏満快流伊那氏族泉氏の一族かなあと思っています。
泉氏とは、かの「泉親衡」です。
そういえば、室賀寿男氏の室賀氏も村上氏とならんで北信の名族ですよね。

[857] 2013/01/28 01:23 p5/PJqaT4x1

加藤次景廉(かとうじかげかど)

頼朝旗挙げ以来の家臣、山木兼高館襲撃の際は兼高の首級をあげるという手柄を立てる。
その後の平家攻めも奮戦、頼朝から美濃国遠山荘の地頭職を恩賞として賜る。
あの江戸の名奉行「遠山の金さん」こと遠山金四郎景元はその後裔。

外人専門のつもりでしたが、私の好きな時代の人が出たので、思わず投稿の次第。

[858] 水戸の梅 2013/02/09 18:40 xd/D5tJHb9N

金さんのお墓、いったことあります。
吾妻鏡を調べたら・治承四年八月小十七日に、
 「・・・盛綱景廉任嚴命入彼舘獲兼隆首・・・」とありますねえー 現代語訳すると、(佐々木)盛綱と(加藤)景廉は(頼朝の)厳命で(山木の)館に突入して兼隆の首を獲った・・・知らなんだ。恵さま、お詳しい! わたしも好きな時代です。(小学校が鎌倉)

「ど」なので、ご当地の、都々逸坊扇歌(どどいつぼうせんか)
都々逸の創始者で、生まれは現、茨城県常陸太田市。江戸・上方で活躍。現、茨城県石岡土浦市で没。記念碑があります。
都々逸といえば、扇歌の作ではありませんが、
“三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい”は有名ですよね。
お次はまた「か」です。

[859] 小袖 2013/02/11 08:59 l6/itz9gbVv

香山 栄左衛門永孝(かやま えいざえもん ながたか)
浦賀奉行与力、ペリー来航時の折衝に当たる。
維新後は茶園を経営して成功したとか。
中島三郎助とは合婿(妻同士が姉妹)

また「か」になっちゃいました。

[860] 水戸の梅 2013/02/21 19:19 xd/9moIeSQa

嗚呼 昔日を思うだに寂しき歴史板の今日この頃、在りし日の皆様やいまいずこ・・・そこで一首、滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ・・・・で、聞こえてきたのは「か」の一音。(笑)
わがご当地で「か」といえば美女・香川京子さんですよ。あらら、ご存命でした。
それでは河鍋暁斎(かわなべぎょうさい)。幕末~明治の風刺・反骨の浮世絵師です。現、茨城県古河の士族出身。
というと同じく古河藩士族の出の奥原晴湖を想起させます。鷹見泉石の姪にして、渡辺崋山に傾倒するものち女流南画家の草分けに。木戸孝允・山内容堂などの知遇を得、弟子に岡倉天心がいます。なんで奥原晴湖なんか出したかというと、ウチの床の間に鑑定団向きの掛け軸が。本物なら・・・
お次は「い」です。

[861] スケート大好き 2013/10/20 09:27 4d/En5GPMtz

伊能忠敬。 いのうただたか。
初めて日本地図を作った超人。
歩く距離の長さで地図を作ったとか…

[862] スケート大好き 2013/10/20 09:28 4d/En5GPMtz

次はかです。

[863] . 2013/10/22 12:18 ZO/uee8V4jy

加藤清正

戦国~安土・桃山時代の武将
豊臣大名

[864] 狗奴人 2013/12/17 17:11 Ak/H2pactZA

崔杼(さいちょ)春秋時代の斉の政治家。崔杼は斉の政治を牛耳っていたが、崔杼が位につけた荘公(光)が自分の妻と密通したためこれを弑逆した。斉の太史は「崔杼、君を弑す」と記録した。崔杼は太史を殺した。するとその弟が同じことを記録したので、またこれを殺した。ところがその弟がまた同じく記録した。ここで崔杼も諦めざるを得なかった。太史の天職である正確な記録は命より重いものだったのである。崔杼はその政治力でもなく、主君を弑逆したことでさえなく、太史を殺したことで歴史を冒涜したことが、大罪として後世にまで記憶されているわけである。 次は「ちょ」

[865] 水戸の梅 2013/12/23 19:18 Vw/VY2kBw8q

「ちょ」なんて、難しすぎ (泣
チョーサーなんか高校時代の記憶だけで。「ちょう」でよければ能登の長一族や末裔の婿の長勇中将なんか。喋々夫人は架空ですし、三国志の趙雲子龍とか趙姓の人名も多いのですが。
「ちょ」限定では猪八戒・・・って歴史人物? 月で絶世の美女神、いまやどこかのロケット名になっちゃった「嫦娥」様にはねつけられ、地上世界に落っことされて上司に酷使されるメタボの猪八戒ちゃんに絶大なるsympathyです。
で、お次は「い」

[866] 狗奴人 2013/12/24 17:21 Ak/CrHhdFZ3

むむっ!猪八戒とは・・・意表をついた変化球・・・楽天のマー君の大きく曲がるスローカーブのような・・・「い」は小生の密度の低い頭の中にも「い」のつく名前でいっぱいに・・・イイスス・ハリストスやイザナギ、イザナミ、のような、ど真ん中のストレートでは・・・ 小生、日本百名山踏破を目指していましたが、富士山、南北アルプス、八ヶ岳、奥秩父、丹沢、天城・・・その後遅遅として進まず、絶望的に・・・ 8000メートル峰全14座登頂の、イイジ・ククチカ(ポーランドの登山家)。滝の音は絶えて久しくなりぬれど・・・ 在りし日の皆様の再登場を祈ります。「か」に続く

[867] 水戸の梅 2014/01/03 17:55 Vw/VY2kBw8q

>日本百名山踏破を目指していました・・・丹沢・・・
丹沢はいわば低名山ですね。大昔、突然丹沢登ろうぜで友人と出発。丹沢は低山なのにやたらアプローチが長い。休憩ごとに持参したワンカップを飲むうちに酔っちゃいまして・・・ 低名山ならぬ酩酊山(恥)
>滝の音は絶えて久しくなりぬれど・・・
嗚呼なんと雅な。コラーゲン減衰のわが身を思う。今は>在りし日の皆様の再登場・・・まで、しづのおだまきを繰り返えすしか。
「か」だったら大好きカーネル(大佐)・サンダースですが、ここは直球で。中世の東国動乱の一翼をになった鎌倉平氏の祖「鎌倉権五郎景政」。大庭氏・梶原氏・長尾氏など、平安末期~戦国の坂東を彩る氏族です。お次は「さ」

[868] 狗奴人 2014/01/05 14:07 Ak/4lYhm2ew

>名低山ならぬ酩酊山・・・座布団一枚! >低山なのにやたらアプローチが長い・・・おそらくバカ尾根(大倉尾根)から塔ノ岳へのルートだと思いますが、実は私も単独登山の山頂で飲み過ぎ、下山中に足を踏み外して斜面を転がったことがあります。 >しづのおだまき・・・静御前~義経~佐藤継信、忠信兄弟と頭に浮かびますが、ここでは敢えて水戸浪士でいきます。

佐野竹之介(さのたけのすけ)水戸藩尊攘派の行動派として知られる。桜田門外の変において、大老の首を討ったあと、老中、脇坂中務大輔(?)邸に大老襲撃の趣意書を届けた四人のうちの一人。深手のため落命。 お客が少ないためシーソーゲームになってきましたが、それも一興。次「け」

[869] 小袖 2014/01/05 17:18 VX/9DhmckIe

慶ぎん尼(けいぎんに)
  「ぎん」は門構えの中に「言」
  龍造寺隆信の母親。夫の死後、鍋島に再嫁し  た。戦の折には自軍を叱咤激励し、政務にも  参加したとか。
立花家のお姫様と並んで、ちょっと魅力を感じます。
次は「に」

久しぶりに御目文字いたします。
今年もよろしくお願いします。

[870] 水戸の梅 2014/01/07 18:22 Vw/VY2kBw8q

>水戸藩尊攘派・・・
水戸に乗り込まれて完全に株を奪われちゃいました。
「に」でパっと閃いたのは日本駄右衛門・・・でも「ん」でボツ。新島襄は記憶に新しすぎだし。
室町中期の日蓮宗の僧「日隆(にちりゅう)」にします。例の本能寺の開祖です。というか、新春の小袖様のご来駕を寿ぎ、日隆は京都六角堂町の豪商“小袖”屋宗句の絶大な支援を受けていましたもので。
おつぎは「う」です。
小袖様、別便にて「筑波山禅定」の情報、お送りいたしております。

[871] 狗奴人 2014/01/08 17:12 Ak/z8eAFkt0

梅さん、小袖さん、やっと真打が二人そろったというところでしょうか。
碓井貞光(うすいのさだみつ)源頼光の四天王。同じ四天王の一人、坂田
金時が足柄山で熊と相撲をとっていた金太郎時代に、頼光の家人として見
出したと伝えられる。貞光が同じ相模の生まれ(異説もある)ということ
とつながりがあると思われる。次「つ」

[872] 水戸の梅 2014/01/09 18:09 Vw/VY2kBw8q

>真打が二人・・・
小袖様はたしかに真打と呼ぶにふさわしいですが・・・
>碓井貞光・・・貞光が同じ相模の生まれ・・・
えと「今昔物語」を引っ張り出してと。『今は昔、摂津守頼光朝臣の郎党にて有りける平の貞道、平の季武、□の公時・・・』とある平の貞道がそうだといいます。続けて、東国でもたびたび武勇の働きがあった、とあります。wikiは、桓武平氏良文流三浦氏祖か相模の古族の裔とか。分からないのは、①東国と関係が深い源頼信ではなく、都人である兄頼光の郎党であること ②碓井の姓 です。下記サイトの論考はとても興味深いものです。http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keijiban/usui1.htm

[873] 狗奴人 2014/01/11 17:13 Ak/csqcSbYl

碓井貞光の生まれが、苗字から類推される碓氷峠という説の碓氷峠は、通説通り信州と上州の国境の碓氷峠だと思っていましたが、紹介されたサイトによると、坂田金時との混同がみられるとしながらも、箱根の碓氷峠である可能性を述べています。私は貞光が金太郎を見出したという童話の話から、貞光の生まれを、もうひとつの説である相模としましたが、サイトの指摘で、意識になかった箱根の碓氷峠を思い出しました。仮に箱根の碓氷峠付近が貞光の生地で苗字に関わるとすると、手前味噌ですが、私の貞光、相模生まれとしたこととの整合性があるわけです。

>東国と関係が深い源頼信ではなく・・・梅さんならではの的を射た疑問だと思います。足柄峠のふもとにある金時神社(静岡県小山町)に金太郎の生年、父母の名とともに「天延4年金太郎(21歳)は足柄峠で源頼光と出会い家来になった」という文書があるそうです。河内源氏として東国に進出した弟頼信に対して、どちらかと言えば摂関家と関係の深い貴族的人物と思われる頼光も、坂東に下向することがあったということになります。根拠はありませんが、貞光も金太郎以前に似たなことがあったのかも知れません。

ここからは私の空想です・・・頼光の下向に郎党として同行した貞光は、同郷の金太郎(2歳下・足柄峠と碓氷峠は山続きのため、友達の可能性もある)の人品骨柄を褒め、郎党に加えることを推奨したため、頼光もそれを受け入れた。金太郎童話で貞光が金太郎を見出したことになっているのも、こういういきさつがあったためでしょうか・・・>>871の「つ」に続く

[874] 狗奴人 2014/01/11 17:26 Ak/csqcSbYl

>貞光も金太郎以前に似たなこと・・・・ 誤
>貞光も金太郎以前に似たようなこと・・ 正

[875] 水戸の梅 2014/01/12 18:30 Vw/VY2kBw8q

源頼光が「足柄峠」を越えて東国へ下向したことは領地・役職からいってないでしょう。せいぜい美濃国くらいまで。源頼光・頼信兄弟は都は兄、坂東は弟、のような役割分担をしていたのでは。頼光の裔・頼政は伊豆守になっていますが150年後です。(頼政=伊豆守、頼朝流罪~旗挙げも伊豆、というのは別の話です)
というのも、一級史料とはいえませんが、今昔物語に、主である頼光の屋敷で平貞道(碓井貞光)は頼信からある人物を討つよう指示されます。「なんじゃい、今はあんた(頼信)の家来じゃないのに」・・・でも結局射殺しましたが。本来、頼信の家来が行うべき仕事を兄の家来に命じた(依頼した)ということから、私は、碓井貞光や坂田金時をリクルートしたのは頼信で、都へ連れて行って兄頼光に付したと考えています。 >郎党に加えることを推奨したため、頼光もそれを受け入れた・・・のはもともとは頼信の推奨でしょうか。
ついでに言えば、酒呑童子一件は、河内源氏に押され気味の摂津源氏and渡辺党の宣伝臭を強く感じますしし、ルーツを桓武平氏の平貞道に求める三浦氏のきな臭さも。
以下はスルーで。酒呑童子は朱点童子・酒顛童子とも表記されるようですが、高校時代は赤点、昨今は酒顛で・・・(恥)
引き続き「つ」です。

[876] . 2014/01/13 04:53 ZO/uee8V4jy

。。。。。。。。。。

[877] 狗奴人 2014/01/13 17:12 Ak/WOK516Gx

>>873 で私が取り上げた小山町の金時神社に伝わる文書は、今昔物語同様、伝説昔話の類で、当然ながらまともに受け取ることは無理な話というところでしょうか。>酒呑童子一件は、河内源氏・・・ 河内、摂津両源氏に対抗意識があったとしても、どこからそういう考えに至るのか、私には分かりかねますが、いささか深読みが過ぎるように思います・・・三浦氏については、先祖を飾るのは三浦氏に限ったことではなく、当然の志向で各氏が自称する先祖は、鵜呑みには出来ないものが多いということだろうと思います・・この件については回答は無用です。お聞き流しを・・・

さて、しりとりを続けます。津軽為信(つがる ためのぶ)初代弘前藩主。甲斐源氏である南部氏一族(はっきりしない点もあるらしい)である大浦氏の出のため、対立する南部家の源氏を嫌い近衛家の傍流を自称した。武家の自称する先祖が、信憑性に乏しいことが多い例のひとつといえよう。次「ぶ」「ふ」

[878] 2014/02/06 11:01 X4/kVaqLtNQ

フランク永井
夜霧の第二国道
有楽町であいましょう
次は「い」です。

[879] 水戸の梅 2014/02/11 18:28 Vw/VY2kBw8q

ご来場嬉しいです。ブラント長い、なんて友人が。許せませんよね。
では、長いのはおみ脚の「池端忍」
平成9年 全日本国民的美少女コンテスト 審査員特別賞
・・・あららご存命 スマソ
それで、「和泉式部」にします。いずみしきぶ、と読みます。
『あらざらむ この世のほかの思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな』 ~イメージとしてはモロ池端忍さんなんですが、ご存知かどうか少し心配しております。次「ぶ」「ふ」 (>877)

[880] かな 2014/02/13 15:51 ML/dktLwPVn

福沢諭吉かなあ。
お金の人物だよお。
次は、ちかなあ。

[882] 狗奴人 2014/02/14 17:17 Ak/6DL3eXbJ

陳勝(ちんしょう)秦の始皇帝死後、日雇農夫の彼は仲間の呉広と共に兵を挙げた。彼の発した「王侯将相、何ぞ種あらんや」という言葉が知られている。「決まった血筋でなきゃ王様や将軍になれねえというもんじゃねえ。力さえあれば誰だってなれるんだ」とうそぶいている陳勝が目に浮かぶ。崩壊に向かいつつあった秦末の時代の空気をよく表している。日雇農夫などの庶民の集団が、秦から楚、漢に至る混沌とした時代の口火を切ったわけである。
>>879 「池端忍」?? 国民的美少女を百人一首の歌にイメージをだぶらせるとは・・・脱帽です。じゃ私も、同じ百人一首の中の紫式部の「めぐりあひて・・・」えーと?この辺で。次「う」

[883] 狗奴人 2014/02/15 13:05 Ak/rqtJizCQ

「王侯将相何ぞ種あらんや」⇒「王侯将相いずくんぞ種あらんや」

[884] 小袖 2014/02/23 16:57 VX/dLqoDmdQ

鸕野讚良(うののささら)
いわずと知れた持統天皇のこと。
天智天皇との合葬墓が調査されるそうですね。
この方のお歌も百人一首にありますが、私が昔好きだったのは「わすれじのゆくすえまでは…」なんて、かわいい歌だったのですが、今は右近の「わすらるるみをばおもわず…」ですかね。
信州路線で行きたかったのですが、彼女が好きなので、ちょっと逸脱させていただきました。

真打なんてとんでもない、末席を汚させていただいております。

次は「ら」でお願いします。

[885] 水戸の梅 2014/02/24 18:19 Vw/VY2kBw8q

>>880
世界の国々の紙幣の肖像って、調べてみるとけっこう勉強になりますよね。
>>879 「池端忍」?? 国民的美少女を百人一首の歌にイメージをだぶらせる・・・
単に、「い」ではじまり「ぶ」で終る人物を探す=狗奴人様>>877に戻したい、というだけです。
高校は漢文があって、十八史略も教材でした。陳勝といえば『燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや』だけ覚えています。
>>884鸕野讚良・・・
真打・小袖様ったらもう、ファンを超えて持統天皇の生まれ変わりみたいですものね。
>信州路線で行きたかったフォローでお次は「蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)」。南宋~日本の
禅僧、鎌倉五山第一・建長寺の開山。信州とまではいきませんが、小袖様ゆかりの甲州にちょこっと縁が。
路線やお得意の古代・鎌倉にこだわらず、小袖様のご来駕こそが梅のモチベーションです。
お次は「う」です。

[886] るい 2014/02/27 15:14 ML/dktLwPVn

宇佐美健三かなあ。
建物の人だよお。
次わ、みです。みで、お願いします。
誰か、教えて下さい。

[887] るい 2014/03/07 17:17 ML/dktLwPVn

みわけさんかなあ。
歴史上の人物だよお。

[888] 2014/03/15 18:42 Oo/LH229yic

ミラード フィルモア
13代アメリカ合衆国大統領 ホイッグ党
次は「ア」です

[889] あめま 2014/03/15 18:54 AC/jThNQJkq

アメマ

[890] 敷の島 2014/05/11 15:12 nP/34TDVil3

阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)唐で科挙に合格し、高官に登る。王維、李白を友人に持つ。遣唐使一行と共に帰国を図ったが果たせなかった。“天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも” 次は「ろ」です。

[891] のんのん 2014/05/12 22:39 8F/63032teG

魯粛(ろしゅく)
 三国志時代の孫権の配下。
 孫権には可愛がられてました。

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