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戦国時代 しりとり

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[0] カーティス 2006/06/25 21:38

戦国時代に出てくる武将・戦い・用語・地名等でしりとりをしましょう。   最初は 「せ」 です。

455件のコメント 406番から455番を表示中

最初から 前の100件 全部 最新20件 dat viwedatをダウンロード
[406] 狗奴人 2014/07/24 17:13 Ak/J1cDUELz

>雲林院光秀 名前、読み、いずれも初見です。 田楽狭間(でんがくはざま)信長の桶狭間の奇襲は、桶狭間か田楽狭間かで論争がある。小瀬甫庵、参謀本部、司馬遼太郎は田楽狭間説である。「信長公記」には「おけはざま山」とあることから、桶狭間にある田楽狭間の戦いという解釈もあるらしい。その後の信長の戦いをみると、こういう戦法は用いていない。大軍を相手に常套作戦では踏みつぶされる、起死回生を期して、いちかばちかの大博打か。「ま」

[407] 水戸の梅 2014/08/01 18:53 Vw/ST3FGVKu

>起死回生を期して、いちかばちかの大博打・・・
じゃない説もあるやに。緻密・必勝の情報戦?、は釈迦じゃなかった狗奴人様に説法でした。
「ま」というとまた~ 松平とか前田とか真壁とか牧野とかのへのお誘いとしか・・・(笑)
ここは枡形(ますがた)。戦国城郭でも大規模なものに作られた、四角く囲まれた出入り口。お次「た」

[408] 狗奴人 2014/08/17 14:54 Ak/zEzEZeT1

まさか、武田信玄、伊達政宗という訳にもいかず、 田手畷の戦い(たてなわてのたたかい)少弐氏と大内氏の戦いだが、この戦いは少弐氏の家臣竜造寺氏の家臣鍋島氏の赤熊軍団の働きによって、少弐側の勝ちとなった。この戦によって竜造寺氏の名が知られ、やがては鍋島家の時代が来るわけである。

[409] 狗奴人 2014/08/17 15:29 Ak/zEzEZeT1

次「い」

[410] パン 2014/08/17 19:21 BY/NC4XjB8I

本当でした。。。
収入が少なく不安で色々と試しましたがどれもウソばっかでしたが、今回は私が実証済みです。
すべての人ができるわけではないので早めの方がいいと思いますよ!

すでに2ちゃんでも話題にあり始めています!
http://wk.tk/K8QK1G

[411] 水戸の梅 2014/08/19 19:13 Vw/4ZnJGZlE

硫黄(いおう)。採取は奈良時代からのようですが、その後火薬の原料として、戦国の国内はもとより重要な輸出品のひとつ(ほかには銅インゴット・刀剣など)になりました。ヨーロッパではイタリア産の硫黄。次「う」

[412] 狗奴人 2014/08/28 17:24 Ak/SyC3va76

馬(うま) 戦国当時の馬は蒙古馬系のずんぐりした小柄な馬である。(宣教師たちはポニーと呼んでいたそうだ)戦国の騎馬武者姿は映画やテレビドラマでのサラブレッドの颯爽たるものとはかなり様子が違うことになる。「ま」

[413] 水戸の梅 2014/08/30 17:45 Vw/sa3RWdwC

掛け合い、にもならなくて恐縮です。ほかの人、来て。
町鎧(まちよろい)。町で売ってるヨロイです。
本来甲冑は体型・地位による受注生産品ですが、戦が頻発、じゃんじゃん売れるようになると、洋服の△△みたいに「見世」に既製品を並べるようになりました。少し時代は下りますが、重文「喜多院職人尽絵二十四図」に載っています。お次「い」

[414] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2014/08/30 18:45 6r/Lr7QvXKk

最高の無料エロ動画サイト見つけました!!

めちゃくちゃエロいから、家で見た方が良いですよ!
ぜったい勃っちゃうから、外で見るとやばい事に・・(笑)

googleでもyagooでも、どっちでも良いから、
【無料エロ tatsuya】って検索すると1番上に出ます!

こんな無料エロ動画見れるなら風俗とかいらないな…

[415] 狗奴人 2014/09/04 17:19 Ak/NoKhNhxx

・・・そのうち誰か・・・ 稲生の戦い(いのうのたたかい) 織田信秀の死後、奇行の多い嫡男信長では、織田家をまとめられないと考えた宿老、林秀貞や信長の弟、信勝(信行)の臣の柴田勝家等は信勝に家督を継がせようとしたことから起こった戦い。敗れた信勝は母のとりなしで助命されたが、再度謀反を企て殺された。戦い後も宿老であり続けた林秀貞は二十年後に信長に追放された。信長幼少の頃からの家老でありながら、弟を家督にしようとした秀貞を、信長は心から許してはいなかったことと、側近に仕えながら信長の素質を見抜けず、無能でありながら大禄をはむ秀貞は用無しとして追放したとも思える。またまた「い」で失礼。

[416] 水戸の梅 2014/09/04 18:03 Vw/sa3RWdwC

硫黄はやっちゃったので畳の「いぐさ」。室町後期の書院造より発展。近世~近代に庶民にまで。古来、おおよそ人が寝るのは莚(むしろ)でした。むしろは席とも書きます。すなわち『男女七歳にして席を同じうせず』の席(草冠も)とは寝る場所=お蒲団のことですし、『玉ほこの道行き疲れ稲莚しきても君を・・・』の莚ってやっぱりお蒲団・・・(赤面) 次「さ」
ほかの人も来て

[417] 2014/09/04 18:09 CN/oT8i9qia

相模

[418] 水戸の梅 2014/09/05 18:08 Vw/sa3RWdwC

ちょっと調べてみたら席の字を使った『席田郡』(むしろだぐん)の地名もありました。2ヶ所とも明治中期に郡名消滅。平成の大合併での全国各地の郡名消滅も記憶に新しいところ。せっかくの天さんの「相模」ですが、戦国の謂れが・・・。いちおうお次も「さ」のままでは。

[419] 2014/09/05 19:23 CN/9UA6JuDk

よく考えたら相模の国は江戸時代か…
うーん、歴史は苦手じゃ。。。
水をさしてしまったようで申し訳ないです。
また挑戦します(`・ω・´)

[421] 狗奴人 2014/09/07 08:10 Ak/741tW8y0

「さ」といえば猿飛佐助、真田十勇士・・・は置いといて、 先手大将(さきてたいしょう) 先鋒隊の大将。関ケ原の戦いで石田勢の島左近と加藤勢の塙団右衛門が思い浮かぶ。「う」

[422] 水戸の梅 2014/09/19 18:03 Vw/UzjCuxuB

>419 よく考えたら相模の国は江戸時代か・・・
そうでもないです。戦国時代、小田原北条氏の根拠地でしたから。天様、失礼お許しください。いかようにもフォロー申し上げますのでまたぜひ。
「う」なので、相模の国は小田原北条氏がらみで「外郎(ういろう)」
中国・元の礼部外郎職にあった陳氏の末裔が来日、めぐりめぐって小田原で家伝の薬を北条氏綱に献上、以来小田原名物に。陳さんのご子孫はいまも小田原でお店を。えと、名古屋の外郎は関係あるともないとも。
>421塙団右衛門・・・
塙はふつう「ハナワ」と訓み、周囲より少し高い丘・微高地(の住民)からきた名字です。塙保己一。鹿島神宮の神職にも。転じて花輪姓。ちなみに低い土地、土偏に下は圷(アクツ)です。アクは悪あるいは梵語のアクアで、ツは水辺でしょう。「バン」と訓むのがどうもわかりません。お次、また「う」

[423] 狗奴人 2014/10/09 15:13 Ak/GsZs1DnS

「梅干し」(うめぼし)梅干しに含まれる塩分、クエン酸は戦いにつかれた男たちの体力回復に役立ったと思われる。種を取って糸でつなげる等の工夫をしていたらしい。現在でもむすびに使われているように、梅干しほど飯に合うものはない。戦国の携帯副食としてはナンバーワンと言えるかもしれない。「し」

[424] 水戸の梅 2014/10/11 18:27 Vw/UzjCuxuB

各方面で干されている私こと梅です。
私年号(しねんごう)。
朝廷以外が勝手に作った年号。初見は平安末といわれますが、戦国期の東国でかなり創作、使われました。年号はもともと慶事・凶事に応じて改元されたわけですが・・・公方だ管領だ小田原だ・謙信が来た武田も来た・小弓だ千葉だ里見だ・佐竹頑張る結城頑張る~戦国動乱しっちゃかめっちゃかの関東で、大々迷惑の人々がなんとか良い年にの願いで「勝手に」作ったのでしょう。
次「う」

[425] 狗奴人 2014/10/12 14:01 JG/CWwEYxIp

>各方面で干されている私・・・ 適度に干されて熟成され、一段と味が向上したということでしょうか。 「浮野」(うきの) 清州織田家の守護代、織田信友と自己の弟信勝に打ち勝った信長は嫡流岩倉織田氏の内紛に乗じ、浮野において岩倉織田氏の信賢に勝利し、岩倉織田氏の本拠岩倉城をもおとし、尾張の統一を完成させた。戦国檜舞台への準備は整ったのである。「の」

[426] サンシャインロケット 2014/10/12 14:09 wh/zfmHGTQ0

野田信長
見たことはないがハイブリット

[427] サンシャインロケット 2014/10/12 14:10 wh/zfmHGTQ0

歴史の創造主らしい

[428] 水戸の梅 2014/10/21 18:19 Vw/UzjCuxuB

歴史知識はあるのに、こわくて?まっとうなカキコが出来ずにまぜっかえすのが喜びなのかなあ。そういえばコテハン旧ザビビ(~10年前)でも散見。
>適度に干されて熟成され、一段と味が向上・・・
=過度に干されて乾燥され、一段と味が下落・・・(泣)
野面積(のづらづみ)。
ご承知のとおり城郭石垣ではもっとも古い。
石垣に使う石の加工程度によっていまも使われる分類用語(野面積・打込接・切込接)は荻生徂徠の命名とか。梅は国交省・1級土木施工管理技士でありますが、都市土木/舗装専業で、石積みは専門外です。
お次「み」

[429] 狗奴人 2014/10/23 17:16 JG/nkkrrCzD

築城全盛期以前は安土城や浜松城等、多数の野面積の城郭が知られていますが、箱根峠の近く箱根西麓の後北条氏の山中城は石垣を使わず、関東ローム層の土を叩き固めた城郭で、障子堀や畝堀等、後北条氏独特の築城法です。(発掘後は灌木と芝で崩落を防いる) さて、三好長慶(みよし ながよし) 足利将軍 義晴 義輝を放逐し京に三好政権を樹立した。信長に先行する最初の戦国天下人だったわけだが、どうも評判がよくない。重臣であった松永久秀とともに下剋上の悪人というのが現代の評価だろう。家来の久秀に操られた凡庸な武将ともいわれている。

[430] 狗奴人 2014/10/23 17:18 JG/nkkrrCzD

次「し」

[431] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2014/11/03 19:01 Vw/yTl4cypY

>後北条氏の山中城/障子堀・・・
! お取り上げくださりもう、涙ナミダです。2回行きました。公園に。ただ、堀の法面の芝生って歴史的にどうなんでしょうね。美観か公園管理上の洗掘防止対策かなとも。
後北条氏関連では、山中城の北北西15キロの葛山城跡は、豪族のふだんの住居「館」といざの場合の背後の詰めの「城」がセットの史跡でおすすめ。
>下剋上の悪人・・・
うーん 庶民を惑わせカネを稼いだ吉川〇治や司馬〇太郎、海音寺〇五郎・子母沢〇なんかの罪は憎みても余りあるものです(笑)
で、陣羽織。戦国の偉い人が具足の上にはおった緞子なんかの上着。
次は「り」

[432] 水戸の梅 2014/11/03 19:04 Vw/yTl4cypY

↑投稿者名、水戸の梅です。

[433] 狗奴人 2014/11/08 09:00 JG/oQVj73bH

太公望の斉の都「臨淄(りんし)」 臨淄は戦国時代、文化都市として、稷下の学士、諸氏百家や、また、名将楽毅に攻められたこと等、興味深い話には事欠かないが、ここでは別の面に注目したい。日本と中国の学者による、約2500年前、2000年前の臨淄遺跡から出土した人骨と現代臨淄住民の遺伝子の比較研究の結果「2500年前、春秋戦国時代の臨淄住民の遺伝子は現代ヨーロッパ人の遺伝子と、2000年前、前漢末の臨淄住民の遺伝子は現代中央アジア人の遺伝子と非常に近く、現代臨淄住民の遺伝子は現代東アジア人の遺伝子と変わらないものであった。これによって古代の中国人と現代中国人はかなり違っていたのではないか」という仮説が浮上していることである。

古代中国の歴史は流動的でダイナミックなものであり、支配層の人種が変わることは考えられるにしても(今のところ仮説だが)住民の人種が入れ替わるほどだったのかという驚きと、中国大陸西部ならともかく、朝鮮に近く、東アジアそのものといえる大陸の東部(山東半島の根元)である臨淄の住民が、春秋戦国時代には白人系統(にわかには信じがたいが)の可能性があったということは、意外性とともに、民族の移動を伴う大陸の歴史変動のスケールの大きさとロマンをも感じる。 「し」

[434] 水戸の梅 2014/11/11 19:45 Vw/yTl4cypY

ほかの人、来ませんねー
しかたなく・・・また「し」ですか
じゃ、「尻たたき」
エロいといえばエロいのですが、AVのスパンキングではありませぬよ。嫁の婚家へのなじみ・子孫繁栄への応援であります。梅が5歳のころの村芝居で「ありゃ・・・もしや・・・ウゲゲ・・・」の寸劇も。
子供がいっぱいいないとダメな戦国発祥の民俗であります。近世・近代、とくに近現代、梅も含めてオトコが尻たたきに遭っておるのは周知の事実。
次「き」

[435] 狗奴人 2014/11/15 17:13 JG/Lvj1O6aw

気象(きしょう) 信長は豪雨にまぎれて今川本隊のいる桶狭間に進軍する。豪雨のため今川勢は信長が近づいてくるのに気が付くのが遅れたと思われる。義元を討ち取るときには雨はあがっていたらしいが、今川の休憩中であり豪雨の直後である。今川陣は混乱し、あえなく信長に大将首を献上することになった。公家文化にかぶれ、武将らしからぬ義元だと思いがちだが、襲ってきた織田勢と刀槍で戦い、服部一忠の右膝を切っている。

しかし、助太刀の毛利新助に首を挙げられた。首を掻かれるとき、新助の左手の指を食いちぎったといわれているが、真偽はわからない。十分の一の軍勢で敵の大将を討ち取るという劇的な勝利を収めたということが、この戦いが人口に膾炙している所以だが、この戦いは大軍に対する小規模な戦いながら、戦国の状況に大きな影響を与え、ここから安土桃山、徳川時代への流れが始まったのである。「う」

[436] 水戸の梅 2014/11/17 18:06 Vw/dmoiWz0q

だれも来ませんねー。寂しい
人名・地名・合戦名なんかでは面白くないので、なるたけ戦国の民俗・風習・事物なんかの一般名詞でカキコをと。
でも「う」は難しい。うーん
「後妻打ち=うわなりうち」
吾妻鏡に北条政子の例があって恐縮ですが、室町後期に盛んに行われました。恐ろしや女房殿。
次「ち」

[437] 狗奴人 2014/11/20 17:15 JG/jtEjJDkX

>だれも来ませんねー・・・ 以前のザビビの梅さんやその他の人たちの、レベルの高い歴史カテは望むべくもありません。さびれきっている現ザビビの、休眠同然の学問部門で細々と続いている歴史カテも水戸の梅、狗奴人両人のうち一人が投稿をやめれば、歴史カテは完全休眠に入ります。相手が居れば書き込んでみる。まあ、そんなところでしょう。 「うわなりうち」政子は手厳しかったでしょうが、一般的なものは慣習化しユーモアさえ感じます。 さて、茶の湯の「茶釜(ちゃがま)」松永久秀が他人の手に渡るのを嫌い、切腹時に打ち壊したという「平蜘蛛」が有名。「ま」

[438] 水戸の梅 2014/11/29 17:37 Vw/dmoiWz0q

>さびれきっている現ザビビの、休眠同然の学問部門で細々と続いている歴史カテ・・・
やるせなくもあまりに的確なコメントでいっそう滅入りますです。(泣)
「ま」では過日「枡形」を。今回またまた城郭用語で恐縮ですが「丸馬出し」
甲陽軍鑑にも登場する武田流築城術、お城の出入り口の外に作った駐兵場所。これの大きいのが有名な大坂城真田丸。お次「し」
たれ(誰)かある! たれかある! 嗚呼

[439] 狗奴人 2014/11/30 17:20 JG/vx6KWOnJ

殿(しんがり) 金ヶ崎の木下藤吉郎の殿軍が有名だが、史実では藤吉郎は池田勝正の殿軍の部将の一人だったことが知られている。池田勝正の殿軍の中で藤吉郎の部隊が活躍したのだろう。 >たれかある! 嗚呼・・・ 殿、お気を確かに・・・近くに人の気配はござりませぬ・・・  「り」

[440] 水戸の梅 2014/12/03 18:08 Vw/dmoiWz0q

>近くに人の気配はござりませぬ・・・
蒲団がまだ暖かいっ!というのは別話でしたっけ(恥)
戦国時代カテで一般名詞で「り」とは殺生な。固有名詞なら竜造寺何某なんかに逃げちゃおうかなと2晩寝ないで思い出したのが、戦国ぎりぎりセーフ?の「隆達節(りゅうたつぶし)」。
堺の僧・隆達がはやらせた小歌(小唄ではありません)。小歌とは、朝廷の格式高い男性奏者由来の大歌に対する女房たちの作詞による俗っぽく短い歌詞もので、隆達はそれらを収集(隆達小歌集)これに独特のメロディをつけて大ヒットさせました。江戸期の端唄~近代の小唄につながっているかと。
お次「し」 末尾ラ行はしんどい・・・

[441] 狗奴人 2014/12/07 14:52 JG/zB5LsRfV

隆達節?小歌? 相変わらず歴史の薀蓄の広さと深さに感服。和語は語頭にラ行が立ちませんが、語尾にラ行を避けることにまで気が回らない次第。 陣場奉行(じんばぶぎょう)武田の原なにがし、などがうかぶ。戦場の配置を決めるのだろうが、脇役なので華々しい活躍の話は聞かない。「う」

[442] 水戸の梅 2014/12/09 19:12 Vw/dmoiWz0q

狗奴人様のせいで2晩眠れなかったけど、「う」は5秒で来ました! 「うんすんかるた」
ワルの30年ちょっと前、ポーカーで給料2ヶ月分稼いで、恐ろしくなって以後きっぱりの梅です。♪これも時効あれも時効たぶん時効きっと時効・・・(恥)  次「た」

[443] 狗奴人 2014/12/12 17:25 JG/L5MzOG5E

うんすんかるたで“給料の2ヶ月分儲けて、その後きっぱりやめる”ギャンブルにしてもドラッグにしても、そこから深みに・・・梅さんの自制心の強い一面を垣間見る思いです。我々凡人には「うん とも すん とも言えません」。さて、短刀「人影」(たんとう・ひとかげ)これは御殿場市のある旧家の家宝です。この短刀には、信玄が北条の深沢城を攻めたときの興味深い逸話がありますが・・・。「げ・け」

[444] 水戸の梅 2014/12/13 18:32 Vw/dmoiWz0q

中世城郭は好きな分野ですが、短刀・人影? 教えてください。至近?の葛山氏城館跡は館と詰め城がセットで遺る貴重な遺跡で2回いきました。
「け」といえば剣術。江戸時代じゃないの?と思われるかも知れませんが、兵法源流3大流派が形を整えたのが戦国時代です。以下記憶のままで間違っていたらごめんなさい。念流(真庭念流・厳流・一刀流~北辰一刀流)、陰流(新陰流~タイ捨流)、鹿島・香取の兵法(鹿島新当流・示現流~直心影流)の三つがそれです。
狗奴人様のお住まいが分かりませんが、毎年秋、鹿島神宮にて、全国古武道奉納演武大会があります。一見の価値があります。ご興味がございましたら「日本古武道協会」でご検索を。
次「つ」
狗奴人様、カテ消滅防止のため続けましょうね。(涙)

[445] 狗奴人 2014/12/16 17:19 JG/AgbYOQHi

歴史に造詣の深い梅さんとのやりとりは、こちらの望むところです。 「短刀・人影」については記憶だけですが、深沢の里に元武田の家臣だった清左衛門?という郷士?(妻は深沢城主と縁続き)が住んでおり、武田軍が深沢城を囲んだときに親友の武田の家臣から、城の抜け穴を尋ねられて友情か義理かで悩んでいたところ、妻は自分が居なければ夫は武田方に味方し出世できると、父の形見の短刀で自害。夫は何年か後、妻の命日にその短刀で切腹。法要の席で、夕日を受けた刀身に、清左衛門の影が浮かび、人々はその短刀を「人影」と呼んだ。というような逸話です。うろ覚えで失礼。

鍔(つば)は相手の刀剣から手を護るというのは二次的なもので、突いたときに手が刃のほうに滑らないようにすること、鯉口を切るときに便利なこと、刀身との重量のバランスをとること、が主目的だという。鍔がないと左手では簡単に鯉口が切れない。確かに、左親指で鍔を押して目立たず鯉口を切り、すばやく臨戦態勢をとれる。周囲を賊に囲まれた主人公が、静かに鯉口を切る。時代劇で息をつめて見つめるところである。話が江戸時代になったが、戦国時代の量産品では鍔がない刀や、小ぶりな鍔のものが多かったそうである。「ば・は」

[446] 水戸の梅 2014/12/17 18:25 Vw/dmoiWz0q

そのような逸話でしたか。御殿場のあたりの駿東郡は戦国期、武田・北条・今川などの勢力圏の境だったのでしょうね。少しさかのぼれば後醍醐天皇の時代錯誤に鉄鎚を下し、以後武家政権500年の端緒を飾る「竹ノ下合戦」もあの辺で。
「ば」とのご指示で即!浮かんだのが「ばはん船」・・・ですが、末尾「ん」はたぶんご法度。じゃ「ばはん禁止令」、はもう豊臣政権下だし。歴史用語で「ん」で終る院・陣・神・郡・銭・門・殿・乱・藩・変・紋・件(事件)などゴマンとあって掣肘に苦労しますよね。
で、ひねりにひねって、さらにひねって「般若」。ご存じのとおり般若とはサンスクリット語のプラジュニャー・・・ブラジャーではありませぬ(恥) 意味は智慧。これが室町後期、能楽のお面になって、道成寺・黒塚などに使われる「般若のお面」となりました。って苦しいな。次「や」

[447] 狗奴人 2014/12/19 17:19 JG/vf5bTD3H

>>0で確かめましたが、末尾「ん」を禁じていません。「ばはん船」は「せ」「せん」でOKというわけです。武将や土地、戦いの名称もどんどん出して薀蓄を開陳してはどうでしょうか。 「知恵」ではなく「智慧」・・・  「般若」と「般若の面」とは直接関係があるとも思えませんが、どうしてあんなにおっかない顔してんですかね。 

矢(や)、親父が弓に凝っていて、弓道大会がある祭りが近くなると巻藁に矢を打ち込み、稽古をしていたのを思い出します。祭で小さい金の的を射たりすると酒の席などでは大自慢。当時の僕ちゃんは弓に全く興味なし。 さて、弓矢といえば那須与一。扇の的を射ぬいたのが事実なら・・・当時の戦いは優雅なもの・・・ 続けて「や」で失礼。

[448] 水戸の梅 2014/12/28 19:27 Vw/dmoiWz0q

>薀蓄を開陳・・・
思いつき+行き当たりばったりです。「ん」もOKでしたか。
>「般若」と「般若の面」・・・どうしてあんなにおっかない顔・・・
私も無知です。先輩に電話しましたら
、日本の蛇信仰~民俗のお祭りの蛇のかっこう(面)~能楽の蛇面~(演出の必要で女性の要素を取り入れて)般若のお面、じゃないかと。なんでハンニャかと梅が無理やりですが、インド由来?の水神やら弁天様やらとサンスクリット語のなんたらが結びついたのかなあと。思い起こせば、悪い子のボクを叱る母の顔(恥)
「や」ならもう「槍」
平安末~鎌倉は遠戦武器は弓で騎射全盛。近距離は薙刀。至近距離は太刀。歩兵(足軽)戦術が一般的になる室町中後期になると、たいして訓練もいらない槍が接近戦の主武器となりました。民俗のうえでもヤリは古代から民衆に狩猟・漁労にふつうに使われていましたから。
戦場で刀が折れ矢も尽きてとっさに小刀を竹の先につけた(菊池槍)みたいな状況が、全国でけっこう生じた結果生まれたのでしょう。次「り」・・・鬼門のラ行です。

[449] 狗奴人 2015/01/08 17:15 JG/dDfccN87

略押(りゃくおう)・・起請文等の文書に花押の代用にする・・花押は名前を図案化したものだが、戦国時代には信長の「麟」秀吉の「悉」のように花押が多様化した。戦国大名間の起請文などは正式な花押が書かれただろうが、多勢の一揆の起請文などでは花押の書けない者もいて、簡単な略押で済ませることもあったようだ。中世の農民の書いた荘園の本所か預所への文書で、ひらがなで書いた名前の下に「○に斜めの棒」や「メあるいは×」のような略押のあった文書を歴史雑誌か何かで見た記憶がある。「う」

[450] 水戸の梅 2015/01/16 18:01 Vw/dmoiWz0q

なるほど。江戸期より前までは識字率が低かったんですね。
今年も細々、来客を待ちましょう。
「う」だと能の梅若流。応仁・文明のころ天皇から賜った姓です。流名は近世も続き、戦後に観世流に吸収された形になったと思います。次また「う」

[451] 狗奴人 2015/01/21 17:21 JG/KM71U4k1

宇和島挙兵(うわじまきょへい) 国司として下向し土佐西部に現地の戦国大名化した一条氏は長曾我部勢力の浸透や、五代当主兼定の乱行もあり、家臣団に見放され追放された。豊後の大友氏に逃れたが、翌年兼定は領地回復を目指して伊予宇和島に挙兵した。しかし、長曾我部元親により四万十川で撃破された。五摂家の流れをくむ高貴な家筋の一条氏、死生知らずの野武士といわれる一両具足の長曾我部氏、対照的な対戦だが、公家くずれが一両具足にかなうはずもない。 「い」

[452] 水戸の梅 2015/01/21 18:45 Vw/dmoiWz0q

「い」がつく戦国大名や武家はたくさんいるのですが、ここは頑張って「印判状(いんぱんじょう)」。戦国の大名が領国内の有力国人や他国の大名に出した書状。あるいはその書式。>449でご指摘の手書きの花押の代わりにハンコを使って国人や地侍に大量に発給できることになりました。ごめんなさい次も「う」

[453] 狗奴人 2015/01/25 10:31 JG/2N7QmRqx

右近衛大将(うこんえのだいしょう)天正3年、信長が任じられた武門の最高官位。右近衛大将は征夷大将軍とほぼ同等と思われるが、信長に追放される前の室町幕府の最後の将軍足利義昭は近衛中将であったので信長は義昭の上司となり、名実ともに天下人と朝廷から認められたわけである。信長が義昭を追放したのは、臣下でありながら将軍を追放するという下剋上ではなく、上位のものが下位の者を追放するという正規なものであったことになる。信長は義昭個人を追放したのであって、室町幕府を倒そうとしたのではないとも思える。 またまた「う」です。

[454] 似非右翼オビツ 2019/12/10 17:08 v2/5usClWEx

舟橋市中山

[455] Q&Q 2020/05/19 14:32 aL/bo9HB7tM

宇喜多秀家

次「え」

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