変わった食文化を紹介するコーナー「諸国悪もの食ひ」
明治40年(1907年)の、9月から10月にかけて、東京朝日新聞(現・朝日新聞)で、「諸国悪もの食ひ」という小さなコーナーが30数回に渡って連載されていた時期があった。
これは日本各地の変わった食べ物を紹介するコーナーで、虫などを食べるような、いわゆるゲテモノ食いの食文化を紹介するコーナーだった。
その中において、人間の死体を食うという記事がいくつか掲載されたことがある。
「脳味噌(のうみそ)の黒焼き」 <東京・日暮里>
梅毒患者には大の妙薬という迷信で今も行われている。ことに人骨をからめると、もっとも効き目があるとして、ずいぶん火葬場の骨揚げの時にモリモリやらかす者がある。
(明治40年10月7日)
明治時代まで、難病に対する治療薬として人間の臓器や脳を食べると効果があると信じていた者は多く、火葬場に死体や骨を求めて訪れる人も結構いたらしい。
もちろん、その効果が医学的に証明されていたというわけではなく、ただの迷信であるが、昔のことゆえ、「人間の死体は薬になる。」という考え方が発生したのも自然の流れかも知れない。
15件のコメント 1番から15番を表示中
datをダウンロード戦後の欧米文化普及のお陰で野蛮で迷信深い土人から抜け出したのである。
>>ずいぶん火葬場の骨揚げの時にモリモリやらかす者がある。
モリモリやらかすw死体をモリモリ食べるて事でしょw
パプアニューギニアの土人と全く同じレベルw
明治、大正の頃の一般庶民なんて薄汚い粗末な茅葺き屋根の掘っ立て小屋に住んでいましたからね。
中庭付きの家なんて上流階級のみ。
ネットだとチョンは粗末な小屋に住む土人で日本人は清潔な住宅に住んでいた文明人みたいに言われているけど日本を美化し過ぎ。
欧米から見れば目くそ鼻くそどっこいどっこいだよ。
あたしく的にはキリシタンの拷問が酷いと思ったわ。日本キリシタン殉教史とか検索して画像を拝むと残酷な拷問だと思ったわ。
日本人実は・・・
1907年には伝聞をセンセーショナルに伝るマスコミが存在したが、梅毒が日本に入ったのは幕末期でもある。それまで日本には性病は無く、あるとすれば不治の病としての結核であった。梅毒も治療法が無かったけど、人肉などが効く!と言う噂や行為が広がったり、それが新政府によって制御されない時期があったとは思えない。韓国などは昔も今も野蛮人だな。
病に苦しむ者は活路を見出そうとする物だけど、1907年ごろなら全てが火葬されていたとは限らない。ウチの別荘のある村は1970年代には土葬から火葬に切り替えていて、昔ながらの風呂桶型の棺桶を掘り返して火葬にし直していた。10数年前に埋葬した奥さんが、ミイラにもならずに綺麗な姿で掘り起こされた!などと言う事が村の話題になっていたな。チョンには嘘が見抜けない物だな・・・
棺桶の密閉度が異常なまでに高かったか?あるいは細菌などが酸素を食い尽くしたか?掘り起こされた奥さんは若い時のまま腐敗もミイラ化もせずに、再開した旦那だけが年月の分だけ歳を取っている。土葬の場合はそんな事も起こり得るのだな・・・
知能が低すぎる連中は文書を漁っても年月を過ごしても何一つ理解できないだろう・・・
火葬って、骨壺に収める為に灰になるまで焼くし、「ご親族の皆様、今ここまで焼きあがりました!」と途中経過を見せてくれる物じゃ無いしな・・・
>>0全くのデマとも思えないがね。
デマとしか思えない。と言うより、当時の世相を想像して見るに、まだ明治になって火葬が普及し始めた時の抵抗感が残ってたんじゃないか?とも思える。田舎は1970年代でもまだ改葬中だったし、都会にある墓石だって〝○○家の墓”は古くて江戸末期、それ以前になるとまだ残っている物も〝誰々の墓”になる。火葬だと、墓の下に骨壺を並べて行って、一杯になりそうだと、大き目の骨壺を用意して、古い人の骨はまとめてそれに入れる。ゾンビ宜しく生の死体に噛り付く訳にも行かないだろうし、脳味噌の黒焼き状態とか有り得ない。もう一つは日本のホラ話や与太話の類で、他人が気味悪がったりする作り話などをする習慣だな。梅毒が進行すると鼻が取れてしまったり脳がやられてしまうから、人間の脳が効く!と言うデマも、漢方的考え方として有り得なくは無いけど、それならば土葬途中の遺体を盗んで料理したって良い。その様な事件が起こったと言う事も聞かない。
明治の御骨だってしっかりと焼いてあるな。古い骨壺を開けたら、シャレコウベが詰め込んであったわ!と言う事も無い・・・