FC2 ザ掲示板

カテゴリ
テーマ別トーク >> 学校生活・学問

仏教について

このエントリーをはてなブックマークに追加

[0] pipit 2020/09/29 20:34 I2/tgpOc4Sf

仏教についてのスレッドです。
よろしくお願いします。

1024件のコメント 147番から1024番を表示中

最初から 前の100件 全部 最新20件 dat viwedatをダウンロード
[147] pipit 2020/10/25 22:28 JV/tgpOc4Sf

ナモー 礼拝、尊敬、敬礼
タッサ 彼
バガワトー 世尊
アラハトー 阿羅漢
サンマー 正しく、完全に
サンブッダッサ 正覚者、よく覚れる

みたいな意味の単語だそうで、原語は書いてないけど、多分その礼拝文を訳したと思われる、片山一良先生がお書きになってる文は、
『阿羅漢にして、正自覚者なる、かの世尊を拝したてまつる』で、

『この言葉を念じて開始いたしましょう。仏を拝し、仏に学ぶ、ということです。』
と続けられて、経典の解説をなされていました。
『パーリ仏典にブッダの禅定を学ぶ『大念処経』を読む』片山一良先生著、大法輪閣、p21参照

[148] タンチョウ 2020/10/26 16:35 BW/GAGilXIy

pipitさん

・南無阿弥陀仏・・・浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗、天台宗

・南無釈迦無尼仏・・・臨済宗、曹洞宗

・南無妙法蓮華経・・・日蓮宗

・南無大師遍照金剛・・・真言宗

・南無毘盧舎那仏・・・律宗

・南無釈迦牟尼仏・・・黄檗宗

『南無』だけは一緒なのは何故・・?

[149] pipit 2020/10/26 16:48 JV/tgpOc4Sf

>>148

>南無南無○○とは・・自我の身売り・・お任せすること・・でしょう?・・<

そうなのですね。
タンチョウさん、教えていただいてありがとうございます。

[150] pipit 2020/10/26 16:50 JV/tgpOc4Sf

学習するとは、ある意味、自己中の自我を明け渡すことであるかもしれませんね。😊

[151] タンチョウ 2020/10/26 17:31 BW/GAGilXIy

宗教とは自分を捨ててしまわなければならないのでしょうか?

神仏にお仕えするような?

宗教には自由が無いのでしょうか?

[152] pipit 2020/10/26 18:22 JV/tgpOc4Sf

>>151
私は、仏教徒でありたい者ですけど、
オープンチャレンジに思ってます。

実践して、納得が生まれないなら、離れるのは自由。

それで問題ないと思ってますが、タンチョウさんは、どのような感想を持たれますか?

わたしのようなスタンスの場合、自由?自由でない?

[153] pipit 2020/10/26 18:30 JV/tgpOc4Sf

> >151
タンチョウさんは、神様みたいな存在を、信じてるのですか?

[154] pipit 2020/10/26 18:34 JV/tgpOc4Sf

限界状況にならないと包摂者に出会えない、というのは、自由?

[155] タンチョウ 2020/10/26 18:57 BW/GAGilXIy

真理が自己自身を欲することの中に一つの裂け目が横たわっているので超越者について飛躍しなければならないそうです。

真理への意志において『帰依する』神性に対する信頼の反面、反抗するだけの神性も確信されるそうです。

神は自分に都合良くは出来ていないらしいです・・

仏教は自分に都合良くくっついたり離れたり出来るのでしょうか?

[156] pipit 2020/10/26 18:59 JV/tgpOc4Sf

タンチョウさんは、ヤスパースさんを信じている。

タンチョウさんは、自由ですか?

[157] pipit 2020/10/26 19:21 JV/tgpOc4Sf

>>156

この場合の自由は、どちらに属するものですか?

ヤスパースさん?

タンチョウさん?

[158] タンチョウ 2020/10/26 19:50 BW/GAGilXIy

pipitさん

自由とは自然の法通りにする自由と自分の意志・気まぐれ通りにする自由と二通りあります・・

それより前に・・南無すること・帰依すること・・これには自由がありますか?

[159] pipit 2020/10/26 20:31 JV/tgpOc4Sf

>>158

わたしは、今のところ、自由はあると思います。

タンチョウさんに、なにを南無するか、なにを南無しないか、なにに帰依するか、なにに帰依しないか、
自由はありますか?
それとも、タンチョウさんに自由はありませんか?

[160] タンチョウ 2020/10/26 20:50 BW/GAGilXIy

>>159

仏教なら私は京都でお煎茶を習っていた単立の臨済宗が大好きだったのです・・

しかし宗教の自由はありません・・

[161] pipit 2020/10/26 21:01 JV/tgpOc4Sf

>>160
住む家の宗教が自分の意志に関係なく決定済みだということですか?
そうですねぇ。そういう意味では、ある程度決められてる気もしますねぇ。
わたしもそうです。好き勝手には全然できません(根性なしですし)

人間は、みんな、どこかしら不自由なのかもしれませんね〜。

[162] きまぐれ 2020/10/27 06:12 JV/2NARcXy9

横槍失礼。

詳しくないのですが、自由はもともと仏教用語ですよね?
西洋のフリーダムやリバティとは元来違うのでは?

[163] きまぐれ 2020/10/27 06:17 JV/2NARcXy9

それともう一つ、他力をどう捉えるか?
他力と自由はどう関係するのだろうか?

[164] きまぐれ 2020/10/27 07:12 JV/2NARcXy9

例えば、こんな風には考えられないか?
自分というのは自ずから分かれることであり、仏から自ずから分かれることである。自分を捨て仏に由ることは本来の意味で自ずに由ることになり、自由である。それが他力本願。

[165] 地下水 2020/10/27 10:49 BW/e3N0d1nh

>>164 きまぐれさん
「自(おのず)からに由(よ)る」
「自らを拠り所とせよ」
「答えはお前の中にある。本当の自分を信じて生きよ」
という、仏の言葉はどういう意味でしょうか。
神父様は、「神共に居ます」、「貴方の心の中に神様が居ます」と言われます。
確かに、暗い修道院で祈ると、天井辺りに神様が居られるのを感じましたし、その思い出のせいか、頭の中の上の奥の方に、心の中に神様が居られるのを感じます。

>>161 pipitさん 
例えば紅葉の永観堂は大好きですが、御経の意味は信じる気にもなれず不自由です。
内は御墓が二つで、遠いところを御盆におっさんに来てもらってます。御経も嘘も方便本第二の様なもので、解説を読むとつまらない内容の様ですが、実用的な意味は解ります。それで信じる気にはなりません。しかし毎年聞いて来たので御盆は昔が思い出せて良いです。

がしどあんのん てんにんじょうじゅうまん おんりんしょうどうかく しゅじゅほうしょうごん ほうじゅたけか しゅじょうしょゆうらく
我此土安穏 天人常充満 園林諸堂閣 種種宝荘厳 宝樹多花菓 衆生所遊楽
この「宝樹に華果多し」の所は好きです。信じるに価いします。
昔の景色や祖父母が居た頃の家族が蘇ります。

[166] pipit 2020/10/27 13:53 JV/cCsQN4WY

>>162
きまぐれさん、こんにちは!

自由は、仏教用語なのですね?もしかしたら読んだことあるかもしれないけど、きちんと認識してませんでした。
教えていただいてありがとうございます。

今のわたしとしては、個人の自由意志があってほしいなーって感じに思っています。
現実はどうなってるのか、まだ全然わかりませんけど。

先入観なしに観察瞑想などをしていけば、私と世界が、どういう仕組みになってるかわかるのかな?

[167] pipit 2020/10/27 14:01 JV/cCsQN4WY

>>165
地下水さん、こんにちは。

すみません、わたしは、大乗仏教の経典のことは、ほとんど知らないんです。

パーリ経典と分類される経典が好きで、ほんのちょっとだけですけど、読んでます。わたしが実際に読んだことがあるのは、ほんとーに、パーリ経典群の中の、ほんっっっのちょっとです(^_^;)

[168] タンチョウ 2020/10/27 16:28 BW/GAGilXIy

>>161
pipitさん

切実なのはお墓問題です・・

まず両親のお葬式・・疲れて葬儀後にあの世について行くように逝去される人もいるのです・・

お姑さんのお葬式後に逝去するお嫁さんとかも・・

[169] pipit 2020/10/27 17:59 JV/tgpOc4Sf

タンチョウさん、こんばんは・・

人間界のしきたりは大変ですよね・・

けど、どこの界も、大変だったりして・・

[170] きまぐれ 2020/10/27 18:28 JV/2NARcXy9

地下水さん

悉有仏性ということではないかと思います。
でもそれは対象化された自分の中にあるのではなく、対象的自分を含み持つ自己にある。私はそんな風に思っています。

[171] きまぐれ 2020/10/27 18:34 JV/2NARcXy9

pipitさん

こんばんは。
自由って考えると、実はよく分かっていないような気がします。
矛盾的自己同一的に考えると、自由と制限は同一ってことになるのかな(よくわからないので、適当に書いてます)。

[172] タンチョウ 2020/10/27 18:52 BW/GAGilXIy

自由とは何ただろうと考えても本当の自由は存在しない。

あぁあの時は自由だったんだと後から解る・・

あぁあれは運命だったんだ・・

気まぐれの偶然だったんだ・・

みたいに・・みんな後から解る・・

[173] pipit 2020/10/27 19:13 JV/tgpOc4Sf

>>171
きまぐれさん、こんばんは。

自由の定義が、そもそも難しそうですよね。

自由が大好きだーーーと思うけど、自由ってなに?って考えると

よくわからなくなります(・・?)

[174] タンチョウ 2020/10/28 16:58 BW/GAGilXIy

>>173

pipitさん

そうなのです・・ヤスパースさんも難しく書いていますが・・意味は・・

自由の意味をつかんだら逃げていく・・

つかんでもつかんでもつかめない・・

自由の定義は空気みたいな存在です・・

[175] pipit 2020/10/28 17:15 JV/tgpOc4Sf

タンチョウさん、ヤスパースさん情報ありがとうございます👼

時間、も、不思議だし、
考えないほうがいいんかな???
と、思う時があります。

[176] タンチョウ 2020/10/28 17:23 BW/GAGilXIy

pipitさん

哲学は『知ることを愛する』『知恵を愛する』『考えることを愛する』・・なのでございます・・

仏教と似ているようで似ていない・・

考えてみる・・仏教哲学という分野はあります・・

[177] pipit 2020/10/28 17:32 JV/tgpOc4Sf

分岐点に立ってる気持ちになることもあります。2つの道、みたいな。

でも、考える道から突き抜ける方法もあるような?

ヤスパースさん?

[178] pipit 2020/10/28 17:36 JV/tgpOc4Sf

考えて、考えて、考えて、その瞬間は考えることを捨てているのだろうか ?
それとも、閃いている瞬間も、考えているのだろうか ?

[179] 地下水 2020/10/28 17:36 BW/e3N0d1nh

>>174
自由(liberty, freedom)とは、他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意思や本性に従っていることをいう。

>>175
時間は、旬を大事にするのが良いですよね。中秋の名月を逃さず見るとか、11月25日あたりに休みをとって真っ盛りの紅葉狩りに行くとか、旬の無花果や柿や栗や葡萄や蜜柑や梨を逃さず食べるとか。早起きして、朝定食の安価で上等なのを逃さず食べに行くとか。

[180] タンチョウ 2020/10/28 17:43 BW/GAGilXIy

カント『自由の定義』での検索です・・

カントの出発点は人間定義です。

万物は「自然法則」に従う。
しかし、人間のみ、「理性の法則」にも従

今日、自由という言葉は、「心のままであること」、「思い通り」などの意味で使われることが 多い。 しかし、18 世紀ドイツの哲学者カントは、人間ならば誰でもいつでも、守らなければな らない道徳的な義務の法則(道徳法則)に、自らの意志で従うことこそ、真の自由だと考える。

[181] 地下水 2020/10/28 18:05 BW/e3N0d1nh

>>180
カントは考える時間や読書の時間があり暇だったのですよ。最も不道徳な部類の人間ですよ。
その時代では、多くの人は工場に囲い込まれたり、車で仕事をしたりで、負傷したり、戦場に赴いて死んで行ったのです。社会の為に働いたのです。

ですから、チャップリンが言う様に、「奴隷になるな、自由の為に戦え」。
ザッカーバーグが言う様に、「全ての人が夢を持ち、同好の夢を持つ人が世界中から集い、使命を一にして協働し各自の夢を成し遂げられる様に。その為にSNSがある。それは過去のソフトとは意味が異なる。」
南部陽一郎の言う様に、「夢に向かって好きなことを楽しめ。特に楽しむことが大切だ。」
アラン・ワッツも言う様に『好きこそものの上手なれ』が大切ですね。
有難い事に平和が続いて生活が豊かになり、余裕ができて、現代日本ではそれが言える様になったのです。尊い『自由な時間』です。

[182] タンチョウ 2020/10/29 19:28 BW/GAGilXIy

>>177

もろもろの世界形象のうちで哲学することへ導く飛躍・・

実存開明として哲学することへ導く飛躍・・

実存の哲学的生活へと導く飛躍・・

この飛躍に導かれなければ自己存在の根源は眩暈の底へ没落するか邪道に陥るらしいです・・

[183] 地下水 2020/10/29 19:47 BW/e3N0d1nh

>>182
大量生産と安価な食品で多くの人を救う大規模農業機械、これがホントの大乗仏教。これがホントのあるべき姿。これが楽園。これが労働。これが目的。これが地球と人間。

https://www.youtube.com/watch?v=SjRWDT6mY8I

https://www.youtube.com/watch?v=4QeRF3m5IlM

砂漠を緑に変えましょう。(^^/
https://www.youtube.com/watch?v=8iak-sC1Sys

バナナ♫パイン♪(^^/
https://www.youtube.com/watch?v=oMcAK4z8RBs

成し遂げる事もせずに、タンチョウさんはそんな不平ばっかり言っていて自分が恥ずかしくありませんか?

[184] 地下水 2020/10/29 20:54 BW/e3N0d1nh

ピスタチオ♫美味♪地平線の彼方まで種実林(^^/
https://www.youtube.com/watch?v=JLJFE5eGxYs

[185] タンチョウ 2020/10/30 19:50 BW/GAGilXIy

>>183

パイナップルスムージーとは良い考えです・・有難うございます。

最近男性恐怖症です・・リアルで変な事されたわけではありませんが・・

不思議と私に近い人がみんな手術とかでEDになるのです・・

男らしい人は怖いです・・

恥じらいの年頃に赤ちゃん返りしました(人見知り)

[186] タンチョウ 2020/11/15 16:49 Oh/GAGilXIy

哲学への衝動は『あるがまま』と『あるべき』自分の二律背反の緊張から生まれます・・

宗教への衝動はこの苦しみから救われたいと言う衝動では無いのでしょうか?

[187] タンチョウ 2020/11/23 18:48 x3/GAGilXIy

教育崩壊・医療崩壊・介護崩壊・保育崩壊・・

コロナのせいだけとは限らない・・

本当に佛教が必要になるのはもっとどん底になってから・・

昔の日本・・平安時代の京都では亡くなった方は洛外へ運び、野ざらしにして風葬(遺体を埋葬せずに風にさらし風化を待つ)を行っていたので・・

私はその鳥辺野の地区に少しだけ住みましたがまさに冥界・・神秘体験・・

[188] 地下水 2020/11/23 19:47 x3/hf1a91iJ

>>187
後輩の妙心寺さんが、仏教は安心感やと言うてたな。安心感をないがしろにしたら本末転倒やと言うてた。
タンチョウさんは本末転倒してるでえ。

[189] タンチョウ 2020/11/23 19:50 x3/GAGilXIy

>>188

佛教は末法思想の時が一番流行るのです・・

[190] 地下水 2020/11/23 20:27 x3/hf1a91iJ

>>189
ほな、仏教はどういう時に生まれたんや。

[191] タンチョウ 2020/11/23 20:31 x3/GAGilXIy

>>190

四門出遊は、釈迦がまだ太子の時、王城の東西南北の四つの門から郊外に出掛け、それぞれの門の外で老人、病人、死者、修行者に出会い、

『人生の苦しみを目のあたりに見て、』苦諦に対する目を開き、出家を決意したという伝説。

[192] 地下水 2020/11/23 21:15 x3/hf1a91iJ

>>191
釈迦なんか所詮贅沢もんの王子のウンコのボッチャンやんけ。坊ちゃんが、お坊ちゃんになっただけや。何にも仕事をしとらへん。住所不定無職以下や。乞食やで。
苦労の解らん奴が苦労を見て気が変になっただけや。それでも自分では何も苦労しとらへん。他人の苦労を見て解った気になっとるだけや。そこから出来た話なんてたかが知れとる。
現実とも科学とも実際とも遊離しとる。
現代になってやっとまともに現実を直視し実験し製作し体験する様になったんや。
何にもない土人の妄想からええ加減に目覚めたらどうや。

[193] タンチョウ 2020/11/24 17:18 x3/GAGilXIy

>>192

出家したいと思った事が無いでしょう?

お釈迦様は出家なさったのです・・

[194] 地下水 2020/11/24 19:00 x3/hf1a91iJ

>>193
ん?中高大学はそこそこ遠かったし、会社や仕事場なんかもそこそこ遠かった。大学の寮とか、会社の寮とか、調子狂うで。地元の家が良いわ。
通学とか通勤とか電車と酸素と時間のムダや、もったいないわ、家の近所がええで。

釈迦なんか親不孝もんや、地元にも貢献してへん、悪いやっちゃ。

[195] 志保👍✨ 2020/11/24 19:45 XX/sQECBsoP

地下水さんいる?

[196] 地下水 2020/11/24 19:57 x3/hf1a91iJ

>>195
はい、志保さん。(^^/
お釈迦さんと御経について教えてくれるの?

[197] 志保👍✨ 2020/11/24 20:38 XX/sQECBsoP

何故?😅

[198] 地下水 2020/11/24 20:49 x3/hf1a91iJ

>>197
何の話をしたいの?(^^/

[199] 志保👍✨ 2020/11/24 20:59 XX/sQECBsoP

何でもいいよー👍✨

[200] 地下水 2020/11/24 21:09 x3/hf1a91iJ

>>198
でもここ仏教のスレだし、まあ良っか。
志保さんは何が好きなの?

[201] 志保👍✨ 2020/11/24 21:44 XX/sQECBsoP

うーん🤔なんだろう?🤔

[202] 志保👍✨ 2020/11/24 21:49 XX/sQECBsoP

地下水さん私眠いからまたね〜👋おやすみ💤😴🌙⭐

[203] 志保👍✨ 2020/11/25 17:00 XX/7DZS2Vzl

地下水さんいるかな?👍✨

[204] 地下水 2020/11/25 17:05 x3/hf1a91iJ

>>203
はい、志保さん。(^^/

[205] 志保👍✨ 2020/11/25 18:50 XX/7DZS2Vzl

地下水さんの仕事は何?👍✨

[206] 👍✨ 2020/11/25 19:50 XX/7DZS2Vzl

教えてほしいなぁ〜👍✨😆

[207] 志保👍✨ 2020/11/25 20:06 XX/7DZS2Vzl

地下水さんいる?👍✨

[208] 地下水 2020/11/25 21:20 x3/hf1a91iJ

>>207
いるよ。でもここ仏教のサイトでしょ、仏教の話しようよ。(^^/

[209] 志保👍✨ 2020/11/25 23:10 XX/7DZS2Vzl

例えば?👍✨

[210] pipit 2020/11/27 16:40 JV/tgpOc4Sf

こんにちは。パーリ語が文字化けして表示されるかどうか試してみます。スッタニパータの慈経のはじめ部分です。

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/kn/snp/index.html

1. 8 Mettasuttaṃ

143. Karaṇīyamatthakusalena yaṃ taṃ santaṃ padaṃ abhisamecca,
Sakko ujū ca sūjū ca suvacocassa mudu anatimānī.

144. Santussako ca subharo ca appakicco ca sallahukavuttī,
Santindriyo ca nipako ca appagabbho kulesu ananugiddho.

145. Na ca khuddaṃ samācare kiñci yena viññū pare upavadeyyuṃ
Sukhino vā khemino hontu sabbe sattā bhavantu sukhitattā

[211] pipit 2020/11/27 16:44 JV/tgpOc4Sf

Σ(・□・;)

文字化けしない!この掲示板すごいなぁ。。。

[212] 地下水 2020/11/27 17:03 x3/UI6zbXfh

>>210
1.8 愛ある親切についての談話

143. 自分で幸福に熟練し、その穏やかな状態「ニバナ」を達成したい人は、このように行動する必要があります。彼は器用で、直立し、非常に直立し、従順で、穏やかで、謙虚でなければなりません。

144. 満足し、簡単にサポートでき、責任はほとんどないが、単純な生計を立て、感覚的に管理され、慎重で、礼儀正しく、家族との付き合いの後は嫌がらない。

145. 賢者が彼を叱責するようなわずかな間違いを彼に行わせないでください。彼に考えさせてください。すべての存在が幸せで安全でありますように。彼らが幸せな心を持っているように。

[213] pipit 2020/11/27 17:37 JV/tgpOc4Sf

146. Ye keci pāṇa bhūtatthi tasā vā thāvarā vā anavasesā
Dīghā vā ye mahantā vā majjhamā rassakāṇukathūlā

147. Diṭṭhā [PTS Page 026] [\q 26/] vā yeva addiṭṭhā ye ca dūre vasanti avidūre
Bhūtā vā sambhavesī vā sabbe sattā bhavantu sukhitattā


148. Na paro paraṃ nikubbetha nātimaññetha katthaci naṃ kañci
Byārosanā paṭighasaññā nāññamaññassa dukkhamiccheyya


149. Mātā yathā niyaṃ puttaṃ āyusā ekaputtamanurakkhe
Evampi sabbabhūtesū mānasaṃ bhāvaye aparimānaṃ


https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/kn/snp/index.html

[214] pipit 2020/11/27 22:11 JV/tgpOc4Sf

>>213 部分の英訳

Whatever beings there may be,
weak or strong, without exception,
long, large,
middling, short,
subtle, blatant,
seen & unseen,
near & far,
born & seeking birth:
May all beings be happy at heart.

Let no one deceive another
or despise anyone anywhere,
or through anger or irritation
wish for another to suffer.

As a mother would risk her life
to protect her child, her only child,
even so should one cultivate a limitless heart
with regard to all beings.

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/kn/snp/snp.1.08.than.html

translated from the Pali by
Thanissaro Bhikkhu

[215] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2020/12/08 09:00 dU/5RIUvuHZ

 豊かだなあ。

[216] 地下水 2020/12/15 09:26 MJ/JvRCa1fB

三度三度精進料理が食べられる様な身分になりたい。

[217] pipit 2020/12/16 13:31 JV/tgpOc4Sf

まだわかりませんけど、すこしだけでも、すこしずつでも、勉強してみるかも??

相応部 六処篇 六処 相応 六品「マールキャプッタ経(SN35-95)」
1. 10. 2
Māluṅkyaputtasuttaṃ

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html

[218] 2020/12/16 14:32 MJ/ipic7T1J

pipitさんへ

六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)により(色・音・香・味・触・法)が過去や現在において感受されていなければ、そこには欲求、貪欲、愛着等は起こりません。

そこには見られたときには見られたことだけがあり、聞かれたときには聞かれた事だけがあり、触れられたときには触れられた事だけがあり、嗅がれたときには嗅がれた事だけがあり、識られたときには識られた事だけがあります。

それだけしかないとき、そこには(貪・瞋・痴)が影響しませんので、六境(色・音・香・味・触・法)に対して六根(眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根)の執着が起こり得ません。この時、苦の終焉と同時に輪廻の終焉を迎えます。

言葉としては違いますが、相応部47-15 バーヒヤと内容的には同じだと思います。こちらの方は、その発端として「四念処」を修めさなよと説かれています。

戒禁取は苦を生起させますよ。

[219] 地下水 2020/12/16 20:41 MJ/JvRCa1fB

冬は熱くて美味しい上等の御茶が飲みたい。
熱くて美味しいマルコメの料亭の味の御味噌汁が飲みたい。
カマンベールチーズとミツカンの追いがつおつゆを掛けたお餅は美味しい。

[220] pipit 2020/12/16 21:59 JV/tgpOc4Sf

>>218
時さん、こんばんは!
バーヒヤ経は、大好きなお経です。
内容を体得的に理解したら悟りなんじゃないかと思うので、私自身はもちろん理解できてないのですが、それでもとても美しいお経に感じます。
こちらの掲示板は、パーリ語がそのまま引用できるので、ラクしながら(^^;)少しずつ、気になる文章とその英訳を見ていこうかな、と、思っています。
時さんは、本当に経典を読み込んでられますね。びっくりします📖

[221] 2020/12/16 22:35 MJ/ipic7T1J

>>220 pipitさんへ

返信をありがとうございます。

> 少しずつ、気になる文章とその英訳を見ていこうかな、と、思っています。

はい。そうですね。昔々、仏陀の周りには多くの人々が集まり僧伽が出来上がりました。

その全ての人が、現在ある数千もの仏典を読み込んだわけではありません。バーヒヤのように一言、二言で悟りの道に入るように、長年の行において長老と言われる比丘でも在家の居士から仏陀の教えを学ぶと言う事もあったようです。このあたりは、本人の資質、機根の違いですね。

ですので、気になられた教文を理解されるのは有意義なことだと思います。もしも教えの全容を深く知ろうと思われれば、それこそ数千の仏典解読が必要になりますので大変な作業が孤独な時間とともに待っていると思います。大切だと思われるのは、苦が発生したときそれを自ら苦だと分かり、自らその滅尽が即時にできればよい事ですしね。是非、体得なさってください。

英訳からの読解、良いのではないでしょうか(^^) では。

[222] 地下水 2020/12/16 23:03 MJ/JvRCa1fB

野菜不足だ、助けてくれー。

埃まみれ、毒まみれだ、助けてくれー。

ゴミだらけだ、助けてくれー。

寒い、ふかふかの服とズボンをくれー。

左上の奥歯を一本抜かれた。右足のかかとが水虫だ。左手の親指の神経が切れてまだ治らない。頭の右後ろがへこんでいる。ときどき右目に入った鉄屑がビビっとする。右足の親指が骨折して変形して痛い。右手の平の親指の下の大怪我の跡が消えない。左足の親指の爪の取れて痛かったのは治ってきた。お腹が出てベルトが食い込んでしんどい。頭が痛くて根気が続かない。治してくれー。

仏教なら助けてくれー。

[223] pipit 2020/12/17 00:25 JV/tgpOc4Sf

>>222
地下水さん、こんばんは。
初期仏教では、自分で努力して自分の貪瞋痴を減らしていく教えみたいと、わたしは今のところ理解しています。

ほんの小さな部分からでも片づけてみたらいかがでしょう?
家で布団で寝るようにしたらいかがでしょう?
変えれるところを自力で変えることにチャレンジしてみたらいかがでしょうか?
と思いますが、自力で変えた結果として地下水さんがどのようになられるのかは私にはわかりません。

『慈経』という、スッタニパータにあるお経にメロディをつけて、投稿者の方がボーカロイド曲にされたものです↓
https://youtu.be/AeHMaMTJUj4

『慈経』は、釈尊がお弟子さんに、護経として説かれたという伝説があるようで、初期仏教の信徒さんの間ではとてもメジャーなお守りお経のようです。
お経の意味が心に入り、入った心が変化することによって、様々な変化を引き起こす、という自助努力要素もある護経かもしれませんね

[224] pipit 2020/12/17 16:55 JV/tgpOc4Sf

私自身は英語は記憶の彼方の中学レベルなのですが、著作権などを考慮して、
多分、自由に引用していいよーと書いてあるのかな?っぽい、
Access to Insightというサイトより、パーリ語部分と英訳部分を対照して引用させていただきます。
https://www.accesstoinsight.org/
もし、いろいろなものを読み間違えたりしていたらすみませんm(_ _)m

相応部 六処篇 六処 相応 六品「マールキャプッタ経(SN35-95)」
1. 10. 2
Māluṅkyaputtasuttaṃ

95. [PTS Page 072] [\q 72/] atha kho āyasmā māluṅkyaputto yena bhagavā tenupasaṅkami.
Upasaṅkamitvā bhagavantaṃ abhivādetvā ekamantaṃ nisīdi.
Ekamantaṃ nisinno kho āyasmā māluṅkyaputto bhagavantaṃ etadavoca:

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072

========

Then Ven. Malunkyaputta, who was ardent & resolute, went to the Blessed One and, on arrival, having bowed down to him, sat to one side.
As he was sitting there, he said to the Blessed One:

※ translated from the Pali by
Thanissaro Bhikkhu

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html

========

[225] pipit 2020/12/17 17:01 JV/tgpOc4Sf

>>224

sādhu me bhante, bhagavā saṅkhittena dhammaṃ desetu yamahaṃ bhagavato dhammaṃ sutvā eko vūpakaṭṭho appamatto ātāpī pahitatto vihareyyanti.

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072

========

"It would be good, lord, if the Blessed One would teach me the Dhamma in brief so that, having heard the Dhamma from the Blessed One, I might dwell alone in seclusion: heedful, ardent, & resolute."

translated from the Pali by
Thanissaro Bhikkhu
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html

========

"It would be well for me, Lord, if the Blessed One would teach me briefly a doctrine so that having heard it I might dwell alone, in seclusion, unwearied, ardent and resolute."

translated from the Pali by
Maurice O'Connell Walshe
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html

[226] pipit 2020/12/17 17:12 JV/tgpOc4Sf

>>225
Etthadāni māluṅkyaputta kiṃ dahare bhikkhū vakkhāma, yatra hi nāma tvaṃ bhikkhu jiṇṇo vuddho mahallako addhagato vayoanuppatto saṅkhittena ovādaṃ yācasīti.

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072

========

"Here now, Malunkyaputta: What will I say to the young monks when you — aged, old, elderly, along in years, come to the last stage of life — ask for an admonition in brief?"

translated from the Pali by
Thanissaro Bhikkhu
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html

========

"Well now, Maalu"nkyaputta, what am I to say to the younger monks if you, a frail, aged, venerable man, far gone in years, at the end of your life, ask for instruction in brief?"

translated from the Pali by
Maurice O'Connell Walshe
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html

[227] pipit 2020/12/17 17:16 JV/tgpOc4Sf

とりあえず本題に入る前、みたいなところですね。
YouTubeでおぼうさまの解説を知って、この経典に興味を持ちました。

また続きを、対照引用しながら、意味を自分の心に入れることができたらいいな、と思っています。

今日は雪でした。朝一の運転は怖かったなあ〜 ⛄️

おつかれさまです🍵🍀

[228] 地下水 2020/12/17 21:49 MJ/JvRCa1fB

>>223
仕事やからシャーないやん。
お寺のオッサンもお店でお寿司とお刺身をさばいて作ってくれてはるねんて。

[229] pipit 2020/12/20 16:46 JV/tgpOc4Sf

>>226
Kiñcāpahaṃ bhante jiṇṇo vuddho mahallako addhagato vayoanuppatto, desetu me bhante bhagavā saṅkhittena dhammaṃ, desetu me sugato saṅkhittena dhammaṃ, appevanāmāhaṃ bhagavato bhāsitassa atthaṃ ājāneyyaṃ, appevanāmāhaṃ bhagavato bhāsitassa dāyādo assanti.

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072

========
"Lord, even though I'm aged, old, elderly, along in years, come to the last stage of life, may the Blessed One teach me the Dhamma in brief!

May the One Well-gone teach me the Dhamma in brief!

It may well be that I'll understand the Blessed One's words.

It may well be that I'll become an heir to the Blessed One's words."

translated from the Pali by
Thanissaro Bhikkhu
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html

========

[230] pipit 2020/12/20 16:55 JV/tgpOc4Sf

>>229
(パーリ語)
Taṃ kimmaññasi māluṅkyaputta ye te cakkhuviññeyyā rūpā adiṭṭhā adiṭṭhapubbā, na ca passasi, na ca te hoti. Passeyyanti, atthi te tattha chando vā rāgo vā pemaṃ vāti.
No hetaṃ bhante.

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072
========
(英訳)
"What do you think, Malunkyaputta:
the forms cognizable via the eye that are unseen by you — that you have never before seen, that you don't see, and that are not to be seen by you:

Do you have any desire or passion or love there?"

"No, lord."

translated from the Pali by
Thanissaro Bhikkhu
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html
========
(英訳)
"What do you think, Maalu"nkyaputta?

Objects cognizable by the eye, not seen, which you have not seen before, which you do not see now and do not wish to see — have you any desire, lust and fondness for them?"
"No indeed, Lord."

translated from the Pali by
Maurice O'Connell Walshe
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html
========

[231] pipit 2020/12/20 17:16 JV/tgpOc4Sf

>>230
(パーリ語)
Ye te sotaviññeyyā saddā assutā assutapubbā, na ca suṇāsi, na ca te hoti suṇeyyantī,
atthi te tattha chando vā rāgo vā pemaṃ vāti.
No hetaṃ bhante.
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072

========
(英訳)

"The sounds cognizable via the ear...

translated from the Pali by
Thanissaro Bhikkhu
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html

========
(英訳)

[Similarly for sounds,

translated from the Pali by
Maurice O'Connell Walshe
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html

========

英訳は、省略されてしまってますね。
>>230では、眼に対しての色について、でしたけど、
このパーリ語原文では、耳に対しての音について、で、
構造としては同じなので、
英訳はどちらも、(以下同構造)的に省略されてますね。

[232] pipit 2020/12/20 17:26 JV/tgpOc4Sf

>>231
省略を含む訳となっているThanissaro Bhikkhuさまの英訳。

"What do you think, Malunkyaputta: the forms cognizable via the eye that are unseen by you — that you have never before seen, that you don't see, and that are not to be seen by you: Do you have any desire or passion or love there?"
"No, lord."[1]

"The sounds cognizable via the ear...

"The aromas cognizable via the nose...

"The flavors cognizable via the tongue...

"The tactile sensations cognizable via the body...

"The ideas cognizable via the intellect that are uncognized by you — that you have never before cognized, that you don't cognize, and that are not to be cognized by you: Do you have any desire or passion or love there?"

"No, lord."

translated from the Pali by
Thanissaro Bhikkhu
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html

========

[233] pipit 2020/12/20 17:27 JV/tgpOc4Sf

>>232
同箇所のMaurice O'Connell Walsheさまの英訳。

"What do you think, Maalu"nkyaputta? Objects cognizable by the eye, not seen, which you have not seen before, which you do not see now and do not wish to see — have you any desire, lust and fondness for them?"
"No indeed, Lord."

[Similarly for sounds, scents, flavors, tangible things, mental objects.]

translated from the Pali by
Maurice O'Connell Walshe
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html

========

[234] pipit 2020/12/20 17:44 JV/tgpOc4Sf

うーん。眼に対しての色とpipitは書いたのですが、
cakkhuviññeyyā rūpā
って、眼識で識る色なのかな??

英訳では、Thanissaro Bhikkhuさまは、
the forms cognizable via the eye

Maurice O'Connell Walsheさまは、
Objects cognizable by the eye

と訳されてますね。

識る対象、というイメージが頭に浮かびますが、
ちゃんとわからないです、すみませんm(_ _)m

次に進んでみようと思います。

[235] pipit 2020/12/20 17:52 JV/tgpOc4Sf

>>234
>>218
おぉ、時さまが教えてくださっていました。

>六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)により(色・音・香・味・触・法)が過去や現在において感受されていなければ、そこには欲求、貪欲、愛着等は起こりません。<

眼識により色が感受。。。

時さん、ありがとうございます!

[236] pipit 2020/12/21 17:05 JV/tgpOc4Sf

>>233
(パーリ語)
Ettha ca te māluṅkyaputta diṭṭhasutamutaviññātabbesu dhammesu diṭṭhe diṭṭhamattaṃ bhavissati,
sute sutamattaṃ bhavissati,
mute mutamattaṃ bhavissati,
viññāte viññātamattaṃ bhavissati.

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072

========
(Thanissaro Bhikkhuさまの英訳)
"Then, Malunkyaputta, with regard to phenomena to be seen, heard, sensed, or cognized:
In reference to the seen, there will be only the seen. In reference to the heard, only the heard. In reference to the sensed, only the sensed. In reference to the cognized, only the cognized.

translated from the Pali by
Thanissaro Bhikkhu
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html

========
(Maurice O'Connell Walsheさまの英訳)
"Well then, Maalu"nkyaputta, in things seen, heard, sensed,[1] cognized:
in the seen there will only be the seen, in the heard only the heard, in the sensed only the sensed, in the cognized only the cognized...

translated from the Pali by
Maurice O'Connell Walshe
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html

========

[237] pipit 2020/12/21 21:41 JV/tgpOc4Sf

>>236
(パーリ語)
Yato kho te māluṅkyaputta diṭṭhasutamutaviññātabbesu dhammesu diṭṭhe diṭṭhamattaṃ bhavissati, sute sutamattaṃ bhavissati, mute mutamattaṃ bhavissati, viññāte viññātamattaṃ bhavissati.
Tato tvaṃ māluṅkyaputta na tena,

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072
========
(Thanissaro Bhikkhuさまの英訳)
That is how you should train yourself.
When for you there will be only the seen in reference to the seen, only the heard in reference to the heard, only the sensed in reference to the sensed, only the cognized in reference to the cognized,
then,
Malunkyaputta, there is no you in connection with that.

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html
========
(Maurice O'Connell Walsheさまの英訳、と、注釈)
Then, Maalu"nkyaputta, there will be no 'thereby' for you.[2]

Notes
2.
This is almost impossible to translate adequately. There is no agent, i.e., no "seer," "feeler," "knower." "There will be no 'thereby' whereby one will be lustful, hating or deluded (SA [SN commentary])."

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html
========

[238] pipit 2020/12/21 21:43 JV/tgpOc4Sf

>>237

Tato tvaṃ māluṅkyaputta na tena, の文章の意味をとるのがわたしにはめちゃ難しい。



文章シンプルすぎません?

先を読んでみます(^^;)

[239] pipit 2020/12/21 21:49 JV/tgpOc4Sf

>>238
>>218

時さんが書いてくださったこと
>それだけしかないとき、そこには(貪・瞋・痴)が影響しませんので、六境(色・音・香・味・触・法)に対して六根(眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根)の執着が起こり得ません。この時、苦の終焉と同時に輪廻の終焉を迎えます。<

を再読して、、、

んー、六境にわたしはいない、ってかんじなのかなー
ちがうかなー

あとで、マールキャプッタさんが言い直してくださるかな?

[240] 2020/12/21 23:14 MJ/ipic7T1J

pipitさんへ

① 六根(眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根)
② 六境(色・音・香・味・触・法)
③ 六識身(六根と六境により六識身が生起する)
④ 六触身(三者(①②③)の和合を触と言い、これら三つで六触身)
⑤ 六受身(この六触身に縁り六受身が起こる)

①と②があります。
①と②で③が生起します。
①と②と③で④と言います。
④から⑤が縁起します。

言い換えると

六根と六境があります。
六根と六境で六識が生起します。
六根と六境と六識の和合を、六触と言います。
六触から六受が縁起します。

識は特殊な位置にあり、他と比較してちょっと異質なものです。

識は(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識 識別作用)ですが、五蘊(色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊)の中の識以外の他の界(色界・受界・想界・行界)や六境の相(色相・音相・香相・味相・触相・法相)に対して貪欲・喜悦・渇愛を抱き、続いて執着を生起させます。これが識です。(”私の識”ではありません。単に縁起した識です)

ですので識が、五蘊の中の識蘊以外の四蘊の界(色界・受界・想界・行界)や六境の相(色相・音相・香相・味相・触相・法相)に貪欲・喜悦・渇愛を抱く事がなければ、そこには「色・音・香・味・触・法」”だけ”がありますね。

小部3経ウダーナ1-10 バーヒヤの経でも同じ内容が説かれています。

[241] 2020/12/21 23:16 MJ/ipic7T1J

>>235 >>239 pipitさんへ

> 眼識により色が感受。

眼識(六識)は、眼根(六根)と色相(六境の相)から生起しますので、この識(六識)が貪欲・喜悦・渇愛を抱かないようにできれば、そこには執着等のない単なる「色・音・香・味・触・法」(六境の相)だけが残ると言う事になります。

> んー、六境にわたしはいない、ってかんじなのかなー

六根(眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、意根)六境(色・音・香・味・触・法)ですので、どちらにも「私」はないですね?あるでしょうか?

そしてそこには常住の「私」は存在しませんね。(ですので、私の識ではありません)こうなれば、苦の終焉と同時に輪廻の終焉を迎えますと言う事が説かれています。

「私」が存在するとは、それは妄想です。とも仏典内では説かれます。そしてその存在するものとは「無常なる五蘊」であり、存在しないものとは「恒常なる五蘊」だと記載があります。つまりは、「私」とは無常なる幻想です。無常ゆえに生滅変化します。多分当時は、恒常なるアートマンが私の正体だという説があったのでしょう。ですのでその恒常なるアートマン=私(=恒常なる五蘊)は存在しませんよと言う意味だと思います。そしてその「私」に拘る事は涅槃や解脱には役に立ちませんので、無記だとしたのだと思います。

ではなぜ仏陀は仏典内に残るように「私は~」と表現しているのか?と言うのは、法を説くにあたって「真に力量ある人は、世間における名称を知り言語表現だけのものとして、仮にそのような表現をしてもよいだろう」と仏典内では表現されているようです。つまりは慣用的な表現として、「私」を仮に使っているだけだと思われます。ですので仮に預流果に至ったとしても「私はいない」と表現することはお勧めではありません。なぜならば、それは断見であり、邪見になるだろうからです。逆に「私はいる」と言うのも、常見であり邪見になるでしょう。「ある・ない」と言う極端な二極を離れて説かれた道が中道と言う1つの意味です。(仮のものとして理解したうえで使うのならばよいと思います)

[242] 2020/12/22 17:08 MJ/ipic7T1J

「私はいる」「私はいない」・・仏典内で、仏陀はどのように答えたか?

ある人が仏陀に質問をしました。「私(恒常のアートマン)は存在するのですか?
」と。仏陀は無言で答えません。次に「私(恒常のアートマン)は存在しないのですか?
」と質問しましたが、これにも無言で答えません。その後その人は立ち去りました。

これを見ていたアーナンダが「何故、彼にお答えにならなかったのですか?」と聞いてみたところ、仏陀の答えは「私はいると答えていれば、彼は常見(常住)論に陥り、私はいないと答えていれば、彼は断見(断滅)論に陥っていたでしょう。」「それに私はいると答えていたならば、一切無我(非我)と言う智慧が発現せず、私はいないと答えていたならば、先にも後にも我はなし。と、彼は迷妄に陥っていたでしょう。ですから、答えなかったのですよ」とアーナンダに説明しました。

[243] 2020/12/22 17:10 MJ/ipic7T1J

見られたときには見られたものだけがある。嗅がれたときには嗅がれたものだけがある。とはどういう事か?

例えばカレーがテーブルの上にあるとします。この時、見られた(色)ときには見られたもの(色)だけがあります。同時に、カレーの香りが嗅がれた(香)ときには嗅がれたもの(香)だけがそこにあります。

A.これが六根に対してそれ(六境)だけがあるという状態です。

そこにもしも私(アートマン)と言うものが入り込むと・・

私が見たときには私により見られたもの(カレー=色)があり、私が香りを嗅いだとき私により嗅がれた香り(カレーの香り=香)があります。

B.これが私に対しての六境があるという状態です。

B.の場合は、私の好物だという思いから、私はもっと食べたい、私は食べたくない、私は早く食べたい等々の渇愛が生じます。

A.の場合は、ただそれ(カレー)があるだけですので、好き嫌い、早く食べたい、もっと沢山ほしいと言った渇愛等が沸き起こりません。

見られたものにおいて、見られただけのものがあるだろう。聞かれたものにおいて、聞かれただけのものがあるだろう。・・・それ故に、あなたはそこにいない、なぜなら、あなたは、まさにここにいないのだから。これこそ、苦の終焉である。

私があるとその識には渇愛等が生起します。苦の原因は、渇愛です。その渇愛を滅尽させるために八支聖道と言う梵業が行われます。そして八支聖道により苦の原因である渇愛が滅尽できれば、苦の終焉を迎えますね。

このような感じでしょうか。

[244] pipit 2020/12/22 23:01 JV/tgpOc4Sf

>>240
時さん、ありがとうございます!!嬉しいです😊

>① 六根(眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根)
② 六境(色・音・香・味・触・法)<
>③ 六識身(六根と六境により六識身が生起する)<

識身という言葉をはじめて見た気がします。

>④ 六触身(三者(①②③)の和合を触と言い、これら三つで六触身)<

①②③の和合を、、、ということは、同時性の縁起状態を表してるのかなー?と思いました。

>⑤ 六受身(この六触身に縁り六受身が起こる)<

触と受と、、、感情が入り込んでいるか否かなのかなー?

>①と②があります。<

例えば、眼根と色。
>①と②で③が生起します。<

で、眼識身っていうのかな?
>①と②と③で④と言います。<

三者の和合で眼触身かな?
>④から⑤が縁起します。<

眼受身かな?

[245] pipit 2020/12/22 23:03 JV/tgpOc4Sf

>>240
>>244
>言い換えると
六根と六境があります。
六根と六境で六識が生起します。
六根と六境と六識の和合を、六触と言います。
六触から六受が縁起します。<

はい。

>識は特殊な位置にあり、他と比較してちょっと異質なものです。
識は(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識 識別作用)ですが、五蘊(色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊)の中の識以外の他の界(色界・受界・想界・行界)や六境の相(色相・音相・香相・味相・触相・法相)に対して貪欲・喜悦・渇愛を抱き、続いて執着を生起させます。これが識です。(”私の識”ではありません。単に縁起した識です)<

そういうお話をはじめてお聞きしました。

あー、はずれてるかもですが、、、
心、という言葉が、浮かびました。

>ですので識が、五蘊の中の識蘊以外の四蘊の界(色界・受界・想界・行界)や六境の相(色相・音相・香相・味相・触相・法相)に貪欲・喜悦・渇愛を抱く事がなければ、そこには「色・音・香・味・触・法」”だけ”がありますね。<

?

感情や欲望がないとき、感情や欲望の混入していない対象のみが、、、主体がないとき対象とも言えないのかなー、、、

「色・音・香・味・触・法」だけがある、、、

識が界や相に貪欲・喜悦・渇愛を抱く、とありましたけど、
識と貪欲・喜悦・渇愛は離れては起きないものなのですか?
それとも、識に起きる時と起きない時とがあるものなのでしょうか?

[246] pipit 2020/12/22 23:06 JV/tgpOc4Sf

>>240
>>245
>小部3経ウダーナ1-10 バーヒヤの経でも同じ内容が説かれています。<

ありがとうございます。ものすごく好きなお経ですが、理解はできてないという、いいかげんな性格ですみません(^^;)

まだまだ、じっくり時さんからのお返事をしっかり読んで返信したいのですが、明日、普段とは異なる仕事内容になるので、今日は早めに休んでおこうと思います。

書き込みすごく嬉しいです、ありがとうございますm(_ _)m
また続きを読ませていただいて返信したく思っています。
よろしくお願いします。

今日は失礼いたします。おつかれさまです🍀🌙

[247] 2020/12/23 01:18 MJ/ipic7T1J

>>244 pipitさんへ

> 識身という言葉をはじめて見た気がします。

「~身」と言うのは、明確な定義と言いますかそれの記載が見つけられませんでした。ですので想像ですが、その身に起こっている・・程度の理解をしています。

> >④ 六触身(三者(①②③)の和合を触と言い、これら三つで六触身)
> ①②③の和合を、、、ということは、同時性の縁起状態を表してるのかなー?と思いました。

十二支縁起の(渇愛・取)の並びのように、同時発生、同時消滅のものもそれに並びを付けて表現されていますので、同時性と言えば同時性ですね。

> >⑤ 六受身(この六触身に縁り六受身が起こる)
> 触と受と、、、感情が入り込んでいるか否かなのかなー?

接触がなければ、感受はありませんね。接触がなくて何かを感受すると言う事はありません。十二支縁起の(触・受)の並びですね。(受と表現される場合には、仏典内では多くの受が説かれているようですが、ここでは、三受=苦・楽・不苦不楽の事だと仮に想像されればよいのではないでしょうか)

> >①と②で③が生起します。
> で、眼識身っていうのかな?

この「~身」の定義は見つけられませんでしたが、文脈から想像しますと、六根身や六境身との表現はされていませんので、そうだと思います。この場合は、眼識ないしは眼識身です。

> >①と②と③で④と言います。
> 三者の和合で眼触身かな?

はい。そうです。眼触身です。

> >④から⑤が縁起します。
> 眼受身かな?

はい。そうです。眼根と色と眼識身→これら3つの和合で眼触身です。この眼触身から眼受身が生起します。

[248] 2020/12/23 01:21 MJ/ipic7T1J

>>245 pipitさんへ

> そういうお話をはじめてお聞きしました。

このあたりの事は、中部148経「六六経」に記載があります。

> 感情や欲望がないとき、感情や欲望の混入していない対象のみが、、、主体がないとき対象とも言えないのかなー、、、

その主体があるとかないとかは、あまり考えないほうが良いのかな?と思います。

> 「色・音・香・味・触・法」だけがある、、、
> 識が界や相に貪欲・喜悦・渇愛を抱く、とありましたけど、
> 識と貪欲・喜悦・渇愛は離れては起きないものなのですか?
> それとも、識に起きる時と起きない時とがあるものなのでしょうか?

識に渇愛等が起きるときと起きないときがあるのだと思います。仏典内での仏陀の状態が起きない状態で、その方法を学んでいる状態が有学の状態の時、そして我々凡夫はその方法を知らないのが通常ですね。ですので、仏陀曰くの苦から解放されません。苦から解放されないと解脱しませんので輪廻します。と言うお話だと理解しています。

眼と色があり、その(眼)識だけがありがあるときにはその色に(眼)触身がありますね。この次にそれを感受してしまうと苦の原因の渇愛等が沸き起こります。ですので、最低限度の「眼と色があり、その(眼)識だけがありがある」状態で止められれば、それが「見られたものにおいては、見られたもののみが有るであろう」等の状態です。勿論この時には眼触はあるのですが、これは長部1経「梵網経」のお話の時に少しお話したと思いますが、受の生起と滅尽・触の生起と滅尽を遍く知れば・・というあたりに繋がるのですね。

このあたりは無我や非我のお話と通じることだと思います。我とは五取蘊の事。無我とは、五蘊の事。一切皆苦や無常や無我は、出世間から表現される世間での法ですので、、、

スマナサーラ長老が「無我が分かりません」と言う事に回答されているようです。
https://thierrybuddhist.hatenablog.com/entry/2016/10/17/040000

教えを伝承することとそれを学ぶ事、それを解釈として伝えること・・それぞれの世界が違いますので。簡単ではありませんね。

>>246

> まだまだ、じっくり時さんからのお返事をしっかり読んで返信したいのですが、明日、普段とは異なる仕事内容になるので、今日は早めに休んでおこうと思います。

はい。何の縛りもなく気が向いたことを書き込んでいるだけですので、お気遣いありませんように。(^^)

[249] 2020/12/23 01:51 MJ/ipic7T1J

>>248 失礼しました。訂正です。

> 最低限度の「眼と色があり、その(眼)識だけがありがある」状態で止められれば、



最低限度の「眼と色があり、その(眼)識だけがある」状態で止められれば、

[250] 2020/12/23 11:29 MJ/ipic7T1J

>>245 pipitさんへ

> 「色・音・香・味・触・法」だけがある、、、
> 識が界や相に貪欲・喜悦・渇愛を抱く、とありましたけど、識と貪欲・喜悦・渇愛は離れては起きないものなのですか?それとも、識に起きる時と起きない時とがあるものなのでしょうか?

>>248
識に渇愛等が起きるときと起きないときがあるのだと思います。と書きましたが、気づいていないだけで日常生活の中で誰しもがこの2つの識の状態を体験していると思います。

例えば、家の中のテーブルの上に好物のカレーが置かれていた場合には、カレー(色)が視覚に入り、匂い(香)が嗅がれそれらを感受(苦・楽・不苦不楽)した瞬間に、「楽」と言う選択がされ、やったーカレーだ!早く食べたい、沢山食べたいといった感情が自然と沸き起こると思います。この時の状態が、貪欲・喜悦・渇愛が起きています。これが「識に渇愛等が起きている状態」です。

同じ家の中で、いつもの見慣れたテーブルだけがあり、好物のカレーも置かれていない場合には、何も意識せずテーブルだけが視覚に入っていますね。この時には、そのテーブルに対しての貪欲・喜悦・渇愛と言ったものが起きていません。このような状態が、見られたときには見られたものだけがある。と言う状態だと思います。これが「識に渇愛等が起きていない状態」です。

この通りの文言での仏典記載がありませんが、そのような状態になれば苦の終焉ですよ。輪廻の終焉なのですよ。そこには、苦の原因である歓喜や渇愛を抱くあなたはいないのですよ。と言うのが「バーヒヤよ、それでは、このように、あなたは学ぶべきです。」と略説で仏陀が語った内容だと思います。それでピン!と来たのがバーヒヤだったというお話でしょう。

[251] 2020/12/23 11:50 MJ/ipic7T1J

>>250

> 苦の原因である歓喜や渇愛を抱くあなたはいないのですよ。

あなた(私)はいないという状態にどのようにするのか?ですが、仏教では、有身見が説かれます。

有身見(私と言う不変の存在があると言う見解の事。邪見。邪思推)ですが、有身とは、五取蘊の事だとの記載があります。

五取蘊(色取蘊・受取蘊・想取蘊・行取蘊・識取蘊)ですが、五蘊(色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊)に取(執着)しが起こった状態が有身(五取蘊)の状態です。そして五蘊に執着が起こった状態での見解や見方を、有身見(私と言う不変の存在があると言う見解の事。邪見。邪思推)と言うのですから、五取蘊の状態から執着を取り除いて(起こらないようにして)五蘊に戻してやればよいのですね。そしてこの状態に戻れれば、それが無我の状態であり、私はいないという状態です。バーヒヤのように略説でピン!とこないのであれば、その方法は、八支聖道です。

>>248
> 我とは五取蘊の事。無我とは、五蘊の事。

そして預流果(三結を完全に断じた状態)ならば、三結(有身見・疑・戒禁取見)を捨断した状態ですので、その中の「有身見」がこの時遮断されます。

[252] pipit 2020/12/23 18:09 JV/tgpOc4Sf

時さん、ありがとうございます!いただいた順番に返信していきますね🍀
>>241
>眼識(六識)は、眼根(六根)と色相(六境の相)から生起しますので、この識(六識)が貪欲・喜悦・渇愛を抱かないようにできれば、そこには執着等のない単なる「色・音・香・味・触・法」(六境の相)だけが残ると言う事になります。<

はい。

>六根(眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、意根)六境(色・音・香・味・触・法)ですので、どちらにも「私」はないですね?あるでしょうか?<
そしてそこには常住の「私」は存在しませんね。(ですので、私の識ではありません)こうなれば、苦の終焉と同時に輪廻の終焉を迎えますと言う事が説かれています。<

はい。

>「私」が存在するとは、それは妄想です。とも仏典内では説かれます。そしてその存在するものとは「無常なる五蘊」であり、存在しないものとは「恒常なる五蘊」だと記載があります。つまりは、「私」とは無常なる幻想です。無常ゆえに生滅変化します。多分当時は、恒常なるアートマンが私の正体だという説があったのでしょう。ですのでその恒常なるアートマン=私(=恒常なる五蘊)は存在しませんよと言う意味だと思います。そしてその「私」に拘る事は涅槃や解脱には役に立ちませんので、無記だとしたのだと思います。<

はい。

>ではなぜ仏陀は仏典内に残るように「私は~」と表現しているのか?と言うのは、法を説くにあたって「真に力量ある人は、世間における名称を知り言語表現だけのものとして、仮にそのような表現をしてもよいだろう」と仏典内では表現されているようです。つまりは慣用的な表現として、「私」を仮に使っているだけだと思われます。ですので仮に預流果に至ったとしても「私はいない」と表現することはお勧めではありません。なぜならば、それは断見であり、邪見になるだろうからです。逆に「私はいる」と言うのも、常見であり邪見になるでしょう。「ある・ない」と言う極端な二極を離れて説かれた道が中道と言う1つの意味です。(仮のものとして理解したうえで使うのならばよいと思います)<

やっぱり、縁起(の仕組み?)を観るということが大切なのかなと思いました。
元の経典のことは詳しく知らないのですが、タイのお坊さまの本の翻訳で、
『如来はこれら両極端を離れて、中に縁りて法を説く。』(『仏法』ポー・オー・パユットー師、野中耕一さま訳、p155、第13巻相応部因縁篇)
という文章を思い出しました。

[253] pipit 2020/12/23 18:17 JV/tgpOc4Sf

>>252
>『如来はこれら両極端を離れて、中に縁りて法を説く。』(『仏法』ポー・オー・パユットー師、野中耕一さま訳、p155、第13巻相応部因縁篇)<

すみません、ページ数とか抜かしてました。あと別箇所もあるみたいなのでそちらも引用しておきますm(_ _)m

注釈のページには、
『✳︎71 第13巻相応部因縁篇24-25ページ、113ページ:第14巻相応部犍度篇211-212ページ』p389
とありました。

[254] pipit 2020/12/23 18:25 JV/tgpOc4Sf

>>242
>「私はいる」「私はいない」・・仏典内で、仏陀はどのように答えたか?
ある人が仏陀に質問をしました。「私(恒常のアートマン)は存在するのですか?
」と。仏陀は無言で答えません。次に「私(恒常のアートマン)は存在しないのですか?
」と質問しましたが、これにも無言で答えません。その後その人は立ち去りました。
これを見ていたアーナンダが「何故、彼にお答えにならなかったのですか?」と聞いてみたところ、仏陀の答えは「私はいると答えていれば、彼は常見(常住)論に陥り、私はいないと答えていれば、彼は断見(断滅)論に陥っていたでしょう。」「それに私はいると答えていたならば、一切無我(非我)と言う智慧が発現せず、私はいないと答えていたならば、先にも後にも我はなし。と、彼は迷妄に陥っていたでしょう。ですから、答えなかったのですよ」とアーナンダに説明しました。<

問答も、いろんな条件によって成り立つものですものね。
釈尊は、説く相手を想って、相手をその時に一番益する選択をされるのかなーと想像しました(o^^o)

[255] pipit 2020/12/23 18:27 JV/tgpOc4Sf

また後ほど、考えさせていただきますね。
ありがとうございます!😊🍀🌈

[256] pipit 2020/12/23 21:36 JV/tgpOc4Sf

時さん、こんばんは!
>>243
>見られたときには見られたものだけがある。嗅がれたときには嗅がれたものだけがある。とはどういう事か?
例えばカレーがテーブルの上にあるとします。この時、見られた(色)ときには見られたもの(色)だけがあります。同時に、カレーの香りが嗅がれた(香)ときには嗅がれたもの(香)だけがそこにあります。
A.これが六根に対してそれ(六境)だけがあるという状態です。
そこにもしも私(アートマン)と言うものが入り込むと・・
私が見たときには私により見られたもの(カレー=色)があり、私が香りを嗅いだとき私により嗅がれた香り(カレーの香り=香)があります。
B.これが私に対しての六境があるという状態です。

B.の場合は、私の好物だという思いから、私はもっと食べたい、私は食べたくない、私は早く食べたい等々の渇愛が生じます。
A.の場合は、ただそれ(カレー)があるだけですので、好き嫌い、早く食べたい、もっと沢山ほしいと言った渇愛等が沸き起こりません。
見られたものにおいて、見られただけのものがあるだろう。聞かれたものにおいて、聞かれただけのものがあるだろう。・・・それ故に、あなたはそこにいない、なぜなら、あなたは、まさにここにいないのだから。これこそ、苦の終焉である。
私があるとその識には渇愛等が生起します。苦の原因は、渇愛です。その渇愛を滅尽させるために八支聖道と言う梵業が行われます。そして八支聖道により苦の原因である渇愛が滅尽できれば、苦の終焉を迎えますね。<

見られたものは見られたものがあるだけなのに、なにかしらの要因からか、その見られたものという現象に『わたし』が入り込む。

『わたし』という石が置かれると、その石を仮起点として様々なものへの位置付け・仮座標が可能となる。

そんなことを思いました。

[257] pipit 2020/12/23 21:45 JV/tgpOc4Sf

>>247
>「~身」と言うのは、明確な定義と言いますかそれの記載が見つけられませんでした。ですので想像ですが、その身に起こっている・・程度の理解をしています。<

はい、私もそのように理解させていただきます。

>接触がなければ、感受はありませんね。接触がなくて何かを感受すると言う事はありません。十二支縁起の(触・受)の並びですね。(受と表現される場合には、仏典内では多くの受が説かれているようですが、ここでは、三受=苦・楽・不苦不楽の事だと仮に想像されればよいのではないでしょうか)<

はい。

[258] pipit 2020/12/23 22:36 JV/tgpOc4Sf

>>248
>このあたりの事は、中部148経「六六経」に記載があります。<

はじめて目を通させていただきました。
wikiにも説明がありました。

『六六経』
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/六六経

>> 感情や欲望がないとき、感情や欲望の混入していない対象のみが、、、主体がないとき対象とも言えないのかなー、、、<<

>その主体があるとかないとかは、あまり考えないほうが良いのかな?と思います。<

はい。

>識に渇愛等が起きるときと起きないときがあるのだと思います。仏典内での仏陀の状態が起きない状態で、その方法を学んでいる状態が有学の状態の時、そして我々凡夫はその方法を知らないのが通常ですね。ですので、仏陀曰くの苦から解放されません。苦から解放されないと解脱しませんので輪廻します。と言うお話だと理解しています。
眼と色があり、その(眼)識だけがありがあるときにはその色に(眼)触身がありますね。この次にそれを感受してしまうと苦の原因の渇愛等が沸き起こります。ですので、最低限度の「眼と色があり、その(眼)識だけがありがある」状態で止められれば、それが「見られたものにおいては、見られたもののみが有るであろう」等の状態です。勿論この時には眼触はあるのですが、これは長部1経「梵網経」のお話の時に少しお話したと思いますが、受の生起と滅尽・触の生起と滅尽を遍く知れば・・というあたりに繋がるのですね。
このあたりは無我や非我のお話と通じることだと思います。我とは五取蘊の事。無我とは、五蘊の事。一切皆苦や無常や無我は、出世間から表現される世間での法ですので、、、
スマナサーラ長老が「無我が分かりません」と言う事に回答されているようです。
https://thierrybuddhist.hatenablog.com/entry/2016/10/17/040000
教えを伝承することとそれを学ぶ事、それを解釈として伝えること・・それぞれの世界が違いますので。簡単ではありませんね。<

そうかぁ、五蘊、と、五取蘊、との違いなんですね。
識もそのように、渇愛があるときとないときがある。
いろいろなこと、とても参考になります。
ありがとうございます!

[259] pipit 2020/12/23 22:49 JV/tgpOc4Sf

>>250

>
>>248
識に渇愛等が起きるときと起きないときがあるのだと思います。と書きましたが、気づいていないだけで日常生活の中で誰しもがこの2つの識の状態を体験していると思います。
例えば、家の中のテーブルの上に好物のカレーが置かれていた場合には、カレー(色)が視覚に入り、匂い(香)が嗅がれそれらを感受(苦・楽・不苦不楽)した瞬間に、「楽」と言う選択がされ、やったーカレーだ!早く食べたい、沢山食べたいといった感情が自然と沸き起こると思います。この時の状態が、貪欲・喜悦・渇愛が起きています。これが「識に渇愛等が起きている状態」です。<

はい。

>同じ家の中で、いつもの見慣れたテーブルだけがあり、好物のカレーも置かれていない場合には、何も意識せずテーブルだけが視覚に入っていますね。この時には、そのテーブルに対しての貪欲・喜悦・渇愛と言ったものが起きていません。このような状態が、見られたときには見られたものだけがある。と言う状態だと思います。これが「識に渇愛等が起きていない状態」です。
この通りの文言での仏典記載がありませんが、そのような状態になれば苦の終焉ですよ。輪廻の終焉なのですよ。そこには、苦の原因である歓喜や渇愛を抱くあなたはいないのですよ。と言うのが「バーヒヤよ、それでは、このように、あなたは学ぶべきです。」と略説で仏陀が語った内容だと思います。それでピン!と来たのがバーヒヤだったというお話でしょう。<

ありがとうございます。不動という言葉が頭に浮かびました。

[260] pipit 2020/12/23 22:58 JV/tgpOc4Sf

>>251
>> 苦の原因である歓喜や渇愛を抱くあなたはいないのですよ。
>あなた(私)はいないという状態にどのようにするのか?ですが、仏教では、有身見が説かれます。
有身見(私と言う不変の存在があると言う見解の事。邪見。邪思推)ですが、有身とは、五取蘊の事だとの記載があります。<

そうなんですね。

>五取蘊(色取蘊・受取蘊・想取蘊・行取蘊・識取蘊)ですが、五蘊(色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊)に取(執着)しが起こった状態が有身(五取蘊)の状態です。そして五蘊に執着が起こった状態での見解や見方を、有身見(私と言う不変の存在があると言う見解の事。邪見。邪思推)と言うのですから、五取蘊の状態から執着を取り除いて(起こらないようにして)五蘊に戻してやればよいのですね。そしてこの状態に戻れれば、それが無我の状態であり、私はいないという状態です。バーヒヤのように略説でピン!とこないのであれば、その方法は、八支聖道です。<

五取蘊が有身という捉え方は、新鮮です。
わたしはめっちゃ有身見あります(^^;)

>>248
>> 我とは五取蘊の事。無我とは、五蘊の事。
>そして預流果(三結を完全に断じた状態)ならば、三結(有身見・疑・戒禁取見)を捨断した状態ですので、その中の「有身見」がこの時遮断されます。<

はい。自ら確かめることがかなったら幸せだな〜と思っています。

[261] pipit 2020/12/23 23:02 JV/tgpOc4Sf

時さんへ

とても整理された考え方を教えていただきまして、感謝です😊🙏

教えていただいたことを参考に、経典の続きを読むことにトライしますね。

ありがとうございます!!

[262] 2020/12/23 23:08 MJ/ipic7T1J

>>252 pipitさんへ こんばんは。
> 『如来はこれら両極端を離れて、中に縁りて法を説く。』

そうですね。中で説かれた法は偏らず、中で理解するのが良いです。

>>255
> 釈尊は、説く相手を想って、相手をその時に一番益する選択をされるのかなーと想像しました(o^^o)

仏陀側から見ればそうなのですが、質問者側に立つと当然それに気が付けず「答えなかった!答えられなかった!」と言う逆恨的な認識になった場合もあったと思います。もしもpipitさんが何かを知りたくて質問したときに、結果的にスルー(仏陀のような思いによる無言の対応)をされても大丈夫でしょうか?

>>256
> 見られたものは見られたものがあるだけなのに、なにかしらの要因からか、その見られたものという現象に『わたし』が入り込む。

そうですね。見られたときには見られたものだけがあるのです。なにがしかの原因から「私」が入り込むと言う事ですね。

私(我)とは、五取蘊です。無我とは、五蘊です。

>>258
> そうかぁ、五蘊、と、五取蘊、との違いなんですね。
> 識もそのように、渇愛があるときとないときがある。

その通りです。五取蘊-五蘊=取 です。

[263] 2020/12/23 23:09 MJ/ipic7T1J

>>260
> 五取蘊が有身という捉え方は、新鮮です。

有身が五取蘊の事と言うのは、中部44経「小有明経」に記載があります。

「有身といわれますが、何が世尊によって有身といわれたのでしょうか」。
「これら五取蘊が世尊によっていわれた有身です。すなわち、色取蘊、受取蘊、想取蘊、行取蘊、識取蘊が」・・・

通常我々凡夫は「私(五取蘊)」を基本としていますが、仏陀は「無我(五蘊)」を基本としているようですね。(^^) ですので、通常は理解しにくいのだと思います。(勿論、世間での法の事ですが)

なにがしかが入り込むのは「取(執着)」が入り込んでいるのです。

十二支縁起(触・受・渇愛・取)の並びの中の「取」です。そしてこの「取(執着・固執)」の原因は、取の直前の「渇愛」です。そしてこの渇愛の原因は、直前の「受(三受=苦・楽・不苦不楽)」ですね。その大元はその直前の「触」です。

触があるとき受がある。受があるとき渇愛がある。渇愛があるとき取がある。
触がないとき受がない。受がないとき渇愛がない。渇愛がないとき取がない。と言う事です。

仏教では、この中の「受(三受=苦・楽・不苦不楽)」を四禅定で滅尽させます。その前段階として四念処と言う瞑想を行うのですね。

もしも四禅定で「受(三受=苦・楽・不苦不楽)」が滅尽できた境地を体現できたのであれば、そこが仏陀の言う涅槃です。

なぜならば、涅槃の定義は(三毒の滅=貪欲の滅、瞋恚の滅、愚痴の滅)ですので、三受(苦・楽・不苦不楽)がそれぞれ、楽には貪欲が、苦には瞋恚が、不苦不楽には愚痴が対応していますので、四禅定で三受(苦・楽・不苦不楽)を滅尽できれば、同時にそれらそれぞれに対応する(貪欲、瞋恚、愚痴)が滅尽されるからです。

涅槃(三毒の滅=貪欲の滅、瞋恚の滅、愚痴の滅)です。

これでもう一度、バーヒヤの経を読まれれば、その内容の理解が起こっていると思います。(^^) では。

[264] pipit 2020/12/24 16:36 JV/tgpOc4Sf

>>262
時さん、こんにちは、返信ありがとうございます(^ ^)

>仏陀側から見ればそうなのですが、質問者側に立つと当然それに気が付けず「答えなかった!答えられなかった!」と言う逆恨的な認識になった場合もあったと思います。もしもpipitさんが何かを知りたくて質問したときに、結果的にスルー(仏陀のような思いによる無言の対応)をされても大丈夫でしょうか?<

対話相手を信頼してるかどうかで、自分の受け止め方も変わるのでしょうね。
まだ、何も関わりがなかった方に、そのような態度とられたら、
あれ〜?と、自分ではなく相手について、いろいろなこと勝手に推測しちゃいそうですね(^^;)

[265] pipit 2020/12/24 16:41 JV/tgpOc4Sf

>>263
『小有明経』、時さんから教えていただいて、目を通したことあるのに、、、

pipitの目はほんとーに節穴です、、、_| ̄|○

後ほど、もう一回、『小有明経』にゆっくり目を通してみれてらいいなと思います。

いったん失礼します!
おつかれさまです🍀🌈

[266] pipit 2020/12/25 21:38 JV/tgpOc4Sf

>>263
時さん、こんばんは(^ ^)
『小有明経』を光明寺経蔵さまのサイトで読ませていただきました。

前に紹介していただいたときは、比丘尼さまの説法で、しかも、注釈書によると説法相手のヴィサーカさんは元旦那様というところに、すてきだな〜と心が惹かれてしまい、説法内容がきちんと頭に入ってなかったという、お粗末さなのですが、
改めて目を通してみますと、
わたしにはとても難しい内容でした。

頭では、知識としては、なんとか理解できるかもですが、智慧としては、実際に瞑想しないとわからないかも〜と思いました。

これはバーヒヤ経についても、同じく思うことです。

今回も貴重な内容を教えていただきまして、感謝です。
折に触れ、教えていただいたことが助けとなることがこれからもたくさん出てくる予感がしています。
ありがとうございます!

[267] 2020/12/26 14:26 MJ/ipic7T1J

>>266 pipitさんへ

> わたしにはとても難しい内容でした。

注釈によりますと、これは、不還果と阿羅漢果の会話のようですので、通常は理解不可能だと思います。なぜならば、その会話の背景には、それまでの両者の学びや修行体験等が多く入っていての不還果から阿羅漢果への問いとその返答だからですね。例えると、高校生と大学生の会話を、通常は小学生が理解できないのと同じようなことだと思います。

> 折に触れ、教えていただいたことが助けとなることがこれからもたくさん出てくる予感がしています。

それは良かったです。その予感が現実になればよいですね。

では、返信をありがとうございました。

[268] pipit 2020/12/26 22:03 JV/tpps69Bq

時さん、経典のことを教えていただき、とても嬉しいです、ありがとうございます((o(^∇^)o))
教えていただいたことを参考に、(相応部 六処篇 六処 相応 六品「マールキャプッタ経」)の続きを読んでみますね!

>237
⭐︎前回の部分↓ この続きを見ていきます٩( 'ω' )و

(パーリ語)
Yato kho te māluṅkyaputta diṭṭhasutamutaviññātabbesu dhammesu diṭṭhe diṭṭhamattaṃ bhavissati, sute sutamattaṃ bhavissati, mute mutamattaṃ bhavissati, viññāte viññātamattaṃ bhavissati.
Tato tvaṃ māluṅkyaputta na tena,

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072
========
(Thanissaro Bhikkhuさまの英訳)
That is how you should train yourself.
When for you there will be only the seen in reference to the seen, only the heard in reference to the heard, only the sensed in reference to the sensed, only the cognized in reference to the cognized,
then,
Malunkyaputta, there is no you in connection with that.

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html
========
(Maurice O'Connell Walsheさまの英訳、と、注釈)
Then, Maalu"nkyaputta, there will be no 'thereby' for you.[2]

Notes
2.
This is almost impossible to translate adequately. There is no agent, i.e., no "seer," "feeler," "knower." "There will be no 'thereby' whereby one will be lustful, hating or deluded (SA [SN commentary])."

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html
========

[269] pipit 2020/12/26 22:36 JV/tgpOc4Sf

うーん、やっぱり、ここらへん難しい。
英訳がきちんとパーリ語部分と対応の組み合わせで、できてなかったらすみません。

難しいと思う部分↓

Tato tvaṃ māluṅkyaputta na tena,
yato tvaṃ māluṅkaputta na tena,
tato tvaṃ māluṅkyaputta na tattha,
yato tvaṃ māluṅkyaputta na tattha, tato tvaṃ māluṅakyaputta nevidha na huraṃ na ubhayamantarena esevanto dukkhassāti.

試しに対応考えて見ますね。

[270] pipit 2020/12/26 22:59 JV/tgpOc4Sf

>>269
(Thanissaro Bhikkhuさまの英訳)
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html
====
Tato tvaṃ māluṅkyaputta na tena,
(then, Malunkyaputta, there is no you in connection with that. )

====
yato tvaṃ māluṅkaputta na tena,
(When there is no you in connection with that,)

==== 
tato tvaṃ māluṅkyaputta na tattha,
(there is no you there. )

====
yato tvaṃ māluṅkyaputta na tattha,
(When there is no you there, )

====
tato tvaṃ māluṅakyaputta nevidha na huraṃ na ubhayamantarena
(you are neither here nor yonder nor between the two.)

====
esevanto dukkhassāti.
(This, just this, is the end of stress.)

[271] pipit 2020/12/26 23:16 JV/tgpOc4Sf

>>269
(Maurice O'Connell Walsheさまの英訳と注釈)
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html
====
Tato tvaṃ māluṅkyaputta na tena,
(Then, Maalu"nkyaputta, there will be no 'thereby' for you. [2])
====
yato tvaṃ māluṅkaputta na tena,
(Having no 'thereby' )
====
tato tvaṃ māluṅkyaputta na tattha,
(you have no 'there.'[3]))
====
yato tvaṃ māluṅkyaputta na tattha,
(Having no 'there,' Maalu"nkyaputta, )
====
tato tvaṃ māluṅakyaputta nevidha na huraṃ na ubhayamantarena
(there is for you neither this world, nor the next, nor anywhere in between.[4] )
====
esevanto dukkhassāti.
(That in itself is the end of suffering.")

Notes
2.
This is almost impossible to translate adequately. There is no agent, i.e., no "seer," "feeler," "knower." "There will be no 'thereby' whereby one will be lustful, hating or deluded (SA [SN commentary])."
3.
If there is no agent (i.e., "self"), then there is nowhere such an agent can be located. "You will have no 'there'": you will not be bound "there" or attached "there," i.e., with regard to the seen, heard, sensed and cognized (SA).
4.
"You will realize that nothing is really reborn."

[272] pipit 2020/12/27 09:04 JV/tgpOc4Sf

おはようございます😊
>>269
>うーん、やっぱり、ここらへん難しい。
英訳がきちんとパーリ語部分と対応の組み合わせで、できてなかったらすみません。
難しいと思う部分↓
Tato tvaṃ māluṅkyaputta na tena,
yato tvaṃ māluṅkaputta na tena,
tato tvaṃ māluṅkyaputta na tattha,
yato tvaṃ māluṅkyaputta na tattha, tato tvaṃ māluṅakyaputta nevidha na huraṃ na ubhayamantarena esevanto dukkhassāti.
試しに対応考えて見ますね。<

Sutta Central という、初期仏教の経典のいろんな言語での翻訳を読むことができるサイトがあります。
https://suttacentral.net/

興味がでたので、他の英訳と、中国語を見てみようと思います。(このマールキャプッタ経は、このサイトでは現時点では日本語訳はのせられていないようです。わたしが、その法施に心底感謝している『光明寺経蔵』さまのサイトでは、日本語訳が読めます。ありがたや〜)
https://komyojikyozo.web.fc2.com/
相応部 六処篇 六処 相応 六品「マールキャプッタ経(SN35-95)」
1. 10. 2
Māluṅkyaputtasuttaṃ

[273] pipit 2020/12/27 09:12 JV/tgpOc4Sf

>>272

中国語、漢字やから雰囲気わかるかなーと想像してたんですけど、
わたしには雰囲気もあまりわかりませんでした_| ̄|○

「摩羅迦子!則你不被它如何如何,摩羅迦子!當你不被它如何如何,摩羅迦子!則你不在那裡,摩羅迦子!當你不在那裡,摩羅迦子!則你也不在這裡、不在其他地方、不在兩者的中間,這就是苦的結束。」

https://suttacentral.net/sn35.95/zh/zhuang

でも、この掲示板、中国語もOKなんですね!パーリ語もOKだから、もちろんなんですね〜、すごいなぁ😊

[274] pipit 2020/12/27 09:35 JV/tgpOc4Sf

>>272
(Bhikkhu Sujato さまの英訳)
https://suttacentral.net/sn35.95/en/sujato

※※※※
Tato tvaṃ māluṅkyaputta na tena,
(When this is the case, you won’t be ‘by that’.)

yato tvaṃ māluṅkaputta na tena,
(When you’re not ‘by that’, )

tato tvaṃ māluṅkyaputta na tattha,
(you won’t be ‘in that’. )

yato tvaṃ māluṅkyaputta na tattha,
(When you’re not ‘in that’, )

tato tvaṃ māluṅakyaputta nevidha na huraṃ na ubhayamantarena
(you won’t be in this world or the world beyond or in between the two. )

esevanto dukkhassāti.
(Just this is the end of suffering.”)
 
※※※※

by that と、in that という訳されてるのかぁ
外、と、内、という単語が関連して思い起こされました。
でも、どちらも、that で訳されてるのですね。ふむふむ、むずかし!

対話という条件も絡むだろうし
言葉って、大変な気がするなあ〜

[275] pipit 2020/12/27 09:47 JV/tgpOc4Sf

>>272
(Bhikkhu Bodhiさまの英訳)
https://suttacentral.net/sn35.95/en/bodhi

※※※※
Tato tvaṃ māluṅkyaputta na tena,
(then, Maluṅkyaputta, you will not be ‘by that.’ )

yato tvaṃ māluṅkaputta na tena,
(When, Maluṅkyaputta, you are not ‘by that,’ )

tato tvaṃ māluṅkyaputta na tattha,
(then you will not be ‘therein. ’ )

yato tvaṃ māluṅkyaputta na tattha,
(When, Maluṅkyaputta, you are not ‘therein,’ )

tato tvaṃ māluṅakyaputta nevidha na huraṃ na ubhayamantarena
( then you will be neither here nor beyond nor in between the two. )

esevanto dukkhassāti.
(This itself is the end of suffering.”)

※※※※
Bhikkhu Bodhiさまというと、わたしはixtlanさんを思い出すんですよねぇ。
関わる方も含めて、みなさまお幸せであられますように🍀
ixtlanさん、パンデミックが起きるなんて、想像できてました?
世界は本当に摩訶不思議ですね🍵🕯🍀💐🙏
ん?何かご意見あります?

[276] pipit 2020/12/27 09:53 JV/tgpOc4Sf

>>275
ビク・ボディさまは、

by that と、therein かあ 

[277] pipit 2020/12/29 22:07 JV/tgpOc4Sf

さて、まだマールキャプッタ経は続きます。
ここまでの釈尊の説法は、「簡略に」説かれた説法なんですね。
何故、簡略に説かれたのかというと、

マールキャプッタさんは出家したけど、あまり修行は熱心にしていなかったのか、気がつけば、歳をとってもう晩年、みたいになってしまって、
はっ、お釈迦さま、わたしに簡略に教誡くださいませ、とお願いしたからなんですね。

できるだけ簡単に速く悟りたかったのかな?

お釈迦さまの返答もおもしろくて、
歳とったあなたが「簡略に」とお願いするのなら、わたしは若い比丘に何を説けばいいというのかい〜
と返されるのですが、結局リクエスト通りに簡略に説法されたのが、ここまでみてきた所なんですね。

ここから、釈尊の教誡を、マールキャプッタさんが、わかりました!こういうことだとわたしは理解しました!と、ご自分の理解を発表していくみたいです。

また続きをみていきたいと思ってます。

[278] pipit 2020/12/30 10:16 JV/tgpOc4Sf

>>270
続きを読んでみます

(パーリ語)
Imassa khvāhaṃ bhante bhagavatā saṅkhittena bhāsitassa evaṃ vitthārena-1 atthaṃ ājānāmi.

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072

========
(Thanissaro Bhikkhuさまの英訳)

"I understand in detail, lord, the meaning of what the Blessed One has said in brief:

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html

========
(Maurice O'Connell Walsheさまの英訳)

"Indeed, Lord, I understand in full the meaning of what the Blessed One has stated in brief."

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html

========

[279] pipit 2020/12/30 14:54 JV/tgpOc4Sf

>>278
大德!我了知這世尊簡要所說的詳細義理:

https://suttacentral.net/sn35.95/zh/zhuang 
莊春江さま訳中国語

[280] pipit 2020/12/31 23:13 JV/tgpOc4Sf

みなさま、今年一年もおつかれさまでした🍀
新年がみなさまそれぞれにとっての良い年になりますように🌈

[281] pipit 2021/01/02 14:24 JV/tgpOc4Sf

明けましておめでとうございます🎍
本年が安寧な一年となると素敵だな🍀😊💐
続きを読んでいきます 📕

>>278
(パーリ語)
Rūpaṃ disvā sati muṭṭhā piyanimittaṃ manasi karoto;
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072
========
(Thanissaro Bhikkhuさまの英訳)
Seeing a form
— mindfulness lapsed —
attending
to the theme of 'endearing,'

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html
========
(Maurice O'Connell Walsheさまの英訳)
Forms perceived cause loss of mindfulness,
If we dwell on their endearing charms,

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html
========
(莊春江さまの中国語訳)
以念已忘失見色後,作意可愛相,

https://suttacentral.net/sn35.95/zh/zhuang
========
(光明寺住職さまによるサイト【光明寺経蔵】に日本語訳があります。著作権侵害になるといけないので、アドレス情報を貼るにとどめます。光明寺ご住職さまの法施に感謝しています。(^人^))
https://komyojikyozo.web.fc2.com/
相応部>六処篇>六処相応>六品・の2番目「マールキャプッタ経(SN35-95)」
Māluṅkyaputtasuttaṃ

[282] pipit 2021/01/02 16:00 JV/tgpOc4Sf

>>281
マールキャプッタさんが、わたしはこう理解しました!とお釈迦様に発表しているのですが、
この部分は偈(詩偈)になってるそうです。
お歌にして発表されたですね☺️♪

このフレーズを覚えたいなぁと思ったので、マールキャプッタさんの偈の部分の音と、単語の意味を逐語的に投稿していくつもりしてます。

2500年くらい前に(正確には存じ上げてませんけど)マールキャプッタ長老さまが発声した(かもの)音 ♪

[283] pipit 2021/01/02 16:23 JV/tgpOc4Sf

>>281
(パーリ語)
♪Rūpaṃ disvā sati muṭṭhā piyanimittaṃ manasi karoto ♪

♪ るーぱん でぃさわー さてぃー むった〜 ぴやんにみったん まなーし からと〜 ♪

るーぱん でぃさわー 
色(物質)を 見る

さてぃー むった〜
念を 忘れた

ぴやんにみったん 
かわいいの相

まなーし からと〜
作意をつくる

ぴやん、は、愛しいとかかな?光明寺さまが訳されてるのは、可愛ですが、莊春江さまも中国語訳で可愛という単語を選択されていますね。
わたしは大昔に中国語をほんの浅く習ったことがあるのですが、かわいいという意味で、く〜あい、という単語を憶えていたので、かわいい(好みという感情を含む)という軽い感じで書き込みさせていただきました。
ニミッタは、瞑想でも相として登場している単語の気がしてますが、詳しくはないです。
ぴやんニミッタで、かわいいの相♡
まなーし、からと〜は、
マナシカーラという単語が連想されました。
作意と呼ばれる心所ですね。心を対象に向かわせる心所かな?
間違えてたらすみません。

サティ(念、マインドフルネス、などと訳されることが多い単語です)を忘れちゃってる人は、ルーパを見ると、かわいいの相に心をマナシカーラしちゃう、ってかんじかな?と今の段階では思いました。

[284] 地下水 2021/01/04 21:57 MJ/DIaz6b9n

『寿量品第十六の自我偈に法華経の功徳が語られています。

がしどあんのん てんにんじょうじゅうまん おんりんしょうどうかく 
しゅじゅほうしょうごん ほうじゅたけか しゅじょうしょゆうらく

我此土安穏 天人常充満 園林諸堂閣 種種宝荘厳 宝樹多華果 衆生所遊楽

わが国土は安穏にして、天界の人々で満ちる。豊かな園や林や立派な建物があり、宝の樹には、多くの華、果実や種実が実って、衆生が遊楽する所となる』

正月に祈念して世界の目標である、内の御経です。

[285] pipit 2021/01/04 22:29 JV/tgpOc4Sf

>>284
地下水さん、明けましておめでとうございます🎍 
良い年になると嬉しいですね😊🍀

[286] pipit 2021/01/04 22:30 JV/tgpOc4Sf

>>281 続きを読んでいきます 📖

(パーリ語)
Sārattacitto vedeti tañca ajjhesāya tiṭṭhati.

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072
========
(Thanissaro Bhikkhuさまの英訳)
impassioned in mind,
one feels
and remains fastened there.

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html
========
(Maurice O'Connell Walsheさまの英訳)
Passion grips the heart, and feeling flows,
Clinging has us firmly in its grip:

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html
========
(莊春江さまの中国語訳)
許多感受在其中增長

https://suttacentral.net/sn35.95/zh/zhuang
========
(光明寺住職さまによるサイト【光明寺経蔵】に日本語訳があります。著作権侵害になるといけないので、アドレス情報を貼るにとどめます。(^人^))
https://komyojikyozo.web.fc2.com/
相応部>六処篇>六処相応>六品・の2番目「マールキャプッタ経(SN35-95)」
Māluṅkyaputtasuttaṃ

[287] pipit 2021/01/04 23:20 JV/tgpOc4Sf

>>286
(パーリ語)
Sārattacitto vedeti tañca ajjhesāya tiṭṭhati.

♪ さーらった ちっとー ゔぇーでーてぃ たんちゃ あっじょさーや てぃったてぃ ♪

さーらった ちっとー ゔぇーでーてぃ
執着の心で感受し

たんちゃ
そこへ

あっじょさーや てぃったてぃ
固執して住する。

[288] pipit 2021/01/04 23:33 JV/tgpOc4Sf

>>287
Bhikkhu Sujato さまの英訳がわたしにはイメージしやすいかな

Experiencing it with a mind full of desire,
you keep clinging to it.

https://suttacentral.net/sn35.95/en/sujato

[289] pipit 2021/01/06 16:44 JV/tgpOc4Sf

>>286 続き
(パーリ語)
Tassa vaḍḍhanti vedanā anekā rūpasambhavā

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072
========
(Thanissaro Bhikkhuさまの英訳)
One's feelings, born of the form,
grow numerous,

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html
========
(Maurice O'Connell Walsheさまの英訳)
So emotions rise and grow in strength,
Of divers kinds, all based on what was seen.

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html
========
(莊春江さまの中国語訳)
許多感受在其中增長;從[所見]色生起,

https://suttacentral.net/sn35.95/zh/zhuang
========
(光明寺住職さまによるサイト【光明寺経蔵】に日本語訳があります。著作権侵害になるといけないので、アドレス情報を貼るにとどめます。(^人^))
https://komyojikyozo.web.fc2.com/
相応部>六処篇>六処相応>六品・の2番目「マールキャプッタ経(SN35-95)」
Māluṅkyaputtasuttaṃ

[290] pipit 2021/01/06 16:46 JV/tgpOc4Sf

>>289
(パーリ語)
Tassa vaḍḍhanti vedanā anekā rūpasambhavā

♪たっさ わっだんてぃ ゔぇーだなー あねーかー るーぱさんばわー♪

[291] 地下水 2021/01/06 19:25 MJ/NURoUqQ3

宗教ってうさん臭い。

倫理も胡散くさい。

科学は正しいし普遍的だが人殺しの軍人の手に渡ると拳銃になって人を殺したり、原水爆になって地球が破滅しかねないから危ない。

人間や社会や地球を科学して、だいたいどのくらいの人間活動が許容されるのかを考えて、科学的倫理とする事が妥当である。

一つの指標は平均寿命の長寿化である。健康長寿を芽出度いと考える。
すると運動する事と良質の蛋白質を摂取する事が握力を高める事が判明し、握力と長寿が正確に比例する事が指標となる事が判明した。
だいたい塩分と糖分を極力控えめにした和食や、地中海料理が長寿食であると判明している。
運動は足を中心にして、身体の筋肉をどこでもとにかく動かすだけ動かすのが良い。
凡そ散歩して玉子牛乳を食べるのが良いだろう。
すると座禅や採食は非常にうさん臭い事が解る。
座学も駄目である。
最新の仏教である禅は非常にうさん臭い事が解る。
科学的な倫理、科学的な宗教を構築する必要がある。
凡そオリンピックやスポーツやジョギングが人間倫理や国際倫理にかなうのである。
少なくとも散歩して玉子牛乳等を食べるのが良い。

[292] pipit 2021/01/06 22:31 JV/tgpOc4Sf

>>290
感パーリ語)
Tassa vaḍḍhanti vedanā anekā rūpasambhavā

♪たっさ わっだんてぃ ゔぇーだなー あねーかー るーぱさんばわー♪

たっさ
それ

わっだんてぃ
増大する

ゔぇーだなー
感受

あねーかー
多数の

るーぱ
色、物質

さんばわー
発生、生成

Bhikkhu Sujato さまの英訳
「Many feelings grow
arising from sights. 」
https://suttacentral.net/sn35.95/en/sujato

[293] pipit 2021/01/06 22:42 JV/tgpOc4Sf

>>289 続き
(パーリ語)
Abhijjhā ca vihesā ca cittamassūpahaññati

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072
========
(Thanissaro Bhikkhuさまの英訳)
Greed & annoyance
injure one's mind.

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html
========
(Maurice O'Connell Walsheさまの英訳)
Some of greed and some of hatred born —
Grievously they all afflict the heart of man,

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html
========
(莊春江さまの中国語訳)
貪婪與惱怒[亦然],心被此傷害,

https://suttacentral.net/sn35.95/zh/zhuang
========
(光明寺住職さまによるサイト【光明寺経蔵】に日本語訳があります。著作権侵害になるといけないので、アドレス情報を貼るにとどめます。(^人^))
https://komyojikyozo.web.fc2.com/
相応部>六処篇>六処相応>六品・の2番目「マールキャプッタ経(SN35-95)」
Māluṅkyaputtasuttaṃ

[294] pipit 2021/01/06 22:59 JV/tgpOc4Sf

>>293
(パーリ語)
Abhijjhā ca vihesā ca cittamassūpahaññati

♪ あびっじゃー ちゃ びぃへーさ ちゃ
ちったまっさうぱはんてぃ ♪

あびっじゃー
貪欲

ちゃ


びぃへーさ
悩害

ちゃ


ちった


あっさ
これの

うぱはんてぃ
害する、破壊する

[295] pipit 2021/01/07 07:25 JV/tgpOc4Sf

>>294
Bhikkhu Sujato さまの英訳
「The mind is damaged
by covetousness and cruelty. 」
https://suttacentral.net/sn35.95/en/sujato

[296] pipit 2021/01/07 18:48 JV/tgpOc4Sf

>>293 続き
(パーリ語)
Evaṃ ācinato dukkhaṃ ārā nibbāṇaṃ vuccati.

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072
========
(Thanissaro Bhikkhuさまの英訳)
Thus amassing stress,
one is said to be far from Unbinding.

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html
========
(Maurice O'Connell Walsheさまの英訳)
Heaping up his store of pain and woe:
Thus for him Nibbaana's far away.

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html
========
(莊春江さまの中国語訳)
這樣累積著苦,涅槃被說為在遠方。

https://suttacentral.net/sn35.95/zh/zhuang
========
(光明寺住職さまによるサイト【光明寺経蔵】に日本語訳があります。著作権侵害になるといけないので、アドレス情報を貼るにとどめます。(^人^))
https://komyojikyozo.web.fc2.com/
相応部>六処篇>六処相応>六品・の2番目「マールキャプッタ経(SN35-95)」
Māluṅkyaputtasuttaṃ

[297] pipit 2021/01/07 20:32 JV/tgpOc4Sf

>>296
(パーリ語)
Evaṃ ācinato dukkhaṃ ārā nibbāṇaṃ vuccati.

♪ えーわん あーちなと どぅっかん あーらーにっばーなん うっちゃてぃ ♪

えーわん
このように

あーちなと
積む

どぅっか


あーらー
遠く

にっばーなん
涅槃

うっちゃてぃ
言われる

Bhikkhu Sujato さまの英訳
「Heaping up suffering like this,
you’re said to be far from extinguishment.」
https://suttacentral.net/sn35.95/en/sujato

[298] pipit 2021/01/07 21:12 JV/tgpOc4Sf

偈の部分の復習。日本語訳はpipitなので間違えてたらすみませんm(_ _)m

♪Rūpaṃ disvā sati muṭṭhā piyanimittaṃ manasi karoto
♪Sārattacitto vedeti tañca ajjhesāya tiṭṭhati.
♪ Tassa vaḍḍhanti vedanā anekā rūpasambhavā
♪Abhijjhā ca vihesā ca cittamassūpahaññati
♪Evaṃ ācinato dukkhaṃ ārā nibbāṇaṃ vuccati.

♪ るーぱん でぃさわー さてぃー むった〜 ぴやんにみったん まなーしかろーと〜
♪ さーらった・ちっとー ゔぇーでーてぃ たんちゃ あっじょさーや てぃったてぃ 
♪ たっさ わっだんてぃ ゔぇーだなー あねーかー るーぱさんばわー
♪ あびっじゃー ちゃ びぃへーさ ちゃ
ちったまっさうぱはんてぃ 
♪ えーわん あーちなと どぅっかん あーらーにっばーなん うっちゃてぃ 

♪色を見て サティ忘れる
愛らしい相に 作意する
♪執着した心で 感受して
そこに 固執して 住する
♪そして受(ヴェーダナー)が増大する
数多の色(ルーパ)から
♪貪欲と害意とが 
その心を破壊する
♪このように 苦が積まれ
涅槃は遠い と言われる

[299] pipit 2021/01/07 21:13 JV/tgpOc4Sf

>>298
Bhikkhu Sujato さまの英訳
https://suttacentral.net/sn35.95/en/sujato

‘When you see a sight, mindfulness is lost
as attention latches on a pleasant feature.
Experiencing it with a mind full of desire, you keep clinging to it.
Many feelings grow
arising from sights.
The mind is damaged
by covetousness and cruelty.
Heaping up suffering like this,
you’re said to be far from extinguishment.

[300] 清水アキラ 2021/01/07 22:43 ザ-000,025,321号

300👲🏻

[301] pipit 2021/01/07 23:25 JV/tgpOc4Sf

🐼 熊猫

[302] pipit 2021/01/08 21:34 JV/tgpOc4Sf

コトバンクさん、より、六識の説明をコピペさせてもらいます。
『六識
(読み)ろくしき
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
仏教用語。6種類の識をいう。大乗仏教も部派仏教も,基本的にはともに6種類の識を提唱する。それらは眼識,耳識,鼻識,舌識,身識,意識であり,それぞれ眼,耳,鼻,舌,身,意の6種の認識器官に依存して,それぞれ色 (形をもった物質) ,声,香,味,触,法 (考えられる対象) を認識する。』








で、

色形

香り

感触(熱などもかな?)
意識内容

を認識する。人間の認識って、これで一応全部かな??

見られたもの
聞かれたもの
嗅がれたもの
味わられたもの
触れ感じられたもの
思われたもの

[303] pipit 2021/01/08 21:54 JV/tgpOc4Sf

>>298
今、マールキャプッタさんの偈を読んでいってるのですが、もともとは、お釈迦さまの説法

「見られたものには見られたもののみがあるであろう、聞かれたものには聞かれたもののみがあるであろう、嗅がれたものには嗅がれたもののみがあるであろう、味わられたものには味わられたもののみがあるであろう、触れ感じられたものには触れ感じられたもののみがあるであろう、認識されたものは認識されたもののみがあるであろうことから、、、」
(pipitの今の理解、誤解してたらすみません)

を、「、、、」とpipitが省略したところも含め、マールキャプッタさんが「わたくし、理解いたしました!」と発表してるとこなんですね。

(上記釈尊説法箇所のMaurice O'Connell Walsheさまの英訳)
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html

"Well then, Maalu"nkyaputta, in things seen, heard, sensed,[1] cognized: in the seen there will only be the seen, in the heard only the heard, in the sensed only the sensed, in the cognized only the cognized... Then, Maalu"nkyaputta, there will be no 'thereby' for you.[2]Having no 'thereby' you have no 'there.'[3] Having no 'there,' Maalu"nkyaputta, there is for you neither this world, nor the next, nor anywhere in between.[4] That in itself is the end of suffering."

[304] pipit 2021/01/08 22:07 JV/tgpOc4Sf

>>303
六識などについて釈尊が説かれているので、
マールキャプッタさんの偈も、それぞれ、認識の対象として、
色・音・香・味・触・法、という六種について歌われてるみたいです。

例えば、2番目の偈は、【   】の箇所の言葉が、一番目と変わってるだけで、あとは同じみたいです。

(パーリ語)
♪ 【Saddaṃ sutvā 】sati muṭṭhā piyaṃ nimittaṃ manasi karoto
♪ Sārattacitto vedeti tañca ajjhosāya tiṭṭhati
♪ Tassa vaḍḍhanti vedanā anekā 【saddasambhavā】
♪ Abhijjhā ca vihesā ca cittamassūpahaññati
♪ Evaṃ ācinato dukkhaṃ ārā nibbāṇaṃ vuccati.

Bhikkhu Sujato さまの英訳
https://suttacentral.net/sn35.95/en/sujato
When you 【hear a sound】, mindfulness is lost
as attention latches on a pleasant feature.
Experiencing it with a mind full of desire,
you keep clinging to it.
Many feelings grow
arising from 【sounds】.
The mind is damaged
by covetousness and cruelty.
Heaping up suffering like this,
you’re said to be far from extinguishment.

ほとんど繰り返し、みたいになるんですけど、偈を覚えたいので、
全部見ていこうかなー、と、思っています。📖

[305] pipit 2021/01/08 22:26 JV/tgpOc4Sf

>>303
うーむ、気づいてなかったけど、釈尊の説法で、この箇所では六単語挙げてなかったみたいです。説かれてると思い込んでたなぁ。わたしは相変わらず注意力散漫だなぁ。Maurice O'Connell Walsheさまの注釈では、一単語に三種の内容含めて解釈されてるみたいですけど。

(Maurice O'Connell Walsheさまの英訳、と、注釈)

"Well then, Maalu"nkyaputta, in things seen, heard, sensed,[1] cognized:

Notes

1.
Muta: i.e., smelt, tasted or touched.

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html

[306] pipit 2021/01/08 22:46 JV/tgpOc4Sf

>>305
バーヒヤ経は、スッタセントラルさんに正田大観さまの日本語訳が載ってたんですけど、
ここでも、六単語ではなく、

『バーヒヤさん、それでは、ここに、このように、あなたは学ぶべきです。『見られたものにおいては、見られたもののみが有るであろう。聞かれたものにおいては、聞かれたもののみが有るであろう。思われたものにおいては、思われたもののみが有るであろう。識られたものにおいては、識られたもののみが有るであろう』と。』
https://suttacentral.net/ud1.10/jpn/taikan

とありました。

そうだったんだぁ。

[307] pipit 2021/01/09 16:46 JV/tgpOc4Sf

寒すぎやなぁ ❄️

[308] pipit 2021/01/10 15:14 JV/tgpOc4Sf

>>304 音についての偈

♪ 【Saddaṃ sutvā 】sati muṭṭhā piyaṃ nimittaṃ manasi karoto
♪ Sārattacitto vedeti tañca ajjhosāya tiṭṭhati
♪ Tassa vaḍḍhanti vedanā anekā 【saddasambhavā】
♪ Abhijjhā ca vihesā ca cittamassūpahaññati
♪ Evaṃ ācinato dukkhaṃ ārā nibbāṇaṃ vuccati.


♪ 【さっだん すとわぁ】さてぃー むった〜 ぴやんにみったん まなーしかろーと〜
♪ さーらった・ちっとー ゔぇーでーてぃ たんちゃ あっじょさーや てぃったてぃ 
♪ たっさ わっだんてぃ ゔぇーだなー あねーかー 【さっださんばわー】
♪ あびっじゃー ちゃ びぃへーさ ちゃ
ちったまっさ・うぱはんにゃてぃ 
♪ えーわん あーちなと どぅっかん あーらーにっばーなん うっちゃてぃ 

♪【音を聞いて】サティ忘れる
愛らしい相に 作意する
♪執着した心で 感受して
そこに 固執して 住する
♪そして受(ヴェーダナー)が増大する
数多の【音】から
♪貪欲と悩害により
その心は害される。
♪このように 苦が積まれ
涅槃は遠い と言われる

[309] pipit 2021/01/10 15:16 JV/tgpOc4Sf

>>308
Bhikkhu Sujato さまのパーリ語偈の英訳
https://suttacentral.net/sn35.95/en/sujato

When you 【hear a sound】, mindfulness is lost
as attention latches on a pleasant feature.
Experiencing it with a mind full of desire,
you keep clinging to it.
Many feelings grow
arising from 【sounds】.
The mind is damaged
by covetousness and cruelty.
Heaping up suffering like this,
you’re said to be far from extinguishment.

[310] pipit 2021/01/10 15:52 JV/tgpOc4Sf

>>308 続き。香について。

♪ 【gandhaṃ ghātvā】sati muṭṭhā piyaṃ nimittaṃ manasi karoto
♪ Sārattacitto vedeti tañca ajjhosāya tiṭṭhati
♪ Tassa vaḍḍhanti vedanā anekā 【gandhasambhavā】
♪ Abhijjhā ca vihesā ca cittamassūpahaññati
♪ Evaṃ ācinato dukkhaṃ ārā nibbāṇaṃ vuccati.


♪ 【がんだん がーとわー】さてぃー むった〜 ぴやんにみったん まなーしかろーと〜
♪ さーらった・ちっとー ゔぇーでーてぃ たんちゃ あっじょさーや てぃったてぃ 
♪ たっさ わっだんてぃ ゔぇーだなー あねーかー 【がんださんばわー】
♪ あびっじゃー ちゃ びぃへーさ ちゃ
ちったまっさ・うぱはんにゃてぃ 
♪ えーわん あーちなと どぅっかん あーらーにっばーなん うっちゃてぃ 

♪【香りを嗅いだら】サティ忘れる
愛らしい相に 作意する
♪執着した心で 感受して
そこに 固執して 住する
♪そして受(ヴェーダナー)が増大する
数多の【香り】から
♪貪欲(欲)と悩害(怒り)により
その心は害される。
♪このように 苦が積まれ
涅槃は遠い と言われる

[311] pipit 2021/01/10 15:55 JV/tgpOc4Sf

>>310
Bhikkhu Sujato さまの英訳
https://suttacentral.net/sn35.95/en/sujato

When you 【smell an odor 】, mindfulness is lost
as attention latches on a pleasant feature.

Experiencing it with a mind full of desire,
you keep clinging to it.

Many feelings grow
arising from 【smells】.

The mind is damaged
by covetousness and cruelty.

Heaping up suffering like this,
you’re said to be far from extinguishment.

[312] pipit 2021/01/10 16:07 JV/tgpOc4Sf

今、六種の対象に触れた際にサティ(念、マインドフルネス、気づき、などと訳されてる印象あります。)忘れた場合の苦の生じ方、みたいなかんじが歌われてますけど、
六種おわったら、今度は、サティを伴って経験?する場合について歌われるみたいですね。

サティ、の定義が、学問的にも修学的にも、わたしには超難しそうなのですけど(^^;)

とりあえず、サティという表記だけで、、、今のところ、逃げます!!

ということで、続けていきます 😊

[313] pipit 2021/01/10 20:30 JV/tgpOc4Sf

>>312
まるっと逃げるのも気が引けたので、ウィキペディアで『サティ』を読んでみました。

wikiの『サティ(仏教)』の項目から、抜粋引用します。

『パーリ語でサティ(巴: sati[1]、梵: smṛti[1]:スムリティ)とは、特定の物事を心に(常に)留めておくことである。日本語では念(ねん)や[1][2]、気づき、英語ではマインドフルネス(mindfulness)[2]などと表現する。漢訳で念。仏教の実践において正念(しょうねん、sammā-sati)とは、八正道(はっしょうどう)の一つとして重視される。正しい念は、三十七道品のなかの四念住(しねんじゅう)などにおける念とあるように、基本概念の一つである。対象に執着あるいは嫌悪などの価値判断を加えることなく、中立的な立場で注意を払うことを意味し、仏教における瞑想の基礎的な技術の一つであり、念を深めると心が固定され、何事にも惑わされない定(じょう)の状態に至るとされる。

(略)』   

続く

[314] pipit 2021/01/10 20:31 JV/tgpOc4Sf

>>313
(略)
あらゆるものへ移っていくという心の散漫な動きを自覚することができるようになる、気づき、心にとどめるという訓練は最も基礎的であり、自分の呼吸を観察するのが一番基礎的で最適だとされる[6]。持続的な訓練によって、より小さな努力で行えるようになり、最終的には自動的に行うことができる[6]。

その特定のことに執着したり、嫌悪の対象として押し戻すように対峙するのではなく、中立的な状態で価値判断を加えることなく、意識を対象物に止めておくことである。また、常に意識を対象物に止めることで、意識の対象物に対する注意が途切れるということや、他の事に気が迷い別のことに意識が向かうこともなく、経つ時間を忘れるということもないとされる。

(続く)

[315] pipit 2021/01/10 20:32 JV/tgpOc4Sf

>>314(続き)

念が深まると意識が完全に固定され動かなくなる定(じょう、サマーディ)に至り、三昧(さんまい)の境地に入る。この三昧の境地は光悦感が伴い、釈迦は出家後に当時の数々の聖人の元で修行した時には、この念・定・三昧を非常に短期間で習得している。ただし、釈迦はこの光悦感がどれほど高次であろうとも最終的にはその光悦は一時的なものに過ぎないと知ることにより、釈迦これらの聖人達の下から離れて自ら苦行の道に進む。最後にこの苦行にも見切りをつけて菩提樹の下で瞑想するにあたり、まず最高位の三昧の境地に入った後、定の状態からその意識を森羅万象の変化に向けることによって観(かん)を得て、釈迦は悟りに至っている。

止(サマタ)の意識の対象は40程にあたり、息などの生理現象などから、仏・法・僧や戒、神々、また喜捨することを心に浮かべてそれに集中することも念という。例えば、仏を心に想起してこれに集中することは仏随念あるいは念仏(buddhānusmṛti)という。これらの6つの念じる対象を特に六念処と呼ぶ。

チベット仏教では、止を先に実践し最高位の状態へと至ってから、観の修行に入る。観を実践するだけであれば、途中の段階の止の能力にて実践することができる。
(続く)

[316] pipit 2021/01/10 20:33 JV/tgpOc4Sf

>>315(続き)
対して、近年で特に欧米で広く広まったヴィパッサナー(観)では、この念の対象を40程のサマタの伝統的な対象物でなく、最初から物事の変化に向けるため、念を深めて定に至っても三昧の境地に入ることはできない。また、念の対象を常に変化する現象に向けるため、変化に連続的に「気づく」という意味となるが、サマタの場合は対象物が固定されているので「気に留める」あるいは「意識を固定する」という意味で「念ずる」が適切な訳となる。念の途中で「気づく」たびに三昧から抜けてしまうという意味では念の訳として「気づく」は適さない。ヴィパッサナーではサティとは、「今の瞬間に生じる、あらゆる事柄に注意を向けて、中立的によく観察し、今・ここに気づいている」ことであるとされる。この様な観行にいたる境地と止行により至る境地の違いが現れる。

(略)



wikiからのサティの抜粋引用を終わります。

[317] pipit 2021/01/10 20:44 JV/tgpOc4Sf

次に、wikiの『マインドフルネス』という項目から、仏教用語のサティに関連した箇所を抜粋引用します。

『マインドフルネス』の項目より抜粋引用。
『(略)
マインドフルネス(mindfulness)という用語は、仏教の重要な教えである中道の具体的内容として説かれる八正道のうち、第七支にあたるパーリ語の仏教用語サンマ・サティ(Samma-Sati、漢語:正念、正しいマインドフルネス)のサティの英訳である[12][13]。サンマ・サティは「常に落ちついた心の行動(状態)」を意味する[14]。サティはいくつかの仏教の伝統における重要な要素である[15][16]。

仏教において、八正道として説かれる8つの教えは互いに有機的に関連し合った一つの修行システムであり、独立して行われることは想定されていない。八正道により「分離した自我」、孤立的に存在する実体的存在としての自我という(仏教において)誤った認識を解体し(無我)、全てが相互につながりあって生起している(縁起)という正しい認識に基づいて生きることができるようになると考えられ、正念もこのヴィジョンに基づいて理解され実践された[13][17]。正念は、人を苦しみからの完全な解放や悟りと呼ばれるものへと徐々に導いていく自己認識や智慧を発達させることに役立ち、「無我」や「無常」という真理を悟り解脱に至るための方法として実践されてきた[15][17]。

(続く)

[318] pipit 2021/01/10 20:45 JV/tgpOc4Sf

>>317 (続き)

仏教における語義 編集
satiとsmṛti

mindfulness[注釈 2]と英訳された仏教用語は、パーリ語のsati(サティ)および、サンスクリットにおいてsatiに相当するsmṛtiに起源がある。Robert Sharfによれば、これらの語の意味は、広範囲に渡る討論や議論のテーマとなっている[54]。元来、smṛtiは、to remember(思い出す、記憶している[55])、to recollect(思い出す、回想する[56])、to bear in mind(心に留めておく[57])を意味した。satiもto rememberを意味する。大念処経(訳者注: または念処経)においてsatiは、仏教の法を思い出すこと/覚えていることを意味し、それによって修行者は諸現象の本質を見ることができる[54]。「サティが生じることは、四念処、五根、五力、七覚支、八正道などの健全な諸法を心に呼び起こす」と説明している『ミリンダ王の問い』をSharfは参照している[58]。

(続く)

[319] pipit 2021/01/10 20:47 JV/tgpOc4Sf

>318(続き)
翻訳 編集
mindfulness の意味を一般的に捉えると非常にあいまいであり、これがマインドフルネスという言葉の分かりにくさにつながっている[59]。英語として日常的には「注意で満ちた」「注意でいっぱいの状態」という意味で使われており、心理学でも注意と結びつき、「十分な注意」を表すと考えられる[60]。mindful という形容詞は「よく覚えていること」という意味で14世紀中盤から使われ、次第に「心をとどめておく」「心を配る」「気づかう」といった意味も持つようになり、16世紀には現在とつづりは違うが、名詞として使われるようになった[61]。しかし、本記事における意味のマインドフルネスは、もともと英語にあった mindful から生まれた言葉ではなく、19世紀に仏教用語を英語に翻訳する際にあてたものであり、徐々に専門的な意味が加えられて一般に広まった。そのため本記事の意味での mindfulness は、英語圏でも2000年頃の段階では、専門家以外にはあまり知られていなかったようである[62]。
(続く)

[320] pipit 2021/01/10 20:49 JV/tgpOc4Sf

>>319(続き)

1845年、Daniel John Gogerlyがsammā-satiをCorrect meditation(正しい瞑想[63][64])と初めて英訳した[65]。

1881年に原始仏教の経典に使われているパーリ語の学者であるトーマス・ウィリアム・リス・デイヴィッズが、八正道におけるsammā-satiをRight Mindfulness(the active, watchful mind)と訳したのが、sati が mindfulness と英訳された最初である[66][62]。サティとは「心をとどめておくこと、あるいは心にとどめおかれた状態としての記憶、心にとどめおいたことを呼び覚ます想起のはたらき、心にとどめおかせるはたらきとしての注意力」であり、この「心をとどめておく」「注意」などの意味が英語の mindfulness の含意と近かったため、英訳として選ばれ、mindfulness が仏教的な意味を帯びるようになった[62]。

(略)』

wikiの『マインドフルネス』からのサティに関わる記事の抜粋引用を終わります。

[321] pipit 2021/01/10 21:32 JV/tgpOc4Sf

いろんな解釈があるようなのですが(実践者のレベルによって、言語の指し示す中身が変わっていく可能性もあるかもですしね、、、言葉の空性!)
pipitの現在の心づもりとしては、

『「念(サティ sati)」は「気づき」です。「今・ここ」に目覚めていること、覚醒している状態のことです。過去のことや将来のことについて心を無駄に回転させることをやめて、「今・ここ」で起こる現実を認識することです。』
(『心の中はどうなってるの?』アルボムッレ・スマナサーラ長老著、サンガ新書、p140より引用。)

を念頭において、マールキャプッタ経を読み進めてみたいと思います😊

[322] pipit 2021/01/11 00:23 JV/tgpOc4Sf

>>310 続き ・味について

♪ 【Rasaṃ bhotvā 】sati muṭṭhā piyaṃ nimittaṃ manasi karoto
♪ Sārattacitto vedeti tañca ajjhosāya tiṭṭhati
♪ Tassa vaḍḍhanti vedanā anekā 【rasasambhavā】
♪ Abhijjhā ca vihesā ca cittamassūpahaññati
♪ Evaṃ ācinato dukkhaṃ ārā nibbāṇaṃ vuccati.


♪ 【らさん ぼとわー】さてぃー むった〜 ぴやんにみったん まなーしかろーと〜
♪ さーらった・ちっとー ゔぇーでーてぃ たんちゃ あっじょさーや てぃったてぃ 
♪ たっさ わっだんてぃ ゔぇーだなー あねーかー 【らさんばわー】
♪ あびっじゃー ちゃ びぃへーさ ちゃ
ちったまっさ・うぱはんにゃてぃ 
♪ えーわん あーちなと どぅっかん あーらーにっばーなん うっちゃてぃ 

♪【味を味わう】サティ忘れる
愛らしい相に 作意する
♪執着した心で 感受して
そこに 固執して 住する
♪そして受(ヴェーダナー)が増大する
数多の【味】から
♪貪欲(欲)と悩害(怒り)と。
その心は害される。
♪このように 苦が積まれ
涅槃は遠い と言われる

[323] pipit 2021/01/11 00:26 JV/tgpOc4Sf

>>322
Bhikkhu Sujato さまの英訳
https://suttacentral.net/sn35.95/en/sujato

When you 【enjoy a taste】, mindfulness is lost
as attention latches on a pleasant feature.

Experiencing it with a mind full of desire,
you keep clinging to it.

Many feelings grow
arising from 【tastes】.

The mind is damaged
by covetousness and cruelty.

Heaping up suffering like this,
you’re said to be far from extinguishment.

[324] pipit 2021/01/11 23:24 JV/tgpOc4Sf

>>322 続き・触について

♪ 【Phassaṃ phussa】sati muṭṭhā piyaṃ nimittaṃ manasi karoto
♪ Sārattacitto vedeti tañca ajjhosāya tiṭṭhati
♪ Tassa vaḍḍhanti vedanā anekā 【phassasambhavā】
♪ Abhijjhā ca vihesā ca cittamassūpahaññati
♪ Evaṃ ācinato dukkhaṃ ārā nibbāṇaṃ vuccati.


♪ 【ぱっさん ぷっさー】さてぃー むった〜 ぴやんにみったん まなーしかろーと〜
♪ さーらった・ちっとー ゔぇーでーてぃ たんちゃ あっじょさーや てぃったてぃ 
♪ たっさ わっだんてぃ ゔぇーだなー あねーかー 【ぱっささんばわー】
♪ あびっじゃー ちゃ びぃへーさ ちゃ
ちったまっさ・うぱはんにゃてぃ 
♪ えーわん あーちなと どぅっかん あーらーにっばーなん うっちゃてぃ 

♪【触に触れて】サティ忘れる
愛らしい相に 作意する
♪執着した心で 感受して
そこに 固執して 住する
♪そして受(ヴェーダナー)が増大する
数多の【触】から
♪貪欲(欲)と悩害(怒り)と。
その心は害される。
♪このように 苦が積まれ
涅槃は遠い と言われる

[325] pipit 2021/01/11 23:24 JV/tgpOc4Sf

>>324
Bhikkhu Sujato さまの英訳
https://suttacentral.net/sn35.95/en/sujato
When you 【sense a touch】, mindfulness is lost
as attention latches on a pleasant feature.
Experiencing it with a mind full of desire,
you keep clinging to it.
Many feelings grow
arising from 【touches】.
The mind is damaged
by covetousness and cruelty.
Heaping up suffering like this,
you’re said to be far from extinguishment.

[326] pipit 2021/01/17 15:31 JV/tgpOc4Sf

>>324 続き

♪ 【Dhammaṃ ñatvā 】sati muṭṭhā piyaṃ nimittaṃ manasi karoto
♪ Sārattacitto vedeti tañca ajjhosāya tiṭṭhati
♪ Tassa vaḍḍhanti vedanā anekā 【dhammasambhavā】
♪ Abhijjhā ca vihesā ca cittamassūpahaññati
♪ Evaṃ ācinato dukkhaṃ ārā nibbāṇaṃ vuccati.


♪ 【だんまん にゃとわー】さてぃー むった〜 ぴやんにみったん まなーしかろーと〜
♪ さーらった・ちっとー ゔぇーでーてぃ たんちゃ あっじょさーや てぃったてぃ 
♪ たっさ わっだんてぃ ゔぇーだなー あねーかー 【だんまんさんばわー】
♪ あびっじゃー ちゃ びぃへーさ ちゃ
ちったまっさ・うぱはんにゃてぃ 
♪ えーわん あーちなと どぅっかん あーらーにっばーなん うっちゃてぃ 

♪【法(意の対象、例えば思考概念??)を知る】サティ忘れる
愛らしい相に 作意する
♪執着した心で 感受して
そこに 固執して 住する
♪そして受(ヴェーダナー)が増大する
数多の【法】から
♪貪欲(欲)と悩害(怒り)と。
その心は害される。
♪このように 苦が積まれ
涅槃は遠い と言われる

[327] pipit 2021/01/17 15:33 JV/tgpOc4Sf

>>326
Bhikkhu Sujato さまの英訳
https://suttacentral.net/sn35.95/en/sujato

When you 【know a thought,】 mindfulness is lost
as attention latches on a pleasant feature.
Experiencing it with a mind full of desire,
you keep clinging to it.
Many feelings grow
arising from 【thoughts. 】
The mind is damaged
by covetousness and cruelty.
Heaping up suffering like this,
you’re said to be far from extinguishment.

[328] pipit 2021/01/17 16:56 JV/tgpOc4Sf

ここまでは、
『sati muṭṭhā』念(気づき)がないために、知覚対象から煩悩に突っ走って行く場合みたいなかんじでしたけど、
ここからは、
『patissato』念をもって、、、知覚を知覚として気づいて、苦を積み上げる方向へ流れないなら、、、みたいな感じみたいです。

引き続き、マールキャプッタさまの詩偈を読んでいきます。

、、、あー、今、カント哲学の傾向性という訳語を思い出しました。
欲に流されちゃうんですね。
それが生命の当たり前のスタンダードですよね。
それを破る、という可能性、、、

カント哲学も大好きだ〜

あ、これは、法に対する執着だなぁ(^^;)

♪法を知る サティ忘れる
愛らしい相に 作意する
♪執着した心で 感受して
そこに 固執して 住する
♪そして受(ヴェーダナー)が増大する
数多の【法】から
♪貪欲(欲)と悩害(怒り)と。
その心は害される。
♪このように 苦が積まれ
涅槃は遠い と言われる

[329] pipit 2021/01/17 18:48 JV/tgpOc4Sf

>>326 続き 
(パーリ語)
Na so rajjati rūpesu rūpaṃ disvā patissato
Virattacitto vedeti tañca nājjhosāya tiṭṭhati
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072
========
(Thanissaro Bhikkhuさまの英訳)
Not impassioned with forms
— seeing a form with mindfulness firm —
dispassioned in mind,
one knows
and doesn't remain fastened there.
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html
========
(Maurice O'Connell Walsheさまの英訳)
He who's not inflamed by things he sees,
Seeing forms retains his mindfulness,
Not in passion's grip, simply feels,
On him clinging cannot get a hold.
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html
========
(莊春江さまの中国語訳)
當持念見色後,他不在色上被染著,
以離貪著之心感受它,不持續固持它。
https://suttacentral.net/sn35.95/zh/zhuang
========
(光明寺住職さまによるサイト【光明寺経蔵】に日本語訳があります。著作権侵害になるといけないので、アドレス情報を貼るにとどめます。(^人^))
https://komyojikyozo.web.fc2.com/
相応部>六処篇>六処相応>六品・の2番目「マールキャプッタ経(SN35-95)」
Māluṅkyaputtasuttaṃ

[330] pipit 2021/01/17 19:58 JV/tgpOc4Sf

>>329 続き
(パーリ語)
Yathāssa ghāyato gandhaṃ sevatocāpi vedanaṃ
Khīyati no pacīyati evaṃ so caratī sato
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072
========
(Thanissaro Bhikkhuさまの英訳)
While one is seeing a form
— and even experiencing feeling —
it falls away and doesn't accumulate.
Thus one fares mindfully.
Thus not amassing stress,
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html
========
(Maurice O'Connell Walsheさまの英訳)
If he just observes the things he sees,
Not reacting to their shape or form,
He'll pull down the pile, not build it up.
Mindfully proceeding on his way,
Heaping up no store of pain and woe:
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html
========
(莊春江さまの中国語訳)
即使見色,以及經歷感受,
他這樣運行念,[苦]被耗盡不被堆積,
這樣減少著苦,
https://suttacentral.net/sn35.95/zh/zhuang
========
(光明寺住職さまによるサイト【光明寺経蔵】に日本語訳があります。著作権侵害になるといけないので、アドレス情報を貼るにとどめます)
https://komyojikyozo.web.fc2.com/
相応部>六処篇>六処相応>六品・の2番目「マールキャプッタ経(SN35-95)」
Māluṅkyaputtasuttaṃ

[331] pipit 2021/01/17 20:07 JV/tgpOc4Sf

>>330
あ、間違えたかも。
それぞれの英訳、中国語訳の最後は、まだ引用してないパーリ文のところを先走って引用してしまってたみたいです。

次の投稿で、その部分のパーリ文も含めて引用を続けます。m(_ _)m

[332] 清水アギラ 2021/01/17 21:01 ザ-000,025,321号

🤗

[333] 清水アギラ 2021/01/17 21:01 ザ-000,025,321号

333👲🏻

[334] pipit 2021/01/17 22:58 JV/tgpOc4Sf

🦔🦦🦚

見えるかなあ ? 🍵

[335] pipit 2021/01/17 23:08 JV/tgpOc4Sf

>>330
(パーリ語)
Evaṃ apacinato dukkhaṃ santike nibbānaṃ vuccati.

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072
========
(Thanissaro Bhikkhuさまの英訳)
Thus not amassing stress,
one is said to be
in the presence of Unbinding.

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html
========
(Maurice O'Connell Walsheさまの英訳)
Heaping up no store of pain and woe:
Then for him Nibbaana's very near.

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html
========
(莊春江さまの中国語訳)
這樣減少著苦,涅槃被說為在面前。

https://suttacentral.net/sn35.95/zh/zhuang
========
(光明寺住職さまによるサイト【光明寺経蔵】に日本語訳があります。著作権侵害になるといけないので、アドレス情報を貼るにとどめます。)
https://komyojikyozo.web.fc2.com/
相応部>六処篇>六処相応>六品・の2番目「マールキャプッタ経(SN35-95)」
Māluṅkyaputtasuttaṃ

[336] pipit 2021/01/17 23:27 JV/tgpOc4Sf

これ以降の偈も、対象に関する箇所だけ変えて、繰り返されるようです。最初はまず、眼に色が触れて眼識が生じる際にサティ(気づき)が伴ってる場合の偈ですね。

(パーリ語)
Na so rajjati 【rūpesu rūpaṃ disvā 】patissato
Virattacitto vedeti tañca nājjhosāya tiṭṭhati
Yathāssa 【passato rūpaṃ 】sevato cāpi vedanaṃ
Khīyati nopacīyati evaṃ so caratī sato
Evaṃ apacinato dukkhaṃ santike nibbānaṃ vuccati.

(Bhikkhu Sujato さまの英訳)

When you 【see a sight】 with mindfulness,
there’s no desire for 【sights】.

Experiencing it with a mind free of desire,
you don’t keep clinging to it.

Even as you 【see a sight 】
and get familiar with how it feels,
you wear away, you don’t heap up:

that’s how to live mindfully.

Eroding suffering like this,
you’re said to be in the presence of extinguishment.

https://suttacentral.net/sn35.95/en/sujato

[337] 2021/01/17 23:54 Co/ipic7T1J

眼と色で眼識。三つの和合で眼触。この触に縁り感受が起こったとき、渇愛が生じますが、この時の渇愛のある状態が五妙欲です。

そしてこの五妙欲(五根によって識られる、可愛、可楽、適意の、愛すべき形相ある、欲の具わった、染心を煽る五境)が捨断されると、五取蘊が五蘊に戻ります。つまりは、欲のある状態である「見られたときに愛すべき歓喜する色があり、聞かれたときに愛すべき歓喜すべき音がある」ような状態(五取蘊)から「見られたときには見られた色だけがあり、聞かれたときには聞かれた音だけがある」状態(五蘊)になると言う事です。そこには「私=五取蘊の状態」はありません。

そして別経典では、この五妙欲の捨断の方法は、八支聖道(正念=四念処)だと説かれます。いずれにしても正しく理解が起こるためには、通常、八支聖道の行は必須のようですね。

[338] 2021/01/18 09:08 Co/ipic7T1J

「如来はこれら両極端を離れて、中に縁りて法を説く。」

法に執着せず、念をもって法を知るならば、離貪した心の者として感受し、そして固執せずに住する。

これが「中で説かれた法を中で理解する」と言う事です。一切においての固執、執着が取り除かれた状態です。そしてこの中での理解が崩れ去らないように中を維持継続できていれば、ここでいわれる苦は取り除かれ、その人物は涅槃に近いと言われるのですよと言う事でしょう。

一切とは(眼・耳・鼻・舌・身・意とそれらの対象となる色形・音声・香・味・触覚・法)。つまりは、六根(眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根)と六境(色・音・香・味・触・法)の事ですね。

[339] 2021/01/18 11:04 Co/ipic7T1J

仮に、パーリの内容が最小限度の改変しかされずに現代に残っていたとするならば。

学処としてその教えを学び、実践として生活することは可能だろうと思います。当時との大きな違いは、師である仏陀がそこにいたかいないかです。例えば、何か学ぶ者(弟子)同士での、或いは、他教徒との論争が起こりかけたとき、当時は、最終的には師である仏陀にその内容の是非を確認できたと思われます。しかし現代ではその仏陀が存在しませんので、その最終的な確認ができませんが、現代においてはそれは致し方ないとも思います。例えば、時の書くこともそのほとんどが原始仏典にその根拠がありますが、だからと言ってそれに固執しないようにしています。なぜならば、それは日本語で書かれた訳文からのパーリの文化背景を持たない時の解釈だからです。仏陀の死後、その各人の解釈には最終的な仏陀の判断と言う歯止めが効かず、実際に多くの宗派が宗教として現れています。そしてもともと仏教は、宗教でもなければ哲学でもないのだと思います。同時にその教えを歪めずに学べた者には、論争は起こり得ませんし、平安で静寂な心の状態が獲得できるとも思います。

六触処の生起と滅没、楽味と過患と出離を如実に了知するような者は、これら六十二見より、さらに優れたことを了知する。長部1経

犀の角のようにただ独り歩め。(スッタニパータ)・・あの時、背中を押していただいたYさんは、お元気でしょうか。

[340] 2021/01/18 17:13 Co/ipic7T1J

五蘊(色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊)は我に非ず(五蘊非我)と言う教えが最短でしょうか。もしもこれだけで理解が起これば、苦の滅尽に関しては、これ以上の事は必要なさそうです。

四聖諦(苦聖諦・集聖諦・滅聖諦・道聖諦)の中の苦聖諦である苦とは何か?は、苦(生・老・病・死・愁・悲・憂・悩・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・要略すると五取蘊苦)との記載により、要略すると五取蘊苦です。

五取蘊苦は、五取蘊(色取蘊・受取蘊・想取蘊・行取蘊・識取蘊)に生起する苦であり、その原因が五蘊に対する貪欲であり、貪欲と取が別にあるのではなくてその貪欲な状態が取なので、五取蘊の状態ならば私は未来の時、このような色、受、想、行、識あるものになりたい。と言う事で、~になりたいと言う渇愛が生起しています。そしてこの渇愛が苦の原因なので、五蘊非我の教えで五蘊に戻ります。これは同時に有身見の滅を意味しますね。少し乱暴でしょうか。

[341] pipit 2021/01/18 18:14 JV/tgpOc4Sf

時さん、こんにちは。コメントありがとうございます!(^人^)

『「見られたときには見られた色だけがあり、聞かれたときには聞かれた音だけがある」』状態(五蘊)、この執着のない状態を、まずお釈迦さまが説かれた。

その説法を、こう了解しました、と、マールキャプッタ長老が、念がなく欲があるとき・・・五取蘊の状態と、念があり欲から離れている・・・五蘊の状態のとき、に分別されて話された。

五蘊非我だと体得できると、『私』を五蘊に練り込むことによって生じていたあらゆる欲が落ちる、その時、取は無く、五蘊に戻る。

そうかぁ、有身見の滅と直通しているものなのかな、と、時さんのコメントを読んで考えて思いました。

また後ほどゆっくり考え直してみようと思います。
心底感謝いたします!ありがとうございます😊🍀

[342] 2021/01/18 19:21 Co/ipic7T1J

>>341 
pipitさんへ こんばんは。返信をありがとうございます。

>>251
> 有身見(私と言う不変の存在があると言う見解の事。邪見。邪思推)ですが、有身とは、五取蘊の事だとの記載があります。

つまりは、有身(五取蘊の事)の状態での見解が、有身見ですね。この有身見を滅尽するためには、有身(五取蘊)を滅尽して五蘊に戻せれば、有身は滅尽し、同時にその見解は有身見ではなく、単なる見解となります。見解があるときには、ただその見解だけがあるのですと言う事ですね。

>>341
> そうかぁ、有身見の滅と直通しているものなのかな、と、時さんのコメントを読んで考えて思いました。

はい。直結だと思います。仏典内の記載は、同じ事柄を多角的に多次元的に違った言葉で表現されているようですので、1対1で言葉と意味を対にしてしまっては分かり難いのかもしれません。

ですので今回の場合も、五取蘊は我の~と言う一人称の表現の事であり、有身見の事です。

うわぁー、私はとっても綺麗な朝陽だー(色取蘊)
うわぁー、気持ちい朝だなぁ!(受取蘊)
今日の彼とのデートは何を着ていこうかな♪(想取蘊)等々の事になるでしょうか。

有身見の滅は五取蘊の滅であり、同時に我の執着、固執した見解の滅ですね。ですので心の平静、静寂が獲得されます。

[343] 2021/01/18 19:25 Co/ipic7T1J

>>342 失礼しました。訂正です。

> うわぁー、私はとっても綺麗な朝陽だー(色取蘊)

うわぁー、とっても綺麗な朝陽だー(色取蘊)

[344] pipit 2021/01/18 20:56 JV/tgpOc4Sf

時さんへ
ありがとうございます😊

>つまりは、有身(五取蘊の事)の状態での見解が、有身見ですね。この有身見を滅尽するためには、有身(五取蘊)を滅尽して五蘊に戻せれば、有身は滅尽し、同時にその見解は有身見ではなく、単なる見解となります。見解があるときには、ただその見解だけがあるのですと言う事ですね。<

すごくわかりやすいです。
見解は、ただ見解があるだけ。。。

私はまだまだ感情でまくりですが、知識的にだけでも知ってるだけでも、私にとってはいい影響、、、になればいいなぁと思っています(^ ^)

まぁでも、せっかく人間に生まれたので、できるだけ、、、(悟れたらいいな)小声

すごく勉強になります、ありがとうございます(^人^)

[345] pipit 2021/01/19 21:21 JV/tgpOc4Sf

>>336
偈を記憶できたらいいなと思うので、自分なりにまとめて書き込みしていきます。
(パーリ語)
Na so rajjati 【rūpesu 】【rūpaṃ disvā 】patissato
Virattacitto vedeti tañca nājjhosāya tiṭṭhati
Yathāssa 【passato rūpaṃ 】sevato cāpi vedanaṃ
Khīyati nopacīyati evaṃ so caratī sato
Evaṃ apacinato dukkhaṃ santike nibbānaṃ vuccati.

♪ な そ らじゃてぃ 【るーぺーす】
【るーぱん でぃさわー】ぱてぃさっとー
ゔぃらったちっとー  ゔぇーでーてぃ
たんちゃ なーじょさーや てぃったてぃ
やたーさ 【ぱっさと るーぱん】 
せーわと ちゃーぴ ゔぇーだーなん
きーやてぃ のぱちーやてぃ
えーわん あぱちなとー どぅっかん
さんてぃけ にっばーなん うっちゃてぃ

(日本語訳)
♪ 彼が【諸々の色】に染着せず
♪ 念をもって【色を見る】なら
♪ 離貪の心で感受して
♪ それに固執せずして住する
♪ このように 【色を見る】なら
♪ 感受に親近しても
♪ それが尽き、積まれないように
♪ そのように 念をもって 行う
♪ このように 苦を 取り除くなら
♪ 涅槃は近い と 言われる

[346] pipit 2021/01/19 21:38 JV/tgpOc4Sf

>>345
(Maurice O'Connell Walsheさまの英訳)
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html

He who's not inflamed by things he sees,

Seeing forms retains his mindfulness,

Not in passion's grip, simply feels,

On him clinging cannot get a hold.

If he just observes the things he sees,

Not reacting to their shape or form,

He'll pull down the pile, not build it up.

Mindfully proceeding on his way,

Heaping up no store of pain and woe:

Then for him Nibbaana's very near.

[347] 2021/01/20 10:42 Co/ipic7T1J

pipitさんへ こんにちは。

「教義によって、学問によって、戒律や道徳によって清らかになることができる」とは、私は説きません。「教義がなくても、学問がなくても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになることができる」とも説きません。それらを捨て去って、固執することなく、拘ることなく、平安であって、迷いの生存を願ってはならぬ。これが内心の平安です。(スッタニパータ 839)

今ならば、仏陀の言ったこの言葉の意味の理解ができるのではないでしょうか?

[348] pipit 2021/01/20 17:42 JV/tgpOc4Sf

時さん、こんにちは。

私の場合、頭では理解できるつもりなのですけど、私の現在が悟らず煩悩だらけということは、本当の意味では理解が起きていないのかなと思っています。

理屈での理解、を、実践にうつせてない、ということなのかな、と、思いました。

時さんが引用してくださった経文では、『それらを捨て去って、固執することなく、拘ることなく、平安であって、迷いの生存を願ってはならぬ。』が実践において実現されるべきことなのだろうなぁ、とかわ
執着、が、苦しみのもとなのかなぁなどの感想を持ちます。
法さえ掴まない、そんな状態、、、。

各自で確かめるべき(法の六徳の一つ、Paccattaṃ veditabbo viññūhī)が頭に浮かびます。

[349] 2021/01/20 20:22 Co/ipic7T1J

>>348 pipitさんへ こんにちは。返信をありがとうございます。

例えばですが、新しい人が僧伽に加わった場合に、仏陀は最初に次のように教導します。と中部107経に記載があります。

①あなたは持戒者となりなさい。
②波羅提木叉の防護によって守られて住しなさい。
③微量の罪にも恐れを見て、学処に関して受持し、学得しなさい。
④・・・

持戒者は、善法の持戒者のことで、善法とは(離殺生・離偸盗・離邪淫・離妄語・離両舌・離悪口・離綺語・無貪欲・無瞋恚・正見)で、最初の3つ(離殺生・離偸盗・離邪淫)が身行で、次の4つ(離妄語・離両舌・離悪口・離綺語)が口行で、最後の3つ(無貪欲・無瞋恚・正見)が意行です。身行・口行・意行の3つ合わせて三行(=行・業)です。ここまでが善法に関しての知識として得る事ができる学処です。

次にこれを実践すると、例えば、お話をするときの言葉として(口行)、それぞれの定義的なことの記載があります。善法の口行は(離妄語・離両舌・離悪口・離綺語)です。

・離妄語は、妄語から離れることで、妄語(嘘の言葉)です。
・離両舌は、両舌から離れることで、両舌(両方の人に対して異なる事を言い、両者を仲違いさせて争わせるような言葉)です。
・離悪口は、悪口から離れることで、悪口(粗暴で激しく、他者に厳しく、他者への叱責を含む、忿怒に近い、三昧へ導かない言葉)です。
・離綺語は、綺語から離れることで、綺語(不適切な時・不実・無益・非法・非律・根拠なき・軽率・無意味・含蓄のない言葉)です。(これらの定義的なことは、中部114経に記載があります。)

口行の実践としては、嘘をつかず(離妄語)、誰にでも統一したことを話し(離両舌)、腹が立っても粗暴な言葉で叱責するような言葉使いはせず(離悪口)、突然、会話を切って軽率な無意味な話をしない(離綺語)が実践となりますね。最初は戸惑い、失敗があるかもしれませんが、実践は難しくないのではないでしょうか。

善法の中の(例えばの)口行(離妄語・離両舌・離悪口・離綺語)を学び、実生活上で実践すると言う事ですね。これが、学処に関して受持し、学得し、これが出来るようになると善法の持戒者と言う事になるだろうと思います。

そしてこの善法の逆が不善法(殺生・偸盗・邪淫・妄語・両舌・悪口・綺語・貪欲・瞋恚・邪見)です。老婆心ながら。

[350] pipit 2021/01/20 21:37 JV/tgpOc4Sf

時さんへ

詳しく書いてくださりありがとうございます、学びになります😊

現実上で、その都度ごとに、チャレンジしていきたいと思います。
時さんから教えていただいたことをはじめ、様々な知識が、実践にチャレンジする際に、きっとわたしを励まし助けてくれるんじゃないかな、と、想像します。

今生で命が尽きる前に涅槃の方向へ向けるといいんですけど😅

マンガラスッタン(吉祥経)、の、「自己について正しく志向すること」アッタ・サンマー・パニディ、が、心に浮かびました。

いつもありがとうございます🍀

[351] 2021/01/20 23:16 Co/ipic7T1J

>>350 pipitさんへ

死念の修習と言うものがあるようです。これは、例え修行者でもいつ死を迎えるかわからないので、その僅かな少しの間でも惜しんで「不善の諸法がないか?」「善法を維持継続できているか?」と言う事を真面目な修行者は深慮していたようです。

pipitさんも、涅槃を目指せれば良いですね。(^^)

では、この辺で。ご返信をありがとうございました。

[352] pipit 2021/01/21 16:10 JV/tgpOc4Sf

>>351
時さんへ

ありがとうございます!! がんばってみます (o^^o)

[353] pipit 2021/01/21 21:37 JV/tgpOc4Sf

>>345 眼の次は、耳ですね。

(パーリ語)
Na so rajjati 【saddesu】
♪ 彼が【諸々の音】に染着せず
【saddaṃ sutvā】patissato
♪ 念をもって【音を聞く】なら
Virattacitto vedeti
♪ 離貪の心で感受して
tañca nājjhosāya tiṭṭhati
♪ それに固執せずして住する
Yathāssa 【suṇato saddaṃ】
♪ このように【音を聞く】なら
sevato cāpi vedanaṃ
♪ 感受に親近しても
Khīyati nopacīyati
♪ それが尽き、積まれないように
evaṃ so caratī sato
♪ そのように 念をもって 行う
Evaṃ apacinato dukkhaṃ
♪ このように 苦を 取り除くなら
santike nibbānaṃ vuccati.
♪ 涅槃は近い と 言われる

[354] pipit 2021/01/21 21:41 JV/tgpOc4Sf

>>353
Bhikkhu Sujato さまの英訳
https://suttacentral.net/sn35.95/en/sujato 

When you 【hear a sound 】with mindfulness,

there’s no desire for sounds.

Experiencing it with a mind free of desire,

you don’t keep clinging to it.

Even as you 【hear a sound 】

and get familiar with how it feels,

you wear away, you don’t heap up:

that’s how to live mindfully.

Eroding suffering like this,

you’re said to be in the presence of extinguishment.

[355] pipit 2021/01/21 21:57 JV/tgpOc4Sf

途中休憩&感想 

この経典を読み終えたら、内容に関連した興味で、「インドリヤ・バーワナー(根修習) 経」を読みたいかも、と、思っています。

wikiより抜粋引用します。
『(略)
『根修習経』[1](こんしゅうじゅうきょう、巴: Indriyabhāvanā-sutta, インドリヤバーヴァナー・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵中部に収録されている第152経。『感官修習経』(かんかんしゅうじゅうきょう)[2]とも。
(略)
登場人物 編集
釈迦
ウッタラ --- 婆羅門の青年。
アーナンダ
場面設定 編集
ある時、釈迦はガジャンガラーのスヴェール林に滞在していた。

そこに婆羅門の青年ウッタラがやって来る。彼が、彼の師である婆羅門は感官を修習し、その対象を覚知しないことを説いていると述べると、釈迦はただ対象を遮断するだけでいいなら、盲目者や聾唖者が感官の修習者になってしまうことを指摘する。ウッタラは反論できず黙りこくってしまう。

その様子を見て取った釈迦は、脇にいたアーナンダに、六根(六処)における対象を、無常と観ずることで執着しなくなる真の意味での感官の修習を説く。

更に、未熟な有学の行と聖者の場合の違いについても論じる。』

日本語訳を持ってないので、有学の行と聖者の違いについてどんなことが説かれているのかも楽しみです♪

[356] 地下水 2021/01/22 11:01 Co/U3ZArkHR

何だか、この御経は自己や身体に関する主観ばかりで、広い世界や物質界の認識に乏しいな。

[357] pipit 2021/01/22 17:14 JV/tgpOc4Sf

>>356
地下水さん、こんにちは

情報を取得する窓口についてのシステム論みたいな雰囲気もあるのかなーと思いました。

人工知能がどのように欲や怒りなどの煩悩を持ち得るか、という回路を考えても、逆説的に?面白いかもしれませんね。まだまだ不可能の領域なのかな??表面的なプログラムなら作れそうですけどね?よくわかりませんけど。🤖

世の中は深すぎて、知らないことばかりです。

おつかれさま〜🍵🍀

[358] pipit 2021/01/22 17:21 JV/tgpOc4Sf

>>353
眼、耳、ときまして、次は鼻、ですね。

(パーリ語)
Na so rajjati 【gandhesu】
♪ 彼が【香り】に染着せず
【gandhaṃ ghātvā】patissato
♪ 念をもって【香りを嗅ぐ】なら
Virattacitto vedeti
♪ 離貪の心で感受して
tañca nājjhosāya tiṭṭhati
♪ それに固執せずして住する
Yathāssa 【ghāyato gandhaṃ】
♪ このように【香りを嗅ぐ】なら
sevato cāpi vedanaṃ
♪ 感受に親近しても
Khīyati nopacīyati
♪ それが尽き、積まれないように
evaṃ so caratī sato
♪ そのように 念をもって 行う
Evaṃ apacinato dukkhaṃ
♪ このように 苦を 取り除くなら
santike nibbānaṃ vuccati.
♪ 涅槃は近い と 言われる

[359] pipit 2021/01/22 17:25 JV/tgpOc4Sf

>>358
Bhikkhu Sujato さまの英訳
https://suttacentral.net/sn35.95/en/sujato

When you 【smell an odor 】with mindfulness,

there’s no desire for 【odors. 】

Experiencing it with a mind free of desire,

you don’t keep clinging to it.

Even as you 【smell an odor 】

and get familiar with how it feels,

you wear away, you don’t heap up:

that’s how to live mindfully.

Eroding suffering like this,

you’re said to be in the presence of extinguishment.

[360] pipit 2021/01/24 16:03 JV/tgpOc4Sf

>>358
眼、耳、鼻の次は、舌で知る領域のお話し。

(パーリ語)
Na so rajjati 【rasesu】
♪ 彼が【諸々の味】に染着せず
【rasaṃ bhotvā】patissato
♪ 念をもって【味を味わう】なら
Virattacitto vedeti
♪ 離貪の心で感受して
tañca nājjhosāya tiṭṭhati
♪ それに固執せずして住する
Yathāssa 【sāyato rasaṃ】
♪ このように【味を味わう】なら
sevato cāpi vedanaṃ
♪ 感受に親近しても
Khīyati nopacīyati
♪ それが尽き、積まれないように
evaṃ so caratī sato
♪ そのように 念をもって 行う
Evaṃ apacinato dukkhaṃ
♪ このように 苦を 取り除くなら
santike nibbānaṃ vuccati.
♪ 涅槃は近い と 言われる

[361] pipit 2021/01/24 16:08 JV/tgpOc4Sf

>>360
Bhikkhu Sujato さまの英訳
https://suttacentral.net/sn35.95/en/sujato

【Enjoying a taste】with mindfulness,
there’s no desire for 【tastes】.
Experiencing it with a mind free of desire,
you don’t keep clinging to it.
Even as you 【savor a taste】
and get familiar with how it feels,
you wear away, you don’t heap up:
that’s how to live mindfully.
Eroding suffering like this,
you’re said to be in the presence of extinguishment.

[362] 2021/01/24 16:48 Co/ipic7T1J

>>349 

善の口行は、離妄語・離両舌・離悪口・離綺語です。

これは、八支聖道(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)の中の「正語」にあたります。

この正語の定義は、(妄語・両舌・悪口・綺語)の邪語から離れる事。との記載より、これら邪語から離れると(離妄語・離両舌・離悪口・離綺語)ですね。

日常の生活でこの邪語(妄語・両舌・悪口・綺語)から離れて善法の中の一つである正語(離妄語・離両舌・離悪口・離綺語)が日常になれば、八支聖道の中の「正語」のマスターです。

まぁ、今まで自身の正しさで話していたものを、仏典を読み、そこから学んで正しい話し方をしていくと言う事でしょうか。勿論その最終的な目的は、心の静寂、涅槃体現です。

八支聖道の残りは、七つです。

[363] 2021/01/24 17:05 Co/ipic7T1J

波羅提木叉(はらだいもくしゃ)の防護とは、三行(身行・口行・意行)をその求めに応じて二種類に分け、善法が増大し不善法が減退する方を選択する事です。別呼称として、パーティーモッカの防護とも言われます。

例えば何かを話すときに、嘘をつくことが正しいか?間違いか?の選択で正しい方(善法)を選択します。つまりは善法である離妄語を選択すると言う事です。

例えば何かで人を叱るときに、愛情なく忿怒に近く粗暴な言葉で叱ることと、愛情があり粗暴な言葉使いをせずに叱る事のどちらを選択するか?と言う場合、善法である離悪口を選択します。

これらの場合、善法である離妄語や離悪口が増大し、今まで行っていた妄語(嘘の言葉)や悪口(粗暴で激しく、他者に厳しく、他者への叱責を含む、忿怒に近い、三昧へ導かない言葉)が減退していきますね。こんなことの実践が、波羅提木叉の防護です。

このようなことをまずは知らなければ、守るも守らないもありませんね。防護は、不善の諸法から自身の心を守ると言う事です。守りながら梵業を行います。その最終の目的は、心の平安、涅槃の体現です。

[364] 2021/01/24 17:25 Co/ipic7T1J

波羅提木叉(はらだいもくしゃ)の防護とは、三行(身行・口行・意行)をその求めに応じて二種類に分け、善法が増大し不善法が減退する方を選択する事です。別呼称として、パーティーモッカの防護とも言われます。

例えば最もわかりやすいのは、泥棒です。泥棒は正しいか?間違いか?の選択で正しい方(善法)を選択します。つまりは善法である離偸盗を選択すると言う事です。

不善法の身行(殺生・偸盗・邪淫)の中の偸盗ですが、これから離れることが善法である離偸盗です。

偸盗(与えられていない物を、盗み心を起こして取る事)ですので、まともによろしくありませんね。そのように思えるならば、どのような状況であれ偸盗から離れます。

これが、波羅提木叉の防護で住すと言う事です。

このようなことをまずは知らなければ、守るも守らないもありませんね。防護は、不善の諸法から自身の心を守ると言う事です。守りながら梵業を行います。その最終の目的は、心の平安、涅槃の体現です。

[365] 2021/01/24 21:08 Co/ipic7T1J

八支聖道(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)の中の正精進の一つの意味は、 四正断の努力に励む事です。

四正断は(律儀断・断断・随護断・修断)の4つです。

・律儀断(悪を生じないよう勤める事)
・断断 (既に生じた悪を除こうと勤める事)
・随護断(善を生ずるよう勤める事)
・修断 (既に生じた善を増すように勤める事)

つまりは、正精進の意味の一つは、既に生じた悪(=不善法)を取り除こうと勤め、悪(=不善法)が生じないように心掛け、既に生じた善(法)が増すように勤め、より善(法)が増すように心掛けることと解釈できそうです。

これで八支聖道の残りは、六つです。

[366] pipit 2021/01/24 22:20 JV/tgpOc4Sf

時さんへ
わ〜い、ありがとうございます😊♪

>波羅提木叉(はらだいもくしゃ)の防護とは、三行(身行・口行・意行)をその求めに応じて二種類に分け、善法が増大し不善法が減退する方を選択する事です。別呼称として、パーティーモッカの防護とも言われます。
例えば何かを話すときに、嘘をつくことが正しいか?間違いか?の選択で正しい方(善法)を選択します。つまりは善法である離妄語を選択すると言う事です。<

波羅提木叉(はらだいもくしゃ)・パーティーモッカの防護とは、そのような意味内容だったのですね。

私にはとてもプラクティカルです!

できるかどうかは別段階として、物事が起きた時、チャレンジしていきたいです。

がんばってみます😊

ちょっとお聞きしたくなったのですけど、
時さんってなにか瞑想されてますか??

[367] 2021/01/24 22:25 Co/ipic7T1J

八支聖道(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)の中の正思惟は、(離欲・無瞋・不害の思惟)の事です。経典内では、有漏の正思惟として説かれていますが、他経典では、常に善い思考(正見解・四聖諦に基づく正思惟)を働かせ、常に悪(八正道から外れた身・口・意の行為)を避けよ。なんて説かれていますね。

正思惟(離欲・無瞋・不害の思惟)の事ですが、離欲・無瞋・不害と言うと、四無量心を思い浮かべます。

四無量心(慈無量心・悲無量心・喜無量心・捨無量心)です。

慈無量心(相手の幸福を望む心で、自身の「怒り」を滅す)
悲無量心(相手の苦しみを除いてあげたいと望む心で、自身の「害意」を滅す)
喜無量心(相手の幸福を共に喜ぶ心で、自身の「不快」を滅す)
捨無量心(相手に対する平静で落ち着いた心で、自身の「貪り」を滅す)

・離欲 ・・・捨無量心
・無瞋 ・・・悲無量心(喜無量心)
・不害 ・・・悲無量心

四無量心が修められれば、正思惟は完成しそうですね。

後、八支聖道の残りは、五つです。

[368] pipit 2021/01/24 22:25 JV/tgpOc4Sf

二種類に分けて、善法を選択する!

時さんには、しかられそうかも?だけど、カントを思い出します

今日はおやすみしますm(_ _)m

いつも本当にありがとうございます🍀

[369] pipit 2021/01/24 22:30 JV/tgpOc4Sf

あ、ちょうどコメントいただいてました。
ありがとうございます!

すみません、今日はスマホ、ここで置きますね。
またとても大切なことを書いていただき嬉しいです。
明日再度、ゆっくりしっかり読ませていただきます!

失礼します。感謝です(^人^)

[370] 2021/01/24 22:34 Co/ipic7T1J

>>366 pipitさんへ

こんばんは。夜分にお邪魔しています。

> 私にはとてもプラクティカルです!

仏教は基本的に「即時」の法のようです。その瞬間に不善を防御でき、その瞬間に善を選択できるような教えのようですね。ですので、迷いません。

> ちょっとお聞きしたくなったのですけど、時さんってなにか瞑想されてますか??

何か瞑想と言いますか・・瞑想は良くしています。四無量心、四念処。四禅定、九次第定等々ですが、その瞑想の定義を「有尋有伺・無尋有伺・無尋無伺」とするならば、通常の思考しているときも「瞑想」と呼ぶことは可能だと思います。

追記ですが、波羅提木叉の防護の解釈は「経蔵」からの時の解釈です。

あまり書きすぎますと、pipitさんの仏典読解の楽しみが減りますね。すみません。

[371] 2021/01/24 23:55 Co/ipic7T1J

>>367 失礼しました。訂正です。

> ・離欲 ・・・捨無量心
> ・無瞋 ・・・悲無量心(喜無量心)
> ・不害 ・・・悲無量心



・離欲 ・・・捨無量心
・無瞋 ・・・慈無量心・悲無量心(喜無量心)
・不害 ・・・悲無量心

[372] pipit 2021/01/25 17:21 JV/tgpOc4Sf

時さんへ
ありがとうございます!

>正思惟(離欲・無瞋・不害の思惟)の事ですが、離欲・無瞋・不害と言うと、四無量心を思い浮かべます。
四無量心(慈無量心・悲無量心・喜無量心・捨無量心)です。

慈無量心(相手の幸福を望む心で、自身の「怒り」を滅す)
悲無量心(相手の苦しみを除いてあげたいと望む心で、自身の「害意」を滅す)
喜無量心(相手の幸福を共に喜ぶ心で、自身の「不快」を滅す)
捨無量心(相手に対する平静で落ち着いた心で、自身の「貪り」を滅す)<

ほんとですね
正見と四無量心は見事につながるんですね👀
慈悲喜までは繋がりがよく理解できる気がするのですが、
捨が、貪りを減らすこととつなげるのが新鮮でした。
まだまだいろんなレベルででも理解が起きてないんだろうなぁ。

害意を減らすのが悲、という概念、今の私の心に、あぁそうなのか、と腑に落ちていく気がしてます。

>
・離欲 ・・・捨無量心
・無瞋 ・・・慈無量心・悲無量心(喜無量心)
・不害 ・・・悲無量心
<

わかりやすくて頭が整理されます🍀

>仏教は基本的に「即時」の法のようです。<

Sandiṭṭhiko Akāliko !  かな ? 😊

[373] pipit 2021/01/25 17:31 JV/tgpOc4Sf

>何か瞑想と言いますか・・瞑想は良くしています。四無量心、四念処。四禅定、九次第定等々ですが、その瞑想の定義を「有尋有伺・無尋有伺・無尋無伺」とするならば、通常の思考しているときも「瞑想」と呼ぶことは可能だと思います。<

教えていただいてありがとうございます。
禅定って、呼吸瞑想とかでそういう状態を作れるのですか?
それとも、スイッチオフするみたいに、尋をオフにしたり、伺をオフにしたり、コントロールできるのですか???

>追記ですが、波羅提木叉の防護の解釈は「経蔵」からの時の解釈です。<

そうなのですね、とても実践的に思えます。

>あまり書きすぎますと、pipitさんの仏典読解の楽しみが減りますね。すみません。<

とんでもないです。
たくさんヒントをいただき、本当に感謝しています。

怠け者で、その点では申し訳ないのですが、、、
それでも、がんばってみます、ありがとうございます!🙏

[374] pipit 2021/01/25 17:34 JV/tgpOc4Sf

>>372

>正見と四無量心は見事につながるんですね👀<

間違えてました、すみませんm(_ _)m

正見ではなく、正思惟、ですね!

[375] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/01/25 17:49 yI/XJQ4W5qd

南無妙法蓮華経

[376] 2021/01/25 19:19 Co/ipic7T1J

>>373 pipitさんへ

返信をありがとうございます。

> 禅定って、呼吸瞑想とかでそういう状態を作れるのですか?
> それとも、スイッチオフするみたいに、尋をオフにしたり、伺をオフにしたり、コントロールできるのですか???

禅定と言う事は、四禅定ですね?いきなりの四禅定は難しいと思いますので、最初は、四念処からの方が良いのではないでしょうか。

イメージで書きますと、一言では四念処は心を観続けます。これは今どのような心の状態かを自身で把握(心念処)しつつ、各法(法念処)と照らし合わせながら、三受を観察しつつ(受念処)、呼吸の出入り(身念処)等を認識しつつその身を観続けます(身念処)。

入出息念(呼吸瞑想)を身念処を捉えますと、中部62経「大ラーフラ教誡経」が参考になるように思います。後、中部10経「念処経」や長部22経「大念処経」にも記載があるようです。

まずは四無量心で、次に四念処ですが、これは、上記のように自身の心の状態を把握します。そしてこの中の受念処が四禅定につながる瞑想になります。

簡単に説明しますと、この四禅定は、四つの各階梯がありますが、心の中の執着を少しづつ滅尽していくような行程です。つまりは、四念処の受念処で心の状態(特に三受(苦・楽・不苦不楽)に気づきつつ、四禅定の初禅に入れれば、その貪(楽受)=諸欲が滅尽します。これは、通常の喜怒哀楽等の感情としての貪欲な状態からの解脱です。この時にはまだ尋と伺があります(四念処の続きですから、有尋有伺定です)が、通常の楽の状態よりも上のレベルでの精神的な楽とその喜びのある状態を感じます。

そして心の統一がもう少し進むと、二禅に入ります。二禅では、自然に瞋が捨てられると同時に、尋と伺が滅尽します。ですのでここからが無尋無伺定ですね。と言いますか、この状態になれれば二禅だと言う事です。と続いていきます。

そしてこの四禅でまでで貪(楽)と瞋(苦)が捨てられ、四禅で不苦不楽の状態ですのでこれを捨断できれば、慧解脱です。(この時に無明が捨てられれば(四聖諦を知っていれば)、解脱だと言う事です。)

尋と伺のオンオフは、意識しなくても心の統一度合いによって自然に移行していきます。無尋無伺定の時に意図的に尋を絡ませると、有尋有伺の状態になると思いますが、目的と逆行しますので多分そのような人はいないと思います。

>>374

> 正見ではなく、正思惟、ですね!

正しい見解が、正見ですね。ですので「それは、正見ではなくて正思惟です」と言うのは正見ですね。

[377] 2021/01/25 21:27 Co/ipic7T1J

初禅(尋伺を伴い欲と不善の法から遠離し、その遠離より生じた喜楽のある処)(諸欲の滅尽)と言う記載により、

尋と伺がある状態で欲(五蓋=欲貪蓋・瞋恚蓋・こん沈睡眠蓋・掉悔蓋・疑蓋)と不善法(殺生・偸盗・邪淫・妄語・両舌・悪口・綺語・貪欲・瞋恚・邪見)から離れ、その離れたことより生じた喜びと楽な感覚の処。ですので、ここで諸欲(メインは五蓋)が滅尽しています。(貪の滅尽)

この辺りが、各法が立体的に絡み合いますのでお伝えしにくいのですが、先程とは違った角度でチャレンジしてみます。

自らの五蓋(五種の煩悩=欲貪蓋・瞋恚蓋・こん沈睡眠蓋・掉悔蓋・疑蓋)の有無の確認をします。これがOKならば、不善法(殺生・偸盗・邪淫・妄語・両舌・悪口・綺語・貪欲・瞋恚・邪見)の有無を確認をします。これもOKならば、これらの諸欲(メインは五蓋)や不善法から遠離している、離れられているという自覚から、喜びと精神的に楽な状態になります。ここが初禅です。

尋と伺は意識的に切り替えのではなく、自然に切り替わります。丁度、100走を走った直後に呼吸が意識しなくても自然に早くなっているような感じでしょうか。そのような感じで、尋と伺は自然に切り替わります。(大まかな考察と細かな考察は、同時には行う事は不可能ですので。)

説明するとなると、言葉数だけが増えて簡単ではありませんね。

[378] 2021/01/25 22:26 Co/ipic7T1J

時間がありますので、もう一度チャレンジです。

初禅(尋伺を伴い欲と不善の法から遠離し、その遠離より生じた喜楽のある処)

> 禅定って、呼吸瞑想とかでそういう状態を作れるのですか?

そういう状態・・・やはり四禅定に入る前に四念処の瞑想を行います。

なぜならば、四禅定の初禅に至るには、五蓋(五種の煩悩 欲貪蓋・瞋恚蓋・こん沈睡眠蓋・掉悔蓋・疑蓋)=欲と不善の法(殺生・偸盗・邪淫・妄語・両舌・悪口・綺語・貪欲・瞋恚・邪見)からの遠離(遠く離れること)が必要ですね。ですので、その心の状態を四念処で確認します。

四念処(身念処・受念処・心念処・法念処)です。
・身念処(入出息・行住坐臥・正知・不浄観・四大要素・九段階の死体の推移 身を観続けて住す)
・受念処(三受=楽・苦・不苦不楽 三受を観続けて住す)
・心念処(自他の心を、怒りある心である、怒りを離れた心である、統一された心である、散乱した心である等と知る)
・法念処(五蓋・五取蘊・六処内外処・七覚支・四聖諦を確認 法を見続けて住す)

ここで五蓋はまだあるのか?眠気で怠けてはいないか?貪欲に何かを求めていないか?浮つきはないか?等と確認します。同時に、不善法から離れて善法を守れているか等も確認します。

初禅の前準備は、これらで良いと思います。これらがある程度OKならば、その喜びや楽な状態になります。(初禅です)

説明は、これでギブアップです。

[379] 2021/01/26 13:09 Co/ipic7T1J

>> pipitさんへ

> 禅定って、呼吸瞑想とかでそういう状態を作れるのですか?
> それとも、スイッチオフするみたいに、尋をオフにしたり、伺をオフにしたり、コントロールできるのですか???

最終的に、四念処からの流れで、四禅定に自然移行します。尋と伺のオンオフは、やはりコントロール不可能だと思います。が適した答えになるでしょうか。

多分ですが、今までの説明では伝わっていないのではないでしょうか。仏典内の文字や文章からの体験から得られた感覚を、再度文字にして人に伝えるというのは、難しいものだと改めて感じましたので、仏典を読まれて、体験されるのが一番納得されるように思いました。

[380] 2021/01/26 13:48 Co/ipic7T1J

有漏(世間)での視点では、私は、スイッチのオンオフができる。となります。当たり前ですね。その時、私は、スイッチをオンにした。オフにした。となります。
この場合は、人がどうであれ、私は頑張ろう。私は、オンにしたいときにはオンにしようとなります。

無漏(出世間)では、有身見が滅尽していますので、当然、五取蘊は滅尽しています。その時には、スイッチがオンになっただけ。オフになっただけと言う説明になります。なぜならば、そこには、五取蘊と言う私が存在しないからです。

ですので、仏典内でもその大半は、有漏(世間)での教えになりますね。その視点で表現すると、スイッチのオンオフの切り替えはできます。と言う教えになり、無漏(出世間)での教えでは、「出来るとも言いません。出来ないとも言いません。出来るとも、出来ないとも言いません。」等と言う表現になるのでしょう。

[381] 2021/01/26 14:54 Co/ipic7T1J

>>380

> 有漏(世間)での視点では、私は、スイッチのオンオフができる。となります。当たり前ですね。その時、私は、スイッチをオンにした。オフにした。となります。
> この場合は、人がどうであれ、私は頑張ろう。私は、オンにしたいときにはオンにしようとなります。

ここであなた方によって、削減がなされるべきです。
他の者達は害する者達となろうが、ここに我々(私)は害さざる者達となろうと削減がなされるべきです。
他の者達は殺生の者達となろうが、ここに我々(私)は殺生から離れた者達となろうと削減がなされるべきです。
他の者達は偸盗の者達となろうが、ここに我々(私)は偸盗から離れた者達となろうと削減がなされるべきです。(中部8経「削減経」)

これは「我々(私)は~になろうと削減がなされるべきです」。と言う仏陀の有漏(世間)での教えですね。

[382] pipit 2021/01/26 17:07 JV/tgpOc4Sf

時さん、ありがとうございます😊
pipitの質問の仕方が、有漏の世界からの聞き方になってるので、お答えいただくのにお手数おかけしてしまっていると思います、すみませんm(_ _)m

時さんからの返信を読んで、心の統一からの自然な流れで、心所もその流れに沿って滅、不生、となっていくのかな、と、思いました。
様々なことが、有機的に?繋がっている印象を受けます。

方法論、という概念が、今、頭に浮かびました。
一道といえば一道だし、無数の道があり得るといえばあり得る気もします。
言葉、、、
ブッダの、経典の不思議を思います。

きちんと理解できないにしても、こうして時さんからご教示いただくのは、とても嬉しいことです。ありがとうございます。

、、、性懲りもなく有漏の世界からの、気になる疑問が、、、

「見られたもの、を見たとだけ認識する時、聞かれたものを、聞いたとだけ認識する時、尋、伺は心所として生じ働いているのでしょうか?」

すみません、気になってしまって、、、

[383] pipit 2021/01/26 17:22 JV/tgpOc4Sf

>>381
サッレーカ・スッタ(Sallekha-sutta)ですね!

またゆっくり読み直してみたいな、と、思います!が、、、

私には、無理〜(ー ー;) という気持ちにもなる、、、けど、読経の響きが心地良くて(煩悩!!)とても心に残るお経です。

できる項目だけでも、削除にチャレンジしてみます。
教えていただいた【波羅提木叉(はらだいもくしゃ)・パーティーモッカの防護】ですね

ありがとうございます😊

[384] pipit 2021/01/26 17:28 JV/tgpOc4Sf

>>383
あ、削除じゃなくて、削減ですね

いつもいいかげんで申し訳ないです。すみませんm(_ _)m

[385] 2021/01/26 18:58 Co/ipic7T1J

>>382 pipitさんへ 返信をありがとうございます。

> pipitの質問の仕方が、有漏の世界からの聞き方になってるので、お答えいただくのにお手数おかけしてしまっていると思います、すみませんm(_ _)m

いえいえ、こちらこそいつも分かり難い説明しかできず、すみません。

> 一道といえば一道だし、無数の道があり得るといえばあり得る気もします。

・涅槃の現証へ至らしめる唯一の道、それは四念処です。
・涅槃は不可見、無辺にして、一切よりの渡し場あり。
なんていう事も仏典内には記載があります。四念処(の瞑想)が涅槃への一本道であり、また、涅槃は一切(全て)の処から到達することができます。と言う事ですね。仏典内での涅槃の定義は(三毒の滅=貪欲の滅、瞋恚の滅、愚痴の滅)ですが、実際には「渇愛の滅尽」された境地が涅槃だからです。

> 「見られたもの、を見たとだけ認識する時、聞かれたものを、聞いたとだけ認識する時、尋、伺は心所として生じ働いているのでしょうか?」

仏典内では「有尋有伺よりも無尋有伺が、無尋有伺よりも無尋無伺が縁より優れた境地です」と言った意味合いの記載があります。細かな考察を伺と定義するならば、例えば、仏陀が、より安定した無尋無伺の状態でいるところに、誰かが突然質問をしてその答えが「見られたときには、見られたものだけがあるのですよ」だった場合には、一度質問者の意図を理解認識した直後にその答えを説くわけですから、その瞬間だけは、伺のみが起こっているのではないでしょうか。

例えば、自らが「見られたものを見たとだけ認識する時、聞かれたものを聞いたとだけ認識する時」には、その瞬間には、伺(細かな考察)のみが生じ、その直後には無尋無伺に戻ると思います。

これに慣れてくると「見られたもの、を見たとだけ認識する時、聞かれたものを、聞いたとだけ認識する時」の認識は、なくなっていると感じます。(あっ、そうだ。見られたものを見たとだけ"認識"した・・と言うのは、その前に何か尋伺が生起する何らかの想いが生起しているからだろうと思います。)

そして「見られたもの、を見たとだけ認識する」・・・これも次の段階で滅尽するだろうと思います。なぜならば、無常だからです。五蘊(色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊)の状態での「見られたものを見たとだけ認識する」ならば、この時点では無我(五蘊非我)の境地で大きな問題はないと思いますが、「認識」は識蘊ですので、これに固執してはよろしくないと思いますね。なぜならば、無常(諸行無常)だからです。(認識は、三行の中の意行ですね)五蘊非我で「それのみがあります」という”想い・認識”等が生起しています。しかし無常観の教えにより、諸行無常と言う事で、”想い・認識”等=行(身行・口行・意行)の中の意行です=諸行無常です=(無常観のマスターで)固執は滅尽します。

ですので「見られたものを見たとだけ認識」と言うのは、まだ有学途中の段階だろうと思います。こんな風に感じます。

>>383
> できる項目だけでも、削除にチャレンジしてみます。
> 教えていただいた【波羅提木叉(はらだいもくしゃ)・パーティーモッカの防護】ですね

はい。波羅提木叉の防護ですね。これは実践しやすいと思います。(^^)

[386] 2021/01/26 19:18 Co/ipic7T1J

>>385 失礼しました。訂正です。

> 仏典内では「有尋有伺よりも無尋有伺が、無尋有伺よりも無尋無伺が縁より優れた境地です」



 仏典内では「有尋有伺よりも無尋有伺が、無尋有伺よりも無尋無伺がより優れた境地です」

[387] 2021/01/26 22:17 Co/ipic7T1J

戒を具足した者たち、波羅提木叉を具足した者たちとして住しなさい。波羅提木叉の防護によって守られ、行ずる事と行ずる処をそなえ、微量の罪にも恐れを見る者たちとして住しなさい。そして、学処に関して受持、学得しなさい。(中部6経「希望経」)

微量の罪にも恐れを見る者たちとして住しなさい。・・・微塵の罪とは、具体的にはどういう事でしょうか。

ある時、独りの修行僧が食後に池の中に咲いている蓮の花の香りを嗅ぎました。その荒れ地に住む神がその修行僧を憐れんで声を掛けました。「修行僧よ、あなたは、香りの盗人です。」それ答えて「私は池に入り、遠くから蓮の香りを嗅いだだけです。他の者は、蓮の根を食べているではないですか?なぜ?私が盗人なのですか?」それに答えて、神曰く「罪汚れなくして、常に浄らかさを求めている人には、毛先ほどの悪でも、雲ほどに大きく見えるものです。私は、汚れて荒々しい男に向って言っているのではありません。」それを聞いて修行僧は「次にもこのような機会があれば、是非に教えてください」神曰く「私はあなたの召使ではありません。それによりあなたが善趣へ赴けるような道は、あなただけで独りで知る事です。」そして修行僧は、はたと何かに気が付きました。(相応部9-14「香盗経」)

[388] pipit 2021/01/26 23:52 JV/tgpOc4Sf

時さんへ ありがとうございます

>・涅槃の現証へ至らしめる唯一の道、それは四念処です。
・涅槃は不可見、無辺にして、一切よりの渡し場あり。
なんていう事も仏典内には記載があります。四念処(の瞑想)が涅槃への一本道であり、また、涅槃は一切(全て)の処から到達することができます。と言う事ですね。仏典内での涅槃の定義は(三毒の滅=貪欲の滅、瞋恚の滅、愚痴の滅)ですが、実際には「渇愛の滅尽」された境地が涅槃だからです。<

『四念処(の瞑想)が涅槃への一本道であり、また、涅槃は一切(全て)の処から到達することができます。と言う事ですね。』
そうかぁ、と、納得します。

尋や伺、識のことはまだ私には難しくてきちんとわからないけど、今の私の段階としては、積み上げない、執着しない、固執しないというようなことが、ポイントになってくるのかな、と、思いました。

実行は本当に難しいですけど(^^;)

いろいろ教えていただいてありがとうございますm(_ _)m🍀

[389] 2021/01/27 13:23 Co/ipic7T1J

pipitさんへ 返信をありがとうございます。

仏典の読解は、多分ですが、通常の小説や物語の読解以上に想像力や確認作業が必要になってくると思います。

例えばですが、一部の仏教徒は「無我・無常・皆苦」が仏陀の説いた真理だと言います。一部の仏教徒は「空」こそが仏陀の説いた真理だと言います。実際に僧侶とお話をさせていただいても同じでした。・・時の理解では、これらをもしも仏陀が目の当たりに聞いたのならば「私は、無我・無常・皆苦が真理だとは説きません」と、後の説明は省いてこのように言うだろうと思います。「空こそ真理」についても同じです。多分ですが、原始仏典を基準にした場合に仏陀が何を説いているかの理解が起これば、このような答え(~が真理だとは説きません)になって当然だと思います。だからこそ静寂で平安な心の状態が維持できるのですね。今はまだ伝わらないかもしれませんが、これが仏陀が説いたことだと思います。ですが、百人いれば百通りの解釈があって良いとも思っています。

静寂で平安な心の状態に至るための方法・・戒を学び、善法を学び、四無量心、四念処、八支聖道を学び、実践をし・・・最終的には心の平安を獲得できれば良いと思いますし、これ以上の事はないとも思えますね。当時もそれが何か分からずじまいで死を迎えた多くの尊者達も居られた事だろうとも容易に想像できますしね。

波羅提木叉の防護に続いて、感官の防護も即時の法です。感官修習経、とても良い内容です。簡単ではないかもしれませんが、是非、マスターしてみてください。

[390] pipit 2021/01/27 18:02 JV/tgpOc4Sf

>>389
時さんへ
ありがとうございます   

思いは変わるかもしれませんが、今思うことは、

涅槃と呼ばれる境地があるのなら自ら知ってみたい、ということと、
もし輪廻というものがあるのなら、生まれは尽きた、と、断じたい、ということです。

怠け者すぎるので、ほぼ無理だ〜とも思うのですが、今日、サッレーカスッタを再読して、発心するだけでも発心しないよりはいいよ、って感じに読めるところもあって、ちょっと嬉しかったです。

ダメダメですが、それでも進んでみたいと思います。

時さん、本当にありがとうございますm(_ _)m🍀

[391] pipit 2021/01/27 21:42 JV/tgpOc4Sf

>>360 相応部 六処篇 六処 相応 六品「マールキャプッタ経(SN35-95)」
1. 10. 2
Māluṅkyaputtasuttaṃ の読書?を続けま〜す 😊🌈

[392] pipit 2021/01/27 22:27 JV/tgpOc4Sf

>>360
眼、耳、鼻、舌ときまして、次は身ですね。

(パーリ語)
Na so rajjati 【phassesu】
♪ 彼が【諸々の触】に染着せず
【phassaṃ phussa】patissato
♪ 念をもって【触へ触れる】なら
Virattacitto vedeti
♪ 離貪の心で感受して
tañca nājjhosāya tiṭṭhati
♪ それに固執せずして住する
Yathāssa 【phusato phassaṃ】
♪ このように【触に触れる】なら
sevato cāpi vedanaṃ
♪ 感受に親近しても
Khīyati nopacīyati
♪ それが尽き、積まれないように
evaṃ so caratī sato
♪ そのように 念をもって 行う
Evaṃ apacinato dukkhaṃ
♪ このように 苦を 取り除くなら
santike nibbānaṃ vuccati.
♪ 涅槃は近い と 言われる

[393] pipit 2021/01/27 22:33 JV/tgpOc4Sf

>>392
Bhikkhu Sujato さまの英訳
https://suttacentral.net/sn35.95/en/sujato

When you 【sense a touch 】with mindfulness,

there’s no desire for 【touches.】

Experiencing it with a mind free of desire,

you don’t keep clinging to it.

Even as you 【sense a touch 】

and get familiar with how it feels,

you wear away, you don’t heap up:

that’s how to live mindfully.

Eroding suffering like this,

you’re said to be in the presence of extinguishment.

[394] pipit 2021/01/28 20:36 JV/tgpOc4Sf

>>392 最後は、意の対象の法について

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072
(パーリ語)
Na so rajjati 【dhammesu】
♪ 彼が【諸々の法】に染着せず
【dhammaṃ ñatvā】patissato
♪ 念をもって【法を知る】なら
Virattacitto vedeti
♪ 離貪の心で感受して
tañca nājjhosāya tiṭṭhati
♪ それに固執せずして住する
Yathāssa 【vijānato dhammaṃ】
♪ このように【法を識知する】なら
sevato cāpi vedanaṃ
♪ 感受に親近しても
Khīyati nopacīyati
♪ それが尽き、積まれないように
evaṃ so caratī sato
♪ そのように 念をもって 行う
Evaṃ apacinato dukkhaṃ
♪ このように 苦を 取り除くなら
santike nibbānaṃ vuccati.
♪ 涅槃は近い と 言われる

[395] pipit 2021/01/28 20:41 JV/tgpOc4Sf

>>394

Bhikkhu Sujato さまの英訳
https://suttacentral.net/sn35.95/en/sujato

When you 【know a thought】 with mindfulness,

there’s no desire for 【thoughts】.

Experiencing it with a mind free of desire,

you don’t keep clinging to it.

Even as you 【know a thought 】

and get familiar with how it feels,

you wear away, you don’t heap up:

that’s how to live mindfully.

Eroding suffering like this,

you’re said to be in the presence of extinguishment.’

[396] pipit 2021/01/28 20:51 JV/tgpOc4Sf

>>394 📖引き続き読んでみます。ここは、マールキャプッタさんの発言です。
(パーリ語)

Imassa kho'haṃ bhante bhagavatā saṅkhittena bhāsitassa evaṃ vitthārena atthaṃ ājānāmīti.

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072
========
(Thanissaro Bhikkhuさまの英訳)

"It's in this way, lord, that I understand in detail the meaning of what the Blessed One said in brief."

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html
========
(Maurice O'Connell Walsheさまの英訳)

"Indeed, Lord, I understand in full the meaning of what the Blessed One has stated in brief."

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html
========
(莊春江さまの中国語訳)

大德!我這樣了知這世尊簡要所說的詳細義理。

https://suttacentral.net/sn35.95/zh/zhuang
========
(光明寺住職さまによるサイト【光明寺経蔵】に日本語訳があります。著作権侵害になるといけないので、アドレス情報を貼るにとどめます。(^人^))
https://komyojikyozo.web.fc2.com/
相応部>六処篇>六処相応>六品・の2番目「マールキャプッタ経(SN35-95)」
Māluṅkyaputtasuttaṃ

[397] pipit 2021/01/28 20:59 JV/tgpOc4Sf

>> 396 📖 ここはお釈迦さまの発言 🌟
(パーリ語)

Sādhu sādhu māluṅkyaputta, sādhu kho tvaṃ māluṅkyaputta mayā saṅkhittena bhāsitassa vitthārena atthaṃ ājānāsi.

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072
========
(Thanissaro Bhikkhuさまの英訳)

"Good, Malunkyaputta. Very good. It's good that you understand in detail this way the meaning of what I said in brief."

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html
========

(莊春江さまの中国語訳)

摩羅迦子!好!好!摩羅迦子!好!摩羅迦子!你了知我簡要所說的詳細義理

https://suttacentral.net/sn35.95/zh/zhuang

[398] 2021/01/30 11:55 yu/ipic7T1J

人が清らかになる道は、一切皆苦・諸行無常・諸法非我と世間を観ることが出来る道を行けばよいのですね。ダンマパダを読んでいても、よくわかります。その道が梵行です。

梵行とは、八支聖道の事であり、その目的は、苦の遍知です。そして梵行の完成とは、貪欲、瞋恚、愚痴の滅尽です。ですから梵行は、涅槃に沈むもの涅槃を彼岸とするもの、涅槃を終焉とするものとして住すと説かれました。

そしてこの梵行の終焉を迎えた者とは、渇愛の滅尽により解脱した者のみであり、その者は見解に執着しません。

苦しみの原因を深慮し、自己の欲望に気づき、心の垢に気づき、その捨断の方法を思慮し、全てを捨て去って心を清め、一かけらの拘りもなく道を修める。

時の仏典の理解が正しいのであれば、その昔、よくもまぁ、一人の人によりこのような甚深な事が説かれたものだと思います。

[399] らんてんぷぅ 2021/01/30 18:03 ザ-000,025,405号

😣

[400] らんてんぷぅ 2021/01/30 18:03 ザ-000,025,405号

🤗

[401] pipit 2021/01/31 13:52 JV/tgpOc4Sf

時さん、こんにちは 
私個人としては、仏教に出会えて本当に嬉しいと思っています。
いつもいろいろ教えていただきありがとうございます!

[402] pipit 2021/01/31 13:59 JV/tgpOc4Sf

らんてんぷぅさん、こんにちは

虹の中に入ったら、どんな景色なのかなあ? 
うち、ど田舎なので? 虹がすぐ近くの低いとこにかかるんです。
近寄ったことないけど(目視で車で10分未満くらいにみえます)、近寄ったらどんなかんじなのかなぁと今唐突に思いました。🌈

🤗

[403] きまぐれ 2021/01/31 15:02 ee/2NARcXy9

虹は近づきすぎると見えなくなりますね。
真如もそうかもしれませんね。
一度側まで行ってみて見えない事を確認し、そのあと、適切な位置で虹を見るという事ですかね。
空⇔縁起

みたいな感じ。

すいません。
適当です(笑)

[404] 2021/01/31 16:07 yu/ipic7T1J

きまぐれさんへ

何でもよいと思いますが、

最終的に 虹=真如=縁起=空=私になれればよいのですね。

この時、私は真如です。は、一般的にはおかしな表現になります。

その時、全ての表現された対象は、消滅します。

[405] 2021/01/31 16:08 yu/ipic7T1J

これは・・・仏陀の教えとは、真逆ですが(笑)

[406] きまぐれ 2021/01/31 17:32 ee/2NARcXy9

時さん

コメントありがとうございます。

仏陀の教えと真逆なのですか…。
>>404は空のように思いますが…。

[407] きまぐれ 2021/01/31 17:45 ee/2NARcXy9

色即是空空即是色とはまた違うんですかね。

[408] きまぐれ 2021/01/31 17:54 ee/2NARcXy9

pipitさん

お邪魔してます。
敷居が高くて…、たまに見ていたんですけど。

今日はついついコメントしてしまいました(笑)
最近、華厳宗に興味があります。
華厳経というよりは、華厳探玄記とか五教章とかに。
漢文も英語も読めないんですけどね(苦笑)

[409] pipit 2021/01/31 18:52 JV/tgpOc4Sf

きまぐれさん、時さん、こんにちは!

虹の話は地下水さんから突っ込みコメントあるかしらと思ってたら、
きまぐれさんがお久しぶりのコメントいただきました〜
ありがとうございます😊

きまぐれさんは、最近華厳経が気になるのですね。
私には難し過ぎそうなので手は出せませんが、
哲学としてもとても深そうだなとの感想を持っています。

大好きな東大寺さんも確か華厳宗で、聖典は華厳経なのかなー。📜

東大寺周辺を歩いていても、やさしい雰囲気が満ちてる気持ちになります。🌳

> 漢文も英語も読めないんですけどね(苦笑)<

あ、私も英語、本当に中学レベルです。
しょっちゅう、単語を押して選択して『調べる』ボタン?押してます。(^^;)

[410] 2021/01/31 19:02 yu/ipic7T1J

>>きまぐれさんへ

返信をありがとうございます。

> 色即是空空即是色とはまた違うんですかね。

以前少しお話しましたが、空は八不(不生不滅・不常不断・不一不異・不来不去)で不一不二の境地だと思います。

色即是空空即是色は、不二一元の境地だと思います。

龍樹が中論を書いたとするならば、それは戯論の寂滅した境地を何とか表現しようとしたものだと思います。ですがこれが後世の仏教徒に縁り、一段下がった境地として間違って説きなおされたのではないでしょうか。そのように感じます。例えば、仏陀の教えを「無が全てだと言った」と解釈し、全く別物の教えとして現代に浸透しているように感じます。

しかし、想像ですが、もしも龍樹が仏陀の弟子として当時存在していて仏陀に「私は、一切は空(一切皆空)だと説きます」と言ったとすれば・・多分、仏陀は「よろしい、よろしい」と認めたと思います。この根拠は、勿論龍樹と言う人物ではありませんが、同じような会話が原始仏典内にあるからです。

私は全く知りませんので、又、華厳探玄記とか五教章とか・・是非ご教示頂ければ幸いです。

PS >>404は、投稿後に気づきましたが、多分、ワンネスですね。

[411] きまぐれ 2021/01/31 19:47 ee/2NARcXy9

pipitさん

あら。見事に引っかかっちゃたんですね、私(笑)
やられた〜

竹村牧男さんが華厳のことを解説した本があるので、読んでみてから、また顔出しますね^ ^
事事無碍が気になるんですよ〜

[412] きまぐれ 2021/01/31 19:52 ee/2NARcXy9

時さん

ワンネスってなんですか?

華厳は勉強中なんですけど、また書きたくなったら書かせてもらいますね^ ^

[413] 2021/01/31 20:00 yu/ipic7T1J

>>412 きまぐれさんへ

> ワンネスってなんですか?

多くの一流スピリチュアル指導者もワンネススピリチュアル体験に衝撃的感動。宇宙意識、宇宙との一体化、至福感へ。ワンネス悟り状態、潜在意識の深淵の超意識へ誘導

なんて記載があるようですので、スピリチャルの世界の思想のようですよ。

要は、自身と宇宙や全てのものや事象との一体感を悟りとしているように思います。

https://www.google.com/search?rlz=1C1EJFB_jaJP852JP852&ei=PYwWYNatEo2MoATks7vgDg&q=%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%80%80%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%82%B9&oq=%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%80%80%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%82%B9&gs_lcp=CgZwc3ktYWIQAzIECAAQDTIICAAQCBANEB4yCAgAEA0QBRAeMggIABAIEA0QHjIICAAQCBANEB4yCAgAEAgQDRAeOgUIABCwAzoECAAQQzoCCABQhCJY9j9gyGNoAXAAeACAAcEBiAG-BZIBAzAuNJgBAKABAaABAqoBB2d3cy13aXrIAQHAAQE&sclient=psy-ab&ved=0ahUKEwiWwInrgMbuAhUNBogKHeTZDuwQ4dUDCA0&uact=5

> 華厳は勉強中なんですけど、また書きたくなったら書かせてもらいますね^ ^

了解しました。(^^)

[414] 気まぐれ 2021/01/31 21:56 OU/2NARcXy9

実は少し書きたい欲求も高まってきていて、少し自分の中で整理してみたいなと思ってきているのですが、もし別のスレに書いてほしいとかあったら、遠慮なくいってください。

私は華厳の事事無碍という世界観に惹かれるんですよね。実際に修行しているわけではないので実感はできていないのですが、なんか感動するんです。

多分、四法界とか有名なんじゃないかと思うのですが、ご存じでしょうか?
それこそ釈迦に説法みたいで恥ずかしいのですが、四法界について少し書いてみたいと思います。今日は眠いのでこれを書いたら寝ます。
四法界は、事法界、理法界、事理無碍法界、事事無碍法界です。
理解できているか怪しいですが、私が理解している内容を書いてみます。

<事法界>
事物の世界で、実在論的な世界だと思っています(ただ、この事も単に物質のことではないようですが)。
事物が分節した分別の世界ということかと思います。

<理法界>
これは、事法界を否定しすべては空であるという世界だと思っています。空はキー概念ですよね。概念と言ったらまずいんでしょうけど…。
私の理解では、空と縁起は表裏の関係のように捉えています。全てが空といっても何もないわけではない。あらゆる実体がないということで、言葉の、あるいは概念の相互関係でもって世界が成立している。

<理事無碍法界>
事法界と理法界は別の世界ではない。理法界が成立するから事法界が成立し、事法界が成立するから理法界が成立する。相互依存。理はあらゆる事を貫いていて、一つ一つの事は理を表現している。理は事を包摂していて、事は理を包摂している。相互依存関係であり、相互包摂関係である。

<事事無碍法界>
事事無碍法界は理事無碍法界において成立する。全ての事がそれぞれに理を包摂し、理には全ての事が包摂されているということは、一つの事が全ての事を包摂しているということになる。つまり一つ一つの事は、そのそれぞれが全宇宙そのものであるということである。

これら四法界は4つの世界ではなく、この現実の見方の相違ということに過ぎない。

書いてみるとわかる。全然表現できない…。そして眠い…。今日はここまでにします。

[415] 気まぐれ 2021/01/31 22:04 OU/2NARcXy9

もう少しだけ補足

事事無碍法界に見ている世界観を私は過去に以下のように表現した。この時の私は睡魔に襲われていない分だけ少し詳しい説明になっているような気がするので、転記します。

世界そのものが、「私」という形態で顕現している。
もはや「私」は世界の中の一存在者ではない。世界そのものが「私」なのである。それは私だけではない。言語的に分節された全てが世界そのものである。
全ての存在者の集合が世界そのものだと言いたいのではない。いちいちのもの、その個々全てが、その個において、全てなのだ。
私=全宇宙、あなた=全宇宙、花=全宇宙、木=全宇宙、…∞
井筒は次のように範式化する。存在者A,B,C…とする場合、A(<a>,b,c,…)、B(a,<b>,c,…)、C(a,b,<c>,…)…。
X(a,b,c…<x>…)において、大文字のアルファベット(=言語分節)は()内の意味内容のうち<>で限定されたものが表出しているに過ぎない。
このように観られる世界において、分節は便宜的なものでしかない。
そして、先に述べたように1.と3.は別の世界ではなく同一の世界である。つまり、1.においてもX(a,b,c…<x>…)であることに変わりはない。
ただ、そのように観ることができていないだけのことである。

[416] pipit 2021/01/31 22:36 JV/tgpOc4Sf

>>414
きまぐれさん、こんばんは

>もし別のスレに書いてほしいとかあったら、遠慮なくいってください。<

私はもちろん無問題です😊✌️
このスレッドには、お好きなときにお好きな話題で投稿してくださいね〜

414のきまぐれさんの書き込みを読ませていただいてるときに、アスペクト、という言葉が頭に浮かんできました。
相、って感じかな?
きちんとアスペクトという語感の把握はできてないんですけど(^^;)

と、投稿しようと思ったら
>>415の追記が

難しい。。。

とりあえず、、、おやすみなさ〜い 😊🌙

理解能力不足でございます〜 _| ̄|○

[417] 気まぐれ 2021/02/01 06:18 OU/2NARcXy9

pipitさん

おはようございます。

>私はもちろん無問題です😊✌️
>このスレッドには、お好きなときにお好きな話題で投稿してくださいね〜

ありがとうございます!

アスペクトと聞くと私はルビンの壺みたいな絵が思い浮かびます。
壺に見えたり、2人の横顔に見えたりするやつです。
ウィトゲンシュタインにアスペクト盲みたいな話があった気がします。
ふくろうさんなら詳しいんでしょうけど…。
ふくろうさんは元気かなぁ。

>>415は以前、井筒俊彦さんの著作を読んでいた時に禅について書いたものから抜粋したので、あれだけだと最後の方がちょっと繋がらない(1.とか3.とか何のことだかわからない)ので、次に全文を転記します。

[418] 気まぐれ 2021/02/01 06:22 OU/2NARcXy9

「禅を学ぶ前には、かれにとって山は山であり、川は川であった。よき師の指導によって禅の真理を洞見しえたのちには、かれには山は山でなく、また川は川でなかった。しかしやがて、かれが本当のやすらぎの境地に至った時には、山はふたたび山であり、川はふたたび川であった。」(青原惟信)

1.禅を学ぶ前には、かれにとって山は山であり、川は川であった。

これは日常的世界観である。

2.よき師の指導によって禅の真理を洞見しえたのちには、かれには山は山でなく、また川は川でなかった。

ここに至って、主客図式が放棄される。独我論的態度変更はこの境地に向かう際の一形態と解することが可能であると思う。
しかし、単なる独我論ではいけない。最終的に、というか根源的に“我”は殺されなければならない。
つまり、主客図式において主・客のどちらかに集約・統一され、最後には主客図式自体が破棄されることを意味する。
独我論の場合は主の方向への集約・統一である。反対方向の統一は、客体への統一である。優れた画家が対象を描くとき、その対象そのものに“なる”ように、音楽に聞き入るとき、その旋律に“なる”ように、対象と一体化する。
しかし、対象と一体化するだけでは足りない。独我論と同じように、その対象は殺されなくてはならない。
ここにおいて、言語の分節構造を超出しなくてはならない。言語的分節を無効化し、世界そのものと“なる”。
これがつまり無になるということ。無になるとは何の分節もない純粋な存在そのもの(絶対無分節者)に“なる”ことであり、消滅を意味しない。

3.しかしやがて、かれが本当のやすらぎの境地に至った時には、山はふたたび山であり、川はふたたび川であった。

2.の状態は完全な悟りではない。悟りの入り口に過ぎない。
2.の状態を体験した上で、言語によって分節かされた日常(1.)に戻ってくる。
1.と3.は全く同じ世界であると同時に全く異なる世界である。
世界そのものが、「私」という形態で顕現している。
もはや「私」は世界の中の一存在者ではない。世界そのものが「私」なのである。それは私だけではない。言語的に分節された全てが世界そのものである。
全ての存在者の集合が世界そのものだと言いたいのではない。いちいちのもの、その個々全てが、その個において、全てなのだ。
私=全宇宙、あなた=全宇宙、花=全宇宙、木=全宇宙、…∞
井筒は次のように範式化する。存在者A,B,C…とする場合、A(<a>,b,c,…)、B(a,<b>,c,…)、C(a,b,<c>,…)…。
X(a,b,c…<x>…)において、大文字のアルファベット(=言語分節)は()内の意味内容のうち<>で限定されたものが表出しているに過ぎない。
このように観られる世界において、分節は便宜的なものでしかない。
そして、先に述べたように1.と3.は別の世界ではなく同一の世界である。つまり、1.においてもX(a,b,c…<x>…)であることに変わりはない。
ただ、そのように観ることができていないだけのことである。

[419] 気まぐれ 2021/02/01 06:33 OU/2NARcXy9

私は華厳思想に興味があるのですが、華厳経は物語的な側面もあるみたいですね。
「入法界品」には善財童子が53人の善知識を求めて旅をして仏になるという物語のようです。
余裕ができたら華厳経そのものも読んでみたいと思ってます。分厚い口語訳が2巻セットで売っていたような気がします(笑)

[420] 気まぐれ 2021/02/01 06:50 OU/2NARcXy9

私の目下の興味は賢首大師法蔵の「華厳五経章」と「華厳探玄記」ですが、特に五経章の義理分斉という章にある十玄縁起無礙法門義と六相円融義(以後は、十玄門と六相と書きます)というもので、事事無礙法界の論理構造を詳しく解明するものと言われています。

…そろそろ会社に行く支度をせねば。
また書かせてもらいますね~。

[421] pipit 2021/02/01 20:06 JV/tgpOc4Sf

きまぐれさん、こんにちは

個人的には

>しかし、単なる独我論ではいけない。最終的に、というか根源的に“我”は殺されなければならない。
つまり、主客図式において主・客のどちらかに集約・統一され、最後には主客図式自体が破棄されることを意味する。
独我論の場合は主の方向への集約・統一である。反対方向の統一は、客体への統一である。優れた画家が対象を描くとき、その対象そのものに“なる”ように、音楽に聞き入るとき、その旋律に“なる”ように、対象と一体化する。
しかし、対象と一体化するだけでは足りない。独我論と同じように、その対象は殺されなくてはならない。
ここにおいて、言語の分節構造を超出しなくてはならない。言語的分節を無効化し、世界そのものと“なる”。これがつまり無になるということ。無になるとは何の分節もない純粋な存在そのもの(絶対無分節者)に“なる”ことであり、消滅を意味しない。<

の部分がとても、参考になりました。

今このスレッドで読んでいる内容に関連性のある『バーヒヤ経』
https://suttacentral.net/ud1.10/jpn/taikan に、

『バーヒヤさん、それですから、あなたは、それとともにいないのです。バーヒヤさん、あなたが、それとともにいないことから、バーヒヤさん、それですから、あなたは、そこにいないのです。バーヒヤさん、あなたが、そこにいないことから、バーヒヤさん、それですから、あなたは、まさしく、この〔世〕になく、あの〔世〕になく、両者の中間において〔存在し〕ないのです。これこそは、苦しみの終極“おわり”です』

というのがあって、引用一行目が客体との統一に言及してるのかな、と、おもってるのですが、その点に関して、きまぐれさんの引用からヒントをいただけるように感じました。
ありがとうございます!

[422] pipit 2021/02/01 20:13 JV/tgpOc4Sf

> 私=全宇宙、あなた=全宇宙、花=全宇宙、木=全宇宙、…∞
井筒は次のように範式化する。存在者A,B,C…とする場合、A(<a>,b,c,…)、B(a,<b>,c,…)、C(a,b,<c>,…)…。
X(a,b,c…<x>…)において、大文字のアルファベット(=言語分節)は()内の意味内容のうち<>で限定されたものが表出しているに過ぎない。
このように観られる世界において、分節は便宜的なものでしかない。<

理解できてないかもだけど、このような見方で世界を見るなら、やさしい心が現れそう、と、思いました。

なんか、右手、と、左手、がイメージとして出てきます。🤲

[423] pipit 2021/02/01 20:26 JV/tgpOc4Sf

>私の目下の興味は賢首大師法蔵の「華厳五経章」と「華厳探玄記」ですが、特に五経章の義理分斉という章にある十玄縁起無礙法門義と六相円融義(以後は、十玄門と六相と書きます)というもので、事事無礙法界の論理構造を詳しく解明するものと言われています。<

もう、漢字が、難しいです!

あ、相という漢字だ。

勉強するのとても大変そうかもだけど、楽しみながら進めるといいですね😊📚

それぞれが進んでみたい道、お互いがんばりましょうp(^_^)q
書き込みは気軽にきまぐれに♪お好きなときに書き込んでくださいね!
おつかれさまです〜🍵🍀

[424] 気まぐれ 2021/02/02 06:18 OU/2NARcXy9

pipitさん

おはようございます。
コメントありがとうございます。
少しでも何かお役に立てたのであれば嬉しいです。

>もう、漢字が、難しいです!
そうなんです(-_-;)
まだまだ難しい漢字が出てくるんです。
今のところは覚えようとかは思わずに、流し読みです(笑)
でも、こうやって書いたりしていくと自然と覚えるかなと思ってます。

[425] 気まぐれ 2021/02/02 06:43 OU/2NARcXy9

というわけで、とりあえず十玄を書いてみます。

1.同時具足相応門(どうじぐそくそうおうもん)
2.一多相容不同門(いったそうようふどうもん)
3.諸法相即自在門(しょほうそうそくじざいもん)
4.因陀羅微細境界門(いんだらみさいきょうがいもん)
5.微細相容安立門(みさいそうようあんりゅうもん)
6.秘密穏顕俱成門(ひみつおんけんくじょうもん)
7.諸蔵純雑具徳門(しょぞうじゅんぞうぐとくもん)
8.十世隔法異成門(じゅっせいきゃくほういじょうもん)
9.唯心廻転善成門(ゆいしんえてんぜんじょうもん)
10.託事顕法生解門(たくじけんぽうしょうげもん)

・・・むずい。
ただ、漢字の利点でなんとなく言わんとしようとすることを察することができるものもある。
例えば、2.一多相容不同門なんかは、一と多(絶対と相対みたいな感じ)は互いに溶け合うが同じではない。みたいな感じ。いまは解説内容を覚えてないので、本当に適当なイメージですけど(笑)

[426] pipit 2021/02/02 23:39 JV/tgpOc4Sf

何もわからない状態で目にした漢字の雰囲気からは

唯心廻転善成門(ゆいしんえてんぜんじょうもん)

が、ふわっとした雰囲気でいいな♪

[427] 気まぐれ 2021/02/03 06:13 OU/2NARcXy9

やっぱりちょっと場違いかなと思いつつ、始めてしまったので、区切りのいいところまで続けさせていただきますね(笑)

あ、おはようございます。

まず、参照元を示していなかったので示します。
竹村牧男「華厳とは何か」 春秋社
とてもよくまとまっていて、丁寧に解説してある良著だとおもいます。なお、2002年にNHKの当時の教育テレビ(現Eテレ)、心の時代に出演した時のテキストを編集したものだそうです。

[428] 気まぐれ 2021/02/03 06:42 OU/2NARcXy9

十玄門を了解するには、まず関係に含まれている基本的な分析を理解しなければならないそうです。
これがまた、難しい。

関係を理解するために4つ(2組×2)の視点が導入されます。
それが、同体と異体・体と作用(さゆう)です。

まず同体と異体ですが、何かが関係するというためには2つ以上のものがなければならない。
華厳ではあるものが他のものと関係するには、そのもの自身が他のものと関係することのできる性質を持っていなければならないと考えるようです。
ここで挙げられている例は、竹村さん自身が教師であり、夫であり、父であるのは、生徒があり、妻があり、子供があるからではなく、竹村さん自身に生徒に対する自分、妻に対する自分、子供に対する自分等々があるからで、それらの総和が「私」だと言います。

つまり、あるものに他のものと関係を結ぶ要因が内在している面と他のものがあってはじめて関係が成立する面とがあり、異なる者同士の関係を異体の関係と言い、あるひとつのものの中での自と他の要素の関係を同体の関係というそうです。

[429] 気まぐれ 2021/02/03 07:08 OU/2NARcXy9

次に用と体の関係です。
これはつまり、作用と存在の関係です。
ここでは、音響機の音を聞く場合の例が示されます。
私が音楽を聴く場合、私が耳を傾け、音響機が音を奏でるという両者のはたらき(作用)があればこそ、音楽を楽しむということが成立します。しかしそれは、ここに私がいて、音響機がそこにあるから成立することです。
このようにあるひとつの関係には、作用の関係と存在の関係の二つの関係が考えられます。これを用の関係と体の関係と言うそうです。

[430] pipit 2021/02/03 12:03 JV/tgpOc4Sf

>>427
気まぐれさん、おはようございます
投稿があれば楽しみに読ませていただくので、お好きなように投稿してください😊

pipitが経典の続きを投稿しなくなったぞ?と思われるかもしれませんが、気まぐれさんが投稿を始められたからではまっっったくなくて、他サイトの掲示板で(ニーチェクラブというサイトでお世話になっていますm(_ _)m)カントの『純粋理性批判』の純粋悟性概念の演繹の箇所の読解もはじめてて、カントのクセ強文章のせいで、そちらに頭悩ませてるからです(^^;)

>竹村牧男「華厳とは何か」 春秋社<

西田幾多郎哲学の時にもご紹介してくださった先生だと記憶しています。
自分にとって、信頼できそうと思える先生に(本を通してでも)出会えることって貴重ですよね。

生命って不思議だな、に、なんか繋がります(^^;)根拠なし〜

[431] pipit 2021/02/03 13:17 JV/tgpOc4Sf

>つまり、あるものに他のものと関係を結ぶ要因が内在している面と
他のものがあってはじめて関係が成立する面とがあり、
異なる者同士の関係を異体の関係と言い、
あるひとつのものの中での自と他の要素の関係を同体の関係というそうです。<

同体の関係とは、

>竹村さん自身に生徒に対する自分、妻に対する自分、子供に対する自分等々があるからで、それらの総和が「私」だと言います。<

自分のある要素 対 自分のある要素 の 関係 ということですか?

[432] pipit 2021/02/03 13:22 JV/tgpOc4Sf

>>429
用 と 体 かぁ。

働き、って、よく考えたら、おもしろいですよね。

いろんな箇所で、参考となる気がします。ありがとうございます🌈

[433] pipit 2021/02/03 18:19 JV/tgpOc4Sf

>>431
ん??

>つまり、あるものに他のものと関係を結ぶ要因が内在している面と他のものがあってはじめて関係が成立する面とがあり、異なる者同士の関係を異体の関係と言い、あるひとつのものの中での自と他の要素の関係を同体の関係というそうです。<

もしかして、
竹村さん自身の中での、竹村先生と生徒の関係、が、同体の関係ということでしょうか?

A自分 対 B自分 (例えば、父としての自分 対 先生としての自分)

ではなく、

自分の中の自分(先生) 対 自分の中の他人(生徒) が、同体の関係ということでしょうか?

[434] 気まぐれ 2021/02/04 06:18 OU/2NARcXy9

pipitさん

おはようございます。

返信ありがとうございます。

>pipitが経典の続きを投稿しなくなったぞ?と思われるかもしれませんが、気まぐれさんが投稿を始められたからではまっっったくなくて、他サイトの掲示板で(ニーチェクラブというサイトでお世話になっていますm(_ _)m)カントの『純粋理性批判』の純粋悟性概念の演繹の箇所の読解もはじめてて、カントのクセ強文章のせいで、そちらに頭悩ませてるからです(^^;)<

お察しの通り、少し気になっていたので安心しました^^
確かにカントの文章は癖が強いですよね(-_-;)
あと場違いと思ったのには、宗教的信仰心と哲学的探究心のちがいみたいなことをちょっと感じたからなんですけど、うまく言葉にできません。
ざっくり言うと目的の違いみたいな感じですかね…。
救い、救済(宗教)・治療(哲学)みたいな。

まあでも、気にしすぎだったかもしれないので、書かせていただきます!
>>431,433のご質問については、答えられるかわかりませんが、次でコメントさせていただきます。

[435] 気まぐれ 2021/02/04 06:36 OU/2NARcXy9

pipitさん

>>431でよいと思います。
私の書き方があまり良くなかったのですが、本文中に次のような文章がありました。引用します。

「華厳では、およそ関係を見る場合、一つはお互いに異なる者同士の関係、もう一つは関係を結んでいるある一つのものの中での多様な要素の関係、という二つの関係を考え、その両者があいまって関係が成立すると見るのです。」

異体:お互いに異なる者同士の関係
同体:関係を結んでいるある一つのものの中での多様な要素の関係

だと思います。

質問ありがとうございます^^
不明な点がありましたら随時コメントください
m(__)m

[436] 気まぐれ 2021/02/04 07:11 OU/2NARcXy9

十玄門は、一つの関係に対して異体・同体の関係と、体・用の関係とを分けて、それらを組み合わせてみるようです。異体の中の体の関係を「相即(そうそく)」、用の関係を「相入(そうにゅう)」。同体の中の体の関係を「一即多・多即一」用の関係を「一中多・多中一」というそうです。

<異体>
相即(体)
相入(用)

<同体>
一即多・多即一(体)
一中多・多中一(用)

思っていたより先は長いですね~。
ゆっくりいきます^^

[437] pipit 2021/02/04 18:46 JV/tgpOc4Sf

>>434
気まぐれさん、こんばんは

>あと場違いと思ったのには、宗教的信仰心と哲学的探究心のちがいみたいなことをちょっと感じたからなんですけど、うまく言葉にできません。
ざっくり言うと目的の違いみたいな感じですかね…。
救い、救済(宗教)・治療(哲学)みたいな。<

私は反対方面から、少し遠慮していました。
「気まぐれさんが書いてくださること、哲学そのものみたい、でも、そう思っちゃうのは、失礼かな、、、」って。
立ち位置の相違?などを、ちょっとおもしろく感じます(^ ^)

本当は、「千年以上前(ですよね?)に、私たちと同じ人間という種が、このような哲学的なことを真剣に論じていたということ」に感動する思いだったのですが、そう表明するのは、どこか失礼になるのかなって。

今思ったのが、原始仏教が、華厳経が、大乗仏教が、ということではなく、個人がどう捉えるか、という点が何事にも大きいのかもしれませんね😊
私はもっと冷静さが必要なのだろうけど(本当のこと知りたいので!)、自分で育てるしかないな(^^;)

[438] pipit 2021/02/04 18:53 JV/tgpOc4Sf

>>436
> <異体>
相即(体)
相入(用)

<同体>
一即多・多即一(体)
一中多・多中一(用)

思っていたより先は長いですね~。
ゆっくりいきます^^ <

一即多・多即一は、よく目にする気がしますが、同体の体についてだったんですね。
んー、難しい。???  ???

先を読ませていただきますね
もちろん、途中で止めることもご自由にされてくださいね!

おつかれさまで〜す🍵🍀

[439] 気まぐれ 2021/02/04 21:03 OU/2NARcXy9

pipitさん

こんばんは。

>立ち位置の相違?などを、ちょっとおもしろく感じます(^ ^)

そうですね。面白いと感じます^^

私はやっぱり哲学から逃れられないみたいです(笑)
仏教に内蔵されている哲学に触れたい、という思いが根底にあります。
「華厳とは何か」を読んでいてもそうなんですが、「あー、自分には利他の精神が欠けてるなぁ」と思います(笑)
ただ悟りという状態を、というか、それこそ真理を知りたいというだけなんです。
真理を知ることで、利他の精神が芽生えるのかもしれないですけど。
今の私は、自分を治療することに手いっぱいで、誰かを救いたいということにまで思いが及ばない。

>(本当のこと知りたいので!)

これは心から共感します!
目的を共有していると思えて嬉しかったです^^

十玄門の続きはまた明日の朝書こうと思ってます。
お疲れ様です!

[440] 気まぐれ 2021/02/05 06:10 OU/2NARcXy9

pipitさん

おはようございます。

>一即多・多即一は、よく目にする気がしますが、同体の体についてだったんですね。

これは私の勝手なイメージなのですが、宇宙大の同体をイメージします。(ひとつの)宇宙においての様々なもの関係みたいなイメージです。または世界とか。
もちろん宇宙や世界だけのことではなくて、あらゆることに当てはまるとは思いますが。

[441] 気まぐれ 2021/02/05 07:14 OU/2NARcXy9

さて話はもどりますが、まず異体の関係、相即(体)と相入(用)についてです。

これは端的に言うと有と無(空)との関係です。

それ自身によって存在し、他のなにものとも関係することなく存在し得ているものは、そういうもの同士では他と関係する必要がありません。
関係が成立するのは、関係する各々が他に対して開かれている無自性(空)でなければならない。無自性(空)は何も無いということではなく、無自性ではあるが現象しているということ。
したがって、その各々に有の面と空(無自性)の面があります。
これを前提として、関係が成立しているとき、その関係している者同士が互いに空(無)であっても、互いに有であっても関係は成立せず、有と無(空)の組み合わせの時に関係が成立することになります。
したがって、Aを有の方面で見るなら、BはAに全面的に依っているいることになり、Bは無自性(空)の面が前面に出てくることになります。こうしてBは無自性である以上、Aに全面的に即する(一つになる)ということになります。これはAとBを逆にしても同じことが言え、しかもこの二つの事態は同時に成立している。それによって、はじめて関係は成立するとみるわけです。「五経章」には次のような言葉があるそうです。
「相即の中に、自若し有なるときは他必ず無なるに由るが故に、他、自に即す。何を以て故に。他、無性なるに由って自作なるを以ての故に。二には、自若し空なる時は他必ず是れ有なるに由るが故に、自、他に即す。何を以ての故に。自、無性なるに由て他作なるを以ての故に。二有・二空、各々俱ならざるを以ての故に、彼れ相即せざること無し。有が無・無が有、無二なるが故に、是の故に常に相即す。若し爾らずんば、縁起成ぜず、自性等の過有らん。之を思いて見る可し。」

これは、異体の体の関係つまり相即についてですが、同様のことに関する用についての関係が相入であると思います。それについてはまた明日書きます。

[442] pipit 2021/02/05 16:49 JV/tgpOc4Sf

>>441
気まぐれさん、こんにちは。

> したがって、Aを有の方面で見るなら、BはAに全面的に依っているいることになり、Bは無自性(空)の面が前面に出てくることになります。こうしてBは無自性である以上、Aに全面的に即する(一つになる)ということになります。これはAとBを逆にしても同じことが言え、しかもこの二つの事態は同時に成立している。それによって、はじめて関係は成立するとみるわけです。<

具体例は思い浮かばれますか?

>「五経章」には次のような言葉があるそうです。
「相即の中に、自若し有なるときは他必ず無なるに由るが故に、他、自に即す。何を以て故に。他、無性なるに由って自作なるを以ての故に。二には、自若し空なる時は他必ず是れ有なるに由るが故に、自、他に即す。何を以ての故に。自、無性なるに由て他作なるを以ての故に。二有・二空、各々俱ならざるを以ての故に、彼れ相即せざること無し。有が無・無が有、無二なるが故に、是の故に常に相即す。若し爾らずんば、縁起成ぜず、自性等の過有らん。之を思いて見る可し。」<

無自性がキーワードになるのかな。

華厳思想の、相即は、同時間における存在(横並び?)としての関係となるのでしょうか?

[443] らんてんぷぅ 2021/02/05 19:06 ザ-000,025,405号

🤢

[444] らんてんぷぅ 2021/02/05 19:06 ザ-000,025,405号

444👽

[445] pipit 2021/02/05 20:54 JV/tgpOc4Sf

😳

🤲🍵

🤗🍀  🌸 🐳 👾  + 1

[446] 気まぐれ 2021/02/06 05:29 OU/2NARcXy9

pipitさん

コメントありがとうございます^^
今日は早くに目が覚めてしまいました(笑)

>具体例は思い浮かばれますか?

具体例は難しいですね。
私は世界全体の構造の事かなと思っています。

五経章では数の関係で説明されるようです。
向上去と向下来というものがありますが、なるほど!とは思えないかもしれません。
ちょっと引用してみると、
「一を本数としたとき、一を他の数との関係の中で中心とみることができるのは、一がそれ自体で完結する、自体あるものではなく、他に開かれた無自性の一だからです。次いで、一は二だ、と見ます。というのは、一がなければ二がない以上、一が有体で二は空となり、二はすっかり一になりつくしています。ここで、二が一になりつくしているとき、その一のゆえに二がなるということでもあります。そこで、だからこそ、一は即ち是れ二なりということにもなるのです。そうであるからこそ、二は二でもありうるのでした。こうして次に、一は三と見、一は四と見、その最後には一は十であると見ます。(中略)このあと、二を本数として、他の数との関係を同様に見ます。本数を一から順次上っていくのが向上去、十から順次下っていくのが向下来です。」

以上が竹村さんの解説の抜粋で、五経章の記載は以下のようになります。
「初の門(向上去)の中に十門あ有り。一は一。何を以ての故に。縁成の故に。一即ち十なり。何を以ての故に。若し一無ければ即ち十無きが故に、一、有体にして、余りは皆な空なるに由るが故に、是の故に、此の一、即ち是十なり。是の如く上に向いて乃至第十、皆な各々前の如く準じて知るべきのみ。」

難しいですよね…。
あまり釈然とはしませんが、とりあえずそういうものかと受け止めて先に進むことにしています。

[447] 気まぐれ 2021/02/06 05:30 OU/2NARcXy9

>無自性がキーワードになるのかな。

私もそう思います。

>華厳思想の、相即は、同時間における存在(横並び?)としての関係となるのでしょうか?

そうも取れるかもしれません。
私のイメージとしては全体の関係といいますか、全ての中に全てがあるということを説明しようとしているように感じます。
「私=全宇宙、あなた=全宇宙、花=全宇宙、木=全宇宙、…∞」、ということを理屈で説明しようとしていると感じています。それは相即だけに言えることではないですけど…。

今日明日は時間が取れるので、少しまとめて投稿しようと思っています。

[448] 気まぐれ 2021/02/06 09:42 OU/2NARcXy9

相入は作用、はたらきの関係についてであり、構造は相即と変わらない。
AとBが共にはたらかなければ、関係はない。また、両者ともに自分だけではたらきを発揮しているのであれば、関係する必要がなく、むしろ衝突するのみで関係は成立しない。
両者がはたらきあって関係しているとき、Aのはたらきのもとにその関係が成立しているという面から見るとBは全面的にAのはたらきによるのであり、したがってAはBを摂めていることになり、BはAに入るということになる。
しかし同時に、Bのはたらきの下にその関係が成立していると見るときは、BがAを摂さめ、AはBに入る。
ここでは、存在そのものの関係ではなく作用の相互関係が取り出され、どんな関係であれ関係が成立しているところでは互いに「力用交徹(りきゆうきょうてつ)」)するという事態がある。

五経章
「二(相入)に、力用の中に自に全力有り、所以に能く他を摂す。他、全に無力なるが故に、所以に能く自に入る。他有力・自無力、上に反して知んぬべし。自力に拠らざるが故に、相即に非ず。力用交徹するが故に、又、二有力。二無力、各々俱ならざるに由るが故に、彼れ相入れざること無し。有力が無力・無力が有力、無二なるが故に、是の故に常に相入す。」

五経章における数の例

>>446で先に相即についての数の例を紹介しましたが、同様の説明が相入においてもなされます。
順序としては相入の例の方が先に登場しますので、基本的な部分だけ補足します。

まずはじめに、一を、一から十の数の中で根本の数と見ます(本数)。
つまり、一が根本となって他の数を成り立たしめると見るのです。一が一だけにとどまらず、二になり三になるということで、自由自在に他と融じていきます。そこを縁成の一といい、自己の本性を持たない無自性の一です。だからこそ他と関係しえて、関係の中で一そのものでありうるのです。
一が根本にあるからこそ他の数が成立するということは、一に全力があって、それゆえに他の数を一の中に摂めてしまうということになります。
これは、一だけに言えることではなく、他の数を本数として見たときには、同様のことが二にも三にも四ないし十まで同じことが言えると考えます。

難しいですが、華厳の世界には視点の自在な移動・転換があると竹村さんは言います。「関係の中の各々が中心になりうる、という見方があり、そこには自我中心から世界中心へのものの見方の転換があるのでしょう」とも。

・相即と相入の関係

存在(体)の関係(=相即)と、はたらき(用)の関係(相入)をあえて分けて分析していますが、実際にはその両者つまり、体と用は別々にあるわけではなく、体と用の両者は同時に一つのこととして成立しています。

五経章
「又、用を以て体を摂むるに更に別体無きが故に、唯相入す。体を以て用を収むるに別用無きが故に、唯だ是れ相即す。」

相即・相入の関係の根本には、無自性にして現象している世界があるとみています。つまり華厳の世界観の根本には無自性・空の世界があり、それを根本として関係のあり方を多面的に分析されていて、実体的存在、本体・自体を持つと考えられるものは全く否定されます。
しかし、無自性・空のゆえに縁起の世界が成立し、現実世界が成立している。そのありようを一面的にとらわれることなく、双方向的に、複眼的に全体的に描写しようとするのが華厳の世界なのだそうです。

[449] 気まぐれ 2021/02/06 11:18 OU/2NARcXy9

・同体門の関係

同体門の関係についても数の例で説明されていますが、「華厳とは何か」においては、説明に要する紙数が少なく、私自身がよく理解できないので省略します。
十玄門の説明に入る前の締めの文章だけ引用します。
「ともかく、関係の中にある、ある一つのものは、それ自身の中に他を入れている、あるいは他そのものと一つであるといった事態があり(同体)、かつ他のものとお互いに摂めあったり他になりつくしていたりしているといった事態があって(異体)、それらが同時に成立しているのが関係の世界の在り方だというのです。」

[450] 気まぐれ 2021/02/06 11:24 OU/2NARcXy9

・十玄門の説明
竹村さんいわく、「大事なことは異体・同体の体・用の関係を見ることにあった」とのことで、十玄門の説明については簡単にされています。

1.同時具足相応門(どうじぐそくそうおうもん)
これは、2.以降の全ての関係が現に同時に成立していることをいうもの
2.一多相容不同門(いったそうようふどうもん)
特に用の関係において、一と多が互いに関係しあって、しかもそれぞれはそれぞれであるというもの(異体・同体を含む)
3.諸法相即自在門(しょほうそうそくじざいもん)
特に体の関係において、諸法に相互の関係があるということをいうもの(異体・同体を含む)
4.因陀羅微細境界門(いんだらみさいきょうがいもん)
因陀羅網という帝釈天の宮殿にかかる網をたとえに用いて、用の関係について重重無尽の関係があることをいうもの。2.はある一つのものと他の多との関係のみを見ていて一重の関係しか見ていません。ここでは、そのことがあらゆるものの間で成立しているという多重の関係を見るものです。
5.微細相容安立門(みさいそうようあんりゅうもん)
一(微細)に多を容れて(用)、しかも一も多も壊すことなく現前していることをいうもの。相容とあるが、実際には一に多を容れる方向だけを意味する。
6.秘密穏顕俱成門(ひみつおんけんくじょうもん)
体の関係において、空・有ではなく、隠・顕が同時に成立しているというもので、そこが秘密(甚深微妙)ということ(同体・異体に通じる)
隠・顕:ある人が親に対しては子、弟に対しては兄、妻に対しては夫等々であるとき、子であることが表に顕れているときは兄・夫は隠れ、兄であることが表に顕れているときは子・夫は隠れというように隠顕同時に成立すること。
7.諸蔵純雑具徳門(しょぞうじゅんぞうぐとくもん)
体・用の限定なく、あるものが他の一切を摂めているところに着目したとき、摂めるものが純、摂められる一切のものが雑として、摂められるものは摂めるものの徳(性質・性能)となっているところをみるもの。
8.十世隔法異成門(じゅっせいきゃくほういじょうもん)
特に時間的関係における体・用の関係すべてをいうもの。ただし、仏教では時間を独立の実在と見ず、諸法のうえに仮に立てられたものなので、過去の法、未来の法、現在の法を想定してそれらの相即・相入をいうもの。
過去・現在・未来で三世、各々に三世があることから九世、それは現在の一念に収まることから十世とし、その区別がありながら相即・相入して一念に収まる。そしてその一念に十世がすべて同時に顕現することをいうもの。
9.唯心廻転善成門(ゆいしんえてんぜんじょうもん)
以上の縁起の世界は、唯一心が転じて善く(能く)成じたものであることを示し、縁起の世界の本を明かしたもの。その唯心、唯一心は自性清浄心(じしょうしょうじょうしん)のことであり、これが転じて無限の縁起の世界が展開するのだというもの(性起)。
10.託事顕法生解門(たくじけんぽうしょうげもん)
たとえによってこれらの教えの意義を明かすことで、華厳におけるたとえのはたらきの華麗なることを主張するもの。

[451] 気まぐれ 2021/02/06 16:03 OU/2NARcXy9

・六相について
六相円融義は全体と部分の関係、およびその全体の中での部分と部分の関係について論究するもので、そのことを家を例にして説きます。
有機体や生命体を例にして説いた方が部分と全体が協働していることを見やすいと思いますが(人体における臓器、臓器と細胞の関係等々)、五経章では家という生命体でも有機物でもないものを例にそれでも、実は部分と全体とが交流している構造があるのだと説きます。
このことについて、竹村さんは、車における構成要素と全体の関係を例に出して説明します。
「ある技術者がものすごく性能のよいエンジンを開発しました。それ自体は申し分のないエンジンのはずにもかかわらず、それを車体に載せると、どうしてもうまく機能せず、車体のスピードを上げるとトラブルが起きるといった事態が何回テストしても続きます。それで、エンジンをさらによいものにしようとエンジンの改良に腐心するのですが、どんなに改良しても今いったトラブルが解決しません。ところが、ふとしたことから、エンジンを車体に取り付けるとエンジンの振動が車体全体に伝わり、その車体の振動がエンジンに伝わってエンジンの機能を阻害することがわかりました。そこで、エンジンの振動が車体に伝わらないような簡単な工夫をしてみると、難なく車のスピードも上がったということです。このことは、車という機械の中で、エンジンのことだけを考えればよいわけではなく、車という全体の中でのエンジンのあり方を考えなければだめだということです。」

・六相
まず、六相を示します。五経章の記載の後()で竹村さんの解説を書きます。

1.総相
総相とは、一に多徳を含する故に。(総相とは、さまざまな性質・功能を有する多くのものを擁する全体のことです)
2.別相
別相とは、多徳一が非るが故に。別は総に依止して彼の総を満ずるが故に。(総相に対し別相とは、その全体を構成する個々のもののことで、全体に還元されることのないもののこと、それぞれが全体と異なることです。)
3.同相
同相とは、多義相違せず、同じく一総を成ずるが故に。(同相とは、全体を構成する個々のものがお互い一致して全体を形成しているということです。)
4.異相
異相とは、多義相望する各各に異なるが故に。(異相とは個々のものが相互に異なっていることです。その(同相と異相の)要点は、お互いに一致してということと、相互に異なってということにあります。)
5.成相
成相とは、此の諸義に由りて縁起成ずるが故に。(成相とは、個々のものが集まって全体を形成し、かつそのことが個々のものを成立せしめていることです。)
6.壊相
壊相とは、諸義各各自法に住して移動せざるが故に。(壊相とは、個々のものはあくまでも個々のものであることを失わないことです。)

「おそらく、「一つの全体を構成する」という文章が成り立つとき、一つのというところに同相、全体というところに総相、構成というところに成相があります。その反対が異相・別相・壊相ということになります。」

[452] pipit 2021/02/06 16:49 JV/tgpOc4Sf

気まぐれさん、こんにちは
勉強進んでますね〜📖(いいなあ〜(≧∇≦))おつかれさまです🍀

>しかし、無自性・空のゆえに縁起の世界が成立し、現実世界が成立している。そのありようを一面的にとらわれることなく、双方向的に、複眼的に全体的に描写しようとするのが華厳の世界なのだそうです。<

このフレーズがとても参考になる思いがしました。

少しずつ読ませていただきますね。

[453] pipit 2021/02/06 17:00 JV/tgpOc4Sf

数、おもしろいですが、半分は理解できる気がするんですけど、半分が理解できないかなぁ

1を本数とすると、他の数字が空、というのはわかる気がします。

2を本数とすると、1が空、、、あ、わかる気がするかも??

パピコ半分では、パピコではない、みたいな。??

向上去と向下来、おもしろいです。
誤解してるかもしれませんが、解説を書いていただいて嬉しいです。
ありがとうございます😊

[454] pipit 2021/02/06 17:12 JV/tgpOc4Sf

>華厳の世界には視点の自在な移動・転換があると竹村さんは言います。「関係の中の各々が中心になりうる、という見方があり、そこには自我中心から世界中心へのものの見方の転換があるのでしょう」とも。<

空に住む人ですね〜

自由自在 心の身軽さ

[455] pipit 2021/02/06 17:19 JV/tgpOc4Sf

>4.因陀羅微細境界門(いんだらみさいきょうがいもん)
因陀羅網という帝釈天の宮殿にかかる網をたとえに用いて、用の関係について重重無尽の関係があることをいうもの。2.はある一つのものと他の多との関係のみを見ていて一重の関係しか見ていません。ここでは、そのことがあらゆるものの間で成立しているという多重の関係を見るものです。<

インドラの網 !

バタフライ効果を思い浮かべます

[456] pipit 2021/02/06 17:24 JV/tgpOc4Sf

> 9.唯心廻転善成門(ゆいしんえてんぜんじょうもん)
以上の縁起の世界は、唯一心が転じて善く(能く)成じたものであることを示し、縁起の世界の本を明かしたもの。その唯心、唯一心は自性清浄心(じしょうしょうじょうしん)のことであり、これが転じて無限の縁起の世界が展開するのだというもの(性起)。<

字の雰囲気が丸っこいやさしい雰囲気でいいなぁと思ってました。
そうかぁそういう意味なのかぁ。

ダンマパダの『ものごとは心に基づき、、、』を思い出しました。

[457] 気まぐれ 2021/02/06 17:46 OU/2NARcXy9

pipitさん

>バタフライ効果を思い浮かべます

物理とか得意なんですか?
私はあんまり得意じゃない…(笑)

[458] pipit 2021/02/06 17:46 JV/tgpOc4Sf

> 六相円融義は全体と部分の関係、およびその全体の中での部分と部分の関係について論究するもので、そのことを家を例にして説きます。<

竹村さんのエンジンの例がとてもわかりますく、心にも染みますね!

六相の説明ありがとうございます。
私には難しくてちゃんと理解できないけど、この区別で現象をそれぞれに明晰に捉えることができるなら(頭脳明晰!)、
ひとつからの見方、見地に囚われない、縁起?を知る方かもしれないなぁとの感想を持ちました。

こういう捉え方がある、と知るだけでも、自由な見方に近づける気がしますね😊🌈

やっぱり、空、が土台のキーワードとなって、その上で
苦しみを無くす方への仮の足場を、どのようにたくみに組み立てるか、
そのために知恵を研鑽されてるのかな、と、空想しました。
(大乗仏教のこと全然知らないので💦)

勝手に感想書いてしまってますけど、気になさらずに、思うままに勉強進まれてくださいね😊

おつかれさまです🍵🍀

[459] pipit 2021/02/06 17:52 JV/tgpOc4Sf

>>457
気まぐれさん、こんばんは!

>物理とか得意なんですか?
私はあんまり得意じゃない…(笑)<

確実に、気まぐれさんより不得意です、、、

物理、高校で履修したかなあ?というレベルです。
選択制で一番文系寄りにしました(^^;)

[460] 気まぐれ 2021/02/06 18:03 OU/2NARcXy9

pipitさん

>確実に、気まぐれさんより不得意です、、、

> 物理、高校で履修したかなあ?というレベルです。
> 選択制で一番文系寄りにしました(^^;)

そうなんですか?
バタフライ効果なんて、そうそう思い浮かばないように思ったので。(ご家族から触発されているのかな?)

ちょっと疲れたので(笑)、引用はこのあたりにしておきましょうかね。
もう少し、六相のことを書こうかと思っていたのですが、新しい本も来たので、又読書に励みます。
あ、因陀羅の網についてもう少しだけ書きます(笑)
あとで、宮沢賢治も読んでみようかな。

[461] 気まぐれ 2021/02/06 18:32 OU/2NARcXy9

インドラの網は事事無碍の世界観のイメージが湧きますね。個人的には。
ご存じかもしれないですが、その描写を引用すると
「帝釈天の宮殿にかかる網には、その無量の網の目の一つひとつに宝石が括り付けられています。その宝石は互いに映しあってきわまりがありません。A・B・C・D…と宝石があるとして、Aは、B・C・D…に映り、Bは、A・C・D…に映り、Cは、A・B・D…に映っています。AがBに映るとき、それはB・C・D…を映しているAがBに映るのです。しかもそういうAが映っているBをAが映し、さらにそのAがBに映るのです。こうして映しあう関係にはきわまりがありません。
二枚の鏡を向かい合わせにして、そして互いに照らし合わせますと、無限に映し合います。そのことが、二つの宝石の間だけでなく、多くの宝石の間で、無量の宝石の間で起きているというのです。まことに因陀羅網のたとえは、めくるめくような無限の関係を表しています」

[462] pipit 2021/02/06 21:05 JV/tgpOc4Sf

>>461 気まぐれさんへ
ご説明ありがとうございます!
ちゃんと理解してませんでしたm(_ _)m(今もかもだけど)

そうかぁ、バタフライ効果だと一点から物事が起きる視点に重点が置かれてる感じもあるかもだけど、
インドラの網での例えは、ほんとに顕(あらわれ)の縁起そのものというか、全同時視点というか、

現実に当てはめて考えると、
なんか不思議な感じを受けます。
頭がそういう見方に慣れてないんでしょうね。

[463] きまぐれ 2021/02/06 21:59 ee/2NARcXy9

pipitさん

私もこれからまだまだ学んでいこうと思います。
こういう場があるのはいいですね^ ^

コメントありがとうございました😊

またきまぐれにコメントさせて頂きたいと思います!

[464] pipit 2021/02/06 23:28 JV/tgpOc4Sf

気まぐれさんの書き込みのおかげで、東大寺に行く楽しみが増えました〜 
🌳

また書き込んでいただけたら、楽しみに読ませていただきますね😊

いろんな視点、いろんな可能性を示唆していただいて感謝です。

[465] pipit 2021/02/15 16:21 A8/tgpOc4Sf

虹、見ましたよ〜 🌈
2500年前に住んでいた生命も、同じような虹、見てたのかな〜 ?

経典の続き、ストップしていますが、続けていくつもりはあります
ちょっと、今、カント期に入ってまして(^^;;

あー、ダンマパダ47が、頭に〜

『花を摘むのに夢中になっている人が、未だ望みを果さないうちに、死神がかれを征服する。』
(中村元先生訳)

[466] タンチョウ 2021/02/18 16:39 tm/n3LFbJcN

pipitさん

御ひさしぶりです・・

私は地下水さんから学問カテゴリーを追い出されたのでオカルト・超常現象板でたわごとを呟いています。

対話が発展を促すというステレオタイプを打ち破ります・・

ステレオタイプって使ってみたかっただけです・・

あんまり書いていると地下水さんから追い出されますからこれ位で・・

[467] pipit 2021/02/18 18:24 A8/tgpOc4Sf

おおおお!!
タンチョウさん、お元気かな、と、心によく思っていました。

書き込みすごく嬉しいです、ありがとうございます😊😊😊

オカルトかぁ、こわいかなあ?のぞいてみようかなあ?

ニーチェクラブへの書き込み大歓迎だけど、哲学者ニーチェさんはタンチョウさんと波長が合わなさそうですもんねぇ(^◇^;)
(いつでも大歓迎ですよ!)

[468] pipit 2021/02/18 18:27 A8/tgpOc4Sf

仏教について、は、一応pipitがスレ主なので、主張できることかどうかわかりませんけど、
タンチョウさんの書き込みは、批判的なものであっても、大歓迎ですよ😊

[469] 2021/02/27 12:51 0d/ipic7T1J

今回、ある人物があることで苦しみ抜いている事を知りました。そしてその人物はその苦しみの原因を明確に知りませんでしたので、その苦しみから抜け出すことができずにいました。

そしてその人物に、私の今まで得た知識と経験を少しお話してみたところ、その人物は、今回の苦しみの原因を明確に認識できたようで、それを実践し始めました。その途端、今まで苦しんでいて笑顔などなかったその人物に何かが吹っ切れたように笑顔が現れだしました。

その人物は仏教等という宗教は毛嫌いしていますが、その件については心からそのメカニズム等が納得できたようです。ですのでその事については、期限がある3か月を待たずして問題はなくなるだろうと思います。

その人物を見ていると不思議な感覚になります。もちろん道理としてそのようになるのは十分に理解できるのですが、知らないということをも知らない人物が何かを明確に知るということは、このように人の心に変化を生み出すのですね。

もちろん、今回のことによってその人物が仏教に目覚めたとか学びだしたということではありませんし、私がお話したとしてもその理解や実践がされるとは限りませんでした。ただ私にできるであろうことは、本当のことをお話しすることだけです。どれだけその内容を深く理解できるか、どれほど実践できるかは、その人物のおかれた環境次第、その人物の機根次第です。そこに私は、何も関与できません。

上記に関する、もう一人の人物についてです。

その人物も苦しんでいました。同じく本当のことをお伝えし続けましたが、その度にその人物は言い訳をし、自己正当化をし、怒りだし、辻褄の合わないことを話し続けました。この人物は、この件に関しては先の人物とは真逆の結果になるように思います。そこに私は、何も関与できません。

[470] おまんこ様 2021/02/27 15:59 ザ-000,025,441号

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●不合格●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
これを見た人は確実に【不合格】です。これをコピペでどこかに10000回貼れば回避できます。
これは本当です。やらないと100年無駄になります.

私も最初は嘘だと思ったんですが、一応コピペしました。それでセンター私大に合格出来ました。
けどコピペしなかった友達がA判定とっていたのに、おちたんです。(慶応合格h.sさん)

俺はもうE判定で記念受験だったんだけど、コピペを10回くらいした途端に過去問が
スラスラ解けるようになって、なんと念願の早稲田に受かりました。(早稲田3学部合格r.kくん)

これを今年のセンター前に見てシカトしたら、センターミスって最悪です。(n.aさん)

コピペをしてから痔が治りました。(早稲田大学教授A氏)

信じられますか?この威力。

[471] pipit 2021/02/27 17:50 A8/tgpOc4Sf

>>469
わ〜い、時さん、こんにちは!!

> その人物を見ていると不思議な感覚になります。もちろん道理としてそのようになるのは十分に理解できるのですが、知らないということをも知らない人物が何かを明確に知るということは、このように人の心に変化を生み出すのですね。<

こういう出来事が実際に起こるのはとてもとても幸せな気持ちになりますよね。
嬉しいですね(#^.^#)🎶〜

私は世界は複雑系に思えてて、仏教系日めくりカレンダーにあるイラストが心に残ってて、環境さんや社会さんやいろんな人と自分がロクロを一緒に回してツボを作ってるイラストなんです。

あはは(^◇^;)な作品ができたりするんですけど、それでも、自分が作品の何かしらの良き縁になれたらすてきだな、って思います。

私も時さんみたいに良き縁になれたらいいな♪

> どれだけその内容を深く理解できるか、どれほど実践できるかは、その人物のおかれた環境次第、その人物の機根次第です。そこに私は、何も関与できません。<

経典でも、釈尊がそのようなことを例え話されてた覚えあります。(私はいつもうろ覚えですが、時さんはめっちゃしっっかりご存知のことと思います)

書き込みありがとうございます。仏教目指す(?)元気でます💪
(あ、良き縁になってもらってますね!m(_ _)m)
おつかれさまです😊🍀🍵

[472] pipit 2021/02/27 17:53 A8/tgpOc4Sf

>>470
むむ、号さんやないですか。

その記号、いいなぁ、どうやったらそんな表示になるのかなぁ 👽

おつかれさま😊🍵🍀

もうすぐ桜咲くね!🌸

[473] 2021/02/28 11:22 0d/ipic7T1J

>>471 pipitさんへ 返信をありがとうございます。

> こういう出来事が実際に起こるのはとてもとても幸せな気持ちになりますよね。

はい。そうですね。しかし今回の件で関わった2人はどちらも知り合いですので、1人については良い結果となるので良いのですが、もう1人が恐らくは(現行でも)良くない結果になりますので、複雑な気分です。

やはり思考内に残るのは、悪趣に転生すると記載がある人の事で、現行での苦を感受しながらもそれを見つめずに楽だと感じてしまっている人のことでしょうか。この場合は、現世において苦の軽減が上手くいかないであろう人の事です。

仏教では、それらの人々は、死後に悪趣、苦処に転生するとありますし、仏陀自身も致し方ないこととして、自ら学ぶものに対して真実を言うことのみとしているようです。

特に時と両者が知り合いの時、その瞬間、慈無量心、悲無量心、そして可能ならば喜無量心といった四無量心の瞑想をしたていたりします。そしていつものように捨無量心へと進みますが、苦を取り除いてあげたいという思いとは裏腹に、それが強すぎると相手に対する執着度が増し、ある一線を越えてしまうと愛情に流されて苦が生起することも知ってはいるのですが。

知っていますので、その自ら(時)に苦が生起する以前に、あるいは、例え生起したとしても生起後に取り除くことは可能は可能ですが・・・といったところです。

その可能性を色々と思考しては見るものの、それらお相手の機根の違いによる結果の違いは、やはりどうしようもないのかもしれないというのが、現在の答えでしょうか。やはり(時)自らに苦が生起しないようにする。それしか道はないのかもしれませんね。

[474] pipit 2021/02/28 15:41 A8/tgpOc4Sf

>>473
時さん、こんにちは!
昔本で読んだ、慈悲喜捨の成就と失壊についての記述を思い出し、見直してみました。
時さんはご存知なのではないかと思っていますが、清浄道論で記載されているそうですね。

『「梵住」とは、梵天の持たれる法、梵天と同様の生き方をさせる心にある最勝の法である。
①慈(人が普通に善く生きていれば)人を幸せにしたい。
   成就=怒りを抑えること。
   失壊=愛が生じること。
②悲(人が苦しみ、頼るべきものなければ)人を苦から救済したい。
   成就=害心を抑えること。
   失壊=悲しみを起こすこと。
③喜(人が幸せで善人であれば)共に喜ぶ。
   成就=嫉妬心を抑えること。
   失壊=面白がること。
④捨(すべての人は自分の業に平等に責任を持たなければならないことに気付いたとき)すべての人に平等な心を持つ。
   成就=喜びも悲しみも抑えること。
   失壊=無関心、無頓着 』
『仏法』ポー・オー・パユットー師、野中耕一さん訳、サンガ、p 398より引用

時さんのお知り合いのもう一人の方も、苦しみが減る方向へ転換されるといいですね。

[475] 2021/02/28 17:49 0d/ipic7T1J

>>474 pipitさんへ こんにちは。

捨無量心の細い道を行くとき、右側は無関心の闇が広がり、左側は激流の大河。左右どちらにも落ちることは好みません。そのバランスが簡単ではないかもですが、今の感覚としては、この道をうまく歩いていくことができるように思います。

ご返信をありがとうございました。

[476] pipit 2021/02/28 22:42 A8/tgpOc4Sf

別トピでのドライブさんと対話の中で、私が進みたい道として紹介したかった、経典の文章をこのトピに引用します。
『ワイド版岩波文庫 ブッダの真理のことば 感興のことば』
中村元先生訳、p48.49より抜粋引用します。

『二七三  もろもろの道のうちでは〈八つの部分よりなる正しい道〉が最もすぐれている。もろもろの真理のうちでは〈四つの句〉(=四諦)が最もすぐれている。もろもろの徳のうちでは〈情欲を離れること〉が最もすぐれている。人々のうちでは〈眼ある人〉(=ブッダ)が最もすぐれている。

二七四 これこそ道である。(真理を)見るはたらきを清めるためには、この他に道は無い。汝らはこの道を実践せよ。これこそ悪魔を迷わして(打ちひしぐ)ものである。

二七五 汝らがこの道を行くならば、苦しみをなくすことができるであろう。(棘が肉に刺さったので)矢を抜いて癒す方法を知って、わたくしは汝らにこの道を説いたのだ。

二七六 汝らは(みずから)つとめよ。もろもろの如来(=修行を完成した人)は(ただ)教えを説くだけである。心をおさめて、この道を歩む者どもは、悪魔の束縛から脱れるであろう。

(略)

二八八 子も救うことができない。父も親戚もまた救うことができない。死に捉えられた者を、親族も救い得る能力がない。

二八九 心ある人はこの道理を知って、戒律をまもり、すみやかにニルヴァーナに至る道を清くせよ。』

[477] 2021/03/06 13:24 vj/ipic7T1J

仏教についての私見です。

多分ですが、仏教は、人間の本能的欲求を理性により制御可能なものとする事ができると思います。

教えの中には事細かくその境地や定義が記載されていますが、これは日本人にとっては細かく分類されすぎるようにも思われますが、ここを突破できれば、個人差はあるにしてもある程度以上は理性的にその理解が起こる人には起こると思います。

仏陀が説いたものは、苦と苦の滅尽についてです。そしてそれを学んでいた人々は、苦の遍知を目的として梵行に励んでいたようです。その中で必要なことは、学処と体験の2つです。

例えば学校のペーパーテストで、数千経典の中から問題がランダムに出題されるとします。もちろん、経典を見ながらでの回答でもOKですし、そのテストはいつ受けてもよいとすると、90点以上の点数の獲得者は割といるのではないでしょうか。しかし問題は、体験のほうです。なぜならば、個人的な体験は、他者にはその是非の判断ができないからです。

仏陀不在の現代において、その体験の是非は、その個人が判断するしかないということですね。そしてその是非判定の判断基準になるものも仏典です。この場合は、ペーパーテストではなく、実践としてその内容と自身の体験内容が合致するかを自身で確認します。

ですので、仏典を読んで記憶しただけの人の発言と、その内容に合致した体験をした人の発言ではその重みが変わってきますし、記憶しただけの人の発言には、何れ綻びが生じるのが見えたりしますね。

仏典内記載がない個人的な言葉での表現を書いてみます。「自由とは一切の束縛からの解放と定義し、自由な境地こそが涅槃であり解脱の境地である。」・・・これは、仏陀の教えと合致するでしょうか?しないでしょうか?ご自身でご判断ください。

[478] pipit 2021/03/06 21:22 A8/tgpOc4Sf

>>477
時さん、こんばんは♪

>多分ですが、仏教は、人間の本能的欲求を理性により制御可能なものとする事ができると思います。<

私も今のところそのように思っています。

> ですので、仏典を読んで記憶しただけの人の発言と、その内容に合致した体験をした人の発言ではその重みが変わってきますし、記憶しただけの人の発言には、何れ綻びが生じるのが見えたりしますね。<

時さんにはよくわかるのかもなぁと思いました。

>仏典内記載がない個人的な言葉での表現を書いてみます。「自由とは一切の束縛からの解放と定義し、自由な境地こそが涅槃であり解脱の境地である。」・・・これは、仏陀の教えと合致するでしょうか?しないでしょうか?ご自身でご判断ください。<

判断の難しさを思います。
涅槃を自ら知ってる方は、いろいろなことを理解されると思うのですが、知らない者が、判断するのは難しそうと思ってしまいます。
経典に照らし合わせて、ということになるのかな、とも思うのですが。

昔、ネットでお世話になった方がブログに、
色眼鏡の上から補正をかけて色眼鏡なしの光景を見ようとしても、色眼鏡を外さない限り、実際に見えているものは色眼鏡を通したものだ、みたいなことを書かれていた記憶があるのですが、

時さんも、色眼鏡をもうはずされてるから、いろんなことがよくわかるのかもしれませんね。
私は、色眼鏡かけて、補正かけて、シンプルから外れて、な感じなので、
、、、ため息ですね(-_-;)

[479] 2021/03/08 13:08 vj/ipic7T1J

680 激流と罠がある。堅固な杭がある。破砕し難き山嶺がある。杭と縄とを断って、破壊し難き巌を砕いて、激流を超え、彼岸に至った瞑想者、彼は、悪魔の結縛から解き放たれた者である。

681 心が高ぶり、動揺する比丘は、悪しき朋友たちを縁として、世俗の波に飲まれ、大激流のうちに沈む。

これらは、小部8経(テーラガーター)の一節ですが、ここに記載のある「彼岸」とはどういった意味があるのでしょうか。

貪欲の滅尽、瞋恚の滅尽、愚痴の滅尽。比丘たちよ、これが到彼岸と言われます。(相応部43-13)とあり、

諸欲が滅んでいるようなその場合「諸欲をそれぞれ滅ぼして住する彼ら。これらの尊者は、この支分に関して、飢渇なき寂滅した度脱した彼岸へ至った者たちである」と、私は説きます。(相応部43-14)とあります。

四禅定の初禅(尋伺を伴い欲と不善の法から遠離し、その遠離より生じた喜楽のある処。諸欲の滅尽)(長部2 増支部9-33)

つまりは、彼岸とは、四禅定の初禅に至れれば至彼岸だということで、この処は、心身ともに軽くなり、そこには今までなかった喜楽等が沸き起こります。

それまでは世間という激流に流され、抜け出す術を知らなかった者が、八支聖道(特に四念処の身至念)により一応はその激流を渡り切り、心身の楽な状態に至れるということですね。そしてこれは同時に、貪欲の滅尽、瞋恚の滅尽、愚痴の滅尽。比丘たちよ、これが到彼岸と言われます。(相応部43-13)ということで、涅槃の体得という事ができます。

涅槃の定義は、貪欲の滅尽、瞋恚の滅尽、愚痴の滅尽です。(相応部38-1)

ただし、四禅定の初禅以降(二禅、三禅、四禅)という処がある理由は、例えば、激流を渡り切った時(初禅)には、まだその激流に近い川辺(初禅)です。ですので、その川辺(初禅)から離れれば離れるほど再度苦の多い世間という激流に巻き込まれ難くなると言う事でしょう。これは単純に、瞑想の境地を初禅から二禅、三禅、四禅へとより深めていくということになりますね。

[480] 地下水 2021/03/08 18:53 0d/5L7mCOQL

数学がしたいなという欲がある。
そうして数学をしている時、欲が消える、欲を忘れる、実に楽しい。
美味しい物が食べたいなという欲がある。
そうして美味しい物を食べに行くと実に楽しい。欲を忘れる、欲が消える。
お風呂に入りたいなという欲が生じる。
そうしてお風呂に入ると、極楽。欲を忘れる、欲が消える。
ちょっと高いけどマウスウォッシュしたいなという欲が生まれる。そうすれば虫歯にならない。それで口をすすぐとスッとする。
それって欲かなあ。ケチなだけじゃないの。
貧すりゃ鈍するだよ。虫歯にならなくて良かったねえ。
欲というより、日常生活の口すすぎですよ。しない方がだらしないわ。

[481] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/03/08 21:13 A8/tgpOc4Sf

>>479
時さん、こんばんは〜

書き込んでくださった内容は、私にはハイレベル過ぎて、まだまだ遠いかんじです(^^;;

今は一日がバタバタな感じなのですが、そのうち落ち着いた生活できるといいなあ(言い訳〜)

いつもありがとうございます!

[482] pipit 2021/03/08 21:15 A8/tgpOc4Sf

>>481

あ、申し遅れました、pipitです m(_ _)m

[483] pipit 2021/03/08 21:24 A8/tgpOc4Sf

>>480
地下水さん、こんばんは〜

地下水さんは、数学が好きなんですね。
前にYouTubeのこと書き込みされてた覚えがあるのですが、
さっき息子たちが、YouTuberの『ヨビノリ』さんのこと話してました。
めっちゃわかりやすくて、ありがたいわーって言ってました。
数学とかを予備校のノリで教えてくれるのかな??

いろんな情報が得やすい時代になりましたね。

よく考えると(?)、インターネットはすごい技術革新ですね。

[484] 地下水 2021/03/08 22:56 0d/5L7mCOQL

仏教がしたいという欲がある、仏教をすると、楽しくて、欲が消える、欲をわすれる。
それは欲が満たされた、という事で、欲が消えたのではないかな。
仏教をしたいというのは欲かな。仏教をしないのは節操がないという事だけじゃないかな。
欲というより、日常生活の口すすぎですよ。
なんちゃって。(^^;

『ヨビノリ』さんは要点を概念の見方が変わって概念転換が起きるほど明解に示される。
えへへ。(^^/

僕は自分の中から生まれてくる数学や数式や概念転換が楽しくて生きがいです。(^^/

もっぱら概念から生まれるアルゴリズムを式にまで高めて概念転換が起きるのを喜びとしていますので、半導体を作る以前の古い電気やで、インターネットは全然知りません。(^^;

[485] pipit 2021/03/08 23:36 A8/tgpOc4Sf

>>484
地下水さん、こんばんは〜

>仏教がしたいという欲がある、仏教をすると、楽しくて、欲が消える、欲をわすれる。
それは欲が満たされた、という事で、欲が消えたのではないかな。
仏教をしたいというのは欲かな。仏教をしないのは節操がないという事だけじゃないかな。
欲というより、日常生活の口すすぎですよ。
なんちゃって。(^^;<

満たされている時に欲はない、ってかんじですね。満ち足りている。
数学にもいろんな深さがあるように、仏教の離欲もいろんな段階があると私は今のところ思ってるんです。
前に、コンピュータに煩悩を生じさせる方法を考えるのも逆説的におもしろいかも?みたいなこと書きましたけど、私、仏教は人間にその段階まで要素をバラさせてみせるんじゃないか、って、勝手に思ってるんです。(全然違うかもだから、自分で確かめていくつもりです)
要素バラして、欲が生じないレベル。
まあ、人間超えてるかもやけどですね(^^;;

>僕は自分の中から生まれてくる数学や数式や概念転換が楽しくて生きがいです。(^^/<

うん。自分から生まれてくるそういうものは楽しそうです。

>概念転換<

コペルニクス的転回、とか、パラダイムシフト、とかかな?
世界がその瞬間はわーーーっと明るくなりそうですね(o^^o)

概念、は、ものごとの把握かなー。
知性の動き方。。。

ちょうど今、カント哲学読解で、苦しんでます(^◇^;)

[486] 地下水 2021/03/09 00:04 0d/5L7mCOQL

>>485 その御経は偉いですね。自分の心を良く調べて、パソコンに書けるほどに、一つ一つの要素と因果関係を明らかにして、御経にまとめた御坊さんは、偉いですね。

 心理学や大脳生理学や画像診断装置が生体の脳の動きとその時に人が考えている事との関係を明確にした今日の科学と観測装置以前に、自分の心で自分の心を調べた御経は偉いですね。

 思えば自分の心を調べるセンサー装置で、精度の高いのは人間の心そのものかも知れないけれど、心を落ち着けて感じ続けて御経にまとめ続ける事が御坊さんの楽しみになっていたのでしょう。

 でも遺伝子データーベースが明日の遺伝子創薬を待つほどに世界中の人の遺伝子は異なり特徴がありますし、脳は更に人それぞれで、記憶や経験や思い出は人それぞれで、異なりますから、人の心をまとめるのは、かなり詳細にしないと、アバウトな事しか解らないかもしれませんね。

 カントですか。順序回路の振動とか見ていると、別に不思議は無いのですけどもね。

[487] pipit 2021/03/09 16:39 A8/tgpOc4Sf

>>486
地下水さん、こんにちは〜

あのね、カントのおもしろそうなとこ、おはなししてみますね。(勘違いしてたらすみません!)

私たちは今、そのままを見てるのかどうかわからないけど、【自分に備わってる能力】で、今見てる世界を見てますよね。

数学は、その【自分に備わってる能力】を道具として、概念を構成していき、新しい知識を拡張していく、、、っぽいこと、カントは言ってるかもなんです。(めっちゃpipit流の表現で、間違えてたらすみません)

地下水さんのコメント読んで、カント哲学のこと思い出してました。

私たちが世界を見る(得る)ための道具で、同じ性能から、数学も作る。
だから、自然に数学はフィットする。

【このわたし】から数学が出てくる。

地下水さんからみればカントはアホらしいかもしれませんが、250年前にこういうことを、考えてたの、おもしろいですよね。

まあ、自らがいろいろ作ってるんだ、というのは、傲慢と言えば傲慢で、人間の能力持ち上げ過ぎ、かもしれませんね。

それでも、私にはカントおもしろいです(^ ^)

きっと、いろんなことは人それぞれで、わたしは、そのそれぞれが、ある条件下なら守られる自由な世界ならいいなー、と、思っています。

[488] 地下水 2021/03/09 20:04 0d/5L7mCOQL

>>487 カント以前から、自然や自然の一部であるカント自身の人間は居るわけですね。
それで人間が自然を良く認識し続けようとするとどうしても言葉が必要で、言葉には論理があるわけです。自然を科学するには論理学がどうしても必要になる。
それでパースが論理学とは何かをまとめた。全ての論理は論理和の否定だけで書ける。論理和の否定だけの順序回路で書ける事を証明したのです。
物事の関係は矢印のネットワークで書けます。そのネットワーク上を1か0の値が運ばれて、に入力のノードで論理和の否定をとって出力して、次の矢印に渡して運ぶ。
これがネットワーク上であちこちで一斉に動く。これが論理で、論理で計算できて、計算でCG等で、生体高分子もシミュレーション出来て、もっと計算機が速くなると、人体そのものも表せるし、世界中の人の遺伝子から遺伝子創薬もできるし、もっともっと速くなると、世界中の交通事故も防げるし、地球の生態系も表せるし、天気予報も完璧になる。
大変難しいけれども地震予報も研究される。
そして今地球の41%もが乾燥地になって来て、世界にあった5メートル以上の樹が、46.4%も減って、今の地球の生態系は半殺し状態なのです。
だから砂漠を森に戻し、地球の生態系を大きく再生する事が、論理に課せられた任務なのです。
勿論、巨大隕石落下を防ぐ事も必要ですが、まず足元からです。古代人のアホな活動が樹を切り過ぎて鉄器で戦争を続けて、寒さを防ぐ為に動物の毛皮を狩り過ぎたのです。
現代人も言えた義理ではなく、化石燃料が枯渇すれば、核融合を実現しないと、古代に逆戻りです。

日本は東海岸で雨が降り、天(あめ)に近い恵まれた地で八百万の神が居ますが、砂漠の何もない所では貧弱で自分と対話する神が一人しかいないのです。砂漠で自問自答している様な精神構造だとテロリストも生じます。
恵まれた地だと、あれやこれやとどうでもやりようがありますし、色々と恵みもありますね。

[489] pipit 2021/03/09 20:34 A8/tgpOc4Sf

>>488
こんばんは〜
地下水さんは、論理を有意義な対象に使うことが必要なんだとおっしゃってるのかなーと思いました。

ところで、知りたいなとおもったのですが、

>それでパースが論理学とは何かをまとめた。全ての論理は論理和の否定だけで書ける。論理和の否定だけの順序回路で書ける事を証明したのです。<

↑この時、原因と結果に必然的関係があるとする因果の法則、が、土台として設定されていると考えてもいいのでしょうか?

論理は、やはり、確実な因果法則の上?中?で、働くものでしょうか?

[490] pipit 2021/03/09 20:45 A8/tgpOc4Sf

論理と因果の関係?を知りたいです。

[491] 地下水 2021/03/09 21:13 0d/kPPmtu7E

>>489 
パースが論理の根本を明確にしました。それは論理和の否定でした。
論理和の否定をノードにして、二入力の矢印と出力の矢印で、回路を作って行くわけですね。
矢印の上には1か0が運ばれて、ノードで論理和の否定演算がなされて結果の1か0がまた出ていく。
これが回路上のあちこちで一斉に起きるわけです。
一つ一つは確かな因果関係ですが、一斉に起きると、どこが始まりでどこが終わりとは言えない。この次はこの次と言えるだけです。
そのネットワークが論理であり、論理のある所に現象が起き、物質が生まれ、生体も生まれます。
順序回路が全てなのです。
それで科学が計算される。
そこからお応用科学が生まれる。
そして応用から産業がうまれる。
産業が社会を支える。
社会もまたGAFAのイイネなどの作り出す順序回路で動いて行く。
社会が、むさぼる古代社会から進化して、
養殖し生み出す社会になり、
更に砂漠を森に再生し、地球の生態系を再生する。

パースの公準は論理基底です。
論理は次から次へと確かな因果で動きます。
しかし論理はループを持つ順序回路になります。
すると何処が始まりとは言えません。
一斉にあちこちの回路で演算が運ばれて行きます。
言える事は次から次へと進むという事ですが、どこが始まりとは言えません。
オブジェクトは回路上を複数動くこともあります。
演算の振動が終わらない場合は、不完全性定理の様に、真偽が入れ替わり立ち替わり、言える事は、ある時点である場所では1か0かが決定されており、それが次の場所の演算へと送られている、という事だけです。

これがネイティブな現実の世界なのです。

[492] pipit 2021/03/09 21:51 A8/tgpOc4Sf

>>491
地下水さん、コメントありがとうございます😊
複雑系という言葉を思い出しました。

ちよっとお聞きしときたいと思ったのですが、
地下水さんは、オートポイエーシスという概念はご存知でしょうか?

私自身は全然詳しくないのですが、『カントとオートポイエーシス』という本をいつか理解したいと思ってるので、地下水さんがご存知だったらいいなーと思いまして。

[493] 地下水 2021/03/09 21:53 0d/kPPmtu7E

>>491 そしてノードや矢印の取り付けや取り外しが、常に動的に起きているのですが、それを行う影の回路もあるのです。

それを全部書けば、やはり順序回路なのです。

[494] 地下水 2021/03/09 22:13 0d/kPPmtu7E

>>492 生物物理学を読むと、物質から生命が生まれて進化する所まで、物理的に説明されています。

 死物も生物に進化するわけですが、そこには太陽のエネルギーが低いエントロピーを供給しているので、当然の自己組織化であるのです。

 オートポイエーシスという考え方は、この大物質から小物質が消えてエネルギーが生まれ照射され、更に照射された極小物質が自己組織化のエネルギーを得ているという事実を忘れているので、ダメですね。

 進化にはアインシュタインのエネルギーが照射され続けているのです。例えば植物は日光の光子が電子を励起して原子を結合し成長します。動物はそれを食べて成長します。
 生命は光のエネルギーを集めて成長して動いて進化しているのです。

[495] pipit 2021/03/09 22:25 A8/tgpOc4Sf

>>494
地下水さんがそう思われてること了解しました😊👌

ところで、
『【オートポイエーシスとは】定義・意味・理論をわかりやすく解説』
というページを読んでたのですが、
https://liberal-arts-guide.com/autopoiesis/

>もちろん、生命体の反応に再現性があり、刺激に対する因果関係があるように見えることもあります。しかし、これは機械が人間によって制作されたルールに従うように、外部から与えられたルールに従っているわけではなく、生命体がその固有の歴史に依存しながら、再帰的・自己創出的に作動していることを示していると考えられます。<

これって、順序回路と言えるものですか?
順序回路とは全然違うものですか?
(自己創出か否かの部分は置いておくとして)

[496] 地下水 2021/03/09 23:09 0d/kPPmtu7E

>>495 順序回路は論理の全てですので、宇宙全てを論じる事もできますし、太陽の光が地表の物質の化学合成を進めて、その中で自分自身をコピーする物や、互いにコピーしあう系が生まれて、自己組織化が起きた事も論じられます。
 生命は遺伝子に生命史で役立った酵素群の設計図を蓄える様になりましたが、驚くべき事に食べる米と人間の遺伝子は半分もが同じで、鶏とは更に一致し、猿の一部とは98%以上一致します。
 日光を集めて電子を励起し原子を結合して成長した植物の遺伝子も人間に受け継がれていて、光を向くヒマワリの葉緑素の遺伝子が四倍体になって、光を集めて認識する人間の目の遺伝子ができました。
 植物の葉緑素の真ん中のマグネシウムが鉄に置き換わって、人間の血ができました。
 
 また目などの感覚を持った動物プランクトンは、天敵から逃げ餌を追う様に運動系が発達しましたが、この行為は人間に受け継がれています。人間が、苦から逃れ欲を追う知恵を伸ばすのは、天敵から逃れ餌を追う、生命活動の一環で、生命の遺伝子に刻まれているのです。知的に昇華されている様に見えますが、そうではなく根本的で本質的な事なのです。

 世の中の趣向を集めているGAFAのヨクナイネとイイネも、一つの順序回路ですが、社会の苦と欲を刻んでいます。そこから製品が進化し、社会の在り方も進化します。

 日本語も一つの順序回路ですがGAFAのアンケートと同じく外から入力のある順序回路で、外来語が入り、進化が起きます。
 世界全体の言葉の順序回路を作ればより入出力が明確になるでしょう。

 しかし社会も言語も遺伝に依存し生命に依存しますので、天敵と餌、苦と欲の、基本的な生命活動が遺伝します。
 遺伝子や脳の心の因果関係は生命史に依存しています。
 順序回路にその情報をのせて論じる事はできます。
 僕はもっとネイティブに、光コンピューターで、最初の物質から生命へと、光の速さで一瞬の内に人間へと進化するシミュレーションを達成したいと思います。
 ひたすら過去を良く分析する事ですね。遺伝子や脳や文化や文明という過去を持った人間の性です。

[497] pipit 2021/03/09 23:37 A8/tgpOc4Sf

地下水さん、いろいろ書き込みいただきありがとうございます。

> 僕はもっとネイティブに、光コンピューターで、最初の物質から生命へと、光の速さで一瞬の内に人間へと進化するシミュレーションを達成したいと思います。<

お、また変わるかもだけど、この前、息子が、
コンピュータで、いろんな生命の進化をシュミレートしてみたい、って言ってました。
そういえば、その子は、小学校のとき太古の生命も好きみたいなかんじやったなー

おつかれさまです🍵
勉強になりました、ありがとうございます😊

おやすみなさ〜い ☆彡

[498] 地下水 2021/03/10 00:24 0d/kPPmtu7E

>>497 オートポイエーシスの考え方は間違いです。あなたは御飯を食べ、トイレへ行き御尻を洗います。つまり自立系でもないし自律系でもありません。
 また目や耳や五感で情報を集め、判断しています。外部の情報に依存して、欲しい情報を集めて、要らない情報を捨てているのです。自立系でも自律系でもないのです。

 生かし生かされている事を忘れずに。欲に向かって餌を食べ、苦や敵から逃れているのです。

[499] pipit 2021/03/10 07:21 A8/tgpOc4Sf

>>498
地下水さん、おはようございます😊

>>498
詳しくはありませんが、
https://liberal-arts-guide.com/autopoiesis/

を読むに、オートポイエーシスの概念の生まれは、

上記サイトより引用
『1-2-1: 生物学における起源

そもそも、オートポイエーシス理論とは、
1970年代から1980年代に生物学者ウンベルト・マトゥラーナとその弟子のフランシスコ・ヴァレラによって提唱されたのが始まり
とされています。
ここでは、マトゥラーナがオートポイエーシス理論を構想したきっかけをご紹介します。
マトゥラーナはもともと生物の視覚の研究者でした。1964年にハトの色覚の神経活動を研究している時、ハトの目にいろいろな波長の光を当てて脳の視神経の興奮パターンを調べていると、いくらデータをとっても因果関係が明らかにならないことに気がつきます。
つまり、
同じ波長の光を当てても、異なる反応が現れた
もしハトが機械のように他律的な開放系システムであれば、作動の仕方が決められているため、入力(光)と出力(神経の興奮パターン)に関するはっきりとした因果関係があるはず
この瞬間、マトゥラーナはハトの反応が過去の記憶に基づきながら内部的に決まってくることに気づいた
のです。
つまり、ハトの神経系システムがただ過去の反応を再現するだけの機械的なものではなく、時々刻々と世界を認知し、自分の記憶を更新し続けていく自律的かつ閉鎖的な存在であることに気づいたのです。
これがオートポイエーシス理論を構想するきっかけとなりました。こうして、自律的な閉鎖系システムとしての神経系システムがあるからこそ、生物は生命システムとして存続することができることを示されていきます。』

とあります。
生命がご飯を食べて、排出して、ということを否定するのでは全くなく、
ご飯を食べた時に、自分のシステムが【どう機能するか】、は、システム的に閉鎖している、という意味ではないでしょうか。

まあ、システムが閉鎖している、と、考えるのが、仏教で言う【我】執であり、システムは閉じていない、と、考えるのが、【無我】かもしれませんね。

[500] pipit 2021/03/10 07:26 A8/tgpOc4Sf

上記引用サイトでのオートポイエーシスの定義は、
『定義・・・生命体がいかに世界を認知観察しているかという生命の本質を考察するための理論』
とあり、いかに世界を【認知観察】しているか、についての理論とありますね。
オートポイエーシス論はまだ作られつつある理論のようで、いろんな定義は各個人で揺れていそうですけどね。

定義あたりの記述を引用させていただきます。
『引用

1-1: オートポイエーシスの定義・意味

オートポイエーシスの定義を振り返ることから始めます。
定義・・・生命体がいかに世界を認知観察しているかという生命の本質を考察するための理論
名称の由来・・・ギリシャ語の「自己・制作」が語源で、自分で自分を再帰的・循環的に創り出す(自己創出)という観点から見た生命体
重要なのは、ここでいう生命体が「自律的な閉鎖系システム」であるとしている点です。この「自律的」や「閉鎖系」とは何を意味するのでしょうか?
1-1-1: 自律的

「自律的」の意味を理解するよりも、その反対の意味である「他律的」を経由するほうがわかりやすいため「他律的」から説明します。
まず、他律的とは、
設計図の通りに作動するということであり、機械やプログラムなどがこれに当たる
外界からの刺激(入力)に対して、決められたルール(設計図)に則って、作動(出力)する存在であり、ここにははっきりとした因果関係がある
ことを意味します。一方で、自律的とは、
作動の仕方(設計図)がなく自生するということであり、勝手に自分で自分を創りあげる自己言及的なもの
生命体がまさにこれに当たる。生命体は本質的に他律的ではなく自律的な存在であり、機械などとは作動原理が異なること
を指します。
もちろん、生命体の反応に再現性があり、刺激に対する因果関係があるように見えることもあります。
しかし、これは機械が人間によって制作されたルールに従うように、外部から与えられたルールに従っているわけではなく、生命体がその固有の歴史に依存しながら、再帰的・自己創出的に作動していることを示していると考えられます。
ここから、生命体の反応はある程度は予測することは可能であるが、そのダイナミクスを完全に把握し操作することはできないと言えるのです。』

[501] pipit 2021/03/10 07:29 A8/tgpOc4Sf

まあ、仏教トピとしては、

自律神経ではなく、他律神経なのですよ〜

の方がいいのかな?

あ!

自他分別ではなく、縁起!!

縁起神経なのですよ〜 がいいかな!と思いました😊🌈✨

[502] pipit 2021/03/10 07:32 A8/tgpOc4Sf

縁起、が、順序回路、で、いいんじゃない?

と、今思いました〜 『〜に依りて、〜〜が生じる。』

[503] pipit 2021/03/10 07:49 A8/tgpOc4Sf

唯識論のことは全然知らないんだけど、もしかしたら、自律も他律も縁起も全て包括されている、とても深い論なのかもなー、と、知らないままに勝手に思いました。

もう手が出せません(^◇^;)

初期仏教とカント哲学でアップアップ

まずはこの二つをいっぱい知りたい欲がありますp(^_^)q♪♪♪

[504] 地下水 2021/03/10 18:46 0d/kPPmtu7E

>>502 順序回路の上にプログラムがのります。特に人工知能言語、一階論理述語のプロ・ログが良く知られています。これはフレーゲの高階論理の一階の部分です。ツェルメロが論理木で具体的にしました。情報は木の枝の形に階層的にまとめることができます。プロログには論理木の枝を外部入力によって、減らしたり増やしたりして、外部の情報を取り込んだり外部の情報に合わせたりして、自分の内部の情報を進化させて行く機能が、リトラクトとアサートで実現しています。一般に知識ベースとかゲームの理論とか人工知能の自動証明の部分に使われます。
そしてもう一方の自動学習も用意します。行列の線形結合の重み付けを、ガウスの最小二乗法の時間微分で学習する誤差逆伝搬回路に、より精度を上げる留数計算の様な機能を付けると掛ける行列の数を何百個にも増やせる、人間の脳よりも桁違いに多くの層を持ったディープラーニングができます。今はこれに更にカプセル化もヒントンによって考えられています。
これらにセル・オートマトンの様に、自動的な変化を連続的に起こす機能を付けると、情報生命体になります。
そこには遺伝的アルゴリズム等を変化の規則に加えます。
すると進化する自律的な知能や情報生命体の様なものができます。
千回路以上の最小化順序回路の自動設計や、新幹線の先端形状を鳥の口ばしの様に自動設計する時に用いられました。

[505] pipit 2021/03/10 20:49 A8/tgpOc4Sf

地下水さん、こんばんは〜 🍵

> 遺伝的アルゴリズム<

あ! さっき、息子が興味ある、って言ってました。偶然ですね(o^^o)
私はなーーーんにも中身とかわかりませんけど(^◇^;)

まあ、実は、母親としては、そう言う人工知能などの方面はいろいろな面で大変なんやないかなーとちょっと心配ではあるんですけどね💦

でもみんなそれぞれ好きな道を選んでいくのかなとも思ってます

個性って不思議ですね 🍀

[506] 地下水 2021/03/11 13:39 0d/O2TpbVkB

>>505
 日🌞の光を樹🌳の葉が受けとめて集めて、その実🍊を食べて、幽かな光の力で、人👪が動いている、生かされていることを常に覚えておく必要があると思います。

[507] pipit 2021/03/11 16:42 A8/tgpOc4Sf

地下水さん、こんにちは〜

そうですね 🌳 🍊 🍎 そして、いろんな生命を日々、食べていることも  🐷  🐮  🐟  🐓

おいしいなぁと、わたしは楽しみながら食べてます。。。 😶

[508] pipit 2021/03/11 16:46 A8/tgpOc4Sf

>>507
amazarashi さん
季節は次々死んでいく

https://youtu.be/wtJcLWeY114

ドライブさんは、見ない方がいいと思います。。。肉食の光景でちょっと刺激が強いかもだから(^^;;

[509] 過疎道ドライブ 2021/03/11 17:07 vj/n3LFbJcN

>>508

お呼びになられたので少しだけ・・

~見ませんよ~刺激の強いのは無理かも~

[510] pipit 2021/03/11 17:16 A8/tgpOc4Sf

>>509

ドライブさん、よかった (^◇^;) こんにちは(o^^o)♪

神様、例えば、日の光だげで生きられるような作りにしてくれたらよかったですよね 🌞 🌿

[511] pipit 2021/03/11 17:18 A8/tgpOc4Sf

ドライブさんの身体はきれいそうだなー

私はジャンクフードとか好きだから、きっとドロドロだな (-_-;)

[512] 過疎道ドライブ 2021/03/11 17:33 vj/n3LFbJcN

>>511

今一番好きなのは粉ミルクで何もつけない食パン・黄粉ごはん・坊ちゃん団子です。

脳の検査で脳が綺麗すぎると言われました・・

強制的な野菜食で血液サラサラですが毎日のおやつで少し太って来ました・・

スパゲティとクレープは20年以上食べていません・・ラーメンもうどんも食べません・・スイーツ一筋です。(´-`*)

[513] pipit 2021/03/11 17:46 A8/tgpOc4Sf

>>512 いいなぁ 🍞 🥗 ✨

今から、ルーに油いっぱい入ってそうな、ハヤシライス作ってきます〜 牛さん、ごめん。。。

ドライブさん、おつかれさま ! 🍵 🍡 🌸

[514] 過疎道ドライブ 2021/03/11 17:50 vj/n3LFbJcN

pipitさん

余計なお世話をさせてもらうと・・

遺伝子に糖尿病・動脈硬化血栓のある人はジャンクフードは用心された方が良いですよ・・

[515] pipit 2021/03/11 18:19 A8/tgpOc4Sf

>>514
は〜い、ありがとうございます!

☺️ 🍅

[516] pipit 2021/03/11 18:24 A8/tgpOc4Sf

ドライブさんのことば、きっと活きていく予感します !

だんなさんも(の方が?)そういうものすきで、ついつい、喜ぶ顔みたくて、出してあげたくなるけど、
出す方が鬼嫁かも、、、ですもんね 

バランスみながら、時々楽しみ、日々はなるべく節制が理想かなぁ💦

きっと、いろんな例みてるから、アドバイスくださったのですね、ありがとうございます🙇‍♀️

[517] 過疎道ドライブ 2021/03/14 19:33 vj/n3LFbJcN

>>516

私が30代の頃先輩が子供が巣立ち職場に旦那さんが迎えに来られて夫婦二人だけで車に乗って帰っている時寂しくてたまらなくなると
おっしゃっていました・・

60歳位の子供たちが巣立った主婦は何も面白くなくなったと最近おっしゃっています・・

私は忙しくてお正月は帳簿ばかりから逃れて暇が一番うれしくてたまりません・・

私が一番好きなパスタを食べないのは願掛けです。

きっとみんな一番好きすぎるものばかりに囲まれてそれが少なくなってきたのです・・

知り合いはほとんどあの世に逝かれました・・逝去された先輩の言葉が身に沁みます・・

[518] pipit 2021/03/14 23:32 A8/tgpOc4Sf

>>517
ドライブさん、こんばんは
好き、と、苦しみは表裏一体、なのかもしれませんね 😔 🌀

尼僧さまの偈を思いました。

『あらゆる悲しみは、すべて絶たれ、捨てられ、ここで終わったのです。もろもろの悲しみの起こるもとである根底を、わたしは、知りつくして、捨て去ったからです。』

岩波文庫『尼僧の告白 テーリーガーター』中村元先生訳、p34.35

涅槃入りされた先輩。。。ヴァーシッティー尼先輩。。。

めちゃめちゃめちゃめちゃめちゃめちゃめちゃ遠いです〜〜〜🌌✨

[519] 過疎道ドライブ 2021/03/20 19:04 IQ/n3LFbJcN

>>518

今日はお彼岸でお墓参りをする方もいらっしゃるでしょう・・

私は京都の門跡尼寺で遙か昔お煎茶を習っていたのですが美味しい茶菓子と一番美味しいお茶で優しい方々に囲まれとても楽しかったことを
思い出します・・

下っ端の見習い初心者が一番楽しいです・・

尼さんたちはお稽古事様々な海外からのお客様とかでフランス語まで習われていました・・忙しい忙しいが口癖であられました。

庶民は行儀作法に関しては楽だなと思います・・

[520] 過疎道ドライブ 2021/03/20 20:40 IQ/n3LFbJcN

母親は寺育ちですが仏教について素人以下です・・

お寺に嫁いだ母親のお姉さんは老人施設です・・

お寺に関しては腐っても鯛・腐っても京都・・

[521] おまんこ様 2021/03/20 20:41 ザ-000,025,441号

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●不合格●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
これを見た人は確実に【不合格】です。これをコピペでどこかに10000回貼れば回避できます。
これは本当です。やらないと100年無駄になります.

私も最初は嘘だと思ったんですが、一応コピペしました。それでセンター私大に合格出来ました。
けどコピペしなかった友達がA判定とっていたのに、おちたんです。(慶応合格h.sさん)

俺はもうE判定で記念受験だったんだけど、コピペを10回くらいした途端に過去問が
スラスラ解けるようになって、なんと念願の早稲田に受かりました。(早稲田3学部合格r.kくん)

これを今年のセンター前に見てシカトしたら、センターミスって最悪です。(n.aさん)

コピペをしてから痔が治りました。(蝶万金)

[522] pipit 2021/03/20 20:55 Nb/tgpOc4Sf

ドライブさん、こんばんは〜
春分の日ですね、近所の桜も咲き始めました🌸

>私は京都の門跡尼寺で遙か昔お煎茶を習っていたのですが美味しい茶菓子と一番美味しいお茶で優しい方々に囲まれとても楽しかったことを
思い出します・・<

いいなぁ🍵🍡
京都には素敵なところがいっぱいありそうですね
また気軽に遊びに行けるようになるといいなぁ

コロナの自粛疲れでみんなソワソワしだしてる感じしますね(⌒-⌒; )
ちょうど春でいい季節になっていくしな〜 🌸🌷🍀🍡

第4波、来なかっためちゃめちゃありがたいなぁ 

[523] pipit 2021/03/20 20:57 Nb/tgpOc4Sf

あー、号さん、こんばんは!

あれ?数字って、増えてます ?

🤗 🍵 🍀 🍡

[524] 過疎道ドライブ 2021/03/21 11:04 IQ/n3LFbJcN

>>522

🍵🍡

(o´艸`o)*:.。.:*美味デゴザィマスゥー*:.。.:*

コロナ予防にストーブに柑橘類を鍋で煮て蒸気を出していましたがストーブも焚けなくなって来る暑さになりこれからはお茶でコロナ予防・・大丈夫か私((o(,,・´ェ`・,,)o))ダイジョブ??

コロナ予防🍵🍡召し上がれなのです・・

pipitさんは大丈夫(´▽`*)

[525] pipit 2021/03/21 14:54 Nb/tgpOc4Sf

ドライブさんこんにちは😊🌸

前に、紅茶も良い、って教えてもらいましたね
その時購入した紅茶も切れて、最近は緑茶飲んでました。

紅茶と緑茶と飲むようにしよーっと 🍵 、、、と🍡は相性抜群だー

コロナ禍から逃げ切りたいですね、でも、いろんな要素が絡んで難しいですね(><)

大変だなー(多分、いつの時代も・・・)🌏

[526] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/03/24 21:02 Nb/tgpOc4Sf

>>355
> 途中休憩&感想 
この経典を読み終えたら、内容に関連した興味で、「インドリヤ・バーワナー(根修習) 経」を読みたいかも、と、思っています。<

うう😭この経典、の、『マールキャプッタ経(SN35-95)』も、まだ、読み終えてません。。。

えーと、、、とりあえず、アドレスのメモをコピペします。
(パーリ語)
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072
========
(Thanissaro Bhikkhuさまの英訳)
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html
========
(Maurice O'Connell Walsheさまの英訳)
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html
========
(莊春江さまの中国語訳)
https://suttacentral.net/sn35.95/zh/zhuang
========
(光明寺住職さまによるサイト【光明寺経蔵】に日本語訳があります。著作権侵害になるといけないので、アドレス情報を貼るにとどめます。(^人^))
https://komyojikyozo.web.fc2.com/
相応部>六処篇>六処相応>六品・の2番目「マールキャプッタ経(SN35-95)」
Māluṅkyaputtasuttaṃ

[527] pipit 2021/03/24 21:06 Nb/tgpOc4Sf

>>526
こんばんは、pipitです。。。

あと、比較的簡単な語で訳されてるように感じたのが、
Bhikkhu Sujato さまの英訳
https://suttacentral.net/sn35.95/en/sujato

この英訳で見てみましょうか。。。📖 📲

[528] pipit 2021/03/24 21:07 Nb/tgpOc4Sf

>>527

なんでやね〜〜ん

エラーやね〜〜ん (;_;)

[529] pipit 2021/03/24 21:10 Nb/tgpOc4Sf

>>527
>>528

あ、すみません、
もう一度、試したら、エラーでなくきちんとリンク先のページが表示されましたm(_ _)m

[530] pipit 2021/03/24 21:15 Nb/tgpOc4Sf

>>527
お釈迦さまのことば部分の英訳

“In that case, when it comes to things that are to be seen, heard, thought, and known: in the seen will be merely the seen; in the heard will be merely the heard; in the thought will be merely the thought; in the known will be merely the known. When this is the case, you won’t be ‘by that’. When you’re not ‘by that’, you won’t be ‘in that’. When you’re not ‘in that’, you won’t be in this world or the world beyond or in between the two. Just this is the end of suffering.”

[531] pipit 2021/03/24 21:23 Nb/tgpOc4Sf

>>530のお釈迦さまのことばをこう理解しました、と、
例えば、何かを見る時に、マインドフルネスがあるときと、ないときの対比として表現するマールキャプッタさまのことばの抜粋

(マインドフルネスでないとき)
‘When you see a sight, mindfulness is lost
as attention latches on a pleasant feature.
Experiencing it with a mind full of desire,
you keep clinging to it.
Many feelings grow
arising from sights.
The mind is damaged
by covetousness and cruelty.
Heaping up suffering like this,
you’re said to be far from extinguishment.
※※※※※※※※

(マインドフルネスであるとき)
When you see a sight with mindfulness,
there’s no desire for sights.
Experiencing it with a mind free of desire,
you don’t keep clinging to it.
Even as you see a sight
and get familiar with how it feels,
you wear away, you don’t heap up:
that’s how to live mindfully.
Eroding suffering like this,
you’re said to be in the presence of extinguishment.

[532] pipit 2021/03/24 21:33 Nb/tgpOc4Sf

>>531
That’s how I understand the detailed meaning of the Buddha’s brief statement.”

とマールキャプッタさまが、エッヘンとばかりに(?)お釈迦様に理解を表現した詩偈を披露すると、

お釈迦さまも、

“Good, good, Māluṅkyaputta! It’s good that you understand the detailed meaning of what I’ve said in brief like this.

と褒めてくださり(マールキャプッタさま、嬉しいでしょうね〜)

(The Buddha repeats the verses in full.)

なんとお釈迦さま、マールキャプッタさまの詩偈をそのまま繰り返して唱えられます♪

それで、、、

[533] pipit 2021/03/24 21:42 Nb/tgpOc4Sf

>>532
マールキャプッタさまは喜んでお釈迦さまに礼をして、別の場所でお釈迦さまのことばを実践にうつし、見事、悟られたみたいです♪

And then Venerable Māluṅkyaputta approved and agreed with what the Buddha said.
He got up from his seat, bowed, and respectfully circled the Buddha, keeping him on his right, before leaving.
Then Māluṅkyaputta, living alone, withdrawn, diligent, keen, and resolute, soon realized the supreme end of the spiritual path in this very life.
He lived having achieved with his own insight the goal for which gentlemen rightly go forth from the lay life to homelessness.

マールキャプッタさまのセリフがかっこい〜↓

He understood:
“Rebirth is ended;
the spiritual journey has been completed;
what had to be done has been done;
there is no return to any state of existence.”

And Venerable Māluṅkyaputta became one of the perfected.

[534] pipit 2021/03/24 21:47 Nb/tgpOc4Sf

経典の訳はそれぞれの方で大分個性が出るかもです。
訳される方の理解や経験にも左右されそうですしね。

マインドフルネスという(流行りの?)訳語も賛否両論あるかもしれません。

[535] pipit 2021/03/24 21:49 Nb/tgpOc4Sf

というわけで、次は、
『インドリヤ・バーワナー(根修習) 経』

読めるかな ?

根性なくて、読めなかったらすみません !

[536] 過疎道ドライブ 2021/03/25 18:46 IQ/n3LFbJcN

pipitさん

カリフォルニア大学サンディエゴ校マインドフルネス・センター
マインドフルネス・ストレス低減法コース講師認定プログラム

があるほど・・アメリカで嵌っている人もいるようです・・

熱狂者に導かれて道を外れないしっかりした人がいると良いですね・・

[537] pipit 2021/03/25 19:10 Nb/tgpOc4Sf

>>536
ドライブさん、こんばんは♪

わたし(も)、過疎道ドライブ中なので、日本のことも外国のこともよくわかりません。。。

流行ってる気がしますが、流れは次々変わっていくのでしょうね 🏞

田舎でもくもくと過疎道ドライブです 😅🌳

お互いその風景を楽しめるといいですね 🤗🌷🌸、、、🍡🍀🌈

[538] 過疎道ドライブ 2021/03/25 20:08 IQ/n3LFbJcN

>>537

アメリカの話はテレビニュースの聞きかじりです(≧◇≦)

九州は昔絶景の眺めだったろうポイント地点が木が大きく雑草だらけで景色が見通せなかったり

廃墟の観光ホテルや空き家が多く観光地が寂れかけています・・

商店街はもはやゴーストタウン・・

身体に例えたら末端神経の血液が流れていないような感じです・・

その分山道は空気が美味しいです・・

歴史は繰り返すので・・祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。・・みたいな🔔

♪昔の光今いづこ♪

[539] 過疎道ドライブ 2021/03/25 20:59 IQ/n3LFbJcN

こんばんは(挨拶)を忘れていました(>_<)

🚙で動いている時って楽しいです・・

じっと座るのは修行でしょう・・

[540] pipit 2021/03/25 22:07 Nb/tgpOc4Sf

>>539

> こんばんは(挨拶)を忘れていました(>_<)<

どうぞお気遣いなく〜 😊🍵🍀

おつかれさまです !

[541] 過疎道ドライブ 2021/04/06 17:31 x7/n3LFbJcN

pipitさん  こんにちは!

お釈迦様は中庸を説かれましたが

正反対の人に正反対の教えを説く対機説法なら筋が通ったのでしょうか?

仏典には輪廻転生があると書かれていたりお釈迦様が無言だったりと・・

色々な場面があると思います・・

[542] pipit 2021/04/06 18:40 fr/tgpOc4Sf

過疎道ドライブさん、こんにちは!
>>541

無記の教説についてなんですけど、wikiの『無記』には、

>釈迦が舎衛城の祇園精舎に滞在している際に、マールキヤプッタ尊者の中に、
世界は永遠であるのか
世界は永遠でないのか
世界は有限であるのか
世界は無限であるのか
生命と身体は同一か
生命と身体は別個か
修行完成者(如来)は死後存在するのか
修行完成者(如来)は死後存在しないのか
修行完成者(如来)は死後存在しながらしかも存在しないのか
修行完成者(如来)は死後存在するのでもなく存在しないのでもないのか
といった10の疑問が生じた<

とあるんですね。

よくわかりませんが、本来は如来の意味に限定して説かれていた箇所を、全ての生き物に当てはまるかのように、伝言ゲームみたいに?ちょっと違って伝わっていった可能性もあるかもです。

修行完成者(如来)と訳されているのは、たしか『タターガタ』という単語だったと思うのですが、その単語の解釈がだんだん多様になったのかなあ?

大昔のことだからなんでも難しいですね(^^;

[543] pipit 2021/04/06 18:48 fr/tgpOc4Sf

森章司先生
『死後・輪廻はあるかーー「無記」「十二縁起」「無我」の再考ーー』
http://www.sakya-muni.jp/pdf/bunsho12.pdf

すみません、わたしは、ちゃんと読んでなくて申し訳ないんですけど、
アドレスの情報だけ、、、

[544] pipit 2021/04/06 18:54 fr/tgpOc4Sf

>>543
森章司先生は、原始仏教では輪廻ははっきり説かれている、と主張されてるかんじです。

最後の結語の冒頭に、
『 結 語
現代 の多くの仏教学者が、 仏教が輪廻・死後を説くのは通俗的な教えとしてであって第一 義・勝義としてではないという根拠は、第 1 に無記説、第 2 に縁起説、第 3 に無我説の解釈 の 仕方 によると考えられるが、 以上によって少なくとも原始仏教聖典によるかぎりはそうい う 解釈 は許されないということが論証されたものと信じる。 要するに原始仏教でも輪廻や死 後のあることは、縁起や四諦あるいは無常・苦・無我という仏教の第一義諦・勝義諦のレヴェ ルで説かれていた、いやむしろその根底にあったということである。(略)』

とありました。
しっかり読むべきなんでしょうけど、難しそうで、気力が、、、_| ̄|○

森先生すみません(><)

[545] ショーシャンク 2021/04/07 09:39 WK/lvZaPhye

pipitさん、おはようございます。
ショーシャンクと申します。

マニカナ道場、閉鎖されてしまいましたね。

石飛先生と私とのスッタニパータ『田を耕すバーラドヴァージャ』についてのやり取りからいろいろなことが起きてきましたので、流れは見ていましたが、『道場』はマニカナの書き込みのほとんどを占めていた掲示板ですので、とても残念です。

ただ、しばらくすると復活されるとは思いますが。

[546] pipit 2021/04/07 18:30 fr/tgpOc4Sf

>>545
ショーシャンクさん、こんばんは!!

え、本当?!、本物?!とびっくりしてしまいました。
書き込みありがとうございますm(_ _)m

ショーシャンクさんのブログ、楽しみに拝見させていただいています。
(難しいところは文字を追うだけになってますけど(^^;)

マニカナ道場は、いい風に再開されるといいなと思ってます。
真摯な気持ちで仏教について詳細に対話できる場所ですもんね。

ショーシャンクには、ためになることを間接的にでもたくさん教えていただいています。
ありがとうございますm(_ _)m

順調に幸福の道を進まれることを願っております。

[547] pipit 2021/04/07 18:45 fr/tgpOc4Sf

>>546
わあぁ
よりにもよって、お名前の一箇所に『さん』が抜けていましたm(_ _)m (T . T)

大変失礼いたしましたm(_ _)m

ショーシャンクさん、ありがとうございます!!
すべて順調に進みますように😊🍀🍀🍀

[548] ショーシャンク 2021/04/07 21:53 AS/NhivKa79

pipitさん、こんばんは。

pipitさんは、私のパーリ語の先生ですから、これからもよろしくお願いします。

ブログ見ていただいているとはうれしいです。

いままで書いた中で、pipitさんが見られて、これは自分と解釈が違うなあと思われたものを教えてくださいね。
pipitさんの指摘はとても参考になりますので。

ショーシャンクという名前は、皆さん、『さん』を忘れることが多いですので気にしないでください(笑)

[549] pipit 2021/04/08 00:07 fr/tgpOc4Sf

>>548
ショーシャンクさん、返信ありがとうございます!

>pipitさんは、私のパーリ語の先生ですから、<

これは100%ないです・・・ショーシャンクさんの方が、確実に、はるかに、わたしより理解されているはずです!(*_*)

やさしいお言葉をかけていただきまして本当にありがとうございます。
おかげさまで元気出ました p(^_^)q ♪

たくさんの方が、ショーシャンクさんのブログを楽しみにしてると思いますが、どうぞ無理され過ぎないでくださいね。

おつかれさまです。おやすみなさいませ (^_^) ☆彡

[550] ショーシャンク 2021/04/09 06:47 WK/1RDhA0YO

pipitさん、おはようございます。

pipitさんが貼られた
森章司先生
『死後・輪廻はあるかーー「無記」「十二縁起」「無我」の再考ーー』
http://www.sakya-muni.jp/pdf/bunsho12.pdf

とても参考になりました。
ありがとうございます。

私の考えも全く同じです。
死後の世界も、輪廻も転生も100%あると思っていますので。

pipitさんの情報量、凄いです。

[551] pipit 2021/04/09 17:09 fr/tgpOc4Sf

>>550
ショーシャンクさん、書き込みありがとうございます😊

わたしは検索欄に文字を入力するくらいです(T_T)

論文の筆者の森章司先生が関わってられた研究所のホームページがあります。
(宗教法人立正佼成会さんの委託を受けて研究されていたのかな?)

http://www.sakya-muni.jp/

ショーシャンクさんは法華経にもご興味があったかと思ってるのですが、
ホヤホヤ(2021月3月1日)のお知らせで、
『「釈尊と法華経研究会」を立ち上げました 森 章司(2021.3.1)』
というページもありました。
http://www.sakya-muni.jp/news/2021/03/202131.html

研究はこれからはじまるところかもしれませんけどね😊

(pipit自身のことを申しますと、初期仏教偏愛オタクのわたしは、前に法華経を読むことにチャレンジしたけど読み進めることができなかったんですけど💦)

ショーシャンクさん、神通使えるといいですね!
なんて言っちゃったりして(o^^o) 🍀✨

ありがとうございます!

[552] ショーシャンク 2021/04/09 18:07 WK/lvZaPhye

pipitさん、こんばんは。

森章司先生という方は初めて知りました。
しかし、この論文はすごく良かったです。
私のブログに転載してもいいでしょうか?

法華経を初め大乗仏典はまだ取り掛からないつもりです。
原始仏典をとことんして仏陀の真意をほんの少しでもわかるようになってから、と思っています。

大乗仏教の考えで原始仏典を解釈しては絶対にいけないような気がしてます。
三十七菩提分法である程度、慧に触れてからにしようと思います。

pipitさんは、貴重な資料を持っておられるので本当に助かります。
ありがとうございます。

[553] pipit 2021/04/09 19:25 fr/tgpOc4Sf

>>552
ショーシャンクさん、こんばんは♪ 森章司先生のこの論文
http://www.sakya-muni.jp/pdf/bunsho12.pdf のアドレスは、
・・・・・・・・
↓以下のホームページの
http://www.sakya-muni.jp

トップページの一番下にあるテーマ『その他』のカテゴリー内の
下から2番目の位置にある

『死後・輪廻はあるか』をクリックすると出てくる

『【文書12】』の部分をクリックして出てくるページの

右側にあるオレンジ色の長ボタン『▶︎本文全体を見る』をクリックすると出てくる論文のアドレスをコピペしたものです。
・・・・・・・・

トップページ
http://www.sakya-muni.jp の左側には、
『❗️ご利用いただく方へ』という欄があり、
引用や転載、リンクについてなどについてがあり、

また同じくトップページの右上側には、『ご利用ガイド』のボタンがあり、こちらにも引用の仕方などが詳しく書かれてあるようです。

わたしはいい加減に引用してしまってますが(ダメ人間です・・(>人<;)m(_ _)m)
ショーシャンクさんはとてもしっかりされてる方なので、これらの公式なページをご紹介させていただきますねm(_ _)m
このページの規則の範囲内で、どうぞショーシャンクさんのご自由にされてくださいね😊

pipitは、検索しただけでまったく何もしてませんので(~_~;)
でも、喜んでもらえると、とても嬉しいです😊ありがとうございます!

[554] ショーシャンク 2021/04/12 07:15 KA/1RDhA0YO

pipitさん、おはようございます。

森先生の論文、私のブログに載せさせていただきました。
pipitさんから教えていただいた利用ガイドでは転載禁止ということですので、ごく一部にしましたが、著作権者から不適切と指摘された場合はすぐ削除するつもりです。

どれもこれも私と全く同じ考えをされていた論文なのでとてもうれしくなりました。

pipitさんは、死後の世界についてはどう思われていますか?

[555] 地下水 2021/04/12 07:50 x7/JgnQBMhg

和歌 ?^^;
大仏は 肥満で頓死 仏さん あの世へ逝って 御骨となりぬ

[556] pipit 2021/04/12 16:59 fr/tgpOc4Sf

>>554
ショーシャンクさん、こんばんは♪
>pipitさんは、死後の世界についてはどう思われていますか?<

是非を断定する智慧がない今のわたしには、実際にあるかないかわからないけど、個人の気持ちとして、
輪廻は有るのではないかと思っています。

[557] pipit 2021/04/12 17:01 fr/tgpOc4Sf

>>555
地下水さん、こんばんは〜

555地下水さんに先越された〜 🐢

[558] 地下水 2021/04/17 21:12 x7/JgnQBMhg

>>556
鶏の卵を食べたら、それは貴方の身体に転生します。
経典の知恵を読めば、それは貴方の脳に記憶されます。
そして脳は貴方の行いを司ります。
貴方が死ねば、その灰はやがて樹を育てる事でしょう。

[559] pipit 2021/04/17 22:46 fr/tgpOc4Sf

>>558
地下水さん、こんばんは 🍵
輪廻ですね〜 🌀

[560] ショーシャンク 2021/04/18 08:48 OU/1RDhA0YO

pipitさん、おはようございます。

マニカナの道場掲示板、復活しましたね。

よかったと思います。

[561] pipit 2021/04/18 16:23 fr/tgpOc4Sf

>>560
ショーシャンクさん、こんにちは!

設定が機能してないのか、まだ混乱してますね😅

難しいですね

[562] pipit 2021/04/19 19:28 fr/tgpOc4Sf

知らんかった〜

新薬師寺も華厳宗やったんや〜 👀

ドライブさんとの会話のおかげで、ホームページ少しだけ見ました。😊

[563] pipit 2021/04/19 19:43 fr/tgpOc4Sf

>>562
https://youtu.be/ilMSIJnD0CQ

奈良うまし冬めぐり 新薬師寺 

参拝したいな〜💐

[564] 過疎道ドライブ 2021/04/20 20:08 f5/n3LFbJcN

>>563

pipitさん

YouTube見ました・・有難うございます・・

他にも色々見て仏教の教えみたいなのを見ましたが・・

薬師寺を見ていて『奈良しあわせ散歩』のサイトが使えそうです・・コロナが終わったら一番に奈良しあわせ散歩巡りをする予定です・・

命のあるうちに奈良も勉強しておかねば・・

[565] 過疎道ドライブ 2021/04/20 20:50 f5/n3LFbJcN

今奈良うまし夏めぐりを見始めた所です。

綿密な計画を立てたいと思います。

又奈良情報など教えてください_(._.)_ペコリ・・

[566] pipit 2021/04/20 23:14 fr/tgpOc4Sf

過疎道ドライブさん、こんばんは!
実家は奈良県だけど、高校卒業して他県の学校に行って奈良に戻らず就職して結婚したので、奈良のことあんまり知らないんですけどね(^^;

『奈良しあわせ散歩』かわいいサイトですね!
https://www.kintetsu.co.jp/nara/report_powerspot/kasugataisha.html
春日大社

今、関西がコロナウィルス感染拡大してて心配ですね。
おさまりますように。

九州も魅力いっぱいですよね!
九州巡りもしたいなぁ
でも、九州、大きすぎるから、キャンピングカーとかでじゃないと無理そうですね
ドライブさんは自宅を拠点にいろいろ行けますね、うらやましい!

はやく気兼ねなく旅行できるようになってほしいですね

[567] 過疎道ドライブ 2021/04/25 20:50 Lb/n3LFbJcN

pipitさん・・お邪魔します・・

暇過ぎてネット巡りで絵心経を発見しました・・

般若心経の絵文字です。

般若心経は大覚寺でお守りに買ったので大切にしています。

台所の手拭いが般若心経の手拭いです。

般若心経は危険だと思いますか?

京都の身内は疎開中にお寺で唱え方を教えられ出世した後は四国巡礼三昧ののち幸せな死に方をしました。

後三年で十三回忌・・

[568] pipit 2021/04/25 23:08 fr/tgpOc4Sf

>>567
ドライブさん、こんばんは♪

私個人は、
八正道や四聖諦が無〜、というお経よりは、
八正道や四聖諦が真正面から説かれているタイプの仏教が好み🌸なので、般若心経のことはよく知らないのですが、
なんでもそうですが、実際自分で知ったらとても奥深い体験ができるのかもしれないですね。

その経典を伝えてきた・伝えている・唱えてきた・唱えている、たくさんの人たちの想いも、いろんな作用として顕われてくるのかもしれませんね。

[569] pipit 2021/04/25 23:31 fr/tgpOc4Sf

>>568
般若心経をネットで少しみてみたら、文言としては、無八正道はなかったんですね、早とちりしてすみませんm(_ _)m

ただ、無苦集滅道の、道はパーリ仏典では八正道のことだと思うので、
意味合いとしては、無八正道ととらえてもいいのかな?

みんな幸せに寝れますように
おつかれさまです🍵 おやすみなさーい 🌠🍀

[570] 地下水 2021/04/26 20:48 Lb/y8LAnqcd

仏なんて、所詮、嫁も子供も持てなかった、子孫のいない、人並みの苦労を知らない、チョンガーですよ。

[571] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/05/01 22:46 ザ-000,025,500号



お前どんだけネチッこいんだよ

[572] 過疎道ドライブ 2021/05/16 16:27 O1/n3LFbJcN

pipitさん

少しだけお邪魔します・・

今我が家の玄関で燕が子育てをしています・・

何故玄関に作るのか不思議でした・・

玄関で無いと蛇や烏や雀ら天敵が来て育たないのです。

ヒナが育つ場所を本能で知っているのです・・

自然の法の中に本能で仏の慈悲を求めているのです・・

[573] pipit 2021/05/16 17:24 fr/tgpOc4Sf

>>572
過疎道ドライブさん、こんにちは
気が向いた時は、いつでも、書き込んでくださいね😊

動物の知恵って不思議ですよね
蜂にしろ、カラスにしろ、なんであんなに上手く行為が伝わっていくのかな、と、不思議に思います。

擬態とか、なんなん?
いつ、どう考えて変化したん?
とか思います。

ツバメちゃんが巣を作るのは、良い家だ、という言い伝えを聞く気もします。
ドライブさんがやさしく見守ってくれそう!と感じるのかもしれませんね😊🍀

[574] pipit 2021/05/16 22:39 fr/tgpOc4Sf

>>535
> というわけで、次は、
『インドリヤ・バーワナー(根修習) 経』
読めるかな ?
根性なくて、読めなかったらすみません !<

いやいやいや、、、これ、↑2021/3/24の投稿ではないですか。。。

こ、根性〜〜٩( ᐛ )و

あ、明日は早起きせんなあかんので、今日はこれで。。。

おやすみなさーい

関係ないけど、かわいい曲やなぁと。
ロンリーユニバース / Aqu3ra feat.flower & 初音ミク - Lonely Universe
https://youtu.be/VHgiGuVdLEA

[575] pipit 2021/05/18 16:36 fr/tgpOc4Sf

>>574
根性〜!

ん?
wikiからの引用です (OvO)

『パーリ仏典 > 経蔵 (パーリ) > 中部 (パーリ) > 根修習経
『根修習経』[1](こんしゅうじゅうきょう、巴: Indriyabhāvanā-sutta, インドリヤバーヴァナー・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵中部に収録されている第152経。『感官修習経』(かんかんしゅうじゅうきょう)[2]とも。

釈迦が、アーナンダに、六根に関する仏法を説く。』

[576] pipit 2021/05/18 16:40 fr/tgpOc4Sf

>>575
Thanissaro Bhikkhuさまによる英訳
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/mn/mn.152.than.html

[577] pipit 2021/05/18 16:50 fr/tgpOc4Sf

>>575
『パーリ仏典 > 経蔵 (パーリ) > 中部 (パーリ) > 根修習経
『根修習経』[1](こんしゅうじゅうきょう、巴: Indriyabhāvanā-sutta, インドリヤバーヴァナー・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵中部に収録されている第152経。
パーリ語原文
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/MN_III_utf8.html#pts.298

Thanissaro Bhikkhuさまによる英訳
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/mn/mn.152.than.html

Bhikkhu Sujato さまの英訳
https://suttacentral.net/mn152/en/sujato

よし、これで参照先OKかな?

[578] pipit 2021/05/18 17:03 fr/tgpOc4Sf

>>577
題名はパーリ語の音では、インドリヤ・バーワナー
それぞれ日訳と英訳は、

インドリヤ→根→ the Faculties
バーワナー→修習→ The Development

かぁ。おもしろいなぁ。

Facultiesは、能力みたいな感じかなぁ。
Developmentは、開発とか育成とかかなぁ?

日本でも、六根清浄、とか聞きますよね。
wikiにありました。
『六根清浄(ろっこんしょうじょう)とは、人間に具わった六根を清らかにすること。
六根とは、五感と、それに加え第六感とも言える意識の根幹である

眼根(視覚)
耳根(聴覚)
鼻根(嗅覚)
舌根(味覚)
身根(触覚)
意根(意識)
のことである。』

根、にピッタリ対応する英単語がみあたらなかったのかもしれませんね。

根、は、能力、よりもう少し深いイメージ持ってる漢字に思えますもんね。(知らんけど〜)

[579] pipit 2021/05/18 17:07 fr/tgpOc4Sf

575に、
『感官修習経』(かんかんしゅうじゅうきょう)[2]とも。
ってありますね。

インドリヤ は、日本語訳では、『根』(こん)や、『感官』ということですね。

[580] pipit 2021/05/18 17:09 fr/tgpOc4Sf

さー、絹さやいっぱいいただいたから、
すじとって、卵とじでもしよーかな〜

ありがたや〜

[581] 地下水 2021/05/18 17:11 O1/fNQXG2vJ

>>578 渋沢栄一は、無欲は怠慢のもとである、と述べている様ですね。

[582] pipit 2021/05/18 18:53 fr/tgpOc4Sf

>>581
地下水さんこんばんは〜
大河ドラマご覧になってますか?仕事かな?(日曜日夜8時)
わたしは9時からのドラゴン桜みてまーす

お釈迦さまは、

『あらゆる状態の中で離欲が最も優れている。』

っておっしゃってる、って経典の中ではなってるみたいです。

教えはいろいろですね。
みんなそれぞれの好みに吸い寄せられるのかもしれませんね。
(わたしはお釈迦さま、仏教、だいすきー♡)

『デタッチメント』という言葉、概念があるそうで、wikiの説明の中で、上記文章も引用されてました。

抜粋引用しまーす。

[583] pipit 2021/05/18 19:00 fr/tgpOc4Sf

wiki『デタッチメント』より引用
デタッチメント(Detachment)とは、 ノンアタッチメント(non-attachment)ともされ、ヒトが世界における物事、人物、価値観などへの愛着欲求を克服し、それによってより高い視点を獲得するという概念である。
(略)
バハーイー教、仏教、ヒンズー教、ジャイナ教、ストア派、道教などにおいては、デタッチメントは欲望から解放され、それ故に苦しみから解脱するという、重要な原理及び理想として示されている。
(略)
デタッチメントの概念は、パーリ仏典においてはネッカンマ("nekkhamma") と記され、一般的にはrenunciation(放棄)と訳される。[要出典]この言葉は具体的には「世界を捨てて聖なる生活を導く」「欲望、渇望、欲望(タンハー)からの自由」といった意味を伝えている[1]。

すなわちデタッチメントとは、一つの考えから切り離されている状態であり、精神的・感情的にも害されないよう、一つの考え・意見から自分自身を切り離すことである[2]。

Maggānaṭṭhaṅgiko seṭṭho, saccānaṃ caturo padā;
Virāgo seṭṭho dhammānaṃ, dvipadānañca cakkhumā.

あらゆる道の中で八正道が最も優れている。
あらゆる諦(サティヤ)の中で四諦が最も優れている。
あらゆる状態の中で離欲が最も優れている。
あらゆる両足で立つ者の中で具眼者(仏陀)が最も優れている。

—パーリ仏典, ダンマパダ273, Sri Lanka Tripitaka Project』

抜粋引用終了

[584] pipit 2021/05/18 19:05 fr/tgpOc4Sf

wikiの記述も、賛否両論でしょうけどね。

なんでも見解はむずかしいですね。

宗教でも、哲学でも、
人が解釈するから、どうしても意見は割れてしまうかもしれませんね。

地下水さんの好きな数学とかは、解釈は割れないのかもしれませんね。

(知らんけど〜)

[585] 過疎道ドライブ 2021/05/18 19:18 O1/n3LFbJcN

>>583

pipitさん お邪魔します・・

アタッチメント(愛着)の反対のデタッチメンとですか・・?

離人症の人が霊視されると「幽体離脱」のように見えるそうです。

愛着を離れる事が悟りの一本道で一歩踏み外したら離人症になってしまいそうで・・

修行や瞑想も超能力開発までいくような荒業・・

怖過ぎる(≧◇≦)

[586] 過疎道ドライブ 2021/05/18 19:35 O1/n3LFbJcN

追伸・・

特殊能力を持っている方は結構いらっしゃいます・・

占い師さんみたいな方も多いですね・・

[587] pipit 2021/05/18 20:20 fr/tgpOc4Sf

>>585
ドライブさん、こんばんは〜

ドライブさん、幽体離脱したことありましたっけ??
書き込み見た気がするんですが、記憶違いかな??

人形さんがぐるぐるまわったというのはおぼえてるんですが🌀
(って、それも違ったらすみません💦)

[588] pipit 2021/05/18 20:25 fr/tgpOc4Sf

>>584
カント哲学がらみで、気になってるんですけど、

地下水さん、数学って、なにかの解釈が割れるような事態にはなり得ないかんじなんですか??

定義とかを最初にガッチリ決めて出発すると、解釈は割れ得ないのかなぁ (・・?)

[589] 過疎道ドライブ 2021/05/18 20:27 O1/n3LFbJcN

>>587

幽体離脱しそうになりました・・そこで嫌~と目を覚ましました。

京都のお墓の見える所に住んでいた時の話を憶えていらしたのですか・・

京都はそういう界隈が多いです・・

[590] pipit 2021/05/18 20:32 fr/tgpOc4Sf

>>589
ドライブさん、お返事ありがとうございます😊

怖いものは見えない方がいいなぁ〜と思いますね〜(^^;

[591] 地下水 2021/05/18 20:42 O1/fNQXG2vJ

>>588
メビウスの輪は、表と裏がつながっていて、不思議な形をしています。作為的で少し変なのでそんな物が自然にあるのかと疑います。
しかし今では物理でも電子のスピンはメビウスの輪の様な存在で、至る所にあることが解るのです。
またフレーゲの一階論理述語では、メビウスの輪の様なプログラムで1+1=2が定義され、それ以降の足し算が計算できます。

数学には不思議な存在も多くあり、後に現実にその様な存在がある事が、発見される例が多いです。
人間も物理から考えればかなり不思議な存在ですが、人間の数学が計算されれば、意外と良くある存在である事が導かれる可能性があります。厳密にはループ型光量子計算機で情報生命体を進化させて証明する必要があります。

[592] pipit 2021/05/18 20:55 fr/tgpOc4Sf

>>591
地下水さん、ありがとうごさいます

>人間も物理から考えればかなり不思議な存在ですが<

たしかに、二本足で重力にさからって?立つパワー、バランスなどのことも含めて、すごいですよね。

意志、が、物質エネルギーの流れに作用してる???

[593] pipit 2021/05/18 20:59 fr/tgpOc4Sf

あ、それから、法話で、

水をずーっと36度で保とうとすると、どんなけ大変か、みたいな話題を聞いた覚えがあります。

たしかにそうですよね。
体温はずーっと36度くらいで保たれてますもんね

身体ちゃんは働きもんやなー

[594] pipit 2021/05/19 17:24 fr/tgpOc4Sf

根性〜 ٩( 'ω' )و

『根修習経』[1](こんしゅうじゅうきょう、巴: Indriyabhāvanā-sutta, インドリヤバーヴァナー・スッタ)中部第152経。

Bhikkhu Sujato さまの英訳
https://suttacentral.net/mn152/en/sujato

So I have heard. At one time the Buddha was staying near Kajaṅgalā in a bamboo grove.

まず冒頭ですね。大乗仏典でも、
『にょ〜ぜ〜が〜もん(如是我聞)』から始まるお経もたくさんありそうですよね😊

パーリ仏典のお経も、
「このように私は聞きました」という文から始まるお経が一般的なようです。

パーリ語の音では(カッコ内は意味)、
♪『えーわん(このように)、めー(わたしによって)、すたん(聞かれた)』♪かな?
違ってたらすみません💦

パーリ語原文
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/MN_III_utf8.html#pts.298

英訳、bamboo grove.
ブッダが竹林におられたときのお話ですね。

[595] pipit 2021/05/19 17:35 fr/tgpOc4Sf

Google翻訳さんが進化してる気がする∑(゚Д゚)
頼って、英訳文をGoogle翻訳さんで日本語に変換してもらったものを引用させていただきます。

Then the brahmin student Uttara, a pupil of the brahmin Pārāsariya, approached the Buddha, and exchanged greetings with him. When the greetings and polite conversation were over, he sat down to one side.

(Bhikkhu Sujato さまの英訳
https://suttacentral.net/mn152/en/sujato)

(Google翻訳さんの上記英訳文の日本語訳)
それから、バラモン・パーラサリヤの弟子であるバラモンの学生ウッタラが仏陀に近づき、彼と挨拶を交わしました。 挨拶と丁寧な会話が終わると、彼は片側に腰を下ろした。

[596] pipit 2021/05/19 17:48 fr/tgpOc4Sf

The Buddha said to him, “Uttara, does Pārāsariya teach his disciples the development of the faculties?”

(Bhikkhu Sujato さまの英訳
https://suttacentral.net/mn152/en/sujato)

(Google翻訳さんの日訳)
仏陀は彼に言った、「ウッタラ、パーラサリヤは弟子たちに学部の発展を教えていますか?」

※※※※※※※※

おおぅ、facultiesを学部と訳したのですね、Googleさん。

パーリ語原文では、 indriyabhāvananti.
英訳では、the development of the faculties

パーラサリヤさんは、根(感官)の修習を教えてる?
って、お釈迦さまはウッタラさんに尋ねたんですね。

[597] 地下水 2021/05/19 18:13 O1/fNQXG2vJ

>>593 地球が生まれた頃、生命はありませんでした。そこに何億年も太陽光が降り注ぐ間に、生命の元が化学合成されていったのです。最初に自然に出来たのは遺伝子の元である核酸であるそうです。これが自己複製を繰り返して増殖し、やがて複製を速める酵素も生まれてきます。やがて細胞ができて、これが複数で協働するようになり、生き物が生まれてきます。

人間の身体には37兆個もの細胞があり、それぞれの細胞には30億塩基対のDNAがあります。これらが互いにメッセージ物質をやりとりしながら、一つの命にまとまり、一つの意志を生み出しています。
毎日身体の中では二千個もの癌細胞が発生しては免疫が殺して食べてくれています。DNAから生まれるメッセージ物質は膨大で高速です。それでも一つにまとまっているのです。
私達は組織や複雑系という考え方を根本的に考え直さねばなりません。

[598] pipit 2021/05/19 19:49 fr/tgpOc4Sf

>>597
地下水さん、こんばんは〜

一個の心を持つ細胞たちが37兆細胞集まった、一つの国家的なものが、一人の人間、と想像してみてもいいかもしれませんね。

その細胞にしても、膨大なDNAたちのワン・パッケージ。

あぁ、数学の単位という概念を思い出しました。

[599] 地下水 2021/05/19 20:18 O1/fNQXG2vJ

>>598 国家というのはさらに複雑ですね。一人でも複雑な生命である人間が、更に何億人と居る国の社会もあるわけです。そして国家には更に人間を生かしてくれている人工物や広大な自然があります。
仏教や宗教はかつてそんな複雑な国をまとめてくれていた。『安穏』という言葉で。

[600] にんにくラオウ 2021/05/19 22:06 ザ-000,025,505号

600🤫

[601] pipit 2021/05/19 22:43 fr/tgpOc4Sf

🤫 
しー。。。
沈黙の牟尼、って言葉が頭に浮かびましたよ

コトバンクさんより引用
『むに【牟尼】
(muni の音訳。寂・黙・仁・仙などと訳す。聖者・賢者の意)
[1] 〘名〙 仏語。インドで、心身を静め沈黙の行を修する行者をいう。
[2] 特に釈迦の尊称。釈迦牟尼。』

>>600
ゴウさん、こんにちは!
番号成長してますね😊

自分で番号管理できるのかなぁ
それとも自然に管理されてるのかなぁ

おつかれさまです 🍀🍵
 

[602] pipit 2021/05/20 17:17 fr/tgpOc4Sf

>>596
お釈迦さまが、ウッタラさんに、
「パーラサリヤ先生は、感官の修習については、教えてるの?」と、尋ねた続きですね。

“He does, Master Gotama.”

“But how does he teach it?”

“Master Gotama, it’s when the eye sees no sight and the ear hears no sound. That’s how Pārāsariya teaches his disciples the development of the faculties.”

(Bhikkhu Sujato さまの英訳
https://suttacentral.net/mn152/en/sujato)

ウッタラさん「教えてますよー」
お釈迦さま「どんな風に教えてるの?」
ウッタラさん「目で、景色を見ない時、耳で、音を聞かない時、それが感官の修習だと教えています。」

(pipitの感想)
ちょっと意味が分かりづらいですが、
どうなのかなあ?
パーラサリヤ先生の教えは、
目でみえてても、分別しない、とか
あるいは、欲を掻き立てるものは避ける、とかの意味なのかなー。
欲が出るものは、見るな!聞くな!みたいな?
きちんとはわかってないけど、先に進みます。

[603] pipit 2021/05/20 17:31 fr/tgpOc4Sf

>>602

ウッタラさんの回答を聞いたお釈迦さまは、

“In that case, Uttara, a blind person and a deaf person will have developed faculties according to what Pārāsariya says. For a blind person sees no sight with the eye and a deaf person hears no sound with the ear.” When he said this, Uttara sat silent, embarrassed, shoulders drooping, downcast, depressed, with nothing to say.

(英訳のGoogle翻訳さん的日訳)
「その場合、ウッタラ、視覚障害者、聴覚障害者は、パーラサリヤの言うことに従って能力を発達させたでしょう。 目の見えない人は目で視力を見ることができず、聴覚障害のある人は耳で音を聞くことができません。」 彼がこれを言ったとき、ウッタラは何も言うことなく、沈黙し、恥ずかしがり、肩が垂れ下がり、落ち込んで、落ち込んでいました。

続き↓

Knowing this, the Buddha addressed Venerable Ānanda, “Ānanda, the development of the faculties taught by Pārāsariya is quite different from the supreme development of the faculties in the training of the Noble One.”

(pipitの意訳)
ウッタラさんの説明を聞いて、お釈迦さまはアーナンダ尊者に、
パーラサリヤさんの感官の修習の教えと、ブッダの説く感官の修習は、随分違うね、みたいに話しかけられます。

[604] pipit 2021/05/20 17:34 fr/tgpOc4Sf

おそらく、この後ブッダが弟子に教えている感官の修習とはどのようなものか、を説かれるのだと思っています。

とりあえず、ここでいったんおきます。

今日は寒いなーーー 雨も心配だな ☔️

どこも被害ないといいな

[605] 過疎道ドライブ 2021/05/20 17:35 O1/n3LFbJcN

>>602

pipitさん少しだけお邪魔します・・

ヘレンケラーさんもたいな修習ですね・・

↓ヘレンケラーさんの名言。

世界で最も素晴らしく、最も美しいものは、目で見たり手で触れたりすることはできません。
それは、心で感じなければならないのです。

[606] pipit 2021/05/20 17:40 fr/tgpOc4Sf

>>605
ドライブさん、こんにちは!
ああ、なるほどです。心眼が大切、みたいな。

ただ、テーマが、修行者は五感をどう修習していくか、で、
お釈迦さまはどう教えるのか、読み進めてみますね。

書き込みありがとうございます!

[607] pipit 2021/05/20 17:40 fr/tgpOc4Sf

ドライブさん、雨、大丈夫ですか?

[608] 過疎道ドライブ 2021/05/20 17:50 O1/n3LFbJcN

>>607

返信有難うございます。

家の庭が10センチ・・プールになっていました・・

それよりもっと怖いのが・・

今第三の眼を検索していてヘミシンクという危険な周波数を見つけました・・怖い怖い・・

[609] pipit 2021/05/20 18:05 fr/tgpOc4Sf

>>608
とりあえずは、大雨危機は今回は去ったのかな?
おつかれさまです!

>ヘミシンク<

ちょこっとだけ、ヒットしたページを読みました。
ドライブさんは、いろんなもの見つけますね〜

そういえば、腸にどんな菌が住むかでも、性格が変わる可能性とかも読んだ気が(うろ覚え)

固定したワタシはいないってことなんですかね〜

[610] 地下水 2021/05/20 18:14 O1/fNQXG2vJ

>>609
腸内細菌をスパイスや薬膳でコントロールすれば良いですね。
インドにもスパイス豊富なカレーがありますし、中国には薬膳料理がありますし、漢方があります。舌を鍛えるなら、医食同源です。
目や手を鍛えるなら、古代ギリシャ彫刻でしょうね。
耳を鍛えるなら、インド音楽は複雑ですね。ピタゴラス音階には良いのがあります。
第六感を鍛えるなら、インド哲学も良いのですが、ギリシア哲学には数理の証明があります。

[611] pipit 2021/05/20 19:07 fr/tgpOc4Sf

>>610
地下水さん、こんばんは〜

最後は死んでしまいますが、生きてる間は楽しそうですね〜

[612] 地下水 2021/05/20 21:02 O1/fNQXG2vJ

>>611
環境に優しく、電車でゴー、観光散歩。
自転車で散策運動。🚴
飛行機や自動車は我慢してなしに。
美味しい物は沢山食べて、フードロスなしに。
テレビも音楽♪もユーチューブもグーグルも楽しんで。

ヨビノリたくみさんのサイト、楽しいよ。
正統派で解り易くて本質を抑えてる。

生きてる間くらいは生き生きと生きよう。(^^/

精進料理も食べたいなー。😋

[613] pipit 2021/05/20 22:33 fr/tgpOc4Sf

>>612
好きなことして生きましょー

地下水さんは地下水さんの好きな道を

わたしはわたしの好きな道を 〜

他の方には他の好きな道を〜〜

(ミチオさん〜?  私信 )

それぞれに多大な幸あれ〜 (^o^)/♪♪

[614] 過疎道ドライブ 2021/05/21 18:48 O1/n3LFbJcN

pipitさん

いよいよ神秘主義突入の私は・・

ワイス博士の瞑想の実習1「ドアを通って過去生へ行く」-聴きものがたり

のYouTubeで気分爽快・過去世かどうかは解りませんが着物を着ている私と家族の映像が・・

怖い怖すぎる

世界200万部ベストセラー『前世療法』の著者ワイス博士・・

何者・・怖すぎる(≧◇≦)

しかしこの音楽はお花畑状態・・

[615] pipit 2021/05/21 19:08 fr/tgpOc4Sf

>>614
ドライブさん、こんばんは〜

それでドライブさんが幸せ(滅苦)ならいいんですけど(^^;

おつかれさまです しんぴ、で絵文字出るんかな、って打ち込んだら、第一候補が、心配、でした〜σ^_^;

雨でじめじめしますね、おつかれさまです 🍵 🌈✨

[616] 過疎道ドライブ 2021/05/22 18:16 O1/n3LFbJcN

>>615

pipitさん お邪魔します・・

神秘の絵文字・・

。.:*・'(*゚▽゚*)’・*:.。.

✧*。ヾ(。>﹏<。)ノ゙✧*。

✩°。⋆⸜(ू。•ω•。)

*゜.;・ (˙o˙).;*。 ゜

( ^o^)⊃―☆*・。・゚*

゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)’・*:.。. .。.:*・。

素晴らしい神秘体験でありますように🙏

[617] pipit 2021/05/22 19:06 fr/tgpOc4Sf

ドライブさん、こんばんは 〜

>>616

なるほど 〜

・:*+.\(( °ω° ))/.:+

↑ きらきら かな? と、きらきら を 変換したもの

わたしのスマホは勝手な変換をよく候補に挙げます。(わたしが入力間違いしてるかもと親切心みたい。。。)

♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪

↑ 嬉しい を変換したもの

おつかれさまです ! 

🍵



お  を変換したもの

[618] pipit 2021/05/23 22:44 fr/tgpOc4Sf

>>603

“Now is the time, Blessed One! Now is the time, Holy One. Let the Buddha teach the supreme development of the faculties in the training of the Noble One. The mendicants will listen and remember it.”
“Well then, Ānanda, listen and pay close attention, I will speak.”
Bhikkhu Sujato さまの英訳
https://suttacentral.net/mn152/en/sujato

アーナンダ尊者「今がその時です!お釈迦さま、感官の修習についてお説きください。私たち比丘は聞いてそれを覚えることでしょう。」

お釈迦さま「では説きましょう。しっかり聞きなさい。」

みたいな感じかなー

[619] pipit 2021/05/23 22:49 fr/tgpOc4Sf

お月さんに大きな輪っかがあって、きれいやった。

調べてみたら、

『暈(かさ、halo、英語読み:ヘイロウ)とは、太陽や月に薄い雲がかかった際にその周囲に光の輪が現れる大気光学現象のことである。特に太陽の周りに現れたものは日暈(ひがさ、にちうん)、月の周りに現れたものは月暈(つきがさ、げつうん)という。虹のようにも見えることから白虹(はっこう、しろにじ)ともいう。』
wikiより引用

っていうんやって。

も一回見てこようかなーー 🌝 👼

[620] pipit 2021/05/23 22:54 fr/tgpOc4Sf

さっきより月ははっきり、きれいに見えたけど、
大きな輪っかは無くなってた。。。(残念)

雲がどっかいったんかなー

諸行無常やなー  🌝 ✨

みなさんおやすみなさいー 🌏 🍵 🍀

[621] pipit 2021/05/23 23:09 fr/tgpOc4Sf

赤い大きな月が見えてたのに、しばらくしたら月自体が(見え)なくなって、あれ? と 思った時のことをまだ覚えてる。

あの時はまだお母さんもおばあちゃんもいた。

会いたいけど、もう、会えないね

本当にありがとう。大好きです。

[622] pipit 2021/05/24 20:08 fr/tgpOc4Sf

>>618
光明寺さまの情報を追加します。
日訳とパーリ語が詳しく載っています。  神 !!
ありがたや〜 (^人^)

『根修習経』[1](こんしゅうじゅうきょう、巴: Indriyabhāvanā-sutta, インドリヤバーヴァナー・スッタ)中部第152経。

光明寺経蔵さま
https://komyojikyozo.web.fc2.com/
中部→後分五十篇→六処品→根修習経

[623] pipit 2021/05/24 20:12 fr/tgpOc4Sf

>>618
“Yes, sir,” Ānanda replied. The Buddha said this:
“And how, Ānanda, is there the supreme development of the faculties in the training of the Noble One?
When a mendicant sees a sight with their eyes, liking, disliking, and both liking and disliking come up in them.

比丘が彼の眼で光景を見る時、それらの中に、好き、嫌い、好きと嫌い両方、が生じます。

[624] pipit 2021/05/24 20:15 fr/tgpOc4Sf

>>623
They understand: ‘Liking, disliking, and both liking and disliking have come up in me.

彼は理解します。
好き、嫌い、好きと嫌い両方、が、わたしの中に生じた、ということを。

[625] pipit 2021/05/24 20:18 fr/tgpOc4Sf

>>624
That’s conditioned, coarse, and dependently originated.

(Google翻訳さんの和訳)
それは条件付けられており、粗く、依存的に発生しています。

[626] 過疎道ドライブ 2021/05/24 20:59 O1/n3LFbJcN

>>623

pipitさん  少しお邪魔します・・

学部の最高開発は貴族のトレーニングの中にあるので托鉢の光景は両極端でしょう・・

一方に偏ってはいけないのは哲学の世界も共通です。

極端の片方だけでは破綻するのでしょうか?

現存在に絶対100%はあり得ない・・

[627] 過疎道ドライブ 2021/05/24 21:21 O1/n3LFbJcN

↑御免なさい適当なことを書いてしまいました・・

今ヤスパースさんの主観と客観の両極端を持つ所を読んでいたので・・

わたしとしては好きでも嫌いでもない何ともないことが含まれています・・

お釈迦様のお弟子さんたちの心の機微まで・・凄いですね

お釈迦様物語は壮大ですね南無南無🙏

[628] pipit 2021/05/24 21:37 fr/tgpOc4Sf

>>626
>>627
ドライブさん、こんばんは〜

お釈迦さまも元王子さまだったし、美形で女子にモテまくりでお困りのアーナンダ尊者も元王族だったそうなんです。

世俗的に贅沢とされるものを経験の上すべて捨て、毎日乞食する方たちが、
the supreme development of the faculties in the training of the Noble One
とおっしゃる修習、、、

ぼっちゃまじょうちゃまたちの贅沢なのか、、、

でも、最高に幸せ〜みたいな感じ受けますしね

出世間の道は、世間の中ではなかなか?と思えてしまうことがたくさんあるかもしれませんね。

[629] pipit 2021/05/24 21:43 fr/tgpOc4Sf

ちなみに、wiki『比丘』より抜粋引用します。

『元来は「食べ物を乞う人」という意味の言葉[1]。

(略)

Na tena bhikkhū hoti yāvatā bhikkhate pare; Vissaṃ dhammaṃ samādāya bhikkhu hoti na tāvatā.
Yo'dha puññca pāpañca bāhetvā brahmacariyavā; Saṅkhāya loke carati sa ce bhikkhū'ti vuccati.

他に乞ふのみにては比丘ならず、一切の所應行を服膺するのみにては比丘ならず。
人若し現世に於て罪福を離れて淨行に住し、愼重にして世を行けば眞の比丘と謂はる。

—パーリ仏典, ダンマパダ,266-267, Sri Lanka Tripitaka Project』

[630] 過疎道ドライブ 2021/05/25 19:57 O1/n3LFbJcN

pipitさん こんばんは~

今読んでいる『姓名の暗号』で

満足しきった魂は昇天して消え現世に戻って来ません・・

満たされなかった魂、思いを遂げられなかった゛無念の魂゛がやり直しをはかろうと挑戦するそうです・・

死ぬ時に無念や不満足や苦しみが残る人は多いでしょう・・輪廻転生🙏

[631] pipit 2021/05/25 20:30 fr/tgpOc4Sf

>>630
ドライブさん、こんばんは〜

どうしても、いろんな思いが残っちゃうかもですねー

[632] 過疎道ドライブ 2021/05/26 17:06 O1/n3LFbJcN

>>631

pipitさん 少しだけお邪魔します(いつもだけど)

>思いが残るでしょう・・

写真アルバムや思い出の品を捨てられますか?

念が残るでしょう?

今日のお月様命を落とすほどの美しさで無いと宜しいのですけど・・

李白は水に映った月をとろうとして船から落ちて死にました・・

[633] pipit 2021/05/26 18:00 fr/tgpOc4Sf

>>632
ドライブさん、こんにちは〜  

> 写真アルバムや思い出の品を捨てられますか?<

捨てる道が初期仏教的仏道なんだろうなと思っていますが、
わたしは在家だから、執着ありありですね〜
テーラーガータ、テーリーガータに出てくるおぼうさまたちは、憧れの的です。

ドライブさん、家に中村元先生訳の、『仏弟子の告白』『尼僧の告白』岩波文庫あります?
(ふとした疑問だから、もちろんスルーでもいいですよー)

[634] 過疎道ドライブ 2021/05/26 18:25 O1/n3LFbJcN

>>633

こんにちは~返信ありがとうございます・・

『仏弟子の告白』があり今初めて読んでいます・・

イギリスシェイクスピアの舞台のような雰囲気です・・生意気言って御免なさい🙇

エーカダンマ長老は生まれることを繰り返す迷いの生存が滅びてしまい

チャンナ長老は全知の仏陀の教えにより不死を得るために道を実践・・

みんな受け取り方が様々ですね・・

[635] pipit 2021/05/26 18:40 fr/tgpOc4Sf

>>634
お返事ありがとうございます!
尼僧の告白もおもしろいけど、そちらはないかな〜

不死、は、おそらくですが、不生とセットかも??

大乗仏教でも、セットになってるような??龍樹さん??

ドライブさん、そこらへんの大乗仏教のこと(龍樹さんのこととか)、ご存知ですか?そんなにご興味なかったですか??

[636] 過疎道ドライブ 2021/05/26 19:06 O1/n3LFbJcN

>>635

お薦めの本有難うございます。続けて返信します・・

もう生きる事が無い・・と・・もう死ぬ事が無い・・うぅ~同じとは思えないような・・

『尼僧の告白』はあったそうだけど見当たりません🙇

龍樹さんは御免なさい興味が無いのです・・学校で『無自性空』を習ったくらいしか知りません・・

もう生きないともう死なないが同じ境地になれたら幸せですね・・

[637] pipit 2021/05/26 19:54 fr/tgpOc4Sf

>>636
ドライブさん、お返事ありがとうございます!!嬉しいです😊

解脱の境地と言われても、経験してないものは正確にはわかりませんもんね。
苦しみは経験してるので、滅苦と言われると、まだ涅槃と言われるよりは想像しやすいかもしれませんね。

身近な滅苦から、その都度チャレンジできたらいいかも?と自分自身に思いました。

> 龍樹さんは御免なさい興味が無いのです・・学校で『無自性空』を習ったくらいしか知りません・・<

ドライブさんは、やっぱりヤスパースさん一筋なんですね〜(^_^)

[638] 過疎道ドライブ 2021/05/26 20:40 O1/n3LFbJcN

>>637

今日は発見のある話で有難うございました。

執着することなく瞑想にふける・・所を読んでいます・・

心が瞑想にふけって(夢中になる)っても修行なのでしょうか?

次々に?マーク・・

ピッタリ心に来るのがまだヤスパースさんだけなのです・・

又お薦めの本を教えてください・・新たな発見を🙏

[639] pipit 2021/05/26 21:29 fr/tgpOc4Sf

>>638
ドライブさんには、ツッコミどころがいっぱいに思えるかもしれませんね(^^;

ヤスパースさんは心根が美しそうな印象です。(全然読んだことないけど💦)

[640] 過疎道ドライブ 2021/05/27 12:14 O1/n3LFbJcN

>>639

今ヤスパースさんの『佛陀と龍樹』を初めて読んでいます・・

生存の流れを超える船《竜樹の無自性空》は生存の流れから対岸についてしまえば船はもはや余計なもの・・

言葉は与えられた意味なので真正の意味を欠くことが洞見されると言葉は消滅する・・(対岸に到着する)

それでも対岸に船で渡るまでは救済の手引きの言葉を必要としている・・

みたいな形而上学とは反対の立場らしいです・・

今週はためになる本が見つかりました・・

pipitさんも仏典までも読んでいらっしゃるならご無理なさらないように🙏

[641] 過疎道ドライブ 2021/05/27 16:10 O1/n3LFbJcN

pipitさん こんにちは~挨拶していませんでした🙇

『佛陀と龍樹』追加を少し・・

ヤスパースさんは第一に自己存在を深めながら無底の根源に沈み『無』の中に立つ・・

同時に第二に無に当面して私自身が独りによってありえる所のあらゆる根源から私の存在が顕かになる
(私に贈られているものにおいて包括者の充足を感じる)

◎一義に自己存在の根源的無が同時に根源的有である。

◎仏教の無を「本来的な全く充実した存在」とおっしゃっています。空即是色🙏

[642] pipit 2021/05/27 16:15 fr/tgpOc4Sf

>>640
過疎道ドライブさん、こんにちは〜
こちらは今日寒いです🍵

>今ヤスパースさんの『佛陀と龍樹』を初めて読んでいます・・<

初耳〜 !! 
そのような本をお書きになられてたのですね!
ドライブさんに会わないと、ずっと知らなかったような気がします
ありがとうございます(^_^)

私は、龍樹さんは難しすぎそうで、今のところ、ノータッチなかんじです(^^;
まぁ、わたしは、カント先生くらいで。。。
って、ほとんど読解進んでませんーーー(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)

ヤスパース先生には幅広い知見があったのですねー📖📚

と、ここで、
>>641
ドライブさん、こんにちは(^o^)/♪

> ◎一義に自己存在の根源的無が同時に根源的有である。

◎仏教の無を「本来的な全く充実した存在」とおっしゃっています。空即是色🙏<

なんか、西田幾多郎さんぽい?(まったく違ったらすみません!)
西田幾多郎さんといえば、気まぐれさん、お元気かな〜 📖📚

ドライブさん、いろいろ教えてくださりありがとうございます!!

[643] きまぐれ 2021/05/27 18:29 J6/2NARcXy9

元気ですよー(笑)
pipitさんもタンチョウさんもお元気そうで。
けっこう、動向をチェックしてますよー。

[644] pipit 2021/05/27 19:20 fr/tgpOc4Sf

>>643
わ〜〜〜い、きまぐれさん、書き込みありがとうございます!\(^^)/
お元気でうれしいです(^_^)v

きまぐれさん、ヤスパースさんが『佛陀と龍樹』という本を出版されてたのご存知でした?
ブッダはまだしも、龍樹にまで言及されてるのかー、と、びっくりしました。

[645] きまぐれ 2021/05/27 20:03 J6/2NARcXy9

pipitさん

お気にかけて頂いて嬉しいです😃
ありがとうございます!

佛陀と龍樹は知りませんでした。
まだヤスパースさんには手を出せていないので…。
現象学の本を読み始めてるので、いずれ読んでみたいです。
読みたい本増えてく一方です。
正法眼蔵も買ったんですけど、積んでます。

それにしても確かにヤスパースの「佛陀と龍樹」は気になりますね。

[646] きまぐれ 2021/05/27 20:07 J6/2NARcXy9

ヤスパース選集 5に収録されてるのかな

[647] きまぐれ 2021/05/27 20:47 J6/2NARcXy9

最近、「不一不異」という言葉が、その言葉が示すことが、気になっています。
絶対矛盾的自己同一とも通じるものがあるような気がしています。

[648] 地下水 2021/05/27 22:46 O1/f8x3gK2k

>>634 不死なんて都合の良い事は無いですよ。皆んな自分の御爺さんや御婆さんが亡くなった姿や御葬式には出たでしょうが。事実に目をつぶって、赤の他人の嘘話に浸るのはどうかと思いますよ。死に備えるのが本来の在り方ですよ。

[649] 過疎道ドライブ 2021/05/28 14:37 bW/n3LFbJcN

皆様こんにちは~

きまぐれさんはpipitさんに任せて・・

それにしても地下水さんはチャチャ入れて意地悪過ぎですね・・

pipitさんの🍵と地下水さんのチャチャは天と地の差がありますよ・・

一煎さし上げます🍵🍵🍵🍵🍵

[650] 過疎道ドライブ 2021/05/28 15:00 bW/n3LFbJcN

地下水さん

pipitさんのスレッドではpipitさんにお聞きになって下さい・・

地下水さんが論理学が0点なのは視野が狭いのだと思います・・

オカルト超常現象板で・・論理学0点の所で地下水さんは思考停止ですよ・・

pipitさんほんとにお邪魔してすみません🙇

[651] pipit 2021/05/28 16:46 fr/tgpOc4Sf

みなさま、ただいまです〜(^o^)/

お、ドライブさんのお茶、いっぱいあるから、一杯いただいちゃお〜🍵(事後承諾(^人^))

まろやか〜(想像)
また後でゆっくり書き込みさせていただきますね!
まったくおじゃましゃないですよー(o^^o)

家事してきも〜す 🍳

[652] pipit 2021/05/28 16:48 fr/tgpOc4Sf

>>651
あぁ、入力まちがいです_| ̄|○

おじゃまじゃないですよー、です!(^_^)

[653] 過疎道ドライブ 2021/05/28 20:32 O1/n3LFbJcN

pipitさん

私ばかりで無くきまぐれさんもレスしてください・・時さんとかご健在でしょうか?

ヤスパースさんによれば存在と非存在・空と空ならざるものという対立で仏陀を見ようとする者は盲人が太陽を見ないのとおなじに仏陀を見ないそうです。

対して依存的発生(縁起の説)を見る者は、苦を、苦の発生を、苦の滅を、そして苦を滅する道を見るそうです。眼を備えた人間が光の輝きによって様々な現象を残り無く見尽くすのと同じだそうです。

『仏陀と龍樹』続きを読んでいます・・今日もお邪魔しました・・_(._.)_

[654] 過疎道ドライブ 2021/05/28 21:04 bW/n3LFbJcN

↑追伸 仏陀を永遠か永遠で無いか空か空で無いかで見たら盲目らしいです・・🙏

[655] pipit 2021/05/28 21:51 fr/tgpOc4Sf

>>653
> 私ばかりで無くきまぐれさんもレスしてください・・時さんとかご健在でしょうか?<

きまぐれさんにはもちろんお返事するつもりですよー!
ちゃんと考えてお返事したいと思ってます!📖
(あ、ドライブさんには考えてないということではないですよー、あは)

時兄上は、きっと仏道邁進中なのではないかと。
時々遊びに来てもらえると嬉しいけどなぁ。
私が不出来すぎる後輩だからなぁ🥲

むむむむ、地下水さん話題にも、気が向いたら、何か書く、かな?

いろんなみなさま、おつかれさまです!

[656] きまぐれ 2021/05/28 22:21 J6/2NARcXy9

pipitさん

私へのレスはいつでも構いませんからね。極論スルーでも問題ないです👌

明日から、フッサールの「内的時間時間意識の現象学」に取り掛かります。
ふくろうさんに教えて頂いた「これが現象学だ」の著者、谷徹さんが翻訳された本です。
少し仏教はお休みの予定です。

[657] pipit 2021/05/29 00:53 fr/tgpOc4Sf

きまぐれさんへ
>>656
ありがとうございます!

フッサールなどの現象学はめちゃめちゃ難しそうな印象です。
でも、きっときまぐれさんには合ってるのかも、とも思います。
読解できるといいですね!
応援してますよ〜😊

ふくろうさんも、目が大丈夫だといいですね。
きまぐれさんもふくろうさんとお話しできると、考察がめちゃめちゃ深まりそうですよね。

>>646
>ヤスパース選集 5に収録されてるのかな<
情報をありがとうございます!

>>645
>正法眼蔵も買ったんですけど、積んでます。<
これまた難しそう!でも内容を理解できたらいいなぁと憧れますが、、、
私も読みたい本いっぱいで、いろいろ積んでます ! 📚📚

読書、楽しみですね ♪
書き込みありがとうございます(^o^)/

[658] pipit 2021/05/29 00:55 fr/tgpOc4Sf

不死のことは、また、後ほど書き込みしようかなと思います。

今日、仕事 〜

がんばりまーす _(┐「ε:)_

[659] きまぐれ 2021/05/29 05:30 J6/2NARcXy9

pipitさん

ありがとうございます!
お仕事頑張ってください👍

[660] pipit 2021/05/29 07:25 fr/tgpOc4Sf

ありがとうございます!

がんばって(のんびり系絶対基準)進めるぞ〜 p(^_^)q

[661] pipit 2021/05/29 07:26 fr/tgpOc4Sf

あ、のんびり系、というと、もう、相対?

むむむ、哲学、、、

[662] 2021/05/29 10:02 bW/ipic7T1J

>>655 pipitさんへ

こんにちは。お久しぶりです。

> 時々遊びに来てもらえると嬉しいけどなぁ。
> 私が不出来すぎる後輩だからなぁ

妹君が不出来だなんて微塵も思っていませんよ(笑)ただ、私の書き込む話題がないだけで、よくロムはしていますし、pipitさんのHNを見かけるたびに、応援する気持ちが沸き起こっています。

仏典を読んでいますと、それは理解するだけではなくて、体験を伴わなければ学ぶという意味がないことに気づきます。そのような意味での在家の私の目標の限界は、最終的に不還果です。

不死は、心の解脱の境地ですね。十二支縁起(無明・行・識・名色・六処・触・受・渇愛・取・有・生・老死)でいうと、八支聖道で受の生起と滅尽を、触の生起と滅尽をあまねく知り、禅定にて渇愛を滅尽できれば最後の老死は滅尽します。つまりは不死の境地ですね。死がないとき(不死)には次の生はないですね。転生が起こらないという事でしょう。つまりは、輪廻の終焉を迎えます。とか、各瞑想の境地が己身であるならば、それは有身ですのでこれを超えた境地ですとか。

解釈は人それぞれだと思います。頑張ってみてください。

[663] 志保✋😁 2021/05/29 13:03 Ce/maNUwBOJ

地下水さんこんにちは👋😃

[664] pipit 2021/05/29 22:20 fr/tgpOc4Sf

>>662
時さん、書き込みありがとうございます!!
嬉しいです♪(о´∀`о)

> 仏典を読んでいますと、それは理解するだけではなくて、体験を伴わなければ学ぶという意味がないことに気づきます。<

私も、私個人のこととして考えれば、心底そう思いますし、このチャンスを逃すのはあまりにもったいない、と、思います。
、、、が、日々のアレコレを言い訳に、あと数年後に生活が落ち着いたら、修行みたいなのしよう、と、、、
怠け者です、、、

>そのような意味での在家の私の目標の限界は、最終的に不還果です。<

素晴らしいですね、私の目標は、預流果です。

>不死は、心の解脱の境地ですね。十二支縁起(無明・行・識・名色・六処・触・受・渇愛・取・有・生・老死)でいうと、八支聖道で受の生起と滅尽を、触の生起と滅尽をあまねく知り、禅定にて渇愛を滅尽できれば最後の老死は滅尽します。<

なんとなく頭に「想受滅」という言葉が浮かんでいました。
経典、すごいですよね。
2000年以上前に、、、びっくりしますし、今世で経典に出会えたこと、本当に幸せに思います。

ちょっと話変わりますが、前に時さんが私に、見解を見るのではなく見解に触れた受を見るといいとアドバイスくださったでしょう?
(勘違いしてたらすみません)
わたしには本当に実践的なアドバイスで、重宝しています。
とても感謝していますm(_ _)m

>死がないとき(不死)には次の生はないですね。転生が起こらないという事でしょう。つまりは、輪廻の終焉を迎えます。とか、各瞑想の境地が己身であるならば、それは有身ですのでこれを超えた境地ですとか。<

やっぱり十二因縁の生起の連鎖が滅する境地ですよね。
ダンマパダの偈を引用して、思うことを後で少し書き込みますね。
自らで立証できたら最高なんだけどなー
書き込みいただいてとても嬉しいです、ありがとうございます(^o^)/

[665] pipit 2021/05/29 22:23 fr/tgpOc4Sf

>>663
志保さん、こんにちは〜
地下水さん、なにか答えてくれるといいですね!

[666] 2021/05/29 23:21 bW/ipic7T1J

>>664 pipitさんへ

返信をありがとうございます。

> なんとなく頭に「想受滅」という言葉が浮かんでいました。
> 経典、すごいですよね。
> 2000年以上前に、、、びっくりしますし、今世で経典に出会えたこと、本当に幸せに思います。

はい、そうですね。日本語訳での「想受滅」は九次第定の最後の境地として訳されていますが、この境地も不死の境地と言えば境地だと思います。心の解脱(心解脱)ということでは、とある尊者がとある居士に質問しているシーンが相応部経典にはあるようです。無量なる心解脱、無所有なる心解脱、空性なる心解脱、無想なる心解脱について、表現が違うだけでそれぞれは同じ境地なのか?違う境地なのか?とっいた内容で、その居士の答えは、ある意味では違う境地で、ある意味では同じ境地ですと答えています。

これは例えばですが、フルマラソンを走り切った時に、ゴールした。テープを切った。完走した。走破した。と同じような感覚だと思います。(それぞれの言葉としての意味合いは違っても、同じことを言っていますね。)

> ちょっと話変わりますが、前に時さんが私に、見解を見るのではなく見解に触れた受を見るといいとアドバイスくださったでしょう?
> わたしには本当に実践的なアドバイスで、重宝しています。

それはよかったです。この受を見つめるというのは、四念処(身念処・受念処・心念処・法念処)の瞑想の中の受念処に当たります。そしてこれは、正定(四禅定の事)へ移行していくのですね。他をマスターし、これが終了すれば、慧解脱です。

> やっぱり十二因縁の生起の連鎖が滅する境地ですよね。

はい。一応は、苦の滅尽の境地だと思います。

> 自らで立証できたら最高なんだけどなー

自らで立証するのは、仏教を学ぶ度に証得できていくと思いますよ。自らでですが。

[667] pipit 2021/05/30 08:13 fr/tgpOc4Sf

>>666
時さん、ありがとうございます!

>自らで立証するのは、仏教を学ぶ度に証得できていくと思いますよ。自らでですが。<

はい、自ら、しかないですよね
少しずつでもがんばります!

ダンマパダ423
『前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至って、直観智を完成した聖者、完成すべきことをすべて完成した人、ーーーかれをわれは〈バラモン〉と呼ぶ。』

ワイド版岩波文庫『ブッダの真理のことば・感興のことば』中村元先生訳、p69より引用

[668] pipit 2021/05/30 08:44 fr/tgpOc4Sf

みなさまおはようございます😊

パーリ経典における『不死』という言葉について思うことをほんの少しだけ書きます。

ダンマパダという経典に、次のような偈があります。

『不死の境地を見ないで百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きるこのとほうがすぐれている。』
ダンマパダ114

ワイド版岩波文庫『ブッダの真理のことば・感興のことば』中村元先生訳、p26より引用。

この偈を読みますに、経典においては、私たちが普通に考える生死としての死、と、不死の境地という言葉で使われる死が、同一の内容ではないように私には思えます。

不死の境地を見たなら、生まれてから一日で死んだ方が優れている。
何に比べて優れているか?
不死の境地を見ずに、生まれてから100年生きて死ぬよりも優れている、ということですから。

不死の境地を見ずに、生まれてからずっと死ななくても(仏教では、生まれたら死ぬのはこの世の理、とされてると思いますが)、つまり通俗的な不死と表現されるのであったとしても、
それは仏教的な不死とは言わない、という捉え方をしてもいいんじゃないかな、と思っていますが、違うかったらすみません。

[669] pipit 2021/05/30 08:54 fr/tgpOc4Sf

>>653
過疎道ドライブさん、おはようございまーす
こちらは今日は良いお天気です
はやく気兼ねなく遊びたいですねー🌞🏝

>ヤスパースさんによれば存在と非存在・空と空ならざるものという対立で仏陀を見ようとする者は盲人が太陽を見ないのとおなじに仏陀を見ないそうです。
対して依存的発生(縁起の説)を見る者は、苦を、苦の発生を、苦の滅を、そして苦を滅する道を見るそうです。眼を備えた人間が光の輝きによって様々な現象を残り無く見尽くすのと同じだそうです。<

龍樹さんぽいなーとの感想を持ちました。(全然知識ないですけど(^^;)
ショーペンハウエルさんやニーチェさんもブッダに言及してたような?
実存主義の方と相性いいのかな?

ヤスパースさんの記述を教えていただいてありがとうございます!

[670] きまぐれ 2021/05/30 09:48 J6/2NARcXy9

そもそも、死とは何か?

[671] pipit 2021/05/30 10:48 fr/tgpOc4Sf

>>670
おお!! そうかぁ、その視点の問いかけがありますか〜
きまぐれさん、おはようございます 😊

禅 を 思い浮かべました。また、ドライブさんが投稿してくださったヤスパースさんも浮かびました。

>>640
>>641
ドライブさんの投稿より抜粋引用させていただきますm(_ _)m

>今ヤスパースさんの『佛陀と龍樹』を初めて読んでいます・・
生存の流れを超える船《竜樹の無自性空》は生存の流れから対岸についてしまえば船はもはや余計なもの・・
言葉は与えられた意味なので真正の意味を欠くことが洞見されると言葉は消滅する・・(対岸に到着する)
それでも対岸に船で渡るまでは救済の手引きの言葉を必要としている・・
『佛陀と龍樹』追加を少し・・
ヤスパースさんは第一に自己存在を深めながら無底の根源に沈み『無』の中に立つ・・
同時に第二に無に当面して私自身が独りによってありえる所のあらゆる根源から私の存在が顕かになる
(私に贈られているものにおいて包括者の充足を感じる)
◎一義に自己存在の根源的無が同時に根源的有である。
◎仏教の無を「本来的な全く充実した存在」とおっしゃっています。空即是色🙏<

[672] 過疎道ドライブ 2021/05/30 12:41 bW/n3LFbJcN

>>669

pipitさん こんにちは~

哲学の潮流が合理性と非合理性の間を激しく揺れ動きながらヘーゲルに至ったという事態に現れたのがキルケゴールさんとニーチェさんです。
キルケゴールさんとニーチェさんは同時に仏教の中心問題も指向しているらしいです。

キルケゴールさんの苦を受けてそれを克服されたのがヤスパースさんです。

ヤスパースさんも仏教の宿業感や色即是空、空即是色に類似している所があるそうです・・

地下水さんはメビウス時代から何か月も現れない時がありますから・・志保さんにレスされたら良いですね~

極めるのは酸欠の苦しみと聞きます・・

pipitさんも無理されませんように🙏

[673] 気まぐれ 2021/05/30 14:24 OU/2NARcXy9

>この偈を読みますに、経典においては、私たちが普通に考える生死としての死、と、不死の境地という言葉で使われる死が、同一の内容ではないように私には思えます。

pipitさんが仰るように、自然的態度において使用する死という言葉と、不死と言う時の死という言葉は文字は同じですが、意味は違うのではないかという意味で、死とは何かという使い古された問いを書いてみました。
その違いを意識しないから、不死なんて都合のいいことはないってなってしまうのではないかと。

生死と不死はどのような関係にあると思われますか?

不死を死ではないと捉えたとき、死でないものは生であるということもできます。この時、生と死は対で捉えられている。死でなければ生、生でなければ死という具合に。
この場合、死を問うということは生を問うことになる。死とは何か=生とは何か。

不死とは、生死の片割れである死を否定したものなのか。そうでないとすれば、生死の片割れでない死(また、それに不を付けた不死)とは何か。
生でも死でもないもの。生死とは次元を異にするもの。
西田は絶対は対を絶したものではなく、対を包むものであるという。
もし、不死が生と死という相対を内包する絶対として捉えられているとしたら、生と死が生じる場所としての不死なのだろうか…。

[674] 地下水 2021/05/30 16:09 O1/f8x3gK2k

>>670 死と言うのは、例えば貴方が百歳で亡くなるとして、90歳で寝たきりになるとして、80歳でボケるとして。死に備える必要があります。
 貴方の残したいもの、伝えたい事、身の回りを整理しておきたい事など。
 死は突然訪れるかもしれませんから、普段から伝えたい事、残したい事を整理しておくのも良いですね。来世は無いのですが、人間ですからね。

[675] きまぐれ 2021/05/30 16:23 J6/2NARcXy9

何が突然訪れるんですか?
何かわからないものに備えることはできないと思うのですけど…。

[676] 地下水 2021/05/30 17:09 O1/f8x3gK2k

>>675 貴方は自分の親の御尻を拭いた事が無いのですか?
それでは死が何か解らないかも知れませんね。

[677] きまぐれ 2021/05/30 17:11 J6/2NARcXy9

なるほど。
コメント、ありがとうございました。

[678] pipit 2021/05/30 18:03 fr/tgpOc4Sf

>>672
ドライブさん、こんばんは〜
書き込みありがとうございます!

[679] pipit 2021/05/30 18:20 fr/tgpOc4Sf

>>673
気まぐれさん、こんばんは〜

>不死とは、生死の片割れである死を否定したものなのか。そうでないとすれば、生死の片割れでない死(また、それに不を付けた不死)とは何か。
生でも死でもないもの。生死とは次元を異にするもの。
西田は絶対は対を絶したものではなく、対を包むものであるという。
もし、不死が生と死という相対を内包する絶対として捉えられているとしたら、生と死が生じる場所としての不死なのだろうか…。<

きまぐれさんのおっしゃることわかるかも?なのですが、初期仏教の場合は、十二因縁のような考え方が柱となって、
無明が滅すると渇愛も滅し、渇愛によって生じていた生死も滅するかもで、
場、は、そのままかもだけど、不死であり不生、になるかも、
と今の段階では思いました。
とても微妙で、相対が起こるステージを根本から「不」にするイメージを今のところもってます、といっても場が新たに生じるわけでもなく、

滅 しか、現象の上では、表現がないかんじかなぁ
全然違ってたらすみません。

参考になったらいいなぁと希望のもと、禅のおぼうさまの著書から引用しますね。

[680] pipit 2021/05/30 18:52 fr/tgpOc4Sf

片山一良先生著、『パーリ仏典にブッダの禅定を学ぶ『大念処経』を読む』大法輪閣、p216より引用

※まず、経典の解説書である『註釈』の記述です。途中略させていただきます。

引用開始
『このことについて、註釈はつぎのように述べております。
「涅槃(無為)はただ一つであるが、一切の有為に対することにより、その名前は多数となる。たとえば、完全な消滅(離貪)、完全な滅尽、捨棄、破棄、解脱、無執着、(・・・略・・・)、不生、不老、不病、不死、無愁、無悲、無悩、無雑染といったものである」
(略)
無為という実相は、有為という諸法として、さまざまに見られるということでありましょう。』
引用終了

※次は経典(ウダーナ第八章「第一涅槃関係経」)の記述です。

引用開始
『「比丘たちよ、このような境地(涅槃)があります。そこには地もなく、水もなく、火もなく、風もなく、空無辺処もなく、識無辺処もなく、無所有処もなく、非想非非想処もなく、この世もなく、あの世もなく、月・太陽の両者もありません。比丘たちよ、私はそこに来ることも、行くことも、止まることも、没することも、生まれかわることも説きません。これは、拠り所のないもの、生起のないもの、所縁のないものです。これがすなわち苦の終わりです。」と。』
引用終了

[681] pipit 2021/05/30 18:57 fr/tgpOc4Sf

片山先生は大乗仏教のおぼうさまなので、この後「生死すなわち涅槃なり」という章題で、龍樹さんや道元さんにも触れられてます。

読みたいなーという方がおられましたら、引用しますので、どなた様でも遠慮なくおっしゃってくださいね!

おつかれさまです (^o^)/ 🍵🍀

[682] 気まぐれ 2021/05/30 19:56 J8/2NARcXy9

pipitさん

コメントおよび引用ありがとうございます。
愛猫に邪魔されながら書いております(笑)

私は先のコメントで、不死を生死の次元を成立させる次元として捉えたかったのだと思います。
これは先存在的領域のことなので言葉にできません。
上記の表現も不適切でしょう。
無において存在が生じているというようなことを言いたかったのです。この場合、不死が無で生死は存在ということです。
この表現も不適切ですが。

[683] pipit 2021/05/30 20:16 fr/tgpOc4Sf

>>682
気まぐれさん、ありがとうございます
いいなー、猫ちゃんいるんですね 🐱  

> これは先存在的領域のことなので言葉にできません<

気まぐれさんは、この先存在的領域から存在がもう生まれ・ないことは可能と考えられますか?

[684] 気まぐれ 2021/05/30 21:05 J8/2NARcXy9

>>683

pipitさん
我が家には2匹の猫がいます。もう2か月前になりますか、弟が会社から1匹拾ってきました。そいつはさみしがり屋で、一日中追い掛け回されています。

>気まぐれさんは、この先存在的領域から存在がもう生まれ・ないことは可能と考えられますか?

質問の意図をつかみかねますが、ニュアンス的に「なぜ何もないのではなく存在は存在するのか」的な雰囲気の問いですね。
うーん、可能か不可能かで言えば可能な気がしますが、考えられるか考えられないかで言えば、考えられないでしょうね。考えられるのであれば、生まれていますからね。

答えになってますかね…。

[685] pipit 2021/05/30 22:26 fr/tgpOc4Sf

>>684
気まぐれさん、返信ありがとうございます!

猫ちゃんに懐かれたのですね〜 大変かもだけど
いいなあ 〜

> 答えになってますかね…。<

ばっちりなってると思ってまーす、ありがとうございます!

わたしの現在の見解(私見)を書きますね。

>質問の意図をつかみかねますが、ニュアンス的に「なぜ何もないのではなく存在は存在するのか」的な雰囲気の問いですね。<

パーリ仏典では、四聖諦(苦・集・滅・道)のうちで、

なぜ存在は存在するのか、を語っているのが、集諦で、
何もない(存在がない)先存在的領域、が、滅諦で、
滅に至るための道が、道諦

だと、今のところ思ってるんです。

きまぐれさんの捉え方、前より想像できた気がします。
ありがとうございます😊

[686] 地下水 2021/05/31 03:02 O1/f8x3gK2k

>>677
 『死んだら終い。』これが母の言葉です。
つまり、対価も恨みも死んだらキャンセルされるんですよ。
 死なない人が居るとしたら、それは本当の資本家であって、貴族であって、皇族であって、王族なのです。天皇といいますが、天は頭の良い人、もしくは冠を被った人の象形文字ですね。

[687] 気まぐれ 2021/05/31 06:37 J8/2NARcXy9

>>この偈を読みますに、経典においては、私たちが普通に考える生死としての死、と、不死の境地という言葉で使われる死が、同一の内容ではないように私には思えます。

このことをもう少し考えたい。
基本的なことかもしれないけれど、死と同様に、そもそも、生の捉え方が、普通に考えている生と、仏教的?な生では捉え方が違うのではないですか?
自性的に捉えられる生に対する無自性に縁起する生と言うように。
これに基づいて、死の捉え方が違うものになるのだと思います。

[688] 過疎道ドライブ 2021/05/31 14:46 O1/n3LFbJcN

pipitさん こんにちは~

『仏陀と龍樹』を少しだけ・・お邪魔します・・

科学や哲学的思索は意識形式内なのに

インドの哲学はこの意識そのものを手中にとり、瞑想を修することによって一層高い形式に至るそうです。

単なる意識段階から上昇的な系列をなす超意識の超越していく意識経験があるそうです・・

神的な明晰な超感覚的な眼で仏陀は見たそうです。

一歩間違うと魔術や超能力です(◎_◎;)

やはり限界突破は危ない南無南無🙏

[689] pipit 2021/05/31 18:58 fr/tgpOc4Sf

>>687
きまぐれさん、こんにちは!

>>この偈を読みますに、経典においては、私たちが普通に考える生死としての死、と、不死の境地という言葉で使われる死が、同一の内容ではないように私には思えます。
>このことをもう少し考えたい。
基本的なことかもしれないけれど、死と同様に、そもそも、生の捉え方が、普通に考えている生と、仏教的?な生では捉え方が違うのではないですか?
自性的に捉えられる生に対する無自性に縁起する生と言うように。
これに基づいて、死の捉え方が違うものになるのだと思います。<

はい (^_^)

きまぐれさんご自身が心から納得のいくものに出逢えますように。

🍀🌈🌟

[690] pipit 2021/05/31 19:00 fr/tgpOc4Sf

>>688
ドライブさん、こんにちは〜

超能力かもですよぉ〜〜〜 ☆彡

[691] 過疎道ドライブ 2021/05/31 19:52 bW/n3LFbJcN

>>690

返信ありがとうございます。

カントさんと続く観念論者は世界認識を真なるものとしての範疇的構造が現象に限られるものでは無く
永遠なる真理そのもの神の考案されたものとみなしました。(世界認識と世界行為を正当化しました。)

仏教の観念論者は世間の放棄・世界認識の断念、世界形成が無益で人の偏執の内に捉えて離さぬ行為の断念を正当化しました。

仏教において超能力も世界から逃げる手段でしょうか?

[692] pipit 2021/05/31 20:38 fr/tgpOc4Sf

ドライブさん、こんばんは

>カントさんと続く観念論者は世界認識を真なるものとしての範疇的構造が現象に限られるものでは無く
永遠なる真理そのもの神の考案されたものとみなしました。(世界認識と世界行為を正当化しました。)<

これ、ヤスパースさんの本からの引用ですか?
カントさん「と」ではなく、カントさん「に」ではないですか?

それともドライブさんのオリジナル文章ですか?

[693] 過疎道ドライブ 2021/05/31 21:02 bW/n3LFbJcN

>>692

返信ありがとうございます・・微妙に私って端折ったりして替えて書いていますから御免なさい。

『佛陀と龍樹』99ページを抜粋します・・

カントは、可能的経験の限界内で世界認識を真なるものとして認めるためにこの構造を考えた。
かれにとって、世界はたしかに現象であるが、仮象ではない。
カントにつづく観念論者たちは、これらの範疇的構造をその意味の限界内において、現象に限られるものとは考えず、永遠なる真理そのもの、
神の考察されたものとみなした。

[694] pipit 2021/05/31 21:03 fr/tgpOc4Sf

>>691
> 仏教において超能力も世界から逃げる手段でしょうか?<

パーリ仏典では、六神通と呼ばれる六種の『超人的な能力』(超能力、ですよね?)が修行で現れ得るとされ、ただ解脱するためには、【漏尽通】一つがあればそれでいい、と説かれてるっぽいです。(違ってたらすみません)
つまり、解脱者なら全員【漏尽通】は得ているが、解脱者であっても、その他の超能力は個性によりけり、なのかもっぽいです。

wikiに『六神通』の説明あったので、抜粋引用しますね。

『六神通(ろくじんずう、ろくじんつう、巴: chaḷabhiññā[注釈 1])とは、仏教において仏・菩薩などが持っているとされる6種の超人的な能力。6種の神通力。六通ともよばれ、止観の瞑想修行において、止行(禅定)による三昧の次に、観行(ヴィパッサナー)に移行した際に得られる、自在な境地を表現したものである。

(略)

漏尽ろじん道(巴: āsavakkhaya-ñāṇa) - 煩悩が尽きて、今生を最後に二度と迷いの世界に生まれないことを知る智慧。生まれ変わることはなくなったと知る力。

(略)

(その次に)「汚れの滅尽に関する知(漏尽通)を獲得する」ことができる
「苦しみ(汚れ)、苦しみ(汚れ)の原因、苦しみ(汚れ)の消滅、苦しみ(汚れ)の消滅への道(以上、四聖諦)を、ありのままに知ることができる」
「欲望・生存・無知の苦しみ(汚れ)から解放され、解脱が成され、再生の遮断、修行の完遂を、知ることができる」
(略)』

[695] pipit 2021/05/31 21:09 fr/tgpOc4Sf

>>693
ドライブさん、引用ありがとうございます。

> カントにつづく観念論者たちは、これらの範疇的構造をその意味の限界内において、現象に限られるものとは考えず、永遠なる真理そのもの、
神の考察されたものとみなした。<

おそらくですが、『これらの範疇的構造をその意味の限界内において、現象に限られるもの』とカントは考えたのですが、
続く観念論者は、現象を、『永遠なる真理そのもの、神の考察されたものとみなした』

と、この文章は言ってるのではないかと思いました。

違ってたらすみません。

[696] pipit 2021/05/31 21:20 fr/tgpOc4Sf

>>695
> 続く観念論者は、現象を、『永遠なる真理そのもの、神の考察されたものとみなした』<

うーん、現象を、ではないかな、
カントさんではない観念論者は、
範疇的構造、を、永遠なる真理そのもの、とみなした
という意味合いかな??
(違ってたらすみません)

これらの文章は、ヤスパースさんの見解として、ですね。

[697] 気まぐれ 2021/05/31 21:38 J8/2NARcXy9

カントにとっては範疇的構造によってとらえられるものこそが現象であるにもかかわらず、続く観念論者は、範疇的構造を現象を超えたもの(=永遠なるもの、神の考察されたもの)にも適用できると見なしたということでは?

[698] 気まぐれ 2021/05/31 21:48 J8/2NARcXy9

>>697
ちょっと違いますね(笑)
眠い時に書くもんじゃないですね…。

[699] pipit 2021/05/31 21:58 fr/tgpOc4Sf

>>697
気まぐれさん、こんばんは〜

人間に備わっている範疇的構造は、
現象だけではなく、現象を超えた(五感を超えた)真理の世界の認識にも真として使える、って意味あいでしょうか??

って、投稿しようと思ったら、
>>698

上記pipitの意見はどうでしょうか?

わたしはドイツ観念論のことなどは、ほとんど知らないので、きまぐれさんの考えを聞かせてもらえるとありがたいです。

[700] 気まぐれ 2021/06/01 06:17 J8/2NARcXy9

>>699 pipitさん

おはようございます。

>人間に備わっている範疇的構造は、
現象だけではなく、現象を超えた(五感を超えた)真理の世界の認識にも真として使える、って意味あいでしょうか??

カントはそうは考えなかったけど、続く観念論者はそうみなしたとヤスパースは書いている、とドライブさんは書いている。ということだと思います。

私もずぶの素人ですので、精確なところはわかりませんが…。

ここからどう仏教につながるのか、気になりますね。

[701] きまぐれ 2021/06/01 06:31 J6/2NARcXy9

pipitさん

> 仏教の観念論者は世間の放棄・世界認識の断念、世界形成が無益で人の偏執の内に捉えて離さぬ行為の断念を正当化しました。

この部分については、どう思われますか?

[702] 過疎道ドライブ 2021/06/01 16:41 bW/n3LFbJcN

こんにちは~

カントさん名言・・

何度も繰り返し長い時間をかけて考えれば考えるほど、いつも新たな、いよいよ強い感嘆と畏敬とで心をみたすものが二つある。
私の上なる星空と私の内なる道徳法則とである。

↑カントさんは現象を超えていたのではないでしょうか?

カントさんは、世界はそれ自らの内では終結しえないという意識へと導くらしいです・・

[703] 過疎道ドライブ 2021/06/01 16:49 bW/n3LFbJcN

pipitさん

私への返事は後でいつでもいいですよ・・

気まぐれさんと進めてください・・

私はカントさんは鬼門なので・・カントさんをすると呆けるかも・・

本命は形而上学なのでカントさんについて間違った見解だったら御免なさい🙇

最近働き過ぎで病で倒れる有名人が多いですね・・

一般人はもっと多いと思います・・くれぐれもご無理なさいませんように🙏

[704] pipit 2021/06/01 20:14 fr/tgpOc4Sf

>>700
きまぐれさん、こんばんは!
返信ありがとうございます😊

>>701
>> 仏教の観念論者は世間の放棄・世界認識の断念、世界形成が無益で人の偏執の内に捉えて離さぬ行為の断念を正当化しました。
この部分については、どう思われますか?<

仏教の観念論者とはブッダのことなのかな?
龍樹さんのことなのかな?
唯識論者のことなのかな?
わからないのですが、
仏教の出世間的な側面について言いたいのかな?
と思いました。

wiki『出世間』より抜粋引用
『出世間(しゅっせけん)とは、煩悩などのけがれに汚染された、この世界の全ての存在を世間というのに対し、それを超越しているものを指す。』引用終了

龍樹さんのような大乗仏教になると、「涅槃は世間と少しの分別も有ることなし」で、
>> 仏教の観念論者は世間の放棄・世界認識の断念、世界形成が無益で人の偏執の内に捉えて離さぬ行為の断念を正当化しました。<<
という文章は、当てはまらないかもしれませんね。
道元さんも、「生死すなはち涅槃なり」とおっしゃってる感じ?

> 世界形成が無益で人の偏執の内に捉えて離さぬ行為の断念を正当化<
という文章が、ちょっと??なのですが、
ヤスパースさんの関連文章(その語句が出てくる文章)を、そのままの引用で読みたい気持ちはありますが、、、
(それともドライブさんのオリジナル思考なのかな?)

ヤスパースさんの仏教への言及、またご縁があれば、読んでみるかもです(^O^)
ヤスパース先生はどんな印象を仏教にもたれてるのかな?(^_^)

[705] 過疎道ドライブ 2021/06/01 20:35 bW/n3LFbJcN

pipitさん

私はヤスパースさんの仏教について明日返信します・・

オカルト板でレスし過ぎました・・

1日2時間以上するのはいけないらしいです・・

仕事で使っていた時は眼科に行っていたほどです・・今はあまり使わないので視力が良くなってきました・・

それでは🙏

[706] pipit 2021/06/01 20:35 fr/tgpOc4Sf

>>703
過疎道ドライブさん、こんばんは〜

ありがとうございます!
ドライブさんは、もっともっと熱心に真面目に働かれてたと思います。
おつかれさまです🍀🍵

優しすぎて身を犠牲にしてる感じに働かれてる方がいて、切なくなります。
みんなその方が大好きなんですけどね。

>私はカントさんは鬼門なので・・カントさんをすると呆けるかも・・<

できれば認知症になりたくないけど、もしなるなら、せめてカント先生みたいなかんじになりたいかなぁ。

wikiより
『最後の言葉は、ワインを水で薄め砂糖を混ぜたものを口にしたときに発したという「これでよい(Es ist Gut)」であったと伝えられている。』

例え、もし意味合いがおいちい、だったとしても、それでも、Es ist Gut と安らかな最期の言葉で。

Es ist Gut、さんきゅー、と死ぬ時に心から言えたら、すごいなぁ。

[707] pipit 2021/06/01 20:37 fr/tgpOc4Sf

>>705
無理しないでくださいね、
引用しなくてもいいですからね

おつかれさまです🍵🍀

おやすみなさーい😊🌠

[708] pipit 2021/06/01 20:45 fr/tgpOc4Sf

カント先生の晩年を知ると

知識も消えいくのだなー

と。

知識によって心に与えられた変化は、心の在り方として、残ればいいなぁと思うけど

[709] pipit 2021/06/01 20:47 fr/tgpOc4Sf

カント先生の自覚を想像すると切ない

実際はサバサバしてたらいいなと思うけど

[710] 気まぐれ 2021/06/01 22:41 J8/2NARcXy9

>>704
pipitさん、こんばんにゃ

私は仏教史のようなものに疎くて、気になった部分のみについての本を少し読んだだけなので(具体的には華厳とか、禅とか)、精確なところはわかりませんが、無自性を論じる場面で、この世の自性があると思われているものは虚妄だ。みたいな話はなかったでしたっけ?一切皆空のような…。

以下の引用文?はそういうところを意識した指摘なのかなと思ったのですが。

> 仏教の観念論者は世間の放棄・世界認識の断念、世界形成が無益で人の偏執の内に捉えて離さぬ行為の断念を正当化しました。

龍樹の「涅槃は世間と少しの分別も有ることなし」も道元の「生死すなはち涅槃なり」も
涅槃と世間、生死と涅槃の間に分別があるという前提があったからこそ、そうじゃなくて別のものではないんだよといったのかなと思いました。
不一不異。
涅槃と世間(生死)は同じではないが別でもない。
西洋は矛盾を避けようとしますから、不一不異みたいな捉え方は中途半端に見えるかもしれませんね。
そして積極的にそういう見方をしようとはしない。
たから、仏教者が自性を否定するところにフォーカスし、現実を否定している(世間の放棄・世界認識の断念、世界形成が無益で人の偏執の内に捉えて離さぬ行為の断念を正当化)と見るのではないかと思いました。

ここに書いた私の見解自体が偏見であるかもしれませんが…。

[711] pipit 2021/06/02 00:16 fr/tgpOc4Sf

>>710
きまぐれさん、こんばんにゃ〜 🐱

> 私は仏教史のようなものに疎くて、気になった部分のみについての本を少し読んだだけなので(具体的には華厳とか、禅とか)、精確なところはわかりませんが、無自性を論じる場面で、この世の自性があると思われているものは虚妄だ。みたいな話はなかったでしたっけ?一切皆空のような…。

以下の引用文?はそういうところを意識した指摘なのかなと思ったのですが。<

>たから、仏教者が自性を否定するところにフォーカスし、現実を否定している(世間の放棄・世界認識の断念、世界形成が無益で人の偏執の内に捉えて離さぬ行為の断念を正当化)と見るのではないかと思いました。<

なるほど、ある種の虚無主義みたいに思える方もいるかもしれませんね。

>龍樹の「涅槃は世間と少しの分別も有ることなし」も道元の「生死すなはち涅槃なり」も
涅槃と世間、生死と涅槃の間に分別があるという前提があったからこそ、そうじゃなくて別のものではないんだよといったのかなと思いました。
不一不異。
涅槃と世間(生死)は同じではないが別でもない。<

私が好んで読んでいるパーリ仏典という経典群では、
涅槃と世間(生死)に関してはけっこうはっきり分別されてる印象で、
お釈迦さまが弟子に涅槃というゴールを示して、そのゴールへの達し方を教える、って雰囲気なんです。

(ちなみに、パーリ経典では、
悟った後、身体がまだある場合の涅槃(煩悩の涅槃)を有余依涅槃(うよえねはん)、
悟った後、最後の五蘊の死を終えるときの入滅時の(素因の涅槃)を無余依涅槃(むよえねはん)
というそうです。
(※片山一良先生『パーリ仏典にブッダの禅定を学ぶ『大念処経』を読む』p 225参照))

ヤスパースさんは、どんな仏典を読まれたのかな??

言及してるのだから、龍樹さんは読まれたのでしょうね ! 

[712] 過疎道ドライブ 2021/06/02 12:01 bW/n3LFbJcN

>>707

pipitさん  こんにちは~

ヤスパースさんの仏教見解の一部で申し訳ありませんが・・

ヤスパースさんは仏教を有即無、無即有と評価しながらも実際はニヒルに捉えていらっしゃるそうです。
般若の『空』を「思惟以上のもの」と言い恰も一羽の鴨が決して濡れない世界を抜けて行くように
世界を捨てることによって世界を克服する、そして終には「手の届かない処、交通しえない処へ消失する」というものらしいです。
思惟されえないものへの止揚がその終局らしいです。

ヤスパースさんはインド学者M. ワレーザーさんを通して八千頌般若、金剛般若に触れていますが般若の理解は単に思惟を契機するもので無く
生にまで掘り下げていらっしゃるそうです・・

仏陀の瞑想の最高段階の直観『覚智』は輪廻の世界も世界のあらゆる領域も、神々の領域、地獄に至るまでの再生の道も眼前に躍動するらしいです。
苦の原因成り行き、教説での命題の形で不十分にしか伝えられない一切の事を明察できるそうです。

瞑想してみたいけど少し怖い気がします・・それでは🙏

[713] pipit 2021/06/02 14:44 fr/tgpOc4Sf

>>712
過疎道ドライブさん、こんにちは〜(^o^)/

とてもわかりやすくまとめてくださりありがとうございます!
興味深く読ませていただきました 📖 👀

わたしも瞑想したいけど、日々の生活を言い訳に、全然できてません(^^;
でも、いつ死ぬかはわからないから、やっぱり、できることをちょっとずつでも実践した方がいいんだろうな、と、今、ダンマパダ286〜289の偈を見て思いました。

ドライブさん、ありがとうございます!

[714] きまぐれ 2021/06/03 21:30 J6/2NARcXy9

pipitさん

こんばんにゃ〜🐈

私は徒歩で通勤していて、朝、歩いている時に聞いてみたくなったのですけど、やっぱり「死とは何か」と言う問いがまだ尾を引いていて、仏典では死について、それがなんなのかについて、何か書いてあるのかなと、気になりました。
もし何か思い当たるものがあったら教えてくださいm(_ _)m

[715] pipit 2021/06/04 07:27 fr/tgpOc4Sf

きまぐれさん
こんにちワン 🐕

また仏典見てみますね(^o^)/

歩くのいいなぁ、、、ですが、
今日は大雨のところが多いそうなのでお気をつけてくださいませ!

もうすぐアジサイが綺麗に咲き出しますね😊☔️

[716] 過疎道ドライブ 2021/06/04 12:47 bW/n3LFbJcN

皆様 こんにちは~

少しだけヤスパースさんを紹介します・・

死んでいるのに永久に生きなければならない、生きていないのに死ぬことが出来ないという苦悩を受けるとすると
徹底的な非存在の安静は、このような永続する恐怖に対する救済です。

死は単に安静としてで無く完成として存在の深さとなる。・・らしいです・・

もっと深い内容は・・多すぎて書ききれません🙇

無が有を支えていると習いました・・

それでは🙏

[717] 地下水 2021/06/04 13:04 O1/f8x3gK2k

>>716
 人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。
 不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。
 心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。
 がまんすることが無事に長く安らかでいられる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。
 勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
 自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。
 足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている。

[718] 地下水 2021/06/04 13:37 O1/f8x3gK2k

>>716 日本語では、しのぶ、忍ぶ、偲ぶ。

[719] 過疎道ドライブ 2021/06/04 17:33 bW/n3LFbJcN

>>717
>>718

奥歯にものが挟まったような言い方でございますね・・

何時ものようにばばぁと罵りたいのを抑えていらっしゃるような🙏

[720] 地下水 2021/06/04 18:37 O1/f8x3gK2k

>>719
死んでいるのに永久に生きなければならない、生きていないのに死ぬことが出来ないという苦悩を受けるとすると
徹底的な非存在の安静は、このような永続する恐怖に対する救済です。
死は単に安静としてで無く完成として存在の深さとなる。
・・・
無が有を支えている

この言い方は、あまりにもインド哲学的で日本語になっておらず、いけない。

徳川家康の遺訓
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。

日本語では、しのぶ、忍ぶ、偲ぶ。

[721] 地下水 2021/06/04 18:48 O1/f8x3gK2k

>>719
偲ぶ、は故人をしのぶ、葬儀屋の仕事。
これだけでは、死んでしまうので、世間的には、

その場を、しのぐ。しのいで、生きて行く。

[722] 地下水 2021/06/04 18:58 O1/f8x3gK2k

>>719
ゼロになる体が耳を澄ませる
生きて行く不思議
死んで行く不思議

https://www.youtube.com/watch?v=3BfOmIPTnuI

[723] pipit 2021/06/04 21:59 fr/tgpOc4Sf

>>714
きまぐれさん、こんばんは!
>>673で、
>pipitさんが仰るように、自然的態度において使用する死という言葉と、不死と言う時の死という言葉は文字は同じですが、意味は違うのではないかという意味で、死とは何かという使い古された問いを書いてみました。<
とコメントくださいましたね。

パーリ経典の中にある、自然的態度においての死を表現したものと私が思う一例として、

『また、比丘たちよ、死とは何か。
それぞれの生けるものの類からの死去・死没・破壊・滅没・死亡・命終・諸蘊の破壊・身体の放棄・命根の断絶です。
比丘たちよ、これが死と言われます。』
(『原始仏教11』片山一良先生訳、中山書房仏書林、p29より引用)
※ 長部第22大念処経より
英訳↓
https://suttacentral.net/dn22/en/sujato

不死、は、一例として、ダンマパダ21を
『つとめ励むのは不死の境地である。怠りなまけるのは死の境涯である。
つとめ励む人々は死ぬことが無い。
怠りなまける人々は、死者のごとくである。』
(『ブッダの真理のことば感興のことば』中村元先生訳、ワイド版岩波文庫、p13より引用)

初期仏教では、自然的態度の(?)死から目を逸らさない印象です。
先に引用した『大念処経』の中には、墓地に捨てられた死体を見るように〈この身も、このような性質のもの、このようになるもの、このような状態を超えないものである〉などと身を観ることが詳細に記述されてます。
死後一日後から死後一年以上のものを段階的に対象にして(^^;(だんだん腐って骨になって、を対象として)

すみません、パーリ経典はたくさんあるけど、私が知ってるのはほんの少しなので、もっと別の記述があると思いますが、わたしの知ってる範囲で引用してみました。

おつかれさまです !

にゃ〜 🐱

[724] 地下水 2021/06/04 22:21 O1/f8x3gK2k

>>723 解り易い解説有難うございます。(^^/

心が働いている人は活きており、心が怠けたまま時を過ごすときは死んでいるのですね。
まあ、適当な休息は必要ですね、毎日夜は寝ますけどね。黙想とか瞑想とかも、あいさに必要ですね。

[725] pipit 2021/06/04 22:43 fr/tgpOc4Sf

>>716
過疎道ドライブさん、こんばんは!
ヤスパースさんの引用、嬉しいです、ありがとうございます😊

>死んでいるのに永久に生きなければならない、生きていないのに死ぬことが出来ないという苦悩を受けるとすると
徹底的な非存在の安静は、このような永続する恐怖に対する救済です。<

あぁ、ほんまやわ〜 と なんか思います 🍀🍵

[726] pipit 2021/06/04 22:50 fr/tgpOc4Sf

地下水さん、こんばんは〜

今、そのうち台湾行きたいなぁと思ってる理由の一つは、
千と千尋の神隠しの光景っぽいところがある、ってのもあるんですよね〜

行ける日くるのかなー

ブッダが悟った場所とされる聖地も行ってみたいんですけどね

行ける日くるのか!?!? (~_~;)

はやくコロナ禍が終息してほしいですね!🍀🍵

[727] 地下水 2021/06/04 23:09 O1/f8x3gK2k

>>726
 僕は、カレーを食べてコーヒーを飲んでラーメンを食べて御仏壇にチーンして、御寺巡りで紅葉や黄葉や、送り火や除夜の鐘や桜や御抹茶や写経を楽しんでおきます。(^^;
 散歩は自転車で石清水八幡さんや一休さんや棚倉さんや天神さんや国会図書館を散歩しときます。茶歌舞伎も最高でしたが、福寿園の御茶研究所も行きたいですね。

[728] pipit 2021/06/05 08:04 fr/tgpOc4Sf

みなさまおはようございます😃

>>723
>不死、は、一例として、ダンマパダ21を
『つとめ励むのは不死の境地である。怠りなまけるのは死の境涯である。
つとめ励む人々は死ぬことが無い。
怠りなまける人々は、死者のごとくである。』
(『ブッダの真理のことば感興のことば』中村元先生訳、ワイド版岩波文庫、p13より引用)<

おおぅ、英訳の一例はどんなかなーと調べてみたら

(Bhikkhu Sujato さまの英訳)
Heedfulness is the deathless state;
heedlessness is the state of death.
The heedful do not die,
while the heedless are like the dead.

Understanding this distinction
when it comes to heedfulness,
the astute rejoice in heedfulness,
happy in the noble ones’ domain.

https://suttacentral.net/dhp21-32/en/sujato

とあり、原文は、(次の投稿へ続きます)

[729] pipit 2021/06/05 08:11 fr/tgpOc4Sf

>>728

(パーリ原文)は、
Appamādo amatapadaṁ, Variant: amatapadaṁ → amataṁ padaṁ (sya-all, m
pamādo maccuno padaṁ;
Appamattā na mīyanti,
ye pamattā yathā matā.

Evaṁ visesato ñatvā, Variant: Evaṁ → etaṁ (bj, sya-all, km, pts1ed, p
appamādamhi paṇḍitā;
Appamāde pamodanti,
ariyānaṁ gocare ratā.

https://suttacentral.net/dhp21-32/pli/ms

でした。

Appamādo

って、お釈迦様の最後の遺言にも出てくる単語だったような !(◎_◎;)

ちょっとちゃんと知りたいなと思ったので、
図書館で片山一良先生のダンマパダの本を借りてこようかと思います。
中村元先生の訳は心に沁みるかんじで好きなのですが、
片山先生は原文に忠実に、誠実に訳されてる印象があるので、
調べてみます。

[730] 過疎道ドライブ 2021/06/05 16:53 bW/n3LFbJcN

皆様こんにちは~🙏

中村元さん訳の『真理のことば感興のことば』

114 不死の境地を見ないで百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きることのほうがすぐれている。

115最上の真理を見ないで百年生きるよりも、最上の真理を見て一日生きる事のほうがすぐれている。

・・やっぱり最上の真理を見たいと思います。

仏教の真理と哲学の真理は大違いなのです・・どれも一側面でしかないので・・

pipitさん  国によって訳が微妙に違うと思いませんか?

[731] pipit 2021/06/05 18:38 fr/tgpOc4Sf

>>730
過疎道ドライブさん、こんばんは〜(^_^)

( ; ; )

片山先生の本があると思ってた隣町の図書館まで行ったら、、、
勘違いだったようで、お目当ての本は検索にもひっかからず、、
_| ̄|○

また別の本借りたり、ネットで調べてわかったことかいたりしますね!
明日お仕事なので、ちょっと後の書き込みになるかもだなぁ

翻訳は国によっても個性でるかもですね、
環境、気質、同じ日本人でさえ、個性いろいろかもですね。

書き込み、ありがとうございます
おつかれさまです🍀🍵😊

[732] 気まぐれ 2021/06/05 22:38 J8/2NARcXy9

pipitさん

こんばんわん🐶

今日は図書館残念でしたね…。
明日はお仕事無理はせずに頑張ってください。

引用ありがとうございます。
死の話は輪廻思想と解脱につながるのかな…と思ったりしてます。
解脱=不死なのでしょうか?
仮にそうだとしても、この場合の不死は生が永遠に続くという意味での不死ではないですが…。

[733] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/06/05 22:42 5M/BV37Di5o

人は危機状態になると脳内麻薬やDMTが大量分泌されて幻覚をみるらしいな。仏陀は極度の断食により栄養失調となり幻覚をみてそれを悟りと誤解したようだ。

[734] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/06/05 22:43 5M/BV37Di5o

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B3%E5%86%85%E9%BA%BB%E8%96%AC 
ウィキ 脳内麻薬

[735] 気まぐれ 2021/06/05 22:45 J8/2NARcXy9

不死は生死を超えるものではないか。あるいは生死の源泉。
ある意味で、だれもが不死なのだけど、そのことに気が付いていない。
そういうことなんじゃないかなと思ったりしてます…。

[736] きまぐれ 2021/06/05 22:55 J6/2NARcXy9

私は確実に死ぬ。だからこそ、私は(ある意味で)不死である。
この時、本当は「私」というのは不要なのですけどね。
こう言い換えますか。
誰もが確実に死ぬ。だからこそ、誰もが不死である。

[737] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/06/05 22:56 5M/BV37Di5o

輪廻転生があるとして、なんのためにそんな事すんだよ

[738] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/06/05 22:58 5M/BV37Di5o

解脱とかいうけど、じゃ輪廻転生とかそのシステム自体つくったのは誰だ?もし宇宙に製作者がいるなら目茶苦茶しょーもねーやつ

[739] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/06/05 23:04 5M/BV37Di5o

脳内は宇宙と似てるらしいな

[740] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/06/05 23:05 5M/BV37Di5o

https://www-newsweekjapan-jp.cdn.ampproject.org/v/s/www.newsweekjapan.jp/amp/stories/world/2020/11/post-95038.php?amp_js_v=a6&amp_gsa=1&usqp=mq331AQHKAFQArABIA%3D%3D#aoh=16229018816870&referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&amp_tf=%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9%3A%20%251%24s&ampshare=https%3A%2F%2Fwww.newsweekjapan.jp%2Fstories%2Fworld%2F2020%2F11%2Fpost-95038.php 
キモオタの妄想がこの世界なんだろう

[741] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/06/05 23:23 5M/BV37Di5o

増えなき良かったんだよ。人間なんぞ。 
心優しい男女100人くらいで、ガキうみすぎる事もなく。 
果物や動物たべて、現代みたいに平日も休日も無く。 
原始的ではあるが自由に暮らしていればよかった。

[742] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/06/05 23:31 5M/BV37Di5o

食糧や資源が足りないとかじゃなくて人間が減ればいい 

[743] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/06/05 23:39 5M/BV37Di5o

仏陀なんて単なるナルシストだけど、まあ人間なんてみんな自己満足だしな 
むしろ自己満足して些細な幸せすら感じられないような奴のが可哀想だ

[744] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/06/05 23:46 5M/BV37Di5o

輪廻転生にも終わりはあるはずだろ。

[745] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/06/05 23:49 5M/BV37Di5o

朝がきて夜がくる。   
でも太陽にも寿命あるらしいからな。 
いつか朝も夜もこなくなる。 

輪廻転生というサイクルがあるとしても、どこかに終わりがあるでしょう。CDが壊れるようにシステム自体がショートして終わる気がする。

[746] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/06/06 00:03 5M/BV37Di5o

https://youtu.be/w3KJxm4rcf0 
四次元世界らしい
でも時間超越できるなら未来人きてるような

[747] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/06/06 00:20 5M/BV37Di5o

https://youtu.be/ougzt6Euaeo 
 

[748] 地下水 2021/06/06 05:52 bW/f8x3gK2k

>>742 お前がまず死ね。

[749] pipit 2021/06/06 06:13 RR/tgpOc4Sf

>>735
気まぐれさん、こんにちにゃ〜 🐈

>不死は生死を超えるものではないか。あるいは生死の源泉。
ある意味で、だれもが不死なのだけど、そのことに気が付いていない。
そういうことなんじゃないかなと思ったりしてます…。<

わたしの今のところ思っている不死は、
解脱で涅槃で、貪瞋痴(煩悩)の滅尽なのかな〜、なんです。
それで、
>不死は生死を超えるもの<
と思ってるし、
煩悩があるかないか、なので、煩悩の有無よりアプリオリに
> ある意味で、だれもが不死なのだけど、そのことに気が付いていない。<
とも思ってます。

構造の捉え方として似てるように思えますね😊

[750] pipit 2021/06/06 06:18 RR/tgpOc4Sf

気まぐれさんへ
>>736
>私は確実に死ぬ。だからこそ、私は(ある意味で)不死である。
この時、本当は「私」というのは不要なのですけどね。
こう言い換えますか。
誰もが確実に死ぬ。だからこそ、誰もが不死である。<

ここの捉え方は、初期仏教では違うようにわたしには思えています。
気まぐれさんの捉え方のほうが、全員がそのままで救われる考え方なのだろうなぁ、と思いました。
大乗仏教が頭に浮かびます 😊🍀

[751] pipit 2021/06/06 06:26 RR/tgpOc4Sf

>>733
こんにちは〜😊

>人は危機状態になると脳内麻薬やDMTが大量分泌されて幻覚をみるらしいな。仏陀は極度の断食により栄養失調となり幻覚をみてそれを悟りと誤解したようだ。<

わたしの記憶では、パーリ経典では、
釈尊は極度の断食の苦行をしてたんだけど、これは悟りへの道では無い、と苦行を捨て、スジャータの乳粥を召し上がってから瞑想をして大悟された、という感じになってたと思ってます。

大食しない方が楽だよ〜、と王様にアドバイスするお経もあったと記憶してますけどね😊
もしどんなお経か読みたかったら引用しますのでおっしゃってくださいね。

[752] pipit 2021/06/06 06:31 RR/tgpOc4Sf

>>737
> 輪廻転生があるとして、なんのためにそんな事すんだよ<

そこはパーリ経典には記されてないみたいなんですよ。

わたしのいい加減な記憶では、
釈尊が過去世を観る能力でずーーーーーっと観ても、キリがなくて、はじめのポイントというものがなかった(どういう理由でなかったとおっしゃるのかわたしにはわかりませんけど)、
って感じで、
でも、輪廻という状態を終わらすことは可能で、それが解脱、って感じに記されてたかな?と思ってます。
記憶違いしてたらすみません。

[753] pipit 2021/06/06 06:35 RR/tgpOc4Sf

>>748
地下水さん、おは〜ワン 🐶

お互い仕事かな?

お互いいい一日になりますように (^ ^)v 🍀🍵

[754] 気まぐれ 2021/06/06 07:45 Yu/2NARcXy9

pipitさん

おはヨークシャンテリア🐶
私は昨日今日が休日です。
今日は友人と遊びに行ってきます。

>>749

私も似た構造をしていると思っています。
ドライブさんとは違って、仏教と哲学に共通するものを見出せるのではないかとか思ったりしてます。

>>750

>大乗仏教が頭に浮かびます

如来蔵思想がちょっと念頭にありました。
仮に誰もが不死だったとしても、それを自覚する必要があるのでしょうね。
三阿僧祇劫は長いなぁ~。

[755] 2021/06/06 07:47 bW/ipic7T1J

pipitさんへ

おはようございます。

> もしどんなお経か読みたかったら引用しますのでおっしゃってくださいね。

良ければ、スジャータの乳粥のお話が記載された経典名を教えていただけますか?

[756] ゆか 2021/06/07 10:50 5M/VlQRi6ZO

釈迦は大麻乱用者だったんかなー。

[757] ゆか 2021/06/07 10:54 5M/VlQRi6ZO

今もだけどインドって大麻乱用が一般的らしいのよ。 

南米のインディアンも幻覚性植物を乱用しシャーマニズムを行っていたという。 

だからといってそれを異常とは思わない。 

[758] ゆか 2021/06/07 10:57 5M/VlQRi6ZO

そもそもがなぜ人間がそのレセプターを持っているか。人間に必要だと神が考えたんでは。 

[759] ゆか 2021/06/07 11:02 5M/VlQRi6ZO

お釈迦様が薬物なんてしてるわけねだろーという神格化 

[760] ゆか 2021/06/07 11:04 5M/VlQRi6ZO

釈迦ってあいつ貴族だからな 
現世の汚れを実は誰よりも知ってたからこそ 
禁欲に興味もったのかもね

[761] ゆか 2021/06/07 11:08 5M/VlQRi6ZO

あの世、あるでしょう。 
でもだったらむしろこの世の事もっとみろよ。綺麗な植物や動物とか。  

[762] ゆか 2021/06/07 11:22 5M/VlQRi6ZO

人間が神?って事に違和感があるんだよな。仏陀、キリスト。言っても人間でしょって。

[763] ゆか 2021/06/07 11:29 5M/VlQRi6ZO

キリストも仏陀も所詮は自分達と同じ人間。
 
ラリったり 栄養失調で幻覚みて 
 
それを真実と勘違い  

この際、それが真実か嘘かすらどうでもいい。 

目の前の事に尽力できない時点でこの世界のためにはならん

[764] ゆか 2021/06/07 11:35 5M/VlQRi6ZO

昔の事が古代的で信憑性あると思ってる時点で馬鹿

[765] ゆか 2021/06/07 11:38 5M/VlQRi6ZO

昔の日本のカタカナ言葉。カタカナだから昔だから信憑性あるかといったら違うよね。

仏陀がこうだったから~とか。

大昔だから正しい とは限らない

[766] ゆか 2021/06/07 11:43 5M/VlQRi6ZO

今のきもい奴等だってSwitch埋めたら1000年後の人類からオーパーツ扱いされそうじゃん 

でも実際はそうではない 

古=偉大 これは妄想だ

[767] pipit 2021/06/07 16:26 RR/tgpOc4Sf

>>754
気まぐれさん、こんにちミケ! 😼

>如来蔵思想がちょっと念頭にありました。
仮に誰もが不死だったとしても、それを自覚する必要があるのでしょうね。
三阿僧祇劫は長いなぁ~。<

わたし、カントの実践道徳にも興味あって、勉強してみたいんですけど、
ちょっと先取りするに、カントのは人間対象なかんじなので、
自分の中でアレンジして、
思考の中で(も?)輪廻を取り入れて、如来蔵っぽい捉え方で、適用を全範囲にできたらいいな、って。(どの生命も人間であったり人間になったり、ということで。)

うーん、でもまだカント読解、純理の二律背反部門にさえも届いてません( ; ; )

暑くなりましたね、おつかれさまです🍀

[768] pipit 2021/06/07 16:40 RR/tgpOc4Sf

>>755
時さん、問いかけをありがとうございます!

>> もしどんなお経か読みたかったら引用しますのでおっしゃってくださいね。<<

>良ければ、スジャータの乳粥のお話が記載された経典名を教えていただけますか?<

調べてみたら、スジャータの話は、パーリ経典ではなく、Nidānakathā(ニダーナ カター)という(ジャータカという経典の註釈書)からの出典だったんですね!(◎_◎;)

経典からの話と勘違いしててすみませんm(_ _)m
勉強になります!😊📖✏️

今回、スジャータさんの話のパーリ語の原文をインターネットを使って探り当てるのが、わたしにとっては大変だったので、調べたことを後で書こうと思います。
(どこを見れば原文があるのか、なかなかわからなくて。)

時さん、いつもありがとうございます(^人^)🍀🌈

[769] pipit 2021/06/07 16:55 RR/tgpOc4Sf

ゆかさん、こんにちわ ん 🐶

わたしはそうは思わないけど、仮に薬物使用と同じ脳の状態になるとして、

それを、薬物使用なしの自分の身一つの瞑想で、自由に脳の特定の状態のオンとオフのコントロールして、
しかも人格崩さない、とか、
すごくない?

けど、

ゆかさんはゆかさんの思うことにそって人生を創っていく、

わたしはわたしの思うことによって人生を創っていく。

お互いに危害とならないなら、それでいいんやないかなあ〜
どこかで恵みになるとより幸いやね 🌏
おつかれさま 😊🍀🌈

[770] 過疎道ドライブ 2021/06/07 17:58 bW/n3LFbJcN

pipitさん  こんにちは~🙏

「般若の智明了にして無明煩悩の酒にをかされさる、是れ不飲酒戒なり」 〔菩薩戒本疏‐下本〕

お釈迦様はお酒さえも飲まないのです・・

身体に良い薬草と法律で禁止される薬物は大違いです・・

瞑想で身に付く魂と薬物で身に付く魂は同じでは無いと思います・・

薬物には無い喫茶養生記のような素晴らしい作法が身に付きます・・

丁寧なpipitさんも返事が大変でしょうから私には一行返事でいいですよ・・

それでは一煎さし上げます🍵🍵🍵🍵🍵

[771] pipit 2021/06/07 18:26 RR/tgpOc4Sf

>>770
ドライブさん、こんにち にゃ〜 😽

>「般若の智明了にして無明煩悩の酒にをかされさる、是れ不飲酒戒なり」 〔菩薩戒本疏‐下本〕
お釈迦様はお酒さえも飲まないのです・・<

は〜い! 失礼しました m(__)m m(_ _)m

> それでは一煎さし上げます🍵🍵🍵🍵🍵<

いつも美味しいなぁ 
ふと、、、空の光さんも、遊びに来たらいいのに!って思いました
悪魔ちゃんも来る〜??

この前薬草茶買ってみました。美味しかったです! 🌿 

[772] きまぐれ 2021/06/07 18:48 J6/2NARcXy9

pipitさん

こにゃにゃちわ〜🐈‍⬛

>>767

「一切衆生悉有仏性」みたいなことかな。と思いました。

[773] pipit 2021/06/07 20:52 RR/tgpOc4Sf

きまぐれさん、こんばんは !

>>772
>「一切衆生悉有仏性」みたいなことかな。と思いました。<

so ニャー  🐯

猫ちゃん、いいなぁ 🐈

あ! この前、職場に 鳥が入ってきました 🐦

まあ、ムカデもハチも入りますけど。。。ヤモリんも。。。

[774] 過疎道ドライブ 2021/06/07 20:59 bW/n3LFbJcN

>>771

pipitさん  返信(人''▽`)ありがとう☆ございます

そういえば後一年しか命が無いと告白された方もいらっしゃいました確か名前は一〇無限さん・・私が来なくなったら死んだと思って下さい・・

pipitさんは優等生で薬草・・私は適当にここ数日炭酸飲料を飲んで🍡を食べていません・・

坊ちゃん団子が恋しいです・・🍡🍵

なんとか三時のおやつを断ち切れそうです・・

[775] 過疎道ドライブ 2021/06/07 21:41 bW/n3LFbJcN

追伸

空の光さんは本格的に詩の方向だと思います・・

考えるな感じろの方向だと思います・・

私は筋を通したいので哲学一筋です・・

辻褄が合わない時はどんどん指摘してください🙏

[776] pipit 2021/06/08 00:04 RR/tgpOc4Sf

🌟   哲学道 ですね 〜 📖📚

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

[777] 悪魔くん 2021/06/08 00:26 ザ-000,025,545号

777😆

[778] pipit 2021/06/08 16:26 RR/tgpOc4Sf

>>777

わ〜お !  😸 🤗 🌈

[779] 過疎道ドライブ 2021/06/08 19:20 bW/n3LFbJcN

pipitさん こんばんは~🙏

どの国にも神話があります・・

古文で習うので難しかったので詳しくないです・・

怒りの神というものが神の国にはあり悪い事をしていない人にも災いが起こるという事です・・

因縁で生きる仏教徒には神の悪戯怒りは理解不可能でしょうか?

無理しない範囲でお考えになられてください🍵

[780] 過疎道ドライブ 2021/06/09 16:18 bW/n3LFbJcN

皆様 こんにちは~

少しだけお邪魔します・・

お釈迦様のお弟子さんで優秀な方も殺されたりしていらっしゃると聞きます・・

さぞかしお釈迦様も残念だったことでしょう・・

世の中は時には理不尽で残念です南無南無🙏

[781] pipit 2021/06/09 18:13 RR/tgpOc4Sf

ドライブさん、こんにちは〜

パーリ三蔵って、経蔵、律蔵、論蔵の三つで三蔵なのですが、
論蔵に、いろいろな原因5種というのがあって、
その中の一つが業(カンマ、カルマ)とされてるようです。
換言すれば、あとの四つは業以外のものも関連してくる、ということのようです。

ただ、生まれなければいろんなことも起きないでしょう?
新しく生まれる業を滅することは、生の土台に生じる、業以外の要因が手出しをできない領域にいくことだと今の個人的私見で思ってます。
教義のことは詳しくありません。

まとめると、
生の上で起こることは、業以外の要素も絡んでくる、
しかし新たに生まれなければ、影響されない。ということではないかと。

繰り返しますが、正確な教義はわかりません、私見です。

すみません、いろいろ書きたいのですが、(ジャータカのことなども)
バタバタで、しかもカント哲学も調べものがあって(*_*)

ここは、、、カント先生のせいや〜、と、カント先生のせいにしておきます(๑˃̵ᴗ˂̵)♪

みなさまおつかれさまです 🍵🍀 ジャータカの註釈書のスジャータさまのことまとめたいなぁ !
今日、本を借りるつもりが、図書館にも行けてないです(^^;;

[782] 過疎道ドライブ 2021/06/09 20:40 bW/n3LFbJcN

pipitさん 返信ありがとうございます。🙏

様々な要素が勉強になりました・・

情報のたこ足配線は火事になりますから・・

火事になる・・相対的なものが絡まり基底が壊されます。

又ヤスパースさんに戻って飛翔してきます・・

pipitさんもお疲れさまでした・・🍵🍵🍵🍵🍵

[783] pipit 2021/06/09 21:41 RR/tgpOc4Sf

>>782
過疎道ドライブさん、こんばんは!

いつでも好きな時にコメントしてくださいね〜

おつかれさまです! 🍵🍵🍵🍵🍵

[784] pipit 2021/06/11 22:34 RR/tgpOc4Sf

今年の初蛍見れましたー 

[785] 過疎道ドライブ 2021/06/12 17:23 EO/n3LFbJcN

>>784

pipitさん こんばんは~🙏

卒業式の時の♪蛍の光♪はスコットランド民謡です・・

中国の蛍雪時代とチャンポンになっていて変な感じです・・

日本の蛍の光は哀しいイメージが強いですが・・

もっと良いイメージで蛍を見たいです・・

でも蛍を見に行きたくなります・・

pipitさん素晴らしかったでしょう? 暮れる夜の光・灯火・・

[786] pipit 2021/06/12 18:22 RR/tgpOc4Sf

>>785
過疎道ドライブさん、こんばんは♪

毎年、何回か家の前あたりに迷い込んでくるのですが、昨日見た蛍はコンクリートの床の上の隅っこで、ぽーぽーと一匹単独で光ってて、
風情とか全然ない感じです(⌒-⌒; )

めっちゃカワユイですけど😊🌟

[787] pipit 2021/06/13 13:08 RR/tgpOc4Sf

、、、、、、

なんか蛍、蜘蛛にぐるぐる巻にされた可能性が・・・・

自然法則、、、、、

[788] pipit 2021/06/13 17:59 RR/tgpOc4Sf

みなさまこんにちは
>>768
>調べてみたら、スジャータの話は、パーリ経典ではなく、Nidānakathā(ニダーナ カター)という(ジャータカという経典の註釈書)からの出典だったんですね!(◎_◎;)
経典からの話と勘違いしててすみませんm(_ _)m
勉強になります!😊📖✏️
今回、スジャータさんの話のパーリ語の原文をインターネットを使って探り当てるのが、わたしにとっては大変だったので、調べたことを後で書こうと思います。
(どこを見れば原文があるのか、なかなかわからなくて。)<

なかなかまとめられないので、出所の註釈書の情報などだけでも書き込みます。

[789] pipit 2021/06/13 18:02 RR/tgpOc4Sf

>>788
https://tipitaka.org/
というサイトで、

◎パーリ三蔵(Tipiṭaka)や、
◎三蔵の註釈書(Aṭṭhakathā)
が見られます。

三蔵や註釈書のパーリ語をローマ字で表記したのが
https://tipitaka.org/romn/
で、こちらのページのファイルを
Aṭṭhakathā

Suttapiṭaka (aṭṭhakathā)

Khuddakanikāya (aṭṭhakathā)

Jātaka-aṭṭhakathā-1

の順に開いたページの『Nidānakathā』の中にスジャータさんが釈尊に乳粥をお布施した話があるようです。

他サイトで教えていただいた方法で(感謝!!)、もし、ページを検索するという機能が使えるなら、Sujātāで検索すると、例えば私は10個ヒットして、上から5番目が乳粥のスジャータさんの話っぽいです。

[790] pipit 2021/06/13 18:05 RR/tgpOc4Sf

>>789
この英訳は、
『The Nidānakathā, or Introduction to the Jātaka Stories
from Buddhist Birth Stories or Jātaka Tales

The oldest collection of folk-lore extant
being the Jātakatthavaṇṇanā

For the first time Edited in the Original Pāli by
V. Fausböll

and translated by
T. W. Rhys Davids
1880

A revised edition by
Ānandajoti Bhikkhu
November, 2020』

という本が読める下記のサイトの

https://www.ancient-buddhist-texts.net/English-Texts/Jataka-commentary/index.htm

この本の中の 172/210 ページにあるかなと思いました。
この検索でもSujātāで5個目に出ました。

以上、情報を書き込みまーす😊🍵🍀

[791] pipit 2021/06/13 19:01 RR/tgpOc4Sf

♪ 関連しまして、、、英訳サイトを見て思ってたんですけど、

三蔵、というのは『仏教における経蔵・律蔵・論蔵の3つのことであり、仏教の典籍を総称したもの』(wikiより)なんですが、
三蔵の原語Tipitakaは、
『原語のTi, Tri は「3」[要出典]、piṭaka は「籠」を意味し[1]、3つの籠という意味である[要出典]。』(wikiより)
みたいで、、、

その英訳としては、私の見るサイトでは、
【the Three Baskets】と訳されてて、

https://suttacentral.net/

なんかかわいいなーと思っていました。
三蔵 = スリー・バスケット。。。

前にドライブさんが、国で訳の雰囲気変わるかも?的なことをおっしゃってた記憶があるのですが、そういう面はあるかもしれないなぁと思いました😊

たくさんのいろんな人々の思いで受け継がれてきたんだなぁ🍀🍀🍀

[792] 過疎道ドライブ 2021/06/13 20:25 EO/n3LFbJcN

>>791

pipitさん こんばんは~🙏

蔵がバスケットとは英語って面白いですね・・

私が少しだけ習った華厳宗研究の教授がアーラヤ識を何か説明のできぬ混とんとしたもの・
あらゆる種のたまり場・蔵とおっしゃっていました・・日本では蔵を一杯使うと思います。

アメリカには果たして蔵があるのでしょうか?

倉庫ぐらいの感覚ではと思ってしまいます・・

[793] 過疎道ドライブ 2021/06/13 20:42 EO/n3LFbJcN

追伸

いつも面白い解釈有難うございます・・

私は今日守護霊(しゅごれい、英 : guardian angel, guardian spirit)様に助けられました・・

信じるか信じないかはあなた次第🙏

[794] pipit 2021/06/13 21:19 RR/tgpOc4Sf

ドライブさん、こんばんは・・・
『うしろの百太郎 英語』  と   検索したら ・・・

【 Hyakutaro behind 】

と 出てきました ・・・・  
昔、友達の家でよく読ませてもらっていました 📖

ドライブさんが今日助けられたと感じられた出来事があってよかったです ホッ 🤗 🍀 🌈

[795] 2021/06/14 12:16 bW/ipic7T1J

>>788 pipitさんへ

こんにちは。

> なかなかまとめられないので、出所の註釈書の情報などだけでも書き込みます。

わざわざお調べいただき、ありがとうございます。

私自身は、注釈書や解釈書をあまり参考にしていませんので、有名なスジャータのお話自体は知っていましたが、その根拠となるものを知りませんでした。

時折、スジャータのお話の経典は何だろう?とか、天上天下唯我独尊と言ったとか言わないとかのお話の根拠は何だろうと思ったことはありましたが、すべて教え自体の本道とは離れますのでスルーとしていました。

お手数をおかけしてすみません。情報をありがとうございました。

[796] pipit 2021/06/14 16:42 RR/tgpOc4Sf

>>795
時さん、こんにちは!!
今回もとても勉強になりました。ありがとうございます。
 
スジャータさんの話はこんなにメジャーなので、ネットの情報だけでも、経典じゃないにしても出所にすんなり辿り着けるだろう、と思ってたら、具体的な箇所になかなかたどり着けなくて( ; ; )

経典には載っていない、註釈書でのお話が、定着してたのですね。
(※過酷な断食苦行をストップして、食べ物を召し上がるお話は経典にあるようですね)

情報の是非には、いろんな可能性があるんだなぁ、
仏典を、悟るための体系の書として捉えるなら、やっぱり自分自身で証したいな、と思いました。

いつもありがとうございます😊🍀🍵

[797] 2021/06/14 17:32 bW/ipic7T1J

>>796 pipitさんへ

> (※過酷な断食苦行をストップして、食べ物を召し上がるお話は経典にあるようですね)

中部85経典「ボーディ王子経」ですかね。この経典では、極度の絶食、断食ののちに仏陀自身の判断として少しづつ水分の多いものを体に入れていったように描かれています。それでもやせ衰えている体を観察しつつ、これではだめだろうと思うと同時に、悟りの道は四禅定の初禅からの続きの道(初禅から四禅定)だろうという判断で、固形食やおかゆ等を自らの意思で食べたとあります。その直後にこれを知った五比丘とのしばしの別れですね。

それと、仏陀が悟るきっかけになった施食と涅槃に入る最後の施食は等しく大きな果報、功徳があるのだといった内容で、その最後の施食をチュンダが準備したということで・・この時チュンダの名前は記載されていますが、悟るきっかけになった施食が乳粥ならば、そのスジャータの記載がないのですね。まぁ、どちらでもよいのですが(笑)長部16経典「大般涅槃経」です。

> 仏典を、悟るための体系の書として捉えるなら、やっぱり自分自身で証したいな、と思いました。

歴史的な書物としてみる場合、読み物としてのみで楽しむ場合、空想物語として読む場合、哲学的に考察したい場合と人それぞれだと思いますね。

返信をありがとうございました。

[798] pipit 2021/06/14 19:16 RR/tgpOc4Sf

時さん、ありがとうございます!

> 中部85経典「ボーディ王子経」<

> 長部16経典「大般涅槃経」<

関連する経典のことも調べたいなぁ、と思ってた箇所を、
簡潔にまとめてくださりありがとうございます(^人^)

おつかれさまです🍀🍵😊

[799] ガースーでおま👲🏻 2021/06/14 19:18 ザ-000,025,568号

はあ?🙄

[800] ガースーでおま👲🏻 2021/06/14 19:18 ザ-000,025,568号

800😤

[801] pipit 2021/06/14 19:45 RR/tgpOc4Sf

🐣 こんばんはー 😊

職場のドアのすぐ近くに置いてあったちり取りの中にいつのまにか
鳥が巣を作って、卵を産んでたんだけど、

母鳥が人間にびくついて、すぐ飛び立っちゃうんだよ

卵、孵らないんじゃないか、って、心配してるよ。

危害加えないから、そんなに飛びたたなくていいのに。。。

っていうか、ちりとりに巣を作らんでもいいのにね 🦜

[802] 2021/06/14 20:05 bW/ipic7T1J

今、経典を確認しましたところ、内容の表現が少し違っていたようですが、大同小異ということでお願いします。

[803] 過疎道ドライブ 2021/06/14 20:14 EO/n3LFbJcN

>>801

pipitさん お邪魔します・・こんばんは~🙏

ふ卵器に入れて人工ふ化させて自分が親鳥になって子供の鳥たちが後をついて回る映画『グース』を思い出しました・・

>>794

うしろの百太郎や恐怖新聞を廃品回収で集めてみんなで読んでいました・・私は中学時代少女漫画ばかり月に6~8冊読んでいましたが
少女漫画は少年漫画のように残酷ではありません・・

[804] 過疎道ドライブ 2021/06/14 20:35 EO/n3LFbJcN

追伸

Flying with birds - science  というYouTubeをご覧ください・・

これは宗教の原点です・・

[805] 過疎道ドライブ 2021/06/14 21:00 EO/n3LFbJcN

あっ野鳥は飼ってはだめでした・・🙏

[806] pipit 2021/06/14 23:52 RR/tgpOc4Sf

>>802
時さん、こんばんは♪
了解です!
ご確認ありがとうございます🙏😊

[807] pipit 2021/06/14 23:53 RR/tgpOc4Sf

過疎道ドライブさん、こんばんは♪

> Flying with birds - science <

見ましたよ〜 🕊

飛翔ですね〜 🕊

[808] 過疎道ドライブ 2021/06/15 18:12 qM/n3LFbJcN

>>807

pipitさん お邪魔します・・こんにちは~🙏

鳥も生きるすべを教えてもらわなければならないみたいです・・

刷り込み(インプリンティング)

心理学では刻印付けとも訳す。動物の発育のごく初期に起こる特殊な形の学習。

>飛翔ですね〜

ヤスパースさんの本に教えてもらいました・・魂の飛翔・・

私は教えを受けなければ解らない事が一杯あります。

[809] pipit 2021/06/15 19:11 RR/tgpOc4Sf

>>808
ドライブさん、こんばんは〜😊

わたしの先生はお釈迦さまっ 

になれたら いいナー 🌈

[810] pipit 2021/06/19 15:12 RR/tgpOc4Sf

みなさま、こんにちは😊☔️

たまたま本屋で目にして購入した
『太瑞知見さん著
「お釈迦さまの薬箱」を開いてみたら: 日々をすこやかに過ごす仏の智慧 (河出文庫)
内容紹介
お釈迦さまが定められた規律をまとめた「律蔵」に綴られている、現代の生活にも共通点が多い食べ物や健康維持などのための知恵を、僧侶かつ薬剤師という異才の著者が分かりやすくひも解く好エッセイ。
著者について
曹洞宗玉峰寺住職。薬剤師。たまみね保育園園長。九州大学大学院(薬学)、駒沢大学大学院(仏教学)修了。学生や外国人にも坐禅指導や法話を行う他、科学と仏教の見解を交えた新しい切り口で論文やエッセイを発表。』

を読んでいます。

佐々木閑先生による帯の文中には、
『薬学と仏教学を両方学び、禅の道を歩む学僧が、お釈迦さま時代の医療、衛生、健康生活をリアルに活写。』
とあります。

[811] pipit 2021/06/19 15:17 RR/tgpOc4Sf

>>810
まだ途中なのですが、おもしろいなー
と思うのは、テーマ以外にもたくさんあって、
その中の一つが、
弟子たちを育てるお釈迦さまの苦労が感じられるかのようなところです(^_^;)

[812] pipit 2021/06/19 15:18 RR/tgpOc4Sf

ちょっと用事してきまーす 

[813] pipit 2021/06/19 15:57 RR/tgpOc4Sf

>>811
以下のエピソードは、私が普段依拠しているパーリ律からではなく、『四分律』という、法蔵部が伝えた律からの出典だそうなんですけど、

引用開始
『 修行僧たちがハサミで髪や髭を切っていました。お釈迦さまはおっしゃいます。
「それはよくありません」
 髪だけを剃る僧や、髭だけを剃る僧がいました。お釈迦さまはおっしゃいます。
「髪も髭も剃りなさい」
髪を抜く僧や、髪を留める僧、髭をひねってつま立てる僧がいました。お釈迦さまはそれらを禁じられます。また、髭に櫛を入れることや、髪に油を塗ることも禁じられました。
「あなたがたは私が制するのを避けて、いろんなことをしますね。これからは髭や髪をことごとく剃るようになさい」
 修行僧たちはどれくらい剃ればよいのかわかりませんでした。お釈迦さまはおっしゃいます。
「最長でも指二本分の長さです。二ヶ月に一度は剃るようにしなさい」』
太瑞知見(たいずいちけん)さま著、同上本p110.111より引用

また、同じく四分律に載っている、爪についてのお釈迦さまからのアドバイスとして、

引用開始
『・爪は切ること
 ・長爪や深爪はいけません。
・爪の先端を尖らせてはいけません。
 ・爪を磨いて光らせてもいけません。
 ・爪を彩色で染めてもいけません。』
同本p131より引用終了

とあり、なんとか抜け道?を考える(工夫?)弟子たちに、四苦八苦? な 風景を想像して、なんかほほえましく感じてしまいます(o^^o)

いいなぁ、お釈迦さまに直接指導していただけたお弟子さんたち !!

[814] pipit 2021/06/19 16:29 RR/tgpOc4Sf

>>813
> 私が普段依拠しているパーリ律<

すみません、
わたしが、パーリ律を護ろうと努力している、という意味ではなく、
個人的に信を置きたく思っているパーリ仏典の中の律蔵、という意味です。

律蔵、ちゃんと読んだこともないんですよねー。
経典も買おうと思いつつ、なかなか買ってない 。。。 (ノ_<)

[815] 過疎道ドライブ 2021/06/19 20:55 qM/n3LFbJcN

pipitさん こんばんは~🙏

原始仏典の中には仏陀の生涯はほとんど記されていない・・パーリ語本「大バリニッパーナ経」の中に仏陀の死とその前後の事件が語られているという・・『ブッダ最後の旅』というものを我が家の本棚で見つけました・・

124ヘージに「与える者には、功徳が増す・・」みたいな感じで書かれていました・・

今ヤスパースさんの伝記を読んでいてヤスパースさんは『金の下地に描かれた絵』のようにすばらしいそうです・・

お釈迦様も「金の下地」があるように感じます・・

色々な本の紹介有難うございます・・お釈迦様の関係の本も読むようになりました・・🍵

[816] pipit 2021/06/19 22:28 RR/tgpOc4Sf

>>815
過疎道ドライブさん、こんばんは😊

『ブッダ最後の旅』は、お釈迦さまの遺言の書のように感じられて、大好きです 📖

ヤスパースさんの伝記があるのですね!

>『金の下地に描かれた絵』のようにすばらしいそうです・・<

人徳が備わっているということかな?

個性って不思議ですよね。
アリさんにも個性あるのかなー?と、思うことが時たまあります。

動物と話せたらおもしろそうですよね🐘

あ、アリさんは昆虫やった 🐜 ← うーむ、私のスマホでは、ゾウより大きな絵になります。。。

[817] pipit 2021/06/20 08:07 RR/tgpOc4Sf

動物、、、アリさんも動物やったんやね、ごめんね
 🐜(⁎⁍̴̆Ɛ⁍̴̆⁎)ボクモオンナジー

wikiより
『動物は、哺乳類、爬虫類、鳥類、両生類、魚類といった脊椎動物はもちろん、貝類、昆虫、サナダムシ、カイメンなど、幅広い種類の生物を含んだ系統群である。

分類 編集
20世紀末の分子遺伝学の知見を踏まえると、生物は真正細菌、古細菌、真核生物の3つに分かれるが(3ドメイン説)[2][3][4]、動物はそのうちの真核生物に属し、他に真核生物に属するものとしては植物、菌類(キノコやカビ)、原生生物が挙げられる。なお、原生生物の一部である原生動物(ゾウリムシ、ミドリムシ、アメーバなど)は本稿で言う動物(後生動物)とは別系統であり、しかも多系統である事が判明している。

なお、初等教育では3ドメイン説以前の二界説(2011年まで)ないし五界説(2012年以降)に基づいて生物の分類を説明している[5]。二界説に基づいた説明では原生動物を「動物」とみなしていたが、すでに述べたように3ドメイン説では(後生)動物とは別系統であるとみなされている。一方、五界説での動物は3ドメイン説のものと基本的に同じであり、原生動物は原生生物として動物とは区別されている。

動物は真核生物の中ではオピストコンタ(後方鞭毛生物)という単系統性が強く支持されている系統群に属し、ここには動物以外に菌類や一部の真核生物が属する。オピストコンタに属する生物は、後ろ側にある1本の鞭毛で進むという共有形質を持ち、動物の精子やツボカビの胞子が持つ鞭毛がこれにあたる。

さらにオピストコンタにはホロゾアという系統群と、Holomycotaという系統群があり、動物は前者、菌類は後者に属する。なお動物の起源とされる(後述)襟鞭毛虫もホロゾアに属する。』

[818] 過疎道ドライブ 2021/06/20 16:38 qM/n3LFbJcN

>>816

pipitさん 少しだけ こんばんは~🙏

>人徳が備わっているということかな?

そうです・・

黄金律(おうごんりつ、英: Golden Rule)は、多くの宗教、道徳や哲学で見出される「他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を人に対してせよ」という内容の倫理学的言明である。現代の欧米において「黄金律」と呼ばれるものは、イエス・キリストの「為せ」という言葉を引用していることが多い。

また、黄金律の派生として、白銀律(「自分がされたくないことを人にしてはいけない」)や白金律(「人があなたからしてもらいたいと思っていることを人にしなさい」)といったものがある。黄金律以外の派生系の方は、マゾヒストや自爆犯、人による感覚の違いなどを想定して、黄金律が行き詰まる場合の先手を打って考えられたものである。

ヤスパースさんもお釈迦様も下地が黄金なのです・・🙏

[819] pipit 2021/06/20 17:06 RR/tgpOc4Sf

過疎道ドライブさん、こんにちは😊

そういえば、仏の三十二相のうちの一つが、

『金色相(こんじきそう)
身体手足全て黄金色に輝いている。』
(wiki『三十二相八十種好』より)
だつたことを思い出しました。

黄金律の英語はGolden Ruleだったんですね!
Golden Ruleが先にあった言葉なのかな?

ドライブさん、書き込みありがとうございまーす😊🍵🍀

[820] pipit 2021/06/21 19:35 RR/tgpOc4Sf

さっき、狐(多分)見ましたよー 🦊

しっぽ長かったです ! 

[821] pipit 2021/06/21 19:39 RR/tgpOc4Sf

ジャータカの世界に遊びに行けたら、おもしろそうだなぁ 

[822] 過疎道ドライブ 2021/06/21 20:40 qM/n3LFbJcN

pipitさん

こんばんは~🙏

我が実家の最後の犬が狐のような狼のような柴犬でした・・尻尾が狐吠え方が狼🦊🐺他の人にもらわれていったら捨てられたと思って噛みつくようになったそうです・・子供相手に一度も嚙みつかなかったのに・・

真俗二諦【しんぞくにたい】
仏教で絶対的悟りと相対的悟りを区別していう用語。 真諦は勝義諦・第一義諦ともいい,謬(あやまり)のない絶対的真理をいう。 俗諦は世俗諦・世諦ともいい,世俗人の執着するままを容認する相対的真理をさす。

悟りに二通りもあるなんて怪しい・・🍵

[823] pipit 2021/06/21 21:08 RR/tgpOc4Sf

ドライブさん、こんばんは🌝

> 悟りに二通りもあるなんて怪しい・・🍵<

うふふ、ドライブさんに 怪しまれた〜 🦊

二諦の意味については諸説あるみたいですよ。
パーリ仏典では、相対的悟りという概念は無さそうと私は思ってます。

大乗仏教の龍樹さんに、有名な文言がありますよー。(悟りという意味では使ってないと思いますけど。)
仏教トピなので、引用します!(wikiからコピペ〜)

[824] pipit 2021/06/21 21:17 RR/tgpOc4Sf

ナーガールジュナ(龍樹)さんの二諦への言及が、『中論』の24章でなされてるらしい・・・です !

↓wiki『二諦』より抜粋引用

『(8) 二つの真理(二諦)に依存して、もろもろのブッダは法(教え)を説いた。〔その二つの真理とは〕世俗の覆われた立場での真理と、究極の立場から見た真理とである。
(9) この二つの真理の区別を知らない人々は、ブッダの教えにおける深遠な真理を理解していないのである。
(10) 世俗の表現に依存しないでは究極の真理を説くことはできない。究極の真理に到達しないならば、ニルヴァーナを体得することはできない。』
抜粋引用終了

[825] pipit 2021/06/21 21:19 RR/tgpOc4Sf

ヤスパース先生なら、二諦の概念をもご存知かも!? 👼

[826] 過疎道ドライブ 2021/06/22 16:24 qM/n3LFbJcN

>>825

pipitさん こんにちは~🙏

ヤスパースさんの本より・・

空の会得が不完全であれば、思慮の浅い者は、それによって迷妄に導かれるばかりでなく、有毒の蛇を下手に掴んだ時や、魔術や降魔術のやり方に失敗した時のように、破滅にまで導かれるからである。

仏教の賢者はもはや水に湿ることの無い鴨のように世間をつらぬいて進みゆく。彼は世間を放棄することによって世間を克服したのである。彼は思惟しえぬもの、出世間的なもののうちに自己を成就する。

この仏教のへだたりは世界を超えて近づき難いもの、伝達しえぬものへと消滅する様に思われよう。

・・らしいです・・

やはり西洋哲学とは異なっているようです・・🍵

[827] 過疎道ドライブ 2021/06/22 18:50 qM/n3LFbJcN

追伸🍵

一切が空ならば如何にして善悪の結果を見分けられようか?

↑絶対的な空の根拠を理解していない問いらしいです・・

[828] pipit 2021/06/22 22:48 RR/tgpOc4Sf

過疎道ドライブさん、こんばんは(*´∀`)♪

ヤスパースさんの記述、ありがとうございます🙏

>>827は、
龍樹さんっぽいなと思いました♪

[829] 過疎道ドライブ 2021/06/25 18:28 73/n3LFbJcN

pipitさん  こんばんは~🙏

ヤスパースさんの本には・・

涅槃に達する為には『認識対象』と『認識主観』との対立を破っていかねばならぬこと・・(無我になる事?)

例えば唯識の道理を知って唯識を表象するだけでは、唯識を実現したことにならない・・らしいです・・

仏教の空観や無がヤスパースさんの包括者(無の中に独りある思惟され得ないものへの飛翔)と似ています・・

ヤスパースさんの本から仏教を学んでいての仏教観でごめんなさい🙇

[830] pipit 2021/06/25 19:25 RR/tgpOc4Sf

>>829
過疎道ドライブさん、こんばんは!

すごーく感謝してますよ〜
ドライブさんと会えてないと、ヤスパースさんの魅力に今世で触れることはなかったかも😊

知らないことがいっぱいです

仏教でも哲学解釈でも、結局、一人一人の中でどのように出会いどのように自分自身で納得できるか、というところに行き着くのかもしれないな、と、思いました。

一人一人の命は、一般的には、世俗的には、有限ですもんね。

生きる上で、しんどい思考は捨てていけたらいーなー

宙を飛ぶくらいに、ココロ軽くなれたらいーなー 

あ、でも、ヤスパースさんは確か限界状況、、、無願になったときに何か、、、
仏教でも、大乗仏教では(アビダンマでもかな?)、無願解脱という概念もあるかもです(詳しくないので、間違ってたらすみません!)

でも、根性なしなので、苦はいやだよ〜

一切皆苦、、、😱

[831] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/06/26 01:26 gK/qF54Hhl0

もし輪廻転生とか人智を越えたものがあるなら、 

呪い というのも存在するのでしょうか? 

呪術があってムカつく相手を呪えたら

[832] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/06/26 01:26 gK/Ogbj72qR

もし輪廻転生とか人智を越えたものがあるなら、 

呪い というのも存在するのでしょうか? 

呪術があってムカつく相手を呪えたら

[833] pipit 2021/06/26 07:14 RR/tgpOc4Sf

>>831 832
こんにちは!

呪う気持ちは結局は自分自身を破壊してしまう、というのが仏教的な考え方になるのかなぁ、と、思いました。
まず、呪いのが最初に現れるのは自分の心にですしね。

前に読んだ記憶のあるお釈迦さまのエピソードをうろ覚えで書きますね。
あるバラモンが釈尊に対してめっちゃ悪口言うんですけど、
釈尊は全部聞いた後、
「あなたが客人にご馳走を用意して、客人が食べずに帰ったら、そのご馳走はどうしますか?」
「家人で食べます。」
「では私はあなたのご馳走を食べません。どうぞ召し上がりください。」
バラモンさん😱

おつかれさまです!

思い出した歌貼りまーす。私的にはかわいい歌に思えてます
♪地獄はどこですエンマさま
初音ミク
羽生まゐごさん
https://youtu.be/Na6B9IKDccc

[834] 過疎道ドライブ 2021/06/26 12:48 73/n3LFbJcN

>>833

皆様こんにちは~お邪魔します・・

人を呪わば穴二つの話をされているのでしょうか?

陰陽師の呪法も仏僧の加持祈祷と目的が重複することが多く、陰陽師が占いで神気を見た場合には仏僧は修法を辞退して陰陽師に任せる場合もあった。・・らしいです・・

どの宗教も祈りは救済のため・・呪いは呪う人自身を滅ぼすでしょう?

助くる者を助けるのが世の習い🙏

[835] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/06/26 15:55 gK/qF54Hhl0

呪術という形式的な魔方陣を書いたりしてみたいな、ことをしなくても 

呪う気持ちだけでダメてこと? 

もし輪廻転生があるなら他の非現実的な事もある可能性があると関連づけて考えたのが呪術なんだけど 

呪術、呪いも、あるの?

[836] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/06/26 15:59 gK/Ogbj72qR

呪う根気?さえあれば魔方陣とか血とかそういうものを必要なく相手を呪えますか?

[837] pipit 2021/06/26 19:55 RR/tgpOc4Sf

>>834
過疎道ドライブさん、こんばんは〜😊
出典調べました。
正確な経典の内容は、
岩波文庫『ブッダ 悪魔との対話』中村元先生訳、p128
に載っている【罵り】という経文です。

もし手元になくて、ご興味あるなら引用するのでおっしゃってくださいね📖

『罵る者であるバーラドヴァージャ・バラモン』(経典からの引用)さんは、結局、釈尊のもとで出家して修行に励まれたみたいです(^-^)🍀🍵

[838] pipit 2021/06/26 20:07 RR/tgpOc4Sf

>>835
>>836
こんばんは〜
呪う、って、相手を害したいという気持ちの表現の一つではないですか?
仏教の八正道の一つ『正思惟』は、相手を害したいという気持ちを持たない、ということもチャレンジ(目標)に入ってるんです。

(wiki『八正道』より抜粋引用
正思惟(しょうしゆい, 巴: sammā-saṅkappa, 梵: samyak-saṃkalpa)とは、正しく考え判断することであり、出離(離欲)を思惟し無瞋を思惟し、無害(アヒンサー)を思惟することである。逆に避けるべき思考は邪思惟(micchāsaṅkappo)である[15]。
Katamo ca bhikkhave, sammāsaṅkappo: yo kho bhikkhave, nekkhammasaṅkappo avyāpādasaṃkappo, avihiṃsāsaṅkappo, ayaṃ vuccati bhikkhave, sammāsaṅkappo.[9]
比丘たちよ、正思惟とは何か。出離、無瞋、無害を正思惟とよぶ。)
wikiより引用終了

呪いに、相手を害したい気持ちがあるとするなら、
呪いは、仏教の管轄外なので、
少なくともパーリ仏典には、呪術の具体的方法などは書いてないと思います(違ってたらすみません)

パーリ仏典では、もしかしたら、釈尊は呪術自体をお坊さまに禁止されてたかも?
ちょっと経文見てみますね(^-^)

[839] pipit 2021/06/26 20:19 RR/tgpOc4Sf

>>838
ひゃー、めっちゃいっぱい呪術の例を出して
『しかし沙門ゴータマは、そのような無益な呪術による邪な暮らしから離れている』
と結ばれている箇所を見つけましたが、
いっぱいすぎて引用大変そうなので、すみません、呪術の箇所は入力しませんねm(_ _)m
パーリ仏典 『長部 第一 梵網経』に出てきます。
後で、引用自由の英訳のアドレスを投稿します。

[840] pipit 2021/06/26 20:22 RR/tgpOc4Sf

アドレス引用の前に、
wiki『密教』から抜粋引用します。
『部派仏教 編集
パーリ仏典の長部・『梵網経』には、迷信的な呪術や様々な世間的な知識を「無益徒労の明」に挙げて否定する箇所があり、原始経典では比丘が呪術を行うことは禁じられていたが、律蔵においては(世俗や外道で唱えられていた)「治歯呪」や「治毒呪」[14][15][16] といった護身のための呪文(護呪)は許容されていた[17]。そうした特例のひとつに、比丘が遊行の折に毒蛇を避けるための防蛇呪がある(これが大乗仏教において発展してできたのが初期密教の『孔雀王呪経』とされる[18])。密教研究者の宮坂宥勝の考察によれば、本来は現世利益的な民間信仰の呪文とは目的を異にするもので、蛇に咬まれないためには蛇に対する慈悲の心をもたねばならないという趣旨の偈頌のごときものであったとも考えられるが、社会における民衆への仏教の普及に伴って次第に呪術的な呪文へと転じていったのでないかという[19]。

また意味の不明瞭な呪文ではなく、たとえば森で修行をするにあたって(木霊の妨害など)様々な障害を防ぐために慈経を唱える[20]、アングリマーラ経を唱えることで安産を願う[21]など、ブッダによって説かれた経典を唱えることで真実語(sacca-vacana)によって祝福するという習慣が存在する。 こうした祝福や護身のために、あたかも呪文のように経典を読誦する行為は、パーリ仏教系統では「パリッタ(paritta 護経、護呪)」と称され、現代のスリランカや東南アジアの上座部仏教でも数々のパリッタが読誦されている[22]。』

[841] pipit 2021/06/26 20:32 RR/tgpOc4Sf

>>839
『梵網経』の英訳の一つです。
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/dn/dn.01.0.bodh.html

Brahmajāla Sutta: The All-embracing Net of Views
translated from the Pali by
Bhikkhu Bodhi

釈尊は呪術から離れている、と記されてるのは、
3. The Long Section on Virtue (Mahāsīla)
の、21〜27、
の箇所だと思います。

それでは失礼します〜m(_ _)m

[842] 過疎道ドライブ 2021/06/30 19:55 73/n3LFbJcN

pipitさん こんばんは~

私は叔母さんの引っ越しの手伝いで全身筋肉痛になって全身湿布を貼って一日寝込んでいました・・

叔母さんの引っ越しでこんなに疲れるなら自分の引っ越しなんてとても無理・・

我が一族は高齢引っ越しは無理と思いました・・

自分の足場を変えるのは大変な事です・・

思想も生まれた時の念佛が取れません・・

自分の思い込みを変えるのは大変な事だと思います・・

一途に一つ事・一本道は意外に楽かもしれません・・

老人になったら変化に耐えれない南無南無🙏

[843] 過疎道ドライブ 2021/06/30 20:55 Zr/n3LFbJcN

追伸

お風呂に入ったら元に戻りました・・

地獄という名前がなければ温泉に行きたいです・・

[844] pipit 2021/06/30 21:37 RR/tgpOc4Sf

過疎道ドライブさん、こんばんは〜
引越しのお手伝いおつかれさまです🍀🍵

ドライブさんは本当にやさしいですね。
一日で治ってよかったです😊  

せっかく温泉が近くにあるから、もったいない気がするけど、
地獄に浸かってる気持ちになってソワソワしちゃうかもですね〜(^^;)
でも、でも、地底からの湧き水なんて、やっぱり嬉しいかも??

悩ましいですね〜 ♨️

コロナのこともあるから、余計、躊躇してしまいますね

おおむかーーーーーーし、学生の時にたしか地獄温泉に友人と行ったんですよ。
青い温泉が印象的だったなー
ワニがいた気がするけど、あれは熱海か伊豆かと記憶がごっちゃになってるかなー

昔、旅館に海底温泉ってあって泳ぐ魚も楽しめるってあって、、めっちゃ楽しみに行ったら、、、

壁に水槽が嵌め込まれてるだけでしたー( ̄▽ ̄;)

天井からは発泡スチロールみたいな魚オブジェが吊り下げられてましたー 🐠 🐟 🐡

はやく旅行に行けるようになるといいですね 🍀🌈😊

[845] pipit 2021/07/03 16:40 RR/tgpOc4Sf

>>801
🐣🐥
親鳥がいなさそうな時にそーっと覗いてみたら雛になってました!
はじめ、目と口を開けて全く動かないので、あぁ、せっかく孵ったのに、死んだんだ。。。
と思ってたら、首をくきっと動かして。とりあえずよかった!

親が来るまで、省エネなのかな。
少なくとも3羽孵ってるみたい。

でも相変わらず親鳥の警戒がすごくて。。。
窓から、親鳥が室内をガン見なのですが、(&警戒のお知らせの鳴き声)
気を遣って、カーテンを一部だけ閉めてあげたら、
わざわざ見える場所に移動して人間の姿を捉えてから、警戒音で飛び立つ。。。
気休まらんやろぅ。。。仕方ないのかな、本能。。。

はやく無事巣立ちしますように。。。
カラスに見つかりませんように。。。(食べられそう。。。)

あれ、なんの鳥かなー。緑系で、メジロ??? 🦜

[846] 過疎道ドライブ 2021/07/03 20:41 73/n3LFbJcN

>>845

pipitさま こんばんは~ 心中察します・・🙏

我が家も最近玄関にツバメがアタックしてきて何羽でも集まって騒いでいました・・

ご近所の二階に巣をつくっているみたいでどうやら蛇でも来たのでしょう・・

私に助けてくれと言わんばかりでした・・

人が多く行き来しないと烏に食べられたり巣が雀に壊されます・・

何度か雀やカラスを追い払いました・・

人間に自分の雛を見せたいみたいでした・・

隠れた所では悲劇が起きるのです・・

メジロの雛の育て方を検索しましたが可愛過ぎます・・

雛を見るのはハラハラドキドキ (゚□゚||)ハラハラ♪ドキドキ♪

[847] 過疎道ドライブ 2021/07/03 20:55 73/n3LFbJcN

追伸・・ツバメは苦労話が・・

我が家はツバメが巣を作ったら蛇除け剤をまいたり何かと毎日大変でした・・

去年は5羽揃って写真に写ってくれましたが今年は巣の場所が違ったので大親分みたいな雛と臆病な雛になりました・・

老人になったら無事育つまで苦労を感じるようになりました・・

[848] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/04 08:30 r2/THLG1Dok

俺は好きな女は変えない。
その人とこれからの時間を
家族となり歩んでいきたい。

[849] pipit 2021/07/04 15:04 RR/tgpOc4Sf

>>846
>>847
過疎道ドライブさん、こんにちは😃🦜
私もYouTubeで検索して見てみました。かわゆいですね〜

無事育つといいけど、自然は厳しい面もありますもんね。

弱肉強食。。。🌳

[850] pipit 2021/07/04 15:33 RR/tgpOc4Sf

>>848
こんにちは〜😃

仏教トピ的には
諸行無常
諸法無我
諸行皆苦
が、初期仏教のテーマとなるかもなので、
変化、は、いつでもあり得ると思ってた方が、あなた様の心のお守りになるといいなと思いました。🍀🌈

あなた様にご縁がある方との幸福が実現するといいですね😊

ちなみに、仏教の八正道の正精進は、wikiには、
『比丘たちよ、正精進とは何か。 未発生の不善(akusalānaṃ)は、これが生じないよう、比丘らは関心を持って努力し精進(ヴィーリャ)することである。 発生した不善は、これを解消するよう、比丘らは関心を持って努力し精進することである。 未発生の善は、これが生じるよう、比丘らは関心を持って努力し精進することである。 発生し成された善は、これが拡大するよう、比丘たちが関心を持って努力し精進することである。 比丘たちよ、これを正精進と呼ぶ。』
とあり、
すべてが変化するなら、上記のように変化するように努力するのが、初期仏教的な実践になるのかな、と、思いました。

[851] しほ✌️😃✌️😆💗❤️💓💘💝 2021/07/04 16:12 LP/X9mtc14k

何の?⁉️😅

[852] pipit 2021/07/04 16:50 RR/tgpOc4Sf

>>851
しほさん、こんにちは〜😊🌸

[853] 過疎道ドライブ 2021/07/06 19:35 73/n3LFbJcN

pipitさん こんばんは~🙏

今日テレビでカーター元大統領夫妻のご結婚75周年記念インタビューを拝見いたしました。

カーター元大統領が生き仏のような雰囲気をされていらっしゃいました・・毎晩聖書をお読みになり毎日勉強になっていらっしゃるそうです。

日本の元首相の方々もどのようにされているのか・・

バイデン大統領就任をお喜びのカーター元大統領はバイデン大統領にそっくりです・・聖書の影響でしょうか?

ふと見ると我が家にも聖書があちこちに・・

初めて聖書を開いて長編でびっくりしました・・

日本のお経より根っこが深いです・・

pipitさん仏教ごときではないですよ・・キリスト教は・・

仏教はキリスト教より幸せだと思います・・

[854] pipit 2021/07/06 19:46 RR/tgpOc4Sf

過疎道ドライブさん、ちょうど同じくらいで、こんばんは♪

> 初めて聖書を開いて長編でびっくりしました・・

日本のお経より根っこが深いです・・

pipitさん仏教ごときではないですよ・・キリスト教は・・

仏教はキリスト教より幸せだと思います・・<

書物として長編で根っこが聖書の方が深い。
ゆえに、
仏教の方が【幸せ】、とドライブさんは思ってるのですか?

短くて理解するのが簡単ゆえに、仏教の方が【幸せ】という意味ですか?

はたまた違う意味ですか??

[855] 過疎道ドライブ 2021/07/06 20:00 73/n3LFbJcN

>>854

ちょっと読んだだけで争い・裏切り・戦い・諸国の滅び・裁きの告知・・挙句の果ての十字架・・

七転八倒・残酷非道・・

救われるには・・

『福音はユダヤ人と異邦人のため』

異邦人は聖霊の力によって希望に充ち溢れるらしいです・・

[856] pipit 2021/07/06 20:37 RR/tgpOc4Sf

>>855
ドライブさん、説明ありがとうございます!
聖書のこと全然知らないので、ドライブさんが何故幸せと思うのかがわからなくて聞きましたm(_ _)m
ドライブさんの考えてたことを答えてもらって嬉しいです😊🙏

聖書も仏典もいろいろあるなんて、ドライブさんの家族さまが博学なのでしょうね、
ヤスパース好きのドライブさんもですね📚📚📖

聖書も人により受け取るものが様々なのかもしれませんね。
それか、、、一つのもの、なのかなぁ。
みんなそれぞれの道で幸せになれるといいですよね。

昔、近くに小さな教会があって、そのことを思い出しました。
ほんの瞬間的にだけご縁のあったその方が、幸せの信仰の中で過ごされてたらいいな、と、思いました。👼

[857] 過疎道ドライブ 2021/07/06 20:52 73/n3LFbJcN

pipitさん

私は知ることを愛する哲学派です・・

キリスト教の真理と仏教の真理とイスラム教の真理と・・

それこそ盲目で像を触る仏典童話みたいです・・

全体像が見えてきて智慧が深くなりますように🙏

[858] 過疎道ドライブ 2021/07/06 20:55 73/n3LFbJcN

追伸

私のご近所のキリスト教の方はご近所でも一番幸せそうです・・pipitさんのお知り合いの方も幸せでありますように・・🙏

[859] pipit 2021/07/06 23:22 RR/tgpOc4Sf

>>858
20分程度だけ会った人なんですけどね😊
でも、実は何処かで再会してたこともあるかもしれないなぁ

生きるって不思議な気もします

認識も。

ドライブさんの願い(超越者に出会うこと?)が叶いますように🌈🍀

[860] 過疎道ドライブ 2021/07/07 17:00 73/n3LFbJcN

pipitさん こんにちは~ 有難うございます。

◎ 「 新約聖書 ―マタイ伝・七」に見えることば。 口語訳の原文は、「狭い門からはいれ。 滅びにいたる門は大きく、その道は広い。 そして、そこからはいって行く者が多い。

◎「一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。」
『スッタニパータ』(『ブッダのことば スッタニパータ』岩波文庫 37頁)

仏教のほうが慈悲深いです・・

狭き門より入れず輪廻転生🙏

[861] しほ✌️😃 2021/07/07 17:39 LP/NkCBrChv

こんばんは✋😃✨⭐️🌟

[862] pipit 2021/07/07 21:15 RR/tgpOc4Sf

>>860
過疎道ドライブさん、こんばんは〜

キリスト教徒の方はボランティアなどで、困ってる目の前の方を直接に手助けたり、すごく優しい方が多い印象を持っています。

もちろん、仏教を含め、宗教は争いの理由にもなるのでしょうけど😞

岩波文庫p37をみました。
めっっっちゃ、優しいお経ですよね😊大好きなお経です🍀📖
南伝仏教では、護経として唱えられているお経みたいです🌻

[863] pipit 2021/07/07 21:17 RR/tgpOc4Sf

>>861
しほさん、こんばんは😊🌺

今日は七夕ですね🎋🌠

[864] pipit 2021/07/07 21:22 RR/tgpOc4Sf

お店に七夕飾りがあって、お客さんが書く願い事がいろいろおもしろかったです 🎋

おじいちゃんが98才まで生きられますように。
という願いごとの98に✖️をつけて、100と書かれてたり。
(おじいちゃん書き直した?)

◯◯ちゃんが幸せに暮らします。

犬が欲しい。

猫が欲しい。

彼女が欲しい。

彼氏が欲しい。

世界平和。

いろいろあって読むの楽しかったです 🌌 🍀

[865] しほ😘💕 2021/07/07 21:29 LP/6QX7R54W

はい七夕🎋ですね😃🌠

[866] pipit 2021/07/07 21:33 RR/tgpOc4Sf

ドライブさんとの話題で出た『慈しみ』というお経(Metta suttam:慈経)の一節を引用します。🎋🌌

『いかなる生物生類であっても、
怯えているものでも強剛なものでも、悉く、
長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、
短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、
目に見えるものでも、見えないものでも、
遠くに住むものでも、近くに住むものでも、
すでに生まれたものでも、これから生まれようとするものでも、
一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。』
『ブッダのことば スッタニパータ』中村元先生訳、p37より引用

[867] pipit 2021/07/07 21:35 RR/tgpOc4Sf

>>865
しほさん、こんばんは!
残念ながら、雨のところも多いかもしれませんね。

こちらは雨です☔️😊

[868] しほ😘💕 2021/07/07 21:48 LP/sC8ma9MM

はいそうですね😃💕😘

[869] しほ😘💕 2021/07/07 21:49 LP/sC8ma9MM

こんばんは😃🌃😊🌠

[870] しほ😘💕 2021/07/07 21:51 LP/sC8ma9MM

名前は何て呼べばいいですか?☺️

[871] pipit 2021/07/07 22:34 RR/tgpOc4Sf

しほさん、こんばんは😊

自分では、ピピットと音読みしてます。
けど、お好きなように読んでくださいね♫

よろしくお願いします ! 🌟(^∇^)

[872] しほ😘💕 2021/07/07 22:55 LP/thc2BwOI

ピピットさんこんばんは😃🌃はい☺️わかりました💕

[873] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/08 02:11 Tl/mJSQmUbo

小室圭みたいなのも
いるからな。韓国系在日や帰化人

統一協会だけではない

[874] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/08 02:13 Tl/mJSQmUbo

小室圭みたいなのも
いるからな。韓国系在日や帰化人

統一協会だけではない

右派だと全て統一協会員と決め付ける韓国系在日や帰化人だからな

[875] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/08 02:16 Tl/mJSQmUbo

統一協会や日韓海底トンネル批判しても、
組織が違うだけで会社公務員組織やその他組織や韓国民団その他韓国系在日や帰化人がいるから、韓国繋がりだしな。

冷戦時代の韓国と北朝鮮みたいな思考だ。

[876] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/08 06:15 Tl/mJSQmUbo

おはよう

[877] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/08 08:03 Tl/mJSQmUbo

上念司はないな。

[878] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/08 08:39 Tl/mJSQmUbo

気にくわない個人や右派だと全て統一協会員と決め付けてきた韓国系在日や帰化人の他人種も統一協会と同じだ。 韓国繋がりは同じ
組織が違うだけで会社公務員組織やその他組織や韓国民団その他色々いるからな

[879] pipit 2021/07/08 16:35 RR/tgpOc4Sf

>>878
こんにちは😊

輪廻転生があるとしたら、私は今はたまたま日本人だけど、前世は韓国人だったこともあるだろうな、
来世で中国人になったり韓国人になったり、いろんな国の人間として生まれることもあるのだろうな、
と思っています。

その国に生まれたら、受け取れる情報などの制限を受けて、私自身その国の雰囲気に染まって生きていくのだと思っています。
反応がどうしても条件付けられるところがありますよね。

本当はみんな仲良く生きられるといいけど、この世界では難しいのかな、とも思ってしまうとき、
仏教の『諸行皆苦』が浮かびます。
わたしには全然実践できてないんですけど、いつの日か、の、憧れとして、経文を引用しますね。

『「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそが人が清らかになる道である。』
ダンマパダ277
中村元先生訳

おつかれさまです😊🍵🍀☔️

[880] pipit 2021/07/08 16:39 RR/tgpOc4Sf

あ、なんか、
ヤスパースさんの限界状況という言葉思い出したなあ〜 👼

[881] しほ✌️😆 2021/07/08 20:02 LP/HIQPspcr

ピッピトさんこんばんは😃🌃

[882] 過疎道ドライブ 2021/07/08 21:00 73/n3LFbJcN

pipitさん

こんばんは~🙏

最近はネットでもヤスパースさんの正しい解釈があります・・

[883] pipit 2021/07/08 21:00 RR/tgpOc4Sf

しほさん、こんばんは😊🌈🍀

[884] pipit 2021/07/08 21:01 RR/tgpOc4Sf

(o^^o) オンナジー

過疎道ドライブさん、こんばんは 😊🍀🌈

[885] pipit 2021/07/08 21:05 RR/tgpOc4Sf

>>882
ドライブさんは、今の格調高い訳がいいかもしれませんが、
訳を平易に変えたら、もしかしたら、ヤスパース哲学の読解が、わかりやすくなるかも???

[886] らんてんぷぅ 2021/07/08 21:19 ザ-000,025,637号

😚

[887] らんてんぷぅ 2021/07/08 21:19 ザ-000,025,637号

🥱

[888] らんてんぷぅ 2021/07/08 21:20 ザ-000,025,637号

🤗

[889] pipit 2021/07/08 21:22 RR/tgpOc4Sf

おお!
すごい注意力〜 😳

おつかれさま 🤗 🌟

[890] 過疎道ドライブ 2021/07/09 17:04 73/n3LFbJcN

>>885

二十歳の時の高校の同窓会で今中学の校長をしている人がその時に

「○○(私)さんはジャングルジムを一段ずつ上るタイプ、○○さんははしごをかけててっぺんに上るタイプ、自分はヘリコプターからてっぺんに降りるタイプ」と・・

凄い人間観察ですね・・

きっと自分の力で一歩ずつ頑張るのは損なのかもしれません・・

指導者がいればヤスパースさんを一日でマスターする人もいるでしょう・・

しかし簡単に掴んだものは簡単に忘れると思います・・

一冊の本を何回も何回も読んでいます🙏

[891] 過疎道ドライブ 2021/07/09 17:10 73/n3LFbJcN

pipitさん

こんばんは~のうっかり挨拶を忘れていました・・

いきなり独り言調の人に後レスされて・・やっぱり挨拶が無いと怖いですね・・

pipitさんも経典頑張ってください🙏

[892] pipit 2021/07/09 19:57 RR/tgpOc4Sf

>>891
過疎道ドライブさん、こんばんは〜😊

経典の読解はじめたところで、そのまま時間が随分と過ぎてしまいまして( ̄▽ ̄;)

仕切り直しで、また、何か書き始めたいのですが、、、

カントの沼にはまっていまして。。。。うぅ、足が引き上げられないー
W(`0`)W

[893] しほ😘💕 2021/07/09 20:05 LP/MacYVbJ4

ピッピトさんこんばんは😃🌃

[894] pipit 2021/07/09 20:29 RR/tgpOc4Sf

しほさん、こんばんは😊
今日も一日過ぎてゆきますね🌃
おつかれさまです🍀

[895] アートポット 2021/07/09 20:47 6C/zfU7R0da

ピピットさん、こんばんはにょ

今閲覧したら、ちょっと荒れてるなあって心配したけど問題ないみたいで安心にょ

メビウス掲示板に居た方々や色んな人たちの平和を願うにょ

僕は、ここでは危険思想を演じて世論を動かせるか実験してるので
一定の距離を保ち続けてくれくれにょ

ではでは

[896] pipit 2021/07/09 23:02 RR/tgpOc4Sf

>>895
アートポットさん、こんばんは〜ニヨロ

個人的には、あんまり危険思想演じない方が安心な気がするなぁ

どうぞ気をつけてくださいね 🍀🌈

おつかれさま〜 ニヨロ 😊 ☕️ ← 🧊

[897] しほ😘💕 2021/07/10 10:23 LP/rsMHjRO8

ピッピトさんおはようございます✋😆☀️

[898] らんてんぷぅ 2021/07/10 11:40 ザ-000,025,637号

志保おはよぉー!👍✨💋💋チュッ💋💋チュッ💋💋ブチュッ💋レロレロペロペロ🤢🤮
だね〜👍✨😃💋💛
✋😆☀️

[899] らんてんぷぅ 2021/07/10 11:40 ザ-000,025,637号

🥱

[900] らんてんぷぅ 2021/07/10 11:41 ザ-000,025,637号

😲

[901] pipit 2021/07/10 16:46 RR/tgpOc4Sf

>>897
しほさん、おはようからの〜こんばんは!🌇

おつかれさまです 😊🍀🍵

[902] pipit 2021/07/10 16:54 RR/tgpOc4Sf

>>900
らんてんぷぅさん、こんばんは🌆

鳥、無事に育ったかもです 🎉 🦜
メジロじゃなくてもしかしてウグイスかも!??(わからないけど)

餌ねだりの声は、ティティティティティティティーっ!!
って全然風流じゃなかったけど 🐣

[903] pipit 2021/07/10 17:32 RR/tgpOc4Sf

うーん、わからん。。。
やっぱりウグイスではないかも。。。

🦜

まあ、無事巣立ってよかった !
子供みたいなのが飛んでたよー 多分、の、想像になっちゃうけどね

[904] 過疎道ドライブ 2021/07/10 18:48 73/n3LFbJcN

>>903

pipitさん こんばんは~

鳥が無事でおめでとうございます。

私も鳥の巣の中でふかふかな記憶がぼんやりあります・・(すごい妄想)

♪人は昔々鳥だったのかもしれない♪

全てが安泰丁寧に育まれますよう🙏

[905] pipit 2021/07/10 19:19 RR/tgpOc4Sf

>>904
過疎道ドライブさん、こんばんは!

九州が大雨で、おつかれさまです 🍵
ドライブ家に被害ありませんように🍀🍀🍀🙏

鳥、空飛べてすごいですよね!🦉ぽーぽー♫

[906] pipit 2021/07/10 19:23 RR/tgpOc4Sf

今日のおやつは、九州名物『白熊』なのだー 🐻‍❄️ カキゴオリ

楽しみ〜 ♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪

[907] 過疎道ドライブ 2021/07/10 19:31 73/n3LFbJcN

>>906

我が家の冷蔵庫にも白熊とブラックモンブランがあります・・

白熊は様々な種類がありますね美味しいですね!(゚д゚)ウマーウマ━(●゚∀゚●)━ス!!!!

[908] pipit 2021/07/10 20:29 RR/tgpOc4Sf

わーぉ

ブラックモンブラン キニナルーーー

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

[909] 過疎道ドライブ 2021/07/11 20:32 73/n3LFbJcN

>>908

モンブランつながり・・こんばんは~🙏

モンブランは、フランスとイタリアの国境に位置する、ヨーロッパアルプスの最高峰。標高4810.9m。ヨーロッパではロシアのエルブルス山に次ぎ高い山であり、西ヨーロッパでは最高峰である。

人は何故山に登るか・・そこに山があるからと申しますが・・山で死ねたら幸せだからではないでしょうか?

エベレストに6回登頂したガイドのゲルジェ・シェルパは、2008年に初めて登ったときには遺体を3体発見した。先ごろのシーズンでは少なくともその2倍の数に遭遇したという。エベレストには100体以上の遺体が・・南無南無🙏

何も命かけるような危ない登山をしなくてもよいのに・・

[910] 過疎道ドライブ 2021/07/11 20:33 73/n3LFbJcN

お寒い暗い話で申し訳ありません(*' ')*, ,)✨ペコリ

[911] pipit 2021/07/11 22:49 RR/tgpOc4Sf

過疎道ドライブさん、こんばんは〜

人間の価値観はいろいろなのでしょうね🗻
死なないと思って死んだ人
死ぬ可能性も認識してて死んだ人
死んだ人の中でもいろいろなのでしょうね 🙏

自分が死ぬとき、どんな気持ちなのかなーと思うけど、
その時のコンディションとかもあるし、、、
生まれた時の記憶ないなぁと、ふと思いました
今、意識があるけど、この個性ある意識がなくなる 。

[912] pipit 2021/07/11 22:50 RR/tgpOc4Sf

この概念たちがなくなる。

[913] pipit 2021/07/11 22:55 RR/tgpOc4Sf

輪廻転生あるとしても、昔の概念、そのままの概念、全然思い出せないからね

[914] pipit 2021/07/11 23:02 RR/tgpOc4Sf

できるだけ 進めてあげたい

できるだけ 成就させてあげたい

そう思った。

ありがとう。

でも、怠け者だなー sorry

[915] 2021/07/12 09:48 73/ipic7T1J

死とは、死没・死去・破壊・滅没・死亡・死・命終・諸蘊の離散・遺体の捨置・命根の断絶等と説かれると同時に、五根は寿命により存続し、寿命は熱により存続します。そしてその熱は、寿命により相互存続すると説かれています。これは、燈火があるときに、その炎により光があり、その光によって炎が知られるようなことです。

五根(燈火)は寿命(炎)により存続し、寿命は熱(光)により存続します。
例えば、木が燃えるとき、木と熱と空気のどれかがない時燃えてるという現象は起きませんね。これと、熱と寿命と識の関係は同じです。

人間にコントロールが不可能な寿命と熱の関係が途切れたとき、身は破れます。つまりは物理的な死を迎えます。その時、識が遮断されずに残っていると、それを縁にして転生が起こるようです。ですので仏典内では、阿羅漢でも望むのであれば好きな処へ転生できるとの記載がありますし、犬行者の転生先は犬(関係)だと最終的に伝えるシーンの記載もあるようです。

識とは、五蘊の中の1つですが、六根と六境により生じるのが六識であり、識別作用のことです。同時に他の四蘊に対して貪欲という束縛があるときに行き着く場所であり、この識を悪魔や殺害者、矢や腫瘍と見なさいよと説かれます。

もしも識をその瞬間に捨することができれば、識がないとき名色がなく、六処・触・受・渇愛・取・有・生・老死はないということです。(十支縁起です)

修行の中でこの識を捨断します。その体験をもとに熱と寿命の関係が壊れる(身が敗れる死)まで感官の防護で五根に悪魔(この識を悪魔や殺害者、矢や腫瘍と見なさいよと説かれます)が流入することを防ぎます。そしてその最後の時が来る瞬間に、識の分別作用をなくします。これができれば輪廻転生はしません。不還果の苦の終焉、輪廻の終焉です。

この時、もちろん私の意識という意味の識ではありません。なぜならば、私のというのは妄想だからです。そこには己身(有身)がありますが、これがある間は、私の意識があれば地獄や畜生に転生するなんて間違った理解になります。間違った理解のもとに恐怖は生じます。ですので、有身見の滅尽を目指してください。すべて経典記載に根拠があります。

[916] 2021/07/12 13:11 73/ipic7T1J

>>915

すべて経典記載に根拠があります。なんて書きましたが、少なくとも私の読んだ仏典の総合的な判断でのお話です。字句はそのままではありませんし、もちろん意味合いは他の方の日本語訳に依存していますので、このような表現しかできません。とはいうものの、その日本語訳でも少し流れ的に引っかかる箇所があれば、可能な限り原文対比をして確認します。日本語訳をそのまま鵜呑みにはしないということです。

仏陀は何位を説いていたのか?ということが時として議論になったりしますが、「苦と苦の滅尽」を説いていました。でおしまいです。四聖諦だ縁起だ、空だ禅定だと人それぞれの解釈による論争が起きたりもしますが、ただそれのみを説いていたのだと私は思います。

解釈は100人いれば100通りあると思いますし、それはそれで問題はありません。問題の根源だと思われることは、その見解を持つことでしょう。

これのみが真実であり他は虚妄である。・・といった見解を私はもってはいません。との記載がありますが、なぜか理解者はその見解を持ってしまいますね。ですから学んでいるもの同士で論争に至ります。くだらないことです。

今はもう書くこともなくなってきました。。。この辺で。

[917] pipit 2021/07/12 16:28 RR/tgpOc4Sf

>>915
>>916
時兄上さま、こんにちは!
知らないことをたくさん教えてくださり、ありがとうございます🙏

わたしは仏教が大好きだし、輪廻があるとしたら、過去に仏縁があったのかも、と、思うと、
その時に生きたその方の想いを思うと、
なんか申し訳ないなー、と、なっていました (´;Д;`)

思うなら精進しろー、なのに、
怠け者で。

でもできることだけでも、精進しようと思います。

人身得がたし!ですよね 😊

いつも本当にありがとうございます🙏
おつかれさまです 😊🍵🌈🍀

[918] 過疎道ドライブ 2021/07/12 19:17 73/n3LFbJcN

pipitさん

仏教では・・すべては現象・・みたいな・・

実存哲学では永遠を得る超越者に出会うという実存照明・・生きている確信・生きる根源を得る・・私に出会うみたいな・・

本当の私が生きている真の存在の確信・・

これは仏教では妄想なのでしょうか?

[919] pipit 2021/07/12 19:45 RR/tgpOc4Sf

>>918
ドライブさん、こんばんは〜😊

初期仏教では、涅槃は現象ではないとされている思いますよー
龍樹さんはどうなのかなあ?わかりません(^人^)

初期仏教の場合は、ゴールはすべての苦しみの滅、滅に至る道は八正道、その是非は自分で確かめて行きなさい、という感じに説かれているように、私は受け取っているので、自分にとって幸せか否か確かめつつ進んで、
最終的に何に出会うかはお楽しみ♪
ってか、出会いというものも消滅かもだけど( ̄▽ ̄;)

ドライブさんは実在哲学で説かれている事を自分で試そうとされていますか?
もし、そうなら、私にとっての仏教は、それと同じような感じだと私は思ってます(^。^)

それとも、ドライブさんにとって、ヤスパースさんの言説は、実践対象ではないですか??

[920] 2021/07/12 19:53 73/ipic7T1J

>>917 pipitさんへ

返信をありがとうございます。

> 思うなら精進しろー、なのに、

「精進する」で検索すると、一番上に「「精進する」の意味とは? “精進”はもともと仏教用語。 ひたすら仏道修行に励むことを意味していました。」なんてことが出てきますが、ここでいう「ひたすら仏道修行に励むことを意味し」の根拠となる仏典記載は、私の知る限りありません。

まぁ、日本語として何となく「頑張る・努力する」程度の意味合いで通じればよいのでしょうね。(笑)

異国の文化の思想を理解しようとすると、取りあえずは簡単ではなさそうですね。

ご返信は不要です。

[921] 過疎道ドライブ 2021/07/12 20:42 73/n3LFbJcN

>>919

挨拶が後回しになり🙇 こんばんは~🙏

私個人の中ではヤスパースさんが真実です。

世界共通の真理と言うと・・真理は多種多様・・

一側面しかとらえられないのでなるべく多面的に全体像を捉えたいです・・

pipitさん

カントさんもプラトンさんを批判したりしていらっしゃる模様・・

ヤスパースさんはカントさんを批判されていまして・・かくかくしかじか・・形而上学一本でございます・・

[922] pipit 2021/07/12 20:56 RR/tgpOc4Sf

>>921
ドライブさん、こんばんは!

ドライブさんにとって、ヤスパースさんの言説は真実なのですね。

了解です、返信ありがとうございます😊

[923] pipit 2021/07/12 20:57 RR/tgpOc4Sf

>>921
ドライブさん、興味がでたのですが、
ヤスパースさんは、死 について、どのようなことを述べてられるのか聞いてもいいですか?

[924] 過疎道ドライブ 2021/07/12 21:32 73/n3LFbJcN

>>923

『消滅流転』を自己のものとすることにより実存の現在の真理となるそうです。

現存在として現象するとともに、現象において現象以上のものであるとき初めて可能的実存が現実となるらしいです・・

この実存的確信において終末の悲しみを『克服』できるそうです。

[925] pipit 2021/07/12 22:11 RR/tgpOc4Sf

>>924
ドライブさん、書き込みありがとうございます。

『消滅流転』の意味は何ですか?

[926] pipit 2021/07/12 22:11 RR/tgpOc4Sf

消滅は、死ぬことですか?

流転は?

[927] 過疎道ドライブ 2021/07/12 22:19 73/n3LFbJcN

>>925

光の海の中に浮かんだり沈んだりする命・・

命が消滅流転するということです・・

○生滅流転<しょうめつるてん>
(意味:万物が永遠に生まれと滅びの間を巡り続けること。万物が常に移り変わってゆくこと)

らしいです・・

夜も更けますので・・おやすみなさい+。:.゜オヤスミヽ(´∀`)ノ .:。+゜。

[928] pipit 2021/07/12 22:35 RR/tgpOc4Sf

>>ドライブさん、おやすみなさい😊
教えてもらえれば嬉しいことを書いておきますね。

>『消滅流転』を自己のものとすることにより実存の現在の真理となるそうです。<

生じたり滅したり、は、自己のものではないとするときは、実存の真理ではない、という意味でしょうか?

>現存在として現象するとともに、現象において現象以上のものであるとき初めて可能的実存が現実となるらしいです・・
この実存的確信において終末の悲しみを『克服』できるそうです。<

現象としての存在において、現象以上のものがあると確信されるとき、現象としての終末の悲しみは克服できる、という意味でしょうか?

[929] pipit 2021/07/12 22:40 RR/tgpOc4Sf

> 『消滅流転』を自己のものとすることにより実存の現在の真理となるそうです。<

自分は死んだり生まれたりするという事象を、自分の性質としてしっかりと受け入れた方がいいと言ってるのですか?

[930] 過疎道ドライブ 2021/07/13 17:13 73/n3LFbJcN

>>928

>>929

ヤスパースさんの難解な文章を極力わかりやすく書いたつもりでした・・

pipitさんならもっと解り易く書けるんですね スゴ━((゚艸゚〃))━゚・*:.。.━ィ!!

[931] 過疎道ドライブ 2021/07/13 17:14 73/n3LFbJcN

又挨拶を忘れてしまいました・・

こんにちは~🙏

[932] pipit 2021/07/13 18:40 RR/tgpOc4Sf

過疎道ドライブさん、こんばんは
返信ありがとうございます!!

(=゚ω゚)ノ デレマスあー
・・・「てれますうー」をスマホが勝手に文字変え変換・・・

ヤスパースさんは、何かの宗教を信仰してたのではないのでしょうか?
宗教的には無所属なのでしょうか?

[933] pipit 2021/07/13 18:43 RR/tgpOc4Sf

変換つながりで思い起こすのは、
勤め先で時々使わせてもらうノートパソコンの変換のクセが強すぎなんです・・・

大、は、だいたい、「大爆発」と変換されます・・・
その他もろもろ・・・

[934] pipit 2021/07/13 18:47 RR/tgpOc4Sf

ちなみに、別のパソコンは、

運賃、って打とうとすると、必ず途中で、『💩』みたいな候補を表示してくれます・・・
毎回・・・

[935] 過疎道ドライブ 2021/07/13 18:57 73/n3LFbJcN

>>932

ヤスパースさんは若い頃は教会に通った経験が無いとか・・

キリスト教は信じても信じなくてもいいようですよ・・

>>934

我が家にはそのマークは無い趣味でございます・・

[936] pipit 2021/07/13 19:35 RR/tgpOc4Sf

>>935
ドライブさん、ありがとうございます!

ヤスパース先生は宗教の敬虔な信者さんなんかなーと勝手に思ってました(@_@)

ヤスパースさん、奥が深そうだなぁ

ドライブさん、哲学者ヤスパースさんという存在に出逢えてよかったですね!
私は、カント先生が認知症になっても、哲学者カント先生という存在に出逢えて嬉しいな、と思っていまふ。

あ、ここ、仏教とぴでしたー ☆彡 ( 脱線 ? )

[937] pipit 2021/07/14 12:39 RR/tgpOc4Sf

YouTubeはつい次々と見ちゃうなー (><)

https://youtu.be/IDrBIDPKZg4
『野鳥がひしめく池に、ソーラーパネルを設置した結果が悲惨すぎる件★』
いきもの自然探訪 さん

生き物、、、たくましいなぁ、おもしろいなぁ。。。🦆🌳

[938] 過疎道ドライブ 2021/07/14 17:41 73/n3LFbJcN

pipitさん こんにちは~🙏

YouTubeの最後のほうで最近カラスと話しが出来るようになりました・・とのこと・・

カラスと波長が合う?

私は燕さんと波長が合います・・勿論犬や猫も。

pipitさんはどの鳥と波長が合いますか?

[939] pipit 2021/07/14 18:09 RR/tgpOc4Sf

>>938
過疎道ドライブさん、こんにちは😊

波長が合う、合わない、は、わかりませんが、
カラスとも友達になれたらおもしろいだろうなー、とは思っています。
カラスはめちゃ頭良さそうだし、いろいろ見てて面白いです。
「悪いなあ〜」って雰囲気もいっぱいありますけどね。

そう思うのは珍しいかなー、と、思ってたら、
最近、次男が「カラス、かっこいいな。悪そうなとこも。」と言ってたので、実はおかーさんも結構好きやねん、と、話していました。

まぁ、何かのヒナみたいなのを口にしてるの?と思うと、あぁ、と思うけど、
自然ですしね。。。
私も唐揚げとかいっぱい食べてますしね。

時々、ものすごくアホそうな鳴き方をするカラスがいます。。。
個性なのかなー、それか、合図 ?

[940] 過疎道ドライブ 2021/07/14 20:01 73/n3LFbJcN

>>939

pipitさん 余計なことを言ってしまいます🙏

死人が出る家を知っていると言うカラス・・

カラスは結界を張ると入ってこないのです・・

畑のスイカは結界を張っているので食べられずにいつも豊作です・・

カラスは魔族なのです・・(半分冗談聞き流して下さい)

[941] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/14 20:07 Tl/s8OsUGhi

横槍や妨害や誘導
する輩がいる。

[942] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/14 20:42 Tl/s8OsUGhi

毎日新聞は根っからの反日だな。
在日米軍基地に言い出したな。
毎日新聞は胡散臭いのと繋がりとかあるのか?

[943] pipit 2021/07/14 22:57 RR/tgpOc4Sf

>>940
過疎道ドライブさん、こんばんは〜
仏教トピなので、仏教的かなあ?と私が思うこと書きますね。

カラスも、かつての私の母だった生命の生まれ変わりかもしれない、父だった生命かもしれない、お世話になった人かも、と、
現在に生きるカラスに可能性の思いを馳せてみるのも、仏教的な考え方の内の一つになるのかな??
と、思いました。

慈悲の瞑想という方法を教えてられる仏教のお坊様がおられるのですが、そのような考え方を表した文言も、慈悲の瞑想のロングバージョンの中にあった記憶があります。

カラスちゃんの映像 (見ても見なくてももちろんご自由に😊)
https://youtu.be/lG5haUzhfVA 
『【未知の世界】フォークの気持ちよさに気付いてしまったカラス。そしてコノ表情である。』
ペット記録チャンネルさん

[944] pipit 2021/07/14 23:02 RR/tgpOc4Sf

>>941
>>942
こんばんは〜
おつかれさまです ! 🍀🌈🦉

[945] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/15 01:48 Tl/YLTfTaUu

汚物は人の話を利用して
出てくるな?

[946] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/15 06:28 Tl/0X302il5

思想と人種は別だな。
個人の進路妨害して
日本全体衰退や乗っ取りやっているんだからな

[947] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/15 06:32 Tl/0X302il5

俺は好きな女は変えないし
1人しかいない。

[948] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/15 07:22 Tl/0X302il5

汚物は会社公務員組織その他組織だから
大丈夫で個人妨害しているが、そのせいで
日本に災いが起きている自然災害で

組織の中だから大丈夫?

[949] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/15 07:54 Tl/0X302il5

いくら嫌がらせや妨害して有利にしても
、人は人形ではなく心があるからな。
無理なものを無理強いしても無理だと思う。
ただあるだけ、形骸化、空虚
男も女も

[950] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/15 08:02 Tl/0X302il5

元々が日本人ではないだろう。
母体の人種と血が違う韓国系在日や帰化人とかさ
人種と血が違うからわからない。

いくら妨害しても無駄だし、時間や心は金や物とは
交換出来ない事を理解出来ないバカ

[951] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/15 08:07 Tl/0X302il5

そもそも、人種と血は変わらない。

統一協会批判しながら、会社公務員組織その他組織や韓国民団は韓国繋がりで同じだ。 組織と言う思考で、北朝鮮と韓国と同じ様にしているのが、韓国系在日や帰化人だ。 統一協会批判しながら、祖国韓国に帰してもらっていながら、何故か強制連行と嘘話をやっている。
矛盾している。 祖国韓国に帰してもらったのだから、統一協会に礼でも言ったら?と客観的に見て思う

[952] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/15 13:24 Tl/0X302il5

他人種の韓国系在日や帰化人が
気にくわない個人に擦り付けて架空の在日作っているだけ、こちらは人種と血に特化した話をしているが、客観的に見て矛盾しているだろうにな。 その癖そいつらは日立製作所裁判にはだんまりだからな。
日本の民主主義は劣り、特定の他人種や組織により真実をねじ曲げられている。 俺みたいにアメリカその他みたいに人種、民族、出身国を公文書記載義務化迄言える輩はいない。 頭数が全て正しくない事例である。

[953] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/15 13:25 Tl/0X302il5

頭数や肩書きが
全て正しいとは言えないのは、
人種や血を見ないからだしな。

[954] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/15 13:28 Tl/0X302il5

矢野毅みたいな
他人種がいたしな

[955] pipit 2021/07/15 16:29 RR/tgpOc4Sf

>>954
こんにちは〜😊

私自身は煩悩いっぱいの凡夫だけど、せっかく仏教トピだし、あなたにとって良い言葉になるものが出るといいな、と、おみくじ的に目をつむってダンマパダの偈を指差して選んでみました。

ダンマパダ381が出ましたよ🎊
『喜びにみちて仏の教えを喜ぶ修行僧は、動く形成作用の静まった、幸いな、やすらぎの境地に達するであろう。』
中村元先生訳(『ワイド版岩波文庫 ブッダの真理のことば 感興のことば』p63より引用)

貪瞋痴ってご存知ですか?
貪瞋痴が静まった境地って、どんなんなんかなぁ、って私は思うんです。
あまりそういうことは思わないですか?

おつかれさまです🍀🌈🍵

[956] アートポット 2021/07/15 20:00 6C/zfU7R0da

>>946
日本を衰退させて多民族国家にしようとしてる連中のことは知ってるが
このスレで話すことではない。

別のスレにして

[957] pipit 2021/07/15 21:19 RR/tgpOc4Sf

>>956
アートポットさん、こんばんは〜😊

こっちでは、〜 ニョロ記号使えるのですよ 〜 ☕️🧊

[958] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/16 06:05 Tl/YLTfTaUu

成り済まし他人種在日や帰化人は
変な対抗意識や難癖ばかりだな。
だから嫌われる。

[959] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/16 06:11 Tl/0X302il5

思想と人種は別だな。
気にくわない個人付け回して
そうした難癖だしな。だから嫌われる。

[960] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/16 06:14 Tl/0X302il5

こちらにしたら何なんだ?
になるしな。だったら人種や民族名名乗れと言いたい。
身に覚えすらない事で難癖言われても
は?と思うしかない。

やはり人で突き詰めたら人種や血だな。

[961] しほ😘💕 2021/07/17 07:40 LP/l4tmGbrC

ピッピとさんおはよー👋😃☀️

[962] pipit 2021/07/17 16:09 RR/tgpOc4Sf

>>961
しほさん、こんにちは!
今日こちらはけっこう暑くなりました🌞
おつかれさまです😊🍀🌇

[963] pipit 2021/07/17 16:19 RR/tgpOc4Sf

今日は、カラスアゲハみたいな大きな蝶、見たかも!?

少なくとも、木にぶら下がった小さな毛虫みたいなのは見ました✌️

いろいろいるなー🌳

蜂はけっこういろんな種類いるー( ̄▽ ̄;) 🐝

でも、ミツバチはみないなー

あ、おおスズメバチも見ないな.怖いからありがたいな(; ̄ェ ̄)

[964] 過疎道ドライブ 2021/07/17 17:55 73/n3LFbJcN

pipitさん こんばんは~🙏

世界の真理の根源が二通り・・愛と理性に分裂していると思います・・

世界が統一できないので超越して飛躍するか眩暈の底に落ちるかどちらかかもしれません・・

[965] 過疎道ドライブ 2021/07/17 18:21 73/n3LFbJcN

pipitさん

飛躍するには片翼に世界の真理あと片翼に自己の実存の真理を持たなければならないと思います・・

カントさんは片翼だけで目眩の底(認知症)に沈んで行かれたのではありませんか?

大先生の事・・かなり失礼なことを書いて申し訳ありません🙏

[966] pipit 2021/07/17 19:03 RR/tgpOc4Sf

過疎道ドライブさん、こんばんは😊

『最後の言葉は、ワインを水で薄め砂糖を混ぜたものを口にしたときに発したという「これでよい(Es ist Gut)」であったと伝えられている。』wikiより。

カント本人は、カントの人生で満足してたんじゃないですかねー?わかりませんけど。

お世話されてた方の話として、カントは死を恐れていなかった、とか、
もう意識も混濁しているのに、お医者さまが来てくださると、突然身を起こし、「私はまだ、人間に対する感情を忘れてはいません!」的なことを発言した、とかの説話を読んだ記憶もあります。
人間に対する感情、とは、あらゆる人に対する尊敬と敬愛の気持ちなのではないかと想像しています。

> 自己の実存の真理<
ちなみに未勉強ですが、カントは、自己の実存の真理は、行為主体としての自己に見出してたかも??
そんな予感してますよ😊
もしそうなら、これで両翼ですね!👼

オマケYouTube😊🦉
『カントが言った凄すぎることベスト10』
小川仁志先生
https://youtu.be/RiU8H_lpReU

書き込みありがとうございます!おつかれさまです🤗🍀🍵

[967] pipit 2021/07/17 19:11 RR/tgpOc4Sf

気がついたら、967だ!
すごいなぁ👀
1000までなのかな?

ごうさんに、踏まれるかなー? 1000、踏んでいいよ !

あ、ひとつ前も踏む ?

[968] pipit 2021/07/17 19:56 RR/tgpOc4Sf

このスレッドがいっぱいになって書き込みできなくなったら、『2』はとりあえずは作らない予定でいます。

みんな幸あれ ☆彡☆彡☆彡

[969] 過疎道ドライブ 2021/07/17 20:13 73/n3LFbJcN

>>968

pipitさん 有難うございました。

私は独り言の人が怖くてスレ立てする度胸がありません・・

お疲れ様です・・

暇なときは又どこかで会話してくださいね・・

とりあえず999と1000に○○さんが狙いを定めているかどうか・・問題です・・

本当に考えが発展しました。ありがとうございました🙏

[970] pipit 2021/07/17 23:49 RR/tgpOc4Sf

過疎道ドライブさん、こんばんは!
ドライブさんと哲学話しするの、とても楽しいですよ、いつもありがとうございます😊
ヤスパースさんのイメージすごく変わりました!
ドライブさんのおかげです🤗🙏🌈
感謝です🍀
みんなにいい風吹きますように🍀🌈 ♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪

[971] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/18 01:10 Tl/jn7ZSxUB

自分の進路に変な汚物みたいなのが
介入。変なにおいがする。

[972] pipit 2021/07/18 08:27 RR/tgpOc4Sf

>>971
おはようございます🌞

欲や怒りって、自分の中にいっぱい生じますよね。
わたしはそうです。
では、なぜ、どのようにしてそのような煩悩が生じるのかという仕組みを
自分自身から学んで、理解していくのが、仏道の捉え方の一つだと私は思ってるんです。

欲、怒りは生きるのに必須だ、というのも世間的には真実である気がしますね。
その欲や怒りの滅尽への道を説く仏教は、『出世間』(しゅっせけん)の教えと言われたりしてる気がします。

大乗仏教になってくると、あらゆる生命を益するために、あらゆる生命を考慮した説かれ方をするのかもしれませんけどね😊

なぜ、欲や怒りから離れる道を説くのか、というと、結局は、欲や怒りがその人を苦しめることに流れていくから、なのかな、と、今のわたしは思っています。

といいつつ、サボって実践できてないわたしは海で沈んだら浮かんだりみたいなかんじなんですけどね(^_^;)

思い出したダンマパダの偈を、次の投稿でご紹介しますね。💐

[973] pipit 2021/07/18 08:39 RR/tgpOc4Sf

ダンマパダと呼ばれる経典より。ダンマパダ50〜53

『他人の過失をみるなかれ。他人のしたことしなかったことを見るな。ただ自分のしたことしなかったことだけを見よ。

うるわしく、あでやかに咲く花でも、香りの無いものがあるように、善く説かれたことばでも、それを実行しない人には実(みの)りがない。

うるわしく、あでやかに咲く花で、しかも香りのあるものがあるように、善く説かれたことばも、それを実行する人には、実りが有る。

うず高い花を集めて多くの華(はな)かざりをつくるように、人として生れまた死ぬべきであるならば、多くの善いことをなせ。』

(『ワイド版 岩波文庫 ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元先生訳、p17より抜粋引用)

 
おつかれさまです 🍀🌈

[974] 過疎道ドライブ 2021/07/18 14:20 73/n3LFbJcN

pipitさん

仏教は仏になる道・・

哲学は人間になる道・・

カントさんは一生独身で一番得の高い人・・

ハイデッカーさんは不倫や政治力ありの大物・・

ヤスパースさんは体の弱い理性が頼りの真面目な方・・

それでも現代哲学は実在論存在論の傾向になりました・・

いつかきっとヤスパースさんは再認識されると思います・・何と言っても伝統形而上学ですから・・

仏教なら蓮の花のような泥にも水にも濡れずに生きるのが正統派仏教でしょうね・・🙏

[975] pipit 2021/07/18 16:29 RR/tgpOc4Sf

>>974
過疎道ドライブさん、こんにちは!
これから暑くなりそうですね、九州の夏は暑いんだろうなぁ
湿気はあまりないのかな??
いつかまた行きたいなぁ 🛳 🚄

ヤスパースさんは、きっと再認識されるんじゃないかな、と、私も感じます。
本物の人格者だったのかもしれませんね(想像)✨

熱中症にお気をつけてくださいね!
マスク生活ですしね💦

[976] 過疎道ドライブ 2021/07/18 18:55 73/n3LFbJcN

>>975

pipitさん 挨拶が遅れました・・こんにちは~

我が地区はクーラーが無ければ死にます・・

クーラーの部屋は湿度が43%少し乾燥しています。

私は日頃の日帰り旅行は山口県が一番好きですが家族が熊本県が好きで・・鹿児島県と大分県と長崎県に日帰り旅行をしています・・

今度の連休は二年ぶりに長崎に行くつもりです。

余りにステイホームでマグマが貯まり旅にして旅を住みかとしたいとつぶやいています・・

pipitさんは神対応とかしてそうで完璧になると壊れやすくなるのでご無理をなさらず息抜きして下さいね・・🙏

[977] 過疎道ドライブ 2021/07/18 19:55 73/n3LFbJcN

追伸

山口県の帰りに高速道路で事故現場を目撃しました・・数分前の事故で私が運転を代わっていたから巻き込まれずに済みました・・それ以来山口県にあまり行かなくなりました・・

萩の『指月窯』のマグカップは一番のお気に入りなのに・・

[978] pipit 2021/07/18 20:14 RR/tgpOc4Sf

過疎道ドライブさん、こんばんは♪

事故に巻き込まれてなくてよかった!!

萩も学生の時友人と行ったなー(多分)
秋吉洞も行った記憶が?
もう大昔すぎなので忘れかけてるけど( ̄▽ ̄;)
小さなおさるさんもいたような 🙊

山口県は母親の実家です!
もう母も祖母も亡くなって、家は隣の方へ売ってしまったそうですけど。
山口の祖母には本当にお世話になったんです。めちゃめちゃ優しい祖母でした👵

祖母と母と私の3人で、山口の旅館へ泊まらせてもらったこともあります。大切な想い出です。
切ないけど、
『サヨナラだけが人生さ』みたいな面もあるかもしれませんね。

🍂 

みんなそれぞれに幸せであれかし 🍀

[979] pipit 2021/07/18 20:19 RR/tgpOc4Sf

山口の曽祖母にもお世話になったんですよ😊🍀
おばあちゃん、ありがとう💖

田舎すぎて、わたしが小学生の時出した年賀状

住所と
宛名が
『仕事するおばあちゃんとテレビ見るおばあちゃんへ』
でも、ちゃんと届きました(^^;

苗字も書いてないんですけどね📮

あぁ、昭和時代〜 🌳 🏝 夏休みは山口で運が良ければ海遊び !

[980] 過疎道ドライブ 2021/07/18 20:55 73/n3LFbJcN

令和元年十連休という貴重なときを、初日に高速道路が怖くて新幹線で徳山まで行ってレンタカーで山口県を日帰りコースで旅行しました・・

津和野でSLの走るのを見て近辺の道の駅で足湯に入り冬虫夏草というサプリを買いました・・

更年期障害真っ最中・・冬虫夏草を飲んだらとんでもなく元気が出て本棚を入れ替えたり部屋の模様替えをしたり私ってこんなに働き者?と思うくらい元気になりました・・

冬虫夏草を飲まなくなったら又元気のない虚弱児になりました・・

恐るべし津和野冬虫夏草・・

十連休・・須佐ホルンフェルスも感動しました・・もっと良い所がいっぱいありますね・・.。.:*・'(*゚▽゚*)’・*:.。.

[981] しほ✌️😆 2021/07/18 21:06 LP/VhXGOFnB

ピッピッとさんこんばんは😃🌃

[982] pipit 2021/07/18 21:33 RR/tgpOc4Sf

>>980
過疎道ドライブさん、こんばんは♪🌛

冬虫夏草ってドライブさんには合ってたんですね!
名前覚えとこうっと。

徳山、とかの駅名、懐かしいなー
新幹線、また乗りたいなー 🚄

[983] pipit 2021/07/18 21:36 RR/tgpOc4Sf

>>981
しほさん、こんばんはっ🤗🦉🌛

暑くなってきましたね、今日も一日おつかれさまです ! ☕️🧊

明日はどんな日かな〜😊🍀🌈

[984] pipit 2021/07/19 16:30 RR/tgpOc4Sf

コメント終わるのいくつまでなのかなー

パーリ仏典のこと書こうかなーと思うんだけど 📚📖

[985] pipit 2021/07/19 16:41 RR/tgpOc4Sf

経典探すのに、とても便利な構造になってるんですよ。
コンピュータのフォルダによるファイルの収納や階層?みたいに?

まず、『パーリ三蔵』は、経(きょう)・律(りつ)・論(ろん)から成ってるんですね。
経蔵、律蔵、論蔵、の三つで、三蔵(さんぞう)ですね。📚

お経(おきょう)と言ったりしますよね。
わたしが前に引用した『ダンマパダ』もお経ですね。
経蔵に収録されているんです📖

それで、視覚的にわかりやすいな、と、思ったのが、、、

[986] pipit 2021/07/19 16:51 RR/tgpOc4Sf

>>985
あー、だめだ、
パソコンでよく見るような、ファイルやフォルダー使ったようなページのアドレスは指定できなかった😣

[987] 過疎道ドライブ 2021/07/19 17:03 73/n3LFbJcN

pipitさん こんにちは~🙏

仏陀が説明を与えなかった命題・・

◎世界は永遠である~世界は永遠でない。

◎世界は有限である~世界は有限で無い。

◎完成せる者(仏陀)は死後存する~完成せる者は死後存しない。

仏陀は涅槃が究極の目的で救いに必要ない知識は退けたそうです・・

仏教の初期に【非想非非想天】が成立したとは考えられないそうです(中村元ゴーダマブツタ)

仏陀さんが永遠を説明しないのが残念です・・

[988] pipit 2021/07/19 17:09 RR/tgpOc4Sf

♪ イマジン (想像してごらん) 

どうしましょうね、自分で作ってみましょうか(想像)

ドキュメントフォルダに、『三蔵フォルダ』をまず作って、その中に、『経蔵フォルダ』『律蔵フォルダ』『論蔵フォルダ』の3フォルダを作りましょうか。
階層構造というのかな?

『三蔵』ーークリックするとーー〈経蔵〉
               〈律蔵〉
               〈論蔵〉
            
          
            
           

[989] pipit 2021/07/19 17:15 RR/tgpOc4Sf

>>987
ドライブさん、こんにちは〜

仏陀は実践方法を説いてるので、実践すると、いろんなことについて修行者は納得できる自分自身への回答を得られるようになってるかもー?
です!

お釈迦さまは、実践派なんですねー(と思ってるわたしでありました😊)

実践方法はいろいろ説かれてるみたいですよー
でも初期仏教では、証するのは、修行者自身で証していくしかないかも?

[990] pipit 2021/07/19 17:16 RR/tgpOc4Sf

うう、用事してきますー 

おつかれさまでーす!😊🍵🍀

[991] pipit 2021/07/19 19:56 RR/tgpOc4Sf

このトピがいつ終わるかわからないので(なんとなく人生!)
先にご挨拶を。

どなた様にも、心地良い幸せな世界が開かれますように 🍀🌈
(どんなときでも日々是好日と思える心を得られたらある意味?最強!!かも〜💪)

みなさま、ありがとうございました!!
🤗🐶🐱🦉🕊🐘🐋🌏

[992] pipit 2021/07/19 20:19 RR/tgpOc4Sf

>988
>『三蔵』ーークリックするとーー〈経蔵〉
                〈律蔵〉
                〈論蔵〉<

で、とりあえず、今は〈経蔵〉フォルダを見ていきますね 📂

ここでまたまた、階層構造管理システム、です☆
〈経蔵〉フォルダの中に、さらに5つのフォルダを作りますよ。

〈経蔵〉フォルダを、クリックすると
ーーーー〈長部〉フォルダ
ーーーー〈中部〉フォルダ
ーーーー〈相応部〉フォルダ
ーーーー〈増支部〉フォルダ
ーーーー〈小部〉フォルダ
この5つのフォルダが現れるように作りましたよ。

それでですね、フォルダ名って、わかりやすいようにつけますよね?
『国語』フォルダ
『算数』フォルダ
『理科』フォルダ
などとあったら、例えば宮沢賢治さんの小説のテキストをどのフォルダに入れるのか、入ってるのかなど、ある程度目当てをつけやすいですよね。

そのように、長部、などの名前も、分類の特色を表す名前になってるんですよ⭐️

[993] 過疎道ドライブ 2021/07/19 20:32 73/n3LFbJcN

pipitさん

メビウスの皆さんの中で

ソフィー(草間ゆにこ)さんは無料メルマガを発刊されています・・

私の質問につじつまが合わない答えだったけど物凄い文章量を書いていらっしゃいます・・

空の光さんらしき人は5ちゃんで見たような見ていないような・・私は5ちゃんに出たことないですけど・・

私は20年以上前本名で同人誌に投稿していましたが美人で才能豊かな人たちが何人も離婚されて行かれました・・私は人間関係が複雑になっていた同人誌と縁を切りました・・

自分が表に出たら影が出来るけど自分が縁の下の力持ちになったら気が楽になりました・・

ネットで輝いたら必ず影が出ると思います・・

pipitさんは離婚しないでくださいね・・

本当に輝いた人たちは主人公になって離婚するみたいです・・

私の高校の友達はみんな検索すると出てこない縁の下の力持ちです・・

私も縁の下の力持ちでいたいなぁと思います。

pipitさんもその気になればネットで活躍されるでしょうけど老婆心からあまり輝くと黒い影が出来るとだけ忠告します・・

pipitさんのスレッドにも最後にひと頑張りして名言を残したいです・・

お邪魔してすみませんでした話を聞いてくれて有難うございました🙏

[994] アートポット 2021/07/19 21:15 6C/zfU7R0da

ピピットさん、1024レスまで書き込めるはずです。
でも、1000までかもしれないと念頭に置いてください。

[995] pipit 2021/07/19 21:57 RR/tgpOc4Sf

>>993
過疎道ドライブさん、こんばんは♪😊

だんなさんとは仲良しですよー(o^^o)💖
大切なパートナーですごく感謝しています。
幸せになってほしい、不幸になってほしくない、と願っています。

でも、今世での結婚生活を全うしたら、
もし輪廻があっても、
わたしはもう誰とも結婚したくないです。
今の旦那さんが、わたしの最後の旦那さん、と思って
大切に接したいと思っています。

仏道、邁進するぞーーー(希望)✨

縁の下の力もち、すてきですよね。
繋がり、というものを想います。

ドライブさんの行く道に幸あれー🌸🌸🌸
感謝です🤗🙏

[996] pipit 2021/07/19 22:00 RR/tgpOc4Sf

>>994
アートポットさん、こんばんは😊

ありがとうー、そうなんですね!
(でも、何が起こるかお楽しみなとこもあるかも、と覚悟しときますね🤗)

お互い熱中症に気をつけましょうね、おつかれさま! ☕️🧊🧊🍀

[997] アートポット 2021/07/19 22:20 6C/zfU7R0da

おつかれさまです。

空の光さんっていえば
「シアワセっていつ来るの?」
「今でしょ」
がすごく印象に残っています。

本当に純粋で優しい人ですね。

[998] pipit 2021/07/19 22:36 RR/tgpOc4Sf

空の光さんの言葉は美しかったですね  
遊びに来てくださるといいですね ! 💐

あ、次、と、次の次、ごうさん踏んでいいよー

一応言っとこう、みなさまありがとうございました !

ごうさんもありがとね、お元気で 🤗🍀🌈

[999] サムライ 2021/07/20 00:01 ザ-000,025,659号

はあ?

[1000] サムライ 2021/07/20 00:02 ザ-000,025,659号

😳

[1001] アートポット 2021/07/20 05:38 6C/zfU7R0da

おはようございます。 ☕
1024レスまで書き込めるはずです。

[1002] きまぐれ 2021/07/20 05:59 RR/2NARcXy9

まさかの延長戦(笑)

ずっと読んでました。
pipitさん、ありがとう😊

2はないとのこと、少し寂しいですが今度はカントかな!

[1003] 2021/07/20 08:31 zP/ipic7T1J

>>pipitさんへ

37 朋友・親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

40 仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

50 実に欲望は色とりどりで甘美であり、心に楽しく、種々のかたちで、心を攪乱する。欲望の対象にはこの患いのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

51 これはわたくしにとって災害であり、腫物であり、禍であり、病であり、矢であり、恐怖である。諸々の欲望の対象にはこの恐ろしさのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

53 肩がしっかりと発育し蓮華のようにみごとな巨大な象は、その群を離れて、欲するがままに森の中を遊歩する。そのように、犀の角のようにただ独り歩め。

54 集会を楽しむ人には、暫時の解脱に至るべきことわりもない。太陽の末裔<ブッダ>のことばをこころがけて、犀の角のようにただ独り歩め。

55 相争う哲学的見解を越え、(さとりに至る)決定に達し、道を得ている人は、「われは智慧が生じた。もはや他の人に指導される要がない」と知って、犀の角のようにただ独り歩め。

56 貪ることなく、詐ることなく、渇望することなく、(見せかけで)覆うことなく、濁りと迷妄とを除き去り、全世界において妄執のないものとなって、犀の角のようにただ独り歩め。

57 義ならざるものを見て邪曲にとらわれている悪い朋友を避けよ。貪りに耽って怠っている人に、みずから親しむな。犀の角のようにただ独り歩め。

61 「これは執著である。ここは楽しみは少し、快い味わいも少くて、苦しみが多い。これは魚を釣る釣り針である」と知って、賢者は、犀の角のようにただ独り歩め。

63 俯して視、とめどなくうつろうことなく、諸々の感官を防いで守り、こころを護り(慎しみ)、(煩悩の)流れ出ることなく、(煩悩の火に)焼かれることもなく、犀の角のようにただ独り歩め。

74貪欲と嫌悪と迷妄とを捨て、結び目を破り、命の失うのを恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。

75 今の人々は自分の利益のために、交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益をめざさない友は、得がたい。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。犀の角のようにただ独り歩め。

独り歩めているだろうか。スッタニパータ 犀の角での自問ですが、私が仏教を学ぶにあたって、時として心に浮かぶフレーズです。仏典解釈は人それぞれです。人の言説を否定するという意味ではなくて、自灯明法灯明です。毎回ほどのご返信を、ありがとうございました。頑張ってくださいね。

[1004] 2021/07/20 10:53 zP/ipic7T1J

例えば、2を知るためには2だけでは駄目なようで、2を知るためには、5-3や1+1を知る必要があるようです。

八支聖道の中の正しい精進を正精進といいますが、八支聖道のそれぞれを書くことは記憶すればできることですが、それで正精進を知ったことにはなりません。

正精進とは、四正断の努力に励む事や邪見の捨断のため、正見の具足のために励む事との記載がありますが、この中での四正断は、律儀断・断断・随護断・修断の4つのことで、律儀断は、悪を生じないよう勤める事。断断は、既に生じた悪を除こうと勤める事。随護断は、善を生ずるよう勤める事。修断は、既に生じた善を増すように勤める事です。

ここで登場する善とはどういった定義になるでしょうか。善は、八支聖道、正智、正解脱のことであるとの仏典記載があります。

つまりは、正精進に励むというのは、善である八支聖道、正智、正解脱にまい進するという意味に解釈できます。もちろん、善法である、離殺生・離偸盗・離邪淫・離妄語・離両舌・離悪口・離綺語・無貪欲・無瞋恚・正見は八支聖道に含まれています。それにより正智という智慧が生じますが、これは苦である。これは苦の原因である。これは苦の滅尽である。これはその苦の滅尽の方法であるということを如実に知ることです。つまりは、漏尽智のことです。同時に、苦が生起滅尽する世間を無常観で観ずることや非我観で観ずることも智慧です。

善が八支聖道、正智、正解脱ならば、悪はその逆で八支邪道(邪見・邪思惟・邪語・邪業・邪命・邪精進・邪念・邪定)、邪智、邪解脱です。

ややこしい文章で人に説明する必要はありませんが、説明するとなると思い込みではなくその根拠がある方がよいですね。そして仏典には1つのことしか書かれていないようです。もちろん、苦と苦の滅尽についてです。

以上です。

[1005] pipit 2021/07/20 16:27 RR/tgpOc4Sf

>>1000

https://youtu.be/KpM6xNAgRoI

サムライハート思い出しました。。。 お元気で !

[1006] pipit 2021/07/20 16:30 RR/tgpOc4Sf

>>1001
アートポットさん、いつもありがとー😊

めちゃめちゃ暑いですね !

朝8:30で、事務所の室内温度計30度越えー😅

熱中症に気をつけましょうね!🧊🧊☕️🧊🧊🍀

[1007] pipit 2021/07/20 16:36 RR/tgpOc4Sf

>>1002
おお、きまぐれさん!
読んでくださっててうれしいです、ありがとうございます😊

お互いいろいろ試しながら、進みましょうね!
カントも勉強するつもりしてまーす😊✌️
きまぐれさんは、華厳の思想とか、フッサールさんかな?
ふぁいとー💪

📚📖📚 日々是好日でありますように 🍀🌈

[1008] pipit 2021/07/20 16:43 RR/tgpOc4Sf

>>1003
>>1004
時さん、いつもありがとうございます!

時さんは、いろんなものが有機的に?繋がってる様が見えるのですね、すごいなー

すこーしずつでも、わたしも経典を学びたいなと思ってます😊
いろんなことを教えていただいてありがとうございます!感謝です😊m(_ _)m🙏

猛暑ですね、どうぞご自愛くださいませ 🍀🍀🍀

[1009] 過疎道ドライブ 2021/07/20 17:03 zP/n3LFbJcN

pipitさん

私が京都で即身成仏になりたい位の禁欲的生活をしていた時自分がどん底のような気がしていました・・

神秘体験も経験しその時ふと『南無観世音大菩薩』という意味の解らない言葉が口の中に入ったのです・・

結局戸籍が京都になりました・・

まだ生きていたんだ助けられてっていう感じです・・

本当なら哲学命なのですが仏教のどん底の時の『南無』が捨てられません・・

哲学と仏教と二律背反の自分がいます・・

pipitさんやっぱり意気地なしの私は最後は南無・・で終わりです🙏

[1010] pipit 2021/07/20 20:44 RR/tgpOc4Sf

>>1009
過疎道ドライブさん、こんばんは!
自分で納得できる道を歩めると理想ですよね。
やっぱり「これでよい(Es ist Gut)」って言って死ねるの、って、
いいかも???

ドライブさん、戸籍が京都だったんですね!!
地下水さんとご近所さん。。。( ^ω^ )

わたしはニーチェ家に居候させてもらってカント家作らせてもらってるので、気が向いたらいつでも遊びにきてくださいね!

ヤスパースさんのニーチェに対する感想はどんな感じなのかなあ?

[1011] 過疎道ドライブ 2021/07/20 20:59 73/n3LFbJcN

>>1010

地下水さんとは近所ではありません・・

霊という名前がついています・・

南無南無で終わりたかった仏教スレ・・🙏

まさかニーチェさんですと?..・ヾ(。 ̄□ ̄)ツ ギャァ!!

[1012] pipit 2021/07/20 21:06 RR/tgpOc4Sf

>>1011
あはー、ドライブさんは、ほんとニーチェさんが苦手なんですね〜

あ、やばいですねー、この流れ

ふむふむ、今が1012...

[1013] アートポット 2021/07/20 21:42 6C/zfU7R0da

ヤスパースさんは、自国に殺されそうになって敵国のアメリカに助けられた。
ワタクシもアメリカ民主主義を支持しています。
でも、基本は、老荘思想です。

是非、ヤスパース実存哲学をワタクシにご教授ください。
地下水さんと御一緒にどうぞ。
科学哲学家もあります。

[1014] pipit 2021/07/20 23:02 RR/tgpOc4Sf

>>992
途中で終わったらすみません!続けます!
>〈経蔵〉フォルダを、クリックすると
ーーーー〈長部〉フォルダ
ーーーー〈中部〉フォルダ
ーーーー〈相応部〉フォルダ
ーーーー〈増支部〉フォルダ
ーーーー〈小部〉フォルダ
この5つのフォルダが現れるように作りましたよ。<

長部と訳された原語(パーリ語)は、Dīgha Nikāya (ディーガ ニカーヤ)・ディーガが、長い、長いもの、という意味で、ニカーヤが、部、部類、という意味みたいです。

下記サイトの英訳では、
https://suttacentral.net/pitaka/sutta/long)
【Long Discourses Collection】と英訳されてました。
※discourse・・・講話,講演,論説,論文,談話,論議,ディスコース(ネット辞書より)

『長部』の上位フォルダ📂は、『経蔵』ですが、
この経蔵、は、wikiによると、『釈迦の教説である経(巴: Sutta(スッタ)、梵: Sutra(スートラ))をまとめたもの。』とありまして、
お釈迦さまの説法がお経、という捉え方をわたしはしています。

Long Discourses Collection、、、釈尊の説法で長めのもの(長めのお経)の、集まり、、、それが『長部』(ちょうぶ)フォルダに入れられるもの
📂←📜📜📜
『分量的に「長い経典の集成」を言う。』(片山一良先生『パーリ仏典入門』p50.より引用)

だから、長部に入ってるお経、と知れば、
あーめっちゃ長そうやな、とか、
長そうなお経の出どころを知りたければ、まず長部におさめられてるお経を調べたり、と、
便利につくられてるなー、と感心するわたしでありました♪

[1015] pipit 2021/07/20 23:09 RR/tgpOc4Sf

ちなみに、『長部』フォルダの中にもさらに、3つのフォルダを作成して階層構造になってます。ここはとばしますね。

長部の次は、
中部、、、ん、これはなんとなく推測できるかも〜
相応部、、、?
増支部、、、あー、数?
小部、、、これも量のボリュームパターン?

今までなんとなくしか意識してこなかったので、また、きちんと本を読んでみたり、単語調べたりしてみます!

今日は、おやすみなさーい😴
おつかれさまです🍀🍵🧊

[1016] pipit 2021/07/21 06:09 RR/tgpOc4Sf

>>1014
> お釈迦さまの説法がお経、という捉え方をわたしはしています。<

すみません、経蔵には、数は少ないですが、釈尊のお弟子さんが説かれた言説も入ってたことを、起き抜けに思い出しました。(目覚めにアイデアが差し込まれることってないですか?わたしはけっこうそのタイミングで気づいたりします。おもしろいですね。)

例えば、テーラーガーター、テーリーガーターなどは、お弟子さんたちの詩偈集なのですが、『小部』におさめされています。
前に時さんに教えていただいた(ありがとうございます!)『小有明経』も尼様と在家の信者さんとの対話の描写が続き、最後に、釈尊が尼様の言説内容をお認めになる、という構成だったと思います。
弟子が説いて、最後に釈尊が『その通りですよ』的に太鼓判を押すスタイルのお経も時々目にします。
あと、『義釈(ぎしゃく)』というお経?も『小部』に入ってるみたいです。
wikiの『義釈』より
『『スッタニパータ』に対する注釈という体裁になっている。伝承では『無礙解道』と共にサーリプッタ(舎利弗)の作とされる[2]。』

思い出したこと書きましたー😊

[1017] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/21 07:35 Tl/QGcCW70J

何か変な輩のにおいがする。

横槍や誘導、人の話に背乗りとか
思想や考えとかに乗っかるのとか

[1018] 名も無きザビラー@ザ掲示板 2021/07/21 07:36 Tl/QGcCW70J

もみぞう関連や茂雄や韓国系在日や帰化人みたいな
輩その他とかさ

[1019] pipit 2021/07/21 09:46 RR/tgpOc4Sf

>>1017
>>1018
こんにちは😊

他人を変えるより自分を変えてみる、のが初期仏教のテーマっぽいなー、とわたしは今の時点では思ってるんです。

わたしは未熟者で知恵がないので、もし外れてたら申し訳ないのですが、
あなた様にとって、他人のことを気にするより、例えば、ちょっとゆるしてほっといてあげる気持ちを自分の中に育ててみるチャレンジに方向を切り替えてみた方が、あなた様の幸せにつながっていかないかな?と、、、

って言っても、実際は難しいですけどね( ̄▽ ̄;)実感!

カント哲学には、『理念』という考え方があるみたいです。
これから勉強するつもりなので、間違えてたらすみませんですが、
理性が出す目標が、例え実現困難でも、その理性的な目標をなんとか実践しようとすること自体が、善い生につながる、みたいな考え方なのかなー?と想像しています。

何はともあれ、よい日になりますように 🍀
こちらは朝からめちゃ暑です、熱中症にお気をつけてくださいませ!

いよいよこのトピも終末雰囲気で、いつ終わるかわからないので、ここでご挨拶をm(_ _)m
書き込みをありがとうございました。お元気で! 幸多かれ〜 😊✌️🍀🌈

[1020] しほ✌️😆 2021/07/21 10:16 LP/CJ8bUi1m

ピッピッとさんこんにちは👋😃今日朝から暑いねぇ~😱

[1021] アートポット 2021/07/21 10:56 ur/zfU7R0da

河村隆一 の Ne (ねぇ)

https://www.youtube.com/watch?v=yrQm05-NNx0

[1022] pipit 2021/07/21 12:00 RR/tgpOc4Sf

>>1020
しほさん、こんにちは!
激あつですねー 🌞

こんな中、さっき、アスファルトの上をトコトコ歩くカラスを見ました。
大丈夫なん!?

でも気持ち、つま先立ちで歩いてたような?? 気のせいかな??

このトピは更新しないことにしましたので、少なくともこのトピ内では、しほさんへの最後のコメントかな?

書き込み、ありがとうございました ! 
お元気で 😊 しほさんの毎日が、日々是好日でありますように 💖🍀🍀🌈✨

[1023] pipit 2021/07/21 12:06 RR/tgpOc4Sf

>>1021
アートポットさん、こんにちは 😊

アートポットさんは、河村隆一さんの 『Ne (ねぇ)』がお気に入りの曲なんですね ♪

熱中症、お父さまも気をつけてあげてくださいね!
お父さん世代は、無理して仕事しがちだから(o^^o)

うちのお義父さんも、朝から草刈りしてくれてるけど、心配 😳💦
あ、やっと、草刈り機の音消えた。

ゆっくり休んでほしいな !

アートポットさんの今日が、良い日になりますように 🍀🍀🍀
暑さに無理しないでくださいねー 🧊🧊🧊🧊☕️🧊🧊🧊🍧

[1024] pipit 2021/07/21 12:09 RR/tgpOc4Sf

1024ですね

思い出した曲を 

https://youtu.be/Jpp8SO4YHjE

中島みゆきさん作詞作曲の『ファイト!』を、思い出して、YouTubeを検索したら、吉田拓郎さんがカバーが出てきました。

すべてのみなさま、ありがとうございます 😊✌️🍀🙏
幸多かれ〜 💐 

[ 削除依頼 ]

※このスレッドは大団円を迎えた為、投稿は出来ません。