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霊友会は何故?!その2

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[0] 霊界 2004/04/22 14:44

会員の方も非会員の方、大いに語り合いましょう!

929件のコメント 777番から876番を表示中

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[777] 東方の風・思惟 2004/11/19 05:14

>霊友会の行法の主なものは、会員一人一人が、先祖に法名をおつけして、その対象に向けて経を読誦する、
というものです。霊友会のすべての行がそこに集約されているといえます。
ここに特別なものがない、といえば、貴方はもう少し、日本の仏教史を勉強されたほうがよいでしょう。

<どこが特別でしょうか? 日蓮宗壇徒の方は以前からそのようにしていたでしょう。
院徳の法名を送って朝夕に御供養しているのではないですか。霊友会の会員さんは
よほど先祖をないがしろにしてきた心無しなのでしょうか?
私の実家でも以前からの立派な仏壇を閉めてしまい御法座に移した経緯があります。
もし、その団体がなくなったら御法妙を送られた先祖はどうなるのでしょうか。
さらにいろんな団体で独自に法名を送っていますね。 心あれば自分で自分の親族に
自分で法名を送るか、僧籍の方にお願いするとかどちらでもできます。
会にゆだねるのが良いともかぎりません。 はっきり申し上げますが
あまりに御利益や狭い教団の常識ばかりにこだわっていると今に一般の人情の
深いひとより、強欲な者になってしまいかねません。 なぜならば、法は分け隔て
がないのですから、教条や団体意識のない人のほうが自由に人に語りかける
ことができるからです。 貴方も創価学会だからとか立正佼成会だからとか、妙智会だから
とか、キリスト教だからとか・・・思うときがありませんか?縄張り意識のような、
自分のほうが正しいのだみたいな優越感を持ったりしませんか?
そんなことよりも、正直に素直に家族を思う人や、世間の憂いを嘆き智慧を求めるような
人に説けとあるのが法華経です。御存知でしたか? ですからどんなきっかけにせよ
信仰の段階を得て、法華経の本意を知ることが大事で、そのような慈悲心と他を思いやる
心を作っていくための、自分を謙虚に悟って行くための行法が法華経です。
 これを弁えずに教団を起こしたとしたなら、法華経以外の信仰でしかありません。
ただ、法華経を借りただけでと思います。 難しいことが解らないとしても、人情が
支えであり、基本に法華経があればこそ護られているのだと思います。
 法華経を自分で直接に向き合うときは、必ず自問すべきことがあるはずです。
其のつどに真摯に尋ねて、自分を、他の人を思う心と法華経は符合します。

[778] オッス 2004/11/19 07:22

コピペの連続投稿、見にくいですぞ。

[779] 東方の風・思惟 2004/11/19 08:18

オッスさん、皆さん失礼いたしました。
確かにみにくいですね。
申し訳ありませんでした。
自分のスレにて展開いたします。

[780] ガッツ 2004/11/19 11:01

こんにちは、東方の風さん。

日蓮宗の檀家の信徒さんが、自ら生院徳の法名をおつけし、ご供養している、ということは初耳です。明日、久遠寺に電話して聞いてみます。
そもそも、在家信仰者が法名をおつけする、という方法自体は、私の知る限りで、西田無学師が歴史上初めて行なったことだと思っていました。そのやり方を大々的に世間に流布したのが霊友会でした。したがって、このやり方を踏襲しているのは、西田師の起こした団体およびその派生団体、もしくは霊友会系の団体のみのはずです。
もしも、日蓮宗が、そのような行法を取り入れたのであれば、非常に画期的か、歴史の必然か。なぜなら、宗派として、自己矛盾を起こしかねない、大きな挑戦だからです。お坊さんたちも立派ですね。

話が食い違っているようですが、私は、これまでのやり取りで、団体の存在意義を書いてきたつもりでいました。霊友会も団体なら日蓮宗も団体です。日蓮宗を否定する気はまったくありません。それぞれ役割があり、その使命をまっとうすればいいのだと思います。

>あまりに御利益や狭い教団の常識ばかりにこだわっていると今に一般の人情の
深いひとより、強欲な者になってしまいかねません。 なぜならば、法は分け隔て
がないのですから、教条や団体意識のない人のほうが自由に人に語りかける
ことができるからです。

オッスさん、コピペすみません。やりとりの都合上、もう一度やらせていただきます。

霊友会は、きわめて、教団常識というものが形になっておらず、わかりにくいところに特徴があります。たとえば、ある支部では常識的なことが、他支部ではそうではない、またその逆も然り。
以前申し上げましたが、そのような現状を指して、便宜上の団体だ、と思うのです。ただし、団体意識のない人のほうが自由に語ることができるというのは、たしかにそうだと思います。
たとえ、現時点で、教条主義の脱却にいたっておらずとも、本来的には、それを志向する団体です。でなければ、教義・言説操作にさらに力を注いでいたことでしょう。

>貴方も創価学会だからとか立正佼成会だからとか、妙智会だから
とか、キリスト教だからとか・・・思うときがありませんか?縄張り意識のような、
自分のほうが正しいのだみたいな優越感を持ったりしませんか?

カルト的団体を他にすれば、他団体を応援したい気持ちです。
優越感というものは、団体に属そうが属すことがなかろうが、持ってしまうものです。ただ、団体に属しているとそれが顕著、つまり、他から見てわかりやすくなるというだけのことです。これは断言できます。

>そんなことよりも、正直に素直に家族を思う人や、世間の憂いを嘆き智慧を求めるような
人に説けとあるのが法華経です。

であるからこそ、前回までの投稿にて、貴方にお聞きしてきた次第です。現に、その法華経をもって、団体を通さずに、どれだけの人が救われたと自覚しているのかを。霊友会では、教義以上に、実際の生き方や日常の問題をテーマにしています。なぜなら、それが法華経の趣旨だからです。

また、ひとつ伺いたいのは、法華経は行法だ、とのことですが、では具体的に、どのような修行をされているのですか?そして、その成果をどこに見出しているのでしょうか。私は、テキストとしての法華経には、法華経の効能と実践徳目が列挙されているにしても、具体的方法論を説明しているようには見えません。
しいてあげれば、授持・読誦・解説する、という具体的実践項目だと思いますけど。このあたりを、具体的にご説明願います。

あと気になるのは、貴方のまるで私が法華経のことを何も知らないような口ぶりです。しかし、私にしても、霊友会の他の会員にしても、法華経の基本的なことは大体知っているものです。私は、仏教に関しては、唯識関係の解説書数冊と大乗起信論、あと法華経で言えば、いくつかの現代語訳を読みました。岩波の法華経も手元に置いてあります。

かといって、これが自慢になるとも、その知識が現実生活で役に立つとも思っていません。ただ、そういうが好きで興味をもったから、自分で勉強してみたまでです。法華経によると、あくまで、たとえきっかけが異なったとしても、菩薩としての行いのみが、成仏への道だ、ということなので、そのために大変に尽力している方の努力のほうがよほど尊いものと思います。

脇にそれますが、私のお勧めは、ヘルマン・ベックの「仏教」です。あれはよかった、霊的、精神的描写を学術的な表現力で描くことができた良書だと思います。

[781] 東方の風・思惟 2004/11/19 12:17

ガッツさん、こんばんは。

御法名の件のみ取り急ぎに。
法名を送るのは、支部長さんクラスで、修行のすんだ方しかつけられない
のでは。 団体の中でそうした仕組みがあるのはわかりますが、自分で
皆が法名をつけているのではありませんね。
ならば、宗門にて修行して僧籍の方に送っていただくのとどう違いますか?
又、後ほどに。

[782] ガッツ 2004/11/19 12:59

こんばんは、東方の風さん。

>法名を送るのは、支部長さんクラスで、修行のすんだ方しかつけられない
のでは。

いいえ、法名をおつけできるのは、支部長にかぎりません。50人を導いた(誰かを誘って会に入会してもらい、その人を育成している)人なら、その資格を申請できます。また、未婚者なら、20人を導くと、その資格を申請できます。ただ、この規定は、昔はもっとアバウトだったりして、支部長の一声で、資格を与えられたり、数人導いただけで、その資格が与えられたりと、今の規定に落ち着くまで、いろいろと紆余曲折があったようです。また、今でも支部によっては、いろいろな、ありすぎるほどの例外があります。支部によっては、本部のいうことなどおかまいなし、というのが霊友会の現状でしょう。
組織運営的には、よかれわるかれ、かなりやばい状況でしょうね。

また、その資格がなくても、会員の基本的な活動のひとつとして、先祖集めというのがあります。祖先伝来のお墓、または戸籍などを調べたり、親戚を訪ね歩いて、先祖の記録をあつめて、霊友会の法名をおつけして、過去帳という帳面に記入するのです。その記入については、法名をおつけする資格がなくても、一会員ができます。
そして、そのついでに、家系図を作ったりもします。

僧籍の方に送っていただくのとは、当然ながら、それをする本人の意識が違います。親戚を尋ねたり、いろいろな逸話を聞いたり、調べたり、時には、山深い親戚やお寺を訪ねたり。霊友会の先祖供養は、お金を払って立派な先祖供養を他の誰かにやっていただくよりも、自分でそのような労力を払うことのほうが自分の気持ちは通じるのではないのか、というところから出発しています。

上に書いた会員の育成ということは、具体的にいえば、この先祖集めに同行したり、導きに共に行ったり、会員が開くつどいに参加したりすることです。

ところで、日蓮宗の檀家の信徒が法名をおつけしている、ということは本当に初耳です。明日電話しますが、もし情報のリソースをお持ちであれば、ぜひご紹介ください。

[783] ガッツ 2004/11/19 13:23

とはいうものの、私も法名をおつけする資格をもっていません。ただ何人かの会員から、法名にまつわるいろいろな体験を聞かされた程度にしか知りません。

しかし、私が誘って入会した友人と共に、先祖集めに行ったことが数回あります。正直、大変だと思いました。

会員の中には、自分が食物として口にする全てのモノに対して、法名をおつけしお送りする、という修行を経験した人もいます。
朝ごはんで、米、味噌汁、おしんこ、を口にしたら、米、大豆、味噌汁の具のにんじんや大根、おしんこになっている大根、など、法名をおつけし、お経をあげて、法名をお送りするのです。
結局、朝から晩まで、三食分、法名をおつけしお経をあげつづけることになってしまって、しまいには、もう何も買ってきてくれるな、と奥さんに言ったとのこと。

貨幣経済が発展した現在では、お金を払うだけで、いろいろなものが食べられたり、自分の思うがままに手に入れることができたりするのが、当たり前。中には、金を払っているんだから、好きにやらせろ、という人も現れんばかり。
もしかすると、私たちは、本来払うべきもまともに払えていないのかもしれません。

[784] ガッツ 2004/11/19 13:31

ここに書き込まれる会員の皆様もそうだと思いますが、私自身も霊友会に入会してから、いろいろな体験談を聞いたり、自分も似たようなことを体験したりしています。

最近、聞いた体験で、ある家族の話がありました。

その家族の子供は、心臓病の重い病をもって生まれ、幼くして、子供病院で入院生活を送っていました。
どれほど重度かといえば、同じ病室の子供が数ヶ月で入れ替わっていくほどなのです。親としてはたまらない気持ちだったのでしょう。
そんななか、同室の子供で、成功の確率が50%という手術に成功し、奇跡的な回復をとげた子供がいました。そして、その母親が霊友会の会員でした。
その話を聞いて、自分の子供も霊友会をやれば助かるんじゃないか、と思って、その両親も入会しました。

そして、たしかに自分の子供も助かったのですが、問題はそれだけではありませんでした。

つづく

[785] ガッツ 2004/11/19 13:36

その子の両親は、その当時、子供の病気以外にも、問題だらけ。
というのは、まず、お金がないのです。旦那は一応働いているのですが、手取り十数万。そのお金で二人の子供と奥さんを養っていました。

導きの親(その人たちを霊友会に誘った人)と支部長は、なぜまたそんなに貧しいのか、と不思議に思いましたが、
その両親の話を聞いているうちに、なるほどと思いました。

旦那は、まだ若くして、総入れ歯、なぜなら、生まれてこの方、ろくに歯を磨いたことがないそうです。あと、毎日、布団で寝るという習慣もなく、いつも、こたつでいいかげんに寝てしまうとのこと。
これはだらしない。そりゃたしかに仕事はないだろう、と支部長は思ったそうです。

しかし、本人にいくらそれを言っても寝耳に水の状況がしばらく続きました。

つづく

[786] ガッツ 2004/11/19 13:47

そんな状況のなか、支部長は、奥さんに、まず、旦那をしっかり布団に寝かせなさい、といいました。
そして、それからしばらくして、また奥さんに、とにかく、朝6:00に夫婦そろって起きて、いっしょに御経をあげろ、という言いました。
あと、ちゃんと先祖を集めなさい、と。

はじめのうちは、それでも奥さんも旦那もそんなことできませんでした。夜はこたつで寝てしまったり、朝は寝過ごしたり、奥さんが弱腰で旦那にいえなかったりと。しかし、しばらくして、朝6:00前に支部長から電話が来るようになりました。それで、仕方なく、奥さんは、旦那をたたき起こしては
毎朝、いっしょに御経をあげるようになったのです。

その当時、旦那の大きな問題は、給料が安いうえに、職場の先輩に強引に飲みに誘われて、お金もないのに、支払をさせられる、ということでした。しかし、他に仕事もない。

しかし、夜は布団に寝て、毎朝しっかり起きて、とやっているうちに、その家族の生活習慣が変わってきました。
旦那はきれいな入れ歯を買い、手入れをしっかりするようになり、きちんとした生活ができるようになってきました。
奥さんも、旦那が安定したせいか、顔つきまで変わってきました。

そのうち、新しい仕事も見つかり、経済的にも落ち着いてきて、子供を学校にも行かせることができました。

また、そうこうしているうちに、傍目に見ても、その家族が変わってきました。その変わりようがあまりに大きかったため、近所の人たちが、その変化に興味をもったのです。
そして、その家族が開く霊友会のつどいに、その近所の人たちも加わり、その何人かは会員になりました。

[787] ガッツ 2004/11/19 13:54

これはなにも、誰かの知らない話ではなく、実際に私の知っている会員の話です。

霊友会のなかでは、こういうことが日常茶飯事で、私の家族にしてもやはりそうです。
たしかに、会員は、そこまで難しい法華経の教理内容や意味について、考えも及ばないことが多いのですが、それでも、彼らがやっていることには、一片の真実があるような気がします。

そして、何よりも、その家族のことを思うとき、また、その子供の笑顔を見るとき、この子の親たちが霊友会に入ってよかったな、と思ってしまいます。

同時に団体としての多くの問題も目にしながらも、脱会しない会員の方々も同じように思うのではないのでしょうか。

[788] オッス 2004/11/19 14:08

釈尊は頭説、輪廻を否定しています、また先祖供養には一切ふれていません。
どのように解釈されますでしょうか?
(私は否定しているのではありませんのでと付記させていただきます)

[789] ガッツ 2004/11/19 14:29

こんばんは、オッスさん。

そうなのですか。否定されているのですか。知りませんでした。私は肯定されているものと思いました。ただし、その輪廻によって、社会階級が永続する、ということは否定されているのだと思っていました。
もしかすると、頭説というのは、初期仏教、ということなのですか。

私の知る限りでは、輪廻も転生も否定されてはいなかったと記憶しております。ただ、形而上的問題について無記としたことは、周知のこと。
しかし、無記について私の意見としては、以前の投稿にも書きましたが、あの一文はわれながらよく考えた文だと思うのですが、どこで書いたか忘れました。たしか、思考には限界がなく、言語表現に限界があるのだ、ということで、その限界を正しく敷くためには、その両側を知らなければならない、云々。

実際、輪廻や転生の記述は、たしか涅槃経、法華経、華厳経、転生の記述があったか忘れましたが、スッダニパータにも輪廻が云々ということが書いてありました。
法華経にいたっては、転生を肯定しなければ、一体、何なのか、という世界観ではないでしょうか。
いずれにせよ、たしか摂大乗論、とかいう論文があったかと思いますが、その見解に従えば、まあ、そのあたりのことは肯定されるのではないかと思います。私も現物は読んでないのですが、いろいろ調べてみた時期がありました。

なお、先祖供養に関しては、何でしたっけ、目連行者が、あの世の母親を供養するという話がでてくる御経がありました。
しかし、別に、どこかに書いてあってもなくても、あまり気にしません。もしくは、書いてないからこそ、新しい、という感じもします。

あと会員の意識としては、先祖を供養することは、親孝行をすることとあまり変わりないように思います。もともと、久保恩師が先祖供養に興味をもったのも、日本一の親孝行がしたい、というのが動機だったそうです。

[790] ガッツ 2004/11/19 14:32

東方の風さん。

電話はちょっと緊張するので、とりあえず、久遠寺にメールしときました。回答が着たら、ご報告します。

[791] 東方の風・思惟 2004/11/19 14:59

ガッツさん こんばんは。
法名について、再度申し上げますが、日蓮宗の場合は、僧侶の方に
名を送っていただいているのであって、個人が(信徒の方)がつけている訳では
ありません。 私が言いたいのは、法名を送るときに貴方の言うような
何らかの資格のような制度は、僧侶の方の代わりになっているのであり、
しかも、各団体が独自に行っているのでしょうから、個人が志を持って
自ら、自身の先祖に送り名を送っていないのは同じということです。

それから、貴方のおっしゃるような体験談は、以前かどこの団体でも
あります。 私自身もいっぱい知っています。 ただ私は、その結果より
其のときのその方の、ものの受け止め方や、懺悔(気づきや、反省や改心)
の方をいつも関心を持ってうかがっていました。
 思い違いや、心得違いや、思いやりのなさや、冷たさや、聞き分けの
なさや、自分の性分や、一言に因縁と言いますが結局は原因あっての
結果です。 体験もそこにはいろいろな道理や、人の念が作用しています。
また、必ずしも良い結果ばかりが起こっているわけではありません。
むしろ、良くないような場面に直面することもあります。

体験の良いことがあるから正しいかのように思いますが大事なことは
自覚です。 もし人のことを思うなら、自分の安泰をなげうっても
行動する人も世間にはいますね。

先祖供養とは、恩を重んじる方は、当然のことと思います。
戒名を集めるのは、忘れた人を思い出し、心を使うことです。
行き難いところにはこちらから頭を下げて頂きに行きますよね。
久々なら、喜んでもくれます。 皆自分の心を使い自分を開く
行いです。 体験があるなし関係なくても必要な心です。

[792] 東方の風・思惟 2004/11/19 15:01

 法華経にも、釈尊の教えにも、先祖供養を特には説いていないのは、
生きている間に、自ら悟る道にはいるのなら、後生の供養を頼まずとも
どこまでも、自分の迷妄は自分で払うことができるからです。

先祖供養とは、法を送ることがもっとも尊いとされます。
何故ならば、その先祖自身が自覚の道に縁を得ることになるのからであり
その方が後々もっとも安泰へ自ら入る道しるべを得たことになるからです。

ガッツさんも、もし霊界に帰ったなら、釈尊の所へ出向いて、貴方の
縁ある方がたを、忘れずに皆法華経を唱えたのだと報告されたらよいと
思います。恩ある人にこそ法華経を送るが故に先祖供養は意味を持って
来ます。 地獄にあったら助けに行って、この人は法華経を唱えたのだ
と証言されればよいと思います。
 法華経を信じるならば、法華経の功徳は法華経に説かれてあります。
故に、その通りを足らずとも、意味が解らずとも、貴方が替わって
閻魔の前でも、釈尊の御前でも、法華経を唱えて来たのだと言い放って
、智慧を求め、あるいは、人を救う法を直々に聞くように請願すれば
よいと思います。 霊界を信じる霊友会なら、このような話も、空事
ではないと受け取れるのではないでしょうか。

[793] 頑張りましょう 2004/11/19 15:46

東方の風・思惟さん>
法華経は『仏は滅し給わず』を根本にしなければ、何万年何億回読もうとも佛意を汲み取ることは出来ない。
また、何度も申し上げているように、28巻は予言経であり、そこには仏直接に教えを受けなければ、法華経は
護持できない約束になっています。またその時には多くの大菩薩が出生され流布される事もとかれています。
まるで、阿弥陀来迎のように、阿弥陀仏尊のお姿は法華経成就のお姿なのです。あの三本の指と丸をかたどり
上下に手を向けたお姿は天地上下佛所護念法・教菩薩法・妙法蓮華を三法行ずれば西方浄土のようになるぞ。
と言うお姿です。東方の風さんのような見解は仏説を曲解した、人間智の皮相観であって、こうした曲解の観察
が仏法の行使を誤り、返って仏法を仇なし毒するところの大邪見となる我が、浅はかな智恵を過信する悪害の、
いわゆる増上慢の愚観であり邪観であります。仏教は佛意に恭順する事によってのみ、必ず誓約に基ずく法利が
現在前するのであって、経文に如何に記されてあっても、時と処と使命者が一致しなければ、どんなに外の者が
行じても法は生きない。茲に留意するのが法華経の智者と云う。然るに世間は時勢に適合したからあれ程やれた、
俺でもと考えるそれだけでも既に天命を謗っているから、口では偉くとも実は挙がらない。それでも彼も人なり、
我も人なり等と戯言吐いて慢じている。それだけ自身があれば人も困る、国家も困る、世界も困っている今の世こそ、
望んでない好舞台である。一つその困りを救って第一人者になって貰いたいが、これだけ歴々の人物が世に充満していても
出来ないのではないか。それでも口や筆だけは捻れるから感心だ。然し痛ましいかな末法だ。
そこえ来ると大親たる仏は、自ら天上天下唯我独尊と称し、人・天の福田、応供の中の最なりと自賛せしだけに、
今日斯くあることを三千年前に予知して、その対治策を与えたのです。然も総ては仏法の予定信仰なる上に於いて、
益々我々人間界の幼稚さが判然とする。その広大にして無辺なる佛意が今は四大格言にある以上、これを有効ならしむべき
手段方法が、濁乱を正す衆生の大光明であり、大依仔止処でなければ成らない。

[794] ガッツ 2004/11/19 16:07

こんばんは、東方の風さん。

そうでしたか。日蓮宗の件は、そういうことでしたか。それなら、なおさら、さぞ霊友会の先祖供養の仕方が、さも当たり前のもの、というように感じられることの理由がわかりません。

>私が言いたいのは、法名を送るときに貴方の言うような
何らかの資格のような制度は、僧侶の方の代わりになっているのであり、
しかも、各団体が独自に行っているのでしょうから、個人が志を持って
自ら、自身の先祖に送り名を送っていないのは同じということです。

いいえ、まったく別物です。在家である限り、僧侶になることはありませんし、僧職とは本来そういうものです。したがって、今の世の中で、よほどの奇特な人を例外として、普通は自分が先祖の法名をおつけしよう、などと、夢想だにしないことでしょう。ましてや、そのために僧職につこう、とする人はいるのでしょうか。それに引き換え、霊友会の会員は、まさにそうすることが会員としての具体的な目標となっているのです。この違いが違いと感じられないのなら仕方ないですけど。

>ただ私は、その結果より
其のときのその方の、ものの受け止め方や、懺悔(気づきや、反省や改心)
の方をいつも関心を持ってうかがっていました。

たしかに、霊友会の体験談に限らず、いろいろなものの体験談があり、こうしたらこうなった式は、一般的スタイルです。面白いのは、漫画雑誌の裏表紙とかにのっている、うさんくさい数珠とか財布とか。これを買ったら女の子にもてて宝くじにあたった、みたいなやつ。そういうのはなんか違うとやはり思います。

しかし、最近は、考えてみれば、それもそれでいいのかな、と思うようになりました。人の幸せを見て喜べない自分は嫌だな、と思ったのです。どんな境遇であれ、どんな形であれ、その人その人の価値観があり、幸せがあるのだろうから、まずは、自分がその多様性を認めたいと思うようになりました。

>体験の良いことがあるから正しいかのように思いますが大事なことは
自覚です。 もし人のことを思うなら、自分の安泰をなげうっても
行動する人も世間にはいますね。

とはいうものの、最終的には利他的行いに結びつかなければ、やはりだめだと思います。自分たちのやっていることが、本質的に利他的行いであるのにも関わらず、目的が摩り替わってしまうところがあるのは否めません。おそらく、東方の風さんが問題を感じているところもそこでしょう。

私が今の霊友会に不足を感じるところもその点です。目指すべき理想像が欠如しているように感じるのです。法華経に書いてあるだろ、といえばいいだろうし、実際、多くの人がそう言います。しかし、一言で、また、部外者にそれを伝えるのは至難の技です。

強烈な理想像。昔は、恩師たちやその直弟子たちが生きる見本となっていました。今は、ほとんどが亡くなってしまいました。
活動にしても、いまいちピンと来るものがない。私にピンと来たところでしょうがないといえばそこまでですが。

これまで、根性直し、魂の開発、インナートリップ、など様々なキャンペーンが起こされました。今はドットカム、同時に懺悔の行、ということがよく言われますが、どちらも、強烈さに欠けるような気がしています。

[795] 東方の風・思惟 2004/11/19 16:23

頑張りましょうさん、こんばんは。

これ以上、このスレでの発言は控えさせていただきます。
皆様にお詫びをいたします。

頑張りましょうさんが、どこの団体に所属されているのかどうか、
解りませんが、もとより私は、どこの団体の先師にも依りません。
ただ、霊友会にたどれば縁を得ます。 その初の起因は法華経に依って
いますが、法華経は、尊くあり、われらが凡夫にはなかなかに、たもてぬ
法であり、謙虚に扱うよう指導を付しておられたのは間違いありません。
故に、傲慢にならず、むしろ懺悔経に重きをなして指導したのは事実です。

貴方のお話は、すでに、いろいろな方の独自の解釈がごったになって
おられるようです。 真に法華経を護持して安逸に一生を終えた先達は
おりましたでしょうか? 日蓮聖人はじめ、事実はどうですか?

自覚あるならば、難あるところにこそ真の法華経が観えるものです。
法華経を説くならば、方便の事と本意とよく世間を見知って分別し時に
応じて顕現すべきと思います。 異体同心と教えられながら、異体異心と
なるのは何故なのか、なたの様な方が、自ら懺悔して、後の方に手本
を示すが、霊友会のそもそも教えではなかったのですか。
私は、そのように聴き及んで、またそのように教える方にめぐりあって
判断をいたしております。

[796] 東方の風・思惟 2004/11/19 16:33

ガッツさん、

宗門がもはや機能しないのでしょうか?
宗門が必要ないのでしょうか?
出家が必要ない時代ですか?

法華経は、出家も在家も同様に、それぞれの立場で行があります。
在家とはなんですか?

そのような在家の慢心は、狂いの基です。
今は、出家も在家も同様に懺悔心をもとに謙虚に信仰を省みる必要が
あると私は感じます。

法華経については、他のスレッドにてと思います。
有難うございました。 

[797] 411 2004/11/19 16:46

東方の風・思惟さん

>体験の良いことがあるから正しいかのように思いますが大事なことは
>自覚です。 もし人のことを思うなら、自分の安泰をなげうっても
>行動する人も世間にはいますね。

このことこそが、大切だと思います。
自分で何が正しいか考え、行動し、その行いが正しかったかどうか、
常に省みる。結果のみが、答えを教えてくれます。(その1より一部引用)
このようにして少しずつ経験を積み、適切な判断、行動を身につけていく
ことこそ大切ではと思います。
私より長い時間生きている方は、私より適切な判断をし、行動している
場合が多いです。

適切な判断、行動には教団の教えも法華経の教えも必要ないはず。

例をあげるなら、その筋のお方の車が側溝にハマリ、助けが必要と思われる
場面に遭遇した場合、どのような行動をとりますか。
その筋の方は、飲酒しておられるとします。

�なりふりかまわず助けに行く。
�JAFを呼ぶ。
�警察に連絡。

他にも選択肢があると思います。

[798] 頑張りましょう 2004/11/19 17:02

薬王菩薩本事品の中に『必ず当に草を取って道場に座して』の草を取るべき道を教えられるのである。
その草とは何であろうか、即ち衆生の罪垢である。約言すれば死魔である。死魔とは如何なるものであろうか、
要するに祖先の御霊が草場の陰で、苦に申吟しておるのが原因となって、罪魔・業魔と言うような魔が、
家庭内または国家に入り乱れて惑乱する、これが死魔であります。そこで従来からこれを防ぐべく、法名・戒名を
死者に贈って供養を捧げるのであるが、この法名・戒名は生前の行動の如何に依って付名すべき法則となっております。
ところが昔から行われて来たが、死者生前の行動は坊さまも委細は判らず、といって家内の者も秘されていた事等は
知るべくもない。また秘す位いの事柄は必ず罪業の価値は充分ある。佛家(ぶっけ)としては斯かる事こそ能く察知して、
相応の対治名を付すべきであるが、いろいろとそう面倒は見られない。そこで法名・戒名も売買本位に傾いて、いい加減な
法で取り扱って来たのである。仏様も弘通始めの開店当時は客意を迎え損せぬよう、幾分の手加減もあったが余り客本位でも、
仏法と云う財産に疵を付けては開店の趣旨に副わない。そこで衆人の心に相応して品物である功徳を、あたえる番頭の心がけが
悪ければ、主人も客も騙そうとするから、どちらも大きな損害である。そこで仏の法では全然店と関係を絶っているが、店構えは
依然として仏を主人の如くして商売をする。その品物の中が全然今までのと違ってくるから、衆人の方でも少々用心しだしたが、
永年の取引ではあり致し方なしに義理で買い物する様なもので、商う方も何等真実味が伴わない。真実味が功徳と云う品物の値だから、
是もなければ功徳は買えない。これでは何時か客足も無くなり店じまいの時が来る。斯くの如く真実味である仏法の慈悲に順じていない
のだから、仏の救いの手は届いてはおらぬ、一方秘した罪業の因縁はまるで始末が付いておらぬから、そのまま彼の世に背負って行かねばならない。
是がこの家の罪魔・業魔の因となり、かくして代々悪因が積もって来る。この悪因縁が障礙(しょうげ)となって災難は続く、苦労は増す、我が心は
衆魔に握られ益々悪い方へ引きずられる。これがどの家も充満するので世は劫濁に侵され、仏の御光も届かぬ闇となる。丁度水蒸気が集まって積雲となって
日の光をも遮るが如くに。

[799] 411 2004/11/19 17:05

私が感じたこと。
霊友会の行事に参加したことがありますが、
教団に上手いように操られて、少しずつお金を取られて行く、
そのような方々が集まっておられる場所?でしょうか。
私は洗脳?される恐怖を回りから感じ取り、
目立たないように周囲にあわせて行動しました。
自分はどうやったら、安全に帰れるか。
それだけを考えていました。
誘ってくれた人は、精神の改革たら、ごちゃごちゃ言っていましたが、
とてもそんな所ではないですね。
我慢していましたが、最後に切れてしまい、
誘ってくれた人を傷つけてしまったことだけを悔やんでおります。

[800] ガッツ 2004/11/19 17:13

東方の風さん、こちらこそありがとうございました。

ぜひ、東方の風さんは東方の風さんのスタイルで社会に法華経のすばらしさを力強く訴え続けてください。
陰ながら応援させていただきます。

[801] オッス 2004/11/19 18:29

バラモン教は戒律が厳しく、カースト制度を元につくられていました。
生きていても地獄、来世もまた地獄なんてのは最下層の民には苦痛でした。
釈尊はこの輪廻を否定し、縁起観を融合させて新しく輪廻を説かれました。
(池田氏のご意見どおり)
これは浄土観と同じで来世は仏となって輪廻しないことが最高であると説いたのです。
さて、釈尊の真意はどうなのか?です
当時は非常に貧しく、最下層の民がほとんどでしたので
この現実を踏まえると来世はきっと良い世界に生まれ変わるとは説けなかったのです。

先祖供養
過去・前身の懺悔をする>千年もさかのぼればものすごい先祖の数になる。
Aさんの先祖の内、Bさんの先祖とリンクする方々が何万人も居るってことです。
>知人・身内の方にも過去・前身の懺悔を勧める
>より早く過去性の懺悔ができる>因の解決につながる
というような構図でしょう、ですから先祖供養は法華経と趣旨と反していない
と思います。

[802] やがて日本も・・・ 2004/11/19 22:05

 あー、やっぱ 多神教から一神教へ流れるのは世界の趨勢なので
しょうか?千年単位のマクロでみれば、昔はヨーロッパ(ローマ、
ゲルマン、ギリシャ)や中東(ペルシャなど)も多神教だったんだよね。

でも、今や、イスラム教とキリスト教は、ヨーロッパ、アメリカ、
アジアやアフリカでも一神教の国が増えてきました・・・・・・。

 ついこの間、天皇陛下も「人間宣言」させられちゃったなぁ・・・

[803] やがて日本も・・・ 2004/11/19 22:11

 日蓮宗も一神教的だよね。「一天四海 皆帰妙法」なんてさ・・・・。

 でも、今現在、「法華一乗の国家」にはなってないんだよね。

 なるのか?

[804] ガッツ 2004/11/20 00:52

オッスさん、こんにちは。とりいそぎ訂正です。

>たしか摂大乗論、とかいう論文があったかと思いますが、その見解に従えば、まあ、そのあたりのことは肯定されるのではないかと思います。

これ、摂大乗論ではなく、グシャ論でした。しかも、そもそも、その見解のことは、特に転生と関係なかったかもしれません。
私が、その当時、興味をもっていたのは、中村元氏訳のスッタニパータに出てくる、「人」という語の翻訳についてです。
「人の死後は云々」という記述があるのですが、大抵の唯物主義的な学者は、この一節を根拠に、経典中の形而上性を否定しようとします。

しかし、グシャ論で、四無記としてあげているなかに、「如来の死後について云々」という項目があり、この如来と人という翻訳の違いがなぜ生じたのかを調べようとしたのでした。

[805] 頑張りましょう 2004/11/20 01:16

一天四海皆帰妙法とは世界諸宗教その東西を問わず、妙法華経から出て妙法華経に帰一する
ことを題するのであります。宇宙の不可思議な成立を称するのではありません。

[806] 2004/11/20 05:43

ガッツさん、こんにちは。
たくさんのご回答ありがとうございます。
少し私には難しいですが、私も一応先祖供養をさせて頂いていますので、理解は
できます。霊友会ではないですが・・・・。
同じ法華経です。お経巻を頂いて、本当に届いているのかと思うこともありますが、
頑張って行こうと思っています(^ー^;)

[807] オッス 2004/11/20 06:16

>「如来の死後について云々」という項目があり

こりゃ、難しいや。
如来は現世の姿でないので形がありませぬ、その如来が死ぬ時ですか?
理解できませぬ。
弥勒菩薩の立像はあっても弥勒如来の立像はないですよね。
この娑婆世界以外での^死^となると
現世へ戻ると理解すべきなのでしょうか?

[808] Re.802やがて日本も・・・ 2004/11/20 06:49


>ついこの間、天皇陛下も「人間宣言」させられちゃったなぁ・・・
これは多神教から一神教ではなく一神教から多神教の現象です。
まったく支離滅裂なご意見ですね。

[809] ガッツ 2004/11/20 07:31

こんにちは、オッスさん。取り急ぎ。

>如来は現世の姿でないので形がありませぬ、その如来が死ぬ時ですか?
理解できませぬ。

その通りです。したがって、お釈迦様はそのような弟子の疑問に対して、如来の死後を問うことなどナンセンスだから、と無記としたのです。
それを、一部の学者たちは、「人間の死後を問うことなどナンセンス」と読み替えたのです。

>「マールンキャプッタよ、わたしはそのようなことを教えてやると言ったこともないのに、愚かにも、おまえはわたしがそのように説くことを要求し、そのようの説くことをしないわたしを拒もうとしている。(中略)マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということはない。また人間は死後存在しないという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということもない。マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があろうと、人間は死後存在しないいう考え方があろうと、まさに、生老病死はあり、悲嘆苦憂悩はある。現実にそれらを征服することをわたしは教えるのである…。

マールンキャプッタよ、ゆえに、わたしが説かないことは説かないと了解せよ。わたしが説くことは説くと了解せよ。」以上のことを世尊は語られた。尊者マールンキャプッタは歓喜して世尊の教説を受け入れた。

(「毒矢のたとえ」、長尾雅人編集『バラモン教典・原始仏典』、中公バックス、473〜478頁)
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_2.html

一方、グシャ論で、同様の趣旨の記述において、上記の「人間」にあたる語が、如来となっています。

この差は、微妙ですが、大きいように思います。ちなみに、いくつかの外国語の翻訳を見ると、tathagata「如来」になってました。

[810] 919 2004/11/20 12:43

なんと霊友会は3派?!
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E5%8F%8B%E4%BC%9A

[811] 晴明通 2004/11/20 13:21

松本派が第七支部を思われまふ。
第七支部HPの行事予定のページによく「昭和記念講堂」の名前が出てました。

[812] ガッツ 2004/11/20 14:26

華さん、こんばんは。ご返事ありがとうございます。

>少し私には難しいですが、私も一応先祖供養をさせて頂いていますので、理解は
できます。

はりきって書き出したいいものの、なんだか、尻切れトンボのようになってしまい申し訳ございませんでした。私もよくわかっていないのです。ただ、「つながり」ということが大切で、先祖供養をしていくと、そのつながりについて、いろいろと考える機会があるのではないか、と思います。
このつながりというのは、言ってみれば、姿形は異なっても、同じ人間、同じ生物、同じ地球上の存在、という、在り来たりですが、普遍的な認識のあり方です。
これとは逆に、昨今では、人間同士の間で、違いと分断が強調され、また、それらに対するこだわりが色濃くなってきています。民族の違い、文化の違い、宗教の違い。また、ある人が富を自らのものとするため他から財を分断しようとする利権の争い。その程度が大きくなったところに、紛争や戦争、差別が起こっているように思います。

法華経による先祖供養は、人の意識における、そのような差異と分断の世界観の間に、普遍的なつながりを生み出す働きをもっていると思います。

>同じ法華経です。お経巻を頂いて、本当に届いているのかと思うこともありますが、
頑張って行こうと思っています

たとえ、違う団体に属されているのであっても、法華経による先祖供養に縁をもったからには、ぜひがんばってください。
陰ながら応援させていただきます。

[813] ガッツ 2004/11/20 14:57

いつもすみませんが、訂正します。

>私が、その当時、興味をもっていたのは、中村元氏訳のスッタニパータに出てくる、「人」という語の翻訳についてです。
「人の死後は云々」という記述があるのですが、大抵の唯物主義的な学者は、この一節を根拠に、経典中の形而上性を否定しようとします。

これは完全な間違いでした。マールンキャプッタ経の話でした。素人なだけに、いいかげんで申し訳ないです。

このテーマについて、以前、掲示板でだいぶ討論したことがありまして、その頃のことをうる覚えに書き込んでしまいました。
しかも、しつこく、外国語の経典翻訳まで、ネットで検索して、ねちねちとやったものです。

失礼いたしました。

[814] ガッツ 2004/11/20 14:59

おっとっと重ねて失礼。正式には、

『マッジマ・ニカーヤ』(中部経典)第63経「小マールンキャ経」

でした。

http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/muki.htm

[815] オッス 2004/11/20 15:37

ガッツさん、どこの派でもいい、法華経をがんばってください。
霊友会も西田氏の訳経を使ってるみたいですね
疑うことはあれど経典に疑い無し です。
偏った捉え方をすると曲がります、先祖供養だけが大願ではありませぬ
自我の魂の成仏ということも大切ですから

○化の人達と話をすると
かなり、勉強されてます。しかし、体得できてないんです。
タバコを吸わない人の前で平気で説法をし始めます。
また、お寺のことを批判されます、なげかわしや○化です。

[816] オッス 2004/11/20 16:21

訂正 タバコを吸わない人の前で平気でふかして説法をし始めます。

[817] 頑張りましょう 2004/11/21 02:34

如来と平たく簡単にいいますと法身・報身・応身の三位の応身の部分をさして云うのです。それを神とと言う名称を
日本では権現の名称で呼んでいます。佛のをあらわす名称です。とうぜん神とは字の如く顕現即ち示し流布即ち申すと
いう意味です。宗門の方達は先達たちの示された本地垂迹を投げ捨てた。結果がいまの状況を生みだしたのです。
加持・祈祷や密法では役に立たない既に破僧罪の御霊によて法よけ・返しの法は勿論それらの修法は総てあの世でも
使用できる見えないほうが有利に決まっているのです。身近でこちらの苦しみが手に取るようにわかるからです。
さらに坊さんは極度の禁欲をされておられるかたも、それはそれらの障りを受けない為なのですが、
その御霊たちの怒りは血縁者や近身者の弱いところに向かうのです。特に加持祈祷者は心がけるべきです。
また僧侶の読経する法によって幾分死者の苦しみを和らげる事が出来るのですが、その法によって押し返された
悪霊たちの怒りはやはり血縁や家族に向かいます。一家全員極度の禁欲と修行にはいってそれらを受けない身体を
作れば別ですが。宗門の法とこの様な法なのです。在家が出来る者ではありません。出家というのは本当に俗世にかかわりを
以っては修行できないのです。法律で妻帯が許されたからといって妻帯されていては役立たずです。また家族を持っておられ便り
を待っているようでは家族に総てそれらの御霊がかかるのです。法を修法していない名ばかりの僧侶は別ですが。

[818] 頑張りましょう 2004/11/21 03:17

宗門の法とは民衆が文盲の時代即ち真実の法華経を与えようとしても与えられなかった時の
民衆の代行者でありその代行者が民衆の為に働き功徳を積めば民衆その代行者の補助者として
功徳を積み佛縁を作る為の方だったのです。現在はその役目を終えられたのですが、昔祖先の時代
から佛教を伝えまた時には民衆の教師となり、工務官となり導いてこられたのです。今在家宗教団体は
その恩ある寺社仏閣が衰えてきているのに大きなビルや講堂を建てて喜んでいるのはおかしい。
そんな事していたのでは佛恩に報えない。sk学会などは28巻の中のある部分をとって
一切関係を切ったようですが、そのような余分な財政あれば寺社の修や維持に当てるべきです。
本来霊友会の創設の意義から外れています。

[819] 頑張りましょう 2004/11/21 07:39

8さん>703の20番の法は大慈悲に基ずく正規の法名を、虚妄の授記と即断したる証文で
前世懺悔法名のことで本当に難解、難入の法門です。

[820] 頑張りましょう 2004/11/21 07:52

また20番の法門は功徳大なるが故に是を軽しめたり、賤しめたりすれば、上行菩薩等の四大導師の涌出付属の経文にも例がない
罪を受ける事になります、『彼の時の四衆の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷は、・・・二百億劫常に仏に遇わず、法を聞かず、僧を見ず、
千劫阿鼻地獄に於いて大苦悩を受く。』

[821] 煩悩具足の凡夫 2004/11/21 18:12

 このスレには、本物の坊さんが混じってルような気がする。

[822] オッス 2004/11/21 18:25

>>818
文章をまとめてください。なんもかんもごっちゃ混ぜですよ。

[823] 2004/11/22 09:49

久しぶりに覗いてみましたが…素人にはついていけない域の話になってるような気がしますね‥。

[824] サンタルチア 2004/11/22 10:07

とにかくサル山の縄張り争いや!!

[825] *** 2004/11/22 10:38

>素人にはついていけない域の話になってる
そういうわけではないでしょうね。
このぐちゃぐちゃした展開は、意図的なもの。

ぐちゃぐちゃさせるために経典引用したりしているが、そのチョイスもメチャクチャで、論点がその都度飛ぶ。
冗長で蛇足が多い。そしてその肝となる部分を故意にボカしている。

「読む気を無くさせるため」というよりも
霊友会の実態から目を逸らさせ、その元となっている(と言われる)法華経がすばらしい!という話しになっている。
それももちろんありだろうが、じつは
あきらかに故意に、論点どころか仏説そのものを捻じ曲げている。

[826] 8 2004/11/22 12:22

>>825
確かにそのような側面もあるでしょうが 霊友会が法華経に正面から向き合っていないことも
読取れるわけで、 実際 会員さんはブランドバッグをもって寄り集まっているヤンキーの集団みたいだからね。

本当に法華経に相応しいかどうかを気づかせてくれたことも有るのでは?

[827] 頑張りましょう 2004/11/22 12:57

オッスさん>まとめます。
佛法は門外不出、僧侶に任せるべきものであった方便時代の伝統を追う、そうした習慣性が
今日まだ抜けきれないのであろうが、だが僧侶を設置したのは民衆が、この文明を築くまでの
導師として、ある時は教員となり、裁判官となり、開拓者や工務官として文盲の時代の灯火光明
の役目となるべき、使命ずけられていたのであります。そこで昔は特別仕立の僧侶養成が必要であり、
それがまた充分な意義を成したのです。にも拘らず今日のお役目はどうであろうか、何があるのか。
霊山、霊場、衆生救済法を宣布した苦心を偲ぶ高祖・宗祖の遺跡、それは我々に尊い法を授けて下さった
道場であった。歴史的にも記念すべき教示の発祥地であります。子孫と共に忘れてはならない大恩教場です。
何宗を問わず霊場・霊地は是を経営していくのに将来国家事業とすべきが当然でありますが、大小群を成す堂閣
・寺院と云うものは現在、社会的に又は国家的に何を成しつつあるのか。昔時には議事堂と成り、公会堂や学校とも
なったのであります。今時は如何に・・・・これは明らかな問題で、幾多世間の論議するところ
云うまでもないが、文明となればこうなり行くのは当然でありましょう。在家信者の心得を分別功徳品の一説に
『若し是の経を聞いて・・・阿逸多是の善男子・善女人は我が為に復塔寺を建て及び僧坊を作り、四事を以って
衆僧を供養する事を用いず。・・・』とskg会は法華経の真理に全く触れていないが、霊友会創設時『昭和の法華経』
の中で一宗一派を起こさんとするのではなく各宗派でそれぞれ足らぬところをこの法華経で足し格死法となった法に生命を
与え祖先が信じていた信仰でそれぞれ法華経の功徳を得て先祖と共に喜びの世を作るのが目的ではなかったか?
その意味での寄進は神仏がこれを必ず受け取ると説かれてあるにも拘らず。

[828] オオオッス 2004/11/22 17:45

まとまってないです。

[829] 嗚呼。霊憂会! 2004/11/23 04:08

はっきり言って、情けないぜ!今の現状。結局はこの国の縮図みたいなものだな。
正直、自由主義的全体主義だよね〜。自由を訴えていても、結局一部の特権
階級がぜ〜んぶおいしいとこどりだもんね。恩師はこんな結果は望んでいないのにさ。
”勝てば官軍〜・・・”ってか!これじゃS●学会と一緒じゃん。
ナンダカンダと、明るいキャッチコピーを唱えてもさ、実態は闇の中じゃん!!
暗いじゃん!!こんなゴタゴタノ問題で一番迷惑するのは、会員サイドなのだからさっ。

[830] 晴明通 2004/11/23 07:18

>>823
樹さんおひさしぶり。
確かに素人には付いていけないスレになりつつあります。
正直、今霊友会会員やってる人間は、おそらくその大半は親がやってたのを
そのまま引き継いでやってる人間が占めてると思います。
いいも悪いも、判断つなかいまま。もしくは反発はあるけど、
なんとなく抜けきれないまま、会員を継続してる人間が殆ど。

よいと思って、実践されてる人も、青経巻や弥勒経を読誦し、
会員や、日常や導きで接する事を通じて、自分を反省し、
実行前より事態が好転したから「霊友会は素晴らしい」と思い自分の体験で
「よい」と感じてる人が殆どです。
なので、法華経云々がなんたるかを知ってる人は、学校やら個人的に
仏教を学ばれた人以外は、素人ばっかりといっても過言ではないと思います。
つどいでも、知恵がなくても、人に伝えて行ったら菩薩になれるという意味で
「常不軽菩薩品第二十」の解説だけはされるものと思われます。

「頑張りましょう」様
そういうわけなので、法華経の経典の解説は、もう少し判りやすくお願いしたいです。
アナタの書いてることは、幼稚園児に大学の論文を説明してるに近いものがあります。
私も、娑婆の仕事や勉強に時間を割かないといけないので、法華経がなんたるか
を学ぶ時間があまりとれません。お恥ずかしい話ですが。

また、>>829 にもあるように、現役会員は組織について疑問や不満があるのであって、
このスレの少し前に「霊友会はフランスでカルトに認定されてる」って事もかかれてますが、
他の現役会員さんがそう書いたように、私も霊友会がカルトか否かは正直興味が湧きません。
フランスと日本では価値観も違いますし、フランスが確実に間違ってないともいえないからです。
もちろん他に「●光」や「SG」も認定されてるので、それに近いものも
今の霊友会にはあるのかも知れませんが。。。

私は、一人に月/1000円取ってるところ、役員に余分な参拝費用徴収するのをなくして欲しい。
脅迫まがいの導きはやめるように、「明法」や「あした」に明記して欲しい。
会員を落とした(退会された)分を架空で埋めるのは、本部から禁止するように
通達して欲しい。
少なくとも、この3つは改革しないと、親がやってるだけの人はついてこないと思う。

[831] 411 2004/11/23 16:20

これも
以前、行事に参加した帰り。
疲れて寝ていたが、ふと目が覚めると、
支部の責任者と思われる方が、
「・・・は、霊友会で、根性を叩き直さんといかん。」
などど、言っていた。
・・・は、私のことである。
私を誘った人は、霊友会で、私の性格が直ると
信じ込んでいた。
そこまで洗脳されているのか。
もう手に負えんわ、と思った。

[832] 411 2004/11/23 16:32

こんな状態では、他の新興宗教団体と同じでしょう。
一般の方がだまされて、もしくは無理やり
行事に連れて行かれても、引くだけです。

さらには、個人攻撃し、不安に陥れ、教団の教えだけが
真実と思わせるようにするやり方。
だまされている当人たちは、いいものだとか
思っているらしいが、実際には当人たちの
自身、やる気を個人攻撃により失わせ、
何一つ出来なくしている。
私が感じた実情は、それだ。

[833] 411 2004/11/23 17:14

感情的に書きすぎました。
不快に思われる方、申し訳ないです。
しかしながら、新興宗教に入ると、
友人たちが遠ざかると聞きます。
なぜでしょう?

[834] オッス 2004/11/23 18:47

法華経は実践道
>>832 辞めればいいだけ、
2−3回聞きにいったがまともな宗教だと感じた。
自分で求める気持ちがない以上、だらだらするなら辞めたほうがいい。

[835] だめだ、こりゃ。 2004/11/24 10:11

相変わらずこの教団は、老害性・閉鎖性・傀儡性のこの三性はかわってないね。
組織機能不全・言論不自由症・導き一辺倒症...あげればキリがない症状ばっか。
こんなことだから、いつまでも”井の中の蛙なんとか..”みたいじゃん。
もっと風通しよくしてくれよな!!ホント。

[836] *** 2004/11/24 11:05


えっもしかしてあなたはこれだけ暴かれているのに

まともな宗教だと思っているのですか?834さん。  だめだこりゃ。

[837] しろうと 2004/11/25 01:20

ここは、仏教に詳しそうな人がいるのでききたいんだけど、
 イスラム教やキリスト教って、輪廻(生まれ変わる)という概念が
ないんでしょ?
 じゃー、どっちが正しいの?輪廻ってあんの?

[838] 頑張りましょう 2004/11/25 11:13

西洋と東洋では宗教もお役目が違うのです。西洋では物質文明開化の使命をおびておられるので、
因縁因果の理や天界のことなど説く必要がないので説かれなかっただけです。イエスさまも31歳ぐらいで
十字架にかかっております。それ以上長く教えを説くと天界の分別から総て説かなくてはいけないのです。
物質文明開化に伴う罪の贖いの為の十字架であります。その為に布教数年で命を投げられたのです。
是は天に坐す父(主なる神)仏陀の計らいによる万民の毒血の贖いの為なのです。イエスさまは天界無二の
仏法守護の大天王尊であります。そのお陰で今日の物質文明を迎えることが出来たのです。一切の功徳を投げ打っての
今日までの贖い即ち真実の法華経が出るまでの罪に対する禊として身を削がれたのです。それでなければ今日の人間謳歌の
文化は築けない。然し既にその無効期に入っております。主よ主よと呼ぶ者ことごとく天国に入る事叶わずの時代にはいたのです。
神の国の神の義を行うものだけが天国に入れるのです。
もし輪廻や因果の理を説けば地上開拓など出来ないのです。釈迦族のように自国が攻められ民が殺されようともまた
民族が滅ぼうとも意にかいさなくなってしまうので、彼らにはこの世を楽しめと彼らに勅命下のです。死にし者は死にし者に
まかせよ神は生きし者の神なりと法を授けられたのです。

[839] TRIP。TRIP。 2004/11/25 12:23

小難しいことは、よく分かんないけど。霊友会って良くも悪くも偏らない
ところがいいのであって、大幹部様や大支部長様の意見に凝り固まる教義ではないはず。
ただただ思うのは、開かれた真の霊友会の再生と変革だと思うが・・・。現状ではムリかな?

[840] 処、熙゙、キ、遉ヲ 2004/11/25 12:24

ヌ蠹?ィ、オ、?セヌ狄U、ホキス、ォ、鯔ル、キ、コ、トキィネAスU、ヒ、ト、、、ニユhテ?キ、ニ、讀ュ、ソ、、、ネヒシ、、、゙、ケ。」、ェスUホト、マヘモチ_ト皃ネ、ォ、ヌ、マ、ハ、、、ホ、ヌ。「
メ簧カ、?キ、テ、ォ、�ェ、テ、ニユiスU、キ、ニ、ッ、タ、オ、、。」

トマ殪翻キスノニ蕉キ?「騷ネ鄲エラ?マトゥキィ、ォ、鰈?キィ、ヒチ「、ニフ讀ィ、鬢巳オ、゙、ヌ。「ス?た遉?セ、ノ、鬢
ネ鄲エ�、ヌ、ケ。」、゙、ソス?た遉マー「騷キ?ヒ、ヒ、隍テ、ニウノチ「、オ、ニ、、、゙、ケ。」トァミヤ、ャ、マ、モ、ウ、テ、ニタァ、r、マ。「
フ・ハiス遉隍�鄲エラ?゙、ソ、マニミヒ_�、ャー「騷キ??ホチヲ、ヒ、隍�ケイ貪???ヒ我サッノキ、ニ杉トァ、ネ鷹、ヲハツ、ャ
ウ?エ、ホ、ヌ、ケ。」、゙、ソー「騷キ??マフ・ハiス遉ヒネ鬢ネヒa次ネ鄲エラ?ネ、キ、ニ。「ネヒ馮ス遉萪サヌミミ\\ノ?ホハタス遉ヒ
殪ノマ、ホエ?ネアッ、?ゥ、オ、ホ、ヌ、「、熙゙、ケ。」、ス、ホネ。、�ヨ、チ、?オ、ホ、ャ・サ・、・ソ・ォヘッラモラ?ヌエ?ユエ?}イサ�テ???ホ
、ホケ筅?ワ、ア、ニー「騷キ??ホ蕉、ホ須、?サ、ィ、ニ、ッ、タ、オ、、、゙、ケ。」キ?ネムヤ、ヲムヤネ~、マ印ノ?F、キ、゙、ケ。」メサヌミ、ホ*ラ?ホキィノマ
キィネAスU、ホキィ、ヌウ?エ、ニ、、、ホ、ヌ、ケ。」、ェ瘠衒�、ホ瓶エ?ヒ、マシネ、ヒネユアセ、ヒ、マ、ウ、ホキィ、マエ贇レ、キ、ニ、、、ソ、ホ、ヌ、ケ。」
フユエ??ャラ?ケ、ャ、讀ィ、ホノ??ヌ、マ、ハ、ッ。「ネユノ渉}ネヒ、ャウ?鬢ソ、ォ、鬢ホキィネAスU、ホケ?ヌ、マ、ハ、、。」
シネ、ヒキィ、マ、ォ、ソ、チ、タ、ア、ネ、マムヤ、ィ、ケ、ヌ、ヒセ゚、ィ、ニ、「、遙「ヘ?ノ?゚、?葷テ、キ、ニ、゙、筅鬢ニ、ュ、ソネユアセケ?ヌ、「、熙゙、ケ。」
、ケ、ヌ、ヒホ?ォ、鰕ネ゚_オネ、ホノ?ヲ、ヒ、隍テ、ニハセ、オ、、、セオリエケシ」、ヌ、「、熙゙、ケ。」

[841] 頑張りましょう 2004/11/25 12:35

西洋と東洋では宗教もお役目が違うのです。西洋では物質文明開化の使命をおびておられるので、
因縁因果の理や天界のことなど説く必要がないので説かれなかっただけです。イエスさまも31歳ぐらいで
十字架にかかっております。それ以上長く教えを説くと天界の分別から総て説かなくてはいけないのです。
物質文明開化に伴う罪の贖いの為の十字架であります。その為に布教数年で命を投げられたのです。
是は天に坐す父(主なる神)仏陀の計らいによる万民の毒血の贖いの為なのです。イエスさまは天界無二の
仏法守護の大天王尊であります。そのお陰で今日の物質文明を迎えることが出来たのです。一切の功徳を投げ打っての
今日までの贖い即ち真実の法華経が出るまでの罪に対する禊として身を削がれたのです。それでなければ今日の人間謳歌の
文化は築けない。然し既にその無効期に入っております。主よ主よと呼ぶ者ことごとく天国に入る事叶わずの時代にはいたのです。
神の国の神の義を行うものだけが天国に入れるのです。
もし輪廻や因果の理を説けば地上開拓など出来ないのです。釈迦族のように自国が攻められ民が殺されようともまた
民族が滅ぼうとも意にかいさなくなってしまうので、彼らにはこの世を楽しめと彼らに勅命下のです。死にし者は死にし者に
まかせよ神は生きし者の神なりと法を授けられたのです。

[842] 頑張りましょう 2004/11/25 12:38

すいません。839文字化けしました。

[843] 411 2004/11/25 15:53

>しろうとさん
世界3大宗教ですね。いずれの宗教も、生まれた時代の
その土地の古代文化、それ以前の土着の宗教の
影響を強く受けていると思われますので、
どれが正しいとか、どれが間違っているとか
そういう白黒をつける考え方とはちょっと違うと思います。
歴史書を参考にされるとよいと思います。

仏教はインドで生まれ、日本に入ってくる前に、
シルクロードを通って中国やチベットで発展したらしい、
という説が有力です。

初期の仏教がどのような様子であったのか、
はっきりとは分かりませんが、バラモン教(ヒンズー教?)など
インドの古代文化、宗教の影響を受けたと思われます。
その中に、輪廻転生という考え方があったと思うのですが。

イスラム教、キリスト教については、詳しくないので
ごめんなさい。

[844] しろうと 2004/11/25 18:07

 お答えいただきありがとうございました。

[845] しろうと 2004/11/26 06:24

うーん素人なりに調べた。輪廻はお釈迦様が出てくる前からある
古代インドの思想だそうです。
 仏教は、この苦しみ、生まれ変わりのループからいかに脱するのかが
テーマなんだって。
 
 で、思ったのだが、例えば、自分は現世で男だけど、過去世で女
だった・・・・とか、現世では前科なしだけど、過去世では、
盗みばっかりしていた、あのいやなやつと俺は過去世では立場が
逆だったんじゃないか?・・・・・・とか想像するとする。
 とすると、相手の立場(ここでは女性や犯罪者やいやな奴)に立って
ものを考えるきっかけにはなるわな。
 つまり輪廻思想は、少なくとも相手の立場に立ってものを考える方便には
なるんじゃないかと思う。
 霊友会のみなさんもこうやって会員の集まりで語り合うのでしょうか?

[846] 頑張りましょう 2004/11/26 10:12

古代インドの輪廻思想と言うのは奴隷の霊は何度生まれても奴隷で王家の
霊は何度生まれても王家に生まれ、バラモンはバラモンに生まれ変わるという
輪廻であり、輪廻転生でも佛教の輪廻は徳を積めばより良い生命に生まれると
いうところが違いますそのためカースト制度がきつく職業や生まれによる
差別があったのです。
因果の理を簡単に言いますとよく植物の種を例に挙げて説明されます。
種を因とすると縁というのはその種が芽を出し根を張る土地の条件に譬えられます。
土がよくまた適度な風や水や日光があればよくそだつのですが、条件が悪ければ
種は芽も出さずに種のまま枯れたり、腐ったりとしてしまうものです。
因も大事ですがそれ以上に縁という環境の方が大事なのです。それで方便時代の
佛教は仏縁作りを中心にとかれて、徳が積める環境に生まれることを勧めらたのです。

[847] しろうと 2004/11/26 12:31

>そのためカースト制度がきつく職業や生まれによる
>差別があったのです。

 今、血液型性格分類とか、動物占いとかはやってるけど、
これだけ、平等思想が普及してもこういうでたらめがはやるんだよねえ。
 人間をカテゴリー分けしたいというのは、それこそカースト制度の
頃からなんだろうか?

 そりゃあね、知らない他人と、つきあってくのはしんどいよ 。
だからといって、カーストやら血液型とか分類していいものなの
だろうか?お釈迦様、キリスト、ムハンマドさんはどう思ってんのかな。

あ・・・・だんだん、霊友会のハナシから横道それてきちゃったな。

[848] 2004/11/26 13:30

仏教はインドで生まれ、伝播の過程でどんどん異質にされていった。

輪廻は当時インドの基本思想。「生まれついての差別を受け入れれば、
来世はもちょっとマシに生まれ変わらせてやる、逆らえば地獄だ」と言って、
バラモン社会が支配のため使った概念。

釈迦はそれに抗い、「嘘八百コクなよな。問題はその精神のありようだよ」と言って
平等主義を説いた。

衆生に対しては「善いことしたら当然その果報で良いところに生まれ変わるのさ」と
輪廻を基にして道理を説いた。

出家に対しては「輪廻が在るだか無いだかそれがどうした?大事なのはその精神のありようだろ」と
神秘主義を排して道理を説いた。

供養に関しては「先祖は救われない。自業自得なのだからキミが救えるのは自分だけだぜ」と
妄想的事柄を排して道理を説いた。

バラモン教もイスラム教もキリスト教も命令型で、「これこれ」すれば天国行きあるいは地獄行きという教え。
「これこれ」は必ずしも善き事とは限らず、「とにかく命令に従うことが善」とされる。
あたりまえの道理を説く誰にでも効く仏教とは違い、 とにかくそのドグマを盲信する信者となることが前提。
そしてそれは世の粗方の宗教の属性と言え、良くも悪くも人民の 統括支配にもってこい。

そしてその仕組みがとてもおいしいために、
永く長い伝播の過程でどんどん仏教に取り入れられてしまった。

[849] 頑張りましょう 2004/11/26 14:22

南無東方善徳阿閦佛尊の阿閦とは『不動・無動・無怒』と訳します。大日如来の国、アビラダイ国に於いて、
無瞋恚(むしんに)の願いを発して修行を完成され、その国を『歓喜・善快・妙楽・妙喜』と申します。
阿閦佛尊は末法の時代に出現されることになっており、金剛界を背負って出てこられ、末法より正法に帰一させる
お役目であります。釈迦佛が阿閦佛に切り換えて、諸仏の威徳力を表現し末法を整理されるのです。またあらゆる
生命のバランスを正しく取るお役目も持っておられ、殖えて困る時には増やさず、無くなって困る時には智恵を与えて
一切の生命のバランスを定められ、阿閦佛尊に誠が通じれば罪を作らず守られるとされております。そして魔性がはびこって
困る時は、胎蔵界より如来尊や菩薩様が阿閦佛尊の力により夜叉明王尊に変化身して悪魔と戦う事も出来るのです。
阿閦佛尊は胎蔵界に入られますと薬師佛として人間界または一切衆生に無上の大慈悲を施されるのです。

[850] 919 2004/11/26 14:52

>しろうとさん
>霊友会のみなさんもこうやって会員の集まりで語り合うのでしょうか?

私の在籍していた支部では、会員になりたての頃は、「新しい人の目で、先輩のおかしい所をどんどん言っていいんだ」といわれましたが、何ヶ月かたつ頃には、「あんたはあの時あのような事を言ったけど、知らないから言えるんだよ!」と逆に怒られるようになりました。
とにかく導きの親は正しい、その会員は正しくない。これが法則でした。何か疑問を持っても、疑問を持つことが間違い・間違った心があるから疑問が出るんだ!これも法則。

[851] 頑張りましょう 2004/11/26 15:19

筏さん>
skg会的な解釈です。供養門の考え方は先祖の縁を切れば自分だけは
救われるとは甚だ利己主義てきな無慈悲な邪見であります。人は天命によって
生を受けるのです。親は天命によって子を産むのです。親をすてるとは
天命に逆らい自ら無縁さまへの仲間入り自己だけ助かればよい等は応報として
悪因縁の仲間入り、法を破る先鋒逆理にたつのです。人間智のご都合主義です。
転生行路の理を知らない者の戯言です。
転生行路とは乙という家に善業が四つ悪業が二つとすると、そこの家に生まれる者は
前世にやはり善業が四つで悪業が二つの者が生まれるのです。そして悪業が七つに増え
善業が三つになればその家には悪業が七つ善業が三つの者が生まれるのです。
そしてその悪業は前世に関係が深く、親子になってそれを親子になって愛情を持たせ
そして悪業を消去させる為に親子の縁を持たせる仏の大慈悲です。ですから
自分の悪業を消すには必ず祖先の悪業を懺悔法で消し、その応報として仏陀が
前世の悪業を消滅させるのです。
他国の天国か地獄しか説かないのはお役目の違いで統括支配がしやすい方が地上開拓には便利で
必要なのです、ですから小乗教(人は神にはなれないという教え)で充分なのでそれを東洋
の精神文化開発の方からとやかく言う必要はないのです。無量義経徳行品に「智恵の日月方便の時節大乗の事業を扶蔬増長して」
の部分であって方便法であるので小乗教でよく神のみを説けばよいのです。全知全能の仏陀に抜かりはないのです。

[852] 411 2004/11/26 16:11

筏さんのコメントに同意。

現代は文明社会ですから、
亡くなった原因(病気、事故等)は分かるはず。
昔ははっきりした病名や事故など分からない場合もあり、
たたりやら、呪い殺されたやら、俗説、迷信で
原因をうやむやに説明していたかも。
原因がわからず、周囲の人は、死の恐怖から自然と頼るものを
求めていた。

物質で考えると、人は死んだら腐った体になるだけ。
重要なのは、亡くなった個人の思い出を
大切にしながら、家族、友人等がいかにして死別の悲しみを
乗り越えるか。
そのために、宗教、葬儀、法事などがあるのでは。
(坊さんが生計立てていく為かも・・。)

先祖供養で教団が上手い様に人を操るのは、
新興宗教の共通点。
強要、脅迫を繰り返し、不安に陥れ、
教団の教えに頼るしか手段をなくしている。

[853] 晴明通 2004/11/26 16:21

>>845

しろうと様はじめまして
>輪廻思想は、少なくとも相手の立場に立ってものを考える方便には
なるんじゃないかと思う。
>霊友会のみなさんもこうやって会員の集まりで語り合うのでしょうか?

鉢支部(支部講堂は大阪、西日本全域に会員多し、関東・仙台・北海道にも先端支部あり)
の実情を申し上げますと、日々の暮らしの悩みの時もあれば、
修行の悩みの発露(ほつろ)の場になっております。
輪廻転生やら、お釈迦様がどうとかは殆ど話題に出てきません。
で、結局いきつく所は「因縁解決のためには、導き(勧誘)が早道」になります。
勧誘方法も、無理やりとか、電話帳から勝手に名前を借りるなどえげつない事を
しゃぁしゃぁとする方もおられますが、私はビンボーなので、立て替えが大変になるので、
本当にやってくれる人しかお誘いしません。無理やり会員になってもらっても、
その人のためにはならないですから、「その人の先祖が悲しむ」と周りの会員から
言われようが、実際に供養するのは、教えに納得して、実践しようとされる「その人」なので…。
連絡もとれない会員さんを、退会扱いにしましたので、
資格はペーペーになってしまいましたが、動いてくれない会員のことで
悩まなくて済むようになって、すっきりしました。

私も横道それましたねf(^^;) ポリポリ

[854] しろうと 2004/11/26 22:55

みなさま、レスありがとうございます。

ふつー宗教団体に入ったら、「お釈迦様のこともっと知りたい」
「キリストのこともっと知りたい」「法華経のここがわからん」
「日蓮さんってどういうひとだったの?」
とかなって話が盛り上がってくと思ったがそうでもないんだな・・・・。

[855] 頑張りましょう 2004/11/27 00:54

清明通さん>
正しい行動だと思います。

411さん>
では事故や病気は何故なるのでしょう、また通り魔や自殺や戦争やテロ等は
すべて人間の六根を利用してまた利己主義てきな心を掴んでまた魔というのは
動くのであります。災難(天魔)というのは現代の人間智(既に宇宙を知り尽くしたかのように)
で防げるのか?天魔というのは、あらゆる万象生命の欲行智を掴んで一端喜ばせておいて
苦しみの世界に落とす力と智恵を持っているのです。それを防ぐ事が出来るのか?
魔とは他の苦しみを喜びそれを糧に活動しているのです。その力は既に釈尊の時代より
常に注意されているが、法華経の28巻でさえ魔の冒すところとなり、心が助かっても物質面で
苦しんだり、物質面で助かっても心が助からなかったり、となっています。
是を法華経以外の者達が見て「法華経といっても外の教えより少しばかり都合や理屈がよいだけ」と
映るのはのは最もな事です。
その退治策として仏所護念・教菩薩法が用意されているのですが、基本の懺悔経の法を蔑ろに
した結果今の状態なのです。

[856] 8 2004/11/27 02:05

>しろうと さん
その通りです。
日本の英語教育と同じで 喋れない先生にいくら教わっても喋るようにはなりません。
霊友会の支部長で法華経を解説できる人がどれだけいるでしょうか?

本当のところは 法華経は看板だけです。実際興味なんて無いでしょう。

継ちゃんは惜しい事したのか、これも因果応報なのか?

[857] 2004/11/27 08:45

850さんには笑わせてもらった。なるほどねー。
851さんなんだかいろいろ語ってくれてるが誰が「利己主義」なんだ?釈迦か?
「人は天命によって生を受けるのです」誰がそんなことを言ったのだ?
「親は天命によって子を産む」違うなSEXによってだろう。SEXしないで産んでみろ。
「親をすてる」誰が?
「祖先の悪業を懺悔法で消し」だからそれは無理だっての。やれるならやってみればいい。
だいたい祖先って悪行したのか?みんな。初耳だなあ。
「その応報として仏陀が前世の悪業を消滅させる」いつ消滅させたんだ?
「全知全能の仏陀に抜かりはない」もう亡くなったがな。
「人は神にはなれない」あそう。そりゃなれないだろ。あとは無視。
852さんは完璧すぎるコメントだな。誰も反論できないだろうからスレ終了だな。まだある?
853さんは信者さんか?なんだかしょうもない組織にいて勧誘してしゃぁしゃぁとポリポリか。一生やってろ。
855「では事故や病気は何故なるのでしょう」不注意とか健康管理で防ぐことだ。そうでないというなら
不注意に健康に気をつけづに生きればいい。

[858] 頑張りましょう 2004/11/27 09:36

南無久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊
インドより日本の国を指して浄明国と言われており、その国は菩薩の修行の国で
菩薩の生まれる国とされております。これを「東方善徳佛の国」と申します。
如何なる魔がどんなに姿を変えても、25番にあります様に「無垢清浄の光あって、慧日(仏陀)
諸々の闇を破し、能く災(魔)の風火を伏くして、普く明(妙法)らかに世間を照らす」という
如く、どんな魔も立ち所に明るみに出され、勧発され清浄に蘇らす力を現されたお釈迦様の姿を
南無降三世夜叉明王尊と申します。
私達も自分で気が付いた、心の醜さ、又はしてはいけない事をした時、傷が深くならない内に
明王尊にお詫び申し上げ、ご供養いたす事によって救って頂ける事を忘れてはなりません。
その懺悔を忘れると魔の餌食になり、神仏の力の届かぬ所に引きずり込まれ、取り返しのつかない
心にされることを悟ることが大切です。そして常に苦しみ悩み悪重病(物心両面において)に落として
やるぞと手薬煉を引いて魔が待っている事も、忘れてはなりません。
私達は常に懺悔する素直な心こそ、即ち心の財産なのであります。この財産は『火も焼く事能わず』と
いう財産になるのです。

[859] 晴明通 2004/11/27 10:20

いかださんに
去就に関して命令される筋合いはありません。

[860] 出入りの住人 2004/11/27 10:47

仏教と違って。。。

肉(サルクス[ギリシア語]・ミート[英語])から来る罪なる肉
肉体(ソーマ[ギリシア語]・ボディ[英語]・身体)の肉
とは区別。

肉なる罪の滅びる身体。
霊なる罪のない身体(栄光の身体・完全な肉体)と永遠の命を持って
生まれ変わる。

霊なる身体が肉となって「最後の裁きの後の栄光の身体、あるいは
イエスの復活のような完全な肉体となって顕れて」永遠に生きる。

[861] 出入りの住人 2004/11/27 10:47

神は愛、世代・世代に([和製英語で]エブリ−エイジに・世々に・永遠に)続く命

世といっても
世界(ワールド)という、地平軸の水平な・地理的な
世代(エイジ[英語]・シグロ[スペイン語])という、時間軸の垂直な・時代的な

グノーシス異端のキリスト教は
年的な世代の世界と、地域広がりの各地の世界とを
30世界(アイオーン)と7世界(7つの天・ヘプドマス)として呼んだ。

これら
あわせると30になる何組かの組み合わせの世界・7つの地界−天界の
すべての世界に
イエス・キリストの言葉が
充満(プレローマー・源流であり原初)していると
この世を説明した。

だから
キリストをプレローマーの星とも光ともグノーシスはアダ名した。

[862] 出入りの住人 2004/11/27 10:48

充満(プレローマー・源流であり原初[・流出])していると

[863] 出入りの住人 2004/11/27 10:57

ゲー(地界)が水平には
ローマの辺境世界(ゲルマンの地・ロシア方面のスキタイの地・
サハラ砂漠などアトラス山脈の向こうも)・
地中海世界・オリエント世界・ペルシャ−インド世界など
幾つものゲーがある。

あるいは垂直には
地獄というゲーへナ(地界の穴・地界の淵の底)がある。
もしくは
天国というウーラヌス(天界)が7つある。
パウロは第3天までしか見ていない。

[864] 出入りの住人 2004/11/27 10:58

グノーシスとギリシア哲学
http://www.soutokuhu.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1074208247&st=11&to=17&nofirst=true

[865] 頑張りましょう 2004/11/27 16:13

南無証明法華之多宝佛塔
南無鳳凰主如来は多宝佛塔の仏様で、前世・今世・来世を司っておられ上は
如来・菩薩から下は人・畜類・草木等に至るまで、法名を与えて下さる如来様
で、是の如来様により新世界に生まれかえる、とされております。然し今世の
心がけによりきりで、いくら良い法名を貰っても鳳凰主如来さまが認めて下さ
らなければ善い世界に生まれる事は出来ないのです。此の世でしっかり徳を積んで
善い世界に生まれるよう修行が大切です。

[866] 411 2004/11/27 18:01

しろうとさんへ
霊友会の行事では、お題目3唱、(南無妙法蓮華経を3回唱える)
会員を増やす、導き(勧誘かな?)
それだけしかないような感じでした。
刺繍してあるだけのただの布切に、お題目3唱は最悪の気分でした。
しかし、それはあくまで私が感じた雰囲気ですので、
個人の考え、思いを否定することではないです。

私としては、古代仏教の成り立ち、小乗仏教、大乗仏教の
中国や日本での発展、解釈などが知りたかったのですが、
霊友会でそれを求めることは無理そうでした。
日本の古代史や天皇崇拝、民族主義がごちゃまぜになっている様子でした。

仏教に関しては、図書館などで歴史書等を読み、ある程度自分で理解し、
自分なりの考え、意見を持つ事が大切です。

私は浄土真宗ですので、必要であれば、
自分の檀家が主催する説法会に参加することが
一番安心できそうですが、やはり敷居が高いです。
(間違っても、親鸞会などは止めてください。)

[867] 411 2004/11/27 18:34

頑張りましょうさんへ
事故は、自然災害、人為災害(交通事故など)でしょうか。
病気は、老齢などで体の機能、抵抗力、細胞の力が衰えるから。
通り魔や自殺や戦争やテロ等はその行為を起こす人によって
起こる殺人。
現実的に説明がつきますね。

天魔と言うような迷信的言葉で説明してはいけないと思います。

2000年ほど前に中国で作られたとされる法華経の中身が、
めまぐるしく変わる現代社会の内をきちんと反映しているのか、
というところが知りたい。

[868] ガノ 2004/11/28 04:46

はじめまして

今身内に霊友会に入っている人がいます。
過去レスを読んでいて霊友会についてお聞きしたいことがあります。

1.親が会員なら子も会員と言うレスを見かけたのですが、
  自動的に入会扱いになっているのでしょうか?

2.最近(10月ぐらいかな?)に韓国でイベントがあった模様ですが
  詳細をご存知な方はいらっしゃいますか?

3.電話でしか連絡をとっていないため詳しいことまではわかりませんが
  12月にアメリカで何かがあるという情報を聞いたことはありますか?

[869] ガノ 2004/11/28 04:53

〜私的事〜
私はアンチ宗教です。よって、霊魂、祖先の行い等一切信じていません。
「物語」程度でこれらの話を聞くことには抵抗はありませんがw
上でも書いた通り、遠方にいるため断片的な話しか聞いていませんが、
霊友会の教えだけではなく、キリスト教、イスラム教、世界史?などの
勉強もしてると話していました。(個人出ではなく会で)

あと、「導き」など、嫌がることを「とりあえずやれ」などと強制するのは
「考えるな、感じろ」というかマインドコントロールではないか?と思います。
何かにつけ「祖先の行いが・・・」ですとか「何か別の力が・・・」などと
言葉を濁されるのが非常に腹立たしいです。
最近は「日本が危ない」などとも言ってました。<度重なる天変地異のことらしい
また、神が人を助けないことについては「間引き」などとの賜る始末ーー;

私が心配しているのは、本人もですがまだ中学生、小学生の子供がいることです。
親が霊友会だから子供も強制的に入会というのは納得が出来ません。
これは一般的なのでしょうか?
少なくとも成人になるまでは宗教とは別の世界で育って欲しいと考えています。
無論、成人になった段階で宗教に入るというならそれは構いません。

書きたいことはもっとあると思うのですが、文章がうまく纏まらないので
この辺で失礼します。

[870] 晴明通 2004/11/28 10:07

ガノ様

1.だけしか、私にはわかりません。
親がやってるから、子供も自動的に入会はないです。
お子さんも「一緒にやりたい」っていうなら、話は別ですが。

ただ、昔は500世帯(今は500人)導いて支部長っていう順序だったようで、
その頃はある人が入会したら、その人の家族も入会させてたようです。
結果、その「ある人」が亡くなった時点で、導きの親が会費「ある人の家族分」
を立て替えるということを何度も繰り返してきて、
私見ですが「砂の城」状態の古い先端支部が出てきて、
表面化しつつあるように思います。

お子さんご自身が、求める以外での親からの強制は、やってはいけないと思ってます。

2.3のご質問ですが、海外に会員がある支部の情報と思われます。
私の所属のところは、韓国にも会員がいると聞いてますが、9月に訪韓したという
話は聞いてません。

>あと、「導き」など、嫌がることを「とりあえずやれ」などと強制するのは
>「考えるな、感じろ」というかマインドコントロールではないか?と思います。

一昔前の、鉢支部ですね。このやり方が合ってる人ならついて行きますが、
今の時代では、ついていく人のほうが少ないと思います。
結果「無理やりやらされてる」という意識が出てきて、「行事に出たくない」
ってことになり、「やらない、やめない」人を沢山出してしまってるものと思います。

今一度、やり方を見直さないといけない時期にきてるように思います。

[871] 晴明通 2004/11/28 10:28

411様

>私としては、古代仏教の成り立ち、小乗仏教、大乗仏教の
>中国や日本での発展、解釈などが知りたかったのですが、
>霊友会でそれを求めることは無理そうでした。
そうですね。今日つどいがあったので、
たまたま弥勒山修行で運営者(コーナーで司会したり、行事を仕切る人)
をやってた人もいたので、そこらへんの所を質問しました。
法華経のことを説明した「青経巻のビデオ」を上映するコーナーの担当だったらしく、
そのビデオを見て「皆に見てもらったほうがええちゃう?」って話になったけど、
却下されたそうです。

いかに「初めての人でも楽しんでもらえるか」に重点をおいてるようです。
法華経の話は堅苦しいと思われてるみたいです。
私も、もっと知りたいので、図書館で少しずつ宗教関連の本を読んでます。

別の人からは「法華経が理解できて、何になるの」って言われました。
「法華経が理解できたからって幸せか?」と。。

確かにそうなんだけどね。。。。。

霊友会も仏教をもっと知りたい人への門戸が
開かれてもいいように思うのですが。
今は自分で学んでいくしかないようです。

体験主義仏教そのままですね。

[872] 411 2004/11/28 12:12

晴明通様

>「法華経が理解できて、何になるの」って言われました。

葬式や法事の際に、お坊さんが訳の分からない言葉を
使ってお経を上げておられる間、ただ耐えているだけでは、
退屈で居眠りしてしまうかもしれませんよね。

一緒に経本を持ち、今どの部分を読んでいるのか、
どのような内容なのか分かれば、有意義な時間を過ごせるのでは。
(振り仮名付きの経本とかも本屋に並んでますね。)

私はこれまでいろいろ暴言を書いてきたかもしれませんが、
実際に会の中におられて、現在の霊友会の進む道、
これからの行く末を案じておられる方も
発言に参加しておられますので、
しばらく見守ることにします。
(その1からROMしてましたが。)

頑張りましょうさんは、どこかの支部の責任者の方でしょうか、
私が行事に参加する前に、霊友会の会の内容について
話を伺った方と同じような雰囲気です。

私は宗教の成り立ち、思想は嫌いではありませんが、霊友会の現状は
SG会など、他の新興宗教団体の在り様と
変わらないのでは、という印象を受けました。

そこを改善しないことには、一般の方から
避けられるだけです。
いかにして変えるかは、私には分かりませんが、
一般信者の方々の意見を参考にされると良いのでは。
あつかましいと思われるかもしれませんが。

[873] 919 2004/11/28 13:11

晴明通さん
「幸せ」は本人がそう思えば、その人は「幸せ」なんです。朝起きて、目が覚める、これも幸せだと思います。
生きて起きることが出来たのですから、今日と言う日を、生きる第一条件は突破です。

過ぎ去った時間は戻らない、しかし今という瞬間以降はどうにでもなる。実行しなければ、何も起きませんが。

[874] 傍観者... 2004/11/29 10:27

色々と、宗教観ってあるのねー。
ただ言えるのは、宗教って明るく楽しくってことが一番じゃないのかな?

[875] 傍観者... 2004/11/29 10:28

宗教観って色々なのねー。
ただただ、すごいわ。うんうん。

[876] 晴明通 2004/11/30 02:05

>411様
>919様

ありがとうこざいます。
幸せは心の持ちようですね。
因縁解決ができて、人生好転したら「幸せ」
法華経の知識が深められる「幸せ」
幸せの尺度は人それぞれですね。

>傍観者様

私がここに来るようになったのは、
「明るく、楽しく」霊友会が出来ない事に、疑問を感じたからです。

色々と内部の事、退会された人の意見が見れて勉強になります。

私はここをウラ弥勒山と思ってます。

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