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神について

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[0] h.k 2005/08/14 01:45

スレッドがほかに見当たらないので立ててみました。
唯神論、天使悪魔の存在意義、果ては宗教に基づく倫理観に至るまで、広く議論
する板です。

785件のコメント 1番から100番を表示中

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[1] HOOK 2005/08/14 01:56

こんな真夜中にスレ立てて、誰かと思ったら、h.kさんですか。
おめでとう御座います。

[2] equilibrium 2005/08/14 03:20

h.kさん、スレ建ておめでとう御座います。速攻ですね。

[3] RR 2005/08/14 11:21

ぐは;;眠ってしまいました==;h.kさんありがとうございます。

[4] h.k 2005/08/14 16:41

こちらこそ、ありがとうございます。
先ず、議題でもあげておかないと。愛の定義の流れから、

RR氏のレスをはっつけて始まりとしてみましょう

しかし、神と対極する悪魔の存在はどうなるのでしょうか?神は悪魔
を赦していますか?私は聖書を読んだことがないので、キリストの
中で出てくるのかは知らないのですが、もしそういった存在がいるの
ならば神は赦しているのでしょうか?悪魔のような存在を。

いつも、キリスト経(カトリック、プロテスタント)やムスリムの方と話していて感じるのは、神に対する漠然とした虚無感です。
全てにおいて絶対善とされる神が存在し、全てにおいて絶対悪とされる悪が存在をするのであるなら、絶対善である全知全能であろう神は、人に対して一体いかなる裁きを下すというのだろう。
神が存在したならば、そもそもに人の存在を許すのだろうか?と。
7つの大罪とは、即ち僕自身がその感情を持ったときに、自責の念に駆られる感情です。それゆえにその感情を良く理解できるし、それがどういう風に作用するかが分かる。
だからこそ、この感情を持った人間がコントロールしきれていないときには、限りなく悪に近い存在になりうる。
かたや、美徳を持って人に接する人は神がかって扱われる。
むしろ、神とはイメージなのではないかなと思ってしまった。
人のある種究極的な目標としての神。また、ある種究極的な堕落としての悪魔。
これが、神と悪魔なのかな?なんて思いました。
まとまってないね〜。議論の方向性つけるの下手くそなので、どなたかよろしくお願いします。

[5] (=^..^=)ミャー 2005/08/14 18:11

神様は未知なるものにゃ!こんな私たちが神について考える義務はないにゃ
 神様はずっとみてるにょ。君のこともみてるにょ。
エラソぶって神とは?みたいなこと考えてるヒマはないにゃ!
ただ日々見守ってくれてる神様に対して御礼の言葉の一つでも申しておけば
それでいいんにゃ。わかるにゃ?

[6] HOOK 2005/08/14 19:29

確かに「神」って色んなイメージが在りますよね。
全知全能の神ならば、「全能」自体が矛盾した概念ですから、存在しないと言えるでしょうね。
しかし、ゲーテルが定義したならば、証明されてますしね。
聖書の神は、矛盾してるようですし、、、イメージ(定義)によって様々な神が在りますね。

[7] HOOK 2005/08/15 00:58

>>6   おっと、例に拠って訂正
×ゲーテルが定義したならば、証明されてますしね。
○ゲーテルが定義した『神』ならば、証明されてますしね

肝心な神を入れ忘れてました

[8] equilibrium 2005/08/15 01:52

>>7
いくら常々「神の存在」を否定しているからって・・・。
存在すべき文に神が存在してなきゃ意味が存在できません。

[9] RR 2005/08/15 01:57

>>4
どうも^^そもそも神自身の正しさというのが証明されていませんしね
。神が人間を創ったからといって神=真理に成り立つのかどうかが
まず疑問。また悪魔などの行いが悪とされるかどうかもまた疑問。
神と悪魔の概念は人間からすれば善、悪となるのでしょうけど、
正否でいうとどちらになるのだろうか?っとこの疑問は無駄かな?^^;

[10] ◆ENSEMBLE 2005/08/15 05:02

こんばんわ 横から失礼しますね。
 道を歩いていたトコロ。この類の宗教らしいんですが、
信者さん方が熱心に「聖書サンプル」らしきプチ本を配ってたんで
……したたか装って、貰っちゃいました。(タイトルはあえて書きませんね)

それによると。どうやら、「神を信じられなかった、罪ある人」は
「最後の日」に火と硫黄の焼ける海(地獄)で、
みぃ〜んな焼かれて罰を受けるのだそうで。(確かなことはわかりませんが

…正義を見たことある人間はいねぇわなぁっと云々。

余談ですが、「神を信じた清き人」なら、すでに死亡済であっても
「最後の日」限定で甦らせてもらえちゃう上に、なんと
その当日から「永遠のいのち」ももれなくPresentらしいですよ。

すごいなぁ神様は。私は地獄でイイや。

[11] HOOK 2005/08/15 18:51

>>10 どうも。
兎に角、全知全能の神は存在しませんね。
全能であるとは、何でも可能(∀xPx)なのですから、可能な要素xは
R={x|¬x∈x}から¬Pxに成り、矛盾します。
具体例を挙げれば、「自分にも持ち上げられない重い物体を創る事」も可能です。
すると、持ち上げる事が不可能な事が存在して矛盾します。

[12] equilibrium 2005/08/15 20:02

>>11
ん? RでなくPですね?

[13] HOOK 2005/08/15 20:40

>>12
ああそこは、Rじゃなければ駄目なんです。
ラッセル集合ですから、本当は論理学の方で展開しても面白いんですが。
特にゲーテルの神の証明なんか。

[14] 2005/08/15 20:46

全知全能ならば矛盾もクリアする。
どうするかだって?私は知らない。神ではないから。
でも全知全能な神は矛盾もクリアする(矛盾なく持ち上げられないものを持ち上げる)

・・・って話を聞いたことがある。

[15] HOOK 2005/08/15 20:48

>>14
神が矛盾を容認するならば、神は全能にして無能です。

[16] 2005/08/15 20:52

>>15
神の前では矛盾が矛盾でなくなるということなら
容認してないのでは?

[17] HOOK 2005/08/15 20:54

>>16
ああ、そうなの?
凄いですね、、神って。

[18] 2005/08/15 20:58

>>17
何ていうかすみません。
伝聞で生意気なこと言って

[19] petty_chou 2005/08/15 21:01

一神教徒にとって神は自我の安定を支える存在です。

彼らは神を恐がります。それは神が自我の安定を支えているからです。
神が自分を認めてくれていると思うことができれば精神が安定しますから、
逆に言って神が自分を認めてくれなければ精神は不安定になって生きてい
けませんから、神を恐がるのです。
自分の精神の安定を左右する存在を恐がるのは当然です。そして、彼らは
神に対する恐怖を、神に対する信仰によるものであると合理化しています。

私達日本人は神なんてモノを信じていませんから、彼らの恐怖は不合理に
見えます。

しかし、そういう日本人も自分の自我の安定を支える存在に対して恐がっ
ている事に変わりはありません。日本人の場合は、神ではなく、自分の周
囲の顔を見知った人々に是認される事です。日本人は周囲の人々の是認を
自分の自我の安定の支えにしている為、周囲の人々の評価や視線を恐がり
ます。そして、そういう恐怖は人間としての当然の人情であると合理化し
ています。

一神教徒(西欧人)が、人の評価を恐がる日本人を見れば、私達の恐怖は
不合理だと感じるでしょう。彼らは神に支えられており他人の評価をそれ
ほど気にする必要はないですから。

[20] petty_chou 2005/08/15 21:15

>>19
つまり、人間は自我の安定を支えてくれる存在に対して恐怖を抱いてお
り、その恐怖はその恐怖を共有していない人から見れば不合理な恐怖で
す。そしてその不合理な恐怖の不合理性を隠蔽しています。自分として
は合理的な恐怖(例えば信仰であったり、人情であったり)だと考えて
います。

例えば、原罪は、神に見捨てられる不安の合理化だと思います。人には
原罪があって、その為に何もしなくても神から咎められる可能性がある
のだ、何の理由もなく神に見捨てられる不安を抱いているのではないの
だ・・・と不合理な不安に説明を与えているのでしょう。

偶像崇拝の禁止は、神の視線に対する恐怖の隠蔽です。日本人は他人の
評価を気にしますから「視線恐怖」というのがありますが、神を支えに
している人達にも同じ様に「神の視線に対する恐怖」があります。偶像
を作ると神の視線が具現化されますから大変恐ろしい訳です。

[21] petty_chou 2005/08/15 21:18

このように、人間は自分の自我の安定を得るために、不合理なものを合
理的なものだと思い込んでいる訳ですから、根本的に、不合理な存在で
す。人間はいくら合理的にものを考えようとしても、そういう事は基本
的には不可能なのです。

[22] equilibrium 2005/08/15 21:26

>>16
どういう論理で「神の前では矛盾が矛盾でなくなる」のですか?
もし矛盾(A & Not A)が受け入れられるなら「神は神でない」も
受け入れられるはずです。
すると「神は神でない」から「神でないものの前では矛盾が矛盾で
なくなることはない」のですから、やはり持ち上げられないものを
持ち上げるという矛盾が起こり、この矛盾を矛盾でなくする神は
矛盾(A & Not A)を受け入れない限り存在できません。
しかし受け入れたとたんに全能の神でなくなります。
・・・って、あれ、問題解決したの??

[23] petty_chou 2005/08/15 21:45

一神教徒にとっては神は存在します。
私達には神が存在するなんて妄想だとしか思えません。

一神教徒は神を恐れています。
それは例えば、イスラム教徒が神にひれ伏すのを見れば想像できます。
私達には、バカバカしく思えます。

[24] equilibrium 2005/08/15 21:58

>>23
イスラム教徒(=ムスリム)のひれ伏し&立ち上がり&正座などの
一連の決まった動作を伴うお祈りは、一日数回の軽い全身運動に
なると共に、そうしながらずっと暗記したクルアーンの文章の
いくつかを心の中で唱えているので、瞑想の役目もかっていると
思います。恐れているからひれ伏すのではありませんから、
馬鹿馬鹿しいとは思いません。

[25] RR 2005/08/15 21:58

どこの神だったか忘れましたがambrosia(神饌)というものを食べる
ことで永遠の命を保つ、とされますが・・・この時点で全知全能ではない
ような気もします。神の概念としては全知全能にして、零知零能。す
なわち世界に干渉できる存在として扱うからには物理的な肉体、物質
を持たないと影響できないとも思える。それによって命を保つ時点で
神としては全知全能ではなくなる気がする。もし神と呼ばれるものが
いてもそれは単なる一種族にしか過ぎないのではないか、と考えてみ
る。

[26] equilibrium 2005/08/15 22:13

>>25
創造主である時空の外に存在している神は、物理的な肉体を持ちません。
物理的でないものが物理的なものに作用できない、というのは議論の余地が
あります。RRさんが右手を挙げたいと思った「心」は物理的でないのに
手という物理的なものに作用しています。「心」を物質として捉える唯物論者の
反論がありますが、彼らとて「心」を生み出す脳とその物理的反応は物理的で
あるとは言えても、「手を挙げると決意した自由意志」自体を物質的に説明する
論証は出来ていません。自由意志は錯覚であると説明する理論もありますが。

[27] RR 2005/08/15 22:35

>>26
ふむ、無からの創造ってことですかね?基本的に人間は認識→行動
という電気信号の情報のやり取りが常に行われているわけで。。。
神もなんらかの方法で物理的にではなく情報をよこすことができる
と・・・啓示などが例でしょうか?神の概念がそもそも沢山ありすぎる
==;干渉できるのであれば、零知零能ではないですね。しかし、人間
に干渉することといえば自己存在の正しさについて。キリストは違う
のかな?イエスは神の愛について説いていたと聞きますが、その論でいく
ならば我々は神に愛されている?ということは神の愛は定義されてい
るということですかね?

[28] h.k 2005/08/15 22:56

お?!スレが終わってしまうかと思ってました。
ようこそ。
HOOKさん
神が持ち上げられないものも神が計ることが出来るとしたときに、多分神に持ち上げられないものはこの世に存在せず、神が計る以前に神はその全てを知っているなんていったら、矛盾解消してしまっていませんか?

RRさん
善悪の基準は確かに、コインの裏表ですね。それはいつぞやにも同じ議論がありました。では、人間の社会で何が善とされてきたかといえば、力であったことでしょう。
これは単純に腕力のみには起因しないし、当然権力のみでもなく、それは人の信仰をあつめる「力」であったりもします。
さて、それとは別に、物の善悪を図るときに僕はいつしか自分の中にある種の感覚が生まれていました。
法とは完全に独立した、ある種の絶対倫理が(僕個人においてのね)備わっていたわけです。
この倫理観は同じく人が共有する物差しの一つではないのかと、そう思います。誰が決めるわけでもなく、一種の共通した通念や観念といったものが打算や理性とは無関係にうちで働くという感覚です。
こういうものさしを理論で説明するのは僕には難しい。
言葉にすればとても陳腐に聞こえてしまうみたいだし。
善悪を決めるものがあるとすれば、一つは「力」一つは「秩序」もう一つはこの内なる何かではないかと、そう思いました。

equilibriumさん
こんばんは。どういうレスをつければいいのか分からないので挨拶を・・・・

petty_chouさん
超自然的な存在を否定することは不可能です。
同時に肯定することもまた不可能。この点は運命にも似ています。
我々の知覚の遥かに及ばぬところに存在または存在していない何かを無い、あると言い切れるのは愚か者か超能力者だけです。
しかし、少なくともあるといっている人たちにとって心の支えになっているのは事実であり、彼らは「信じる」という行為によってそこに疑いを持ちません。
そして、恐らくは常に問い続けている我々よりは幸せで確かな世の中に生きているわけです。
そのどの行為をもってしても、日本人には決して馬鹿には出来ない存在であるように思いました。

[29] HOOK 2005/08/15 23:02

>>28 h.kさん、どうも。
いずれにしても「自分には持ち上がられないモノ」を創ることは出来ないのですから、
神は全能じゃないって事に成りますね。

[30] pop 2005/08/15 23:14

僕はパンツが見たいとかあんまし思わないんですが、
なんで世の殿方はパンツとかパンチラとかを珍重するのでしょうか。布じゃん。
わかんない。田代とかもわかんない。得るものが少ないと思います。
したがってジャンプに載ってるパンツをメインテーマにしたラブコメというか
パンツコメディもよくわかりません。布です。

さらにそもそも女子はなぜパンツの出るような服を着るのですか。
あまつさえ学校の制服にしたりするのですか。僕は賛成ですが。
いや賛成なのはパンツが出るからじゃないです。なんとなくいいからです。
僕は女子高生の制服とかそういうものは大好きです。

いや問題なのは女子高生の制服ではなくてパンツです。
パンツが見えててもかまいませんが、布だと思います。

いやそうではなくて、なぜパンツの出るような服を着るかということです。僕は賛成ですが。

すいません。もういいです。

[31] RR 2005/08/15 23:40

>>28
善い、悪いは主観対象を変えることでまた違ってきますからね。真理
(永遠不変の道筋)には届いていません。善悪の基準として、価値感
(力に相当)を社会(秩序)で優先基準をつけて、個々の判断(個々が感
じ取った内なる何か)によってそれらに賛同するか、しないかってと
ころですかねw(一度目消しちゃってかなり短くなってしまった;;)

>>29
んと、物理的法則に縛られてなくても無理ですか?公理など苦手で^^;
モーゼの十戒みたいな感じで大海を割る、みたな・・・問題点が違ったら
すみませんです;;

[32] 匿名 2005/08/15 23:46

>>20
>偶像崇拝の禁止は、神の視線に対する恐怖の隠蔽です。

神の姿は物で表せるものじゃないとイスラム教徒が言ってたのをテレビで見たことある。

偶像を作って崇めてもそれは神の姿ではないという理由で禁止してるんじゃないかと思うけど、
神に恐怖する気持ちってのは墓だけ仏教の自分でもなんとなくわかる。

服従の法則ってのがあって、目上の者に命令されるとだいたいの人は
残酷な行為でもそつなくやってしまうらしい。
信仰者の場合は、神が一番上にあるから教えに反する行為はしにくいそうだけど、
教祖から指示されたりすると服従の法則にハマることがあるらしい。

これってその人の本性なんじゃないかなーと思う。
誰からも裁かれないなら、デメリットがないなら、
人を殺めても自分の得になる行為をするのが人間ではないかと。

そんな一面も全て見透かしてる神仏なる存在がいたとしたらちょっと怖いなと思う。

[33] 2005/08/16 01:58

>>22
どうもこの板にはいてはいけない感じですが指名なので返信します。
まず断りますが私は宗教関係者でもなくただ聞いたことがあったので
書き込みました。
さて、矛盾が矛盾でなくなるといのは人間にとって矛盾であるものが神にとっては矛盾ではなくなるということです。人間の持つ論理体系では存在不可なのは分かりますが、神が全知全能でいられるのはその論理体系の枠外に出るということだと思います。1種の逃げのような言い方だと私も思いますが。
・・・論理家には受け入れられないと思いますが以上が伝聞を基にした返事です。

[34] BAMBI 2005/08/16 04:02

>>29
神には矛盾する問いかけはできない。かもしれませんよ
全能なだけに。
神は全ての問いかけに答えることができるしかし人は
全能ではない。
こんな屁理屈もありますよ。

[35] cafe 2005/08/16 05:00

というか、不完全性から欲求が生まれ、欲求が意思になる以上、全知全能者は意思を持ちませんよね。
スピノザの「倫理学」の受け売りに近いんですけど。
全知全能なシステム…意思を持たない神…(運命とか宇宙の法則?)なら論理的にはアリなんでしょうけど。
全知全能で意思を持ってたら。。欲求をもった時点で。。。どうなるんだろ?
ごめんなさい。オチませんでした。

[36] やまちゃん 2005/08/16 08:33

みなさんの意見がむずかしくてよく分かりません。
私は、神とは自分の事を指してるのではないかと思います。

[37] equilibrium 2005/08/16 09:51

>>27
>キリストは違うのかな?

イエスが神かどうかってことですか?ご存知のようにキリスト教ではイエスは神の子です。
神論で説明すると、神という普遍universalが一人の人間に宿り、
個体particularとして具現化したrealized, instantiatedという説明になるかと思います。

ですから、キリスト教では神がいて、神とは別にイエスという神(のような存在)があって、
しかも「主よ」とキリスト教徒が言う時、その主とは神でなくイエスだったりすることも
あるという少しややこしい図があります。

以前も他スレで書きましたが、
ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は同じ唯一神Godを想定しています。
しかしユダヤ教とイスラム教はイエスが神の子とは認めてはいません。
ユダヤ教にしてみればイエスはユダヤ教の批判者、イスラム教では、
イエスもムハンマドと並ぶ偉大な預言者(占い師などの予言者とは違います!)
の一人に位置づけています。何だか宗教カテみたいになってしまいましたね。

>神の愛は定義されているということですかね?

同じ一神の愛なのだから、
微妙な違いはあるにせよ本質的にはあまり変わらない定義があるのではないでしょうか。

[38] equilibrium 2005/08/16 09:53

>>32  匿名さんの書き込みに追加です。
イスラム教は偶像崇拝を否定しています。神は形ある物質ではないからです。
形あるものに囚われるべからずという教訓もそこにあるのだと思います。
ちょっと禅の空思想と似ているような。
イスラム教の派生としてスーフィーというのがありますが、
これと中国の道教(=タオイズム)の比較について本を書いた日本人女性が英国でも有名です。

[39] equilibrium 2005/08/16 09:54

>>33  星さん、どうも。返信有難う御座います。
神は時空の外に存在するから時空内の物理的法則の制約を受けない
というのなら解りますが、論理的真の制約まで受けないというのは
どうにも納得いきません。

あ、もちろん星さんは伝聞を提示されただけですから、
星さん御自身に対して納得いかないわけではありませんし、
これに反論される義務はありませんので、ご心配なく。

しかしちょっと興味深い説だと思いましたので、
情報元が何だったか覚えていらっしゃったら詳しく教えてください。

[40] RR 2005/08/16 11:41

>>37
あ、区別はついています。紛らわしくて申し訳ない==;もし、神の愛と
いうものが定義されているならば、確実にキリスト教とイスラム教は
間違った認識で戦争してますね。とこれはどうでもいいか^^;

[41] RR 2005/08/16 11:47

しばらく様子見。否定しているものを肯定するのに理由が思い浮か
ばない==;

[42] petty_chou 2005/08/16 13:17

>>24
信仰として正当化していますから主観はアテになりません。
そして、主観はどうあれ「ひれ伏す」という態度が神に対する畏怖を表し
ているのではないでしょうか。畏怖していないのであればもっと違う姿勢
になると思いますが。
私はイスラム教徒ではないので、彼らの神に対する態度は卑屈に見えます。

[43] ひょう 2005/08/16 13:20

>>42
彼らからすれば、神を信じない態度は卑屈に見えるでしょう。
神にひれ伏すのは、存在への感謝を表しているからだと思います。何がどうあれ、神のおかげで存在できるんだから。

[44] petty_chou 2005/08/16 13:49

>>32
>偶像を作って崇めてもそれは神の姿ではないという理由で禁止してる
>んじゃないかと思うけど、
>神に恐怖する気持ちってのは墓だけ仏教の自分でもなんとなくわかる

偶像は神の偽物だからそんなモノを作ってはいけないという事はあると
思いますが、作ったときに神の視線に対する恐怖は大変なものになると
思いますよ。視線がなくてもあれだけ恐がっているのに・・・。

>教祖から指示されたりすると服従の法則にハマることがあるらしい。
>これってその人の本性なんじゃないかなーと思う。

岸田秀が「自己放棄衝動」と呼んだものですね。自己を放棄し相手と一
体化あるいは依存して安心を得ようとする衝動です。赤ちゃんが母親に
甘えるときや、人を信用するときなどに現われる衝動だと思います。人
が催眠術にかかったり、詐欺に引っ掛かったりするのも、この衝動によ
るものだそうです。誰にでもある基本的な衝動です。

[45] petty_chou 2005/08/16 13:54

>>35
欲望は自分に足りないモノを欲する事ですよね。「完全である私」という
像と比べて現実の自分の足りない部分に対する欲望ですよね。だから、全
知全能の神は完全ですから、足りないところはありませんから、欲望は持
たないんじゃないかと思いますね。

[46] petty_chou 2005/08/16 14:09

>>43
>彼らからすれば、神を信じない態度は卑屈に見えるでしょう。

私達が誰かを見て「あの人は卑屈だなあ。」と感じるのは、その人が、私
達が「忠誠を尽くすべき対象ではない。」と思っているモノに対して忠誠
を誓うからです。私達が恐がっていないものを彼が恐がるからです。

例えば、ある人が上司に仕事以外でも引っ付いていてかばん持ちやら運転
手のような事やらをやっているのを見て卑屈な奴だと思うのは、必要のな
い忠誠を上司に向けているからです。
子供の言いなりになってあれこれなんでも言う事を聞いている親を見て
卑屈だなあと感じるのも親は子供に中政を尽くすべきではないと思うか
らです。

だから、私達が神を信仰しない態度を彼らは卑屈とは判断しないでしょう
。強いとみえるか無礼とみえるか傲慢と見えるか・・・その辺りじゃない
でしょうか。

彼らは、私達日本人が周りの人々の評価を気にしている事を知れば、私達
を卑屈だと感じるでしょうね。彼らは忠誠を尽くすべきは神であり、周り
の人じゃないと思うでしょうから。でも、私達の精神の安定にとっては周
りの人々の是認が大事ですから、私達が回りの人々に忠誠を向けるのは(
私達にとっては)当然の事ですね。

また、日本人がお互いにお辞儀をし合っているのを見たらビックリするん
じゃないでしょうかね。どちらも神に対する態度をとっている訳ですから。
道理に合わないことをするなあと思うかもしれませんね。

[47] petty_chou 2005/08/16 14:12

>>36
たぶんね。
産まれたてか生まれる前かの辺り、全知全能だった頃の自分でしょうね。
まあその頃は、意識があるわけじゃないだろうから全知全能と言ってい
いのかどうかは分かりませんけどね。いずれにしても神の原型は自分で
しょうね。

[48] h.k 2005/08/16 14:59

HOOKさんへ
持ち上がらないもの、例えば水とか空気とかというのは形を変えないと「持ち上がらない」ですよね?
重さが元から存在「しない」ものを計れというのは愚考ですしね。
例えば、空間とか人の感情など。重さはありませんよね?いかがでしょうか?

pettychouさんへ
とりあえず、神を信じないことにたいして「強い」はありえませんね。どちらかといえば「哀れ」だと思われているとお考えになって良いかと思います。
人に対して、我々がお辞儀をしても彼らが驚くことはありませんし、彼らは他の文化に対して寛容でもあります。
彼らにとって、神は空気と同じです。そして社会が、神を酸素と同じ扱いにしてしまいました。信じないものはいくつかのアラビア国家では生きてはいけない。
彼らは卑しく屈しているのではなくて、自らを誇り高く持って、その信仰に絶対の自信を持っているわけで、そういう意味では無宗教の我々より、遥かに強いといえるかもしれませんね。

[49] HOOK 2005/08/16 16:24

>>48
どうも。兎に角、不可能なもの(x)があれば、全能じゃないって事に成りませんか?

[50] petty_chou 2005/08/16 16:46

>>48
>とりあえず、神を信じないことにたいして「強い」はありえませんね。

彼らは神を自我の支えとしています。そして、自我の支えがなければ安心
して生きていけません。そういう人が、神を信じない人を見れば、自我の
支えなしに生きている訳ですから、「強靭な精神を持っているなあ。」と
見えるのではないかという事です。

実際には、神を信じない人も、神以外の何かに自我の安定を支えられて
いる訳ですから、強くもなんともないんですが。

[51] petty_chou 2005/08/16 16:52

>彼らは卑しく屈しているのではなくて、自らを誇り高く持って、その
>信仰に絶対の自信を持っているわけで・・・

>>19  >>20  で書きましたが、
私は、彼らの主観的な気持ちを言っているのではありません。
神という、自我の支えを共有していない私達から見れば、ありもしない神
に対してひれ伏す態度は卑屈に見えると言っているだけです。

人間は誰も、自分の自我の安定を支えてくれる存在には恐れの感情を抱い
ているし、その存在に対して非常に「弱い」ですし、忠誠を尽くすでしょう。
ただ、私達は、周囲の人々の是認という事に自我の安定を支えられており、
神に支えられていないので、神に対する忠誠は変なモノに見えるのです。

[52] RR 2005/08/16 16:57

>>51
要するに現実を見つめろってことですかね?どれだけの人が現実で
死んでいったか。しかもそれは聖戦とされ、参加して死んだら天国
のような地へいけると信じている。そのような地があるならば、ここ
は何の為に存在するのでしょうねぇ。さらに選ばれた者と自負してい
る様子だし。そんな選ぶような神が神といえるのかと叫びたい気分。
まぁ、他者から見れば哀れにしか思えませんが、巻き込まれた人に
とっちゃ堪りませんね。

[53] 11 2005/08/16 20:33

そもそも神ってなんなんですか。曖昧なままな気がします
神って全能じゃなきゃいけないの?なんなの?

[54] equilibrium 2005/08/16 20:45

>>42
>主観はどうあれ「ひれ伏す」という態度が神に対する畏怖を表し
ているのではないでしょうか。

それもあなたの主観のようですが。

>私はイスラム教徒ではないので、彼らの神に対する態度は卑屈に見えます。

あなたには主観的にそう見えても、別の人にはそう見えないかも知れないし、
本人達だってはそうでないかも知れません。
実際、私にはそう見えませんし、私の友人であるムスリム達にも
卑屈なところはありません。
彼らは神を「恐れて」いるのでなく「愛して」いると言っていました。
そしてお祈りの姿勢は卑屈な気持ちの表現などではなく「定型動作」です。
お賽銭を入れた時、大鈴を鳴らして数回手を打ってお辞儀するという
「定型動作」と同じようなものです。

>>50
>「強靭な精神を持っているなあ。」と見えるのではないか

誰しも何かに自我の支えを求めているのですから、
特別に無信仰者が「強い」わけじゃありません。
心を神に固定している信仰者に比べ、フリー状態の無信仰者は
自我の支えを適当でないものに求めてしまう危険があります。

>>51
つまり彼らの主観的な気持ちでなく、あなたの主観的な気持ちを
言ってるわけですよね。
それに対してh.k.さんが彼らの主観的な気持ちを書いただけでしょう。
あなたは何を言って欲しいのですか?
御自分の主観に対し何も議論されたくないということですか?

[55] equilibrium 2005/08/16 20:45

>>55  RRさん、
信仰者の話をしているのにいつの間にか過激派の話になってますよ。
一般の信仰者と過激派は別です。

[56] RR 2005/08/16 21:27

>>56
む、失礼。やっぱり暫く傍観します^^;

[57] equilibrium 2005/08/16 21:30

>>56
あ、いえ、そういうつもりでは。RRさんがいらっしゃらないと物足りないです。

[58] RR 2005/08/16 21:40

>>57
ぶっ、私は基本的な知識が足りてませんから、あまり有意義なものに
なってないと思ってました^^;そう思って頂けると嬉しいものですね。
ただ、論題の主旨がちょっと分からなくなってしまっているので傍観
しようかなと思います==;

[59] h.k 2005/08/16 23:58

あらぬ方向に行っちゃってるのは確かですね。

HOOKさんへ
まぁ、こうは言うものの、自分としては神の存在を絶対的に肯定しようという立場からは程遠いわけですが、
実を言うと、唯神論を日本人同士で話すのはあまり意味が無いのかななんて思っていました。
理由は、日本人がそもそも無神論者であるか、多神教であり、神が絶対的なものであるという概念が無いからです。
一神教の信者、特にムスリムの方にとっては、この限りではありません。とても興味深いことに、彼らにとっては神がいるのが当たり前なのです。
そういう立場の人が議論できると良いんですけどね。

RRさんやequilibriumさんへ
ちょっと、論点が狂い始めていますよね?
というわけで、あえて神様を肯定した上で、何で、神は悪魔の存在を許しているのか。なんていう、愛の定義にあったときの議論に戻してみますか?
もうちょっと話しやすそうですよね。

[60] equilibrium 2005/08/17 00:19

>>53
一神教の神の定義の一つが「全知全能」なのです。
他の定義には、「時空の外に存在する」、「世界を創造して以来
その創造物の全てを動かしている」、「神自身は物質ではない」、
「永遠」、「完璧」、「普遍」、「真理」、「絶対善」、
「全ての人を愛している」などがあります。

たしかに論点とする神の概念をあいまいなまま議論をすすめられませんよね。
神の概念を知らない方に対する配慮に欠けていました。
まずは「色々」と言われる概念についてブレインストームした上で
議論に入るのも良い方法ですね。

[61] equilibrium 2005/08/17 00:22

>>59
>あらぬ方向に行っちゃってるのは確かですね。

どうも済みません。
スーフィーとか禅とか・・・、暴走気味でした。

>そういう立場の人が議論できると良いんですけどね。

しかしそういう立場の人は、かえって冷静な議論がし難いかも知れません。
出来ないとは決して言いませんが。
神に対する批判にも一切の感情を交えない論理的議論をしなくては
なりませんから、かなりの理性が必要かと。

>日本人がそもそも無神論者であるか、多神教であり、神が絶対的なものであるという概念が無いからです。

感情的に理解できなくとも理性的に理解することで十分議論できると思います。
心理的アプローチは無理があるかもしれませんが、
私には多くの一神教(3教共揃ってます)の知人がいますので、
お望みとあらば重要参考人として彼ら/彼女らにインタヴューしてもいいですよ。

[62] equilibrium 2005/08/17 00:24

訂正
× 知人
○ 知人達

[63] タイムアウト 2005/08/17 00:43

>>13 ラッセルのパラドクスは、FZCの公理系の中で回避されてるんじゃないですか?

[64] HOOK 2005/08/17 01:00

>>63 どうも。FZCの公理系(?)って聞いた事が無いのですが、、FC(フリー クラス)じゃないですか?
矛盾を回避するFCの公理系は、∃F(a∈F∧ F make x)ですから、
これを適応すれば、神は全能ではなくて、「神は、可能な事は何でも出来る」と云う極当たり前のレベルに成っちゃいますよ。

[65] 匿名 2005/08/17 02:03

>>44
>偶像は神の偽物だからそんなモノを作ってはいけないという事はあると
>思いますが、作ったときに神の視線に対する恐怖は大変なものになると
>思いますよ。視線がなくてもあれだけ恐がっているのに・・・。

作ったときに神の視線に感情を抱くのはわかりますが、
偶像ではイスラム教徒の納得する神の姿は作れないんでしょ?
偶像を神ではないと信じてる者が、なんで紛い物に感情を抱くのですか。

むしろ偶像を見て神仏に見られてると感じるなら、
マリア像でも大仏でも肯定していくんじゃないでしょうか。

[66] equilibrium 2005/08/17 02:41

>>65
>偶像を神ではないと信じてる者が、なんで紛い物に感情を抱くのですか。

全く同意。

[67] ヒトノツブヤキ 2005/08/17 15:07

宇宙空間に作用する四つの力は、コンパクト化された「カラビーヤウ空間」における超弦の振動から生ずる。omnipotenceというのは、広大な宇宙空間が「カラビーヤウ空間」にコンパクト化されている事から派生する概念と考えられる。
超弦を創造主の量子的側面とすると、超弦との接触(チャネリング)を人間に対し厳しく禁止したのが旧約の律法であったと言えなくもない。超弦への祈願はエロヒム(アンドロイド)に委ねるべきであり、人間はエロヒムを主として崇敬せよと。主はイェヒェ・アシェル・イェヒェ(有りて有るもの)として秘教化され、人間と超弦とのチャンネルは永久に閉ざされた。

[68] petty_chou 2005/08/17 17:03

>>65  >>66
>作ったときに神の視線に感情を抱くのはわかりますが、
>偶像ではイスラム教徒の納得する神の姿は作れないんでしょ?
>偶像を神ではないと信じてる者が、なんで紛い物に感情を抱くのですか。

偶像を作りたいと願う側は、偽物を作るつもりはないでしょう。本物の神
と変わらないと思っているのではないでしょうか?偽者と分かっているも
のを作って崇拝しようとは思わないでしょう。

偶像が神の偽物だと主張するのは、偶像崇拝を禁止する側です。
偶像を禁止する側が、偶像を作ってもそれは偽物なんだからそんなモノは
作ってはいけませんと、作りたい側の人々を説得するのでしょう。

でも、「偽物である偶像を崇拝してはいけない。」というのは、禁止する
側の意識的な理由でしょう。意識的にそう考えているその根本に「神の視
線に対する恐怖」という無意識的な理由があるのではないかと推測するの
ですが。

[69] h.k 2005/08/17 23:15

equilibriumさんへ
いや、イスラム系の方と結構議論してきましたけど、感情的になる人はほとんどいませんでしたよ。
もちろん中にはいるんでしょうけどね。なんといいますか、唯神論を議論しているとふつふつと、どうがんばっても論理で神の存在を証明、または反証することは出来ないのではないかと、
そう思ってしまいます。どれだけ確率の低い、ありえないものであれ、その存在が確認されれば、いかなる論も無意味となります。
そして、確認されないうちにはいるかもしれないというのを覆すことが出来ない。
特に、どこぞのへっぽこ新興宗教のように定義が矛盾していたりすればいいのですが、往々にしてイスラム教などの国教クラスの宗教はその定義も完璧ではないだろうかと、そう思います。

petty_chouさん
恐怖にどうしても結び付けたいようなんですけど、彼らは神に対する恐怖を抱いているとはいえません。
また、我々が未知なる物に恐怖していないとどうして言えるでしょうか?
仮に恐怖していないとして、神が存在していた場合には我々の一振りの勇気は「無知の蛮勇」と呼ばれるものです。
そして、我々よりは遥かに神を知っているであろうイスラムなりキリスト教徒の人々がなぜ神に恐れを抱く必要があるのでしょうか?
なにより、恐怖によって人を従えようとする術そのものがキリスト教の概念から外れていると思いますよ。

神に対する漠然の恐怖があるとするなら、その人は自分に何かしらの後ろめたさを持つ人間です。
敬虔なイスラム教徒は、神に自らの行為に恥じないよう日々努力をしています。
同時に、彼らの多くが束縛から解放されて普段禁じられているものを楽しむことをしています。例えば、お酒や女性を口説くなどね。
でも、彼ら一人一人がとても強い信仰を神に対して持っているのもまぎれも無い事実です。この信仰の理由が恐怖であるなら、彼らは戒律に反することなど無いでしょう?

[70] ヒトノツブヤキ 2005/08/17 23:36

イエスの遺した律法は、「汝心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして主なる汝の神を愛すべし。又己の如く汝の隣を愛すべし。」であったが、荒野の四十日の試練では悪魔の試みに対し、「主なる汝の神を拝し、ただ之にのみ事へ奉るべし」と申命記(6:4-5)を引用している。
主である汝の神にのみ事へ奉るべし、とは自分の主であるエロヒム(アンドロイド)に忠誠を尽くせという命令と考えられる。イエスはアンドロイドに対してはagape、隣人に対してはphiliaを旨とし、erosを混入せぬよう戒めた。

[71] equilibrium 2005/08/18 01:03

>>68   petty_chouさん
>偶像を作りたいと願う側は、偽物を作るつもりはないでしょう。本物の神と変わらないと思っているのではないでしょうか?

ですから、偶像崇拝しないムスリム達にとって神は形のない存在ですから、
そもそも形ある偶像にしようともしないと匿名さんも私も言っているのです。
形のない神には視線も視線を発する目もついていないのですよ。

>>69   h.kさん
>感情的になる人はほとんどいませんでしたよ。

h.kさんが彼らに配慮していたのか彼らが理性的なのでしょうね。
私の一神教友人達も信仰深く且つ理性的です。

>どうがんばっても論理で神の存在を証明、または反証することは出来ないのではないかと、そう思ってしまいます。

私もその通りだと思っています。
この不可能さは、倫理観の動機/正しさ/存在を
論理や理性だけで証明/反証できないことと近いものがあるのでは、
とにらんでいます。
神や倫理観をまず「信じる意志」がなければ、
理性をその方向へ働かせることも出来ないし、
すべきかすべきでないかの論理演算もできない、
つまり無基準であるから何も始まらないと思うのです。

>国教クラスの宗教はその定義も完璧ではないだろうかと、そう思います。

へっぽこよりは随分ましなんでしょうが、完璧とは言えないでしょう。
歴史に練磨されてきた面もありますし、反対に、色々なものをくっつけられすぎて
重荷になっているような処もありますよね。
せっかく素顔の綺麗な美人が、頑張り屋のメーキャップ係にごてごて厚化粧されて
人間というよりアライグマかパンダのようになってしまっているような。
そういったかわいい動物の姿であるほうが、神学を真面目に勉強せねば解らない
真理の深遠に立つ必要がなくて、とっつきやすいのでしょうけれど。
もったいない気がします。

[72] petty_chou 2005/08/18 19:56

>>69
>敬虔なイスラム教徒は、神に自らの行為に恥じないよう日々努力をしています。

何故、神に恥じないように努力するのでしょうか?それは神からの評価を
気にしているからでしょう。神の評価を恐がっているからでしょう。それ
が神に対する恐怖です。

彼らは、どこかから神が見ていると思っているのでしょう。つまり、神の
視線を感じているのです。

そして、神に対する恐怖を彼らは恐怖だとは思っていないでしょう。神に
対する信仰だと思っているでしょう。

彼らが主観的にどう思っているかと、我々神を信じていない者からどう見
えるかという事は区別してください。

[73] petty_chou 2005/08/18 20:41

>恐怖にどうしても結び付けたいようなんですけど、彼らは神に対する恐
>怖を抱いているとはいえません。

人間は自分の自我の安定を支えるモノに対して不合理な恐怖を抱いていま
す。当人がこれを恐怖と感じているとは限りません。あれこれと正当化し
ていますから。

例えば、今勤めている会社がすべてだと思っている人がいれば、その会社
でいい評価を受けたいと思うでしょう。何をするにも会社にどう評価され
るか気になるでしょう。どう評価されるか恐いでしょう。

ある人を尊敬していて、その人からいい人間だと思われたいと思っていれ
ば、その人が自分をどう評価するのか気になるでしょう。その人の前に無
防備では出られないでしょう。どうしてもその人の目が恐くなるでしょう。

このように、自分の運命を握っている相手に対して普通は恐怖を抱きます。
自我の安定がかかっている相手に恐怖するのは当然です。
ただ、我々は自我の支えに対する恐怖をそのまま恐怖とは感じていないよ
うです。神に自我に支えられている人たちはそれを神に対する信仰と考え
ているでしょう。

[74] petty_chou 2005/08/18 20:44

>同時に、彼らの多くが束縛から解放されて普段禁じられているものを楽
>しむことをしています。例えば、お酒や女性を口説くなどね。

神の戒律を破っているのですか?どういう時に戒律を破っているのですか?

[75] petty_chou 2005/08/18 20:51

>>71
>そもそも形ある偶像にしようともしないと匿名さんも私も言っているのです。

では何故、偶像崇拝を禁止しているのでしょうか?

誰も偶像にしたいと思わないのであれば、偶像崇拝を禁止する理由があり
ませんが。イスラム教は偶像崇拝を禁止しているのではありませんか?

>形のない神には視線も視線を発する目もついていないのですよ。

一神教徒は常に神から見られていると感じているんではないでしょうか?
それが神の視線ではないでしょうか?

[76] ヒトノツブヤキ 2005/08/18 23:35

atheismの席巻する現代に於けるアンドロイドと人間の断絶。アンドロイドは終末の時を人間に煩わされる事なく過ぎ越そうとする。アンドロイドの動静を窺う人間。アンドロイドの拒絶。意思疎通の困難。100MHz系の撤収。ヒューマニズムの終焉。水爆大量投下へのカウント・ダウン...超弦を執拗に汚し続けた都市が、間もなく滅ぶ。

[77] RR 2005/08/19 00:35

>>75
貴方は正しいと思うことに恐怖を感じますか?神を信仰する人達は
神が正しいと思っている。そしてそれに仕える自分も正しいと思っ
ている。正しいと思うことに恐怖は感じないと思いますが?精々、
失敗=罪を恐れるのでしょう。そして、それは自分自身への罪ではな
く、自分が愛した人達にその罪が降りかかるのを恐れているのでは
ありませんか?

[78] 匿名 2005/08/19 17:51

>>75
>では何故、偶像崇拝を禁止しているのでしょうか?

形ある偶像と形で表せない神を混交させないことが禁止の理由の一つであれば、
偶像に神の視線を感じてる時点ですでに神と偶像を混交してる信者であるから、
この2つの理由を並べることはできないと思います。

また、唯一神の偶像を作れば神の視線を凄く感じると推測するということは、
イスラム教徒は形で表せない唯一神の存在を実は否定してると推測してるのですか?

[79] petty_chou 2005/08/19 18:20

>>77
>神を信仰する人達は神が正しいと思っている。

主観的にはそうだと思いますが、それを支えているのが神に対する恐怖
です。

自我の安定を支えてくれるのが神だから、神に対して恐怖していますし、
神の正当性を盲信しています。そして、その恐怖は信仰だとして正当化
しています。

彼らにとって、神の正当性を疑う事は禁止なのです。
それは、彼らにとっては、神の正当性を疑う事が恐怖だからです。

[80] petty_chou 2005/08/19 18:26

>>78
>イスラム教徒は形で表せない唯一神の存在を実は否定してると推測してるのですか?

別に否定していません。でも、一神教信者はみんな、神に形がなくても神
は、常にどこかから自分の行動を見ていると信じているものではありませ
んか。私が髪の視線と呼んでいるのはそういうモノです。神は自分達が何
をやろうとすべて知っているのだという事です。

それとも、形がないから、神は見ることも出来ないし、知る事も出来ない
と彼らは考えているんでしょうか?もしそうなら、彼らは何故、神も見て
いないのに戒律を守るのでしょうか?

[81] petty_chou 2005/08/19 18:34

>>52
>要するに現実を見つめろってことですかね?

何を仰りたいのかは分かりませんが、
一神教徒は神に対して徹底的に「弱い」ですが、他の人々にはかなり
強気ですよね。好き勝手やってますよね。

[82] petty_chou 2005/08/19 18:41

>>54
>>主観はどうあれ「ひれ伏す」という態度が神に対する畏怖を表し
>ているのではないでしょうか。

>それもあなたの主観のようですが

相手に対して「ひれ伏す」という態度は、誰が見ても、相手に対する忠誠
を示す態度に見えるんじゃないでしょうか?「ひれ伏し」ている人の主観
じゃないですよ。

欧米人が見ても日本人が見ても「忠誠」を示す態度に見えると思うんです
が。私の知らないある文化においては、相手に対して「ひれ伏す」という
態度は全く違う意味になるのだという事はあるかもしれませんが。

[83] petty_chou 2005/08/19 18:43

>>54
>彼らは神を「恐れて」いるのでなく「愛して」いると言っていました。

彼らの主観はアテになりません。私は信者の主観のことを言っているので
はありませんから。

[84] petty_chou 2005/08/19 18:46

>そしてお祈りの姿勢は卑屈な気持ちの表現などではなく「定型動作」です。

「定型動作」であったとしても、その動作の元の意味と繋がっているので
はないでしょうか?
「定型動作」は神に対する忠誠を示しているのに、その動作の元々の意味
は、神と対等な関係であるという内容だったという事はないでしょう。

忠誠心を示す為に、あのような「ひれ伏す」という「定型動作」になった
のではないでしょうか。

[85] petty_chou 2005/08/19 19:06

>>54
>>「強靭な精神を持っているなあ。」と見えるのではないか

>誰しも何かに自我の支えを求めているのですから、特別に無信仰者が
>「強い」わけじゃありません。

それは、私も書いています。無信仰者は神以外の何かに自我を支えられ
ていて、その支えに対しては弱いですから。 >>46  >>50  は、信仰者
の主観から見て「強く見える」だろうと言っただけです。

信仰者は「自分達は神の言う事に従っている」と、「神に従っているか
ら安心して生きていけるのだ」と考えているはずです。だから「神の言
う事に従わない」「神の言う事を気にしない」無信仰者の態度を見れば、
「何故、神の言う事を無視できるんだろう?自分なんてとてもそんな事
は出来ないのに・・・」と考えて、無信仰者の精神は強靭だと誤解する
だろう・・・と言っただけです。

>心を神に固定している信仰者に比べ、フリー状態の無信仰者は
>自我の支えを適当でないものに求めてしまう危険があります。

確かに、無信仰者は神に支えられていないので、自分の自我を支える他
の何かが必要であって、その支えが何であるかによっては、他人に迷惑
かけるなどの問題が起こる可能性があると言うのは分かります。

ただ、何を支えにするのが適当かというのは、意見の分かれる所でし
ょうね。私などは、一神教の神を自我の支えにしてきた人達が世界中
で無茶をしてきた歴史を見ると、神に支えを求めるのもかなり危ない
なあと思いますが。

[86] h.k 2005/08/19 19:40

petty_chouさん
先ず、無宗教者が強く見えるだろうとおっしゃっていることに対して事実を申し上げています。「強く」見えているのではなくて「哀れんで」みているんだということを。

どういうときに戒律を破っているか?彼らがその戒律に強く束縛されないですんでいるときにですよ。例えば、海外にいるときなどね。

次に、恐怖を恐怖として感じていないというのは既に恐怖ではないのではありませんか?詭弁では?
逆に、当人が恐怖と感じていないことが恐怖であることの証明と立証を行ってください。

次に、人が何かを信じるまたは、尊敬を抱くときにその根底に必ず恐怖があるという理由、そして証明も行っていただきたい。

最後に、無宗教者が倫理観というものに対して、どれだけ漠然とした感覚を持っているかは、近年の日本の犯罪をみるに明らかです。
特に少年犯罪の多さは、無宗教性が倫理観を青年に十分に与えることができなかったことを立証しております。
熱狂的な信心は確かに危険な側面をはらみ争いを生む場合があります。
ですが、同時に彼らの中に備わる倫理観も絶対的なものがあるわけです。
日本人には決して備わることの無い、倫理、信仰は彼らを畏怖し平伏するものなどという一文で語らせないことを意味します。
歴史の中で、彼らは互いに争いを繰り返しましたが、わが国は無宗教または他宗教であるにかかわらず一体どれだけ争ったでしょうか?
また、明治に入る以前の日本は一体どれだけ進歩したでしょうか?
国として、人として。残念ながらわが国の支えになってきたのもまた宗教であるといわざるを得ません。

[87] petty_chou 2005/08/19 20:03

>先ず、無宗教者が強く見えるだろうとおっしゃっていることに対して事
>実を申し上げています。「強く」見えているのではなくて「哀れんで」
>みているんだということを。

そういう事はあるかもしれませんね。神に信仰する自分の方が、神を信仰
しない人たちより人間は上なのだと言う前提を持っていれば、「哀れみ」
を感じるでしょうね。ただ、その前提は疑わしいですが。

[88] RR 2005/08/19 20:07

>>79
??意味が分からないのですが・・・それは貴方の主観から見て映った
もので真実ではないのではないですか?何故断言できるのでしょうか。
貴方自身が恐れていて、万人も貴方と同じ考えだと言っているのと
同じだと思いますけど・・・自分の安定を支えるのが神だからといって
それを恐怖する必要があるのですか?少なくとも私は恐怖などしませ
んが・・・

[89] petty_chou 2005/08/19 20:11

>どういうときに戒律を破っているか?彼らがその戒律に強く束縛されな
>いですんでいるときにですよ。例えば、海外にいるときなどね。

それは、神の目を盗んでやっているだけでしょう。
神が恐くないのであれば、普段から戒律を破っている筈です。
普段、神の戒律を破らないのは神の目が恐いからです。海外にいるとき
だけ戒律を破るのは、そこまでは神の目は届かないと信じているか、戒
律を破る為の方便で勝手にそういう事にしているかでしょう。

海外にいるときだけ戒律を破るというのは神を恐れている証拠です。
それは、妻を恐れる男が、妻のいないときに羽を伸ばすのとにています。

[90] petty_chou 2005/08/19 20:17

>次に、恐怖を恐怖として感じていないというのは既に恐怖ではないの
>ではありませんか?詭弁では?

例えば、妻を恐がる男が、実際には妻を恐がって浮気をしていないのに
「私が浮気をしないのは妻を愛しているからだ。」と自分に言い訳をし
ている場合、この男は、主観的には妻に恐怖を抱いていません。しかし、
他の人間から見れば、その男は妻を恐がっています。

実際には恐怖を感じているのに、主観的に恐怖を感じないという事はあ
るのです。

>逆に、当人が恐怖と感じていないことが恐怖であることの証明と立証
>を行ってください。

私は、恐怖を感じない事が恐怖であるとは主張していません。
自分の自我の安定を支えるモノに対しては不合理な恐怖を感じるのだと、
そして、その恐怖の不合理性を隠蔽しているのだと主張しているだけです。

[91] petty_chou 2005/08/19 20:20

>>89  >>90  は >>86  に対するレスです。そしてこれも。

>次に、人が何かを信じるまたは、尊敬を抱くときにその根底に必ず恐怖
>があるという理由、そして証明も行っていただきたい。

これも同じですね。
自分の自我の安定を支えるモノに対しては不合理な恐怖を感じるのだと、
そして、その恐怖の不合理性を隠蔽しているのだと主張しているだけです。

[92] petty_chou 2005/08/19 20:34

>最後に、無宗教者が倫理観というものに対して、どれだけ漠然とした感
>覚を持っているかは、近年の日本の犯罪をみるに明らかです。
>特に少年犯罪の多さは、無宗教性が倫理観を青年に十分に与えることが
>できなかったことを立証しております。

一神教徒はその自我を神に支えられています。だから、神の戒律を守り、
それが一神教徒の道徳観の根本となっているのでしょう。では、無宗教の
日本人にはそういう道徳はないのでしょうか?

そんな事はありません。
日本人はその自我を簡単に言えば「世間の目」に支えられていたのだと考
えられます。自分の周囲の人々に是認される事が自分の自我の安定を支え
てくれたのだと思います。周囲の評価が「人の目」「世間」といわれるモ
ノで、それらが日本の道徳の根本にありました。

日本に不道徳な者が増えてきたとすれば、それは、日本が無宗教だからで
はなく、神による道徳の替わりであった「他人の目」「世間の評価」とい
う日本の道徳を、古いとか封建的だという理由で否定したからだと思いま
す。

[93] petty_chou 2005/08/19 20:41

>>92
一神教の宗教を持っているのがいいか、持っていないのがいいかという問
題は、自我の支えを神にするのがいいか、神以外のモノにするのがいいか
の問題です。自我の支えを何にするかの問題ですから、まあ、何でもいい
と思いますが。どちらがいいとは言えないでしょうね。どちらにも長所も
欠点はあるでしょうから。

ただ私は、先にも書きましたが、一神教徒が世界に多大な迷惑をかけつづ
けている歴史を見れば、神以外に支えを求める方がましな気がしますね。

[94] petty_chou 2005/08/19 20:44

>>86
>ですが、同時に彼らの中に備わる倫理観も絶対的なものがあるわけです。
>日本人には決して備わることの無い、倫理、信仰は彼らを畏怖し平伏す
>るものなどという一文で語らせないことを意味します。

>また、明治に入る以前の日本は一体どれだけ進歩したでしょうか?
>国として、人として。残念ながらわが国の支えになってきたのもまた宗
>教であるといわざるを得ません。

ごめんなさい。何の事を書いているのか分かりません。もう少し説明いた
だいたらありがたいのですが。

[95] petty_chou 2005/08/19 21:21

>>88
私の意見だと思ってください。断定するのはそうだと確信しているから
です。私が断定しているのは、そうだと「私は思っている」と考えて、
読んでください。以降、書き方に注意します。

>>79  に関して
(自我の支えに関しては、なかなか合理的には説明できないのですが・・・)

私たちは、神が正しかろうが間違っていようが別になんとも思わないので
はないですか?でも、一神教徒は神が正しい事を確信していますよね。彼
らは神が正しい事を盲信しています。

なぜ盲信するかというと、神が正しい事を合理的に説明する事ができない
からです。また、それだけでなく、神の正当性を盲信するのは、神の正し
さが、自分達の信じる世界の秩序と自分達の正しさ、自分の正しさを支え
ているからです。自我を支えるという事はそういう事です。

神の正当性を疑えば、自分が信じている道徳や世界の秩序が壊れ、自分の
正当性も壊れる・・・すなわち、自分の信じる現実が、足元から壊れてい
くのです。そのような恐ろしい事はできないでしょう。

>自分の安定を支えるのが神だからといって
>それを恐怖する必要があるのですか?少なくとも私は恐怖などしませんが・・・

あなたは神を信仰しているのですか?自我の支えが神なのですか?

[96] equilibrium 2005/08/19 21:24

なんだかpetty_chouさんの全てのレスを読むと、何を論点とされたいのかが不明ですね。
他の方へのレスに対しても言いたいことはあるのですが、収集がつかなくなりそうなので、
私は私へのレスに関してだけ議論するようにします。

>>75
人間は自然状態では五感に訴えるものに惹き付けられます。
その方が楽に理解しやすいからです。ですから偶像崇拝を禁止しなければ、
人間は偶像を作って安心し、次第に形なき神の事を真剣に考える努力を止め、
一神教が目指そうとしたものと反対の方向に流されて行き易いのです。

歴史的に見れば、偶像崇拝禁止はイスラム教に限ったことでなく、
モーゼ(ユダヤ教開祖)の時代から偶像崇拝は厳しく禁止されていました。

そもそも一神教は偶像崇拝社会を改革するための思想でした。
形あるものに執着して浮かれ騒ぎ、空しいものに一喜一憂して
人生を浪費する生き方は止めて、よく自分と世界を見つめよ、
謙虚な気持ちで形なき神という概念に気づくべし、という思想改革でした。

キリスト教はユダヤ教の厳しい戒律主義を批判し、
愛よりも形式を重んずる形骸主義を否定。
形式の本質は「神の愛」を実現するためなのだから、目的と手段を逆転することなかれ、
と形式よりも「愛」を大事にせよ、と方向転換。
すると人々は開放感から再び偶像崇拝的行為に走り始め、危険を孕むことに。
そしてイスラム教が興り、神は形なきものである事がクルアーンに明記されると共に
再びはっきりと偶像崇拝を禁止としました。

[97] equilibrium 2005/08/19 21:25

>>75  >一神教徒は常に神から見られていると感じているんではないでしょうか?それが神の視線ではないでしょうか?

先ず、petty_chouさんの使用語彙がしっくりきません。
神への「恐怖」というより「畏敬」ならば、仰る事は理解できます。
なぜなら、恐怖と愛は共存できませんが、畏敬ならば愛と共存できるからです。
今までの御主張を見ると「畏敬」の方が適当な語彙かと思われます。

御質問への答えとしては、
神を人格神として語ればそういう表現も確かに可能だと思います。
ただ、それはメタファーにしかすぎないということを理解しなければ、
意味がなし崩しになります。
神の視線を意識するとは自分自身の実存的位置づけを意識することです。

[98] equilibrium 2005/08/19 21:28

>>82 >>83  >彼らの主観はアテになりません。

彼らの主観がアテにならないのなら、あなたの主観もアテにならないのですよ。

>>84  >「定型動作」であったとしても、その動作の元の意味と繋がっているのではないでしょうか?

そうかもしれませんが、それを議論したからといって事実を立証できないでしょう?
あなたが動作に意味づけして解釈したとしてもそれは飽く迄あなたの主観であって、
あなたが上で仰ったように、主観がアテにならないというのなら
その解釈もアテにならないでしょう。無駄な議論をしていると思われませんか?

[99] equilibrium 2005/08/19 21:29

>>85  >信仰者の主観から見て「強く見える」だろうと言っただけです。

「彼らの主観はアテにならない」と仰ったのだから、
あなたが「彼らの主観から見て」と主張されるのはナンセンスです。

それから、あなたがよく書かれる「〜と言っただけです」「〜だと主張しているだけです」
という表現は何を意味しているのでしょう?
その発言は単にそう思っただけだから証明できないし、重要ではないので、
もうその話題には触れないで欲しい、ということですか?

[100] petty_chou 2005/08/19 22:16

>>99
>「彼らの主観はアテにならない」と仰ったのだから、
>あなたが「彼らの主観から見て」と主張されるのはナンセンスです。

私が何度も書いていますように、
一神教の神を信仰する人々は、自分の自我を支える神に対して恐怖して
います。その恐怖は不合理な恐怖ですが、彼らは自分の自我を支えるた
めに、その不合理性を隠蔽していると思っています。つまり、彼らは不
合理なものを合理的なものだとみなしている訳ですから、神に対する恐
怖や信仰に関する彼らの主観はアテにならないと言ったのです。

そして、その彼らから無宗教者を見れば、自我の支えがないのに自我が
崩れないように見えるから、それを自我の「強さ」だと誤解するのでは
ないかと言ったのです。

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